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筑摩世界文学大系がお気に入りなのは
本文以外が充実してるからだ

巻末には必ず
充実した「解説」と詳細な「年譜」があり
更に巻によっては
他の作家による論文が収録されてたりするるる~

筑摩世界文学大系のモーパッサンの巻には
ロシアの文豪トルストイの『モーパッサン論』が・・・

筑摩世界文学大系【44/47】モーパッサン



「女の一生」岡田真吉訳
「ベラミ」中村光夫訳
「脂肪の塊」杉捷夫訳
 短編 杉捷夫訳
  「山小屋」
  「ペルル嬢」
  「橄欖畑」
  「シモンのパパ」
  「わら椅子直しの女」
  「狂女」
  「海の上のこと」
  「ジュール叔父」
  「ひも」
  「老人」
  「雨がさ」
  「くびかざり」
  「酒樽」
  「帰村」
  「あな」
  「クロシェット」
  「港」
「モーパッサン論」トルストイ / 木村影一訳
 解説 中村光夫
 年譜

そしてこれがモーパッサンを論じてるってよりは
モーパッサンとゆーフィルターを通して
自身の主義・思想を述べてるカンジで
大変興味深い内容になってる

なんせロシアには近代に至るまで
自国語の口語文学がなく(※)
仏文学に対するロシア人作家の劣等感は
そりゃあ根が深かったろう
ロシアの宮廷ではフランス語をしゃべってたくらいだ

貴族で才能にも恵まれてたトルストイだが
仏文学に対してのコンプレックスはあったに違いナイ

晩年のトルストイは
勤労農民の素朴な信仰心に回心させられ
自身の貴族の身分を恥じるようになったりもするが
「モーパッサン論」を書いてる時点では
まだその境地に達してなかったらしく
『女の一生』を大絶賛してるのが笑えるw

トルストイはあくまでも貴族目線で
主人公の貴族女のジャンヌに降りかかる
身に余る不幸を憐れみつつ
打ちひしがれても無抵抗でいる女に対して
純粋だとか、清らかだとか
見当違いの感動をしてるのであるwww

1日の大半が仕事に消費されて
やっと生活が成り立ってる勤労庶民には
(要するに自分のような人間には)
生まれながらにして生活苦には無縁で
自らが稼ぐ必要が全くナイ上に
家事や雑事さえも人任せの貴族女ジャンヌが
どんな悲劇に見舞われようが
おざなりに生きてられるのなんて
羨ましいくらいで、同情の余地無しp(-_-+)q

既に子供も与えてくれた夫に浮気されようが
その子供の放蕩が過ぎようが
それで明日のメシに困りゃあしナイのだから
悲しみに暮れてばかりいナイで
好きなコトをして楽しく生きればいんじゃん?

無趣味で無教養ゆえに
暇を持て余してるだけの貴族女が
「何もやるコトがナイ!」
などと嘆いてるのに対して
「なんと道徳的な女だ!!」
と感動できるトルストイのおめでたさには
さすが貴族、としか言いようがナイw

察するに
トルストイの周囲の貴族女はきっとこんなだろう

依頼心の塊のクセに我が強くて
欲深なワリに自身では何一つ行動を起こさず
気に入らなければ文句だけは人一倍

そんな女たちの厚かましさに
トルストイは辟易してただろうから
無欲なジャンヌを清らかな乙女として
崇め奉りたくもなるワケだ

ジャンヌときたら
ダメンズのダンナに騙され続けても
更に息子もダメンズに育て上げて
挙句に財産をもぎ取られても
他力本願で受身であり続け
生きるコトに消極的なままで
本ト、心底無欲・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とはいえ
この時代の女が生きるためには
食わせてくれる男に対して
身を委ねるしかなかったのだから
貴族女も百姓女も娼婦も
男に傅かねばならなかった

それとゆーのも
社会が女にはごく限られた仕事しか与えず
微々たる収入を得る手段しかなく
それで生計を立てるのは大変なコトだったのだ

『女の一生』の原題『Une vie』は
直訳すれば「人生」で
とあるありふれた女の生涯の物語の意だが
このタイトルの解釈からして
トルストイの感覚が一般庶民とはズレてる

この作品の内容をなすものは、題名が示すとおり、破滅させられた、無邪気な、美しい行いならなんでもする素質を持った、愛すべき女性の一生の叙述である。

バタリ ゙〓■●゙

またモーパッサンの『女の一生』以外の作品について
トルストイは特にその芸術性について貶してる

モーパッサンのようにしか民衆を描かない作家、つまりブルターニュの下女たちの腰や乳房にしか興味を持たず、はたらく人々の生活は嫌悪と嘲笑とをもって描く作家は、芸術家として大きなあやまちをおかしているのである。

何が1番気に入らナイかって
男たちの放縦さにあるらしいが
トルストイはフランス文化に対して
畏敬の念を抱いてるからこそ
フランス男らの興味が
肉欲をそそるような対象にしかなく
貴婦人のはちきれんばかりに盛り上がった乳房や
下女の粗末なスカートを揺らす肉厚の尻などにあるのを
モーパッサンが赤裸々に描いてしまうコトに
「裏切られた感」があるぽい

しかもそこで女の方もそれに呼応して
お互いに理性を働かせるコトなく
本能に付き従ってしまうので
その低俗さに耐えられナイのだろうが
そこは自分も苦手意識があって
トルストイの言い分を理解はできる(゚*゚;)

でもだからって
放縦な男に騙されてる女に対して
それだけで同情するのはどうかと思う

逆にその放縦な男が
他の全ての性質も性悪だとは限らナイし
男のせいで不幸な目に遭った女が
それでも男を愛してる可能性もあるしね

トルストイは恐らく
放縦な男を悪と捉えてて
男が悲惨な目に遭ったり死んだりする場面では
きっと胸を撫で下ろしたりするのだろうが
そういうトコロもさすが貴族・・・

自分がジャンヌだったら
毎日自由時間を満喫して過ごせるだろうから
それを自覚できたら幸せ過ぎて
ダンナにも同等に幸せになる権利があると思えて
快楽を与えてくれる女に夢中になるのなんて
咎めようもナイけど・・・
既に息子を儲けてるのだから
自分に対しての義務は果たしてくれたんだしね

お互いに義務から解放されて
それぞれの快楽に耽ってるなんてのは
もしかしたら夫婦の理想形態ではナイだろうか?!

