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自分が幼少時は金持ちの家の女の子ほどリカちゃん派で
素敵なハウスやお洒落なドレスを所持してたが
そういう女の子の家に遊びに行く時に
貧乏人の娘はどうするか?

【1】リカちゃんの友達を買ってもらって
充実したワードローブでの着せ替えを楽しませてもらう
→金持ちに取り入るのが上手いのは悪いコトではナイし
こういう女の子こそが将来はしっかり者の嫁になるのだろう

【2】8頭身のバービーを持ってって
リカちゃんの5頭身と比べて優越感を楽しむw
→金持ちの親は娘にねだられずともリカちゃん一式を買うが
なんとか1体のドールを買ってもらうのが精一杯だと
最初で最後に最高に豪華なドレスのバービーをねだるワケだなw

自分は美意識からも断然バービー派だったのだが
未だに1度も箱から出したコトはナイ
祖母の家の他のお人形(博多人形やらフランス人形やら)と一緒に
必ずバービーが一体だけ箱にしまったまま飾ってあった

祖母にはねだるままに次々とバービーを買ってもらってたが
買う条件は決して箱から出さナイコトだったのだ!
しかもそうして大切に仕舞ってあった箱入り娘のバービーだのに
皆、箱ごと蒸発したのだった・・・

とゆーのも祖母は小さな女の子連れで訪問されたりすると
バービーを箱から出して遊ばせて
帰りはなんとお土産にあげてしまうのだった(゚ ゚;)
まあバービーに限らずぬいぐるみでも何でも
そんな風に留守中に忽然と姿を消すのは日常茶飯事だった

恐らく「破壊魔」と称されてた幼少時の自分のコトだから
扱いがぞんざいですぐ壊すと踏んで箱から出させなかったのだろうが
いくつになっても箱出しは了承されず
その割に余所の子供がぐちゃぐちゃにして遊んでるのは赦してて
要するに他人によって踏み躙られてたのを目撃した時は
えらいショックだった。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

マイケル・モンローを初めて見た時
まるでバービーみたい、と思って憧れたが
小学6年生で既に身長が160cmあったので
10代の頃は8頭身の華麗なバービー体形を目指してた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ピース・オブ・マインド

だがしかし、日本人には所詮、バービーは無理っつ(;つД`)
いや、5頭身のリカちゃんさえ程遠いと実感したのは
もう身長の伸びようがなくなった二十歳の時だ
(19歳の朝飯前まで伸びる、と祖母が言ってたのでね)

外見は本トに日本人に生まれて損した。(´д`;)ギャボ
ましてや外人からしたら日本人は歳より若く(幼く)見えるってのが
唯一の利点だってのに老け顔とキタコレwww
なんせ小学生の時に大学生と間違われてて
以来ほとんどずっと10歳は上に見られてキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

実際、バブルで浮かれてて失望してる暇はなかったがね♪

☆・・・☆・・・☆

バービーとの再会は90年代後半になってだが
その頃のBarbieは凄かった!!

バービー アメリカン フェイバリッツ ハーレーダビットソン バービー ピンクラベル N6590

クリスチャン・ディオールを装ってるかと思えば
ハーレー・ダヴィッドソンに乗り
ギリシア神話の大女神ヘラにもなれば
アメリカの象徴である自由の女神にもなるるる~

クリスチャン ディオール バービー Dior

99年は40周年だったので記念に1体買おうと決意して
ディオール・バービーをゲト♪と思いきや
実物を見たら2種あったどちらの衣装も顔も今1つ気に入らずヽ(゚∀。)ノ
それよりも隣のトッド・オールダム・バービーの方が
豹柄マキシコートがめちゃくちゃカッコよくて
口元のほくろがマドンナのようで断然そっちが欲しくなり・・・
結局、迷いに迷った挙句に双方とも断念したのは
飾る場所がナイ、てのが1番ネックだったのだ

トッド・オールダム・バービー

つい最近までオーディオセットに場所をとられてて
バービーは常時2~3体しか飾れなかったので
季節毎に交替して飾ってたのだが
仕舞ってあるバービーがどうにも不憫で
せいぜい7~8体を限度として欲しいと思ったら買い換えてた

☆・・・☆・・・☆

この春にオーディオセットを処分したので
バービーを並べて6~7体ほど飾れる場所をキープできたが
改めて並べてみて気付いたのは
うちにいるバービーは悲恋の女性ばかりなのだった。(゚д゚lll)ギャボ

買い替えを繰り返して厳選して手元に残ったのだから
投影されてる女性像がより一層想い入れの強いバービーなはずで
そうなると確かにハッピーエンドのお姫様より
悲劇のヒロインになってしまわざるを得ナイ

つい数ヶ月前に買おうかどうしようか迷ってたのも
『嵐が丘』のキャシーを髣髴とさせるような
ゴースト・バービーだったっけ・・・

バービーコレクター ホーンテッド・ビューティ ゴースト バービー (ゴールドラベル) (W7819)

だからありふれたブライド・バービーなんて
今まで1度も欲しいとさえ思ったコトがなかったりして
今年はウェディング・ドレスの買ってみようかな?

バービーコレクター 2013 ホリデーバービー Pink (X8271)

ググってみたら2013のHoliday Barbieが
雪の結晶をあしらった真っ白なドレスで綺麗だったので
アマゾンでポチっと予約して買ったったヽ(´▽`)/

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日本では今や「ドン・キホーテ」と言えば
年中無休24時間営業のディスカウントストアのコトだが
これも間違いなくセルバンテスの小説の主人公の名からとってるだろう

ドレの絵で読むドン・キホーテ

しかしなぜこんな名称にしたのか?
ググってみたらYAHOO!知恵袋に中の人が答えてるぽい
LINK:ディスカウントショップ「ドン・キホーテ」の名前の由来は?

しっかり『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』に由来してるようだが
社員の中でこの長く退屈な小説を読破した兵は果たしてどれほどいるのだろうか?
なんせ現代日本人には意味不明な要素が盛りだくさんで
それらが話の腰を折るように次から次へと割り込んでくるのだから
次のエピソードに辿り着くまで緊張感を保てナイのだ。(´д`;)ギャボ

むしろ自分はその意味不明な部分にこそ愉しみを見出すのでうってつけなのだが
それでも前・後編のうち前編の半分ほどで挫折・・・
前編の後半にある有名な風車のエピソードは一応読んだがねw

確かに面白いと思える滑稽さが漲ってるのだが
そういうドン・キホーテの道化ぶりを素直に笑えナイのだ
そもそも道化ってキャラクタにはおかしさより憐憫を感じてしまう性質で
そこが合ってナイような気がするるる~

とか、ずっと敬遠してたのだが数年前にふとしたきっかけで読み始めたら
ハマった(゚*゚;)

