サテュロスと『サテュリコン』

ニーチェの『悲劇の誕生』では
2つの比喩的な語が繰り返される

アポロン(的)と
ディオニュソス(的)だ

これらが古代ギリシアの神であり
アポロンは太陽神で
予言、医術、音楽を司ってて
ディオニュソスは酒の神

そのくらいの認識は
およそ無教養な現代日本人でも持ってるだろう

とはいえ

 芸術は、<アポロン的なもの>と<ディオニュソス的なもの>という、ふたつの要素のせめぎあいによって展開してゆく。それはオスとメスによる生殖のようなものだ。生物の場合、ふたつの異質なものが絶えずせめぎあい、両者の和合はしかるべきときに定期的にしか訪れないわけだが、芸術にもそれと似たところがある。そうした芸術の特質を、ただ論理的に理解するだけでなく、ずばり直観的にも把握できるようになれば、美学はおおきく前進することになるだろう。

などと、のっけから言われても
太陽神と(葡萄)酒の神が
どうしてオスとメスほどに対極的なのかは
はっきり言って合点がいかんてw

ギリシア神話の神々の中では
ヘルメスが1番好きだが
次いでアポロンとディオニュソスも
甲乙付け難くお気に入り

そんな自分でさえも
ニーチェのこの位置付けには
疑問を感じてしまう

アポロンは美麗な青年の姿の神で
竪琴を爪弾くのだから
人間だったなら絶対にモテただろうが
これがなぜか非モテなのだ。(゚д゚lll)ギャボ

例えば
予言の術を授けるから恋人になるよう
トロイの王女カッサンドラに言い寄るのもおかしいが
それで振られた腹いせに
予言を信じる者がいナイようにしたり
美女コロニスを手篭めにして
恋人気取りでいたら
他の男と結婚してしまったからって
コロニスを殺そうとしたり
意外と人間臭いってか
姑息な部分が垣間見えるので
ニーチェが示唆するような高潔なイメージは
どうにも持てナイのだが。(´д`;)ギャボ

だいたいアポロンは相手の性別問わず
悲恋のエピソードばかりなのだが
腐女子にとってはアポロンの悲恋こそが
ギリシア神話の美味しい部分だ

ヒュアキントスやキュパリッソスなど
名だたる美少年とアポロンとの
在りし日のやりとりには妄想力を惜しまナイし
美少年の死に際に限定すれば
悲壮感の中にも優美なアポロンてのはわかるが
主知的、理性的とかは違う気がするし
それに比してディオニュソスを
激情的とするのはどうかと思われ

ディオニュソスの配下の
サテュロスのような牧羊神ら(※)は
放埓な獣らしい下半身をしてたりするし
パーンの笛の音でマイナデスは踊るだろうが
ディオニュソス自身は酩酊もせず
超然としてるカンジだが?
ローマのバッカスの従者であるファウヌス然り

サテュロスの名に由来する
『サテュリコン』なる奇異な小説を知ったのは
偕成社の少女世界文学全集の『クォ・バディス』で
そこには『サチリコン』とあり
登場人物のペトロニウスが書いた本なので
実在するとは夢にも思ってなかった

ところが雑誌ALLANの影響で
マルキ・ド・サドを澁澤龍彦訳で読み漁り
澁澤訳のユイスマンスの『さかしま』に巡り会い
ペトロニウスも『サテュリコン』も実在してたと知った!

それはまるでシュリーマンが
トロイの遺跡を探し当てたような興奮を思えたが
なんせネットで検索などできなかった時代のコトで
更に当時、女子高生だった身としては
大っぴらに買い求めづらかったのもあって
闇雲に古本屋を探し回るしかなかった

また映画『サテリコン』の存在を知ったのも
ALLANに載ってたからだが
そこで紹介されてる美少年ジトーネに一目惚れして
この映画を冥土の土産にどうしても観たいp(-_-+)q
そう思いながら20年余りが過ぎ
結局、DVDが発売されたのを買って
観たのは2003年だった

そうしてずっと片隅に追いやりながらも
人生の中で『サテュリコン』を切望してたので
サテュロスの名がいつも脳裏を掠めてて
山羊の角と下半身を持つ異形の姿を
ワリと身近に感じてて
現代日本に魔女狩りが無くて良かったw

最後に最愛のヘルメスに関して
神に対して不謹慎かもしれなんだが
ファッションを含めたルックスがたまらなく好きで
性格的にやんちゃで愛嬌たっぷりなのも
ときめかずにはいられん・・・ホゥ(*-∀-)

アポロンは最も美しい青年の容貌を持つとされ
そりゃあ文句のつけドコロは皆無だが
ヘルメスの方が愛らしいと思えるのは単に好みで
特にボッティチェリの描いた
『プリマヴェーラ(春)』でのヘルメスときたら
甘かやなヘアスタイルといい
端正な顔立ちといい
肉付きのイマイチ感といい
個性的な帽子とサンダル(ブーツ?)といい
大好きなテイストで仕上がっててるるる~

輝ける青春(ドリアン・グレイのモデル)

オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』の
新潮社版の冒頭には「画家の序文」があり
この画家とはバジルのモデルとなった男なのだが
主人公のドリアン・グレイのモデルについて触れてて
それは次のように書き出してる

わたしのモデルのひとりに、友人たちから「輝ける青春」と綽名されるほど、ひときわ目立つ美貌の青年がいた。

ドリアン・グレイの肖像 (新潮文庫)

若さはそれ自体が魅力的で光彩を放つのだが
その光が最も眩しく感じられるのが青春なる時期であろう
幼さから若さへ移行したばかりの頃だ

なので、青春の形容に対して
わざわざ「輝ける」などと付加する必要はナイのだが
類稀なる美貌の持ち主ともなれば
若さと美貌の相乗効果で神々しいほどに光り輝いて見えても無理はナイ

波うつ金髪、生き生きと赤みがかった頬、健康ないたずらっぽさと、品の良いユーモアと、高邁な思想とにきらめく眼。
東風が吹きすさぶときでさえ、この世を愉快なものと思わせるような若者だった。
ひとの良さと陽気さが全身から発散して、かれがはいってくれば、陰鬱このうえない部屋もほんのりと明るみを帯び、輝くのだった。

まるで太陽神アポロンを思い起こすような形容だが
神であるアポロンは永遠の美青年であり
人間であるドリアンが美青年でいられるのは
通常であれば余りにも短い期間だ。(´д`;)ギャボ