どんなに恵まれた人間も
そうと気付かなければありがたさを感じず
人生をどう生きるか以前に
まず今日を生き抜かなければと
そのために働いてる人間に
どう生きるか悩んでる時間は殆どなく
だからさもトルストイのように
「高潔に生きよう」とか誓ってるヨユーは
勤労庶民にあるはずもナイのだよ

『女の一生』以外の作品では
モーパッサンは生々しく庶民の人生を描いてて
それが自分には共感できるし素晴らしいと思えるが
そういう作品を蔑むトルストイは
さすが貴族、だ(こればっかりだな)

そして自分が『女の一生』を蔑みつつも
何度も読んだり映画を観てるのは
自身より社会的に恵まれた立場の女性の
無欲さが織りなす悲喜劇によって
自身の現実の厳しさが和らぐからだろう

どう控えめに見ても
ジャンヌより自分の方が
充実した人生を愉しみながら生きてる♪

モーパッサンのエスプリやユーモアと
自分のような江戸っ子の洒落は
生真面目なトルストイと無欲なジャンヌにゃ
理解できまいヽ(゚∀。)ノ

大きくなったら書斎を持つのが夢で
子供の頃(1970年代)にイメージしてた大人の自分は
憧れの全集が収まった本棚を背にしてる姿だった

思い描いてたような書斎は持てなかったが
自室はクローゼットも天袋も本棚として利用できてるので
分相応と満足はしてる
但し、肝心の全集が殆ど総て絶版状態で
まさか古書を求めるしかなくなるとは思いもよらなかったヽ(゚∀。)ノ

それにしても現代日本においては
自分のように殆ど古典しか読まナイ人間が稀有な存在なのか
不朽の名作さえ入手困難(もしくは不可能)だ・・・バタリ ゙〓■●゙
一昔前までは必読書100冊などとされてて
あちこちの出版社からこぞって刊行されてたのが嘘のよう!
筑摩世界文学大系と中央公論社(※)の世界の名著の
2つの全集をほぼ収集するのに10年以上かかってしまった!!
後に中公バックスとなった(詳細は下記参照)

☆・・・☆・・・☆

同じ本を生涯に何度も読むが
再読したくなる部分は科学でも哲学でも小説でも同じで
静かな感動を与える流麗な文体そのものだったり
心底共感できるヒューマニズムの表現だったり
自分の中に新しい世界観が構築された喜びだったり
現実において不足してる美・情・快を補って余りある要素だ

これらの要素を感じ取りながら読み
更に思索をしながら深く理解し得るために
著者のプロフィールは欠かせナイが
これに著者のバックグラウンドが総括されてれば
自分のような読者としては非常に嬉しい

そんな要望に適ってるのが筑摩世界文学大系と中公世界の名著で
タイトル通りに前者は文学全集で
本文があってから解説などが巻末にあるが
後者は科学・哲学・歴史・宗教などの言わば思想の著で
巻頭に何十ページにも渡る訳者の解説があり
専門的過ぎて敷居が高そうな著作でも
これらの解説を読んだ後で本文を読み始めると
すっかり訳知り顔で誤謬も少なく読み進めるのだヽ(´▽`)/

書き出し「世界文学全集」

筑摩世界文学大系(第1期分)(※)は
世界文学全集が数多ある中でも名作や名訳揃いで
解説や年譜などの資料が充実してて
他作家による書評もある、てか、この書評こそが
本編以上に価値があったりするのだが
更に月報付きで引用の栞まで付いてたらラッキー♪
第1期分とあるのは2度に渡って刊行されてて、ラインナップが違うからだが
自分が蒐集してるのは殆どが第1期分(1958年~1968年刊行)の方だ
第1期分の方が第2期分よりも数年古いのだが概ね状態は良好で
所持してる中で函がナイモノもあるが本自体は新しく見えるほどに美品だし
函に多少傷みがあるモノも本自体には全く損傷がナイ
いつどこで購入してもなぜか状態が悪かったためしがなく
1冊だけもれなく背表紙が危なっかしいのも購入時には問題なく
自分が持ち歩き過ぎてよれてしまったのだった

とにかくこのシリーズの紙質の良さは素晴らしく
とても今から半世紀近く前の本には見えず
ネットで安価で見つける度に安心して即座に購入してるが
これがクローゼットの上部棚に並んでる図は壮観。・゚・(ノД`)・゚・。

中公世界の名著も2度に渡って刊行されてて
第1期分は中央公論社から全66巻で出てたのだが
1980年代に中央公論新社(中公バックス)から全81巻で出てて
第1期分からあるモノの内容は第1期分でも変わらずに
新たにラインナップが増えてる分だけ巻数が変わってるのだが
装丁は全く別物ってくらいに変わった。(゚д゚lll)ギャボ

古い中央公論社版は函入り月報付きで
本自体がしっかりした作りなので
函がいかれてても本は綺麗で安心して買えるのだが
中公バックスでは函入りでなくなって紙質も悪くなって
特に表紙が金箔押しだがペラペラなので
近年になって古本屋で見かけるのは
経年による劣化が古い中央公論社版以上に目立ってる場合が多い

とはいえ、それでもかつての渇変してしまうような文庫本とは
比較のしようもナイくらいの微々たる劣化だが・・・

☆・・・☆・・・☆

電子書籍時代を迎えるに当たって、切に願うコト

ベストセラーは電子ブックのみで賄え!
一時的に何十万部も売れてもすぐに手放すようでは
紙の無駄でエコにも反する!!
売れなくても必要としてる人間が手にして
ずっと手元に置いておく本だけが本の形状としてあるべきp(-_-+)q

☆追記...
この記事を書いたのは2007年頃で
当時は自分が電子書籍を読むようになるとは思ってなかったが
実際に、電子書籍を読むようになってみると
これ以上、本を増やせナイ物理的な事情からしても
筑摩世界文学大系と中公世界の名著こそ
電子書籍化すべきだと思う
日本の未来のためにもこれらが絶版のままは惜しい。(´д`;)ギャボ

自分が寝る時間を削ってでも読書をするのは
悪夢に魘されてるよりは本を読んでる方が幸せだからだが
不眠不休でその幸福を味わえナイのが人間の宿命で
自然と日々3~4時間は寝てしまうモノだ

睡眠の科学―なぜ眠るのかなぜ目覚めるのか (ブルーバックス)