トリストラム・シャンディ (研究社小英文叢書 (264))
エル・シードの歌 (岩波文庫)
ル・シッド
エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD]
アレキサンダー【Blu-ray】

もう四十路に程近くなって還暦に向けての自分の人生の再構築をしてたその時
20歳からの20年間の義務を果たすための人生とは訣別して
余生はただひたすら幸せに、幸せのために生きたい、と思ってた

自分の幸せの在り処・・・それはかつて本の中にあり
読んでから反芻しながら散歩するのが至福だった・・・ホゥ(*-∀-)

もちろんそれだけの悠長な生活を送れる身分ではナイので働かねばならナイが
仕事と家事以外の時間は全て自分のためだけに使おうォゥ( -∀-)/

ところがふとしたきっかけで『ドン・キホーテ』を読み始めてしまい
読み進むほどに考えが変わって行った

なんせ主人公のドン・キホーテは中年もほど過ぎた冴えナイオッサンだが
自分と同じように本から与えられた夢の世界を愉しんでたのだ
それも現実に夢を再現して思いっきり愉しんでるのだった。(゚д゚lll)ギャボ

本の中、過去と未来、現実と夢、昨夜の酔いと今のまどろみ・・・
時空を超えて、交錯して、巡り会い別れ、でも繋がったまま・・・

ドン・キホーテはいつでもどこでも我武者羅に愉しんで
それを皆が見て笑う、嘲笑も気にならナイ、だって愉しんでるから♪

他人をおもしろがらせようとしても道化にはなれナイが
己の信じるままに大真面目に生きてると他人からは道化に見えるのだ
そう見えたら大いに笑ってくれたまえ

サンチョ・パンサはいつも酷い目に遭う予感がして
ドン・キホーテに忠告しながらも予想通りの災難を愉しんでる
信頼しきって迷惑かけまくるドン・キホーテを心配するのも愉しそうだ

人間ってやっぱり内に篭ったらつまらナイな・・・
まだまだバカやれる内に迷惑かけまくって笑われておこう!
見栄を張るのはあの世に行ってからで゚+.(・∀・)゚+.゚イイや!!

将来飼う犬の名前を1匹はブケファラスと決めてたが
もう1匹はロシナンテにしようかな(*^^*)

そう、ロシナンテだ
このドン・キホーテの愛馬の名が何て意味でどうやって名付けられたか
それが知りたくて再読したのだ

折りしもロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』を読み始めて
まだ第1巻の第10章めだったが
そこに産婆を救った牧師が乗ってた馬(またなぜそんな馬に乗ってるのか)の話があり
その中でその馬に例えられてるのがロシナンテだった

『ドン・キホーテ』の第一篇第一章には次のようにある

『さきの痩せ馬(ロシナンテ)』と呼ぼうと思いついたが、これは彼の見るところでは、気高く、口調もよく、しかも現在の身分になる前に駄馬(ロシン)だった身の上を現わしたばかりか世のあらゆる駄馬の中でまず筆頭だということをこよなく現わした名前だった。

ドン・キホーテがドン・キホーテと名乗るコトにする一週間前に
馬の名がロシナンテと決まったのだが
馬に名付けるのには4日悩んで自らの呼称には1週間「も」悩んだってワケだヽ(゚∀。)ノ

アレクサンドロス大帝のブケフェルスも、エル・シードのバビエカもてんで足もとにもよりつけないと思われた。

とドン・キホーテの眼には映ってたらしい。(゚д゚lll)ギャボ

ブケフェルス・・・スペイン語だとそうなのかな、ブケファラス、ブーケファラス、ブケパロス・・・そんな読み
オリバー・ストーンの『アレキサンダー』では理想的なブケファラスだったな(*^^*)

バビエカは『エル・シードの歌』に出てくる英雄的騎士エル・シードの愛馬・・・らしい
とゆーのも原著の『エル・シードの歌』が未読だからだが
同じ題材を扱ったコルネイユの戯曲『ル・シッド』なら持ってるし
チャールトン・ヘストン主演の映画『エル・シド』もソフィア・ローレンのために買った
しかしバビエカの名には覚えがナイのである。(´д`;)ギャボ

このコトでヲタを自認してた自分はセルバンテスに惨敗した悔しさに
『ドン・キホーテ』を一気読みするに至ったのだった・・・ヽ(゚∀。)ノ

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』は
5年前に1度読み始めて第1章で挫折したが
つまらなくて放棄したのではなく
余りにも興味深い語が頻出しまくるので
寄り道読書をし過ぎてなかなか次へ読み進めナイままに
結局は途中で迷子になってしまった(-_-;)

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)

それに自分が持ってる版は筑摩世界文学大系で
箱入りのハードカバーで大きくて重いので
落ち着いてじっくり読む分には構わナイが持ち歩くのは無理っつ!
(余談だが、中身は3段組で字が小さくてびっしりなので
活字に抵抗があるような人は開いた途端に読む気を失うだろうて・・・)

そんなワケで老後の愉しみにとっておこうかと思ってたのに
電子書籍版を発見して、うっかり購入して再読し始めた

☆・・・☆・・・☆

とりあえず前回の迷子の原因は究明できたので
今回は迷子にならナイレベルで寄り道読書を堪能しようとした矢先
またしてもふりだしに戻ってしまったのは
タイトル、てか、トリストラムなる名前についての疑問が
再燃してしまったのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

トリストラム=トリスタン、なのは
アーサー王の円卓の騎士に同じだろうが
この名前の綴り(発音)が時代と言語でどう分かれてるのか?
手持ちの本から表を年代順に起こしてみた

著者・監督タイトルトリスタンイゾルデ
ジョゼフ・ベディエトリスタン・イズー物語トリスタンイズー
トマス・ブルフィンチ中世騎士物語トリストラムイゾーデ
リヒャルト・ワーグナートリスタンとイゾルデトリスタンイゾルデ
ローズマリー・サトクリフトリスタンとイズートリスタンイズー
ダイアン・ウォークスタイン七つの愛の物語トリスタンイゾルデ
ケビン・レイノルズトリスタンとイゾルデトリスタンイゾルデ

言語的にはベディエがフランス語、ワーグナーがドイツ語で
他は英語圏なのだがこの英語圏にバラつきがあり
なぜこんな事態になるのかが引っかかってる部分だが
まず三省堂英和辞典を引いてみると

Tristramは男性名; 【アーサー王伝説】トリストラム, トリスタン(恋人はIseult [Isolde];別称Tristan).