その儚さに気付いた瞬間にはドリアンに憐憫の情を禁じえナイが
ワイルドも歎息まじりにこう言ったそうだ

あんなすばらしい人間が年をとってしまうとは、なんという傷ましいことだ

若さには美が宿ってるが
美貌が輝いて見えるのは若さ故なのだ
若さを失すれば美貌が損なわれずとも輝きを失ってしまう

もちろん老いてもその人らしい美しさを携えてる人もいるが
万人が認めざるを得ナイような若く美しい人間とではその輝きの質が違う

若さ、それは無敵だが脆く儚い輝きであり
日本語にはこの輝きを表現するのに最適な言葉がある
「あはれ」だ

若さを失った時に何も残らなければ
どれほどの美貌でも輝きを失う

若い時に若さ以外に何を持ち得るかで
老いた時の顔は決まる

そう思えるので
美し過ぎる若者にはつい憐憫の情を抱いてしまうのだ(;つД`)
稀有な美貌に恵まれた者が若さに輝いてる時は
まさに無敵なので
老いた自身の姿などとても想像するコトができず
実際に老いてしまって輝きを失い美貌も褪せてみて
もはや何も人の心を捉え得ナイ自らに直面した時の
失望と絶望ははかりしれナイだろう
それまで愛され慣れてきただけに落差はいかばかりか。(´д`;)ギャボ

ワイルドの嘆きも単純に老いで美貌が損なわれるってだけでなく
それに気付けナイ悲劇をこそ輝きの中にも見取る故なのだ

しかし若さを必ず失わなくてはならナイのは
自然の摂理なので享受するしかナイ
そこで画家バジルのモデルとなった男は
ワイルドに賛同して言った

もし「ドリアン」がいつまでもいまのままでいて、代りに肖像画のほうが年をとり、萎びてゆくのだったら、どんなにすばらしいだろう。
そうなるものならなあ!

この会話から生まれたのが
虚構の「輝ける青春」に執り憑かれた若者の物語
『ドリアン・グレイの肖像』だった

Women of Troy

エウリピデスの『トロイアの女たち』の新訳が
なぜか、突如として昨年末に出てた

そう、なぜ、エウリピデスの悲劇の中でも
今、これだけが単品で出るのか、訝しく思ったが
ちょうど蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』の公演があり
それに合わせてだったのだろうか?!

いや、WOWOWで観たらサルトルVer.だったw

トロイアの女たちギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

そう言えば『トロイアの女たち』は
エウリピデスのなら松平千秋訳のをダブって持ってるし(※)
『サルトル全集【33】トロイアの女たち』を
神保町の古本屋で奇跡的にゲトできたが
肝心のセネカ版が未だ手元になかったと思い出した
ちくま文庫のギリシア悲劇【III】エウリピデス(上)筑摩世界文学大系【2】ギリシア・ローマ古典劇集

セネカの『トロイアの女たち』は
京都大学出版の西洋古典叢書の『セネカ悲劇集』に収められてるるる~

セネカ悲劇集〈1〉 (西洋古典叢書)

セネカ悲劇集【1】
狂えるヘラクレス(小川正廣訳)
トロイアの女たち(高橋宏幸訳)
フェニキアの女たち(大西英文訳)
メデア(小林標訳)
パエドラ(大西英文訳)

セネカ悲劇集【2】
オエディプス(岩崎務訳)
アガメムノン(大西英文訳)
テュエステス(宮崎徳也訳)
オエタ山のヘルクレス(竹中康雄訳)
オクタウィア(木村健治訳)

【1】は『トロイアの女たち』以外にも
『フェニキアの女たち』も『メデア』も『パエドラ』(※)も
エウリピデスと比較して差異を読み解きたい
エウリピデスの『ヒッポリュトス』に当たる、ラシーヌだと『フェードル(とイポリート)』

しかし最も興味深いのは【2】の『オクタウィア』だ!
なんせセネカのオリジナルでネロが題材の史劇なのだからして!!

久々にアマゾンで両方チェックしてみたら
【2】が半額以下で出品されてたのでそっちをポチったった♪
トロイヲタとして【1】も絶対いつか購入するだろうがw

とりあえず蜷川の『トロイアの女たち』はサルトルに倣ってたが
現代日本人の常識の範疇に「トロイ戦争」はナイので
そりゃあ誤解のナイようにポセイドンが説明せねばなるまいて
改めてサルトルの手腕に脱帽しつつ
蜷川の奇異なアイディア(3ヶ国語でコロスを繰り返し)にも
よくもこんな鬱陶しいコトをやり通したモノだ
と、感心したし、感動した。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

蜷川はちょっと前に『トロイラスとクレシダ』もWOWOWで観た(※)が
シェイクスピアの全作をオールメールでって試みの一環で
その発想からして素晴らしいと思ったね
しかも『トロイラスとクレシダ』は中でも1番厄介だったろうに
納得の行く出来映えだったのには度肝を抜かれた。(゚д゚lll)ギャボ
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102292/

クレシダには穢れを知らナイ澄んだ美しさがあり
絶世の美女ヘレネの方が蠱惑的ではあるが
決して見劣りはしナイ美貌なはずと思われ。(´д`;)ギャボ
その点、2人とも性別を乗り越えた以上に美的に釣り合ってたが
恐らく女性がやると想像すると
主役のクレシダはでしゃばって美貌から儚さを失するだろうし
ヘレネも美しさよりいやらしさが目立ってしまいそうだ(-_-;)

でも何よりもカサンドラにはぞっとさせられた
『トロイアの女たち』でも運命に憤り、怒りながら舞うカサンドラがいたが
『トロイラスとクレシダ』のカサンドラの方がしなやかな動きで
巫女の資格を失った悲しみが舞踏に表現されてたし
狂気もそれらしく見えた

基本的にカサンドラは狂ってるのではなく
予言を口にすると狂ってるように見えてしまうだけだから
発狂してるだけだと白けてしまうのだよ
カサンドラはアポロンから予言の術を授かったが
引き換えにアポロンの恋人になる約束だったのを破ったので
それでアポロンによって予言が信じてもらえナイようにされたのだ

☆・・・☆・・・☆

宮本亜門の『サロメ』もWOWOWでやってて(※)
観る前はキャスティングに仰天したが
もれなく多部未華子ちゃんのサロメこそがサイコーだった
サロメは無垢ゆえに残酷なのだな・・・
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/101601/

サロメ (岩波文庫)

古典劇はハリウッド映画とかブロードウェイ・ミュージカルでも
原作の魅力が減退しまくりなのが多くてウンザリするが
日本の新劇が魅力を損なわずにやってるなんて
目にするまで思いもよらなかったね

とにかく戯曲は本で読んでるより
舞台で演じてるのを観る方が断然゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのは、当たり前かヽ(゚∀。)ノ

ここは一つ、宮本の『キャンディード』のDVDを購入すべきか?!