もちろん睡眠不足が齎す弊害も心得てるので
観念して眠気と無駄な格闘はしナイが
眠ってるより起きてる方が時間を有意義に使えた気分になるし
6時間も寝てしまうと無為に過ごした後悔に苛まれてしまう

それとゆーのも1日24時間の内
やらなければならナイ義務に費やす時間が
やりたいコトをやれる時間より圧倒的に長くやるせナイからで
その不満を少しでも解消する手っ取り早い方法が
眠らずに本を読んで過ごす、ってワケだ

ところがそういう差し迫った状況や
差し迫った状況に自分を追い込みやすい気質を覆して
自暴自棄になって呑んでるだけで時間を過ごせるのだから
アルコールの威力はたいしたモノだな( *゚Д゚)つ[酒]
半分は眠ってるような、もう半分は気絶してるような
そんな朦朧とした状態だと損も得もなく本心が顕現するるる~

このまま現実の世界とはもう縁を切りたい・・・

死にたい、てのとは違う、永遠にでなくw
ちょっとだけ日常のあらゆる拘束から解放されたい
ちゃんときちんとやってるのに
毒づかれて心が疲弊するあの不毛な瞬間を
今日1日だけでも味わいたくナイのだ。(´д`;)ギャボ

だからって、呑んでは壊れ、壊れては呑み
完璧に人格が崩壊して、意識を失って、倒れて、怪我して
這う這うの体で帰宅の途につく・・・
なんて呑み方が毎度なのはさすがにどうかしてるレベルだろうて
これ以上の大怪我をしナイうちになんとかしなきゃヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

リア充、てのはリアル(現実)が充実している人、の意だが
現実=社会生活、に馴染んでるのが当人だけでなく
恋人や友達や同僚もそうである場合に使われるのが専らで
つまり、社会的な立場において貶める隙がナイ人だ

なので、ヲタが人生の目的を達成してたとしても
それが客観的に見て社会性を欠くのでリア充認定はされナイが
現代日本人にとってのステイタスに迎合するのに必死なリア充より
実際、充実度は高いのではなかろうか?

世界の名著〈29〉ヴォルテール,ディドロ,ダランベール (1970年)

 実を言えば、なににもなりたいとは思わないんです。全然なににもなりたくありません。勉強がしたいんです。私は今のままで充分で、なんの不足もありません。ほかにはなにもほしくありません。

パリの法律事務所で見習いをしてた若きディドロのこの発言は
父親を激怒させた(送金も打ち切らせた)が
自分も全く同じ気持ちなのでわかる
これが叶えばディドロも自分も至福であろうとヽ(´▽`)/

哲学 I 〈新装版〉 (ディドロ著作集)

自分はヲタでリア充てのとは対極的な存在で
本を読んで勉強する時、いや、とゆーとなんだな
故人の考えに触れて世界を慮る時、が正しいだろうか?
不明なコトを明らかにしたいからそうするのだが
その答えを得る以上に共鳴したいのだ

世界観を構築する一助となる言が顕現した瞬間
著者とは時空を超えて同志としての一体感を得るのだが
簡単に言えば、世界が燦然と輝き、孤独が癒される
この奇跡が起きたような感覚を一度、味わってしまうと
それだけで満足できてしまうので先のディドロの言葉通りなのだ

とはいえ、ディドロも自分も生身の人間なので
生きてる限り、衣食住を賄う収入を何らかの形で得なくてはならず
本を読んでるだけ、とゆーワケには行かナイ!

自分は生まれながらに勤労者の資質があったので
一労働者として生きてくコトには疑念を抱かなかったが
もう四半世紀以上も1週間の連休さえとれずに
ある意味ずっと働き詰めだったので
会社を辞めて、とりあえずトルコに旅行に行く
そんな計画を昨年の念頭に立てたのだ!!

それが計画後1ヶ月もしナイ内に母親が入院したのをきっかけに
気がつけば介護生活に突入してしまい
当然ながらトルコにも行けなくなってしまった。(゚д゚lll)ギャボ

ポイズン・ママ―母・小川真由美との40年戦争

そんなんでどうにも現状が腑に落ちず
日々の仕事や家事や介護がそれ自体キツイとは思わナイが
母親の吐き出すちょっとした毒で
今更ながらいちいち心がささくれやすくなってるみたいで
なんとも堪えてるのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

☆・・・☆・・・☆

リア充もヲタも生きる目的は幸せになるコトで
そのために何が必要で、どうすればそれを得られるか
そこに違いがあるだけなので
もっとシンプルに突き詰めてみようp(-_-+)q

義務は義務として、こなし(やっつけでも構わんw)
本を買うために働いて、本を読むために睡眠時間を減らす

ん、これで゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ♪

中世騎士物語の代表作と言えば
『アーサー王物語(Arthur)』
『トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)』
『ニーベルンゲンの歌(Niebelungenlied)』
『ローランの歌(Chanson de Roland)』

トマス・ブルフィンチはこれらの中から
『アーサー王物語』と『トリスタンとイゾルデ』を取り上げ
他にも英国民族の英雄伝説を加えて
『中世騎士物語』(詳細は前項参照)としたが
『ローランの歌』も『シャルルマーニュ伝説』として編纂してて
自分はこれを今世紀になってから入手して読んだ

シャルルマーニュ伝説 中世の騎士ロマンス (講談社学術文庫)

  • まえがき
  1. 序論
  2. 十二勇士
  3. 御前試合
  4. アルブラッカの攻囲
  5. リナルドとオルランドの冒険
  6. フランス侵攻(1)
  7. フランス侵攻(2)
  8. ブラダマンテとロジェロ
  9. アストルフォと女魔法使い
  10. 海魔オルク
  11. アストルフォの冒険はつづき、イサベラの冒険が始まる
  12. メドロ
  13. 狂ったオルランド
  14. ゼルビノとイサベラ
  15. アストルフォ月へ行く
  16. アフリカでの戦い
  17. ロジェロと結ばれるブラダマンテ
  18. ロンスヴァルの血戦
  19. バヤールを取り戻すリナルド
  20. リナルドの死
  21. ユオン・ド・ボルドー(1)
  22. ユオン・ド・ボルドー(2)
  23. ユオン・ド・ボルドー(3)
  24. オジエ・ル・ダノワ(1)
  25. オジエ・ル・ダノワ(2)
  26. オジエ・ル・ダノワ(3)
  • 訳者あとがき