仏語でTristan et Iseut、独語でTristan und Isoldeなので
もしかすると英語圏では元々はTristanてのはなく
英語名はTristramだったのだろうか?
そうだとするとスターンは18世紀のイギリス人だから納得だ

ワーグナー トリスタンとイゾルデ (オペラ対訳ライブラリー)

英語圏でもTristanが元のTristramと併用されるようになったのは
恐らく19世紀後半にワーグナーのオペラが大成功を収めたからだろうが
このオペラの初演が1865年なのでそれ以降と考えられ
19世紀のアメリカ人ブルフィンチがTristramとしてるのも
1867年に他界してるので辻褄が合う

トリスタン・イズー物語 (岩波文庫)

またワーグナーが作曲の構想の際に基にしたのは
ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの叙事詩だとされてて
これは独語→独語なのでそのままなのだが
サトクリフはIseutが仏語なのからしてベディエに基づいてるのだろう

トリスタンとイズー

それにしてもサトクリフ版のこの表紙は
繊細な筆致でなんと美しいコトか・・・ホゥ(*-∀-)
山田章博て方が描いておられるのだが
それに比して(比べるのも何だが)洋書のイマイチ感たるや。(゚д゚lll)ギャボ

Tristan and IseultTristan and Iseult (Sunburst Book)Tristan and Iseult (New Windmills)

『七つの愛の物語』も表紙、てか、装丁が華麗だが
このビアズリー風タッチのイラストは杉本真文なる方が手掛けてて
中身も挿絵が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ雰囲気を醸し出してるるる~

七つの愛の物語―「イシスとオシリス」から「トリスタンとイゾルデ」まで

☆・・・☆・・・☆

『トリストラム・シャンディ』の第1巻 第19章には
このトリストラムなる名について本文中にこう説明されてる

ラテンのトリスティスから出て「悲しみの、悲しめる」の意を持つ

そう言えばブルフィンチの『中世騎士物語』では
第12章「トリストラムとイゾーデ」に似たようなくだりがあった

その子供は生れた時の憂愁にとざされた事情からトリストラムと名を呼ばれた。

トリストラムには*(訳注マーク)が付いてるので訳注を見てみると

トリストラムはトリストレムとも、トリスタンとも、トリスタムとも呼ばれる。

これではなぜそう呼ばれるのかは不明瞭だが
サトクリフの『トリスタンとイズー』でも以下のようにある

彼は子供に、悲しみを意味するトリスタンの名を与えた。

独語辞書によればtristは形容詞で
「悲しい」「悲惨な」「哀れな」「陰鬱な」「荒涼とした」とあった
仏語辞書でもtristeは形容詞で
「悲しい」「いやな」「つらい」「貧弱な」とあった
英語辞書も調べたが近い単語は見つからず
どうやら英語にだけ語源的な単語が欠落してるらすぃ(゚ ゚;)

☆・・・☆・・・☆

ところで自分が知らナイだけかもだが
『トリスタンとイゾルデ』の映画ってっこれだけなのだろうか。(´д`;)ギャボ

トリスタンとイゾルデ [DVD]

アーサー王と円卓の騎士に出てるのは別として
今世紀まで映画化されてなかったとは意外な事実ヽ(゚∀。)ノ

2006年にまとめて購入した筑摩文学大系の中に
ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』と
ディドロの『運命論者ジャックとその主人』があり
2007年の終わり頃に先に『運命論者ジャックとその主人』を読んで
続けて『トリストラム・シャンディ』を読んでたのだが
これが1ヶ月かかっても第1章を読んでたくらい
超スローペースだったヽ(゚∀。)ノ

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)

それとゆーのも本文中に気にかかる単語が頻出するので
その度に寄り道読書をする羽目になったのだ

寄り道読書とは1冊の本を最初から最後まで読むのに
本文から注へとページを行き来するのだが
注では飽き足らずに他の本で確認したり
そうして開いた本に更に別の本で確認したい事項があり・・・
などしてて、本の山が出来てしまうばかりで
当初、読もうとした1冊がなかなか読み進まナイ読書形態だw

自分はこの寄り道読書こそが本を読む愉しみだと思ってるので
読了までに20冊くらいは参照するのが常だ

『運命論者ジャックとその主人』もそれで
ルソー、ヴォルテール、プラトン、アリストテレス・・・etc.
など、読み返しながら読み進んでったのだが
それ以上に、既にストーリー自体が寄り道しまくりで
脱線に次ぐ脱線で本筋がなかなか展開せず。(゚д゚lll)ギャボ

運命論者ジャックとその主人

でもそこが愉快痛快に感じられた自分は
『運命論者ジャックとその主人』の風変わりな構想が
『トリストラム・シャンディ』に影響されたのだと知って
これを続けて読まずにいられなくなった(*^^*)
ディドロは英語に堪能なので『トリストラム・シャンディ』を読んで
そのパロディ版(?)をフランス語で書いたのだろう

ところが『トリストラム・シャンディ』は
予想を遥かに上回る寄り道読書っぷりを発揮させたので
のろのろながらもようやく第1章を読み終えた時に
まだ本文に入る前にある引用について謎が解けずにいて
寄り道と思ってたらすっかり迷子になってたのだ。(´д`;)ギャボ

そもそもがその引用とはエピクテトスなのだが
自分はエピクテトスを読み込んでたつもりでいたのに
これが全く意味不明だった・・・バタリ ゙〓■●゙

行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ。

しかもどこに書いてあったのか、まるで覚えがなく
改めて中公バックス世界の名著のエピクテトスの巻を読み返すも
この部分がどうしても見つからナイ
筑摩世界文学大系のギリシア思想家集の方は訳者も違うので
もしやと思ってこちらも一通り読むが見つからず

でもここへきて見落としてたコトが明らかになった
筑摩の方はページ数も少ナイので抄訳だとすぐ気付いたが
中公の方も抄訳だったのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

この引用部分がちょうど抜け落ちてるのかΣ(゚д゚lll)ガーン

自分が持ってる以外のエピクテトスの本に
岩波文庫の『人生談義』があったが
その時点ではこれが完訳版だとは知らなかったし
重版未定でアマゾンでは上下巻共に¥3,000以上もしたので
そこまでして買う気は起こらなかった

当然ながらググってもみたが
エピクテトスの何の何章からの引用かはどこにもなくて
謎のままに終了・・・

人生談義〈上〉 (岩波文庫)人生談義〈下〉 (岩波文庫)

それから5年後(2013年)の岩波文庫の春の復刊に
『人生談義』があったので即購入すると
完訳版だったのでこれで謎が解明できると確信して
最初から最後まで一気に読んだ・・・が、該当箇所が見つからず
またしても謎のままに終了・・・

☆・・・☆・・・☆

電子書籍を読むようになって
重宝してるのがSONY ReaderのEvernoteとの連携機能だ

テキストの一部を選択してEvernoteへ送信すると
新規ノートが作成されて保存されるので
この引用ノートを後から編集すれば
自分なりの注釈書がEvernote内にできるのだが
これが寄り道読書には最高のツールで
『トリストラム・シャンディ』を読むのなら
SONY Reader Storeで購入するに限る、てワケで購入

但し、読み始めるにはやはり前回から謎の部分が気になるが
これがエピクテトスの『人生談義』の下巻『提要』の5にあった!