Pythia aut Maenas

新しいブログのタイトルは「アポロンとディオニュソス」になるはずだった

それが「Pythia aut Maenas」となったのは
目の錯覚でURLの「pvsa.mmrs」の部分が「pythia.maenas」に見えてしまい
アポロン神の巫女であるPythia(ピューティアーもしくはピュティア)と
ディオニュソス(あるいはバッカス)の信女のMaenas(マイナス)の方が
ひねりがあって゚+.(・∀・)゚+.゚イイような気がしたからだ

これをGoogle翻訳でラテン語(※)にしようとした際に
「ピュティアとマイナス」でなく「ピュティアかマイナス」にしたのは
アポロンとディオニュソスは「と」による一体感に違和感を感じナイが
ピュティアとマイナスの間には「と」で結びつかナイ強い反発を感じたからだ
ちなみに「Pythia aut Maenas」の”aut”が英語の”or”である

とはいえ、ピュティアとマイナスにはどちらも
忘我する、とゆー共通点があるのだ
ピュティアはある種の毒ガスにやられて神懸りになり
マイナスは葡萄酒のアルコールで狂乱状態になり
前者は予言をし、後者は淫行に耽る

Maenas

また蛇と戯れるこの女がそれだけでマイナスだとわかるのは
マイナデス(マイナスの複数形)が蛇を神聖視してるからなのだが
ピュティアもその名称自体が大蛇(ピュートー)から派生してて
蛇繋がりなのだな・・・などと考えを巡らしてたら
このマイナスが突如としてエウリュディケに見えてきた!

ギリシア神話におけるエウリュディケは
楽人オルフェウスの妻だったが結婚の喜びもつかの間に
蛇に咬まれて死んでしまった女だ

エウリュディケを失ったオルフェウスは嘆き悲しみ
彼女を黄泉の国まで迎えに行き
なんとか連れて帰る段取りまではできたものの
地上に出るまで決して振り向いてはならぬ、とゆー禁忌を犯してしまい
愛妻を携えて地上に戻るコトは叶わなかった・・・
と、そんな悲劇である

ニーチェの処女作『悲劇の誕生』では
「アポロ的」「ディオニューゾス的」なる表現を用いてて
これらが「理性」と「情動」であるとか正反対の形容に対比させてるが
両者を併せ持つと最高峰の芸術(※)形態である【悲劇】になるとも言及してる
【悲劇】はギリシア悲劇を特定してるのだが、それを構成する要素である音楽(コロス)の意味合いが強い

このニーチェの考察にキリスト教的価値観が付随されてしまうと
優美なアポロンが神的、粗野なディオニュソスが悪魔的
と、受け止められがちなので誤謬が生じるのだが
キリスト教のフィルターを省いたもっと太古の宗教観からしたら
アポロンの竪琴が奏でるのは死者に手向ける挽歌なのであり
それに比してディオニュソスのパン・フルートの調べは
生者の音楽なればこそ、エロスの舞踏が引き起こされるのだ

そして死と生は全ての生物が内包してるモノではあるが
決して一個体に同時に顕現するコトはなく
必ずどちらか一方の状態なのである

生死はまるで実体と鏡像のような関係だが
アポロンとディオニュソスも然りで
一人の人間が兼ね備えてる相対する性質のようではなかろうか?

ディオニューソス―神話と祭儀

オルフェウスの悲劇は妻との別離の後日談があり
これがまた悲劇的にも八つ裂きにされて死んでしまうのだが
彼を殺したのはトラキアの女たちであり
彼女らはマイナデスであった

それとゆーのもオルフェウスは亡き妻に捧げる挽歌を奏じてて
それを耳にしたマイナデスに襲われてしまったのだが
要するに情欲を煽っておいて放置プレイだったのでレイプされて
彼女らの狂気が八つ裂きにまで至らしめたのである

ここで1つの疑問が浮かぶのは
オルフェウスは異説ではアポロンの息子だとされてたりもするが
少なくとも彼の竪琴はアポロンから授かってたので
まさに「アポロ的」な挽歌だったはずなのに
マイナデスはなぜ欲情したのか?むしろ欲情できたのか?

解せナイ、これは計画的な犯罪ではあるまいか?

エウリュディケは人間ではなく森のニンフとされてるが
蛇に咬まれて死んだのを考え合わせたら
この女は実はマイナスで、夜の森に集い、葡萄酒で酔い
蛇と踊りながら淫行に興じてたのに
結婚して仲間を裏切ったために蛇の制裁を受けたのではなかろうか?

そもそもオルフェウスがアポロンから竪琴を与えられた際に
楽才をも享受したのだとすれば
それはエウリュディケの挽歌を歌う宿命だったのでは?

自分なりにそう納得してみたトコロで
もう1つ新たな疑問が沸いたのは
オルフェウスの死に様で、ディオニュソスと同じだったのだ

☆追記…
結局、新しいサイトは閉鎖され、このサイトに吸収合併されたw

大いなるパーンは死せり

昭和生まれで子供の頃に星座の名の由来に興味があったなら
きっと野尻抱影の本を読んでただろう

自分ももれなくそんな一人で
ギリシア神話自体が野尻の著書で初めて読んだし
そこに鏤められた星座に纏わるエピソード群を拠点として
ギリシア(ローマ)神話の世界観が構築されてったが
一通りわかった気になったトコロで手放してしまって四半世紀経過ヽ(゚∀。)ノ

代わって、この10年来に何十冊もギリシア・ローマ神話の本を購入したが
読めば読むほど、その世界観が覆されてった。(゚д゚lll)ギャボ

同じエピソードでも著者によって内容がマチマチであり
しかも辻褄が合わナイのを無理矢理こじつけてたりするので
改めて神話に異説は付き物だと思い知った。(´д`;)ギャボ

所詮は神話であって
史実でナイのはもちろんだが単なる伝承や英雄伝説より信憑性に欠くし
そこに最初から真も偽もナイのだが
だからこそ自分にとって納得が行くように編纂して
真とすれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイとも思うのだ

むしろ史実だって確実な事象は確固たる事実として脳内に留めるが
それ以上にその時代を担った人々の心理を読み解いて
真実がどうあったのかを思索するコトこそ
歴史を学ぶ意味があるるる~

総ての神話はぶっちゃけ人間による創作だろうが
神話を創り上げる過程においてどんな想いがあったのか
神や怪物は何の比喩で、英雄に映し出された理想の人間像は何の教訓か
そしてなぜ民族の中で信じられて伝えられてきたのか
そこを深読みするのが醍醐味なのだ(*^^*)

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路

それにしたってニーチェが『悲劇の誕生』で比喩に使うほど
アポロンもディオニュソスも明確な切り分けができるキャラクターではなく
逆にギリシア神話の神において最も近しい2柱とも言え
違うのは容貌の美醜と信奉されてる場所(神殿か森か)くらいだ

なんせ両者とも音楽と酒がついて回り
美女との恋愛には全く縁がナイ非モテなのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ツァラトゥストラ (中公文庫)

