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昨日(5/7)はロバート・ブラウニングの誕生日だった
と、知ったのは岩波書店のTwitterだ

今日は,イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの誕生日(1812年).上田敏訳の「すべて世は事も無し」の名調子でご存じの方も多いでしょう.(後略)

対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

「すべて世は事も無し」は
上田敏の訳詩集『海潮音』の「春の朝」の最後の一行だが
その前の一行とで二行がセットでよく引用される

春の朝 ロバアト・ブラウニング

時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

春の朝の平和な光景を簡潔に表現してから神への感謝で締め括ってるので
それだけだとキリスト教信者の抹香臭さが鼻につくが
訳者の註(※)を読むと一気に面白くなるるる~
『海潮音』は青空文庫にあり、ロバアト・ブラウニングの詩と註は中程より少し後にある

かいつまんで言うなれば
ロバート・ブラウニングは善き信者なので
神にはもちろん、神の創りたもうた世界の全てに対しても
与えられたコトに感謝するだけの楽天主義者でライプニッツのノリに近いw

だから最後の一節も崇高な信仰心がなければ皮肉っぽく感じてしまう
きっとヴォルテールだったらカンディドに呟かせるだろうて

Candide of het optimisme / druk 5

そもそも神が空から世界を見下ろして「問題ナシ、おk」てのは
旧約聖書の「創世記」で第一章の最後の一節(゚ ゚;)

神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。

と、出来立ての世界に満足して締め括ったのを受け売りしてるだけのようだが
でもこれが今の自分の気持ちにぴったり
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

☆・・・☆・・・☆

ばーさんと、その似たような境遇の仲間を見て育ったから
50歳も過ぎた人間こそ人生を謳歌してるるる~
そう思えてずっと彼女らが羨ましかった

ばーさんらは若い頃は芸者で
後に妾宅を与えられて、お手当で生活してた人たちだったが
関東大震災と東京大空襲を助け合って生き抜いて
日陰の身の上でも身を立てようと様々な商売に取り組んで
最終的には皆、大なり小なりの賃貸の家主となって
家賃収入で生活してた立派な人たちだ

子供がいても私生児だったり
私生児と役所には登録してあるが他人の子だったり
様々な事情を抱えてたため
世間からは子供らも蔑まれたのだろうが
彼女らはいつも気丈に笑ってた

屈託がなく、気取ったトコロがなく
天然具合が恥知らずレベルだったりもしたが
好感度は高く、愛嬌に溢れた憎めナイキャラだった

堅気の人に蔑視されるのが我慢ならなかったせいか
子供らの躾には厳しく、想像するだけでも身の縮むお仕置きが用意してあり
それをわかってるから子供らも助け合って言いつけを遵守した

とはいえ、怠ける、だらける、サボる、楽をする、誤魔化す・・・
そういった一切の堕落が許されなかっただけなので
生まれつき勤勉・勤労の素質さえ持ってればなんてコトはなかっただろう

ところが怠惰な性分に生まれついた母親にはきつかったらしい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかもヘマをやらかさナイように気を張って
張り過ぎてうっかりヘマをやってしまったりして
またそのヘマに対して怒られたくナイからって
責任転嫁する手立てにばかり必死になってるのが裏目に出て
それがバレた日には、元はたいしたヘマでなくても大事になってて
大叱責を食らっては逆恨みするような子供だった

そんなのが毎度のコトとなると
その好くナイクセが強固に性格づけられてしまっても無理はナイ
そしてその間違った方向に働く防衛本能が
いつしか犠牲者に対しての攻撃力へと変容しても仕方がナイ

母親が何らかのヘマをする度に自分が叱責されたのはそういうワケなのだ

とは、ある程度の歳を経てからなら理解できるが
物心ついたばかりの自分には理解不可能で耐え難かった
身に覚えのナイ呵責を呪文のように唱え続ける母親が恐ろしかったし
そんな人間に根拠なく蔑まれてるのは腹立たしかった

とにかく自分に対して悪感情をむき出しにして責めてくる母親には
負けナイほどの憎悪や嫌悪を抱き続けるしかなく
ワケがわかったとしてももうとても赦せる存在ではなかったのだ

母親の方も罵るべき存在としか捉えようがなくなってたのだろうが
おもしろいコトに自分の成長に合わせて罵り方が少しづつ変化していって
ここ15年くらいは一貫して
結婚・出産・育児のどれもできナイ人間のクズ、社会のゴミ、呼ばわりで
「女として最低限の結婚・出産・育児の義務から逃れて
それらの辛さを知らずにのうのうと生きてるなんて!
何の苦労もなく、好き勝手してて、遊び歩いてばかりいて
私は日々憂鬱だってのに!!」
とゆーのが定番になってた・・・バタリ゙〓■●゙

一応、事実無根ではなく、事実を言われてるので逆らう気もなく
相槌代わりに「生きててすいませんね」とか詫びながらやり過ごしてたし
酔っ払ったふりしてかわすか、本トに泥酔してしまうか
とりあえず母親とはもうとてもシラフでは対峙できなくなってた(-_-;)

正気になると殺意しか沸かナイからp(-_-+)q

そんな母親が今年になってから肺炎で入院した時は
これで死んでくれ、頼む、帰って来ナイでくれ~と、正直、願ってしまったが
帰って来た母親は少々ボケたせいで余り噛み付いてこなくなった

退院する時には病状はすっかり回復して
唯一気がかりだったのは寝たきりになってたコトだったが
食事と排泄はスパルタで厳しく指導したので
今では1日くらいは放っておいてもダイジョブ(※)になった
1日分3食の食事を用意しておいても放っておけば好き放題にやるから、1日中煎餅を食べてるとかあるけど
それは自分さえ気にしなければ、たいした問題ではなく、週に1日くらいはそれもありだ

