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上野の東京都美術館のウフィツィ美術館展
ボッティチェリの『パラスとケンタウロス』を観に行ったが
他にも数点めぼしいモノがあったので
それらについても書き留めておく

が、その前に
メインの『パラスとケンタウロス』について
昨日書いた記事[パラスとケンタウロス]の追記を

図録を買ってきて解説を読んでたら
目録では以下のようなタイトルもつけられてたそうだ

古い順にまず『カミラとサテュロス』とな(゚ ゚;)???
カミラって名とこの武装からしたら
ウェルギリウスの『アエネイス』に出てくるアマゾネスか?!
いや、でもこれ、サテュロスは違うね
下半身が馬ではなくってよ。(´д`;)ギャボ

アエネーイス

次の『二人の人物像の大きな絵画』って・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
これまた随分とテキトーなw
ケンタウロスがどうしたら人物に見えたんだwww

そして『ミネルヴァとケンタウロス』となるワケだが
こうしてこれまでの変遷を考慮したればこそ
この女がパラス・アテネかどうかは疑わしくなった
とはいえ、それなら誰なのかはいくら考えてもわからん。(゚д゚lll)ギャボ

ボッティチェリよ、魅力的な謎をありがとう!

そしてボッティチェリのもう1つの秀作があった

『聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル』だ
これはもう見た瞬間に誰がどれだがすぐわかるように
アトリビュート(特定の持ち物)を携えてる

剣を持つミカエルと十字の杖を持つヨハネ
そして百合の花を持つガブリエル

それにしてもこの絵(トンド)は初めて見た!
ググっても引っかからなかったからネット上にはナイ?
としたら、もしかしてこれが1番の収穫だったんだろうか?!
このガブリエル、表情もレアだし、なんと美しい・・・ホゥ(*-∀-)

次のもボッティチェリで聖母子像だが
この天使がカメラ目線(?)でカワ゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
巻き毛も愛らしくて好みのタイプの美少年だなあ♪

ここまでの3枚のボッティチェリのポストカードがあったら
それらを買って帰る、か、なかったら図録を買おう、と決意した

で、結論から言えば、図録購入した
さすがにケンタウロスのはグッズも色々あったけど
残念ながらトンドの聖母子像のポストカードはなかったし
3枚目の聖母子像はポストカードがあったものの
聖母子像がクローズアップされてて美少年天使がちょん切れてたりで
納得行かなくてそれは買わず・・・

他にはこのラファエルとトビトも
足元の子犬が可愛かったんで気に入った

これは人物でなくて
フィレンツェの紅百合の紋章が目に留まった

そう、フィレンツェの百合の紋章は紅いはずなのに
売ってたトートバッグは白百合だったりしてヽ(゚∀。)ノ

まあ買ったけどね~

3連休は雨模様らすぃと予想されてたので
土曜日の夜のバイト以外には外出予定は入れずに
手芸三昧できたら゚+.(・∀・)゚+.゚イイなと思ってたが
日曜日は思いの外晴れたのと
ダンナが二日酔いで寝たきりなのを好都合に
チャリンコで上野の東京都美術館まで行って来た

とゆーのもウフィツィ美術館展をやってて
今回の目玉はボッティチェリの『パラスとケンタウロス』で
ケンタウロスが好きな自分にはこれだけでも観に行く意義があったのだ

それにしてもケンタウロスとパラスとは変な組み合わせだ
パラスとはギリシアで言うアテナ、ローマで言うミネルウァの別名だが
この知恵と闘いの女神がケンタウロスと対峙してるシーンは
ギリシア・ローマ神話には記述がなく
ボッティチェリがいったい何を描きたかったのか
もしくは依頼主がどういう趣旨でこんな絵を描かせたのか
様々な憶測が飛び交ってるが自分には決定的と思われるモノはナイ

それに専門家らの概ねの見解にありがちな
悪のケンタウロスが善のパラス・アテナに懲らしめられてる
なんて単純な図式を当て嵌めたかったら
何の係わりもナイこの2人をわざわざ描きはしナイだろうに
ましてやケンタウロスが肉欲の象徴なら
アトリビュート(象徴的な持ち物)が弓矢であるのも腑に落ちナイ
そう、専門家らの解釈に沿うならば、例えば
シュリンクス(パン・フルート)を吹くサテュロスに向かって
弓矢を構える処女女神アルテミスならわかりやすい

あれこれ考えを巡らせながら
遂に本物の大きな絵の前に立った瞬間
ケンタウロスの繊細な表情には憂いが読み取れたが
それはパラス・アテナに懲らしめられてるからではなく
もっと深い悲しみに沈んでるようだった
確かにパラス・アテナはケンタウロスの髪をつかんではいるが
いかんせん懲らしめてるようには見えなかったのだ

そして2人の間にある一艘の船の存在に気付いてみると
アキレウスの命運がトロイ戦争で尽きたのを嘆くケイロン(※)と
諦めを諭すパラス・アテナに見えてきた
この辺りの詳しい事情は[アキレウスとケイロン]参照

パラス・アテナはトロイの守り神として
そのパラディオン(神像)がトロイ建国時に神殿に祀られたが
これがある限りトロイは不落であるとされてたので
例の木馬作戦を実行する前にオデュッセウスらが盗み出した

パラディオンがギリシア陣営にあって
トロイの守護を放棄せざるを得なくなったパラス・アテナは
地理的には遠く離れてはいたが
アキレウスの訃報(※)に悲嘆にくれるケイロンと
お互いに守り育てた大切なモノを失う
その喪失感を共有してるのを感じて通じ合った
そんな図に思えてきた・・・
映画によってはトロイの木馬にアキレウスも参加してるが、知り得る限りの文献ではとっくに死んでて
アキレウスの代わりに息子のネオプトレモスが戦地に赴き、トロイの王を討ったのはこのネオプトレモスとされてる

人の子を育てた獣神であるケイロンと
人々の営みを育んできた女神であるパラス・アテナ

と、ここまでが頭の中で一気に展開して
何かが怒涛のように押し寄せてきて魂がスパークした
時間軸と空間を結ぶ点から存在が解き放たれると
現実や真実や事実より真意の重みを感じる