ニーチェついでに『ツァラトゥストラ』で「神は死んだ」てのがあるが
これはプルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」に
船上で「大いなるパーンは死せり!」との天の声を耳にした逸話が載ってて
後世のご都合主義のキリスト教が
古代の総ての神に代わってイエス・キリストが唯一神になった
などと勝手に解釈したのだ(゚*゚;)

逸話自体に何の根拠もナイのに
それに対するまた更にまるで根拠のナイ解釈で
まともなおつむをしてたらとても納得できナイが
これを当然のように妄信してしまうキリスト教徒に危惧して
この台詞を逆手にとって皮肉を言ってるのだ

モラリア〈5〉 (西洋古典叢書)

だがしかし
自分にはこのプルタルコスの伝える逸話にどうも不信感を抱いてて
3年前にやっと邦訳された『モラリア』【5】を読んでみて
謎が解けた気がしたΣ(゚д゚lll)ガーン

まあ謎解きは長~くなるから後日にして
とにかく酒の神ディオニュソス(バッカス)と牧神パーンと
山羊の角と脚を持ったファウヌス、サテュロス、シレノスの類は
ギリシア・ローマ神話の中で混同されてるので
あちこち読み漁るほどに困惑が増すとゆー有り様なのだが
そんな迷宮から脱出するのには初心に帰るのが1番で
前述したかつての愛読書である野尻の『星の神話・伝説』を入手して
「やぎ座」の項目をたった2ページ読んで万事解決p(-_-+)q

 山羊といっても、魚の尾をしているふしぎな『海山羊』です。そして、これもいて座の半人半馬の怪人などとおなじく、西アジアの星座から伝わったもので、バビロニアの古い彫刻にこの姿が残っています。

そうなのだった!
これらの半獣神の起源はバビロニアの占星術由来なのだった!!
で、1年前に書いた記事[Goats Head Soup]を大幅に修正した(汗)

 パアンというのは、ギリシアの森林と野原の神で、山羊の角と、毛のはえたとがった耳で、足にもひずめがありました。
 彼はいつも山のほら穴に住み、いたってのんきで、遊び好きで、夕ぐれになると穴から出てきて、おなじ半人半獣のサチュロスと、森や谷川の精女(ニンフ)たちを追いまわしたり、ヨシの茎で作ったシリンクスという笛をふいて羊飼いや精女(ニンフ)たちとおどったりしていました。
 あるとき、神々がナイル川の岸で酒盛りをひらき、パアンはヨシの笛をふいて、興をそえていました。そこへ、怪物ティフォン(うお座参照)が現れたので、神々はあわてて、思い思いの形にかわってにげました。パアンも山羊になってナイル川にとびこんだのですが、水にひたった部分だけ魚の尾にかわり、外にでていた部分は山羊のままでした。
 このできごとの記念に、大神ゼウスが、その形を星座に伝えたといいます。しかし、これは、山羊の尾が魚になっているのを、むりに説明した話です。

スッ ━━━━━ ゚+.(゚∀゚)゚+.゚━━━━━ キリ!

ちなみに日本語版Wikipediaの山羊座の項目
出典は明らかにされてはいナイが間違いなく野尻のこの本だなw

うお座参照、とあるのでうお座も見てみるるる~

 この二ひきの魚は、愛の女神アフロディテーと、その子エロースとが、ユウフラテス川の岸を歩いていると、怪物ティフォーンがおどしにでてきたので、親子はあわてて川へとびこみ、魚にばけて逃げました。
 その記念にアテーネ女神が、二ひきの魚を星の間に加えたものと伝えられます。
 この神話は、やぎ座、みなみのうお座にも通じていますが、古代バビロニアでも、この星座を魚と呼んで、女神アシュタルテとその子になっていたので、それがギリシアに伝わって変化したものと思われます。アシュタルテは、ギリシアのアフロディテー(ヴィーナス)と同じ女神で、星では金星にあたります。

このバビロニアのアシュタルテは
アッシリア(アッカド語)のイシュタル由来で
イシュタルは元はと言えばシュメールのイナンナなワケだが
イナンナの夫がドゥムジ、イシュタルの夫・・・もとい愛人はタンムズとなり
このタンムズへの信仰が「大いなるパーンは死せり!」の
謎解きの鍵なのだ・・・愉しいねえ(^▽^*)

ヒュアキントスとアイアス、オウィディウスとブルフィンチ

美少年が死ぬと花や星になるのが常だが
無骨な武人が死んで美少年と同じ花になるコトもあるとは。(゚д゚lll)ギャボ

アポロンに愛でられた美少年ヒュアキントスも
巨漢でボンクラで美しさの欠片もナイトロイ戦争の勇士アイアスも
実は同じヒアシンスの花になったらしい?!

(前略)また、いつか、名にし負う豪勇のアイアスが、やはりこの花に身を変じ、同じその花びらに、彼の名前が読みとれるだろう

これはオウィディウスの『変身物語』の中で
アポロンがヒュアキントスの死を悼む台詞の一部だが
予言の能力を持つアポロンがヒアシンスとなってしまったヒュアキントスを前に
後にアイアスも同じ花になるだろう、と言及してるるる~

ムキ~p(-_-+)q

初めて読んだ時には耽美主義者として
美醜を一緒くたにしてしまったオウィディウスの美的感覚に憤慨したね

愚鈍な大男が空威張りしてる醜悪さは何にも増して醜いありさまだが
トロイ戦争においてはその最たる人物がこの大アイアス(※)だ
頭に血がのぼるのは早いが頭の血の巡りは遅いタイプで
悪意はナイのだろうが大男にありがちな乱暴者と見做されてて
嫌われ者でもなかったろうが恐らく煙たがられてた向きはあったかと思われ
アイアスとゆー名の武将がもう1人いるためにその体位から大アイアスと称されてた

自分は悪辣で薄情なオデュッセウスも虫が好かナイが
それでも亡きアキレウスの武具の取り合いでオデュッセウスが勝って
アイアスざまぁwww、くらいに思えてたのだから
いかにアイアスが生理的に好かナイってか無意識の嫌悪感があったか・・・

このアキレウスの武具の取り合い~アイアスの自殺までは
オウィディウスの『変身物語』にはなんと26ページにも渡って描かれてるのだが
アキレウスの死後なのでホメロスの『イリアス』にはナイ場面だし
他のギリシア神話の挿話集には詳しく載ってナイ。(゚д゚lll)ギャボ

メタモルフォーシス ギリシア変身物語集 (講談社文芸文庫)
ギリシア・ローマ神話―付インド・北欧神話 (岩波文庫)
ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)

特に【アイアスのヒアシンスへの転身】はオウィディウスのオリジナルなのか
近代に至ってトマス・ブルフィンチが『ギリシア・ローマ神話』で取り入れてるのみだ
但しオウィディウスがオデュッセウスの主張(言い訳)に16ページも費やし
アイアスの自身の武勲とオデュッセウスの非についての演説にさえ8ページ使ってるのに対して
ブルフィンチはアイアスとオデュッセウスの台詞は総てカットしてるがね
それでもブルフィンチはヒュアキントスの死後のアポロンの長台詞は
オウィディウスをそっくりそのまま引用してるので
このアポロンの予言に辻褄を合わせて仕方なく(?)取り入れたのかヽ(゚∀。)ノ

