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日本では今や「ドン・キホーテ」と言えば
年中無休24時間営業のディスカウントストアのコトだが
これも間違いなくセルバンテスの小説の主人公の名からとってるだろう

ドレの絵で読むドン・キホーテ

しかしなぜこんな名称にしたのか?
ググってみたらYAHOO!知恵袋に中の人が答えてるぽい
LINK:ディスカウントショップ「ドン・キホーテ」の名前の由来は?

しっかり『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』に由来してるようだが
社員の中でこの長く退屈な小説を読破した兵は果たしてどれほどいるのだろうか?
なんせ現代日本人には意味不明な要素が盛りだくさんで
それらが話の腰を折るように次から次へと割り込んでくるのだから
次のエピソードに辿り着くまで緊張感を保てナイのだ。(´д`;)ギャボ

むしろ自分はその意味不明な部分にこそ愉しみを見出すのでうってつけなのだが
それでも前・後編のうち前編の半分ほどで挫折・・・
前編の後半にある有名な風車のエピソードは一応読んだがねw

確かに面白いと思える滑稽さが漲ってるのだが
そういうドン・キホーテの道化ぶりを素直に笑えナイのだ
そもそも道化ってキャラクタにはおかしさより憐憫を感じてしまう性質で
そこが合ってナイような気がするるる~

とか、ずっと敬遠してたのだが数年前にふとしたきっかけで読み始めたら
ハマった(゚*゚;)

トリストラム・シャンディ (研究社小英文叢書 (264))
エル・シードの歌 (岩波文庫)
ル・シッド
エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD]
アレキサンダー【Blu-ray】

もう四十路に程近くなって還暦に向けての自分の人生の再構築をしてたその時
20歳からの20年間の義務を果たすための人生とは訣別して
余生はただひたすら幸せに、幸せのために生きたい、と思ってた

自分の幸せの在り処・・・それはかつて本の中にあり
読んでから反芻しながら散歩するのが至福だった・・・ホゥ(*-∀-)

もちろんそれだけの悠長な生活を送れる身分ではナイので働かねばならナイが
仕事と家事以外の時間は全て自分のためだけに使おうォゥ( -∀-)/

ところがふとしたきっかけで『ドン・キホーテ』を読み始めてしまい
読み進むほどに考えが変わって行った

なんせ主人公のドン・キホーテは中年もほど過ぎた冴えナイオッサンだが
自分と同じように本から与えられた夢の世界を愉しんでたのだ
それも現実に夢を再現して思いっきり愉しんでるのだった。(゚д゚lll)ギャボ

本の中、過去と未来、現実と夢、昨夜の酔いと今のまどろみ・・・
時空を超えて、交錯して、巡り会い別れ、でも繋がったまま・・・

ドン・キホーテはいつでもどこでも我武者羅に愉しんで
それを皆が見て笑う、嘲笑も気にならナイ、だって愉しんでるから♪

他人をおもしろがらせようとしても道化にはなれナイが
己の信じるままに大真面目に生きてると他人からは道化に見えるのだ
そう見えたら大いに笑ってくれたまえ

サンチョ・パンサはいつも酷い目に遭う予感がして
ドン・キホーテに忠告しながらも予想通りの災難を愉しんでる
信頼しきって迷惑かけまくるドン・キホーテを心配するのも愉しそうだ

人間ってやっぱり内に篭ったらつまらナイな・・・
まだまだバカやれる内に迷惑かけまくって笑われておこう!
見栄を張るのはあの世に行ってからで゚+.(・∀・)゚+.゚イイや!!

将来飼う犬の名前を1匹はブケファラスと決めてたが
もう1匹はロシナンテにしようかな(*^^*)

そう、ロシナンテだ
このドン・キホーテの愛馬の名が何て意味でどうやって名付けられたか
それが知りたくて再読したのだ

折りしもロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』を読み始めて
まだ第1巻の第10章めだったが
そこに産婆を救った牧師が乗ってた馬(またなぜそんな馬に乗ってるのか)の話があり
その中でその馬に例えられてるのがロシナンテだった

『ドン・キホーテ』の第一篇第一章には次のようにある

『さきの痩せ馬(ロシナンテ)』と呼ぼうと思いついたが、これは彼の見るところでは、気高く、口調もよく、しかも現在の身分になる前に駄馬(ロシン)だった身の上を現わしたばかりか世のあらゆる駄馬の中でまず筆頭だということをこよなく現わした名前だった。

ドン・キホーテがドン・キホーテと名乗るコトにする一週間前に
馬の名がロシナンテと決まったのだが
馬に名付けるのには4日悩んで自らの呼称には1週間「も」悩んだってワケだヽ(゚∀。)ノ

アレクサンドロス大帝のブケフェルスも、エル・シードのバビエカもてんで足もとにもよりつけないと思われた。

とドン・キホーテの眼には映ってたらしい。(゚д゚lll)ギャボ

ブケフェルス・・・スペイン語だとそうなのかな、ブケファラス、ブーケファラス、ブケパロス・・・そんな読み
オリバー・ストーンの『アレキサンダー』では理想的なブケファラスだったな(*^^*)

バビエカは『エル・シードの歌』に出てくる英雄的騎士エル・シードの愛馬・・・らしい
とゆーのも原著の『エル・シードの歌』が未読だからだが
同じ題材を扱ったコルネイユの戯曲『ル・シッド』なら持ってるし
チャールトン・ヘストン主演の映画『エル・シド』もソフィア・ローレンのために買った
しかしバビエカの名には覚えがナイのである。(´д`;)ギャボ

このコトでヲタを自認してた自分はセルバンテスに惨敗した悔しさに
『ドン・キホーテ』を一気読みするに至ったのだった・・・ヽ(゚∀。)ノ

岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、
白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社の出版社8社が
合同で「書物復権」(※)なる復刊事業に取り組んでるのを知ったのは
ジョージ・バーナード・ショーをググったのがきっかけだった
書物復権2012書物復権2013

バーナード・ショー名作集

これで復刊されたのが『バーナード・ショー名作集』
以下の代表作6篇が収録されてた

カンディダ
悪魔の弟子
人と超人
ピグマリオン
聖女ジョウン
デモクラシー万歳!

