『ドリアン・グレイの肖像』のあらすじと考察

オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』は
純朴な美青年だったドリアン・グレイがその美貌を讃えられ
調子に乗ってヘンリー・ウォットン卿に翻弄されまくり
ダークサイドに堕ちてしまう物語。(´д`;)ギャボ

ところがドリアンの外見が
いつまで経っても若く天使のように美しいままで
寄る年波も邪悪な精神面も微塵も反映されなかった。(゚д゚lll)ギャボ
それは非科学的な事態だが
画家バジルによって描かれた肖像画が
当人に代わって年老いて醜悪な容貌へと変わってたのだ
そんな肖像画の存在をドリアンは秘密にしてて
結局はなぜそんな奇蹟が起きたのかは謎のままに終わるのだが
これは謎解きが主題なのではナイ

ブロマイド写真★『ドリアン・グレイ 美しき肖像』ヘルムート・バーガー/白黒

ドリアン・グレイのモデルとなった「輝ける青春」
若さを失していくのと併行して
美貌も褪せて、輝きようもなくなって
そう呼ぶ者もいつしかいなくなっただろうが
ワイルドはドリアン・グレイには
当人に代わって肖像画に歳を重ねさせたので
苛酷にも見た目だけがいつまでも若く美しく輝いてた(-_-;)

なぜそれがドリアンにとって苛酷だったのかと言えば
時が止まったワケではなかったので
生身の見た目が変わらなかっただけで
実は老いさらばえて醜くなっていってたのだ

「老いる」とはどういうことか (講談社プラスアルファ文庫)

老いとは単に生物学的な老化だけではナイからだ
まず生物学的な老化があり
それで身体が思うように動かなくなるワケだが
見た目にもその鈍重さが顕現してきて
いつしかあからさまに鈍そうに見えるようになるし
実際の鈍さも伴ってくのだ

全体的な鈍化に比べたら
むしろ精神の顔面への反映はもっと迅速だ
卑しさや残酷さなどは思いついた瞬間に表情に映し出されるし
そんなよからぬ想いにばかり捉われてる人間に
醜い表情の癖がついてしまうのは
老いを待つ必要さえナイのだΣ(゚д゚lll)ガーン

ドリアンの肖像画はそういった老いのメカニズムを
上辺だけ当人の代わりに請け負ってくれたので
悪徳に染まっていく過程でどんどん醜く変貌していき
どっぷり悪徳に浸った時にはまだ年齢的に老いがくる前だったが
もう十分に醜怪に朽ちてたのだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

ワイルドはその高い美意識から
ぱっと見だけ小奇麗だが邪悪な表情を持つ人間を皮肉って
そこを赤裸々に映し出すこんな物語を書いたんだろう

自分は学生の時に生物の中でも特に単細胞生物の魅力にとり憑かれてたが
彼らのオートガミーなる細胞の蘇生の秘術は
ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を読んでこそ理解できた

生命はどのようにして死を獲得したか―老化と加齢のサイエンス

オートガミーは老いた細胞が若い細胞に蘇る機構で
この生命の不可逆反応の摂理を超越した現象を初めて知った時は
どうしてそんなコトが現実に起こるのか理解不可能だったが
単細胞生物が無垢であるならそれもありか?!

昨今のアンチエイジング・ブームの風潮を担う医療技術の進歩が
三位一体とも言える若さと美貌と輝きの中から
若さと美貌だけを切り離して
一見して若く美しく見えるような
様々な手段を提供するようになったが
単細胞生物のオートガミーほどの完璧さがナイのは
多細胞生物の高次設計のせいかw

自分も確かに若さは保持したいと思う
日常生活をしっかり送るための健康な身体と健全な精神に加えて
更にタフに生きようと思ったらしなやかさは失いたくナイ
敏捷さが多少衰えてもしなやかであれば
身体的な苦痛は少なくて済むからだ
また心のしなやかさは瑞々しい感性の所在に他ならナイが
最期の瞬間まで「あはれ」を愉しめる自分でいたい

