世界観を構築した10冊(子供の頃の愛読書)

人生において最良の本を
10冊選ぶとしたら?

まず、小学校高学年の時に
選んでたと思われる10冊(タイトル)

生きている地球(学研学習マンガ)
ビーグル号航海記(チャールズ・ダーウィン著)
シートン動物記(アーネスト・T・シートン著)
ハックルベリー・フィンの冒険(マーク・トウェイン著)
宝島(スティーヴンソン著)
幸福な王子(オスカー・ワイルド著)
にんじん(ルナール著)
クォ・バディス(シェンキェビチ著)
埋もれた世界(A・T・ホワイト著)
キュリー夫人 愛と科学の母(清閑寺健著)

これらは人生の初期段階で
世界観を構築するのに役立ったが
後に人生の岐路においても
常に道標となった

虚弱体質だった幼少の砌に
お世話になった小児科の待合室に
置いてあったのが『生きている地球』

【ビッグバン】から始まり
地質時代の様子が年代を追って描かれたマンガで
それはまさに知りたかったコトばかりで
毎度、熱心に読んでは
興奮して更に熱が上がってたw

その本への病的な執着が
遂に医師の妻で薬剤師の女性の心を動かし
「よかったらどうぞ持って帰って
差し上げますから」と言わしめた時
熱意が人の心を動かすと
奇蹟が起きるのだと
初めて確信したのだった

生命の誕生から
人類への進化までを
理路整然と説いた【進化論】には
魂を揺さぶられたが
とりわけ生命の誕生については
オパーリンの【コアセルヴェート説】で
神々しく美しい生命のスープが
干潟になって濃縮してく様子を思い描いては
生命の神秘に涙した

そんな風に理性と感動によって
自分が世界観の外枠を構築した後で
旧約聖書の冒頭の創世記による世界の始まりを
キリスト教かぶれの母親から
いくら恭しく押し付けられたトコロで
突っ込みドコロ満載な寓話としか思えなかったw

【進化論】を構想するに至った経緯を
ダーウィンが綴った『ビーグル号航海記』は
自然の厳しさ(ある意味無慈悲さ)と
そこに生きる生物の
力強さと儚さ、強靭さとしなやかさといった
地球が織りなすドラマに感じ入った

そうして【進化論】を踏まえて
動物の生態に興味を持つようになり
『シートン動物記』も読むべくして読んだが
中でも「狼王ロボ」でオオカミが大好きになり
今に至るるる~

『ハックルベリー・フィンの冒険』や『宝島』は
『ビーグル号航海記』からしてそうなんだが
後に海洋小説とそれを原作とした映画を
格別に好むきっかけになった

まあ自分自身はからきし苦手で
酒より船の方が酔うんだがね( *゚Д゚)つ[酒]

典型的なお人好しの江戸っ子だった自分は
『幸福な王子』でワイルドのペシミズムに衝撃を受け
母親に嫌悪されてると悲観し始めた時
『にんじん』で同士を見出してほっとした

歴史小説『クォ・バディス』(※)は
ローマ皇帝だったのがネロの時代の
キリスト教に傾倒した長編で
実在した登場人物のネロとセネカ
そしてペトロニウスが魅力的だった
映画のタイトルでは『クォ・ヴァディス』、新訳(岩波文庫)だと『クオ・ワディス』

当時はまだキリスト教に対して
今ほど反感は抱いておらず
もれなくこの小説こそが
不信感を募らせる要因になったのだったヽ(゚∀。)ノ

『埋もれた世界』は
トロイア、エジプト、メソポタミア、マヤの
遺跡を発掘する考古学者たちについて
子供にもわかりやすく書かれて(翻訳されて)たが
古代文明の中でも自分は特にトロイアに惹かれた

たくさんの伝記を読んだ内では
『キュリー夫人』に1番感銘を受けたが
それは化学者としてノーベル賞を受賞した女性が
既にいるのは心強かったからだ、なんて
自分もキュリー夫人の後に続くつもりでいて
化学だけは執り憑かれた様に勉強してた

但し、物理学(の数式)を理解できるほど
知能を持ち合わせておらず断念。(´д`;)ギャボ

『クォ・バディス』の著者シェンキェヴィチも
キュリー夫人と同じく
ノーベル賞を受賞してるポーランド人だが
受賞時にはポーランドは地図上から消えてて
2人とも祖国独立を悲願してたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

結局、シェンキェヴィチは
独立を目にする前に命尽きたが・・・

上記10冊の他にも
世界観を構築するのに
補助的な役目を担ったのが
山川出版の日本史用語集と世界史用語集と
旧約聖書・新約聖書、古事記、ギリシア神話などで
愛読書と言うよりは便覧のように
何かにつけ参照しまくった

自分はこの時点で最早
読書の醍醐味は
1冊の本を最初から最後まで読みこなして
単体で消化するだけに非ず
一言一句から
著者の真意を汲んで
改めて世界を読み解くコトに
意義があると気付いて
生真面目に読書をしなくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

40年近く経った今
改めてこれら10冊に感謝したいのは
与えられた知識はもちろん
感動、信条、希望、霊感・・・etc.etc.
そしてノスタルジーも加わり
人生をスピリチュアルな面から
支えてくれたコトだ