¥7,000近かったが迷うコトなく購入し
念願の『聖女ジョウン』と『ピグマリオン』を読み
併行してショーの戯曲の解説書『バーナード・ショーの劇』や
ジュール・ミシュレの『ジャンヌ・ダルク』や
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』と
梯子酒ならぬ梯子読書を大いに愉しんだ末に
奇妙なシンクロニシティに見舞われた・・・のは昨年の夏

『ピグマリオン』の第3幕に次のような一節があるのだが
この描写だけでヒギンズ夫人が趣味の良い女性であるのがわかるるる~

ヒギンズ夫人は、ウィリアム・モリスやバーン・ジョーンズの雰囲気のなかで育てられたので、ウィンポール街の息子の部屋とはちがい、家具や小さなテーブルやこまごまとした物が、雑然とおかれているようなことはない。部屋の中央には、背のない大きな長椅子が一つ。これと、じゅうたん、モリス風の壁紙、モリス風のサラサの窓かけ、長椅子にかけた錦のカバーとクッション類が、立派な装飾となっているので、つまらない物をごたごた並べたてて、その美しさをかくすことはないのである。三十年前グローヴナー・ギャラリーに陳列されていた、いい油絵が数点(ホイスラー派のものではなく、バーン・ジョーンズ派のもの)、壁にかかっている。(後略)

息子のヒギンズがヲタになったのも独身主義を貫いてるのも
きっとこの出来過ぎの母親のせいなのだろう
そんな考えを巡らせながら新宿の地下街を歩いてた際に
バーン・ジョーンズ展のポスターが目に入った

ポスターにあったペルセウスには全く興味なかったが
予感がしたのでサイトをチェックしてみると
ウィリアム・モリス商会で製品化したタペストリーが展示品目にあった!
バーン・ジョーンズに原画を描かせて刺繍させたタペストリー・・・ホゥ(*-∀-)

シンクロニシティだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

これだけでも手芸好きの自分には観に行く理由として十分だったが
連作『ピグマリオン』も一揃い(4枚)あるらしい!!

シンクロニシティしまくりだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

そもそもバーナード・ショーの『ピグマリオン』は
モリス夫妻によってインスピレーションを得て描かれたに違いナイ
とゆーのもウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリス(旧姓バーデン)は
バーン・ジョーンズとロセッティによって見出されたモデルで
ウィリアム・モリスにもモデルとして紹介したトコロ
2人が恋に落ちて婚約してしまったのだが
この婚約→結婚の間に恐らく極貧で教育を受けてなかったジェーンは
上流社会の一員としての教養を一から身につけた・・・
なんて、まるで『ピグマリオン』のイライザそのものだ!!

☆・・・☆・・・☆

会場に着いてすぐの展示室へ向かうエレベーターの前に
連作『ピグマリオン』の一部のプリントがでかでかと貼られており
この迫力に比べたら実物はしょぼいかと思いきや
そこは連作ならではの見応えだった
(唯一、女神が鳩を踏んづけてたのが気になったのは自分だけかね?)

しかしラファエル前派は一見すれば繊細な作風なのだが
ダヴィンチのような精密さには事欠いてて
背景の花などがワリと杜撰に描かれてたりするので
近寄ってじっくり愉しむよりは遠見で全体的に観るとか
現代ならネットで観るのにうってつけだと思われ

それに比してタペストリーは期待以上に素晴らしく
絹糸1本の寸分の狂いもナイのに感動した。・゚・(ノД`)・゚・。
改めて考えたらウィリアム・モリスは日本の柳宗悦みたいな人なのだな?!
美意識にお国柄がそれぞれ表れてるのでそこに違いがあるが・・・

またジェフリー・チョーサーの『チョーサー著作集』の
ウィリアム・モリス商会によるケルムスコット・プレス刊(※)があり
豪華装丁本の現物を目にするコトができたのは収穫だった♪
※LINK:ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』

おみやげには『ピグマリオン』連作のワイドプリントにブックマーク
そして『チョーサー著作集』のポストカードとノートにしたが
もしケルムスコット・プレスのグッズがなければ図録を買うつもりだった
自分は究極的には紙の書物が何にも増して好きなようだw

↑改めてじっくり見てみたら『Troilus and Criseyde』だった(゚ ゚;)
これチョーサー版は『トロイルスとクリセイデ』だけど
シェイクスピアになると『トロイラスとクレシダ』になって
逆にボッカッチョのはタイトルが『フィローストラト』でトロイオロとクリセイダ
もちろん時代順にボッカッチョ→チョーサー→シェイクスピアだ

あとの2枚は残念ながら何かわからなかった・・・うぅ(-_-;)

2012年にWOWOWでジャンヌ・ダルクの映画をやってたのだが
主役がミラ・ジョボヴィッチでもイングリッド・バーグマンでもなく
原作はジョージ・バーナード・ショーだった

ジャンヌ・ダルクは100年戦争の時代に実在してはいるようだが
天の声(※)を聴いたとか、オルレアン解放軍に女の身で参加したとか
非現実的な所業がどうにも信じ難い人物だ
結果として、オルレアンは英国軍から解放され
勝利に対するジャンヌの貢献度はともかく
異装の(男装してた)ジャンヌは異端審問で火炙りにされてて
それがなぜか500年以上も経って、近代に至ってから聖人になってて
その辺りの事情もまた胡散臭いのだが
フランス人は元よりヨーロピアンには英雄視されてたりするし
カトリック教徒は聖人の一人として受け容れてる
天の声の主は聖人で、オルレアン包囲の際には大天使ミカエルの声を聴いたそうだ

でもバーナード・ショーの戯曲『聖女ジョウン(原題:Saint Joan)』では
イギリスで上演されるべく書かれたモノだからか
ジャンヌは英雄としても聖人としても扱われておらず
刑死後、魂が天国に行けずに彷徨い続けてて、化けて出てるヽ(゚∀。)ノ

そんなジャンヌの最後の科白は神への祈りだったのだが

早く天国へ導いてください(-人-;)

とキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

ショーらしい皮肉が効いてて
一緒に観てたとーちゃんと大爆笑しながら画面に大喝采を送った

☆・・・☆・・・☆

自分は頽廃に憧憬を抱く反社会的な勤労庶民なので
大衆に媚びてるだけの娯楽作品が大嫌いで
とりわけハッピーエンドの男女のロマンスには
若い時は虫唾が走ったり吐き気を催したりするほどだったが
ショーの描く世界観にはそういう嫌悪感を覚える部分がまるでなく
そこに真実が見えて、魂の奥底から感銘を受けるのだ

だから映画『マイ・フェア・レディ』は忌々しく感じるるる~チッ( -∀-)、
自分にはシンデレラ・ストーリー自体が苦々しいのだが
ショーの戯曲『ピグマリオン』が原作なのに
作品を通して掲げられたテーマが完全に損なわれてしまってるからだ

『ピグマリオン』はギリシア・ローマ神話由来のラテン文学で
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』が元ネタだ

主人公ピュグマリオンが自身で作った女性の彫像に惚れてしまい
その切なく苦しい胸の内をあわれに思った女神に
命を吹き込んでもらって想いを叶える、とゆー物語で
Barbieに恋し続けてる自分にはピュグマリオンの気持ちがよくわかるし
実際にBarbieそっくりの人間に巡り合うと
女神に感謝しつつ、その人をこよなく愛してしまってたヽ(゚∀。)ノ

『ピュグマリオン』はリア充には決して共感されナイ物語で
絶対に愛してくれナイ女を切望するピュグマリオンに嘲笑しながら
きっとこんな風に諭すのだろう

現実を見据えて人間の女と愛し合えば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに?!