人々を不安にするものは事柄ではなくして、事柄に関する考えである。

これを探し当てた紆余曲折の過程はこちら→『トリストラム・シャンディ』の巻頭の引用

さ、安心して読み始めようっと♪

今現在、どうやらソチ・オリンピック開催中らすぃ

自分は現代のオリンピックには余り関心がナイとゆーか
スポーツとしてはサッカーとテニス以外に全く興味がナイので
オリンピックは基本的に観ナイ主義だが
寒いのが大嫌いで雪を見てると憂鬱になるので
例えテレビ画面においてでも冬季五輪はまず観たいと思わなくて
母親がフィギュアスケートを観てるとチラ見するレベル

そんな自分がうっかり開会式まで観てしまったのは
2004年にギリシアの首都アテネでオリンピックが開催された時で
古代ギリシア的な風情を期待してたのだろう

それでもアテネ五輪の開会式がどんなだったかまるで記憶にナイが
今年の開会式は観てなくても印象深かった
なんせ五輪の輪っかの1つが輪にならなかったのだからしてヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

そんな記憶に薄いアテネ五輪の真っ最中に
本屋の店頭でこんな帯タタキの本が目に留まったコトは
今でも鮮烈に覚えてるるる~

オリンピックもトロイの木馬もすべてはここから始まった!

同年、オリンピックより一足お先に映画『トロイ』が公開され
これがブラピ効果か、予想以上に日本でもヒット(※)してたのだ
自分はトロイ戦争ヲタとしてDVDを購入予定だったので
わざわざ混んでる映画館にまでは足を運ばずにいたのだがw
2004年の配給収入がなんとドラえもん超え(ポケモンには及ばず)!

トロイ 特別版 〈2枚組〉 [DVD]

いかにも、流行にだけは敏感で無教養な日本人に対して
盛り上がってる間に売り切るつもりのキャッチコピーってカンジで
胸糞悪くなりながらも手に取ってみれば
タイトルは『完訳 ギリシア・ローマ神話』で
著者はトマス・ブルフィンチだった。(゚д゚lll)ギャボ

トマス・ブルフィンチと言えば『中世騎士物語』が愛読書だったが
ギリシア・ローマ神話にも造詣が深かったとは知らなんだ!
しかも訳者が大久保博とな!!

☆・・・☆・・・☆

完訳 ギリシア・ローマ神話〈上〉 (角川文庫)完訳 ギリシア・ローマ神話〈下〉 (角川文庫)

あれ?!
自分が持ってるのは上・下巻とも表紙がアングルだったが
いつからこんな安っぽい表紙になったのだろうか?
ブルフィンチ(大久保博訳)の格調高い文体にこのイラストは
余りにも不似合いで萎えるのだが。(´д`;)ギャボ

【上巻】
  • はしがき
【第1章】
はじめに
【第2章】
プロメーテウスとパンドーラー
【第3章】
アポローンとダプネー、ピューラモスとティスベー、ケパロスとプロクリス
【第4章】
ヘーラーとその恋仇のイーオーとカリストー、アルテミスとアクタイオーン、レートーと農夫たち
【第5章】
パエトーン
【第6章】
ミダース、バウキスとピレーモーン
【第7章】
ペルセポネー、グラウコスとスキュラ
【第8章】
ピュグマリオーン、ドリュオペー、アプロディーテーとアドニス、アポローンとヒュアキントス
【第9章】
ケーユクスとアルキュオネー、かわせみの話
【第10章】
ウェルトゥムヌスとポーモーナ
【第11章】
エロースとプシューケー
【第12章】
カドモス、ミュルミドーン
【第13章】
ニーソスとスキュラ、エーコーとナルキッソス、クリュティエー、ヘーローとレアンドロス
【第14章】
アテーナー、ニオベー
【第15章】
グライアイ、白髪の処女たち、ペルセウス、メドゥーサ、アトラース、アンドロメダー
【第16章】
怪物――ギガンテス、スピンクス、ペーガソスとキマイラ、ケンタウロス、ピュグマイオイ、グリュプス
【第17章】
黄金の羊の毛皮、メーデイア
【第18章】
メレアグロスとアタランテー
【第19章】
ヘーラクレース、ヘーベーとガニュメーデース
【第20章】
テーセウス、ダイダロス、カストールとポリュデウケース
【第21章】
ディオニューソス、アリアドネ
【第22章】
田園の神々――エリュシクトーン、ロイコス 水の神々――カメーナイ、風
【第23章】
アケローオスとヘーラクレース、アドメートスとアルケースティス、アンティゴネー、ペーネロペー
【第24章】
オルペウスとエウリュディケー、アリスタイオス、アムピーオーン、リノス、タミュリス、マルシュアース、メラムプース、ムーサイオス
【第25章】
アリーオーン、イービュコス、シモーニデース、サッポー
【第26章】
エンデュミオーン、オーリーオーン、エーオースとティートーノス、アーキスとガラテイア
  • 読書案内[上]
【下巻】
【第27章】
トロイア戦争
【第28章】
トロイアの陥落、ギリシア軍の帰還、オレステースとエーレクトラー
【第29章】
オデュッセウスの冒険――ロートパゴス、キュクロープス、キルケー、セイレーン、スキュラとカリュブディス、カリュプソー
【第30章】
パイアーケス人、求婚者たちの最後
【第31章】
アイネイアースの冒険――ハルピュイアたち、ディードー、パリヌーロス
【第32章】
下界――シビュレー
【第33章】
カミラ、エウアンドロス、ニーソスとエウリュアロス、メーゼンティウス、トゥルヌス
【第34章】
ピュータゴラース、エジプトの神々、神託所
【第35章】
神話の起源、神々の彫像、神話の詩人(うたいて)
【第36章】
近代の怪物たち――ポイニクス、怪蛇バシリスコス、一角獣、サラマンドラ
【第37章】
東洋の神話――ゾロアストラ ヒンドゥー教徒の神話――カースト、ブッダ、ダライ・ラマ
【第38章】
北欧の神話――ワルハラ、ワルキュリアたち
【第39章】
ソールのヨツンヘイマル訪問
【第40章】
バルデュルの死、妖精たち、ルーン文字、スカルドたち、アイスランド
【第41章】
ドゥルイたち、アイオウナ
  • 解説
  • あとがき(増補改訂版によせて)
  • 読書案内[下]
  • ことわざ集
  • 索引

上巻は古代ギリシア・ローマの神々と英雄のエピソードで
下巻(※)はトロイ戦争が時系列に物語られてて
なぜかギリシア・ローマ以外の神話も収められてるが
原題が『The Age of Fable;or,Stories of Gods and Heroes』で
訳すと『寓話の時代;もしくは、神々と英雄の物語』なので
確かに古代ギリシア・ローマ限定ではナイのだな
巻末に上・下巻合わせての索引と諺集があり、本文自体は上巻441頁/下巻290頁