てか、1日暇を持て余してるせいか
「洗濯しとこうか?」とか言い出すようになったりしてウケるるる~
最初のうちはぐちゃぐちゃにされるのが嫌で遠慮してたが
別にタオルが皺だらけでも何も困らナイし
メンドウだが害のなさそうな洗濯物を選別しといて洗濯させるコトにした
引き出しを開けると雑然としててめまいがしそうになったが
慣れてくると気にはならなくなるもので
そうしてきちんとした生活を保とうって意識が薄れたせいか
母親が入院前と比べて、精神的にも体力的にも楽になった自分がいるヽ(゚∀。)ノ

実質的にも家事が今まで以上に楽になった
火事が恐いからIHにしたが、魚焼くのにひっくり返す手間も不要になったりとか♪

でも1番救われたのは
母親が素直に「美味しい」と飯を食うようになったコトだな
ダイエットだ、味が合わナイわ、とか文句がなくなった。(゚д゚lll)ギャボ

赤毛のアン DVD-BOX

ばーさんほどのヨユーはナイにしても
少しだけ行く末が明るくなった気がしてきたトコロで
ロバート・ブラウニングの一節を大嫌いな『赤毛のアン』のように
つい小声で呟いてしまうのだった。(´д`;)ギャボ

roman-catholic

中世のフランスでジャンヌ・ダルクは異端審問により「異端」と見做されたため
火焙り(Autodafé)にされ
近代のフランスでマリー・アントワネットは国民議会の革命裁判で「有罪」となり
ギロチン(Guillotine)に処された

フランス史 2 中世 下
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マリー・アントワネット (通常版) [DVD]

異端だとなぜ罪もナイのに火焙りなのか?

ローマ・カトリック教会を頂点とする組織が度々行ったこの処置に
小学生の自分は憤怒と憐憫を覚え疑問を持ったが
そこにまるで疑問を抱かナイカトリック信者の心情はもっと謎だった

しかもそれでいて同じ刑罰を
ローマ皇帝ネロが大火の犯人に行ったのは悪魔の仕業だ
などとと嘆くのも不思議だった

ジャンヌを冤罪で火焙りにしといても
死んだ(殺した)後で聖人に加えたコトで贖われてる
とか、そういう納得の仕方をしてるのだろうか?
それならネロの場合も同じようにすれば
キリスト教信者にここまで忌み嫌われなかったんだろうかw

近代国家での刑罰は罪状に対して負わされるモノだが
どちらかといえば犯罪者には甘い措置で
死刑のような極刑が下されるコトなどほとんどナイし
それが公開処刑なんてあり得ナイ!
とゆーのが現代日本人のフツーの感覚だろう

「異端」だから殺しても差し支えナイ!!
ましてや
見せしめのためには公開処刑で火焙りに!!
なんて発想にはとてもついて行けナイ。(´д`;)ギャボ

でもそれがジャンヌの時代では罷り通ってたのだし
その後ルネサンス期になっても早過ぎた天才たちは「異端」として
火で焼かれたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

つまり「異端」とは
ローマ・カトリック教会の主旨に適わぬ考えを持つ者で
同じキリスト教信者でもプロテスタントは「異端」だったのだが
それならローマ・カトリック教会とは何ぞや?

実際はローマ法王を中心としたキリスト教の一組織でしかナイが
古くは法王は神直属で神に任命されたとしてたw

このローマ・カトリック教会の長年に渡る大罪を
ヴォルテールが『カンディド』でわかりやすく揶揄したのだが
そのヴォルテールら啓蒙思想家の死後に
イギリスより大幅に遅れて近代化を歩み出したフランスで
今度は教会に替わって庶民がこの大罪を担った

無知ゆえの妄信が引き起こす集団ヒステリー状態が
庶民を無意識のうちに革命へと駆り立て
まずは犠牲者として選ばれた国王をギロチンで処分した

ルイ16世の処刑に対しては罪状が何もなかったが
言うなれば庶民による新しい【異端審問】で「異端」とされた

それに比べて王妃は近代国家的に一応「有罪」とされたのだが
罪状はたぶんでっちあげたのだろうと思われ
なんたって8歳の息子との近親相姦だヽ(゚∀。)ノ

それにしても皮肉なのは
処刑道具としてギロチンを認定した張本人こそが
ギロチンにかけられたフランス国王ルイ16世だったってコトだ・・・

ちなみに通常は「オトダフェ」ではなく「アウトダフェ」とかな書きするのだが
ヴォルテールによったのでフランス語読みの「オトダフェ」とした
所有してるヴォルテールの『カンディド』では【異端審問】が【異端糾問】と訳されてるが
これは汎用の【異端審問】の方で統一してる(訳者は丸山俊雄と新倉俊一)
またこの『カンディド』の「火刑(オト・ダ・フェ)」の註には次のようにあった

スペインやポルトガルで行われた、異端糾問所(Inquisition)の判決宣告、及び、その宣告を受けた異端の徒に対する刑(通常は火刑)の執行をいう。

これは途中まで3月11日より前に書いてたが
その後は実際にリスボンの大地震のような地震が日本を襲い
内容的に些か不謹慎かと自粛してアップせずにいた

今、世界中からの応援や支援を受けて
日本は復興への長い道のりを歩み出そうとしてるが
各々がやるべきコトを真摯に考えかつ実行するのは容易くナイ

ましてや原発事故の後遺症は延々と続くだろうし
先の見通しは決して明るくナイのだから・・・

自分は小市民らしく
愛する人たちのためにだけできる範囲の些細なコトをやる・・・ので精一杯だ
まあ震災があってもなくてもそこは同じだw

どう生きるか、は生きてる以上
意識して考えてはっきりと答えを出してなくても
無意識にその回答に従って生きてるはず

人は生きるコトに切実にならナイと・・・
要するに常に死を意識して生きてなければ無意識に生きてしまうが
それは生物として本能に適った生き方だとも言える

その無意識の中に悪意がナイのが庶民で
それこそが庶民の誇るべき長所だ

でもだからこそ庶民はいつでも悪意に満ちた権威者の犠牲になってしまうのだ

庶民はいつまで愚民でいるのか?
どうしたら権勢の都合で捏造された迷信を信じなくなるのか?