またブルフィンチはその注釈に
その花がLarkspur(ひえんそう)の一種であり
学名がDelphinium Ajacis(デルフィーニウム・アイアーキス)だとしてて
つまり、ヒュアキントス≒ヒアシンス、アイアス≒アイアーキス
とゆー類似性も指摘してる
尤も学名の「アイアーキス」は近代になってから
むしろアイアスが転身した花を想い起こした学者(リンネか?)の方が
オウィディウスに倣って付けたのだろうから何の信憑性もナイがw

まあ今と違ってググれなかったのだから
ブルフィンチが該当する花を探し当てるのは大変な作業だったろう。(´д`;)ギャボ

Larkspurでググってみるとなるほどヒアシンスぽい花だね

Delphinium Ajacisでググってみるといかにもってカンジの鮮紅色のがあった

アイアスの自殺に焦点を当てたソポクレスの悲劇『アイアス』では
やはり【アイアスのヒアシンスへの転身】はナイのだが
その名に悲しい際に発する「AI:アイ」の音があるコトをアイアス自らが嘆いてる場面ならある

わしの名がこの不幸と、これほどぴったりとその音を合わすことになろうとは、(後略)

ヒアシンスのどの辺りが「AI」なのかは謎だが(-_-;)???

ところでアイアスの死を嘆き悲しむアイアスの妻テクメッサについては
オウィディウスにもブルフィンチにも全く記述はなく
ソポクレスの悲劇『アイアス』を読むまで知らなかったが
そんなだから既にこの悲劇が大アイアスの方だと知った時には驚愕した!
アイアスの自殺って全然悲劇的には思えなかったからね!!
アリストパネスなら喜劇になるかも、なんて意地悪な見方さえしてたのだ(゚*゚;)

しかし『テクメッサの嘆き』とゆー音楽によって導かれ
アイアスについて色々と読み返してみたら改めて可哀想に思えてきて
特にオウィディウスの『変身物語』は180度見解が変わった

ただでさえ血の巡りの悪そうなアイアスだから
狡猾なオデュッセウスと言い争って勝てるワケもナイと思うのだが
アイアスは確かに力は強かったのは間違いナイし
それをギリシア勢の中で認められてるコトが彼の誇りだっただろうし
認めてくれてるはずの仲間を信じてた

だからアイアスはあえて武力に訴えずに権利を主張したのだろうが
むしろオデュッセウスは弁論術なら絶対に勝てると思って挑んだのだろう
実際アイアスのオデュッセウス批判は尤もだし
オデュッセウスが非を覆すのに述べてるコトは雄弁とゆーよりは詭弁でしかなく
よくぞそこまで恥も外聞もなく開き直れると感心するくらいだが
そんなオデュッセウスの主張が通ってしまうのは
なんせアガメムノンが総大将なくらいだから
ギリシア勢の知的レベルがいかに低いかってものだ(;つД`)

しかしそれでいくらオデュッセウスに騙されてたからって
同胞のアイアスに対してギリシア勢の情け容赦がまるでナイのは酷いし
孤立無援となったアイアスがギリシア勢に抱いた復讐心と
その復讐を果たせなかった末に自殺に至った無念さは確かに悲劇だ、泣けてきた。・゚・(ノД`)・゚・。

キュパリッソスとヒュアキントス

1番好きな曲は『アポロン讃歌』だった

母親が来日した『ミロのヴィーナス』を1964年に観に行った際に
会場で買ってきたソノシートに入ってたフルートとハープの協奏曲で
『アポロン讃歌』と書いてあったのでそういうタイトルの曲なのだと思ってたのだ

いつの間にかこのソノシートが行方不明になってしまい
ググって見つけた『アポロン讃歌』目当てで
『古代ギリシアの音楽』なるCDを購入したのが数年前・・・
購入してすぐに『デルポイのアポロン讃歌』と『太陽神への讃歌』を聴いてみたが
自分が探してた曲とは違った・・・

珍しく落胆しつつも頭からかけ直してみると
古代ギリシアの楽器を再現して演奏してるだけあって
なんとも不思議な気分になる音楽だ
例えれば雅楽に1番近い
歌もお経ぽいw

ふと弦楽器のメロディーに捉えられて次の瞬間に震撼!
まさしく『アポロン讃歌』の主旋律だ!!
しかしタイトルは『テクメッサの嘆き』だったが・・・

そして弦楽器で奏でられると物悲しさは増して
自分の脳裏に残ってる曲の印象からだと
まだ希望の光が見えてた部分があったのだがこれは全く失われてる
途中から主旋律は打楽器に変わり陰鬱さがいや増し
悲愴感の中に置き去りにされて終るるる~

深い悲しみに包まれた『テクメッサの嘆き』ぱ+.(・∀・)゚+.゚イイ
でも自分はやはりフルートとハープのVer.の方が好ましいがね
聴き慣れてるのと失ったモノに対する哀惜を差し引いても

そして全編を何度か通して聴いてるうちに改めてはっきり認識したが
フルートの音自体が好きなのだな、自分
このCDの中ではシュリンクスとゆーパンフルート(葦笛)なのだが
金属製のモノより音に温かみがあって゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

透明感のある美しい音色のフルートには鳥肌が立つほど感動するけど
シュリンクスは素朴な優しさに触れた時のように癒される・・・ホゥ(*-∀-)

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)
夏の寓話 (山岸凉子スペシャルセレクション 6)
Ovid Metamorphoses

ところで『テクメッサの嘆き』のテクメッサは
トロイ戦争のギリシア方の英雄アイアスの妻なのだが
その嘆きはアイアスが狂気に陥って自殺してしまったコトによる・・・

アキレウスの遺物の武具をアイアスとオデュッセウスで奪い合い
まんまとオデュッセウスに出し抜かれてしまったアイアスはプライドを傷つけられ
その夜、ギリシアの武将たちを皆殺しにしてしまおうと決心したが
女神アテナによって狂気を齎されたアイアスが殺したのは
ギリシア勢でなく家畜だった。(゚д゚lll)ギャボ
正気に戻ったアイアスは笑い者になるコトに耐えかねて自決・・・バタリ ゙〓■●゙