絵の前にいたのはほんの1分程だろうが
時空を超えて魂が旅をしてた
こういう感覚をまさにトリップと言うのだろう

薬物などでこの感覚を得てる人が
抜けられなくなるのはわかる、確かに爽快だ・・・
なので、この感覚を呼び覚ますモノでなければ
芸術として完成されてるとは自分には認められナイのだ

そんなだから、あとは数点しか
自分にとって有用な作品がなかったので
まあいつものコトだが15分ほどで会場を後にしたヽ(゚∀。)ノ

帰路、冷静になって考え直してみれば
ケイロンとパラス・アテナが手塩にかけた対象を
無慈悲に奪い去ったトロイ戦争が
開戦に及んだきっかけとなった大元の原因はと言えば
3柱の女神らの誰が1番美しいかの諍いで
その女神の内の1柱は誰あろうパラス・アテナだったし
戦争での勝利を約束するコトで審判を買収しようとさえした

とすると、パリスの審判でパラス・アテナが選ばれてたら
トロイは滅亡しなかったのだろうか?

九十三年

ヴィクトール・ユゴーの『93年』を読み返しながら
アキレウスとケイロンに想いを馳せる

秋の夜長・・・

ユゴーと言えば日本では『レ・ミゼラブル(ああ無情)』だが
昨年は出版150周年に当たり、これを記念してイギリスで映画化されて
日本でも年末に公開された

過去にジャン・ヴァルジャンを演じた俳優として思いつくのが
ジャン・ギャバン、ジェラール・ドパルデュー、リーアム・ニーソンなので
既に最低でも3度は映画化されてるはずなのだが
どうやらリメイクとか小説からの直接的な映画化ってより
80年代からロングランのミュージカルの映画化だそう

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自分はミュージカルでは観たコトナイのでなんとも微妙だが
とりあえず近年は観たい映画が日本公開スルーばかりだったので
観れる確証があればもうそれだけでありがたかった・・・
まあ、結局は観に行けなかったのだが(苦笑)

日本未公開と言えば、どうして外されたのか不思議なのは
オスカー・ワイルド原作の『Dorian Gray』と
モーパッサン原作の『Bel Ami』だ
主役がイケメン、つか、正統派の超絶美形だったのだから
上手いコト煽れば日本でもウケると思うのに・・・
どうもブサメンとかキモメンを
強引にイケメンと称して押し通すために
チョンが裏で妨害してるような気がしてならナイのだがねp(-_-+)q
『Dorian Gray』も『Bel Ami』もDVDが日本発売されたのでゲト♪

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いかん、話が逸れた、いや、逸れてナイ、どっちだヽ(゚∀。)ノ

ユゴーはドリアンやベラミほどの優男ではなかったかもしれナイが
彼らに匹敵するか、それ以上に女には不自由してなかった
てか、むしろモテ過ぎて不自由してたかもだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

人間なのだから欠点があるのは当たり前で
それが女癖の悪さなら、自分の男でナイ限りは1番許せる欠点かとw

とはいえ、元女優で秘書兼愛人のジュリエットが50年間も
ユゴーの愛人だった、ユゴーだけの愛人だった、ユゴーの愛人でしかなかった
てのは、社会的にも生物学的にもどうなのかね。(´д`;)ギャボ
ましてやユゴーの方はまず正式な婚姻関係の妻がいたのだし
他にも肉体関係を持つ女が数え切れナイほどいたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

そんなユゴーが道義的な『レ・ミゼラブル』のような作品を書き
その中でこんな感動的な一節をほざくのだwww

海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。(※)

心清き人の哀しき魂は河川を流れて海へ辿り着き
一旦は波間を漂いながらも最後には大海の深淵に沈み行くのだろう
しかし水底から解き放たれて空へと飛翔してみれば
気がついたら魂の内奥に帰着してた・・・なんて。・゚・(ノД`)・゚・。
訳は青空文庫にある読み易い豊島与志雄訳で岩波文庫『レ・ミゼラブル』【1~4】の【1】より

『レ・ミゼラブル』は上記以外にも海や空を殊更比喩に用いてるが
同じ時期(晩年)に書かれた詩集にもこの傾向は強く見られ
とりわけ最晩年の『諸世紀の伝説』(※)における空の表現は秀逸で
「サテュロス(原題:Le Satyre)」では天空を越えて
宇宙へまでも達してるるる~
第一集が1859年、第二集が1877年、第三集が1883年に出版されてるが、1883年には人類史の年代順に再編纂された決定版も出た

「サテュロス」は『諸世紀の伝説』の中で
「16世紀、ルネッサンス、異教」の時代に位置づけられており
訳者の解題を引用すれば

この詩は、『諸世紀の伝説』のすべてのテーマが描かれている「凝縮された鏡」なのである。すなわち『諸世紀の伝説』という大宇宙(マクロコスム)に対して、「サチュロス」は小宇宙(ミクロコスム)なのである。

またこの詩の構成はプロローグに始まり
第1部 青、第2部 黒、第3部 暗色、第4部 星空
として、1日の空の移り変わりになってて
最後の星空においてはサテュロスは牧神パンとなり

牧神は叫んだ。
「未来は 天空が作るように
底なしの無限のなかへ拡大すること
あらゆる方向から事物に浸(し)み込む精神だ!
世界よ 悪はすべて神々の形に由来する。
(中略)
燃えるかそれとも流れる 聖なる元素に代われ!
宇宙の輝きに代われ!
国王とは戦争 神は夜。
(後略)」

プルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」には
「大いなるパーンは死せり!」との天の声を聞いた船乗りの逸話があり
これが誤ったまま伝わってキリスト教徒に寓意を纏わされて
更なる誤謬を携えながら近代まで信じ込まれてきたが
ユゴーはこれを前提として
ルネサンス期に他の神々と共に蘇った牧神パンに
人類が理想とすべきユマニスム(ヒューマニズム)が尊重される社会を
未来にあるべき姿として叫ばせているのだ!