と、ヴォルテールや他の啓蒙思想家が啓発し続けたのは
フランス革命より以前のコトだったが
それから300年近く経って近代化した世界のどこの国でも
庶民は迷信を熱望さえしてる。(゚д゚lll)ギャボ

現代ではプロパガンダと呼称が変わったが。(´д`;)ギャボ

カンディード 他五篇 (岩波文庫)
ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡
ライプニッツ (Century Books―人と思想)

さて表題のリスボンの大地震だが
ヴォルテールの時代のポルトガルはリスボンに起きた震災で
大地震の後には大津波が来て大火災も発生して
死者3万人を含む10万人もが被災する大惨事に至った

この惨状を知ったヴォルテールは
すぐにその嘆きを『リスボンの災害についての詩』にして
その後小説『カンディド』では震災の様子を見てきたかのように描写した

『リスボンの災害についての詩』の日本語訳は
2009年の暮れに出た『ヴォルテールの世紀 精神の自由への軌跡』
「【2】隠棲 ジュネーヴ、交友と反目」にて初めて目にして強い衝撃を受けはしたが
ヴォルテールの思想の分岐点がリスボンの大震災に齎された
とは、その時はまだ気がついてなかった

今年になって『カンディド』を英語版で再読し
改めてその文章の簡潔さと訴えてるコトの深さに感動したが
リスボンの大地震についての章を読みながら
ヴォルテールの詩に託された嘆きが交錯した時に
やっとヴォルテールの精神の中でも大激震が襲ったのだと気付き
それを具現化したのが『カンディド』だったと理解できた

その矢先に今回の震災である

リスボンの大地震での悲劇は地震と津波とゆー天災によって齎されたが
火事は半分は人災だろうか?
それでも誰かに責任を負わせられるようなレベルではナイので天災の方に程近い

カンディドとパングロスはこれらの渦中にいて命からがらなんとか助かったのだが
人柱として刑に処される羽目に陥る悲劇に見舞われた

この惨事の後の人柱の処刑とゆー惨劇は紛れもナイ人災だ
なんたって人が人を手にかけるのである!

そもそもなぜこの善良な2人が人柱とされたのか?

それは人柱を選ぶ基準が「異教徒であるコト」だったからだ

ポルトガルはカトリックでドイツ(プロシア)はプロテスタントで
確かに宗派は違うが異教徒ではナイ
と、思ってしまうのは宗教に疎い日本人の錯覚で
両者はお互いに皆殺しを望んでたのが実状だ

パングロスがライプニッツの【予定調和】をカンディドに説いてたトコロを当局に見つかり
「パングロスはワケのわからナイ話をしててカンディドはそれを熱心に聴いてた」
と、それだけだったが異教徒であると疑われたのだ

これでパングロスは縛り首、カンディドは鞭打ちに処されたが
疑われただけでなく本物の異教徒であると確信されれば
処刑は1番長く見物できる火炙りだったろう

いずれにせよ
この人柱の処刑が地震や津波そのものを沈静化させるためなどではナイ
と、いくら迷信深い愚民だってさすがにわかってるが
被災した鬱憤を晴らすための見世物として必要なパフォーマンスだったのだ

当然ながら人柱に選ばれた庶民は
異教徒であったにせよ、罪もなければ悪意も全くナイ

そして人柱に選ばれなかった庶民も
処刑の光景を嬉々として見守ってたにせよ、やはり微塵も悪意はナイのである・・・

庶民の一人一人は間違いなく善人だろうが
群衆心理は無意識の悪意を引き出してしまうのが怖ろしい
異端審問はその最たるモノだ(-人-;)

昨年末からずっと
魚の小骨が喉に刺さってるようにカンディドの最後の台詞が頭の隅に引っかかってた

ヴォルテールの『カンディド』の英語版『Candide, or Optimism』を衝動買いしてからだ

Candide Ou L\'Optimiste

日本語版だと誰でも1日~数日で読破できる文章量で
これが英語版になってもそんなに変わらナイが
自分は英語に堪能なワケではナイので日本語版も参照しつつ
1つ1つの単語の意味を噛み締めるように読めたので
変な話だが改めて気づいたコトが多かった

カンディドは美しい屋敷で何不自由なく成長し
哲学者パングロスに影響されて超絶楽天主義者だった
ところが屋敷を追い出されてからは悲惨な目に遭い続け
また出会う人々も皆が皆、身に余る不幸だった
楽天主義に疑念を抱くカンディド・・・どう生きるべきか?
最終的に死に損なった者がカンディドの元に集まり
「(我々の)庭を耕さなくては」と農夫として生きる決意表明をするのだが
この最後の台詞が深い・・・

大規模農園を経営するとかでなく
自身で耕せる範囲の庭を自身を賄うために耕すってのは
農夫でナイとしたら
日々の糧を得られるだけの労働をして労働に見合った対価の糧を得るってコトだ

人としての幸せの在り方をなんと簡潔かつ適切に表現してるのだろう?!

大量生産がもてはやされて品質の劣化を余儀なくされ
しかもそれを詐称する生産者の横行する現代・・・
そんな時代を知らナイはずのヴォルテールがこんなにも現代社会を皮肉った名言を考え付くとは!