他人に言われずともピュグマリオンも自分もわかってるが
それでも愛せずにいられナイのだよ。・゚・(ノД`)・゚・。

でも愛するってのが無償で相手を想う気持ちだとしたら
相手からのお返しを同じだけ望むのはむしろ本トに愛してるのかね?

☆・・・☆・・・☆

ショーの『ピグマリオン』の場合はもっとヲタ度が高く
ピグマリオン=ヒギンズは英語の発音における音声学者であり
彼が求めてたのは単なる理想の女性などではナイ
洗練された英語を話す女性、しかもそれを矯正できた自身に悦に入ってて
その女性には生き証人としての価値しか求めてナイ
ヒギンズがイライザ自身にはまるで興味がナイのは明白だ。(゚д゚lll)ギャボ

イライザも育ちが悪いながらも愚劣な女性ではなかったので
そんなヒギンズのヲタ魂の萌えに気づいてただろうから
純粋にイライザ自身を愛してくれるフレディを享受するのは然りだ
ショーの『ピグマリオン』でははっきりと結末は描かれてナイが
イライザがフレディの気持ちを無碍にできるとは思えナイし
ましてやそこでヒギンズを選ぶはずがナイ。(´д`;)ギャボ

ヒギンズとイライザが結婚してハッピーエンドの物語なら
タイトルを『ピグマリオン』にする意味はなく
ブロードウェイで意義を失ってしまったからこその
『マイ・フェア・レディ』へのタイトル差し替えなのかもしれナイなw

☆・・・☆・・・☆

そして世の中の流れはいつも商業主義に味方するので
主役が日本人の大好きなオードリー・ヘプバーンなのもあり
映画『マイ・フェア・レディ』ときたら
しつこいくらい年中、テレビで放映されてるのだが
それに比してショーの戯曲『ピグマリオン』を新刊で購入するのは
日本では少なくともこの10年ほどは困難だった

同じように冒頭に挙げた映画『聖女ジャンヌ・ダーク(原題:Saint Joan)』
ショーの脚色に忠実なこの作品だけが日本ではDVD化されず
原作の戯曲『聖女ジョウン』を新刊で購入するのも
『ピグマリオン』と同様、邦訳を読むコトが適わなかった

今世紀になって何よりも後悔してるのは
ショーの著作を若い内に買い集めておかなかったコトだ(;つД`)
『聖女ジョウン』でその後悔は募るばかりだったが
諦めつつもググってみると書物復権2012の復刊リストに
なななんと『バーナード・ショー名作集』があった・・・バタリ ゙〓■●゙

バーナード・ショー名作集

しかも『聖女ジョウン』も『ピグマリオン』も収録されてたので
早速購入して2作とも一気読みした・・・生きてて良かった。・゚・(ノД`)・゚・。

ちなみに『ピグマリオン』の序文には次のようにあった

(前略)ロマンスのヒロインになれたからというだけで、すぐさまロマンスの主人公と結婚したにちがいないということにはなるまい。こういう考え方には我慢がならない。せっかくのドラマもこういう得手勝手な判断にあっては、こわされてしまう。

セーヌ河を愛するモーパッサンは
短編『水の上』で川を称える際に比較対照として
ユゴーの「夜は大洋から(原題:Oceano Nox)」(※)をあげてるが
この詩は猛り狂う海を歌った人類初の叙情詩だそうだ
詩集『光と影(原題:Les Rayons et les Ombres)』収録で『ヴィクトル・ユゴー文学館【1】詩集』にある

意外なのだがそれまでの海の詩と言えば
海原の美しさや広大さを讃美したり
穏やかな波が岸辺に打ち寄せるサマに酔い痴れたり
海の恵みを傲慢にも人間にとっての益だと有り難がったりで
嵐の海を詩にしようとは誰も思いつかなかったのである(゚ ゚;)

ユゴーがこの詩を書いたのは

「怒りに身をふるわせる」海を、八時間も眺めつづけた

そんな実体験からなのだが
モーパッサンにしても恐らく自らが夜の川で一夜を過ごした上で
短編『水の上』を書いたのだと思われる

ユゴーもモーパッサンも19世紀の人なので
近代化によって人々の感覚がいよいよ動物らしくなくなってきてて
つまり愚鈍になってしまってる五官に依らず
自然の中で研ぎ澄まされた感覚を呼び覚ましながら
詩作をしてきたのだろう

海や川の氾濫が齎す災禍には鋭いナイフで胸をえぐられるようだが
改めて自然に対して畏怖の念を抱くようになる
しかし人災は明らかに人間の悪意が関わって起きてるので
なんとも後味が悪くずっと心に燻り続けるし
実際に災難に遭った心ある者にも憎悪を植えつけてしまいかねナイ

モーパッサンの愛するセーヌは
ユゴーの愛娘レオポルディーヌを呑み込んだ

新婚の夫シャルルと共に乗船してたヨットが転覆して溺死したのである
その死後4年目に書かれた一連の詩「1843年2月15日」~「ヴィルキエにて」(※)は
神に問いかけをしては自らで呼応してるといった内容だが
そんな事情もあるユゴーにとってのセーヌは
どうしたって愛情より憎悪の方が深いのだ
『静観詩集』にある4篇の詩でヴィルキエはセーヌ河畔にある息女の溺死した場所に程近い村である

またユゴーはフランス人だがゲルマン民族の血も受け継いでおり
元より河と言えばラインに想い入れがあるようで
『ライン河(原題:Le Rhin)』なる紀行文を書いてたりもするが
これが邦訳では『ライン河幻想紀行』(※)となってるのがなんと適正なコトか!!
河畔の古城に領主がいた時代の伝説が語られてるのだ!
例えば「ザンクト・ゴアール」の章ではローレライの伝説に触れてるるる~
岩波文庫から出てる抄訳だがユゴーの描いたライン河のスケッチも収録されてる

あのローレライの伝説の岩山が、ラインに垂直に落ち込んでいる。
それこそ、声をかけたり歌を歌ったりする人に七たび答えると言われる名高い木魂の場所だ。

歌の本 (上) (岩波文庫)