気のふれた母親に
押し入れに閉じ込められても
電気スタンドで照らされた文字から
確信してた

世界は広く美しい(はず)

いつも心を希望で満たし
明るい未来へ導いてくれ続けた

親友(著者)と時空を超えて
共有してる宝物のような存在が
愛読書だと自分は思う

読書の意義と生きる意義

自分が寝る時間を削ってでも読書をするのは
悪夢に魘されてるよりは本を読んでる方が幸せだからだが
不眠不休でその幸福を味わえナイのが人間の宿命で
自然と日々3~4時間は寝てしまうモノだ

睡眠の科学―なぜ眠るのかなぜ目覚めるのか (ブルーバックス)

もちろん睡眠不足が齎す弊害も心得てるので
観念して眠気と無駄な格闘はしナイが
眠ってるより起きてる方が時間を有意義に使えた気分になるし
6時間も寝てしまうと無為に過ごした後悔に苛まれてしまう

それとゆーのも1日24時間の内
やらなければならナイ義務に費やす時間が
やりたいコトをやれる時間より圧倒的に長くやるせナイからで
その不満を少しでも解消する手っ取り早い方法が
眠らずに本を読んで過ごす、ってワケだ

ところがそういう差し迫った状況や
差し迫った状況に自分を追い込みやすい気質を覆して
自暴自棄になって呑んでるだけで時間を過ごせるのだから
アルコールの威力はたいしたモノだな( *゚Д゚)つ[酒]
半分は眠ってるような、もう半分は気絶してるような
そんな朦朧とした状態だと損も得もなく本心が顕現するるる~

このまま現実の世界とはもう縁を切りたい・・・

死にたい、てのとは違う、永遠にでなくw
ちょっとだけ日常のあらゆる拘束から解放されたい
ちゃんときちんとやってるのに
毒づかれて心が疲弊するあの不毛な瞬間を
今日1日だけでも味わいたくナイのだ。(´д`;)ギャボ

だからって、呑んでは壊れ、壊れては呑み
完璧に人格が崩壊して、意識を失って、倒れて、怪我して
這う這うの体で帰宅の途につく・・・
なんて呑み方が毎度なのはさすがにどうかしてるレベルだろうて
これ以上の大怪我をしナイうちになんとかしなきゃヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

リア充、てのはリアル(現実)が充実している人、の意だが
現実=社会生活、に馴染んでるのが当人だけでなく
恋人や友達や同僚もそうである場合に使われるのが専らで
つまり、社会的な立場において貶める隙がナイ人だ

なので、ヲタが人生の目的を達成してたとしても
それが客観的に見て社会性を欠くのでリア充認定はされナイが
現代日本人にとってのステイタスに迎合するのに必死なリア充より
実際、充実度は高いのではなかろうか?

世界の名著〈29〉ヴォルテール,ディドロ,ダランベール (1970年)

 実を言えば、なににもなりたいとは思わないんです。全然なににもなりたくありません。勉強がしたいんです。私は今のままで充分で、なんの不足もありません。ほかにはなにもほしくありません。

パリの法律事務所で見習いをしてた若きディドロのこの発言は
父親を激怒させた(送金も打ち切らせた)が
自分も全く同じ気持ちなのでわかる
これが叶えばディドロも自分も至福であろうとヽ(´▽`)/

哲学 I 〈新装版〉 (ディドロ著作集)

自分はヲタでリア充てのとは対極的な存在で
本を読んで勉強する時、いや、とゆーとなんだな
故人の考えに触れて世界を慮る時、が正しいだろうか?
不明なコトを明らかにしたいからそうするのだが
その答えを得る以上に共鳴したいのだ

世界観を構築する一助となる言が顕現した瞬間
著者とは時空を超えて同志としての一体感を得るのだが
簡単に言えば、世界が燦然と輝き、孤独が癒される
この奇跡が起きたような感覚を一度、味わってしまうと
それだけで満足できてしまうので先のディドロの言葉通りなのだ

とはいえ、ディドロも自分も生身の人間なので
生きてる限り、衣食住を賄う収入を何らかの形で得なくてはならず
本を読んでるだけ、とゆーワケには行かナイ!

自分は生まれながらに勤労者の資質があったので
一労働者として生きてくコトには疑念を抱かなかったが
もう四半世紀以上も1週間の連休さえとれずに
ある意味ずっと働き詰めだったので
会社を辞めて、とりあえずトルコに旅行に行く
そんな計画を昨年の念頭に立てたのだ!!

それが計画後1ヶ月もしナイ内に母親が入院したのをきっかけに
気がつけば介護生活に突入してしまい
当然ながらトルコにも行けなくなってしまった。(゚д゚lll)ギャボ

ポイズン・ママ―母・小川真由美との40年戦争

そんなんでどうにも現状が腑に落ちず
日々の仕事や家事や介護がそれ自体キツイとは思わナイが
母親の吐き出すちょっとした毒で
今更ながらいちいち心がささくれやすくなってるみたいで
なんとも堪えてるのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

☆・・・☆・・・☆

リア充もヲタも生きる目的は幸せになるコトで
そのために何が必要で、どうすればそれを得られるか
そこに違いがあるだけなので
もっとシンプルに突き詰めてみようp(-_-+)q

義務は義務として、こなし(やっつけでも構わんw)
本を買うために働いて、本を読むために睡眠時間を減らす

ん、これで゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ♪

お気に入り10冊

人生において最良の本を10冊選ぶとしたら何を選ぶか?