ドリアンは見た目のみ若く美しいまま年月を経ていくが
その心は既に醜悪に腐りきってしまってた
そこに不快感を感じナイ美意識の低い人間ほど
安易に見た目だけの安っぽい美を執拗に求めるのだね(゚*゚;)

ちなみにドリアンのモデルの「輝ける青春」について
画家バジルのモデルとなった男は「画家の序文」でこう証言してる

ワイルドの創造した悪の主人公とは正反対の存在であったことはいうまでもない

寓話と科学

幼少時に通ってた小児科医の待合室には
学研から出てたまんが『生きている地球』がおいてあった

宇宙が出来て
地球が生まれて
そこに生命が生じて
生物が進化してく

その過程がとても理路整然として描かれてたので大いに納得したが
子供の純粋無垢さを差し引いても疑いの余地がなかったから
記されてるコトが事実だと素直に信じられたのだった

ところが同じ頃に教会で教えられた「天地創造」の方は
自分にとっては釈然としナイ部分が多く
深く追求して質問すればするほど理不尽な回答しか得られず
とても歴史的事実だとは信じ難かった
いや、明らかに寓話だと断定できたのだった

そもそも自然に興味津々の子供で
花や鳥や虫が好きで図鑑が大好きだったせいもあり
現存する生物だけでも膨大な種類があるコトをよく心得てたので
そりゃあ「ノアの方舟」の話には合点が行くワケがナイw
総ての動物をつがいで方舟に乗せるなんてのは
文明の利器が揃った現代においてさえ物理的に全く不可能なのだから
それを真実だなんて受け止めようもなかった

だから「天地創造」の際に
あるいはノアが方舟に動物のつがいを詰め込む際に
【種】の数をカウントしてたなら
これらが寓話でしかナイコトがもっとはっきりと示せただろうにチッ(-д-)、
なんて舌打ちしてはひとりごちてた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかしサンタクロースを信じる子供は愛らしいし
その期待に応えようとしてサンタクロースを演じる親は更に愛らしい(*^^*)
その穢れなき魂のあり方は人として愛らしい!
穢れなき魂には罪はナイし愛らしいコトは美しきコトである!!
そんな美しい事態なら
サンタクロースを信じてナイコトを非難されるのも心地゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
こちらもあえて否定する気は毛頭ナイ

信じる信じナイは別としても
自分も神話や伝説の類が好ましいと思える性質ではあり
これらが夢や希望を与えてくれればどんなに不条理だって構わナイ

尤も寓話としての正しさは科学としての正しさとは全く逆なので
科学的に寓話を否定する余地などナイのだ
寓話を彩る迷信の類が近代に至って科学的に実証されるコトはままあるが
時空を経て継承される内にどんどん変化してった寓話は
原初のモノこそが正確だ
正確と言うのは内容が正しいかどうかでなく
例えばディズニーが改変した寓話は
アメリカ国民の能天気さに合わせてか悲劇的要素は排除され
時に悲劇もハッピーエンドの結末に書き換えられ
もはや原典とはまるで違ったモノになってしまってたりするが
寓話としては完全に間違ってる
(まあエンターテインメントとしては楽しませられれば何でもOKで
寓話としての真意を伝える必要なんかナイんだがね)

それに比べて科学となると
その時点での最新理論こそが最も正しい
とお互いが仮定して話を進めるし
それまでずっと正しいとされて皆が信じてたコトでも
実は正しくなかったと証明さえできれば
その証明を裏付ける新説の方が正しい、つまりは元の説は正しくナイ
そうなれば元の説は時代を経て顧みられなくなるモノだ

また寓話と科学は価値も正反対だ

寓話は多少辻褄が合わなくたって非現実的であったって
間違っていようもナイ類のモノで
そこに求めるのは何が正しいかでなく
先人の知恵だったり、信奉の根源的な挿話だったり
先述のディズニーならば単に愉しめる要素だ