吟遊詩人に歌い継がれてきた中世騎士物語には
確固たる原典が存在しナイのは然りだが
そうでなくてもアーサー王と円卓の騎士の一連の物語は
非科学的な要素が満載でほぼファンタジーなので
現代日本人の自分には史実として受容するのはとても無理だし
実際、史実とはまるで噛み合ってナイ

ところが『ローランの歌(シャルルマーニュ伝説)』は
実在の人物や歴史的事件なども登場するので
史実との摺り合わせができる部分もナイコトはナイのだが
当初(中世後期)、武勲詩として成立したモノが
イタリア・ルネサンスの作家らによって叙事詩として再編された際に
時代背景が変わってしまっても時代考証などお構いナシで
ウケ狙いでエピソードも盛ってるだろう写本ができ
ブルフィンチはそれらを底本にしてダイジェスト版にしたので
信憑性に欠ける、てか、信憑性はナイ。(゚д゚lll)ギャボ

ここでブルフィンチのセンスが素晴らしいのは
底本でいかにも原典のように装ってるが
その恭しい装いがバレバレなのをそのままにしてる点だ
事実として疑わしい部分に

(そうチュルパン大司教は主張している)

などと、嘯いてるのが可笑しいw

『シャルルマーニュ伝説』を読み始めた時分は
馴染みのキャラクターが登場する『中世騎士物語』に比して
とっつきにくく、話も散漫で読み辛いと思われたが
読み進む内に超絶美形で根明オバカのアストルフォに惚れ込んでしまい
トリスタンもランスロットもどうでもよくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

またアストルフォの登場するエピソードが格別に愉快で
冒険譚の荒唐無稽レベルなんてラノベ。(´д`;)ギャボ

☆・・・☆・・・☆

自分が土曜日に働いてる新宿2丁目の少年アリス(※)は
新宿ゴールデン街のBar†ジュールの姉妹店なのだが
この店名のジュール(Jules)はどこからきたのかと思っていたら
サイトに誕生秘話があるのを発見!
なんとJules Verne(ジュール・ヴェルヌ)だった!!
少年アリスは2014年3月に閉店

まあ自分はJulesと言えばMichelet(ミシュレ)だが
ジュール・ヴェルヌも大好きな作家の一人で
『十五少年漂流記』『地底旅行』『海底二万里』は何度も読んだ

しかし店名のきっかけとなった『月世界旅行』は未読で
これを原作とした映画の存在も初めて知ったが
このシーン、てより、この顔は見覚えがあるような気がして
タブレットで検索するも、答えの見つからナイ内に寝落ち・・・バタリ ゙〓■●゙

ジョルジュ・メリエスの月世界旅行 他三編/映画創世期短編集 [DVD]月世界へ行く (新装版) (創元SF文庫)月世界旅行

そんなだからか、まんまとこの顔のある満月が夢に出てきて
「ほら、やっぱり見たコトがあった・・・でも何でだったっけ?」
とか、まだ目に刺さってナイ満月野郎と会話するのだが
「初めて月に着た人間が誰か知ってるか?」
なんて聞かれて咄嗟に出た答えが
「アストルフォ?!」

いやいや、フィクションだから、てか、夢だしヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

そんなんでアストルフォを思い出して
久々に『シャルルマーニュ伝説』を読もうとしたら
自分の持ってるのは講談社学術文庫版なのだが
余りの字の小ささに思わず眩暈・・・

電子書籍に慣れてしまったので
小さい字が苦痛に感じるようになってしまったのだった
早速、電子書籍化されてナイか探してみると
以下の表のような結果になった

現代教養文庫ライブラリーグーテンベルク21
Amazon Kindle上巻¥600+下巻¥600ナシ
SONY Reader Store上巻¥630+下巻¥630¥840
BookLive!上巻¥630+下巻¥630¥840
hontoナシナシ
YAHOO!ブックストア上巻¥630+下巻¥630ナシ

上下巻セットで¥1,260と全1巻で¥840となると
値段に¥420も違いがあるのだが
訳者はどちらも講談社学術文庫と同じく市場泰男で
ファイル形式も同じXMDFだったので
同じ内容ならグーテンベルク21版を買いたいのが人情だ

中身にどんな違いがあるのかサンプルを見てみたら
現代教養文庫ライブラリー版は
目次を見る限り講談社学術文庫版と同じ内容で
グーテンベルク21版はサンプルでは目次が見れなかったが
閲覧可能な途中の部分が講談社学術文庫版と全く同じだったので
とりあえず、安い方を買ってみるコトにした

シャルルマーニュ伝説(上) 中世の騎士ロマンス (現代教養文庫ライブラリー)シャルルマーニュ伝説(下) 中世の騎士ロマンス (現代教養文庫ライブラリー)

結論を言えば、値段は違えど、内容は同じだった
要するに、グーテンベルク21版がお買い得だってワケで
選択肢はSONY Reader StoreかBookLive!に絞られ
購入時点でのキャンペーンなどを加味したポイント還元率も見合わせて
今回はSONY Reader Storeで購入

ちなみに、YAHOO!ブックストアが選択肢に入らなかったのは
対応デバイスに[アプリ未対応]となってたからだが
[アプリ未対応]だとダウンロードできず
ブラウザからクラウド上の本しか読めナイので
オフラインで読むコトができナイ不便さがあるのと
万が一、YAHOO!ブックストアがなくなったとしたら
せっかく購入した本が読めなくなる可能性もなきにしもあらずなので
生涯に何度も読み返したい本を買うのには適さナイのだ

☆・・・☆・・・☆

↓↓↓『シャルルマーニュ伝説』オススメサイト↓↓↓

2号館【サガと各国神話】

人生において最良の本を10冊選ぶとしたら何を選ぶか?