30年前に選んでたであろう10冊(タイトル)を前記事で挙げたが
これらによって構築された世界観を共有し
自分とゆー人間の根源的な性質を育まれながら
何より思想・主意を明確に方向付けた本だ

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

とにかく当初は興味の対象が何なのかははっきりしてたので
読むべき本をリストにして片っ端から読み漁ってった
未だリストにある本を読み尽くせずにいるが
読めば読むほどリストに本が増えてったからである・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

読んでる本の中で参照してる本とか
読んでて新たに湧いた疑問を解決してくれそうな本とか
果てしなく連鎖が続くのだが
その連鎖の中で1度通りすがるだけの本もあれば
何度も出くわす本もあり
どちらも世界観を構築する一助となったのは間違いなく
読後には必ず世界観が緻密さを増し、深まり、拡大してった

なので壮大な世界観(ヴィジョン)からすると現実の世界(リアル)は
時間的にも地理的にも大海の中のほんの一滴でしかなく
個人レベルでの出来事なんてモノは
存在しナイに等しく微小に感じられるようになった・・・
(誤解のナイようにあえて言っておけば
これはあくまでも規模についてだけを言及してるのであって
「存在しナイに等しく微小」=劣ってる、ではナイ)

このヴィジョンとリアルの観念は
これまではなかなか理解してもらいにくかったが
最近は「リア充」なんて便利な言葉が派生するくらい
とりあえず「リアル」は市民権を得たようだw

で、「リア充」てのは一般的な定義として
社会に則して一個人の日常生活が適ってる人に対して使われてて
ダーウィンの言葉を借りれば社会に対しての「適者」で
世間に「リア充」認定されるとゆーコトは
自己顕示欲が強い人にとっての1stステップだろうか?

とはいえ、既に世間てモノからして絶対的な存在などではナイし
曖昧模糊とした中で「リア充」と認められても
卑屈な人間の羨望の眼差しを受けるくらいなモノで
換言すれば余り旨味のナイ立ち位置かもしれナイ。(゚д゚lll)ギャボ

現代日本社会に身を置いてる人間ならば
当然、社会的な立場を全く無視した行動は出来ナイが
社会的な義務さえ果たしていさえすれば
それ以上にどう生きたって他人に文句を言われる筋合いはナイので
「リア充」も人によっては幸せの一つの形なのだろうが
万人に通じる幸せの定義や条件などでは決してナイ。(´д`;)ギャボ

そもそも皆、本能的に幸せを求めて生きてきてるはずで
ただ、子供の頃に思い描いた幸せの図を
大人になってもそのまま持ち続けて突き進んでる人は稀で
たいていはその時々(年代)で変化してくので
変わる度に悩んで軌道修正して新たな幸せの図を目指すしかナイワケだが
ずっと我が身の不幸を嘆いてるだけの人って何なのだろう?

自省録 (岩波文庫)幸福な生活について (大学書林語学文庫 3011)幸福論 (集英社文庫)

自身で何が幸せかを把握して
叶うように働きかけながら日々を過ごせば゚+.(・∀・)゚+.゚イイだけなのに
どうして何もせずに周囲に文句を言うんだ(;つД‘)

幸せになりたい、ではなく、幸せに生きたい

幸せになりたい=今現在は不幸せだなんて認めるのは嫌だ

幸せに生きたい=今そのために何をどう工夫すれば叶うか?

幸せだと思うのは例えば・・・
水辺がある緑の中を散歩してる時で
その時に出会う自然科学の発見はときめきを齎すし
帰宅してネットや本で調べてそれが何なのかわかれば満たされるるる~
ましてそこに心躍る美しい法則が存在してるのを知ったとしたら
その瞬間こそが自分にとっては至福なのだヽ(´▽`)/

荒野のおおかみ (新潮文庫)さかしま (河出文庫)サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)

無意識に、あるいは意識して、希求する知識や智慧が得られた時の
あの魂がスパークするような快感が恍惚(エクスタシー)だが
そんな感覚を安易に即座に得られるのがわかってて
何度も繰り返し読むのが愛読書ってヤツだよ・・・ホゥ(*-∀-)

饗宴(プラトン著)
サテュリコン(ペトロニウス著)
幸福な生活について(セネカ著)
自省録(マルクス・アウレリウス著)
君主論(マキャヴェリ著)
悲劇の誕生(ニーチェ著)
さかしま(ジョリ・カルル・ユイスマンス著)
荒野のおおかみ(ヘルマン・ヘッセ著)
人間論(アラン著)
幸福論(アラン著)

アランが2冊になってしまったが
実は『人間論』を読むほど『幸福論』は読んでナイ

アラン 人間論饗宴 (岩波文庫)新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)