反して科学は事象の実体の解明で
それが理性的、客観的、第三者的であるコトに意義がある
(但し、特に学会のような組織が確固たる権威を持つようになってから
権威主義によって価値が決まる場合もあり
極端な話、真偽を実証できナイ複数の説があったとしたら
最も権威ある学者の説が真偽以上にまかり通るコトもあった)

そういう根本的に成り立ちの違う寓話と科学が
同じ土俵でどちらが正しいか決着をつけようとするのは
その取り組み自体がナンセンスである

なので、サンタクロースの存在を信じる子供は無敵だ。(゚д゚lll)ギャボ

自分は無神論者で科学をよく勉強してたが
高校で「応用微生物」を勉強してる時にこんな風に愉しんだ

これらの生物も「天地創造」の時に神が創ったとしたら?
性別もナイ微生物をノアはつがいでなくてコロニーで方舟に詰め込んでたのか?
生物か非生物か不明のウイルスも方舟に乗れたのだから今に至るとしたら
どうやって箱舟に乗り込んだのだろうか?
そもそも神としてはウイルスを生物のつもりで創ったのか?

・・・次々と想像してたら仕舞いには噴出さずにはいられなくなるが
科学の概念で非科学的な物語に想いを巡らすのは愉しい(^▽^*)

どちらを信奉するかきちんと決める必要ナイし
決めたからって信奉しナイ方に敵対する必要ナイし
必要ナイコトを上手くできナイからってそれに対して懺悔するなんてのは
全くもって不要だと思うのだがそれを生真面目にやってたのが
このトルストイの『懺悔』だったりするのだ

懺悔 (岩波文庫 赤 619-0)

絶対に答えが出ナイ問題をずっと考えてたらツライ
世界の始まりはどうだったか?
どうやって生命は誕生したのか?
なぜ生物種はこれほどまでに多種多様なのか?
・・・etc.etc.なんてのは問題が大き過ぎるだけに
これはもうシラフで悩んでたらもれなく気が狂って当然だろう

以前読んだ時はトルストイに同調して
同じ真実の深淵に嵌って気が狂いそうになった・・・んでやめたヽ(゚∀。)ノ

深淵を彷徨い続けてはいけナイ
実際に深淵の虜となったニーチェなんかはもう・・・ヤヴァイ
抜けられナイ恐ろしさと虚しさでうっかり死にたくなったりするが
これでちょっと気がふれてて簡単に死ぬ方法があれば
もれなく死んでしまうからだ

嘔吐

同じ感覚をもっとよりリアルに味わうならサルトルの『嘔吐』だが
今読み返してみると全然リアル(現実的)ではナイね
なんせトルストイはもちろんサルトルも発想が庶民とは隔絶してて
それはとりもなおさず生活が庶民とは一線を画してたからだ

働けど働けど我が暮らし楽にならざりじっと手を見る

そんな啄木の気持が切実にわかるほどになると
『懺悔』も『嘔吐』も働かざる者の倦怠からくる憂愁だとわかる

キュヴィエ?!

『ベランジェという詩人がいた』
ベランジェが大学の事務局で裁判調書の筆写の職に就きながら
『古い軍旗』とゆーシャンソンによって
警視総監アングレスに目を付けられてた時
ベランジェを庇い立てしたのは
文部省の大学局長とでもいうべき地位にあったキュヴィエ

キュヴィエってあのジョルジュ・キュヴィエかな?!
1820年のコトだから年代も辻褄が合う!

う~ん・・・しかし
確認しようがナイ。(´д`;)ギャボ

キュヴィエに関する記述は日本では余りにも少ナイからな(※)
自分はラマルクファンだから
キュヴィエが敵のように思えるが
だからこそ良く知りたいってのもありで!!