バイオテクノロジーの波に呑まれて
未来のアグリカルチャー・ビジネスモデルは分子生物学によって農地から工場へ!!
そんな傲岸不遜な考えを持ってたかつての自分を恥じ入り呪った・・・

知らず知らず大量生産ベースに毒されてたのだ、自分

驚異の水気耕栽培をご家庭でも! ☆ホームハイポニカ501☆
【完全無農薬】ベビーリーフ 6パック(大) 洗わず食べられる植物工場産 in 沖縄
【完全無農薬】アイスプラント 6パック(大) 洗わず食べられる植物工場産 in 沖縄

耕し得る土壌が激減してって人口爆発で食糧危機に晒された人類にとって
工場で1つの細胞から何万個も生産できる水耕栽培は
単純に有効な作物生産法ではあった

しかし水耕栽培では光の照射や保つ温度・湿度などはコンピュータ管理だし
与える肥料も自然の恵みが育んだ堆肥ではなく化学工場で精製するのだから
通常の農業には考えられナイ電力を必要とするのだ

それでも自然栽培よりコスト面からすれば全然安上がりだしリスクも少ナイ
品質も一見すれば全然よろしく
「水耕栽培」とググればステキな謳い文句ばかり!!

きれい好きな環境で育つクリーンな野菜

土を使わず、バランスのとれた養液
(肥料を溶かした水)を使って栽培された野菜

生育に必要な清潔な環境施設の中で
ハイテク技術を駆使して栽培された高品質な野菜

奇妙な不安感を抱いた(未だにその不安感は拭えていナイ)
はっきりと説明して納得させるコトはできナイがその直観に従って
農業と決別した

そのちょうど同じ頃に原発に不安を覚えるようにもなり
科学と科学技術は全く別物であり
科学は考え方であり思想やある意味信仰(信奉)だが
科学技術はタチの悪い宗教のように思えてきた

実際に技術者はプロではあっても万能ではナイワケで
そこを勘違いして依存する風潮は宗教と似てる

今となっては皮肉なコトに
原子力発電の恩恵で工場で生産された水耕栽培野菜が
確かに最も安全・安心な野菜だ・・・

「(我々の)庭を耕さなくては」

不毛の地を目前にしてもカンディドはそう言うだろうか?
でもパングロス先生ならそう諭すだろうw

こうなるとオプティミズム(楽天主義)はもしかして
最も庶民らしい達観なのだろうか・・・

candide

シンクロニシティ・・・そんな奇妙な巡り会わせで
2007年の暮れに初めて読むに至ったヴォルテールの小説『カンディド』
もしくは『カンディード』

その年の5月に同じくヴォルテールの『ルイ十四世の世紀』の1巻を読んだが
そのマニアックさにヴォルテールをヲタだと確信してた
しかし『カンディド』は単なるヲタドコロでなく明らかに病んでた。(゚д゚lll)ギャボ

深刻に読めばカナ~リ陰惨な物語で
精神的にどうこう言ってるヨユーなんてなくなるほど肉体的に残虐な行為に晒され続けるが
その凄惨さは自分が今まで知り得る中で群を抜いてて
あの『ソドムの市』を監督したパゾリーニでさえ『カンディド』を映画化したりはしナイだろうと思えた

まあ『ソドムの市』はグロテスク過ぎてさすがの自分も冷や汗モノだが
そこまでいかナイ『カンディド』の方が不気味度は高い!!
((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

いや『ソドムの市』は別格におぞましいのだが
観終わった後に悪夢を見た後のように平常心に戻って安心できるから問題ナイのだ
『カンディド』はカンディドとパングロス先生の極M感覚に慣らされてしまって
現実に戻っても感覚が狂ったままなのだよヽ(゚∀。)ノ

カンディドって名の本来の意味は

無邪気、天真爛漫などを意味する形容詞。名詞として用いられると、あまりに楽天的な傾向の強い人間を表わす。

と訳注にあったがこれが度を越すと不気味な極Mになるるる~

【不気味】っておどろおどろしいモノの形容だけでなく
ひたすら無駄に明るい形容にも使えてしまうのだが
ヴォルテールがライプニッツに感じたのってそういう【不気味】感なのか?

ライプニッツの著書『形而上学叙説』
かつての商業誌なのがとても不思議だった商業誌「ALLAN(亜蘭)」を
うっかり思い起こしてしまう・・・なんて自分もどうかしてるが。(´д`;)ギャボ

ところがあれこれググってる内に宮本亜門が演出してたと知った
それも何度もやってるるる~・・・バタリ ゙〓■●゙
タイトルが『キャンディード』なので今まで気づかなかった
どんなだったのか観たかった、またやらナイかな~p(-_-+)q

宮本亜門は銀座の生まれらしいってくらいしか知らナイが
まず江戸っ子のテイストがあるなら、ヴォルテールの真意をわかって表現してそうだが・・・
LINK:『キャンディード』

でもなんだか全然違う話になってるるる~

キャンディードの恋人・クネゴンデが何者かによって連れ去られ、取り返そうと旅に出た。リスボン大地震に遭い、スペインの宗教裁判では死刑の判決を受ける。さらに、エル・ドラドの伝説の黄金をさがすためにカカンボとともに南米へ出かけて苦難を味わう。

まずカンディドは旅に出たのではナイ
お屋敷のお嬢様キュネゴンドと接吻してるのが見つかって
キュネゴンドの父親に散々尻を蹴られた挙句に追い出されたのだ
それにエル・ドラドにましてや黄金を探しに行ってはいナイ
たまたま辿り着いただけだ・・・

そうなのだ
当人の意志に関係なく偶発的な悲劇に見舞われ続ける人々がどう生きるべきか?
とゆーのがテーマなのだから
いつもあるのは明確な目的ではなく
とりあえずどうした方がマシか、くらいの選択なのだ

