御絵(ごえ)

小学生の頃からキリスト教美術のマニアで特に天使画ヲタだった

天使の性を超越した美しさの御絵は耽美主義者には見逃せなかったが
聖母子像、イエス、聖人なども画家がここぞとばかりに聖なる美しさを表現してて
天使ほどではナイにしても目を見張る綺麗な御絵(※)をたくさん持ってた
御絵(ごえ)はイエスやマリア、大天使や聖人が描かれたカード

それらのほとんどは何かの折にシスターにもらったのだが
1枚¥5とか¥10の駄菓子価格から売ってたので
子供がお手軽に蒐集するのにはちょ~どよかった(*^^*)
ちなみに今でも四谷のドンボスコで売ってるがさすがに¥20以下は余りなさそうだw

皆がお菓子のオマケのシールやカードを集めてるのと同じように
せっせと御絵を集めてたのだったが
そんなコレクションからお気に入りを紹介

これは主役の聖母より脇役の天使の方が有名な(?)
ラファエロの『サン・シストの聖母』

聖母子像が多々ある中でもお気に入りなのが
このフェルツィ作『街角の聖母』で
取って付けたような神々しい絵柄よりこの人間らしい表情にぐっと来るね

サッソフェラートの『聖母の祈り』は祈ってるのか呪ってるのか・・・
不気味な表情なのが気に入ってたりしてヽ(゚∀。)ノ

痛々しい姿のこの人は聖セバスチャンだ
聖人とされる人にはバプテスマのヨハネ、弟子の十二使徒と
4大教父、4大聖女、守護聖人がいて聖セバスチャンは守護聖人
守護してるのは兵士や射手だってコトだが
セバスチャン自身はローマ軍に弓矢で射殺されてるるる~

ローマ皇帝ディオクレアヌスの時のローマ軍人だったのだが
キリスト教徒の友人が処刑されるのを助けたせいで
自身が処刑される破目になった
御絵にしては随分グロテスクな1枚でその肉感的な姿態が美しい
この『聖セバスチャンの殉教』はソドマ作・・・
と信じてたが実は御絵用に装飾してあったのだと最近気がついた!

本物は迫力が違う!!


この『聖フロリアン』は作者不明。(´д`;)ギャボ
消防の守護をしてるんで消防署に祀られてたりするのだが
どうして消防の守護聖人になったかは悲惨だ

フロリアンもローマ皇帝ディオクレアヌスの時
ノリクム(現オーストリア)に駐在のローマ軍人だったが
キリスト教信者迫害の任務を拒絶したために火刑を言い渡された
そしていよいよ処される時に火を点けようとしたローマ兵に

自分は炎の上の天上に這い上がる

と言い放ったので畏れた兵士たちは火刑を取り止めたが
代わりにフロリアンに大岩を縛り付けて溺死させたそうな。(゚д゚lll)ギャボ

この投げ込まれる直前の様子を描いた画像とか顛末の詳細ページがあった
LINK:The Public Safety Net

『聖チェチリア』はミュージシャンや詩人の守護をするるる~
4大殉教聖女の1人でその中でも唯一の既婚者
嫁いだ先の夫が異教徒だったので改宗させたらしい

たいていは楽器と紅白の薔薇とか天使を伴って美麗に描かれるのだが
これは右端にいる天使こそが不気味だな((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル
まあ上級天使になるほど姿は顔と翼だけとか不気味になるワケで
教義的にはWaterhouseの作の天使よりも格は上なのだがw

ところで自分は冒頭に書いたように
キリスト教美術のマニアではあったが信者ではなかった

生命―その本質,起源,発展 (1962年)
生命の起原―生命の生成と初期の発展 (1969年)

物心ついた頃には既に理性的に論考しててかつ懐疑的でもあり
地球や生命の誕生についてはオパーリンの【コアセルヴェート説】を信奉してたので
『旧約聖書』の「創世記」は神話とゆー寓話であると捉えてた

今でも『旧約聖書』は『古事記』や『ギリシア神話』などと同レベルで信じてるし
『新約聖書』はアーサー王の伝説よりは史実に近いと考えてるが
イエス・キリストの【奇蹟】にはマーリンの【魔法】と同レベルを感じてしまう

しかし魔術師が道義的理由で自然の摂理に背けるように見せかけるのは構わナイが
神の子が神(自然の摂理)に反した行動をとる意味はわからん(-_-;)

科学的=理性的な考え方の人間にとっては自然の摂理は絶対的であれば
それが神が創りたもうたモノであろうが神の手によらナイモノであろうが構わナイ
理路整然とした世界観の妨げにならなければ問題ナイからだ

少なくとも自分とアリストテレスとトマス・アクィナスにとっての真理は
信仰を超越して理解し合えるモノであるはずなので
その真理が何によるモノであるかの「何」についての定義の必要はナイ

もちろんトマス・アクィナスは便宜上、あるいは立場上
「何」を「神」であるとしてはいるが
ローマ・カトリック教会のご都合主義で創られた神に準拠してナイ
そんなトコロに真理が存在しようもナイからなw

ともかく真理の探究者にとって
現世の掟が捻じ曲げられるようなコトは起こってはならナイのだが
実際に起こりようもナイ

なぜならそれは美しくナイからだp(-_-+)q←マヂ

自然は美しいが不自然は醜いのだ、これが真理だp(-_-+)q←マヂ

だからキリスト教自体は絶対的な真理なんかでは決してナイのだが
キリスト教を真理に近づかせるのにキリスト教美術は一役買ってるだろう