30年前に選んでたであろう10冊(タイトル)を前記事で挙げたが
これらによって構築された世界観を共有し
自分とゆー人間の根源的な性質を育まれながら
何より思想・主意を明確に方向付けた本だ

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

とにかく当初は興味の対象が何なのかははっきりしてたので
読むべき本をリストにして片っ端から読み漁ってった
未だリストにある本を読み尽くせずにいるが
読めば読むほどリストに本が増えてったからである・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

読んでる本の中で参照してる本とか
読んでて新たに湧いた疑問を解決してくれそうな本とか
果てしなく連鎖が続くのだが
その連鎖の中で1度通りすがるだけの本もあれば
何度も出くわす本もあり
どちらも世界観を構築する一助となったのは間違いなく
読後には必ず世界観が緻密さを増し、深まり、拡大してった

なので壮大な世界観(ヴィジョン)からすると現実の世界(リアル)は
時間的にも地理的にも大海の中のほんの一滴でしかなく
個人レベルでの出来事なんてモノは
存在しナイに等しく微小に感じられるようになった・・・
(誤解のナイようにあえて言っておけば
これはあくまでも規模についてだけを言及してるのであって
「存在しナイに等しく微小」=劣ってる、ではナイ)

このヴィジョンとリアルの観念は
これまではなかなか理解してもらいにくかったが
最近は「リア充」なんて便利な言葉が派生するくらい
とりあえず「リアル」は市民権を得たようだw

で、「リア充」てのは一般的な定義として
社会に則して一個人の日常生活が適ってる人に対して使われてて
ダーウィンの言葉を借りれば社会に対しての「適者」で
世間に「リア充」認定されるとゆーコトは
自己顕示欲が強い人にとっての1stステップだろうか?

とはいえ、既に世間てモノからして絶対的な存在などではナイし
曖昧模糊とした中で「リア充」と認められても
卑屈な人間の羨望の眼差しを受けるくらいなモノで
換言すれば余り旨味のナイ立ち位置かもしれナイ。(゚д゚lll)ギャボ

現代日本社会に身を置いてる人間ならば
当然、社会的な立場を全く無視した行動は出来ナイが
社会的な義務さえ果たしていさえすれば
それ以上にどう生きたって他人に文句を言われる筋合いはナイので
「リア充」も人によっては幸せの一つの形なのだろうが
万人に通じる幸せの定義や条件などでは決してナイ。(´д`;)ギャボ

そもそも皆、本能的に幸せを求めて生きてきてるはずで
ただ、子供の頃に思い描いた幸せの図を
大人になってもそのまま持ち続けて突き進んでる人は稀で
たいていはその時々(年代)で変化してくので
変わる度に悩んで軌道修正して新たな幸せの図を目指すしかナイワケだが
ずっと我が身の不幸を嘆いてるだけの人って何なのだろう?

自省録 (岩波文庫)幸福な生活について (大学書林語学文庫 3011)幸福論 (集英社文庫)

自身で何が幸せかを把握して
叶うように働きかけながら日々を過ごせば゚+.(・∀・)゚+.゚イイだけなのに
どうして何もせずに周囲に文句を言うんだ(;つД‘)

幸せになりたい、ではなく、幸せに生きたい

幸せになりたい=今現在は不幸せだなんて認めるのは嫌だ

幸せに生きたい=今そのために何をどう工夫すれば叶うか?

幸せだと思うのは例えば・・・
水辺がある緑の中を散歩してる時で
その時に出会う自然科学の発見はときめきを齎すし
帰宅してネットや本で調べてそれが何なのかわかれば満たされるるる~
ましてそこに心躍る美しい法則が存在してるのを知ったとしたら
その瞬間こそが自分にとっては至福なのだヽ(´▽`)/

荒野のおおかみ (新潮文庫)さかしま (河出文庫)サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)

無意識に、あるいは意識して、希求する知識や智慧が得られた時の
あの魂がスパークするような快感が恍惚(エクスタシー)だが
そんな感覚を安易に即座に得られるのがわかってて
何度も繰り返し読むのが愛読書ってヤツだよ・・・ホゥ(*-∀-)

饗宴(プラトン著)
サテュリコン(ペトロニウス著)
幸福な生活について(セネカ著)
自省録(マルクス・アウレリウス著)
君主論(マキャヴェリ著)
悲劇の誕生(ニーチェ著)
さかしま(ジョリ・カルル・ユイスマンス著)
荒野のおおかみ(ヘルマン・ヘッセ著)
人間論(アラン著)
幸福論(アラン著)

アランが2冊になってしまったが
実は『人間論』を読むほど『幸福論』は読んでナイ

アラン 人間論饗宴 (岩波文庫)新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)

恐らくパスカルの『パンセ』やルソーの『エミール』は
アランの『幸福論』よりもよく読んでるが
それは不可解な部分が多くて読み直してるだけで
自主的に幸せを求めて読んでるのは『幸福論』かな、と・・・

そりゃまあ『幸福論』てだけのコトはあるってヽ(゚∀。)ノ

人生において最良の本を10冊選ぶとしたら、何を選ぶか?

30年前に選んでたと思われる10冊(タイトル)なら

生きている地球(学研学習マンガ)
ビーグル号航海記(チャールズ・ダーウィン著)
幸福な王子(オスカー・ワイルド著)
にんじん(ルナール著)
シートン動物記(アーネスト・T・シートン著)
ハックルベリー・フィンの冒険(マーク・トウェイン著)
宝島(スティーヴンソン著)
クォ・バディス(シェンキェビチ著)
埋もれた世界(A・T・ホワイト著)
キュリー夫人 愛と科学の母(清閑寺健著)

これらは人生の初期段階で世界観を構築するのに役立ったが
人生の岐路においても常に道標となった

生きている地球 学習漫画 地球の歴史 (3) (学習漫画 地球の歴史)

『生きている地球』は虚弱体質だった幼少の砌に
通ってた小児科の待合室に置いてあり
【ビッグバン】から始まる地質時代の様子が描かれてて
それはまさに知りたかったコトだったので
読んでは興奮して更に熱が上がったw

生命の誕生から人類の誕生までの道程
要するに【進化論】には魂を揺さぶられたが
特に生命の誕生についてのオパーリンの【コアセルヴェート説】は
以来、「干潟」と聞いただけで涙が溢れてくるほど
神々しく美しい生命のスープの光景が胸を打った。・゚・(ノД`)・゚・。

そうして生きている地球を実感した自分は
更にダーウィンの『ビーグル号航海記』(※)によって
自然の厳しさ(ある意味無慈悲さ)と
そこに生きる生物の力強さと儚さ、強靭さとしなやかさといった
地球が織りなすドラマに感じ入った
【進化論】を構想するに至った経緯が綴られてる航海日誌