カンディドが主人公なのもそこに意味がある
無欲で純真な楽天主義者だから
恋人や黄金を求めたりせずパングロスの教え【予定調和】が信じられるのだ

【予定調和】は結果には必ず原因がある、とゆーコトを前提に
「万事総てが最終的には上手くいくように世界は成り立ってる」としてて
例えば災難と思われる事態もその不幸(原因)があってこそ大団円(結果)が齎されるのだから
不幸とはいえ必ず大団円の一端を担ってるはずでそうして決して無駄な悲劇は存在しナイ♪
そんな風に不幸を味わってる人間が憤慨するコト必至の脳天気過ぎる考え方なのだヽ(゚∀。)ノ

なので【予定調和】からしたら恋人や黄金は最終的には自分に見合った分だけ享受できるはずで
そういうモノに執着して獲得しようとするのは間違った行為であり
これを行ってしまうともうカンディドではナイと思われ

純粋無垢で素直過ぎる【不気味】さがカンディドの魅力だp(-_-+)q

換言すればこの物語には
どんな楽天主義者でも自身が悲惨な目に遭えば
パングロスの教え【予定調和】が世の中には罷り通らナイ、と確信できるはず
そんなシニカルなメッセージが籠められてるのだ
恋人のために黄金のために先走ってはまるきりフツーの青年ではナイかw
てか、この物語の意味がナイってば(゚*゚;)

candide

NHKの朝の連ドラ(『ゲゲゲの女房』除くw)のイメージは
主人公の女が虐げられながら成長して想う相手とやっと結ばれたら
戦争が始まってダンナが戦死して
悲しみにくれてると実は生きてたが記憶を失ってたとして帰ってくる・・・
悪く言えばご都合主義の極みだ

ヴォルテールの『カンディド』も基本的にこれで
主人公のカンディドの目前で次々と登場人物が死んでいき
少し後の章ではその死んだはずの相手と
NHKの朝の連ドラよりも劇的(?)な再会を果たすヽ(゚∀。)ノ

しかも再会の喜びを分かち合ってる最中に次の悲劇が起こり
また離れ離れになったり、もう1度(?!)死んでしまったり
それもカンディドの手にかかって死んでしまったり
そんなのの繰り返しでタチが悪い。(´д`;)ギャボ

Candide (Sub) [DVD] [Import]

いくら悲劇でも余りにも陳腐なストーリー展開だとその在り得なさにうっかり笑えてしまうが
そうして思わず笑ってしまったほどだったので
本トにあのヴォルテールの作品なのか。(゚д゚lll)ギャボ
と読み始めた当初は疑ってしまった・・・

ところが自身のコトは差し置いて
登場人物の一人(賛同者一人も含めると二人)には
ホメロスやヴェルギリウスやホラティウスはつまらナイ、などとこき下ろさせてたりして
ヴォルテールも茶目っ気が過ぎるよ(゚*゚;)

『哲学書簡』『哲学辞典』などの硬派ぽいタイトルの著書でさえ
ヴォルテールのエスプリの利いた皮肉は炸裂してたので
『カンディド』を読む前にある程度は予想してたが
もはやエスプリではなくユーモアとも言えなくギャグの域で
予想をはるかに凌ぐモノだったね

Candide: Or Optimism (Penguin Classics Deluxe Edition)
哲学書簡 哲学辞典 (中公クラシックス)
ヴォルテール回想録

尤も『カンディド』の終焉は確かに
どの文豪の大作も及ばナイほど素晴らしい!!

登場人物たちが身一つになりカンディドの元に身を寄せたが
さてこれからどうやって生きてくか?
その時のカンディドの決意表明は

(我々の)庭を、耕さなければいけない。

つまり「働かざる者、食うべからず」である意味当たり前のコトだが
これが人間にとって最も大切な格言なのだよp(-_-+)q

なぜなら人間には2種類あり
それは権力者の側にいる人間かそうでナイ非権力者かで
非権力者は庶民と言った方がわかりやすいが
人間の大部分は庶民の方に属してて
生きるために食べ、食べるために稼ぎ、稼ぐために働いてる
「働かざる者、食うべからず」なんて言われなくても
そうしなければ生きられナイのが庶民だ

そうして生活するだけで手一杯の庶民には不思議だが
なぜか何もせずとも生活できてるのは当たり前で
欲を満たすために生きてるのが権力者側の人間なのである
彼らは生きてる限り欲望を叶え続けようとするが
それに対して犠牲を払い続けるのは庶民で
これが有史以来の普遍の人間の社会構造と断言できる

近代化によって変わったのは
庶民がそういう権勢に対して平等であるコトを求め
余りにも不公平を感じた際に不服を言ってもすぐさま処刑されたりしなくなったってくらいだが
それだって近代化しきれずにいる民族には未だ罷り通らナイ
日本人には信じ難いかもしれナイがそれが実状だ

それなら権力者の側が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
と安直に考えられるのはそれこそ立派な楽天主義者だろう
権力にぶら下がって生きてる人間は常に暗殺の危険に晒されてるし
有事には【責任】をとらなくてはならなくて庶民と比べて実は自由がナイのだ

カンディドはお屋敷を出て放浪し
不幸な目に遭った人に会ったり自身も不幸に見舞われて
また不満ばかりの金持ちや不遇の王様たちにも出会い
一庶民として生きるコトを決心して、それには庭を耕さなければ(=働かなければ)
「働かざる者、食うべからず」と悟った

まあ天然で根っからの善人ときたら
とても権勢を争って生きるタイプではなく正しい決断だが
換言すれば悪事に手を染めたくなかったら庶民として生きるしかナイw

ヴォルテールもこのコトに気付いたのは
還暦を過ぎて実際に作男として働いてからだったろう

それまでのヴォルテールはといえば
パリを拠点として劇作家として成功を収めてて時代の寵児で宮廷にも出入りしてた
全く宮廷に依存してたライプニッツほどでナイにしろ
やはり楽天主義者だったと推定できる

但しヴォルテールはそうして認められてる反面
単に素行の悪さや権力者(貴族や僧侶)の反感を買うような刊行物によって
当局に目をつけられてもいて実際に投獄されたコトも何度もあるので
ライプニッツのように全くの世間知らずではなかったがね