残念なコトに21世紀の今もユゴーの時代から全く進歩がナイがね(゚*゚;)
人類は滅び行くまでこのままだろうてヽ(゚∀。)ノ

とにかく自分は晩年のユゴーを読んでると
海から空へ、そして宇宙への航海が
STYXの名曲『Come Sail Away』を想い起こさせる・・・ホゥ(*-∀-)

☆追記...
ユゴーは自身の死後に未刊の作品を集めた詩集を
『大洋(原題:Océan)』と冠して刊行するよう息子らに遺言してた

SATYRICONは元はと言えばラテン文学のタイトルで
「サテュロス的な出来事・人物譚」みたいな意味だろうが
書いたのはネロの時代のペトロニウスだ

その『SATYRICON』を映画化したのが
現代イタリア人のフェデリコ・フェリーニだ
邦題は小説が『サテュリコン』だが映画が『サテリコン』だ(※)
Google翻訳ではラテン語もイタリア語も綴りは同じくSATYRICONだったが

それにしてもなんてセンスの゚+.(・∀・)゚+.゚イイネーミング!
サテュロスはギリシア神話に出てくる好色な牧羊神で
本来はディオニュソスの従者なのだが
饗宴や女を求めてディオニュソスに付き従ってるので
神とつくものの野卑な淫獣のイメージが強く
悪徳に耽溺する人間たちの物語のタイトルにはぴったりだ

但し、時代が下るに従ってファウヌスやパーンと混同されてしまい
ディオニュソスでさえもバッカスと同一視されるようになり
それぞれがはっきりとした輪郭を持たなくなるが
換言すれば、それくらい詩人や芸術家が題材にしてるのだね
ディオニュソスの一味をヽ(゚∀。)ノ

ペトロニウスの小説『サテュリコン』もフェリーニの映画『サテリコン』も
自分は21世紀になってからようやく入手するに至ったのだが
手に入れるまでに小説の『サテュリコン』についてわかってたのは

  • 1.作者がペトロニウスであるとシェンキェヴィチの『クォ・バディス』(※)で知ってた
  • 2.内容はユイスマンスの『さかしま』の第3章でのデ・ゼッサントのラテン文学レビューから想像した

実際には先に映画の『サテリコン』を購入したので
『サテュリコン』を買う前にはストーリーもすっかり把握してたが
『サテリコン』に関してはALLANに載ってた数行のレヴューと
美少年ジトーネの小さな写真のみだったのだ
偕成社の少女世界文学全集だったので『クォ・バディス』なのだが、通常は『クオ・ヴァディス』、岩波文庫版では『クオ・ワディス』

ジトーネ

よく考えてみれば、たったそれだけで20年間も想い続けてたのは
もうヲタとかそういう領域を超えてると自分でも思うが
初めて自室で映画『サテリコン』を観ながら
ワイン片手に岩波文庫の『サテュリコン』を読み耽った時

至福、とゆーのはこういうコトか( *゚Д゚)つ[酒]

と、人生最高の巡り会いを堪能した

☆・・・☆・・・☆

サテリコン [DVD]

『サテリコン』は衝撃的な映画で
お目当てのジトーネは期待以上に艶めかしかったが
何もかも細部に至るまでが面白過ぎて飽きるコトがなく
ほとんど中毒の如く、自室に篭って繰り返し観てしまったりした
そういう場合、映画としてじっくり観るってよりは
もうオブジェ(?)の一部のように目に映ってる状態で
ストーリーを追ったりせず感覚を痺れさす部分を
画面からひたすら探し続けたのだった

なのでストーリー的にもどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
観てると気になって仕方がナイ部分が2点だけあるので
そんなシーンについて以下に軽くメモ

1つは画廊のシーンでエウモルポの後ろに見慣れた絵が見えるが
これがなんとセウェルス一家の肖像なのだ!

セウェルス一家の肖像

手前の王子がカラカラで隣には弟のゲタがいるはずだが
ゲタは【記憶の断罪】によって消されてるるる~
このカラカラはネロより後の皇帝で
当然ネロと同時代のペトロニウスからしても後世の人だ
(ちなみに在位はネロが54~68年でカラカラは211~217年だ)

時代設定が古代ローマだがはっきりとした年代まではナイから
カラカラ以降の時代の話だとしても別段構わナイのだが
ネロの時代のペトロニウスの作だと考慮すると
いかんせん気持ち悪く感じるのだ!!

フェリーニがワザとやってるのかもしれナイがな。(゚д゚lll)ギャボ

もう1つはトリマルチョーネの模擬葬儀(?)のシーンで
般若心経が流れてるがこれもずっと後の時代に成立してるはずだ
日本人の自分からしたらギャグでしかナイし
むしろヨーロピアンには通じナイだろうから構わナイがね

これもフェリーニがワザとやってるのかもしれナイなヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)

原作の『サテュリコン』も映画以上に退廃臭を放ってて
やはり筋を追うってよりはぱっと開いたページを愉しむカンジで
何度も虫食い読みで読み返す1冊になったが
筑摩世界文学大系【64】に収録されてる『サテュリコン』は
夏目漱石が愛読してた、とゆー一文が「解題」にあり
漱石の読み方が自分と似てて親近感が湧いたw

筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです。

実際に現存する『サテュリコン』の底本は欠損部分が多く
てか、あるのが14巻~16巻までなので
仮に全16巻だったにしても大部分が欠落してるワケで
ストーリーに捉われて読んでる方が馬鹿馬鹿しい。(´д`;)ギャボ

それにしても漱石は昭和になる前にお亡くなりになってるので
そんな昔から邦訳されてたのかと思いきや
英語訳、独語訳、なんてのなら漱石なら読めそうだし
もしかすると原典のラテン語でも読めるのか?!