だから同時期にキリスト教かぶれの母親から
旧約聖書の冒頭の創世記による世界の始まりを押し付けられるも
話が矛盾しまくりで突っ込みドコロ満載な寓話としか思えなかったのだ

生温いお人好しの江戸っ子だった自分は
『幸福な王子』でワイルドのペシミズムに衝撃を受け
自分だけが母親に嫌悪されてると悲観してた時
『にんじん』で同士を見出してほっとした

『シートン動物記』で動物の生態に興味を持ち
とりわけ「狼王ロボ」でオオカミが大好きになり今に至るが
その後、椋鳩十の動物モノにも夢中になり
扱われてたワシ、イヌ、シカなども格別に好きになった

『ハックルベリー・フィンの冒険』や『宝島』は
後に海洋小説とそれを原作とした映画にハマるきっかけになったが
元より『ビーグル号航海記』からしてそうかもしれナイ

『クォ・バディス』(※)はキリスト教寄りの歴史小説だが
最も魅力的と思えた登場人物はペトロニウスで次いでネロとセネカだった
当時はまだキリスト教に対して反感は抱いておらず
もれなくこの小説こそが不信感を募らせる要因になったのだヽ(゚∀。)ノ
映画のタイトルでは『クォ・ヴァディス』、新訳(岩波文庫)だと『クオ・ワディス』

『埋もれた世界』はトロイア、エジプト、メソポタミア、マヤの
遺跡を発掘する夢に人生を懸けた考古学者たちについて
子供にもわかりやすく書かれてて(翻訳されてて?)
ここでまた古代文明、中でもトロイアに惹かれた

たくさんの伝記を読んだ内では『キュリー夫人』に1番感銘を受け
化学者としてノーベル賞を受賞した女性、なる肩書きに憧れて
自分も化学だけは執り憑かれた様に勉強したのだが
物理学を理解できるほどの知能は持ち合わせておらず。(´д`;)ギャボ
『クォ・バディス』の著者シェンキェヴィチも
同じくノーベル賞を受賞してるポーランド人なのだが
とは言え、2人の時代にはポーランドは地図上から消えてて
2人とも祖国独立を悲願してたのだった
結局、シェンキェヴィチは独立を目にする前に命尽きたが・・・

Bulfinch's Greek and Roman Mythology: The Age of Fable (Dover Thrift Editions)

上記10冊の他に世界観を構築するのに補助的な役目を担ったのが
山川出版の日本史用語集と世界史用語集と
旧約聖書・新約聖書、古事記、ギリシア神話など
愛読書と言うよりは便覧のように何かにつけ参照しまくった

自分はこの時点で最早、読書の醍醐味は
1冊の本を最初から最後まで読みこなして消化するだけに非ず
ふと目にした部分から読み取った魂の共鳴を通じて
時空を超えて改めて世界を読み解くコトにあると気付いて
それからは生真面目に読書をしなくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そして30年経った今、これらが電子書籍化されてるのを見つけると
再読したくなって、あるいは違う訳で読んでみたくて
とにかく買わずにはいられナイのだが
そうしてダブったトコロで手元にある本が手放せるかと言えば
愛着もあるのでなかなか難しかったりするるる~

それにしても電子書籍の販売サイトはどこも
哲学、科学、古代史、仏文学、独文学などのジャンルがなくて
欲しい本が探しづらいったらナイ!
三省堂は本店の4階をこよなく愛してるが
BookLive!では哲学書がどこに分類されてるか一見してわからん!!

岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、
白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社の出版社8社が
合同で「書物復権」(※)なる復刊事業に取り組んでるのを知ったのは
ジョージ・バーナード・ショーをググったのがきっかけだった
書物復権2012書物復権2013

バーナード・ショー名作集

これで復刊されたのが『バーナード・ショー名作集』
以下の代表作6篇が収録されてた

カンディダ
悪魔の弟子
人と超人
ピグマリオン
聖女ジョウン
デモクラシー万歳!

¥7,000近かったが迷うコトなく購入し
念願の『聖女ジョウン』と『ピグマリオン』を読み
併行してショーの戯曲の解説書『バーナード・ショーの劇』や
ジュール・ミシュレの『ジャンヌ・ダルク』や
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』と
梯子酒ならぬ梯子読書を大いに愉しんだ末に
奇妙なシンクロニシティに見舞われた・・・のは昨年の夏

『ピグマリオン』の第3幕に次のような一節があるのだが
この描写だけでヒギンズ夫人が趣味の良い女性であるのがわかるるる~

ヒギンズ夫人は、ウィリアム・モリスやバーン・ジョーンズの雰囲気のなかで育てられたので、ウィンポール街の息子の部屋とはちがい、家具や小さなテーブルやこまごまとした物が、雑然とおかれているようなことはない。部屋の中央には、背のない大きな長椅子が一つ。これと、じゅうたん、モリス風の壁紙、モリス風のサラサの窓かけ、長椅子にかけた錦のカバーとクッション類が、立派な装飾となっているので、つまらない物をごたごた並べたてて、その美しさをかくすことはないのである。三十年前グローヴナー・ギャラリーに陳列されていた、いい油絵が数点(ホイスラー派のものではなく、バーン・ジョーンズ派のもの)、壁にかかっている。(後略)

息子のヒギンズがヲタになったのも独身主義を貫いてるのも
きっとこの出来過ぎの母親のせいなのだろう
そんな考えを巡らせながら新宿の地下街を歩いてた際に
バーン・ジョーンズ展のポスターが目に入った

ポスターにあったペルセウスには全く興味なかったが
予感がしたのでサイトをチェックしてみると
ウィリアム・モリス商会で製品化したタペストリーが展示品目にあった!
バーン・ジョーンズに原画を描かせて刺繍させたタペストリー・・・ホゥ(*-∀-)

シンクロニシティだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

これだけでも手芸好きの自分には観に行く理由として十分だったが
連作『ピグマリオン』も一揃い(4枚)あるらしい!!

シンクロニシティしまくりだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

そもそもバーナード・ショーの『ピグマリオン』は
モリス夫妻によってインスピレーションを得て描かれたに違いナイ
とゆーのもウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリス(旧姓バーデン)は
バーン・ジョーンズとロセッティによって見出されたモデルで
ウィリアム・モリスにもモデルとして紹介したトコロ
2人が恋に落ちて婚約してしまったのだが
この婚約→結婚の間に恐らく極貧で教育を受けてなかったジェーンは
上流社会の一員としての教養を一から身につけた・・・
なんて、まるで『ピグマリオン』のイライザそのものだ!!