そうか・・・Σ(゚д゚lll)ガーン
単にライプニッツの「世界は万事上手くいく」てのを皮肉ってるだけのように見せてるが
人間はどんな風に生きてもそれなりに不幸でありただ善く生きたいのならひたすら働くしかナイ
そういう諦めの境地を説いてるのか・・・(-_-;)

ライプニッツはマルチな天才だった

かのニュートンと微積分の発見についてどちらが先か優先権を争ったりしたので
数学者としての認知度が高かったが
神学、哲学、法学、科学と殆ど総てにおいて当時の専門家のレベルに至ってたのである

また自身の思想を体現するために積極的に各界の識者と書簡でやりとりしたり
ベルリンに科学アカデミーを設立したり、またプロシアの政治にも携わった

そんな社交的なライプニッツだったが
晩年は打って変わって孤独な日々を過ごし
彼の葬儀に参列したのは秘書だけだった、と知って思わず勘繰ってしまった

ライプニッツはどんだけ嫌われてたんだろうか?

数学史入門―微分積分学の成立 (ちくま学芸文庫)
数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ
ライプニッツ 普遍数学への旅 (双書・大数学者の数学)

凡人が他人に嫌われる要因はわかりやすい
たいてい【短所】や【欠点】など負の要素に限られてて
第三者からも忌み嫌う理由として尤もな気がする

しかしある程度の天才ともなれば
負の要素はもちろんだが加えて正の要素も嫌悪の要因となりやすい

その才気に対して誰もが賛嘆するとは限らナイからだ
1つの見解には必ず対立する見解が存在し反駁する相手には憎まれるワケだ
更に穿った見方をすれば賛同者だってうわべは好意的でも
実は妬んでるかもしれナイヽ(゚∀。)ノ

これがライプニッツくらい天才が過ぎると偏った見解を持たなくなるので
反対意見を述べられる者もなければ賛成のしようもなく
どちらからも支持されなくなり
結果として誰からも疎まれてしまうのだった。(゚д゚lll)ギャボ

1番顕著なのはキリスト教徒で
対立する2大宗派のカトリックとプロテスタントはお互いに皆殺しにしたいほど呪い合ってるが
唯一意見の一致があるとしたら、この2大宗派の統合の絶対的阻止だろうw

そんなコトは在り得ナイばかりか最初から誰も思いつきもしナイはずだが
人智を超えてそれを提案してしまったのが誰あろうライプニッツで
これで全キリスト教徒と敵対したも同然となった。(´д`;)ギャボ

元よりライプニッツが数学を選んだのも
【普遍数学】によって総ての学問を数学に還元して統一された世界観を構築しようとしてたからだ
換言すれば明確なコンセプトである数字を使って世界の総てを正しく表現しようとしたのだが
この計画は当然ながら未完に終わった

ところが科学アカデミーは設立されてしまった
既に科学アカデミーは他国にいくつかあり
それらを統合して頂点に君臨しようと息巻いてたのが後発のプロシア科学アカデミーで
その中心人物がライプニッツだったのだから学界で疎まれて然りだろう

真理は神が齎した唯一無二のモノであり
その真理に従って理念は統一されるべきモノだ

ライプニッツが目指してたのはそんな完璧主義もしくは理想主義の究極の形態で
なるほど【予定調和】なる超絶楽観主義思考もこの思想が根底に根付いてればこそだな

まあライプニッツとしては悪気はナイ、ドコロか
自身で最も正しく生きてる人間だ、と確信してただろう

前述したように誰からも支持されずとも
自身を人智を超えて神に近い唯一の人間だ、と自負してたに違いナイ
事実、頭脳の出来は格段にレベルが上だったのだから・・・

でも人としてはどうだったのか?

コンプレックスはまるでなかっただろうから、全く悪意を抱かナイ善い人ではあったか?
憐憫の情もなかったとしたら誤解されたか?

妻や子を持たなかったのは完璧な理想の家族を思い描いて妥協できなかったからだろうか?
世紀の天才も恋愛だけは苦手だったのか?

ヴォルテールは『カンディド』において
哲学者パングロスをしてライプニッツの楽天主義を徹底的にコケにしてて
自分も思わず吹き出してしまったがその境涯を知ったらなんだか切なくなってきたよ(;つД`)

誰よりも賢く生まれても孤独・・・
天はニ物を与えず、なのか、やっぱり(-_-;)

この支離滅裂な冒険活劇風味の悲喜劇は
マンガ化してジャンプで連載したら人気が出そう(゚ ゚;)

カンディード 他五篇 (岩波文庫)
モナドロジー・形而上学叙説 (中公クラシックス)
ライプニッツの普遍計画―バロックの天才の生涯
襞―ライプニッツとバロック

それがヴォルテールの『カンディド』を初めて読んだ時の感想だった

『北斗の拳』とか『ジョジョの奇妙な冒険』とか・・・
今だったら『NARUTO』や『ONE PIECE』とかがそうなのかな?
主人公が様々な事件に巻き込まれながらの旅路で
超個性的なキャラに次から次へと出会ってく、とゆー構成

但しジャンプの人気連載の場合は主人公の旅には目的があるのが常だが
カンディドは追い出されて必然的に旅をしてるだけなのだw

しかも『カンディド』の登場人物は一様に身に余る不幸に打ちのめされてて
だから間違いなく悲劇なのだが余りにもバカバカしく
そうして笑いながらも胸に切なく響くのがたまらなく゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

惨劇の連続なのに可笑しいのは
不遇に身をやつして死に損なってる人々がお互いに同情し合ったりはもちろん
自分自身を憐れんでる暇さえなく急展開で次の更なる惨状に突入してしまうからだヽ(゚∀。)ノ