目次には登場人物(神)名が概ねギリシア名で記されてるが
本文中にはこれにローマ名と英語名も併記されてて

アプロディテ→アプロディーテー(ウェヌス)(ヴィーナスのこと)

てなカンジで初心者にはわかりやすいかと思われ

白黒なれど有名な絵画や彫刻が豊富に掲載されてるのも
もちろん自分のような美術愛好家には嬉しいが
それ以上に初心者がイメージを捉えやすい

オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)オウィディウス 変身物語〈下〉 (岩波文庫)

著者のブルフィンチはヲタだったが
この本は決してそういう向きに書かれたのではなく
無教養なアメリカ人に向け教養便覧のようなモノを目指してたので
オウィディウスの『変身物語』を典拠としてる部分が多く見受けられるが
娯楽的要素の長台詞などはカットして概要のみにとどめて
その分、英文学からの引用が挿入されてるるる~

☆・・・☆・・・☆

それにしても帯タタキで煽ってるワリには
オリンピックについては僅か1ページだったりして(-_-;)

古代オリンピック (岩波新書)驚異の古代オリンピックギリシアの古代オリンピック

デーヴィッド・ハーバート・ロレンス(以降D・H・ロレンス)の
『チャタレイ夫人の恋人』を読むのは人生3度目だが
実は1度目も2度目も読了するに至っておらず
2度目なんか回数に入れて゚+.(・∀・)゚+.゚イイのかどうか?!

チャタレー夫人の恋人 (ちくま文庫)

最初に読み始めたのは四半世紀前の高校生の時で
誰の訳だったかは失念したが恐らく削除部分がある版だっただろうが
それでも不倫関係の男女の濡れ場の描写には吐き気を催し
とても続けて読み通すコトができず放置した。(´д`;)ギャボ

ベランジェという詩人がいた―フランス革命からブルボン復古王朝まで

次の機会はワリと最近になってから(2008年)で
『ベランジェという詩人がいた』を読んでたら
ポール・ルイ・クーリエの裁判記録の最後の一文に
次のようにあった

 ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』は、四十年以上前に摘発され、最高裁で有罪が確定した。現在、新潮文庫版の訳本は、今なお問題となった十数か所が削除されたままである。

21世紀の日本で猥褻が理由で削除されたままとか在り得んてw
アマゾンで検索すると1996年には新潮社の伊藤整訳も完訳版になってた
それにしてもそれまででも削除されたままって凄い不思議www
『ベランジェ~』は1994年に出てるので確かに執筆時点までは削除されたままだった

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

この時(2008年)、手元に伊藤訳の『チャタレイ夫人の恋人』があり
しかも有罪判決から2年後の1959年発行の筑摩世界文学大系【56】だったので
開いてみるとあとがきに裁判の過程の詳細があった♪
また、伊藤による解説「『チャタレイ夫人の恋人』の性描写の特筆」
一緒に収録されてるオルダス・ハクスリーによる「ロレンス論」
そしてこのシリーズの巻末に必ずある充実した作品解説と詳細な年譜
更に月報まで附いてて以下が掲載されてた

「ロレンス覚え書」南博
「ロレンスの旅行記」篠田一士
「ロレンス論」(スティーブン・)スペンダー[村上至孝訳]

これらを一通り読んでロレンスについてすっかり心得た気になって
本文は削除部分のアスタリスクを確認して終了・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

新訳 チャタレー夫人の恋人

この時点まで、1996年の伊藤整訳の完訳版が
削除前の元のままのだと思ってたのだが
息子の伊藤礼が削除版に対して補訳を行ったモノだと
今回初めて知って(てか、気付いて)
数多ある訳の中でこれを読むべし、と決心するも
結局は電子書籍版があったので飯島淳秀訳にしてしまった

チャタレイ夫人の恋人について・性の虚偽と真実 (1951年)

『チャタレイ夫人の恋人について・性の虚偽と真実』
なんて著書があるから訳も精確に違いナイ
そうして期待を込めて巻末の解説から読み始めて
本文に差し掛かる前に疑問が浮かんだ

ん?これって完訳?削除部分あり?

奥付けは2005年4月25日になってるが
調べてみたら最初に三笠書房から出たのは1955年で
伊藤整の有罪判決より前だったりして?!

遡れば1950年の小山書店から出てるロレンス選集の第1~2巻が
伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』完訳だったが
それが1951年から裁判沙汰になってて1957年に有罪になって
その後に新潮社から削除版を出してたワケで
飯島淳秀訳の初版は1955年で裁判中に出してるコトになるるる~
微妙なトコロだが裁判中では削除部分は謎だったのだから
完訳で出す準備を進めてたに違いナイが
裁判になってるのは周知の事実で
完訳だとしても表現を抑えてたかもしれナイ

色々と思い巡らせながら飯島淳秀訳の電子書籍を
伊藤整の削除部分と照合してみたらアスタリスクがあった!!

飯島訳の初版は間違いなく完訳で出てただろうが
裁判後には発禁になってか、もしくはなる前に伊藤に倣ってか
削除部分をアスタリスクにした版で出し直したのだろう

とにかく完訳ではなかったコトが判明したので気が楽になって
今回は一気に半分ほどまで読んでしまえたが
そこまでで放棄したくなるドギツイ性描写は見当たらず
もちろん、高校生の時と今とでは受け止め方に差はあるだろうが
もしかして前に読んだのは実は完訳だったのだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

初稿 チャタレー卿夫人の恋人

☆・・・☆・・・☆

ところで今回は初めてYAHOO!で電子書籍を購入してみたが
KindleにもSONYのReader StoreにもBookLive!にもhontoにもパブーにも
「チャタレー」及び「チャタレイ」で検索してみてなかったのを
ダメ元でYAHOO!で検索したらあったからだ♪
但し、買ってから気付いたのだが対応デバイスが
パソコン、スマートフォン、タブレットはOKでもアプリ未対応で
ダウンロードしてアプリから直接オフラインでは読めず
オンラインでYAHOO!ブックストアにログインして
[わたしの本棚]ページから開くコトしかできなかったヽ(゚∀。)ノ

そうして探してる間に伊藤整の『女性に関する十二章』が
SONYのReader Storeで「チャタレイ」で検索に引っかかったので購入し
試しに「チャタレー」で検索をかけたら以下も見つかった

宮本百合子『「チャタレー夫人の恋人」の起訴につよく抗議する』
『あなたの知らないロレンスとチャタレー―新潮45 eBooklet 教養編5』

後から改めて『女性に関する十二章』のタイトルで検索したら
KindleにはなかったがBookLive!にもhontoにもあった?!
つまり、SONYのReader Storeについて
検索機能が利用者にとって最適化されてる、と言えるるる~