恐らくパスカルの『パンセ』やルソーの『エミール』は
アランの『幸福論』よりもよく読んでるが
それは不可解な部分が多くて読み直してるだけで
自主的に幸せを求めて読んでるのは『幸福論』かな、と・・・

そりゃまあ『幸福論』てだけのコトはあるってヽ(゚∀。)ノ

Edward Burne-Jones Exposition

岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、
白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社の出版社8社が
合同で「書物復権」(※)なる復刊事業に取り組んでるのを知ったのは
ジョージ・バーナード・ショーをググったのがきっかけだった
書物復権2012書物復権2013

バーナード・ショー名作集

これで復刊されたのが『バーナード・ショー名作集』
以下の代表作6篇が収録されてた

カンディダ
悪魔の弟子
人と超人
ピグマリオン
聖女ジョウン
デモクラシー万歳!

¥7,000近かったが迷うコトなく購入し
念願の『聖女ジョウン』と『ピグマリオン』を読み
併行してショーの戯曲の解説書『バーナード・ショーの劇』や
ジュール・ミシュレの『ジャンヌ・ダルク』や
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』と
梯子酒ならぬ梯子読書を大いに愉しんだ末に
奇妙なシンクロニシティに見舞われた・・・のは昨年の夏

『ピグマリオン』の第3幕に次のような一節があるのだが
この描写だけでヒギンズ夫人が趣味の良い女性であるのがわかるるる~

ヒギンズ夫人は、ウィリアム・モリスやバーン・ジョーンズの雰囲気のなかで育てられたので、ウィンポール街の息子の部屋とはちがい、家具や小さなテーブルやこまごまとした物が、雑然とおかれているようなことはない。部屋の中央には、背のない大きな長椅子が一つ。これと、じゅうたん、モリス風の壁紙、モリス風のサラサの窓かけ、長椅子にかけた錦のカバーとクッション類が、立派な装飾となっているので、つまらない物をごたごた並べたてて、その美しさをかくすことはないのである。三十年前グローヴナー・ギャラリーに陳列されていた、いい油絵が数点(ホイスラー派のものではなく、バーン・ジョーンズ派のもの)、壁にかかっている。(後略)

息子のヒギンズがヲタになったのも独身主義を貫いてるのも
きっとこの出来過ぎの母親のせいなのだろう
そんな考えを巡らせながら新宿の地下街を歩いてた際に
バーン・ジョーンズ展のポスターが目に入った

ポスターにあったペルセウスには全く興味なかったが
予感がしたのでサイトをチェックしてみると
ウィリアム・モリス商会で製品化したタペストリーが展示品目にあった!
バーン・ジョーンズに原画を描かせて刺繍させたタペストリー・・・ホゥ(*-∀-)

シンクロニシティだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

これだけでも手芸好きの自分には観に行く理由として十分だったが
連作『ピグマリオン』も一揃い(4枚)あるらしい!!

シンクロニシティしまくりだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

そもそもバーナード・ショーの『ピグマリオン』は
モリス夫妻によってインスピレーションを得て描かれたに違いナイ
とゆーのもウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリス(旧姓バーデン)は
バーン・ジョーンズとロセッティによって見出されたモデルで
ウィリアム・モリスにもモデルとして紹介したトコロ
2人が恋に落ちて婚約してしまったのだが
この婚約→結婚の間に恐らく極貧で教育を受けてなかったジェーンは
上流社会の一員としての教養を一から身につけた・・・
なんて、まるで『ピグマリオン』のイライザそのものだ!!

☆・・・☆・・・☆

会場に着いてすぐの展示室へ向かうエレベーターの前に
連作『ピグマリオン』の一部のプリントがでかでかと貼られており
この迫力に比べたら実物はしょぼいかと思いきや
そこは連作ならではの見応えだった
(唯一、女神が鳩を踏んづけてたのが気になったのは自分だけかね?)

しかしラファエル前派は一見すれば繊細な作風なのだが
ダヴィンチのような精密さには事欠いてて
背景の花などがワリと杜撰に描かれてたりするので
近寄ってじっくり愉しむよりは遠見で全体的に観るとか
現代ならネットで観るのにうってつけだと思われ

それに比してタペストリーは期待以上に素晴らしく
絹糸1本の寸分の狂いもナイのに感動した。・゚・(ノД`)・゚・。
改めて考えたらウィリアム・モリスは日本の柳宗悦みたいな人なのだな?!
美意識にお国柄がそれぞれ表れてるのでそこに違いがあるが・・・

またジェフリー・チョーサーの『チョーサー著作集』の
ウィリアム・モリス商会によるケルムスコット・プレス刊(※)があり
豪華装丁本の現物を目にするコトができたのは収穫だった♪
※LINK:ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』

おみやげには『ピグマリオン』連作のワイドプリントにブックマーク
そして『チョーサー著作集』のポストカードとノートにしたが
もしケルムスコット・プレスのグッズがなければ図録を買うつもりだった
自分は究極的には紙の書物が何にも増して好きなようだw