著者の林田遼右は何でも読んでるカンジだが
キュヴィエについては特に説明はナイ
さすがに博物学の著作までは行き届いてはいナイだろう・・・

※実際にアマゾンで「キュヴィエ」で検索しても何もなかった。(゚д゚lll)ギャボ

ベランジェという詩人がいた―フランス革命からブルボン復古王朝まで

『生命探求の姿勢』

西村顯治の『生命探求の姿勢』とは
周期的な進化論熱に侵されてる時に出会った

ヴェサリウスからゲノム解析までとあるように
古代ギリシアのガレノスから近代科学へと
中世を飛び越して科学のあり方自体が様変わりして
最新科学に至るまでの経緯が
科学の専門書として以上に好奇心を刺激しつつ
述べられてた

☆・・・☆・・・☆・・・☆・・・☆

まえがき

1 生命を自然認識の対象として捉える姿勢

2 観察と実験

3 事実の蒐集

4 比較と分類

5 知は力なり

6 科学者集団の成育

7 キュヴィエ/ジョフロア論争とパスツール/プーシェ論争

8 科学的概念の登場

9 物から言葉へのまなざし

10 18世紀科学者が似非科学にとった態度

11 バルザックの小説『ルイ・ランベール』とジョフロア・サン=チレール

12 パラダイムが根を下ろす土壌

13 仮定されていた遺伝子の存在論

14 生物進化をプロットする仮想空間

15 遊びと科学

16 基礎科学と応用科学

参考文献

人名索引

初出一覧

☆・・・☆・・・☆・・・☆・・・☆

バルザックの名が章題になってる点でカナ~リ驚いたが
ゲーテも出てくるし
ディドロやルソーも出てくる

時代背景としてフランス革命の前後辺りが
詳細に述べられてるからだが
実際この辺の事情はなかなか得難い

革命前にリンネやビュフォンによって
「博物学」が集大成されたが
つまり当時はまだ「生物学」ではなかったのだ

それが「生物学」となり
そこから「遺伝学」が発生し
「分子生物学」へと発展するワケだが
その歩みとゆーのがむしろ諸説以上におもしろいのが
科学の醍醐味なんだと思うw

ジョフロア・サン=チレールの文献などは
邦訳などが全くナイモノなので
興味深い人物なのだがその実体がなかなか掴めずにいる
もどかしい永の想い人なのだ(*^^*)

それがバルザックの小説のモデルとあっては
バルザックを読まずにいられナイ

ところがなんせバルザックは作品数が多く
そのモノズバリ「ルイ・ランベール」とゆー本はなく
探し当てたのが創元社刊のバルザック全集
その21巻に収録だった

40歳になったらバルザックを月に1冊づつ蒐集しよう
そんな思惑は随分前からあったが
遂にそれを実践するに時に至ったので(実際40歳になるのは8月だが)
1冊目はこれからいった!

ゲーテについても数箇所に渡って述べられてたが
バルザックと共に(更にはジョルジュ・サンドも)
ジョフロア・サン=チレールに共感してたと!!

この頃のフランスはやっぱ魅力的だ・・・
時代が厳しかったから人間が鍛えられてたんだろうか?

余談だが索引にアレクサンドロス大王もあった
彼が患ったのはマラリアだったらしい・・・

【参照】バルザックゲーテアレクサンドロス大王

バルザック全集 第21巻 村の司祭 ルイ・ランベール 海辺の悲劇

『百科全書 : 序論および代表項目』

フランス革命前夜に刊行された『百科全書』の邦訳は
元より抄訳の『百科全書 : 序論および代表項目』しかナイし
これは岩波文庫から出てるのだが
現在品切重版未定書目となってる。(´д`;)ギャボ

しかも岩波のかのページでは
本文庫版では「序論」および十六の代表項目(本邦初訳)を収めたとあるので
他には邦訳がありえなかったと思われる

自分が買う時もそうだったが
こういう本はそこに何の項目が収められてるかとか
その項目を誰が記述してるのかとか
そういう情報あってこそ
欲しい気持ちに拍車がかかったりするし
また要らナイとゆー判断も出来る

ヴォルテールやルソーのマニアに言うべきは
彼らが担当した項目は収められてナイ
しかしマニアの領域も超えてヲタだったら
ダランベールの「序文」だけでもコレクションの価値ありだ
文中でヴォルテールやルソーが取り上げられてる

とはいえ自分が1番楽しみにしてたのは
ルソーによる【音楽】の項目だったから
これが16代表項目に入らなかったコトには心外だったし
ルソーの書いた項目が1つもなかったのは更に心外だった