自分はハイネの詩にある『ローレライ(原題:Die Loreley)』しか知らず(※)
その歌声で船乗りを誘惑しては水中に引きずり込むトコロから
下敷きになってるのは『オデュッセウス』等に登場するセイレーンと思ってたが
意外な言い伝え、なんと木魂・・・(゚ ゚;)?
セイレーンは海由来なので当然ながら木魂ではナイヽ(゚∀。)ノ
ちなみにユゴーには木魂が5回以上は聞こえなかったそうだがw
STYXにも『ローレライ(原題:Lorelei)』なる曲があるが歌詞にはラインの伝説らしい部分は微塵もナイ

ローレライ伝説の概要を確認したくてググってみると
どうもはっきりしナイながらも諸説あれど古い伝説ではナイのは間違いなく
クレメンス・ブレンターノの1801年発表の長編小説『Godwi』に
挿話として収録されてるローレライ伝説が文献としては最も古いようで
それでブレンターノの創作だって説もあるらしい

ユゴーによればローレライは水の精(ニンフ)で

その昔、神話の中で多くの王侯や伯爵たちに言い寄られた

とだけあり、ユゴー自身もよくわかってなかったのか?
あるいは当時は人口に膾炙してた伝承だったので語るまでもなかったのか?

水妖記―ウンディーネ (岩波文庫 赤 415-1)

で、「水の精」で「木魂」ならばフーケの『ウンディーネ』じゃナイのか。(゚д゚lll)ギャボ
1811年に出てるがこれがブレンターノのローレライ伝説とミックスされたとか?!
などと言いつつフーケの『ウンディーネ』は未読だか・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
ジロドゥが戯曲化した『オンディーヌ』から推察。(´д`;)ギャボ

オンディーヌ (光文社古典新訳文庫)

この『ウンディーネ』もしくは『オンディーヌ』の物語の根幹部分の
異界の女が人間の姿になって愛する男の下へ行き
男に裏切られて一巻の終わり、とゆー悲恋の定番原則だが
アンデルセンの『人魚姫』とかバレエ『白鳥の湖』とか
必ず裏切ってしまうのが良くも悪くも人間の男の性なのだよな(-_-;)

但し『オンディーヌ』の場合には裏切った男の方が死んでしまい
オンディーヌは元の水の精の姿に戻れるのだが
愛する男との記憶を失ってしまう

愛する男を想いながら死んでくのと忘れて生き永らえるのって
どっちが幸せなのかって、自分は前者だなw

7月3日はモーパッサンの命日だった
亡くなったのは1893年で1650年8月5日生まれなので
43年足らずの生涯だった

文壇デビューは1875年で25歳の時だったが
本格的な作家デビューは1880年の『脂肪の塊』以降だろうし
1891年には発狂して翌年は自殺未遂で精神病院送りになってるので
実質的にはわずか10年ほどで長編6篇と短編300篇余りも書いてたコトになるが
更に地中海をヨットで航行しながら紀行『水の上』も書いてて
これが出版されたのが1888年で書いてたのは前年だ

晩年の心境がうかがわれるヨットでの地中海旅行記。アルプスの遠望、鉄仮面が幽閉された城塞等数々の情景が巧みな筆致で描かれる。

紀行『水の上』の表紙をめくったカバー部分にそんな概要があるのを見つけて
確かにモーパッサンが亡くなる6年前ではあるが
モーパッサン自身はまるで「晩年の心境」などではなかったと思われ
なんせまだ四十路にもなってなかったのだからヽ(゚∀。)ノ

また【鉄仮面】については
幽閉されてた城塞の場所についての記述が僅か数行あるのみで
上記の概要を鵜呑みにして読んだらガッカリするコト請け合いだが
訳注に【鉄仮面】の噂を流布した人物としてヴォルテールの名があるのには
自分としてはにやりとせずにはいられなかった( ̄ー ̄)ニヤリ

ダルタニャン物語〈第10巻〉鉄仮面 (fukkan.com)

で、【鉄仮面】が幽閉されてたのは
カンヌ南方の地中海上に浮かぶサント・マルグリット島だが
その近隣の島には別の興味深い伝説があった

 パガニーニの遺骸が、5年の間埋め隠されていたのは、海上の、この奇怪な岩の上なのである。こうした数奇な運命も、天才的で、しかも妖気のただよう、この芸術家の生涯にはふさわしいものだ。彼は悪魔にとりつかれた人物と伝えられていたが、それほど、行動も体躯も容貌も奇怪だったし、その超人的な技倆と異常な痩躯とは、彼を伝説的人物に、一種ホフマン流の人物に仕上げてしまったんである。

科学的に無理っつ(;つД`)
とは思いつつも悪魔憑きだと噂されてた人物なので
にわかに信じてしまうのはわかるし
ガセだとしても(ガセだろうが)ネタ元は明らかに実在の人物なのだから
少なくとも【鉄仮面】よりはリアリティーがあるるる~
最近になって改めてググってみてガセだとされてるソースを発見したが・・・
LINK:サン・フェレオル

それにしてもホフマンかよ。(゚д゚lll)ギャボ
かつて『金の壺』を読んでドイツ・ロマン派に対して苦手意識を持ったのだったw

黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ (光文社古典新訳文庫)

とゆーのもその荒唐無稽過ぎる展開について行けなかったのだが
恐らく今や世界的な人気を誇る日本製の異世界アニメの方が
まだ話に整合性があるだろうと納得できるるる~

『金の壺』のあらすじを述べれば
主人公はフツーの大学生なのだがリラの木の下で会った緑の蛇と恋に落ちるのだ!
しかもこの緑の蛇の恋人が奇遇にも大学生の雇い主の娘だったのである!!
蛇の娘を持つくらいだから当然ながら雇い主も人間ではなく
実は火の精サラマンデルだったのだが
かつてアトランティスで恋人だった百合の花との間に生まれたのが3匹の蛇で
その内の1匹だったワケだ。(´д`;)ギャボ

人間の(と断りを入れるのもなんだが)女に横恋慕されたり
りんご売りの老婆に化けた魔女がこの女に加担したので
ガラス瓶に閉じ込められたりしながらも大学生と緑の蛇は愛を貫き
アトランティスにて幸せに暮らしました、めでたしめでたし(なのか?!)

とにかくそんな不可思議な感覚の物語と比べたら
2次元でもフィギュアでも人間の(形態の)女の子を好きならば
それはもう全く正常で何も問題がナイと思えてくるワケでヽ(゚∀。)ノ

まだしももう少しヒューマニズムが盛り込まれてれば
相手が動物だとしても舞台が異世界だとしても
そうして乗り越えられナイ障壁が歴然とあるからこそ
乗り越えた時の感動も一入なのだがね
心の琴線に触れるような出来事がナイので意味不明でしかナイのだ(-_-;)

とはいえ「ロマン派は病的だ」とのゲーテの言もあるが
自分には『金の壺』だけでドイツ・ロマン派を総括して病的とは断言できナイ
『金の壺』も原文(独語)で読めると印象が違ったりするかもしれナイし
ロマン派ってくらいだから内容如何よりもドイツ語の文体からくる表現の美しさに
ただひたすらうっとりするためだけにあるような文学だったりするのかも?!