毎年11/3の文化の日を挟んで2週間が読書週間だが
常日頃、隙を見ては本を読んでるような人間にとっては
むしろ意識しづらいイベントだったりする

それでも今年は3連休で呑みの予定もナイので
そこは引き籠って非日常的な読書をしようと思い立った

サテリコン [DVD]サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)

例えば、葡萄酒と乾酪を用意して
フェリーニの『サテリコン』を観ながら(繰り返しかけながら)
ペトロニウスの『サテュリコン』を通して読むとかね♪

とはいえ、連休前後は日常生活を全うしなければなので
その間には普段だったら読まナイような本を読もうかと・・・
もちろん読む意義のナイモノを読みはしナイワケで
過去に必要性を感じて読み始めたのに途中で放棄してしまった本
換言すれば、読む意義に到達できナイままになってる本を
改めて読み直そうとゆーワケであるるる~

D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』
ギョーム・アポリネールの『一万一千本の鞭』
『青髯ジル・ド・レー―悪魔になったジャンヌ・ダルクの盟友』

自分、近代の官能小説(伝記)が苦手なのだろうか。(´д`;)ギャボ

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

確かに、ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人(無修正版)』は
男女の性描写が吐き気を催すほどキツかったのでやめたのだがね
そしてアポリネールの『一万一千本の鞭』も『青髯ジル・ド・レー』も
凄惨な場面の連続で悪夢に魘され続けて断念したのだが
マルキ・ド・サドの著作なら読めるのはなぜだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

とりあえず再読してみるコトにして
既に電子書籍で購入してあった『一万一千本の鞭』から読み始めた

☆・・・☆・・・☆

それにしても今更『一万一千本の鞭』なのは
アポリネールの『若きドン・ジュアンの冒険』を読んで
こっちは何も問題なく最後まで読了できたからで
むしろ表現にツボな部分が多く、愉しく読み進めたし
余りにも清々しい終わり方には感動さえした

若きドン・ジュアンの手柄ばなし (河出文庫)
BookLive!の電子書籍版(グーテンベルク21)では『若きドン・ジュアンの冒険』となってた

そもそも『若きドン・ジュアンの冒険』を読むきっかけは
ジョージ・バーナード・ショーの『人と超人』で
これでドン・ジュアン(ドン・ファン)について再考したくなって
モリエールの『ドン・ジュアン』を読み返したりしてた際に
BookLive!で検索に引っかかったのだった

アポリネールの描くドン・ジュアンの人物像は
『一万一千本の鞭』から想像するだに恐ろしかったが
ググってみるとドン・ジュアン当人の物語でなく
映画化されたモノが日本でも『蒼い衝動』として公開されてた

『蒼い衝動』なら深夜映画で観た記憶があった
うろ覚えだが少年が家庭教師と初体験、みたいなカンジで
その原作だったら読めナイレベルではなくね?

ドン・ジュアン (岩波文庫)

怖いもの見たさも手伝って電子書籍を購入して読んでみたら
先述の通り、フツーに、いや、愉快に読めたし
モリエールの軽妙な『ドン・ジュアン』と比しても
ラストは断然こっちがよかった!
(尤もモリエールの時代には当局が検閲にうるさかったので
ましてや脚本ともなると上映禁止にされるのは不味いからってコトで
あの終わり方しかやりようがなかったのかもだがね)

とにかく俄然『一万一千本の鞭』の結末が知りたくなった!!

☆・・・☆・・・☆

最初から最後まで3日かけて読了した感想は
頑張って読んだ甲斐はあった・・・バタリ ゙〓■●゙

1万1千の鞭 (河出文庫)
BookLive!の電子書籍版(角川文庫)では『一万一千本の鞭』と「本」が入ってた

とにかく主人公のプリンス・モニイ・ヴィベスクが
あらん限りの在り得ナイ非道を尽くすのだが
汚なさの点では食欲も性欲も喪失するレベルに不潔極まりなく
潔癖症の人間に読ませたら憤死するコト間違いナシ(-_-;)
残虐さの方はさすがに読み飛ばさずにはいられナイシーンもあったが
ずっと許容範囲を超えた状態だと憐憫の情も尽きてくるし
想像しナイように思考を止めてしまうスイッチも入るようになり
機械的に文面を追ってやり過ごしてしまえたヽ(゚∀。)ノ

途中から日露戦争の戦場に舞台が移動すると
戦地に娼館があって、そこにいる日本人の娼婦が境遇を語るのだが
アポリネールはまるで日本の文化に造詣が深そうに
色々織り交ぜてきて、結果的にちぐはぐになってて可笑しいし
日本軍の捕虜となったプリンス・モニイ・ヴィベスクが
処刑を言い渡されて惨殺されるラスト・シーンは
こう言っちゃあ何だがやはり清々しかった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

一切の虚飾を剥ぎ取って、恥辱の限りを与え
息の根を止めるに飽き足らず、血肉まで削ぎ落として

さあ、この骨も露わな肉塊が人間の正体だ!
どうだ、皆いずれこうなる!!

う~む、実に清々しいヽ(´▽`)/
タイトルの謎も解けて読後は爽やかな気分にさえなったが
誤解のナイように付け加えれば、決して人間の尊厳を蔑にしてるワケではナイ
断じて・・・(-人-;)

現エリザベス女王はエリザベス2世なのだと
最近になって知った、とゆーか再認識したのだが
エリザベス1世となると1558年に25歳の若さで即位して
一生を独身で通したテューダー朝最後の女王だ

生涯に6人の妻を持ったヘンリー8世を父に持ち
母はその2番目の妻アン・ブーリンだ
映画『ブーリン家の姉妹』ではナタリー・ポートマンによって
美しさゆえに勝気なアン・ブーリンが描かれているが
実像は冴えナイからこそ女子力に磨きをかけたぽい

ブーリン家の姉妹 [Blu-ray]

ヘンリー8世の妻になるまでの策士ぶりとか
前妻を陥れてからのその娘にまで及ぶ悪辣な仕打ちとか
その美貌によってちやほやされるのが当たり前の
ヨユーがある女には在り得ナイ陰湿さなのでそう思うのだがw

このアン・ブーリンの陰謀で
前妻との離婚を(より正確には離婚ではなく婚姻の無効を)
ゴリ押ししたヘンリー8世は
ローマ・カトリック教会と真っ向から対立した。(゚д゚lll)ギャボ

(仮)ザ・チューダーズ ヘンリー8世/背徳の王冠 DVD-BOX1

それとゆーのも聖トマス・アクィナスが認めてませんでしたから!(※)
ああ、しかしトマス様、なんたるコトでしょう!!
ルター批判によってカトリック信仰の擁護者の称号を授かった王が
遂には破門されてしまうとは・・・(←『トリストラム・シャンディ』風w)
ヘンリー8世の時代のトマスと言えばトマス・モアだが、モアも認めておらず
それが原因でモアはロンドン塔に幽閉ののち斬首刑に処された
またそうしてモアを追い詰めるに至った国教会の支持者クロムウェル卿もトマスだった

でも現代日本人からしたら一国の王の婚姻について
なんで他国の教会組織に許可をもらう必要があるのか???だし
従わなかったら破門されるってのも???だろうし
そもそも破門ってのが意味不明かと・・・。(´д`;)ギャボ

カトリック信者にとってのローマ・カトリック教会は
人間による神の代理組織の頂点、なのだ(現代においても!)