不幸も度が過ぎるとどんなにシリアスに構えてても
いや、むしろシリアスに構えるほどに
凄惨な目に遭ってる過去も現時点の悲惨な状況もギャグにしか見えなくなってきて
不謹慎かもしれナイが思わず吹き出してしまう(゚*゚;)ププ

マラソン・ランナーのランニング・ハイとか
辛さの限界を越えてしまうと辛さが辛さでなくなってしまうのだよ

この妙なハイ状況を生み出しやすくしてるのが
カンディドが生真面目なワリに超絶楽観主義者であるコトと
更にカンディドが尊敬する学者のパングロス先生が
桁外れに脳天気で非凡なほど楽天的で
世の中(=庶民の常識)を余りにも分かってナイコトだ

パングロス先生(と熱心に拝聴するカンディド)は大真面目だが
傍目にはバカ杉で泣けるほど笑えてしまうワケだ!!

そんなパングロス先生がしつこくくどく唱える説は
ライプニッツの【予定調和】が元ネタでその詳細は著書『形而上学叙説』にあり
キリスト教に毒されてナイフツーの日本人だと
全37章の見出しを見ただけで具合が悪くなれるだろう。(゚д゚lll)ギャボ

ちなみに第1章が・・・

神の完全性について、神の行ないはすべてこのうえなく望ましいものであること

最終章の第37章が・・・

イエス・キリストは人々に、天国の神秘とすばらしい律法を神を愛する人々に神が用意する無上の幸福の大いなることを明らかにした

とまあ万事こんなカンジである。(´д`;)ギャボ

これで具合が悪くなれた自分としてはそのままもれなく読む気を失してしまったが
そんな見出しだ、と知っただけでも『カンディド』の笑いのツボを心得たも同然で
そうとは知らずに読んだ初回よりそうと知って読んだ2度目以降の方が笑えた

また今回英語版『Candide』を読む少し前に中公世界の名著のライプニッツの巻を入手して
ライプニッツ当人についての詳述を一緒に収録されてるスピノザと比較しながら読んで
その人となりが呑み込めたので、これまで以上にパングロス先生のキャラが立って
英語にも拘らず存分に笑えた次第だ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ライプニッツは一言で言えば生きてはいたが生活をしてなかった人なのだ

長らく(40年間も!)宮廷に仕えながら
ベルリン科学アカデミーを創設した人物でもあるのだが
彼の葬式には宮廷からもアカデミーからも誰一人として遣わされず(弔辞の1つも読み上げてもらえず)
とゆーか参列者は唯一人秘書だけだったらしい

しかもこの葬儀を執り行ったのは「相続人」とだけあったのだが
生涯独身だったライプニッツの身内だとしたら妹かもしくは最期まで尽力した秘書だろうか?

これが後者だとすると
喪主=参列者=1名・・・。(゚д゚lll)ギャボ

生前のライプニッツは有名無名問わず1000人余りと文通をしてたくらいだから
孤独を愛した孤高の天才ってワケでもなくむしろ社交的な方だろう

それが宮廷の後ろ盾を失ってしまった晩年には
その葬式に一人も来ナイほど誰からも相手にされなくなったとは
どんだけライプニッツは嫌われてたんだ・・・

笑いのツボに民族間で多少のズレがあるとしても
アメリカン・ジョークは笑えナイだろ、てか、イギリス含む英語圏全般がダメだ
お寒いオヤジギャグのレベルにさえ達してなくて
シェイクスピアの駄洒落の連発とかはもう気分が悪くなれるレベルだ。(゚д゚lll)ギャボ

そこへいくとバーナード・ショーの劇作は
むしろシリアスな悲劇において皮肉が利き過ぎててシニカルに笑えたりして。(´д`;)ギャボ

とりあえず英語の本は辞書を片手にでなければ読めナイので
一緒に辞書を持ち歩くのも荷物になるし
寝床や風呂場でも辞書の存在が邪魔になるし
ゆっくり読書をする時間を別に設けなければならず
そんなヨユーは持てナイ日々が続いてた・・・

また三省堂自体にもなかなか足を運べナイでいたが
それが昨年末にはなぜか洋書コーナーにまで立ち寄って
ヴォルテールの『カンディド』英語版を衝動買い!

それとゆーのも表紙がシュールなマンガになってて
この絵がやたらと愛らしくて気に入ったのだが
何気なくスラスラと読めて思わず吹き出したからだ(゚*゚;)ププ

日本語訳を何度も読んでるせいもあるが
英語とはいえ元はフランス文学で基本的にアメリカン・ジョークでなく
ペーソスたっぷりのフレンチ・ユーモアに感じられてツボにきてしまったのだろうw

『カンディド』は各章数ページからなる全30章の物語で
日本語版なら時間的にはもうあっという間に読めてしまうが
主人公のカンディドが様々な酷い目に遭いながら
また様々な酷い目に遭った人たちと出会いつつ
旅を続ける冒険物語・・・なのか?!

いや、カンディドはそもそも旅をしたくてしてるのではナイのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

男爵家に身を寄せるカンディドは令嬢のキュネゴンドと深い仲になったのだが
それを男爵に見られて追い出されたのだヽ(゚∀。)ノ

表紙のマンガの上部がこのいきさつだ

だいたいカンディドとゆー呼び名は
無邪気な男=天然、の意で江戸っ子ならきっと与太郎と呼ばれてたに違いナイ!!

カンディドはどんなに酷い目に遭ってもへこたれず
実際よく死にそうにもなってるのだが毎度マンガじみた回復力で立ち直れるのは
尊敬するパングロス先生が唱える【予定調和】を素直に信じてるからなのだ!