ちなみに筑摩世界文学大系の訳者は岩崎良三訳だが
岩波文庫の『サテュリコン』の「解題」で訳者の国原吉之助が
邦訳として岩崎良三訳の2点を挙げてる

『トリマルキオーの饗宴』昭和16年、青木書店
『サテュリコン』昭和27年、創元社

ニーチェの『悲劇の誕生』では
アポロン(的)とディオニュソス(的)とゆー単語が繰り返される

これらが古代ギリシアの神であり
アポロンは太陽神で予言、医術、音楽を司ってて、ディオニュソスは酒の神
くらいの認識はおよそ無教養な現代日本人でも持ってるだろう

とはいえ、のっけから

 芸術は、<アポロン的なもの>と<ディオニュソス的なもの>という、ふたつの要素のせめぎあいによって展開してゆく。それはオスとメスによる生殖のようなものだ。生物の場合、ふたつの異質なものが絶えずせめぎあい、両者の和合はしかるべきときに定期的にしか訪れないわけだが、芸術にもそれと似たところがある。そうした芸術の特質を、ただ論理的に理解するだけでなく、ずばり直観的にも把握できるようになれば、美学はおおきく前進することになるだろう。

などと、言われても太陽神と(葡萄)酒の神が
どうしてオスとメスほどに対極的なのかはわからりづらい

ギリシア神話の神々の中ではヘルメスが1番好きだが
次いでアポロンとディオニュソスも甲乙付け難くお気に入り
そんな自分でさえもニーチェの位置付けには疑問を感じてしまう

アポロンは人間だったなら絶対にモテたであろうに非モテで
例えば、予言の術を授けるから恋人になれ、とか
トロイの王女カッサンドラに言い寄るのもおかしいが
それで振られた腹いせに予言を信じる者がいナイようにしたり
美女コロニスを手篭めにして、恋人気取りでいたら
他の男と結婚してしまったからって、コロニスを殺そうとしたり
意外と人間臭いってか、姑息な部分が垣間見えるので
ニーチェが示唆するような高潔なイメージは
どうにも持てナイのだが。(´д`;)ギャボ

だいたいアポロンは悲恋のエピソードばかりなのだが
腐女子にとってギリシア神話の美味しい部分こそがアポロンの悲恋で
ヒュアキントスやキュパリッソスなる美少年とアポロンとの
在りし日のやりとりには妄想力を惜しまナイし
美少年の死に際に限定すれば悲壮感の中にも優美なアポロンてのはわかるが
主知的、理性的とかは微妙に違う気がするし
それに比してディオニュソスを激情的とするのはどうかと思われ

仲間のパーンやサテュロスのような牧羊神ら(※)は
確かに放埓な獣らしい下半身をしてたりするし
パーンの笛の音に陶酔してマイナデスは踊るだろうが
ディオニュソス自身は酩酊もせずに超然としてるカンジだが?
ローマのバッカスの従者であるファウヌス然り

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サテュロスの名に由来する『サテュリコン』なる奇異な小説を知ったのは
偕成社の少女世界文学全集の『クォ・バディス』で
そこには『サチリコン』とあり
登場人物のペトロニウスが書いた詩や散文の本なので
実在するとは夢にも思ってなかった

ところが雑誌ALLANの影響でマルキ・ド・サドを澁澤龍彦訳で読み漁り
澁澤訳のユイスマンスの『さかしま』に巡り会い
ペトロニウスも『サテュリコン』も実在してたと知って
シュリーマンがトロイの遺跡を探し当てたかのような興奮を思えたが
なんせネットで検索などできなかった時代のコトで
更に女子高生が大っぴらに買い求めづらかったのもあって
闇雲に古本屋を探し回るしかなかった

また映画『サテリコン』の存在を知ったのもALLANに載ってたからだが
そこで紹介されてる美少年ジトーネに一目惚れして
この映画を冥土の土産にどうしても観たい、と思いながら20年余りが過ぎ
結局、DVDが発売されたのを買って観たのは2003年だった

そうしてずっと『サテュリコン』を切望してたので
サテュロスの名がいつも脳裏を掠めてて
山羊の角と下半身を持つ異形の姿さえも身近に感じてたw

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なのでVivian WestwoodのSatyrシリーズとか物欲を煽って困る!
今なんてDoCoMoのVivianスマホのマチキャラになってて
Satyrが着信で踊ったりするらしくて
スマホ嫌いなのに欲しくてたまらなくて困ってるるる~

SH-01E Vivienne Westwood docomo [Orb camouflage]

最後になったが愛するヘルメスに関しては
神に対して不謹慎かもしれなんだが
ファッションを含めたルックスがたまらなく好きだし
性格的にやんちゃで愛嬌たっぷりなのもときめかずにはいられナイ

最も美しい青年の容貌を持つとされるアポロンに文句はナイが
ヘルメスの方が愛らしいと思えてしまうのは単に好みで
特にボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』でのヘルメスときたら
ヘアスタイルといい、顔立ちといい、個性的な帽子とサンダル(ブーツ?)といい
大好きなテイストだけで仕上がってるるる~

サンドロ・ボッティチェリ *春(プリマベーラ)【ポスター+額縁】約53 x 76 cm ゴールド

幼少時からクリスマスのミサにはよく参加してた

超高音シャウトで讃美歌を歌うのが愉しみで
特にLes anges dans nos campagnes(あめのみつかいの)の
歌詞の一部をラテン語で歌えるのが気持ちよかった

Gloria in excelsis Deo!
(最高神に栄光あれ!)

ミサに行く目的の大半はこの部分を熱唱するコトにあり
近年では四ツ谷の聖イグナチオ教会でのパイプオルガンの伴奏が
大のお気に入りであるるる~

それにしてもこの日はカナ~リ寒くて
夕方には寒気→悪寒→発熱とゆー一連の体調予想ができたので
それを回避するために寒さに身体を慣らしておこうと
朝9時から散歩に出かけた

北の丸公園をうろうろしてたら
水辺に小鳥の大挙して押し寄せてきて
すかさず木陰に身を隠して息を殺して見守ってると
こちらには気づかずに1羽が接近してきた!

なんと目の前の30cmほどの至近距離の枝にとまり
くるりと振り返ってこちらを見たので
一瞬、目が合ってしまった!!