そこから破門されてしまうと秘蹟を享受できなくなり
秘蹟による赦しがなければ死後は地獄行き、と信じられてるるる~

聖地奪回のための十字軍遠征にこぞって参加したのも
そうすれば赦しを得られるとローマ・カトリック教会が説いたからだし
また参加せずとも金銭によって参加したコトにしてもらえたのも
ローマ・カトリック教会がそう示唆したからだ

これで免罪符による教会の不当な金儲けが正当化されたのを
おかしい、と感じて信仰の意義を唱えたのがルターの宗教改革で
ヘンリー8世在位中(1517年)の出来事だったが
熱心なカトリック信者でインテリだった王は(女癖は悪かったが)
ルターを批判しカトリックの秘蹟を擁護する文書を著して
当時の教皇に【信仰の擁護者】と称された

その同じ王が、たかが女性問題なんか(※)で
ローマ・カトリック教会と決別して仕舞いには破門されてるって
どんだけ女に弱いの?バカなの???
王妃はそのままにしといて影で愛人ともよろしくやるのが穏便な方法では?!

しかもそこまでして結婚したアン・ブーリンなのに
数年後には離婚してロンドン塔に幽閉した後にあっさり処刑ヽ(゚∀。)ノ
そういう両親の熾烈な愛憎劇の渦中に生まれ落ちたエリザベス1世が
決して結婚しなかったのには諸説あるが
自分としてはこのバックグラウンドだけで十分と思えるがね

このエリザベス1世の治世は1558年~1603年と44年ほども続いてて
シェイクスピアやマーロウの演劇が持て囃されてたが
要するにこの時代の文学と言えばほぼ戯曲だった

エリザベス朝演劇集〈1〉

そこからするとトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』での
以下の表現はシェイクスピアやマーロウに見受けられるのだろうか?

白雪をちりばめた紅ばらという、エリザベス朝の古めかしいたとえを、これほどしつこく、くり返し思い出させる女性の唇と歯を、いままで彼はついぞ知らなかった。彼は恋人としてだったら、それらを即座に完璧な口もとだと呼んだかもしれない。しかし、いや――それらは完璧ではなかった。一目みて完璧と見まごう画面に、一刷毛の描き残し、または不完全さが残っていてこそ、甘美な魅力は生まれるのだ、――不完全さ、それは人間性を発揮する要素だからである。

自然が望む美はシンメトリーなのだが
人間が憐憫の情を抱くのはアシンメトリーで
完璧にほど近い美の中の僅かに不完全な愛くるしさなのだ

そんなテスの唇を見つめる時
恋人のエンジェルは全神経をつらぬく薫風が吹き起こりめまいがするそうで
この薫風はギリシア語で「アウラ」(大沢衛の訳は【開花発気】)だ
なんて瑞々しい表現だろう・・・ホゥ(*-∀-)

テス  Blu-ray スペシャルエディション

ロマン・ポランスキによって映画化された『テス』では
小説で想像してたよりも幾分明るいイメージのナスターシャ・キンスキーが
ハーディの美的表現通りのテスを演じてたが
当時17歳のキンスキーはこの時ポランスキと深い仲だったそうで
だからこその出来の良さなのかもしれナイが
そこにどうにも苦々しさを感じてしまうのが残念だ

映画『テス』はポランスキの亡き妻シャロン・テイトに捧げられたが
それは彼女こそが夫に映画化を勧めてたからなのだ
チャールズ・マンソンの狂気の犠牲となる前に・・・

道徳、なんて言葉を他人に振りかざす人間ほど
不道徳の罠にかかった道徳的な女を傷つけたりするモノだ

【映画パンフ】テス ロマン・ポランスキー ナスターシャ・キンスキー

道徳的な人間とは、どういう人間なのか?
さらに適切にいえば、道徳的な女とは、いかなる女をいうのか?
ある性格の美醜は、その人の業績にばかりあるものではなく、その目的と動機にあるのだ。
性格の真の歴史は、成し遂げられたことのあいだにあるのではなくて、意図されたことのあいだにあるのだ。

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の中で1番心に沁みる部分だ

テス 上 (岩波文庫 赤 240-1)テス 下 (岩波文庫 赤 240-2)

以下、『ダーバヴィル家のテス』のあらすじと疑問点

☆・・・☆・・・☆

ヴィクトリア朝時代のイギリスの片田舎に
テスは極貧で子沢山の一家の長女として生まれたが
美しかったお蔭で金持ちのアレックに見初められて愛人になり
家族を養うコトができるようになって
大団円♪

と、思いきやテスは突然アレックの許を去る。(゚д゚lll)ギャボ

当初テスがアレックの強引さに戸惑ってたのは処女ならではの抵抗で
そういうテスをアレックはますますかわいく思っただろうし
若くてハンサムで洒落者の男に甘やかされてほだされナイ女はいナイから
テスもそろそろアレックに対して素直になる頃かな?

と、思った矢先に突然アレックの許を去ったのだ。(´д`;)ギャボ

テスの突飛な行動にアレックも呆然としただろうが
現代日本人の読者としては当のアレック以上にあっけにとられた

アレックの何が嫌なのか?単に愛人とゆー立場なのが嫌なのか?
既に純潔も失ったテスがいったいどうしてこうも頑ななのか?

そしてもっと切実な問題として
テスはこれからどうやって家族を養うつもりなのか?!

よりを戻そうとするアレックを拒み続けるテスは
家族を養うために野良仕事に明け暮れて厳しい日々に耐える
それだけならテスの姿はとても感動的で心を打たれるが
意地を張らずにアレックの許に戻りゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに、と思うと
どうにもバカバカしくなってくるるる~・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そうして重労働に身をやつすテスはエンジェルと出会った

エンジェルが美しいテスを見初めるのはわかる
しかしテスがなぜエンジェルを好きになるのかはまるでわからん
無粋で意固地で自分勝手で夢見がちで処女崇拝で男尊女卑の冴えナイ男だw
テスの不運は男の趣味が悪かったコトとそれを貫き通した我の強さかヽ(゚∀。)ノ

学生時代に初めて読んだ時からずっと疑問だったのは
テスがなぜ非の打ちドコロのナイアレックの愛人の座から逃げ回り
一方で覚束ナイエンジェルと結婚しようと必死だったのか?