それにしたって上記引用の例えからすれば
モーパッサンにとってドイツ・ロマン派自体はともかくとして
ホフマンについては異様なモノの代名詞として使ってるのは間違いナイw

ところでホフマン自身は作家で画家で音楽家でもあったのだが
それを目指してたってよりは多才だったので生計を立てるのに役立てただけで
奇行遍歴などは一切(と言って問題ナイくらい)なくて
司法官の職にも就いてた(と年譜にはある)ので
社会的には奇人変人扱いされる謂われはナイ
要するにそれだけ文学作品の異様な印象が強いのだろうか?

ホフマン物語 [DVD]ホフマン物語 [DVD]オッフェンバック:歌劇《ホフマン物語》パリ・オペラ座2002年 [DVD]

ググってみたら『ホフマン物語』なるオペラがあって
これはネタがホフマンの3篇の小説なのだが作者ホフマンを主人公としてて
Wikiから引用すれば

歌う人形のオランピア、瀕死の歌姫アントーニア、ヴェネツィアの娼婦ジュリエッタと次々に恋に落ちるが何れも破綻するという内容。

これがバレエ『コッペリア』の原作で
しかもメタリカのEnter Sandmanに通じるとは思わなんだ(゚ ゚;)

電子書籍を購入するようになって
特にSONY Reader Storeで購入する場合には
月初にまとめて購入するのが習慣づいた

まとめ買いで特典ポイントがもらえたりするのだが
その期限が当月の月末だったりするので
月末近くに購入してもらったせっかくのポイントを
うっかり使わずに期限切れにしてしまう可能性大だからだ

朝はたいてい遅くても4時起きで
でも6時頃までは寝床で読書をしてるのが常だ

それが今朝は余りの寒さで落ち着かず
早めに起き上がって居間でヒーターを炊いて
ふいにテレビを点けると(そんなコトは滅多にナイのだが)
画面に映し出されたのはイアソンとメデイアで
あとから調べてみたらBBC地球伝説の
『ギリシャ神話の英雄たち【2】アルゴ号の大航海』だった

アルゴ探検隊の大冒険 [DVD]

寝る前に悩みに悩んでアマゾンでポチしたのが
京都大学学術出版会の『セネカ悲劇集【2】』だったのだが
これには『メデア(メデイア)』が収録されてたのだ!

朝食を済ませて半身浴をしながらまた読書をしてたが
単に先月購入した中で全くの未読状態だった数冊の中から
選んだのは『ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産』
目次にセネカの項があったのでそこから読み始めると

゚+。:.゚シンクロ(*゚Д゚*)キタコレ゚.:。+゚

セネカの『メデイア』について書かれてた!!

異類婚姻譚、だそうな(゚ ゚;)

若い日の恋愛のゆえに人間の妻となり、人間界に移り住んでそこになじもうとした魔女が、やはり人間に裏切られ、その超能力で彼らを壮烈に罰して故郷へ戻っていく物語

として『雪女』を引き合いに出してるが
自分からすると『雪女』も実は人間だったと思えるがな(-_-;)

雪女 (日本の童話名作選シリーズ)

メデイアは王女の身分ではあったが
ハッピーエンドの御伽噺にありがちなお姫様とは
余りにも様相が違ってるのは誰の目にも明らかだろう

特に異質なのは恐らく
いや、きっとお世辞にも見目麗しい王女ではなかったのだ。(´д`;)ギャボ

魔女とされるほどに薬草について博識になるには
様々な薬草を採集してきては煎じたりしなくてはならず
蝶よ、花よ、とちやほやされるような美貌の王女の所業ではナイw

現代においてもこれは変わらナイ事実だが
美しい女性ほど自身を着飾っったりするのに夢中で
より美しく見せる以外には一切の興味を持たナイモノなのだ

メデイアは良縁に恵まれずに婚期を逃してたからこそ
とはいえ、当時ならせいぜい二十歳を過ぎたくらいだろうが
そこに現れたどこの馬の骨ともわからナイイアソンでも
身を捧げる覚悟ができたワケだなヽ(゚∀。)ノ

ましてや親兄弟を裏切ってまでイアソンに尽くしたのだから
それは助けてあげた見返りとしてなら
自身を妻として迎え入れてくれると信じてたに違いナイし
裏を返せば、恩を売った見返りにしか夫を望めナイと
メデイア自身が己を見限ってたと思われ

だからメデイアもイアソンを愛してたってよりは
自身の身の上を案じて画策して妻になったのではなかろうか?

イアソンの方はもちろんメデイアに恋なんかしていようはずもなく
ただひたすら目的のために手段を選んだだけに過ぎナイのは
言うまでもナイが(-人-;)

そんな2人だが思惑通りにコトが運んだので
メデイアはイアソンの妻となり、子も生したのだったが
イアソンにしてみれば、まずは王位奪回をして
人生はそこから華々しく再スタートをする予定だったのだろう

メデイアはその先もイアソンを夫として生きる決心ができたろうが
イアソンにとってはメデイアは踏み台でしかなかったと
目的を達成して気づいてしまったのだろうな。(゚д゚lll)ギャボ

しかも元より美しくもなく、てか、どこか不気味さがあった女が
年増(25歳も過ぎれば年増だったのだよ)になって
疎ましさしか見出せなくなってしまった時に
若く美しい王女と巡り会ったイアソンが
その王女の方がメデイアよりも自身に似つかわしい相手として
妻に迎えたい(=メデイアとは別れたい)と願うのは
英雄の自負があるだけに至極当然だ・・・

が、しかし、なぜ英雄になれたのかって
これが100%に程近くメデイアの助力なのだが
男は立身出世をすると勘違い甚だしく傲慢になり
それまで支えてくれた女に対して非情になるのが世の常だ

王女メディア HDニューマスター版 [DVD]ギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

とにかくメデイアがイアソンを本トに愛してたのだとしたら
愛の結晶である子供を殺したりしナイのは間違いナイ
捨てられてなお愛する相手との唯一の繋がりをどうして断ち切れようか?
だからこそ子供を殺すコトで断ち切りたかったのか???