【予定調和】は実在したライプニッツの持論で
表紙のマンガにもあるようにパングロス先生曰く
「鼻は眼鏡をかけるためにあり、足はズボンをはくためにある」

すべては最善の状態にある

ライプニッツはニュートンと争うほどの天才だったので
世界を構成する科学的事実は解ってても
日常の真実に対して盲目で庶民の生活を全く理解してなかったのだ

フランス革命前のパリで不幸にあえぐ市民に対して
ヴォルテールは憐憫の情を禁じえなかったので
ライプニッツのこの脳天気な【予定調和】に反発して
とても最善にあるとは言い難いほど身に余る不幸に晒される人々を
痛切に皮肉って描いたのが『カンディド』なのだよ

元より英語の素養がある人なら
他人の苦労話や悲惨な経験談を英語で聴いてる時に
相槌を打ったり驚愕したり同情したり
そんな英会話力がこの本で身につくと思われ(-人-;)

それにしても笑いまくった・・・バタリ ゙〓■●゙

2007年はなぜかフランス革命づいてたw

正月早々に映画『マリー・アントワネット』を観た
画面的には砂糖菓子のようだが音楽はパンキッシュな映画で
ゴスロリ好きにはたまらナイ作り・・・

マリー・アントワネット (通常版) [DVD]

マリー・アントワネット (初回生産限定版) [DVD]

フェルゼンとの不倫のシーンで使われる曲が
アダム・アントの『Goody Two Shoes』だったのが個人的には1番嬉しかったり(*^^*)

Marie Antoinette

春先にはこの映画で使われた衣装が
なぜか明治記念館に展示されてたので観に行った



お茶をしてから新宿御苑のフランス庭園を巡り
渋谷Bunkamura Museumのティアラ展にも行ったりして
なんとも優雅な1日だった・・・ホゥ(*-∀-)

こういうのは庶民だからこその愉しみなのであるるる~

ここからフランス革命はもちろん
フランス革命前の啓蒙思想家の本も次から次へと購入して
ヴォルテールの『ルイ十四世の世紀』の第1巻もこの年の5月に購入したのだが
とにかく何かに執り憑かれたかのように買い漁り
しまいにはそのために本棚を買う羽目に・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

元よりお気に入りのラファイエット熱もぶり返すし
ユゴーの『93年』を読んでヴァンデ軍にハマったりもしたが
そこへきて更に新宿紀伊國屋書店の紀伊國屋画廊にて
2007年10月25日(木)~10月30日(火)と短い期間だったが
『フランス革命下の民衆と自由・平等(歴史資料)
―専修大学「ベルンシュタイン文庫」が語るフランス革命―』
なる展示があった

専修大学の創立130年記念事業だそうだが
なんてタイムリーに(ユゴーの『93年』読んでる時に)
まさに欲してた展示をやってくれたのだろうか。・゚・(ノД`)・゚・。

当初ベルンシュタインときて「あれ?ドイツ???」と思ったが
フルネームはミシェル・ベルンシュタイン=ロランで
フランスの古書籍商で書誌学者だ(2003年没)

展示品はこの方のコレクションで
フランス革命期に刊行、または記録された印刷史料と手稿史料で
具体的には人権宣言の公布書や『93年』に出てくるアッシニヤ紙幣
ロベス・ピエール、サン・ジュストの処刑判決書も見れたが
やはりルイ16世とアントワネットの処刑判決書にぐっとくるモノがあった(;つД`)

全く予想外にロゼッタストーンの写しもあり大興奮!!
と同時に残念で仕方がなかった!
なぜフランス語を解さナイんだ、自分・・・。(´д`;)ギャボ
まあでもほんのいくつかの単語が読めた時には
嬉しくて飛び跳ねそうになったり(*^^*)

ところでルイ16世が処刑直前に書いた家族への遺書は
結局家族の手に渡らなかった、と自分の頭にはインプットされてて
だからこそ、そのまま現存してたのだろうか?
展示されてたのは写しだったが・・・真偽は不明だ

それとは別にヴァレンヌ逃亡直後に書かれた遺書「すべてのフランス人に告ぐ」の方は
2009年にアメリカで直筆のモノが発見されたらしい

無料でこれだけのモノが見れるとは感無量(いや、別に洒落のつもりではw)だったが
その上お土産がすごかった!!

  1. 当時描かれたフランス革命史画のポストカード4点
  2. 当時描かれたフランス革命史画の解説
    (画廊前廊下に展示してあったモノの史料でプリント2枚)
  3. 革命の詳細な年表(プリント1枚)
  4. 図録(20ページフルカラーで表紙はこの記事トップの画像)
  5. 以下のクリアファイル2種


こりゃ専修大学には足向けて寝られナイわな・・・(-人-;)

と、そういうワケで2007年の終わりに近い頃は
ディドロの『運命論者ジャックとその主人』を読んでて
続けてこの元ネタとなった『トリストラム・シャンディ』に至り
読み始めて10日目くらいにまだ第1巻の第9章を読んでたが
ここで次の引用にぶち当たった

 かがやく月の女神よ、 おん身もしカンディードとキューネゴンド女史の身の上に心身を労してなお余力あるならば、――願わくばトリストラム・シャンディの身に起こることもまたおん身の庇護下に包容したまわんことを

カ、カンディドかよ。(゚д゚lll)ギャボ
なんだ、先に『カンディド』読んでおけばよかった。(´д`;)ギャボ
と、元の木阿弥のヴォルテールの『カンディド』を
『トリストラム・シャンディ』を中断して先に読むコトにw

何が元の木阿弥かって
自分を『トリストラム・シャンディ』に導いた『運命論者ジャックとその主人』と
同じ本に収まってるるる~

ちなみに元の木阿弥は、三省堂の辞書に以下のようにあった

一説に、戦国大名の筒井順昭が病死したとき、その子順慶が幼かったので、死をかくして順昭に声の似た盲人木阿弥を替え玉として病床に置いた。順慶が成長したのち、順昭の死を公にし、木阿弥はまたもとの生活にもどったという故事から