☆・・・☆・・・☆

会場に着いてすぐの展示室へ向かうエレベーターの前に
連作『ピグマリオン』の一部のプリントがでかでかと貼られており
この迫力に比べたら実物はしょぼいかと思いきや
そこは連作ならではの見応えだった
(唯一、女神が鳩を踏んづけてたのが気になったのは自分だけかね?)

しかしラファエル前派は一見すれば繊細な作風なのだが
ダヴィンチのような精密さには事欠いてて
背景の花などがワリと杜撰に描かれてたりするので
近寄ってじっくり愉しむよりは遠見で全体的に観るとか
現代ならネットで観るのにうってつけだと思われ

それに比してタペストリーは期待以上に素晴らしく
絹糸1本の寸分の狂いもナイのに感動した。・゚・(ノД`)・゚・。
改めて考えたらウィリアム・モリスは日本の柳宗悦みたいな人なのだな?!
美意識にお国柄がそれぞれ表れてるのでそこに違いがあるが・・・

またジェフリー・チョーサーの『チョーサー著作集』の
ウィリアム・モリス商会によるケルムスコット・プレス刊(※)があり
豪華装丁本の現物を目にするコトができたのは収穫だった♪
※LINK:ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』

おみやげには『ピグマリオン』連作のワイドプリントにブックマーク
そして『チョーサー著作集』のポストカードとノートにしたが
もしケルムスコット・プレスのグッズがなければ図録を買うつもりだった
自分は究極的には紙の書物が何にも増して好きなようだw

↑改めてじっくり見てみたら『Troilus and Criseyde』だった(゚ ゚;)
これチョーサー版は『トロイルスとクリセイデ』だけど
シェイクスピアになると『トロイラスとクレシダ』になって
逆にボッカッチョのはタイトルが『フィローストラト』でトロイオロとクリセイダ
もちろん時代順にボッカッチョ→チョーサー→シェイクスピアだ

あとの2枚は残念ながら何かわからなかった・・・うぅ(-_-;)

最初から最後までページの進行通りに読んで
本文450ページの本を2日で読了したが
そういう読み方をこんな本でするとは珍しいコトだった

こんな本は『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』
ウンベルト・エーコとジャン=クロード・カリエールの
本についての対談の記録だ

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

1つのテーマについて系統立てて解説してるような本でも
気ままな虫食い読みで肝心の結論は未読だったり
小説でさえも好きなトコロから読み始めて
とりあえず満足したので結末を知らずに放置されてたりするので
特に順を追って読む必要もナイようなこんな本って意味だが
それを自分としては風変わりな(一般的にはごくフツーの)読み方をしたのは
そういう読み方でも無駄が生じナイ確証があったからだ

先になぜ本をフツーに読むと無駄だと思えてしまうのか?

自分の興味の範疇の事柄でも
「フーン・・・( -∀-)」程度の掘下げ方なら読んでも記憶には残らナイし
記憶に残らナイほどのコトならあえて読む必要はナイのだ

人生は短く
生きるための義務に費やす時間ばかりとられてしまい
本を読むためには眠ってる暇さえナイのだから
睡眠より充実したと思える一節に出会えなければ
読書には何の意味もナイ

そういう意味で
日々適度な睡眠をとりつつ本を全く読まナイ人間は一種の賢人だと思う
暇を持て余してて何でも片っ端から読んでるような読書家より
無駄な知識(による頑迷さ)がなく
生きる(ために眠るとゆー)信念は揺るぎナイからだ

話が逸れたが・・・
エーコとカリエール、進行役のトナック(※)にしても
当然ながら現実的に肉体を通しての面識はナイが
書物の宇宙の中では時空を越えて繋がってて
同じ世界観を本を介して共有してる確証があったので
逆に飛ばし読みでとりこぼしの部分があったら勿体なく思えたのだな
ジャン=フィリップ・ド・トナックは『ギリシア・ローマの奇人たち―風変わりな哲学入門』の著者だ

それ以上にリアルでは大先生に比したらこちとら青二才なので
自分の知の欠如によって共鳴しかねる部分が数多露見するであろうが
それは新たな発見への導きでもあり、きっと新鮮な感動が待ってるに違いナイのだ!
そうしてレチフを読むに至った・・・

共和国幻想―レチフとサドの世界 (思想・多島海シリーズ)

レチフは筑摩世界文学大系のサドの巻(※)に収録されてて
実はこれを持ってて気になってはいたのだが
読むに至らず=読み始めるきっかけに巡り会えずにいて
今回カリエールがレチフについて語ってたのが非常に興味深かったので
昨夜初めて読んでみた
LINK:『筑摩世界文学大系【23】サド レチフ』

カリエールの語るトコロによればレチフは

革命期に「エフェミネ(女々し男:めめしお)」と呼ばれた服装倒錯者たちのことを書いたのもレチフです。

しかしそのタイトルまで明記されてナイのがざざざんねん・・・
自分が持ってる筑摩世界文学大系収録のがそうだったら幸せ過ぎるるる~バタリ ゙〓■●゙

さてレチフについては別途語るとして
この本の中で自分がとりわけ感銘を受けた部分などを以下に列挙しておく

シェイクスピア→ヴォルテール→サルトル

サルコジ大統領は『クレーヴの奥方』を読まず

シャトーブリアンの傑作

パラケルススの本から手芸作品?

ラシーヌはジェノサイドを描写する

知と美の撲滅?