メデイアはイアソンを愛してなかっただろうし
全てを懸けて(犠牲にして)夫にしたイアソンに対して
他の女に走ったくらいで復讐しようなどとは思い至らなかっただろうに

エウリピデスの子殺しの演出はやり過ぎだし
その後、セネカ然り、皆、メデイアに子殺しをさせてるが
そうしてメデイアに、つまり女に戦慄させるコトで
イアソンの正当性を、しいては男の沽券を守ってるだけのような気がするるる~

『お気に召すまま』

自分の友達なら100%の確率で
Journeyの『Any Way You Want It』がピンとくるに違いナイが
この曲を5/3(金)のセッションで歌うので
スマホに曲をダウンロードして
それを聴きながら、坪内逍遥をググってみるるる~

そこでなぜ坪内逍遥なのかって
『お気に召すまま』なる古式ゆかしい表現の邦題の元ネタは
シェイクスピアの『As You Like It』の坪内逍遥訳で
当時のレコード会社の担当者はこれを拝借したのだろうが
担当者は英文科出身だったのかね?

オープン・アームズ~グレイテスト・ヒッツAs You Like It (1936) [DVD]

まあ自分も元ネタだとまでは知ってたが
そうと知ったのもローレンス・オリヴィエ主演の映画だったからだし
かと言って、その映画を観たワケでもなければ
原作のシェイクスピアの『お気に召すまま』も未読だがねw

しかしながら未読なのは至極当然だ
なぜなら『As You Like It』の主題は興味の範疇からズレてるのだからね
トロイ戦争とか、アーサー王とか、そういった絡みが一切なく
自分にとってはどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイモノだけで成り立ってる世界だ

坪内逍遥もまさにそれで、今まで著書を何一つ読んでなかったが
「逍遥」の名だけは逍遥派なのでちょっと気になってた

しかしWikiにはその名の由来がなかったので
ググりまくってみたら中国古典の「逍遥遊」らすぃ
自分があちこちで使ってるのはアリストテレスのペリパトス派なので
やっぱ無縁の人だったな~と改めて納得(で、゚+.(・∀・)゚+.゚イイのか?)

それにしても、坪内逍遥はこれまで
シェイクスピアに精通した明治時代の文筆家、くらいの認識だったが
実際、シェイクスピアの本邦初訳を手がけた御仁で
明治の人だが生まれたのは安政5年って、江戸時代だった。(゚д゚lll)ギャボ

ペリー来航が1853年だからして、安政5年=1858年て
開国後まもなく・・・鎖国って自分には遠い昔に思えるがヽ(゚∀。)ノ
そんな時代にシェイクスピアを訳してて
1世紀を経てアメリカのバンドの曲名として使われるとは
夢にも思ってなかっただろうて。(´д`;)ギャボ

ここで考えを改めたのは
GWで多少なりともヨユーがあったからだろうが
昭和初期の訳でも旧仮名遣いや文語体に興奮する性質なので
江戸にほど近い明治の訳がどんなモノなのか、純粋に興味が湧いた

そこでまず、青空文庫にナイか探してみたが
リストにはあってもまだ作業中で
しつこくくどくググってみたトコロ
PD書庫にまさに坪内逍遥訳の『As You Like It』があった

しかも『お氣に召すまゝ』で「氣」の字と「ゝ」の字にぐっと
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

このWEBページをEvernoteにクリップして
アロタブから読んでみたが
冒頭の登場人物のページからして打たれた!!

ヂュークヰーズ(ジェイクイズ)
オリワ゛ー(オリヴァー)

ウヰスキーの「ヰ」はまだしも、「ワ」に濁点て・・・バタリ ゙〓■●゙

名前を見てるだけでも鼻血が出そうな嬉しい仮名遣いだが
ヂュークヰーズの役ドコロがまた゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
「謫居中の前公爵に隨侍せる貴族」ですと。(゚д゚lll)ギャボ

謫居(たっきょ)は今で言う引き籠りで
隨侍(ずいじ)は「随時」や「随所」にも使われてる通り
いつでもの意、なので、いつでも侍う=お供
要するにヒッキーの前侯爵のお供をしてる貴族だな。(´д`;)ギャボ

それにしてもおかしいのはチャールズの「新公爵の抱へ力士」って
り・・・力士(゚ ゚;)???

そしてウィリヤムは「田舎娘オードリーに戀慕せる田舎青年」とか
恋慕・・・恋心を募らせる、しかも恋の字が旧字で
まさしく「いと(糸)しい、いと(糸)しいとい(言)う気持ち(心)」

゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

日本人でよかったと思うのは
こうして自国の言葉の美しさを堪能してる時だ

今時、マンガ以外の本を読んでる若者自体が少ナイだろうが
それにも増して旧仮名遣いや古文、雅文といった美しい日本語は
読まれなくなってるのだろうか、だろうな・・・

お気に召すまま (新潮文庫)

そんな一部始終の間に母親はテレビで映画を観てたが
これが『恋におちたシェイクスピア』で
自分も横目で流し観してたら
なかなかおもしろかったがとても微妙な映画だった

どこまでがフィクションなのかわかりづらくて
ずっと頭から?マークを放出しながら、もやもやしっぱなしなのだ
実在の登場人物が多いのだが
脚色され過ぎで、わざとらしさが鼻につくのだよ(;つД`)

エウリピデスの『トロイアの女たち』の新訳が
なぜか、突如として昨年末に出てた

そう、なぜ、エウリピデスの悲劇の中でも
今、これだけが単品で出るのか、訝しく思ったが
ちょうど蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』の公演があり
それに合わせてだったのだろうか?!

いや、WOWOWで観たらサルトルVer.だったw

トロイアの女たちギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

そう言えば『トロイアの女たち』は
エウリピデスのなら松平千秋訳のをダブって持ってるし(※)
『サルトル全集【33】トロイアの女たち』を
神保町の古本屋で奇跡的にゲトできたが
肝心のセネカ版が未だ手元になかったと思い出した
ちくま文庫のギリシア悲劇【III】エウリピデス(上)筑摩世界文学大系【2】ギリシア・ローマ古典劇集

セネカの『トロイアの女たち』は
京都大学出版の西洋古典叢書の『セネカ悲劇集』に収められてるるる~

セネカ悲劇集〈1〉 (西洋古典叢書)

セネカ悲劇集【1】
狂えるヘラクレス(小川正廣訳)
トロイアの女たち(高橋宏幸訳)
フェニキアの女たち(大西英文訳)
メデア(小林標訳)
パエドラ(大西英文訳)

セネカ悲劇集【2】
オエディプス(岩崎務訳)
アガメムノン(大西英文訳)
テュエステス(宮崎徳也訳)
オエタ山のヘルクレス(竹中康雄訳)
オクタウィア(木村健治訳)

【1】は『トロイアの女たち』以外にも
『フェニキアの女たち』も『メデア』も『パエドラ』(※)も
エウリピデスと比較して差異を読み解きたい
エウリピデスの『ヒッポリュトス』に当たる、ラシーヌだと『フェードル(とイポリート)』

しかし最も興味深いのは【2】の『オクタウィア』だ!
なんせセネカのオリジナルでネロが題材の史劇なのだからして!!