妻のテクメッサにしてみれば夫の死はそれだけでも無念だろうが
狡猾なオデュッセウスに陥れられた末の死は納得が行かなかっただろう

テクメッサを想いながら聴けば悲愴感に加えて
生半可ではなかった憤慨や憤怒にぞっとさせられるモノがある・・・
曲の主題からはこの演奏の方が確かに的を得てるのだった

そんなワケで今まで『アポロン讃歌』だと思って聴いてた1番好きな曲は
『テクメッサの嘆き』の別Ver.だった

確かにポイボス(光り輝く)と冠されるアポロンを讃えた歌にしては
似つかわしくナイ陰鬱な調べだとはうすうす感じてたのだが
主旋律のフルートの甘やかな音色と伴奏のハープの瑞々しい響きが
その思いを撤回させ続けてきたのだった

そもそもアポロンの伝承には【太陽神】としての輝かしい英雄譚はナイ
比する者のナイ美貌と予言の能力と医術の心得と弓矢の技量と音楽の才気を持つ
神々の中でも格別に恵まれた神でありながら悲恋の物語ばかりだw

唯一アポロンの息子パエトーン(※)とのエピソードは悲恋ではナイが
最終的にパエトーンは死んでしまったし・・・
そう言えばアポロンの恋人たちは皆、死んで植物に身を変えてしまったので
沈痛な調べの哀歌が『アポロン讃歌』であるのは正しいのか?!
山岸凉子による『パエトーン』がe-BOOKで公開中

アポロンの恋人、とゆーか想い人だったキュパリッソスは
オウィディウスの『変身物語』によれば
ケオス島一の美少年であったが
いつも一緒にいた仲良しの鹿をうっかり槍で傷つけて
殺してしまい
これを嘆き悲しむ余り糸杉になり
糸杉となったかつての美少年を想って
【太陽神】アポロンは悲嘆にくれた、とある

溺愛してる無垢な動物の突然の死はそれだけで痛ましいが
ましてや自分が殺めてしまったとなれば
キュパリッソスの悲痛はいかばかりか・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

しかしアポロンはキュパリッソスの心痛を想って胸が痛む以上に
キュパリッソスを失ってしまったコトを悲しんでるようだ
もっと的確に言えばキュパリッソスの美貌に対して惜しんでるのだ

そして同じ本によれば
アポロンの恋人だったヒュアキントスは
スパルタの美少年であったが
いつも一緒にいた仲良しの【太陽神】が投げた円盤に当たって
死んでしまい
これを嘆き悲しんだ【太陽神】は彼をヒアシンスの花に変え
ヒアシンスとなったかつての美少年を想って
【太陽神】アポロンは悲嘆にくれた、とあるが
ヒュアキントスの方はもう歴然としたアポロンの恋人であったため
悲嘆にくれてる様子も2ページに渡って描写されてるるる~

美貌の恋人の若過ぎる死はそれだけで痛ましいが
ましてや自分が殺めてしまったとなれば
アポロンの悲痛はいかばかりか・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

ここでアポロンは最愛のヒュアキントスを失った悲しみと
その悲しみの原因が自分である無念さによって
まさに糸杉になったキュパリッソスと同じ嘆きを経験するワケだ!

この2つの変身譚は
間にガニュメデスを挟んではいるものの連続して編まれてるのは
オウィディウスが悲劇の応酬と再現による相乗効果を狙ってるのでは?!

それにしても輝ける【太陽神】であるアポロンの逸話は
どうしてこうも悲哀に満ちてるんだろうか?

そしてこの悲哀の「哀:アイ」だが
ちょうど古代ギリシアでも「AI:アイ」は悲しい際に発する言葉のようだ

こうして、この花には、「哀々:あいあい」という嘆きの文字がえがかれたのだ。

しかしヒヤシンスのどの辺がAIに見えるのかは謎だ???

また上の写真では白いが

テュロス染めの紅(くれない)よりも鮮やかな花

だったそうだ・・・
テュロス染めとはフェニキア開港都市テュロス(ティルス)の特産品の紫貝で染めた布だが
逆に言えばこの布が鮮紅色に程近い赤紫だったとゆーコトか(゚ ゚;)

THE BODY

上野に大英博物館古代ギリシャ展を観に行ってきた

ちなみに最近は「ギリシア」の表記の方が一般的と信じきってて
「ギリシャ」の表記に違和感を感じてたのだが
実はネット上では「ギリシャ」が圧倒的に多かったりして・・・

特設公式サイトを見る限りでは
自分にとっての見所とは当てが外れた「みどころ」ばかりで
135点の中に見る意義のあるモノが何か1つでもあれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
くらいの期待度で颯爽と入場

ギリシア神話についての説明書きがやたらと多いのは毎度のコトだが
そこに人だかりがすごいってのは
それだけ日本人には馴染みが薄い世界観なのだよな~
と改めて思いつつスルーしてどんどん進むと
冥土の土産に見ておく必要があるモノは2点ほどあった

1つは壷絵『パリスの審判』で題材はありがちなのだが
今まで見てきたのとまるで違うので間違い探しのようなおもしろさがあった

並びが向かって左から
アテナ、パリス、ヘラ(ユノー)、ヘルメス、アフロディテ(ウェヌス)で
パリスの頭上には天使が・・・いや、天使ではなくてニケが?!
この場面にニケがいたのは始めて見た
そしてアテナやヘラが堂々と描かれてるのに対して
勝者となったはずのアフロディテが見劣りするしょぼさでほぼ裏面に描かれてる
羊飼いのパリスがいくら実は王子だって玉座に座ってるのも変だし
でもパリスとヘルメスをこよなく愛する自分としては
とりあえず彼らが美しく描かれてたので良しとしてしまおう(*^^*)

そしてもう1つがディオニュソス像だが
これこそ自分が求めてたディオニュソス像なのだった!

女性的で甘美なディオニュソス像てのは数年前にも
東大発掘チームが今世紀に掘り出した『豹を抱くディオニュソス像』を見て
なかなか美しいながらもどうも愚鈍なカンジなのが気になってたのだが
本来の風貌からここまで美的変化したのはたいしたものだ
なんて受け流してたのだ

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路
ディオニューソス―破壊されざる生の根源像
ディオニューソス―神話と祭儀

だがしかし今回の『擬人化した葡萄の木とディオニュソス像』は
( *゚Д゚)つ[酒]の神だってのに酔いが醒めそうに冴え冴えと美しかったのだ!!
いや、一旦醒めたその後はまたその美貌に酔い痴れたのだが(←複雑)!
とにかく顔の表情とボディラインの柔らかさと締まり方の塩梅が
瑞々しい若者のそれでとても石(大理石)とは思えナイ・・・ホゥ(*-∀-)

このディオニュソス像のポストカードがありますように(-人-;)
でもなかったら図録買ってやるるる~p(-_-+)q
そんな一大決心で会場を出てマーチャンダイズの売り場へ行くと
なんとポストカード、キーホルダー、ケータイストラップ、クリアファイルに栞まであり
図録はやめにしてディオニュソスグッズばかり買い込んだのは言うまでもナイw

参考になったのはニケ(小像)とシレノス(小像)