↑改めてじっくり見てみたら『Troilus and Criseyde』だった(゚ ゚;)
これチョーサー版は『トロイルスとクリセイデ』だけど
シェイクスピアになると『トロイラスとクレシダ』になって
逆にボッカッチョのはタイトルが『フィローストラト』でトロイオロとクリセイダ
もちろん時代順にボッカッチョ→チョーサー→シェイクスピアだ

あとの2枚は残念ながら何かわからなかった・・・うぅ(-_-;)

N’espérez pas vous débarrasser des livres

最初から最後までページの進行通りに読んで
本文450ページの本を2日で読了したが
そういう読み方をこんな本でするとは珍しいコトだった

こんな本は『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』
ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの
本についての対談の記録だ

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

1つのテーマについて系統立てて解説してるような本でも
気ままな虫食い読みで肝心の結論は未読だったり
小説でさえも好きなトコロから読み始めて
とりあえず満足したので結末を知らずに放置されてたりするので
特に順を追って読む必要もナイようなこんな本って意味だが
それを自分としては風変わりな(一般的にはごくフツーの)読み方をしたのは
そういう読み方でも無駄が生じナイ確証があったからだ

先になぜ本をフツーに読むと無駄だと思えてしまうのか?

自分の興味の範疇の事柄でも
「フーン・・・( -∀-)」程度の掘下げ方なら読んでも記憶には残らナイし
記憶に残らナイほどのコトならあえて読む必要はナイのだ

人生は短く
生きるための義務に費やす時間ばかりとられてしまい
本を読むためには眠ってる暇さえナイのだから
睡眠より充実したと思える一節に出会えなければ
読書には何の意味もナイ

そういう意味で
日々適度な睡眠をとりつつ本を全く読まナイ人間は一種の賢人だと思う
暇を持て余してて何でも片っ端から読んでるような読書家より
無駄な知識(による頑迷さ)がなく
生きる(ために眠るとゆー)信念は揺るぎナイからだ

話が逸れたが・・・
エーコとカリエール、進行役のトナック(※)にしても
当然ながら現実的に肉体を通しての面識はナイが
書物の宇宙の中では時空を越えて繋がってて
同じ世界観を本を介して共有してる確証があったので
逆に飛ばし読みでとりこぼしの部分があったら勿体なく思えたのだな
ジャン=フィリップ・ド・トナックは『ギリシア・ローマの奇人たち―風変わりな哲学入門』の著者だ

それ以上にリアルでは大先生に比したらこちとら青二才なので
自分の知の欠如によって共鳴しかねる部分が数多露見するであろうが
それは新たな発見への導きでもあり、きっと新鮮な感動が待ってるに違いナイのだ!
そうしてレチフを読むに至った・・・

共和国幻想―レチフとサドの世界 (思想・多島海シリーズ)

レチフは筑摩世界文学大系のサドの巻(※)に収録されてて
実はこれを持ってて気になってはいたのだが
読むに至らず=読み始めるきっかけに巡り会えずにいて
今回カリエールがレチフについて語ってたのが非常に興味深かったので
昨夜初めて読んでみた
LINK:『筑摩世界文学大系【23】サド レチフ』

カリエールの語るトコロによればレチフは

革命期に「エフェミネ(女々し男:めめしお)」と呼ばれた服装倒錯者たちのことを書いたのもレチフです。

しかしそのタイトルまで明記されてナイのがざざざんねん・・・
自分が持ってる筑摩世界文学大系収録のがそうだったら幸せ過ぎるるる~バタリ ゙〓■●゙

さてレチフについては別途語るとして
この本の中で自分がとりわけ感銘を受けた部分などを以下に列挙しておく

シェイクスピア→ヴォルテール→サルトル

サルコジ大統領は『クレーヴの奥方』を読まず

シャトーブリアンの傑作

パラケルススの本から手芸作品?

ラシーヌはジェノサイドを描写する

知と美の撲滅?

口承の正確さについて

異端者を火炙りにするコトと焚書の意義についても
興味深い見解があったのだが
これは併行して読んでるホルヘ・ルイス・ボルヘスの『異端審問』についてと
織り交ぜて詳しく述べたいと思われ

☆追記…
以上が1年前に書いた内容なのだが
その後、レチフが未読のままであるのを思い出したw

L’Amour

今年になって電子書籍を読むようになってからも
相変わらず紙の書籍を買ってるのは
それらが電子化されず、紙でしか読めナイからだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そもそも購入した電子書籍も既読のモノがほとんどで
今月購入した半分以上が紙で所有してるモノだったりするし
更に付け加えれば
それらは子供の頃からの愛読書ばかりで
目新しいトコロと言えば訳者が違うってくらいで
改めて気づいたが
そうして同じ本ばかり読んでるから
未読の読みたい本がなかなか読めずにいるのだった

確かに1日に2時間ほどしか読書に充てられる時間がナイが
仮に倍に増えたとしても
同じ本のしかも同じ箇所ばかり読んでてはちっとも捗らず
未読の本に対する未消化なカンジは変わらナイだろう

ずっと自分の読書欲は=知識欲、だと信じて疑わなかったが
それは実は読む本を選ぶ時の基準でしかなかったのだ

なんせそうして手にした本の
知りたくてたまらナイはずの部分を後回しにしてでも
今、どうしても読みたい衝動に駆られると
悦楽を堪能できると既知である方を再読してしまうのだからして!