久々にアマゾンで両方チェックしてみたら
【2】が半額以下で出品されてたのでそっちをポチったった♪
トロイヲタとして【1】も絶対いつか購入するだろうがw

とりあえず蜷川の『トロイアの女たち』はサルトルに倣ってたが
現代日本人の常識の範疇に「トロイ戦争」はナイので
そりゃあ誤解のナイようにポセイドンが説明せねばなるまいて
改めてサルトルの手腕に脱帽しつつ
蜷川の奇異なアイディア(3ヶ国語でコロスを繰り返し)にも
よくもこんな鬱陶しいコトをやり通したモノだ
と、感心したし、感動した。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

蜷川はちょっと前に『トロイラスとクレシダ』もWOWOWで観た(※)が
シェイクスピアの全作をオールメールでって試みの一環で
その発想からして素晴らしいと思ったね
しかも『トロイラスとクレシダ』は中でも1番厄介だったろうに
納得の行く出来映えだったのには度肝を抜かれた。(゚д゚lll)ギャボ
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102292/

クレシダには穢れを知らナイ澄んだ美しさがあり
絶世の美女ヘレネの方が蠱惑的ではあるが
決して見劣りはしナイ美貌なはずと思われ。(´д`;)ギャボ
その点、2人とも性別を乗り越えた以上に美的に釣り合ってたが
恐らく女性がやると想像すると
主役のクレシダはでしゃばって美貌から儚さを失するだろうし
ヘレネも美しさよりいやらしさが目立ってしまいそうだ(-_-;)

でも何よりもカサンドラにはぞっとさせられた
『トロイアの女たち』でも運命に憤り、怒りながら舞うカサンドラがいたが
『トロイラスとクレシダ』のカサンドラの方がしなやかな動きで
巫女の資格を失った悲しみが舞踏に表現されてたし
狂気もそれらしく見えた

基本的にカサンドラは狂ってるのではなく
予言を口にすると狂ってるように見えてしまうだけだから
発狂してるだけだと白けてしまうのだよ
カサンドラはアポロンから予言の術を授かったが
引き換えにアポロンの恋人になる約束だったのを破ったので
それでアポロンによって予言が信じてもらえナイようにされたのだ

☆・・・☆・・・☆

宮本亜門の『サロメ』もWOWOWでやってて(※)
観る前はキャスティングに仰天したが
もれなく多部未華子ちゃんのサロメこそがサイコーだった
サロメは無垢ゆえに残酷なのだな・・・
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/101601/

サロメ (岩波文庫)

古典劇はハリウッド映画とかブロードウェイ・ミュージカルでも
原作の魅力が減退しまくりなのが多くてウンザリするが
日本の新劇が魅力を損なわずにやってるなんて
目にするまで思いもよらなかったね

とにかく戯曲は本で読んでるより
舞台で演じてるのを観る方が断然゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのは、当たり前かヽ(゚∀。)ノ

ここは一つ、宮本の『キャンディード』のDVDを購入すべきか?!

louis14

ヴォルテールの『ルイ十四世の世紀』第1巻は
当時のフランスはもちろんだがイギリスにも詳しいし
ヨーロッパ全体の動きがわかりやすくまとめられてるので
フランス革命前のヨーロッパの情勢の史料としては優れてるのだが
ルイ14世の人となりについて描かれてる部分が皆無なので
いかんせん面白みには事欠く。(´д`;)ギャボ

続く第2巻も第24章まで第1巻と同じ調子で淡々とした政局の変遷が続き
第24章で早くも主人公のルイ14世は死んでしまうのだが
ここまででルイ14世について想うトコロがナイので
死に際しても感傷的になりようがナイ。(゚д゚lll)ギャボ

そこがヴォルテールの狙いなのかどうかの結論は読後に譲るとして
第25章から一転して面白くなるのは人間関係が赤裸々に描かれるからだ

しかもその端々にコルネイユ、モリエール、ラシーヌといった古典劇に触れてて
特に第26章で32歳まで人前でバレエを踊ってたルイ14世が
ラシーヌの『ブリタニキュス』を観て以来、人前で踊らなくなった
即ち、詩人が君主に態度を改めさせた、とゆーのは笑えたw

『ブリタニキュス』はネロ(作中ネロン)が
先帝の嫡子でネロの義理の弟のブリタニキュス(ブリタンニクス)を暗殺する話で
ネロと言えば芸術(詩や音楽)をこよなく愛したローマ皇帝で
度が過ぎてネロ祭なる発表会を催してたくらいだが
愚帝や暴君との呼び声も高い人物なので
ルイ14世は同じコトをやって近しいと思われたくなかったのだろうが
厳密に言えばネロは踊ってたのではなく謳ってたのだ(-_-;)

そして謳う皇帝ネロは
剣闘士として戦う皇帝コンモドゥスやアナーキストで女装の皇帝ヘリオガバルスと並び
自分の中では最も人間的な魅力溢れる3大皇帝なので
踊る王ルイ14世にも惹かれずにはいられナイ

映画『王は踊る』は未見だがどのくらい史実に忠実なのだろうか?
ルイ14世が太陽王と渾名されたのも太陽の役を踊ったかららしい(※)が
『王は踊る』のDVDやサントラCDのジャケットはまさに太陽役ってカンジだな
『ルイ十四世の世紀』には「王が太陽に扮した際・・・」とある

映画《王は踊る》サウンドトラック王は踊る [DVD]

章が前後してしまうが第25章には
モーパッサンの紀行文『水の上』の一文を読んで気になってた【鉄仮面】の話が載ってた

サント・マルグリットの、陸地よりの突端には、鉄仮面やバゼーヌが幽閉された有名な城塞がある。

それまで【鉄仮面】はデュマの『ダルタニアン物語』に出てくるのしか知らず
デュマの創作だと思い込んでたので仰天して註釈を見ると

この有名な伝説は、ヴォルテールらが流布しはじめたものらしく、事実は、黒ビロードの面をかぶせられた囚人で、イタリアの伯爵マッティオリのことである。彼は、国際関係の犯罪で、ヴェネツィアでとらえられ、1679年ころ、サント・マルグリット島に幽閉され、ついでバスティーユに移されて、1703年に死んだ。

ヴォルテールは『ルイ十四世の世紀』では【鉄仮面】の正体には言及しておらず
1661年のマゼラン枢機卿の死の数ヶ月後にサント・マルグリットに運ばれ
バスティーユに移されたのは1790年となってる