スズメより少し大きいくらいで
身体はオレンジ色で頭は黒っぽくて、顔の模様に特長があり
ホオジロのオスと判明♪

そんな奇蹟の瞬間の後は余韻に浸りながら
しばし水辺でのバード・ウォッチングを満喫して
すっかりにやけ顔になってから神保町へ

千代田区の消費生活支援事業「スタンプカード事業」の
¥10,000分が三省堂書店で使えるので
これで毎年クリスマスには
普段は買うのを躊躇するような高額な本を買うのだ

自分にとっては三省堂書店の4階の思想・哲学・宗教の辺りが
この世で最も煩悩に塗れてしまう場所で
あれもこれも欲しい本だらけで
吟味してるうちに新たに欲しい本が増えるばかりだw

いつのまにかプリニウスの『博物誌』が復刊してたりして
でも1冊¥6,000超えで全5巻は自分には無理っつ

プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉

全巻集める予定のプルタルコスの『モラリア』の中では
売り場に【8】しかなかったのでこれだけは即決

モラリア8 (西洋古典叢書)
ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ (シリーズ・古典転生)
地中海の暦と祭り (刀水歴史全書)

毎度、思い悩んでは買わずにきてるブルーノの著作集は
今回こそ購入を決意してたのだがそんな時に限って店頭にはなく
でも『ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ』は
むしろ買いだと思ってこれも即決した

と、2冊で既に¥8,000超えだ

ここであともう1冊を悩んだ末に『地中海の暦と祭り』にしたのは
1番興味深かったタンムズ(あるいはドゥムジ、もしくはアドニス)の
死と復活の祭礼について書かれてたからだ

このタンムズの死を嘆く女たちの声が
プルタルコスの『モラリア』の【5】にある逸話・・・
「大いなる神パンは死んだ」の天の声の正体なのだ
とゆー何か確たる証拠を掴みたいので
これは必須の資料と目論んだのだ

他にもクリスマスの起源となった異教の祭祀について
記述があるかもしれナイ、との期待もあった

最後まで買うかどうか迷いに迷ったが次回に持ち越したのは
『洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー』と
京都大学学術出版会の『トロイア陥落せず:弁論集2』と
その他、デカルト、フーコー、キルケゴール、ヘーゲルとか
予算が余ったら堀口大學の『月下の一群』も
母親のを借りるのが面倒なので自分用を買いたかった

洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー

トロイア陥落せず: 弁論集2 (西洋古典叢書)

それ以外に古本屋で
『現代思想』のユング特集号が¥400だったのと一緒に
値段はなかったが『ディオニュソスへの旅』をおそるおそるレジへ持ってくと
『ディオニュソスへの旅』は蛍光ペンのハイライトが多かったお蔭(?)で
なんと¥100だった

ディオニュソスヲタにしてみれば
この本との出会いだけで奇蹟だったと思えるが
値段が¥100てのは二重の奇蹟だったね

昭和生まれで子供の頃に星座の名の由来に興味があったなら
きっと野尻抱影の本を読んでただろう

自分ももれなくそんな一人で
ギリシア神話自体が野尻の著書で初めて読んだし
そこに鏤められた星座に纏わるエピソード群を拠点として
ギリシア(ローマ)神話の世界観が構築されてったが
一通りわかった気になったトコロで手放してしまって四半世紀経過ヽ(゚∀。)ノ

代わって、この10年来に何十冊もギリシア・ローマ神話の本を購入したが
読めば読むほど、その世界観が覆されてった。(゚д゚lll)ギャボ

同じエピソードでも著者によって内容がマチマチであり
しかも辻褄が合わナイのを無理矢理こじつけてたりするので
改めて神話に異説は付き物だと思い知った。(´д`;)ギャボ

所詮は神話であって
史実でナイのはもちろんだが単なる伝承や英雄伝説より信憑性に欠くし
そこに最初から真も偽もナイのだが
だからこそ自分にとって納得が行くように編纂して
真とすれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイとも思うのだ

むしろ史実だって確実な事象は確固たる事実として脳内に留めるが
それ以上にその時代を担った人々の心理を読み解いて
真実がどうあったのかを思索するコトこそ
歴史を学ぶ意味があるるる~

総ての神話はぶっちゃけ人間による創作だろうが
神話を創り上げる過程においてどんな想いがあったのか
神や怪物は何の比喩で、英雄に映し出された理想の人間像は何の教訓か
そしてなぜ民族の中で信じられて伝えられてきたのか
そこを深読みするのが醍醐味なのだ(*^^*)

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路

それにしたってニーチェが『悲劇の誕生』で比喩に使うほど
アポロンもディオニュソスも明確な切り分けができるキャラクターではなく
逆にギリシア神話の神において最も近しい2柱とも言え
違うのは容貌の美醜と信奉されてる場所(神殿か森か)くらいだ

なんせ両者とも音楽と酒がついて回り
美女との恋愛には全く縁がナイ非モテなのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ツァラトゥストラ (中公文庫)

ニーチェついでに『ツァラトゥストラ』で「神は死んだ」てのがあるが
これはプルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」に
船上で「大いなるパーンは死せり!」との天の声を耳にした逸話が載ってて
後世のご都合主義のキリスト教が
古代の総ての神に代わってイエス・キリストが唯一神になった
などと勝手に解釈したのだ(゚*゚;)

逸話自体に何の根拠もナイのに
それに対するまた更にまるで根拠のナイ解釈で
まともなおつむをしてたらとても納得できナイが
これを当然のように妄信してしまうキリスト教徒に危惧して
この台詞を逆手にとって皮肉を言ってるのだ

モラリア〈5〉 (西洋古典叢書)

だがしかし
自分にはこのプルタルコスの伝える逸話にどうも不信感を抱いてて
3年前にやっと邦訳された『モラリア』【5】を読んでみて
謎が解けた気がしたΣ(゚д゚lll)ガーン