そうしてジュール・ミシュレの『愛』ばかりを読んでるるる~

愛 (中公文庫)

これはハードカバーでも単行本でも持ってるが
SONYのReaderにもアロタブ(※)にも入れたくなったのだ
ARROWS Tab LTE F-01D

読書をする場所が寝床か風呂場か出先なら
寝床はアロタブをクレードルに挿しておけば寝ながら読めるし
ページをめくる時にちょんとタップするのにしか
布団から手を出さずに済むから楽ちんだ♪
風呂場もアロタブなら防水で安心♪
但しアロタブは微妙に重いので携帯向きではナイ
他に荷物がなければ問題ナイ程度だが
断然軽い電子書籍専用端末の方が持ち歩くにぱ+.(・∀・)゚+.゚イイ
また待ち時間が結構あって腰を据えて読む場合には
ハイライト箇所やメモをEvernoteに送れたりできるので
SONYのReaderの方が何かと便利だ♪
とはいえ、SONYのReaderを便利に使おうと思ったら
ルータも一緒に持ち歩く必要があるので
最も荷物を少なくする場合にはWiMAX搭載のLideoにする♪

以下はそうしてSONYのReaderから、実際にEvernoteに送ったハイライトの引用だ

男は欲情し、女は愛する。男は何百というポリガミーの宗教や法律を発明してきた。男は楽しむことと、持続することとを求めた。まず自己の快楽を求め、ついで数多くの子孫によって自分が永久に生き続けることを求めた。女は愛し、所属し、自分を与えることのほかは、何も望まなかった。

妻は夫の娘である。夫はそこに若さとみずみずしさとを再発見する。妻は妹でもある。彼女は最も歩み難い道を真向から進み、か弱いにもかかわらず男の力の支えとなってくれる。妻はまた母であり、男を包んでくれる。ときとして男が動揺し、模索し、空には自分の星がもう見えないという、そんな闇の瞬間に、男は女の方をみつめる。すると星は女の眼の中にあるのだ。

これら2節を含めた前後は何度読んだかわからナイくらい読んでるが
どちらも最後の一文にいつも涙してしまう(;つД`)

先のは現実として共感できるからで
幸せなコトに自分はそういう相手と巡り会えたと思えるからだが
後のは理想としてこうありたいと願いつつ
叶わずに終わってしまったからだ

終わった・・・そう確信してた
いや、そう確信しようと最善の努力をしてきた

でも愛の終わりって何だろう?

お互いに、あるいは一方の気持ちが離れた時は
きっと「最初から間違った愛だった」と気づいて離れたのでは?
心が離れられナイような愛だと相手が死んだとしても終わりようがナイもの!

そうと知っても愛を偽りながら生きてくなんて
生きる意味がナイ・・・けど
愛以外にも生きる意味を見出せば生きていけるし
言うほど元々自分の人生において恋愛には何も期待してはいナイ

課せられた義務(結婚・出産・育児)を果たせれば
例え果たせなかったとしてもできる限り果たそうとしたのなら
赦してくれ、これが本音で恋愛は全く別物の絵空事だった

それが唯一無二の相手とお互いに愛を持てたのに
なぜ、つまらナイ諍いで終止符を打ったのか?
打たねばならなかったのか?

そして更にどうしてその終止符を撤回できナイのか?!

もう愛がナイから、と見切りを付けられればどんなに楽だったろう
逆に想いは枯れるドコロか募る一方で葛藤するばかり

でももうどうしようもナイよ、今更・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

そこで諦めや慰めの言葉を探せばよかったのに
ミシュレの『愛』を何度も読み返してしまう自分てのは
快楽主義なのか自虐的なのか???

ワケわからんヽ(゚∀。)ノ

クリスマスの奇蹟

幼少時からクリスマスのミサにはよく参加してた

超高音シャウトで讃美歌を歌うのが愉しみで
特にLes anges dans nos campagnes(あめのみつかいの)の
歌詞の一部をラテン語で歌えるのが気持ちよかった

Gloria in excelsis Deo!
(最高神に栄光あれ!)

ミサに行く目的の大半はこの部分を熱唱するコトにあり
近年では四ツ谷の聖イグナチオ教会でのパイプオルガンの伴奏が
大のお気に入りであるるる~

それにしてもこの日はカナ~リ寒くて
夕方には寒気→悪寒→発熱とゆー一連の体調予想ができたので
それを回避するために寒さに身体を慣らしておこうと
朝9時から散歩に出かけた

北の丸公園をうろうろしてたら
水辺に小鳥の大挙して押し寄せてきて
すかさず木陰に身を隠して息を殺して見守ってると
こちらには気づかずに1羽が接近してきた!

なんと目の前の30cmほどの至近距離の枝にとまり
くるりと振り返ってこちらを見たので
一瞬、目が合ってしまった!!