ニケは最も有名なルーブルの『サモトラケのニケ』以外は
アルカイック期のもっと原始的な彫塑が多くて
その中間型くらいのどちらの要素も持つニケだったので新鮮に感じた

シレノスは牧神の中でも格別に不明瞭な存在で
その姿も山羊脚男説と狸腹男説があったり謎が多かったが
今回は狸腹で泥酔してるぽいシレノスに信憑性を見出した気がした

ニケは天使の原型であり
シレノスはディオニュソス(バッカス)に造詣が深いので
天使と酒が好きな自分には気になる存在なのだ

それからしたら今回の展示のメインは
本邦初公開のDISKOBOLOS(円盤投げの像)だったが
このローマ期のコピー作品の出来が゚+.(・∀・)゚+.゚イイのは認めるも
顔がつまらなくてほぼスルーw

肉体美なら顔はどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイってコトはナイ!
ボディラインの美しさに見合う顔でなくてはバランスが悪い!!
決してブサイクではナイのだがいかんせん無表情なので
全然魅力的ではナイのだ・・・ざざざ~んねん

アスリートってのは競技をしてる時
全身全霊を込めてる瞬間に真剣な表情になると思うのだが
そんな魂が篭ってるような顔にちっとも見えんのだ

そもそも円盤投げときたらヒュアキントス(※)に決まってるるる~
まあ肉体美を誇示するのには美少年は向いてナイので
それならアポロンをモデルにしてくれょ
神が人間とは違った優美な表情で軽やかに円盤投げするのは
想像もつかナイからこそ誰か創って見せてくれょ
アポロンと円盤投げしてて円盤が当たって死んでしまいヒヤシンスになった少年

王様の耳はロバの耳

『王様の耳はロバの耳』と言えば
日本ではイソップ(アイソポス)寓話として知られてて
自分の世代だとミュージカルで観てたりするのだが
元ネタはギリシア神話のエピソードの1つだ

ロバの耳をした王様がいてそれを秘密にしてる
そんな前フリで物語は始まるのだが
王様がなぜロバの耳をしてるのかの説明は一切ナイのが常だ

King Midas and the Golden Touch

実は王様の名前はミダスと言い
太陽神アポロンの竪琴と牧神マルシュアスの葦笛で
演奏を競った際にマルシュアスを応援してて
マルシュアスが負けたので
お前の耳はおかしい、そんな耳はこうしてやるるる~
と、アポロンによってロバ耳にされたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

アポロンはオリュンポスの12神に数えられてる神で
言わば神々の中でも代表格なのだが
それに比して、牧神マルシュアスは「神」の字は付くが
酒の神ディオニュソス(バッカス)の従者でしかなく
この勝負は音楽自体よりも演者の格からして
奏ずる前から勝負が決まってる気がしなくもナイ
ましてやアポロンは太陽神で音楽の神でもあるのだからして!

なので、完璧主義者のクラシックの演奏家に
快楽主義者のロック・ミュージシャンが挑むようなモノだが
それにしたって負けたマルシュアスの生皮を剥いだり
応援してた人間をロバ耳にするとは酷いp(-_-+)q

まあアポロンは人でなく神なので
むしろまさに「人でなし」なんだがなw

この挿話の教訓てのは
ロバ耳にされたミダス王は単なる聴衆でしかなく
一国の王ではあっても
音楽に関しては素人でしかナイのだから
彼に許される音楽に対する意見は
好きか嫌いかの個人的見解の範疇までで
間違っても第三者的に「評価」をしてはいけなかった・・・
そういうコトなのかね?

ギリシア神話では神に対して人間は一律に低位の存在で
人間社会での地位や名誉を得て
驕りや不遜を抱いてる者は
手厳しい制裁を受ける憂き目に遭う

音楽の神アポロンの完璧(なはず)の演奏より
牧神=山羊男のマルシュアスの方が劣ってる(はず)
なのに、たかが人間ごときが
その歴然とした勝敗に口出しをするのはタブーだったのだ

具体的にどんな演奏だったのかは不明なので
実際に聴いて自分がどちらを好むかは
自分自身にもわかりかねるがね
なんてのは現在日本人だからほざける戯言なのだよ(-_-;)

個人的にはアポロンは格別に好きな存在なので
その演奏を聴ける機会に恵まれたとしたら
それだけでもう拝んでしまうしかナイし
どれほど優美な旋律なのか
想像してるだけでも陶酔できる・・・ホゥ(*-∀-)

でも少々酔いどれのマルシュアスの調べに合わせて
くるくると回って陽気に踊りながら呑むのも
愉快そうだとも思われ♪

絶対的に優れてるのはアポロンだとしても
自分はマルシュアスにも好感が持てるかもしれナイので
ロバ耳にされたミダス王には同情を禁じ得ナイね

想像するにミダスは
王様だけあって育ちが良過ぎたのだろう
プライドの高い相手を憤慨させてしまうと無駄に恨みを買うだけ
そういう苦い経験をしておらず
畏れずに素直な感想を言ってしまったのだろう
それにしたってアポロンは横暴過ぎるがな・・・

自分は音楽に関しては
よく言えば音痴で、はっきり言えば音感なんか全然なくて
曲の出来の良さなんてのはまるでわからん人種だ

それでも音楽に対して歴然とした嗜好があるのは
音楽を構成してる要素以外の部分で
ぶっちゃけ、好感持てるかどうか、だけで選別してるるる~

ノリやすい調子の良さに踊ってみたり
うっとりとしてくるような繊細さや可憐さに目を瞑って心酔したり
心の中を白南風が吹き抜けるような清々しさに一緒に歌ってしまったり
反対に心の中の澱を吹き飛ばす破壊力に合わせてヘドバンしたり
そうして気に入った曲を物凄く愉しんではいるが
絶対音感ある人や音楽が理論的に解かる人には
こういう感覚ってあるのかナイのか
なかったとしたら謎なんだろうか?

ミダス王がどれほど音楽を聴き分けられたのかは不明だが
聴き分けられナイ人間には音楽を愉しむ価値もナイと
その権利を奪うのは音楽の神として正しいんだろうか?!

古代ギリシアではこの物語が
教訓を知らしめる説話としてあったらしく
驕り高ぶり、神に逆らったり
賢者に物言う者は必ずや罰が下り
マルシュアスのように生皮を剥がされたり
ミダスのようにロバ耳にされたり
そんな悲惨な目に遭うと・・・
それにしても戒めの域を超えた残虐さだが。(´д`;)ギャボ

だいたいにおいて演奏する人間(もしくは山羊男)は
何のためにそうして素晴らしい音を奏でるのか?