まあ謎解きは長~くなるから後日にして
とにかく酒の神ディオニュソス(バッカス)と牧神パーンと
山羊の角と脚を持ったファウヌス、サテュロス、シレノスの類は
ギリシア・ローマ神話の中で混同されてるので
あちこち読み漁るほどに困惑が増すとゆー有り様なのだが
そんな迷宮から脱出するのには初心に帰るのが1番で
前述したかつての愛読書である野尻の『星の神話・伝説』を入手して
「やぎ座」の項目をたった2ページ読んで万事解決p(-_-+)q

 山羊といっても、魚の尾をしているふしぎな『海山羊』です。そして、これもいて座の半人半馬の怪人などとおなじく、西アジアの星座から伝わったもので、バビロニアの古い彫刻にこの姿が残っています。

そうなのだった!
これらの半獣神の起源はバビロニアの占星術由来なのだった!!
で、1年前に書いた記事[Goats Head Soup]を大幅に修正した(汗)

 パアンというのは、ギリシアの森林と野原の神で、山羊の角と、毛のはえたとがった耳で、足にもひずめがありました。
 彼はいつも山のほら穴に住み、いたってのんきで、遊び好きで、夕ぐれになると穴から出てきて、おなじ半人半獣のサチュロスと、森や谷川の精女(ニンフ)たちを追いまわしたり、ヨシの茎で作ったシリンクスという笛をふいて羊飼いや精女(ニンフ)たちとおどったりしていました。
 あるとき、神々がナイル川の岸で酒盛りをひらき、パアンはヨシの笛をふいて、興をそえていました。そこへ、怪物ティフォン(うお座参照)が現れたので、神々はあわてて、思い思いの形にかわってにげました。パアンも山羊になってナイル川にとびこんだのですが、水にひたった部分だけ魚の尾にかわり、外にでていた部分は山羊のままでした。
 このできごとの記念に、大神ゼウスが、その形を星座に伝えたといいます。しかし、これは、山羊の尾が魚になっているのを、むりに説明した話です。

スッ ━━━━━ ゚+.(゚∀゚)゚+.゚━━━━━ キリ!

ちなみに日本語版Wikipediaの山羊座の項目
出典は明らかにされてはいナイが間違いなく野尻のこの本だなw

うお座参照、とあるのでうお座も見てみるるる~

 この二ひきの魚は、愛の女神アフロディテーと、その子エロースとが、ユウフラテス川の岸を歩いていると、怪物ティフォーンがおどしにでてきたので、親子はあわてて川へとびこみ、魚にばけて逃げました。
 その記念にアテーネ女神が、二ひきの魚を星の間に加えたものと伝えられます。
 この神話は、やぎ座、みなみのうお座にも通じていますが、古代バビロニアでも、この星座を魚と呼んで、女神アシュタルテとその子になっていたので、それがギリシアに伝わって変化したものと思われます。アシュタルテは、ギリシアのアフロディテー(ヴィーナス)と同じ女神で、星では金星にあたります。

このバビロニアのアシュタルテは
アッシリア(アッカド語)のイシュタル由来で
イシュタルは元はと言えばシュメールのイナンナなワケだが
イナンナの夫がドゥムジ、イシュタルの夫・・・もとい愛人はタンムズとなり
このタンムズへの信仰が「大いなるパーンは死せり!」の
謎解きの鍵なのだ・・・愉しいねえ(^▽^*)

scarlet-letter

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』にしろ
サミュエル・リチャードソンの『パミラ』にしろ
ヴィクトリア朝の貧農の娘は病的に貞操観念が強いが
結婚前に純潔を失う=堕落する=地獄に落ちる、と信じてたのだし
社会的にも私生児を産んだ女には風当たりが強かったので
現代日本人が奇異に思うほど
彼女らが病んでるワケでもなかったりする

ところでヴィクトリア朝はハノーヴァー朝末期の
ヴィクトリア女王が統治してた1837年から1901年だが
アメリカの作家ナサニエル・ホーソーンが
『緋文字』を発表したのがこの時代で1850年だった

The Scarlet Letter (Classics)

アメリカは1607年に英国人が入植したのが始まりだが
最初の入植地はジェームズタウンで現ヴァージニア州にあった

1620年には新天地を求めたピューリタンが
現マサチューセッツ州ボストンの南東に移民し
メイフラワー号でイギリスのプリマスから出航したので
そこをニューイングランドと呼びプリマスと名付けた

そのニューイングランドのセイラム(現ダンバース)で
1626年に忌まわしい魔女裁判が起こり
200人近くの女性が告発され、異端審問を余儀なくされ
19人もが処刑されるに及んだ(加えて獄死者5人、拷問中の圧死者1人)が
ここの出身者で祖先が魔女裁判の判事をやってた、てのが
ホーソーンだったのだ

そうと知って何か読んでみようと思いたって
神保町へ赴いたのが昨年(2011年)末

昔から岩波文庫の『緋文字』は古本屋でよく目にしてたので
¥100~せいぜい¥300で購入できるだろうし
他にも掘り出し物があれば・・・と目論んで行ったのだが
掘り出し物はまさにホーソーンだった

『緋文字』は岩波文庫でなく河出書房の世界文学全集
また筑摩世界文学大系のホーソーンの巻もゲト!
これが3冊で¥500の小宮山書店のガレージセールだったので
もう1冊、河出の世界文学全集でドストエフスキーの『白痴』もゲト!!