今になってやっとわかったがテスの思考や行動の全ては
恋愛感情でも損得勘定でもなく信仰心から発したモノだったのだ

当のテスは信仰心だけを貫きたかったが
アレックはまるで悪魔のように誘惑して虜にした
甘い夢を見せられて幸せのぬかるみにはまってしまったテスが
それに気づいた時にもれなく捨てるべきだったのは
アレックではなくて信仰心だったのでは?・・・まあ捨てられナイだろうがな

そうして罪の子を産み、更にその子を亡くし
これまた信仰心ゆえに無駄に自身を呪わしく感じてしまう
だからエンジェルに対してもどうしても恋心より罪悪感が先に立ち
その罪の重さに耐えかね、ついには告白してしまう

これはエンジェルに関しても言える
典型的な庶民=純粋なキリスト教の信徒、なのだからして
恋愛感情よりも性欲よりも信仰心が勝ってるるる~

テスが非処女であると知った途端に拒んだエンジェルを
以前は単に恋人の裏切りに対する拒絶としか捉えてなかったので
なんて器の小さい男だ、と軽蔑してた
でも実はテスが告白したのは恋人への裏切りなんかではなく
私生児を産む、とゆーキリスト教では赦されざる罪を犯してた事実で
エンジェルにしてみれば地獄へ落ちるのが確定してる女に見えただろうから
そりゃあ逃げ出したくもなるってものだ

だからそうして一旦は逃げ出したはずのエンジェルが
ましてや牧師の息子であったのにテスの元へ戻ったのは(遅過ぎたけど)
これこそが恋愛も性欲も信仰も超えた愛だったのではナイだろうか?

いつでも女の子の味方でありたいとは思うのだが
暗く鬱陶しい悲劇のヒロインは応援のし甲斐もなくて
そんな女が主人公の物語はつまらなかった

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』のテスのように
最愛の相手との結ばれナイ運命に打ちひしがれて憂いてる女とか無理っつ!

トマス・ハーディ全集 12 ダーバヴィル家のテス

テスは男を見る目がナイばっかりに゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男を蹴って
激情の迸るままにバカな男に愛を捧げて・・・
いや、総てを曝け出して赦しを乞うたのに捨て置かれるるる~

テスはアレックの愛人になれば若死にする必要ナイのに・・・
しかも犬死に・・・バタリ ゙〓■●゙

まあ最愛の相手と結ばれて長生きしても
そいつにこそ不幸な目に遭わされ続けるとなると
若死にとどちらが得なのか、微妙だがw

同じくハーディの『遥か群衆を離れて』のバスシェバと
『ダーバヴィル家のテス』のテスは
その美貌や高潔さなどがよく似たタイプの女だ

しかしテスの一家は困窮してたのでテスが養うしかなかったが
かたやバスシェバは遺産を受け継いで牧場主となった

テスは生活のために自らを恥辱に晒さねばならず
またそれがために愛する男に拒絶され
一方バスシェバは条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男のプロポーズも拒み
初めて恋した相手を悠々と夫に迎えるのであるるる~

但し、バスシェバに限らず世間ではよくあるコトだが
夫は博打好きで酒に溺れるタイプで妻以外の女にのめり込みやすく
更に放浪癖があった・・・
呑む、打つ、買うも男の甲斐性だったらまだしも
バスシェバに依存してるのだからタチが悪い(-_-;)

とはいえ、稀にそういう悪癖を持ち合わせてナイ男もいるが
テスの愛したエンジェルのように無駄な生真面目で
女を攻撃して傷つけるのは尚更タチが悪いし
ましてや新婚初夜を迎える寸前に妻を拒絶するような男は
手を焼かせ続けるダメンズの夫にも劣るヽ(゚∀。)ノ

換言すれば、テスは結婚生活での苦労はなかったとも言えるし
愛人生活でも男が溺れてるのがテスなのだから
生活する上での苦労はなかったはずだ
愛人である、とゆー不満以外には・・・

実際、テスのような貧農の娘が生きてく術は
同じ貧農の男に嫁ぐか金持ちの愛人になるしかナイのは
わかりきってる事実なのだから
どうしても嫁ぎたい貧農の男がいなければ
別に金持ちの愛人になったって゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃナイか?
しかも相手の男は愛する対象としても全然悪くナイのだ
自分はどうもアレックに惹かれてしまう(苦笑)

[第1巻 メロドラマ] パミラ、あるいは淑徳の報い (英国十八世紀文学叢書)

もしかしてサミュエル・リチャードソンの『パミラ』のように
テスもアレックから愛人でなく本妻に望まれたら
子供じみた抵抗などせずに上手くいってたのだろうか?

でも愛人に望まれた純潔至上主義者のテスは
操を守りきれなかった自身と相手の男をひたすら呪い続けるるる~

テスがこの呪縛から解放されるためには
恋人に価値観をひっくり返されるほど愛されるしかなかったが
エンジェルはテス以上に純潔至上主義者だったため
愛する女のはずのテスも相手の男アレックも同じように呪い
穢れてる女との別れを望むのだった。(゚д゚lll)ギャボ

愛する女自身よりも女の純潔が大切で
それを失ってしまったら女には愛する価値がナイ???

そんな奇異な価値観を振りかざしてくる男よりは
酒と博打と女に溺れやすいダメンズの方が愛らしいと思えるけど(゚*゚;)

結末ではやっとテスを許せるようになったエンジェルが
テスを迎えに行くのだが時既に遅し・・・
と思いきや、エンジェルに呪いを解いてもらいたいテスは
殺人まで犯してエンジェルを追うのだった

呪いは解けたが・・・そこでテスの命運は尽き果てた。(´д`;)ギャボ

かたやバスシェバは生活に困るコトもナイので
ダメンズの夫トロイに酷い目に遭いながらも最期まで愛し続けて
むしろ愛情のストックがある間にトロイが死んでくれて
きっとほっとしただろうし、幸せだったと思う。・゚・(ノД`)・゚・。

夫が単に浮気性だと嫉妬で腸が煮えくり返るくらいで
赦せば戻ってくるのだと思えば幸せでいられるし
死んでしまえばもう浮気のしようもなくなるから一安心だヽ(´▽`)/

女は基本的には男より精神的に逞しく明朗快活だが
それは男のように実力もナイくせに無駄なプライドを持ち合わせて
そこを突付かれる度にいちいちいじけたりしナイからだし
フツーは家事だの雑事に追われて生活してるので
そんな風に自身の殻に閉じ篭ってるような暇もナイからだ

女の底力を発揮するのは不幸な目に遭ってこそで
悲恋こそが女の人生を豊かにするのだ!
それを乗り越えられれば!!

女の本能はそうと知ってて挑む、だから女なのだ(*^^*)