奏者自身も含めて
その演奏が必要だからで
なぜ必要なのかは癒しとなるからだ
愉しむのも愉しむコトによって最終的に得てるのは癒しなのだ

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

ところで上記のアポロンとマルシュアスの奏でる音の対比は
ニーチェの言うトコロのアポロン的、ディオニュソス的と置き換えるのは早計だが
プルタルコスの『モラリア【5】』に収録されてる「デルポイのEについて」に
素晴らしい見解の引用の記載がいくつかあり
それによって自分の想像が全く見当外れだと気がついた(滝汗)

エウリピデス

ステシコロス

ソポクレス

ところでジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の
「バースの女房の話」の中にこのロバ耳の王様のエピソードがあるが
チョーサーは王様の秘密を唯一知ってるのは床屋でなく奥さん(王妃)としてて
壺ではなく泉の水中に告白してしまうとしてるるる~

しかもこの挿話の続きはオウィディウスを参照するように促してて
こちらは通常通りに秘密を知ってるのは床屋で
掘った穴に秘密を漏らすとその穴を埋めた後に葦が生えてきて
その生えてきた葦が風にそよぎながら囁いて秘密をばらした、としてる

また【葦】なのかヽ(゚∀。)ノ

アポロンの竪琴とマルシュアスの笛

なかなか核心に辿り着けずにいるが
アポロンとディオニュソスは実はこのブログのテーマ(なはず)で
そこにこのブログのタイトルにある【葦】が複雑に絡み合ってるのを
解いているのかむしろより一層こんがらからせてるのか?!

実はギリシア語で【葦】とある場合には
植物以外に弦楽器の駒(ブリッジ)を指すのだそうだ
(我ながら後出しジャンケンみたいな話題の振り方だがw)
とか言いつつも自分は弦楽器には全くの素人なので
それは例えばギターだとどの部分なのか指差せっても無理っつ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

でもググったらわかりやすい画像が見つかった♪
しかも(少年ダビデのハープ)とあり『旧約聖書』に登場するダビデ王の竪琴か?!
LINK:おもちゃのハープ♪
→記事中ほどに竪琴の部位名称及び解説の画像が(*^^*)

しかしながらダビデは紀元前1000年頃の人なので
このダビデのハープは洗練され過ぎてるのではなかろうか?

ヘルメス(メルクリウス)が拾った亀から竪琴を作った、てのは神話にしても
そういう神話が生まれたのは古代ギリシアでは竪琴と言えば
亀の甲羅製の弦楽器だったからなのでは?

よく知らナイで購入したCD『古代ギリシャの音楽』には
古代ギリシアの楽器を再現して演奏してて
ブックレットに写真が載ってた

phorminx:ポルミンクス(フォルミンクス)

lira:リラ(リュラ、もしくはリュレ)

ついでに名前からしてギターの原型となったぽいkithara:キタラ

アポロンやオルフェウスの持ってた竪琴は
後代の絵画や彫刻で見る装飾過多の華美なモノのはずがナイよな。(´д`;)ギャボ

アポロンの竪琴は牛泥棒の見返りにヘルメスから譲り受けてるので
間違いなくヘルメスが拾った亀から作ったモノのはずで
ややこしいコトにオルフェウスの竪琴も
父(とゆー説もある)アポロンより与えられてるらしい

つまり3つとも同じ竪琴なのだろうか・・・竪琴パラドックス。(゚д゚lll)ギャボ

さて
生まれたばかりのヘルメスが揺籃を抜け出して
亀を拾って中身を抉り出して竪琴を作り
アポロンの牛を盗んではシラをきり
バレても竪琴を与えてごまかし
人の゚+.(・∀・)゚+.゚イイアポロンから錫杖までもらう
そんな一部始終が岩波文庫抄訳版『四つのギリシャ神話―ホメーロス讃歌より』
「ヘルメースへの讃歌」にある
LINK:「ヘルメース讃歌」

この「ヘルメース讃歌」中の竪琴の作成手順の冒頭には
葦の茎を~、とあってあえて【葦】と訳してるくらいなので
ブリッジとして使われてるパーツのコトではナイらしいが
だとするとどの辺に使われてるのかも不明瞭だw

とにかくヘルメスは亀で竪琴を作る際に葦を使ってるるる~
更に通説では葦笛(シュリンクス)は牧神が作ったとされてるが
「ヘルメース讃歌」では葦笛もヘルメス作だとしてるるる~

まあいずれにせよ
葦はそうして楽器に事欠かナイ植物だったのだ、実は!

だからアポロンの竪琴と牧神マルシュアスの笛と
どちらが優れてるかなんて競い合いをしてアポロンが勝ったが
(そりゃあ音楽の神が負けたらマズイワケで)
所詮は葦を使って作られた原始的な楽器同士だったのだな

しかも牧神の笛はシュリンクスに相場が決まってると思ってたが
マルシュアスの笛はアウロス(もしくはアウルス)で
『ホメーロス讃歌』の「ヘルメース讃歌」でアポロンは
マルシュアスの吹くアウロスとヘルメスが吹くシュリンクスを比較して
シュリンクスの方が優れてる、とのたまってるのだった

アウロスはシュリンクスより先に存在してて
縦笛で2管笛でオーボエとかと同じくダブルリードだそうだ
画像の真ん中のがアウロスだろう
LINK:英語のWikipediaのAulos

シュリンクスの方は恐らく[葦舟と葦笛]にあげたラウネッダスに類似と思われ
3管笛でクラリネットと同様シングルリードだ
LINK:英語のWikipediaのLauneddas

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

とか書いてはいても自分のように楽器に疎い人間には
詳細を辿るほどアウロスとシュリンクスの差異に実感が湧かナイのだが
牧神マルシュアスの吹くアウロスはアポロンの爪弾く竪琴に敗北し
それだけでは済まず木に吊るされて皮を剥がされてしまい
マルシュアスの方が勝者としたミダス王はロバの耳にされてしまう。・゚・(ノД`)・゚・。
このブログにはあえて掲載せずにおくが
「Marsyas」で画像検索すれば凄惨な場面が嫌になるほど出てくる(゚*゚;)

ところでこの牧神マルシュアスだが
マルシュアスてのは名前でその実体については
オウィディウスは牧神サテュロスとしてるが
ブルフィンチは牧神パーンとしてて
マルシュアスが仕える神も前者はバッカスで後者はディオニュソスだ

ギリシアではディオニュソスとパーン
ローマ(つまりラテン語)でバッカスとサテュロスで
ニーチェがディオニュソスと言うのは
ドイツ語がラテン語由来でナイからと勝手に思い込んでて
シンパの自分もニーチェに倣ってディオニュソスを使ってたが
改めて調べてみると各国語で混在してるのでどちらでも構わナイようだ

酒の神ディオニュソス(バッカス)に仕える牧神や巫女は
酒宴で神に音楽と舞踊を捧げるのだが
この様子をモチーフにしたバレエ(音楽)があり
バッカスから転じて仏語でBacchanales(バッカナール)だ(他国語も類似)
余談だがカフェのオーバカナルの店名の由来はこれだ♪