3冊とも無傷で綺麗だったし
河出世界文学全集【13】の方はポーの短編も収録されてたが
それがハリー・クラークの挿絵入りだったりするし
本編には入ってなかったが『赤死病の仮面』のビアズリーのイラストも
オマケのしおりの表紙になってたのでカナ~リお得感(*^^*)

筑摩世界文学大系【81】には『七破風の屋敷』と短編3作品と
マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』が収録されてて
ちゃんと月報もついてたし
もう1冊はドストエフスキー作品の中で1番好きな『白痴』で
これら3冊で¥500ってしゃーわせヽ(´▽`)/

こういう自分にとって最も有意義な運の使い方ができるってか
人生の中で何よりも巡り合わせに恵まれてるって
やっぱ日頃の行いが+.(・∀・)゚+.゚イイからか、などと浮かれつつ
まずは生まれて初めて『緋文字』を読んだ

その奇妙なタイトル【緋文字:The Scarlet Letter】は
以前から何のコトやらと気になりつつも見当さえつかなかったが
謎が解けてみると「A」の文字が刺繍された縫い取りだった

この「A」は「adultery(姦通、姦淫、不倫、不義密通、婚外性交)」の意で
私生児を産んだ母親を指し示してるのだが
その罪の女がいつでもどこでも誰にでもそうとわかるように
必ず胸に着けておくように示唆されるモノだったのだ。(゚д゚lll)ギャボ

しかし胸に着けた緋文字のために白眼視され続けるヘスターが
その罪の子を女手一つで地道に育てていく生きザマは
誰よりも清く正しく美しく・・・なんて強い。・゚・(ノД`)・゚・。

感動しながらも空恐ろしくなったのは
小説『緋文字』はフィクションでモデルなどがいたワケでもなかったが
【緋文字】の罰を受けた罪人は実在してた気がしたからだ

正確には、【緋文字】の罰を与えた社会が実在してた
としても疑う余地がなく納得できるくらいに
『緋文字』の時代背景(1650年頃のアメリカ)が
中世さながらに暗黒だったと改めて気付いたからだ

西洋ではキリスト教の教義に反した人間を罪人扱いして
社会的に排除する風習が民間に根強くあると認識してはいたが
ちょうどヴォルテールの『寛容論』を併行して読んでて
キリスト教がいかに不寛容な宗教なのか
否、中世~近代のキリスト教徒がいかに不寛容な振る舞いをしてきたか
身震いをしながら思い知った

どうもアメリカ文学には疎くて
(てか、文学全般に渡って古典以外はまるで疎いのだがw)
唯一好きな作家がマーク・トウェインで他には一切読んでおらず
ホーソーンも『緋文字』の作者としか知らず
しかもその『緋文字』さえ40年以上読まずに生きてたのだが
読んでみてあまりにも心打たれて
これまで避けてた自分を悔いたし恥じた

ホーソーンはギリシア神話をいくつか児童文学に編纂してて
その中には『ミダス王の物語(The Golden Touch)』も含まれてるし
『大理石の牧羊神(The Marble Faun)』なんて小説も書いてたが
ググってみたらこれは残念ながら現代の話で
ギリシア神話とは関係無さそうだった

上野に大英博物館古代ギリシャ展を観に行ってきた

ちなみに最近は「ギリシア」の表記の方が一般的と信じきってて
「ギリシャ」の表記に違和感を感じてたのだが
実はネット上では「ギリシャ」が圧倒的に多かったりして・・・

特設公式サイトを見る限りでは
自分にとっての見所とは当てが外れた「みどころ」ばかりで
135点の中に見る意義のあるモノが何か1つでもあれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
くらいの期待度で颯爽と入場

ギリシア神話についての説明書きがやたらと多いのは毎度のコトだが
そこに人だかりがすごいってのは
それだけ日本人には馴染みが薄い世界観なのだよな~
と改めて思いつつスルーしてどんどん進むと
冥土の土産に見ておく必要があるモノは2点ほどあった

1つは壷絵『パリスの審判』で題材はありがちなのだが
今まで見てきたのとまるで違うので間違い探しのようなおもしろさがあった

並びが向かって左から
アテナ、パリス、ヘラ(ユノー)、ヘルメス、アフロディテ(ウェヌス)で
パリスの頭上には天使が・・・いや、天使ではなくてニケが?!
この場面にニケがいたのは始めて見た
そしてアテナやヘラが堂々と描かれてるのに対して
勝者となったはずのアフロディテが見劣りするしょぼさでほぼ裏面に描かれてる
羊飼いのパリスがいくら実は王子だって玉座に座ってるのも変だし
でもパリスとヘルメスをこよなく愛する自分としては
とりあえず彼らが美しく描かれてたので良しとしてしまおう(*^^*)

そしてもう1つがディオニュソス像だが
これこそ自分が求めてたディオニュソス像なのだった!

女性的で甘美なディオニュソス像てのは数年前にも
東大発掘チームが今世紀に掘り出した『豹を抱くディオニュソス像』を見て
なかなか美しいながらもどうも愚鈍なカンジなのが気になってたのだが
本来の風貌からここまで美的変化したのはたいしたものだ
なんて受け流してたのだ

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路
ディオニューソス―破壊されざる生の根源像
ディオニューソス―神話と祭儀

だがしかし今回の『擬人化した葡萄の木とディオニュソス像』は
( *゚Д゚)つ[酒]の神だってのに酔いが醒めそうに冴え冴えと美しかったのだ!!
いや、一旦醒めたその後はまたその美貌に酔い痴れたのだが(←複雑)!
とにかく顔の表情とボディラインの柔らかさと締まり方の塩梅が
瑞々しい若者のそれでとても石(大理石)とは思えナイ・・・ホゥ(*-∀-)

このディオニュソス像のポストカードがありますように(-人-;)
でもなかったら図録買ってやるるる~p(-_-+)q
そんな一大決心で会場を出てマーチャンダイズの売り場へ行くと
なんとポストカード、キーホルダー、ケータイストラップ、クリアファイルに栞まであり
図録はやめにしてディオニュソスグッズばかり買い込んだのは言うまでもナイw

参考になったのはニケ(小像)とシレノス(小像)

ニケは最も有名なルーブルの『サモトラケのニケ』以外は
アルカイック期のもっと原始的な彫塑が多くて
その中間型くらいのどちらの要素も持つニケだったので新鮮に感じた

シレノスは牧神の中でも格別に不明瞭な存在で
その姿も山羊脚男説と狸腹男説があったり謎が多かったが
今回は狸腹で泥酔してるぽいシレノスに信憑性を見出した気がした

ニケは天使の原型であり
シレノスはディオニュソス(バッカス)に造詣が深いので
天使と酒が好きな自分には気になる存在なのだ

それからしたら今回の展示のメインは
本邦初公開のDISKOBOLOS(円盤投げの像)だったが
このローマ期のコピー作品の出来が゚+.(・∀・)゚+.゚イイのは認めるも
顔がつまらなくてほぼスルーw