スズメより少し大きいくらいで
身体はオレンジ色で頭は黒っぽくて、顔の模様に特長があり
ホオジロのオスと判明♪

そんな奇蹟の瞬間の後は余韻に浸りながら
しばし水辺でのバード・ウォッチングを満喫して
すっかりにやけ顔になってから神保町へ

千代田区の消費生活支援事業「スタンプカード事業」の
¥10,000分が三省堂書店で使えるので
これで毎年クリスマスには
普段は買うのを躊躇するような高額な本を買うのだ

自分にとっては三省堂書店の4階の思想・哲学・宗教の辺りが
この世で最も煩悩に塗れてしまう場所で
あれもこれも欲しい本だらけで
吟味してるうちに新たに欲しい本が増えるばかりだw

いつのまにかプリニウスの『博物誌』が復刊してたりして
でも1冊¥6,000超えで全5巻は自分には無理っつ

プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉

全巻集める予定のプルタルコスの『モラリア』の中では
売り場に【8】しかなかったのでこれだけは即決

モラリア8 (西洋古典叢書)
ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ (シリーズ・古典転生)
地中海の暦と祭り (刀水歴史全書)

毎度、思い悩んでは買わずにきてるブルーノの著作集は
今回こそ購入を決意してたのだがそんな時に限って店頭にはなく
でも『ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ』は
むしろ買いだと思ってこれも即決した

と、2冊で既に¥8,000超えだ

ここであともう1冊を悩んだ末に『地中海の暦と祭り』にしたのは
1番興味深かったタンムズ(あるいはドゥムジ、もしくはアドニス)の
死と復活の祭礼について書かれてたからだ

このタンムズの死を嘆く女たちの声が
プルタルコスの『モラリア』の【5】にある逸話・・・
「大いなる神パンは死んだ」の天の声の正体なのだ
とゆー何か確たる証拠を掴みたいので
これは必須の資料と目論んだのだ

他にもクリスマスの起源となった異教の祭祀について
記述があるかもしれナイ、との期待もあった

最後まで買うかどうか迷いに迷ったが次回に持ち越したのは
『洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー』と
京都大学学術出版会の『トロイア陥落せず:弁論集2』と
その他、デカルト、フーコー、キルケゴール、ヘーゲルとか
予算が余ったら堀口大學の『月下の一群』も
母親のを借りるのが面倒なので自分用を買いたかった

洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー

トロイア陥落せず: 弁論集2 (西洋古典叢書)

それ以外に古本屋で
『現代思想』のユング特集号が¥400だったのと一緒に
値段はなかったが『ディオニュソスへの旅』をおそるおそるレジへ持ってくと
『ディオニュソスへの旅』は蛍光ペンのハイライトが多かったお蔭(?)で
なんと¥100だった

ディオニュソスヲタにしてみれば
この本との出会いだけで奇蹟だったと思えるが
値段が¥100てのは二重の奇蹟だったね

本の美醜

ユイスマンスの『さかしま』でデ・ゼッサントが所有してるような
金銀の箔が型押しされた装丁の凝った大型本は言うまでもナイが
購入当時はありふれた新刊だったとしても
元の面影もナイくらいに読み尽くして自分仕様になった本など
内容以上に本自体の存在感を味わってしまうと
電子書籍には愛着の持ちようがナイ

それでも今まで読みたくとも本になってなかった(邦訳がなった)文献が
万が一電子書籍の和書のラインナップにあったら
すぐさまリーダーを買ってしまうだろうし
そこで何かしら不具合があっても目的のモノを読めるまで諦めたりはしナイから
返品とか到底考え付かナイのだが・・・

今回の楽天の電子書籍リーダーKOBO TOUCHの購入者が
不具合で使い物にならナイ本体に憤然として返品したくなる気持ちはわかるが
ポイントで安く買えたから、とか
家電と同じく簡単に扱えると思ったから、とか
○万冊のラインナップのうち1000冊分のインストールが可能だったから、とか
「安物買いの銭失い」のことわざ通りではナイのか?!

それにしても結果的には楽天が余りにも酷いのは火を見るよりも明らかだ!!
消費者をバカにした売り方だったし
日本人の誇りであった技術力にも傷をつけたのだからね!
でも最近は大企業ってこんなもんなのかヽ(゚∀。)ノ

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

父親から譲り受けた昭和初期~戦後すぐくらいに出てた文庫は
簡素な作りで紙質も悪く、印刷もカスレやズレがあって整然とした感がなく
慣れてナイと読み辛い旧仮名遣いの硬過ぎる文面だったりするが
著者(訳者)の心情がストレートに伝わってくるのと
愛読してた父親の信条も読み取れるので
近年になって新装版が出たのを購入したとしても
今まで感じ入って読んでた本を手放す気にはなれナイのだが
絶版だったら後生大切にするしかナイし
既に撚れてる本をどうして無碍に扱えようか?!

また気に入ってる本は恋人よろしく離れ難く
持ち歩いては読み、風呂に入っては読み、寝床で読み、と生活を共にしてしまい
当然ながら疲弊して見るも無残に傷んでしまうのだが
そうなったのも愛するがゆえだし
そうなってみればこそ愛情はいや増すばかりのだ(*^^*)

やはり本は何度も読まれて、その度に感動を与えてこそ価値がある
そしてそういう本は見た目とは別にオーラが違うのだ!
これは本屋に行くと歴然とするが夥しい数の本の中から欲しい本をすぐに見つけられる!!