そしてルソーとディドロを決別させた
ダランベールによる【ジュネーヴ】の項目なども期待してたのだが
これもなかった・・・バタリ ゙〓■●゙

ヴォルテールの【歴史】なども
是非読んでみたかったのだが・・・ナイ(゚ ゚;)

それでもいずれにしろ
自分はこの著書を持っていたいヲタなので
買ったコトには後悔してナイばかりか
予想以上に満足してるワケだが・・・

それとは別にやはり上記のモノなどは
手に入らなくなると思うほど欲しくなる!
うぅ~フランス語読めればなp(-_-+)q

とりあえず
書籍データベースのWebcat Plusで検索しても
項目のデータがなかったので
これは一つ自分が作成しておくとするか♪

哲学・・・ディドロ
体系・・・1.筆者不明、2.ダランベール
自然状態・・・ジョクール
自然法・・・ディドロ
政治的権威・・・ディドロ
主権者・・・ディドロ
親権・・・ジョクール
平和・・・ダミラヴィル
マニュファクチュアール・・・ディドロ?
奢侈・・・サン=ランベール
力学・・・ダランベール
技術・・・ディドロ
慣習・・・ディドロ
インタレスチング・・・ズルツェル
天才・・・サン=ランベール
美・・・ディドロ
※ベーコンの学問の分類と
ダランベール「人間知識の系統図」も収録

【参照】フランス啓蒙思想

百科全書―序論および代表項目

2007年(博物学者:リンネとビュフォン)

今年も残すトコロあと2ヶ月余り
自分的にはフランス革命についての探求に明け暮れた年だった
それもフランス革命そのモノでなく
その時代背景とその時代に生きた人々について
深く考えさせられた1年だった

前半は映画『マリー・アントワネット』で
ワリとウキウキと色めき立ってたが
後半はユゴーの『93年』で
激しい展開に心乱されながらも最期はしんみりと感じ入った

その間のちょうど
ゴールデン・ウィーク辺りから夏にかけてが
またこの時代に所縁のある人物を追ってたのだが
それは今年がリンネの生誕200年であるコトからだった

リンネはスウェーデンの博物学者で
生物学~分子生物学を志す者にとっては
絶対に避けて通るコトの出来ナイ学名とゆー
生物の大系を築き上げた人だ
(詳細は[神の尻拭い]参照)

そのリンネと同じ年に生を受けた博物学者が
フランスにいたがこれがビュフォン伯であるが
リンネとビュフォンは全くタイプの違う博物学者だった
(詳細は[『種の起源』以前:ビュフォンとラマルク]参照)

実際彼らの刊行した著書は
文壇から見たら
リンネは写実主義よりの自然主義であり
ビュフォンは耽美主義よりのロマン主義ではナイだろうかw
これはどちらが゚+.(・∀・)゚+.゚イイとかゆー問題でなく
元より持ち得た性質による捉え方の違いに過ぎナイ
但し当時(18世紀)の特に科学においては
リンネが絶大な支持を得たのだった

そして今でもリンネの生物の大系(分類法)は
生物学において使用されてるのだ
その名前の認知度もビュフォンの比ではナイ
それはリンネが現代に通じるほど
科学的に正攻法であったのだが
ビュフォンは装飾過多で芸術的だったのだ

そこで科学的視点を取り去れば
自分はビュフォンの方が好みだ・・・ホゥ(*-∀-)
分子生物学を勉強してた人間がこれで゚+.(・∀・)゚+.゚イイのか?!
いやむしろずっと科学畑からダーウィン以降の・・・
つまり進化論~分子生物学の展開ばかりを辿ってると
うっかり見落としたり見失ってしまいがちなのだが
18世紀の文人科学者たちは
柔軟で自由な発想を持った思索の達人で
単なる科学者に留まらナイ
深淵の遊行者なのだ