肉体美なら顔はどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイってコトはナイ!
ボディラインの美しさに見合う顔でなくてはバランスが悪い!!
決してブサイクではナイのだがいかんせん無表情なので
全然魅力的ではナイのだ・・・ざざざ~んねん

アスリートってのは競技をしてる時
全身全霊を込めてる瞬間に真剣な表情になると思うのだが
そんな魂が篭ってるような顔にちっとも見えんのだ

そもそも円盤投げときたらヒュアキントス(※)に決まってるるる~
まあ肉体美を誇示するのには美少年は向いてナイので
それならアポロンをモデルにしてくれょ
神が人間とは違った優美な表情で軽やかに円盤投げするのは
想像もつかナイからこそ誰か創って見せてくれょ
アポロンと円盤投げしてて円盤が当たって死んでしまいヒヤシンスになった少年

『王様の耳はロバの耳』は日本でイソップ物語として親しまれてるが
元ネタはギリシア神話にありロバ耳にされた王様はフリュギアのミダス王だ

このミダス王にはもう一つ有名な物語があり
それがThe Golden Touch

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

ミダス王は酒の神バッカスによって
触れるモノ総てを黄金に変えられるようになった
欲深な王は最初は大喜びだったが
食べ物も飲み物も黄金になるので飢え死にしそうになり
元に戻してくれるよう願った

とゆーのが基本的なあらすじだがなんせギリシア神話なので
バッカスではなくてサテュロスだったりシレノスだったりもするるる~

また上記リンク先のVer.ではミダス王の娘マリゴールドが登場するが
マリゴールドの記述はギリシア神話にもなければ
恐らくイソップにもなかったはず・・・いや、イソップは未確認なのだが
ローマ時代のラテン文学のオウィディウスにもなければ
近代にギリシア・ローマ神話を総括したブルフィンチにもナイのだから
イソップにだけあるのも不自然だろう(-_-;)

ググりまくってみるとマリゴールドはホーソーンの創作らしい?!
ホーソーンは『A Wonder Book for Girls and Boys』として
ギリシア神話の6篇を児童向けに編纂してたのだ

A Wonder-Book for Girls and Boys (Everyman's Library Children's Classics)

収録作品は以下の通り

The Gorgon's Head
The Golden Touch
The Paradise of Children
The Three Golden Apples
The Miraculous Pitcher
The Chimaera

このホーソーン編纂の児童向けギリシア神話集は
日本語版でも良質な絵本が出てたようだが
残念なコトに現在では入手は困難ぽい。(´д`;)ギャボ(※)
しかしアマゾンで英語版を検索してみたらなんと毎年新刊で出てた。(゚д゚lll)ギャボ

つまり英語圏の子供にはホーソーンのマリゴールドVer.が普及してるのだ!

触れるモノを黄金に変えられるようになったミダス王は
愛娘マリゴールドに触れて黄金にしてしまい
元に戻してくれるように懇願する、てのがマリゴールドVer.で
金銀財宝に目が眩んで大切なモノを見失わナイように
そんな教訓がより効果的に明示されてる
日本語版は青空文庫にあった(^▽^*)アリガタヤ~♪
LINK:ワンダ・ブック――少年・少女のために――
ミダス王がマイダス王だったり、マリゴールドがメアリゴウルドだったり、古い訳は風情があって゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

ところで日本人にはピンとこナイのだが
海外ではヒトラーやビル・ゲイツなどがミダス王に例えられてて
黄金を手中にした業突く張りの権力者で嫌われ者キャラだ

ヒトラーほどの隙のナイ圧倒的な支配者ではナイし
ビル・ゲイツは今では実業家だが元は技師だったのだし
ミダス王の方が全然凡庸な善人に思えるのだがねw

ただミダス王は酒の神ディオニュソス(バッカス)を信奉してたし
その従者の牧神山羊男(サテュロス)のような悦楽に興じる者と仲が良く
そんなコトから悪徳の象徴なのだろうが
それはキリスト教的な人間性の捉え方でしかなく
酒呑みで快楽主義者の無神論者からしたら
見知らぬ人間をいきなり悪人だとして忌み嫌う理由には事足りんて(゚*゚;)

だいたい自分は他人に対しては好き嫌いより探究心が勝ってしまうので
一般論に忠実な人間像なんて何の興味も沸かナイが
奇人変人悪人は観察と考察のし甲斐があり
特になぜそうなってしまったのか
バックグラウンドをあれこれ仮定するのは愉しい

そうしてると必ず最後に2つの答えのどちらかに辿り着くのだ

1.確かに悪辣だが最初からそんな人間ではなかったはず

育つ環境の中で悪意にばかり晒されて
当人が抵抗しても悪意を植え付けられてしまった例だ
一応悪人と認めざるを得ナイのは残念だが
それでもまだ良心は残ってるかもしれナイ可能性はある

2.悪意を持って見るから悪に見えてるだけ

当人に悪気はさらさらナイのに
僻みや妬みといった見る側の発する劣等感が
勝手に悪意を妄想してるに過ぎナイ場合だ
これは全然悪人ではナイ

ミダス王は基本的に後者のような気がするが
ホーソーンの描いたミダス王なら間違いなく後者だ

娘が黄金になって悲しんだミダス王には親としての愛情があった!!

悪人とレッテルを張られてる人間に対して
愛情を確信して創作したホーソーンってなんて情が深いのだろう。・゚・(ノД`)・゚・。

しかし感動すると同時に疑問が沸いた
ホーソーンはキリスト教信者ではなかったのだろうか?

キリスト教信者にとって
ギリシア神話の神さえも異教の邪神だが
牧神山羊男ともなれば姿形からしても悪魔なので
その悪魔と仲良しのミダス王は絶対的な極悪人と見做すのがフツーで
愛情を見出したりはしナイはずヽ(゚∀。)ノ