まるで愛する恋人だけが輝いて見えるように
運命の本はその内容を反映して美しく輝いて見えるのだ

そうして輝きながら惹き付ける本の内容が
自分にとって美しいと感じられれば
どんなに不埒だろうが悪辣だろうが社会に反した内容だとしても気にならナイ

もしかして総てにおいて自分の愛し方が間違ってるのかもしれナイが
そういう愛し方しかできナイ自分を自分で気に入ってて
その部分にこそ自信を持って生きてるのだw

1000冊分のベストセラーより
100冊の生涯の伴侶のような愛読書の方が
人生は豊かになる気がする自分には電子書籍はまだ不要だ・・・たぶん
LINK:電子書籍で岩波文庫を読む

文芸作品の読み方(入手法)




まだ生きてる作家の小説を読めるほど
古典文学を読みきってナイ勉強不足の自分だが
その古典文学や歴史書以上にも学術的な要素がたっぷりならば
むしろ何を差し置いても読まねばなるまい!

そう思い起こさせた唯一の小説は
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』だったが
次作の『フーコーの振り子』が実は未読だったりするのは
なぜならこれは現代(20世紀)が舞台の話なので
そうと知って読む気を失ったのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そのまま時は過ぎて
その後は特に気にかけてなかったが
ここへきて既に4作目となる『バウドリーノ』が
岩波書店から11月11日発売と知った
ググッてみたらこれ本国イタリアでは10年前の2000年に出てて
現在6作目が2010年10月発売らしい!!

てコトは『バウドリーノ』は翻訳に10年かかったのか?!
てか註釈の考証で10年かかったのかな~
なんせ十字軍の物語らしいから
自分も含めて日本人には基本的な部分まで注釈が必須だ
とはいえ一応世界史にだって出てくるのだが・・・

十字軍といえば塩野七生の『十字軍物語』も出たばかりだ

この著者はどこまでが史実なのか不明瞭で
私見が述べられてる部分が自分とは尽く合わなくて
まず再読するコトはナイから購入意欲は湧かナイが
読んでなければ文句も言えナイから
とりあえず読んでみたいのだが・・・とここで閃いた

もしかしてこういう手元に残したくナイ本を読むのに
電子ブックは最適のツールなのか?!

いや、著者の利益になるのを避けるなら
古本屋に安価で出回ったのを買って読むべきなのか?
電子ブック市場に対しても加担したくナイしなw

『バウドリーノ』は当然ながら新刊を買うのが筋だと思ってるし
実際に新刊を購入するのに何も問題はナイが
自分が欲しい本の多くは新刊が売られてなかったりするので
古本屋に頼らざるを得ナイのだ
でも著者もとっくの昔に死んでて印税も関係ナイから
それはそれで何も問題はナイのだがねヽ(゚∀。)ノ

しかし万が一そういうモノが電子ブックで読めるとなったら
古本屋探すより手っ取り早いから頼ってしまうのか?
もれなく電子ブック擁護派になったりして???
そんな事態は起こらナイだろうが・・・

そういえば海外の電子ブックの状況はどうなのだろう
翻訳されてナイのが原文で読めたりはするだろうね
ポーランドなら自国の英雄シェンキェヴィチの作品くらい
総て電子ブック化されてるはずだな
読めナイけどね、ポーランド語。・゚・(ノД`)・゚・。

それにしても『バウドリーノ』は上下巻で¥4,000で
『世界で一番美しい元素図鑑』も同じくらいなのだよな
どっちを先に買うかが悩みドコロ・・・

読書週間

普段から本を読むコトを心がけてると
読書週間だからどうってコトもナイんだけどw

とりあえず今は
フランス革命に没頭してるので
今年いっぱいはその辺りの本を読もうと思ってる

ヴォルテール
ディドロ
ダランベール
モンテスキュー
ルソー

特にルソーはそれ以外にも理由があって
『エミール』を読み直してみたい
この1~2年で友達がオメデタ続きなのであった(*^^*)

それとは別にフランス革命についての本で
特にヴァンデ軍に関するモノを
週末には検索してみようと思うが
フランス革命の本って意外と少ナイんだよな・・・

かつて人権宣言とラファイエットについて
詳しく書かれた本も探してたが
これも゚+.(・∀・)゚+.゚イイモノが未だ見つかってナイ
今回この辺ももちろん探す予定だp(-_-+)q

その辺で年内はもういっぱいいっぱいかな~

来年早々からは3月のダーウィン展に向けて
ダーウィンはもちろんだけど
『進化論の文学 ハーディとダーウィン』とゆー本があるので
これを読む前にもれなくハーディもがっつり読もうと思う

またこれらを読んでる間に
きっと参考にしたい資料も色々読むコトになるんだろうな

時間とお金が足りナイよぅ。・゚・(ノД`)・゚・。

まあ裏を返せば
それくらい本だけで幸せになれるんだから
ある意味安いヤツだってコトか?!

【参照】フランス啓蒙思想