そんな想いが巡り会わせたのが
『十八世紀の文人科学者たち』と
『生命探求の姿勢』で
これらを読み出したら
科学に偏らナイ思想の持ち主たちに次々と魅了され
「百科全書」→「啓蒙思想」→「フランス文学」と
気持ちは移行して行き
帰着したのがユゴーの『93年』で
そうしてフランス革命に戻ってきたワケだw

いや~人生って知的好奇心が途絶えナイ限り
本ト愉しいモノだねwww

十八世紀の文人科学者たち―リンネ,ビュフォン,ヴィンケルマン,G.フォルスター,E.ダーウィン







解剖学者ヴェサリウス

ルネサンスまで書物はずっとラテン語で読み書きされてたワケだが
内容もローマ帝国時代のままだった

哲学や思想、文芸は普遍の真理に基づいてるので
時代背景の違いを考慮すれば2,000年の時を隔てて読んでも通じるが
科学は日進月歩なので数年前の本でさえ新説に覆されてしまう可能性があり
古代ギリシア・ローマからルネサンスまで同じ学説が
真偽の検証ナシに権威によって受け継がれてたのは驚異であり脅威だった

学生時代に解剖生理学や病理学を学んでたが
その項目の1つ1つに医者が向き合って解明してきた歴史の重みを感じてて
中でも人体の解剖図は画家や版画家との二人三脚だったりで
その変遷に興味を持った

レオナルド・ダ・ヴィンチは多岐に渡る天才だが
自分が最も評価してるのはその解剖図の緻密な筆致から醸し出される美しさだ

ルネサンス期のもう一人の万能の天才ミケランジェロも
解剖によって精確に筋骨を把握して作品に反映してたのだが
システィーナ礼拝堂の天井画に脳(神経)の解剖図が隠し絵として描かれてるコトが
近年になってジョンズホプキンス大学の脳外科から論文発表されてた
LINK:ミケランジェロの「隠し絵」神の姿に脳幹解剖図

しかしダ・ヴィンチもミケランジェロも医者ではナイ
でもだからこそ当時の医学における権威に屈する必要がなく
解剖したままを精巧に描くコトが許されたのだろう

ここで笑えるのがその権威が2世紀のローマのガレノスだった事実だヽ(゚∀。)ノ

なので16世紀にヴェサリウスが登場するまで
医者が学んだ解剖図はせいぜいモンディーノやケタムなどの
ヴェサリウスと比しては余りにも稚拙なモノであった・・・バタリ ゙〓■●゙

謎の解剖学者ヴェサリウス (ちくまプリマーブックス)

そういういきさつを『謎の解剖学者ヴェサリウス』を手にして知ったのは
学校で解剖学を学んでた時からもう10年以上も経ってたが
やっと巡り会えた答えに感動して泣きながら読んだ。・゚・(ノД`)・゚・。

なんせヴェサリウスの生涯やその著書の紹介もさるコトながら
解剖学の歴史的変遷の大きな流れの中での生きザマに迫ってるのがたまらなかった!

改めて科学を愛する気持ちは人間を愛する気持ちから発してるのだと気付いた
つまり科学者の身を削るような努力から見出される真実それ自体と
真実を探求して止まナイ科学者の純粋な欲望に忠実に生きるその生きザマだ!!

解剖学とかまるで興味ナイ人が読んでも平易に描かれてるので
ヴェサリウスの情熱に胸が熱くなるであろう・・・とここまで薦めておいてなんだが
残念ながらこの本は現在(2012年7月)絶版状態となっており
ヴェサリウスの著書『ファブリカ』や『エピトメー』の邦訳とか他の解説本なども
日本においては尽く絶版状態だ。(´д`;)ギャボ

但しヴェサリウスの偉業の断片はむしろネットで簡単に見るコトができる
LINK:Vesaliusの解剖図

骨格人をよく見るとその叙情的なポーズと牧歌的な背景とが相俟って
繊細な芸術作品のように仕上がってるので見落としがちだが
防腐処理などなかった時代に死刑囚の遺体を解剖してスケッチしたモノで
気を失いかねナイような想像を絶する臭いの中でだったろう。(゚д゚lll)ギャボ