『水の上』の訳者は吉江喬松と桜井成夫で『ルイ十四世の世紀』を踏まえてはいるかもだが
この訳註はそれとは別の【鉄仮面】伝承を参考にしてるのは間違いナイ

またヴォルテールは仮面の状態を以下のように記してる

仮面を被りつづけ、これは、顎当に、鋼のばねがついていて、被ったまま、自由に物が食べられるようになっている。顔を出したら殺してしまう、という命令が出ていた。

更にヴォルテールは【鉄仮面】の男と遭遇した人物として
男の世話をしてたサン・マルス司令官、ルーヴォワ候、バスティーユの医師を挙げ
各々の対応の仕方から身分の高い人物であるとの確証はしてるが
ルイ14世の双子の片割れだと匂わすような部分はナイ

仮面の男―仮面の男とその背景 (竹書房文庫)
仮面の男 (角川文庫クラシックス)

それにしても映画『仮面の男』はデュマを原作にしてるらしいが
脚色し過ぎで全く違う話になってると思われ(※)
まあ予想以上に面白くて何度見ても飽きナイので文句はナイがヽ(゚∀。)ノ
角川文庫クラシックスの『仮面の男』と比較

藤本ひとみの小説『ブルボンの封印』と
それを漫画化した森川久美の『ブルボンの封印』も
【鉄仮面】の正体をルイ14世の双子の片割れとしてる点では同じだが
これはこれでまた違う話でしかも主題がラブ・ロマンスなので
1度読んで面白かったのは否めナイが2度目に読む気は失せた・・・バタリ ゙〓■●゙

【鉄仮面】抜きの『三銃士』なら映画でも漫画でも数限りなく存在し
近年、人形劇になってたのも欠かさず観てたが
自分的には田中雅子の少女漫画『風のダルタニヤン』が
絵柄も綺麗だしデュマの原作に忠実ながら面白いので気に入ってるるる~

最後に【鉄仮面】の正体は誰だったのかは
『鉄・仮・面―歴史に封印された男』で明かされてるらしいが
それが真実かどうかはまた別の話だ

ラシーヌの『エステル』についての殆ど総ては
ヴォルテールの『ルイ十四世の世紀』を読めばわかるのだが
やはり自分自身もその芝居を観るなり、せめて読むなりしなくては
単なるウケ売りになってしまうので
『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を購入して読んでみた

結論から言えばヴォルテールの言及とほぼ近い感想だったが
ヴォルテールが触れてナイ根幹的な部分にこそ自分には深く考えさせられた

比較するためにヴォルテールの言及を引用すると

(前略)荒唐無稽で、面白くもおかしくもない事件を、見せられるだけだ。王さまが一人出て来るが、半年も一緒に暮しながら、お后の素性を知らぬし、それを調べてみようともしないのだから、とうてい正気とは思えぬ。大臣がまた、ユダヤ人が、自分に敬意を表さぬというので、老若男女問わず、これを皆殺しにするよう、王さまに頼み込むなど、滑稽とも、野蛮とも、何ともいいようがない。この同じ大臣が、つまらぬことをしたもので、ユダヤ人を、十一ヶ月以内に、残らず殺せという触れを出すが、これでは、何のことはない、逃亡するなり、自衛の手段を講じるなり、勝手に振舞えということになる。王さまも王さまで、いわれもないのに、このおかしな命令に署名しておきながら、また、いわれもないのに、突然、当の気に入りの大臣を、絞り首にしてしまう。おまけに、筋らしい筋がなく、変化に乏しいし、面白みもないときているから、良識を持ち、趣味のよいものなら、うんざりするのが当然だ。

などと貶し放題だ。(´д`;)ギャボ

ここでヴォルテールが見落としてる重大な事実は
大臣の一族が先にユダヤ人に皆殺しにされてた過去があったコトである

サムエル記 (2) (ヘブライ語聖書対訳シリーズ (14))
出エジプト記 (1) (ヘブライ語聖書対訳シリーズ (3))

『旧約聖書』の「サムエル記」でイスラエル(ユダヤ人)の王サウルは
預言者サムエルに神の意思を告げられるるる~

わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ。

ところがサウルはアマレクの王を生け捕り、家畜も殺さずにいたので
サムエルは神の意に背いたサウルを罪人扱い。(゚д゚lll)ギャボ

サムエルに引き渡されたアマレクの王は神の前でサムエルによって切り刻まれ
神はそれをよしとしたがサウルを王としたのを悔いた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

後にダビデがアマレクの総てを「ぶんどり物」(※)として捕らえ
これらをまた皆殺しにして正しい大虐殺(?)の見本をやってのけたのだ
「ぶんどり物」てのは自分の持ってる聖書にそう書いてある通りだ
参考:セム、ハム、ヤペテ~アブラハム(アブラム)

マイケル・サンデルの講義に出たらサンデルもたじろぐだろう

正義=ユダヤ、以上p(-_-+)q←ユダヤ

ポカーン。(゚д゚ )←サンデル

みたいなw

とにかくユダヤ人がのさばるのに邪魔な民族は皆殺しにするのがユダヤ人の正義で
むしろ情けを起こしたりすれば神に背いた罪人と見做されるのだ

こういう民族に対して不条理を感じナイ人間だけが
もれなくキリスト教を享受できるのだな

信じる者は救われる

とは(都合)好く言ったモノで
ユダヤ人が信じる神ヤハウェは自ら選んだ民族以外を呪う神で
基本的にはヨーロピアンもアメリカンも呪われて然るべきなのだが
そこが神の子イエス・キリストの出現から解釈が変わって
ユダヤ人でなくても信じる者は救われる、となったのだ(゚*゚;)

しかも何を信じるかってユダヤ人の神ヤハウェではなく
唯一無二の神であり、キリストがその神の子であるコトであり
神を信じててもキリストを疑うのは善しとしナイ
これを父(神)と子(キリスト)と聖霊は三位一体なのだとして
非科学的、非理性的、かつ主観的な言い分で思考停止させてしまうのだなヽ(゚∀。)ノ

『エステル』がジェズイット教団にウケたのは然りで
ルターがローマ・カトリックに反旗を翻して真の信仰を説いた宗教改革に
真っ向から敵対したのがジェズイット教団(イエズス会)で
フランスではユグノーと呼ばれてたルター派の新教徒たちと衝突してた

ところでヴォルテールのみならず
ラシーヌも大臣の一族が皆殺しにされた過去をスルーしてるかと思いきや
以下のようなイスラエルの娘の台詞が見受けられた

祖先が罪を犯し、もう祖先は死んでしまった、
その罪の刑罰をわたしたちがこうむるのです。

まあこの一箇所だけでは観客には完全にスルーされただろうな(苦笑)