口承の正確さについて

異端者を火炙りにするコトと焚書の意義についても
興味深い見解があったのだが
これは併行して読んでるホルヘ・ルイス・ボルヘスの『異端審問』についてと
織り交ぜて詳しく述べたいと思われ

☆追記...
以上が1年前に書いた内容なのだが
その後、レチフが未読のままであるのを思い出したw

パスカルの『パンセ』の決定版を
1冊選べと言われたら筑摩世界文学大系だが
2冊選べるなら中央公論社の世界の名著(※)もあれば完璧だ
このシリーズも中央公論社版が出て、その後に中公バックス版で再編纂されてるので
パスカルの巻は【24】と【29】と巻数が違ってても内容は同じ
またこのシリーズも半世紀前に出てるが【24】の方は概ね状態が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

中公世界の名著
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世界の名著 24 パスカル
世界の名著〈29〉パスカル (1978年) (中公バックス)
世界の名著 29 パスカル パンセ 小品集 中公バックス

中公世界の名著は前田陽一と由木康との共訳で
冒頭の前田陽一による「パスカルの人と思想」には
パスカルの生涯についての詳述があり
『パンセ』本文の後にはパスカルの「小品集」も収録されてて
当然ながら巻末には年譜と、あと索引があるのが便利だ

世界の名著〈第24〉パスカル (1966年)

パスカルの人と思想
前田陽一
小品集
パスカル / 前田陽一、由木康訳
パスカルと私真空論序言
パスカルの時代愛の情念について
生い立ち罪びとの回心について
科学者覚え書
人間探求者初代と今日とのキリスト者の比較
キリスト者ド・サシ氏との対話
『パンセ』の歴史幾何学的精神について
パスカルと後世病の善用を神に求める祈り
パスカルと日本大貴族の身分について
本書の読み方

しかしこれら2冊を揃えて嬉々としてるような自分も
実際には現代日本人で無神論者なので
信仰心を問われる箇所には今一つ踏み込めずにいて
ブランシュヴィック版の前半部分に限った愛読者だったりして
ラフュマ版なんて読み始めてすぐに嫌気が差した・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

その日本では稀有なラフュマ版を完訳してるのが田辺保なのだが
パスカルが書き留めた年代順に従ったこの版は
整理整頓されたブランシュヴィック版に慣れてると些か読み難く
涜神に対する呪詛のような言いがかりが
後半にまとまってなくて随所に散見してくると
とりわけ自分のような無神論者が抵抗なく読み進むのは難しい

パスカルと現代
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パスカルと現代 (1967年) (紀伊国屋新書)
パスカルと現代

そんなラフュマ版を支持する田辺保の著書を
そうとは知らずにうっかり読んで目から鱗な事実に気づかされた

神や宗教のような伝統的なまやかしを信奉してる信仰心と
科学や自然の摂理を真実だと確信する理性は
相反するようだが実は根っこが同じ場合もあるのだ

今、手元にあるのは『パスカルと現代』のみだが
以下の3冊も揃えたいと思ってて
電子書籍版が出てくれるのを待ってるるる~
とはいえ、『パンセ』自体が未だに電子書籍化されてナイのだが(-_-;)

パスカル―痛みとともに生きる (平凡社新書)パスカル伝 (講談社学術文庫)パスカルの信仰―パスカルとわたし

『パスカルと現代』

新装版への「まえがき」
はじめに―パスカルとわたしたち―
第1章パスカルの時代
  1. 「科学革命」の時代
  2. 17世紀フランスの社会
第2章パスカルの思想
  1. 生きたヴィジョン
  2. その政治思想
第3章精神の兄弟たち
  1. キェルケゴールとパスカル
  2. ペギーとパスカル
  3. パスカル、シモーヌ・ヴェイユ、テイヤール・ド・シャルダン
  4. 植村正久の『真理一斑』
ブランシュヴィク版との対照表
あとがき

☆・・・☆・・・☆

人間は誰しも成長の過程で何らかの世界観を形成してく

つまり、世界がどうあって
その中で自分が何なのか、自分のポジションがどこにあるのか?
何かを根拠にして信じるようになる

古来より民族に伝わる伝承なのか
科学実験の結果から齎された事実なのか
その根拠によって世界観は異なり
たいていの人間は自身とは違う世界観を享受できナイ

信仰を持ってる人間ほど世界観にすがって生きてるので
宗教・宗派が違えば憎み合いさえするワケだが
それをえげつナイと思ってかつては蔑んでた

しかし実は科学的に=理性的に生きてるはずの無神論者も
学者同士だったとしてもやはりえげつナイものなのだ
例えば進化論のように実験で結果が明らかにできナイ場合には
異論を唱える者に対して憎悪にも似た感情を抱く。(゚д゚lll)ギャボ

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

リチャード・ドーキンスとスティーブン・ジェイ・グールドがそれで
2人とも進化論自体は認めてるのに
その進化の過程についての考え方を批判し合ってるのだ

まあ進化論に関しては昔から
ラマルクに対するキュヴィエとか、カンメラーに対するベーツソンとか
創世論者が進化論者に対する以上の憎悪の念が感じられるがな。(´д`;)ギャボ

自分は無神論者だが懐疑主義者なので
事実として見せつけられてるコトも易々と信じはしナイし
ましてや情に脆い江戸っ子なので
見せかけの行動よりも真意を汲み取ろうとしてしまう

だからリアルで悪辣に見える人も
その悪意が諦めや失望によって齎されてたかもしれナイ
それとは別にもっと心の深い部分に思い描いてる理想郷に対してなら
共感できるってコトもあるかもしれナイ
そんな風に希望を捨てられナイ

パスカルとは同じ理想を夢見る仲間に違いナイ
アウグスティヌスもトマス・アクィナスもライプニッツも
そしてヴォルテールだってそうだが
神に依存するのが前者でそれができナイのがヴォルテールとか自分なのだ!

世界はきっと神の意思そのものではなくとも
宇宙の原理や自然の摂理が美しくあろうとしてるはずだ!!

パスカルの『パンセ』にはいくつかの翻訳があるが
その中でも研究者として名高い前田陽一訳は文体も読み易く
入手し易い点でもオススメだが
自分が最も愛読してるのは松浪信三郎訳だ

筑摩世界文学大系
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世界文学大系〈第13〉デカルト・パスカル (1958年)
筑摩世界文学大系〈19〉デカルト,パスカル (1971年)
筑摩世界文学大系 (19)

松浪信三郎訳は筑摩世界文学大系(※)で持ってるのだが
これは邦訳『パンセ』の決定版だp(-_-+)q
テキストはレオン・ブランシュヴィック版を底本としてるが
ザカリ―・トゥールヌール版、ルイ・ラフュマ版2種との差異や
断章番号もこれらの4つが掲載されており
訳者による「『パンセ』のテクストについて」では
『パンセ』編纂の歴史が事細かに綴られてて
これ以上に親切にはできナイ限界仕様だと断言できる
なお、本文の概要についてはPenseesを参照
このシリーズは2度に渡って編纂されてるので、【13】と【19】と巻数が違ってても内容は同じ

しかもデカルトとのカップリングなので
『方法序説』『省察』『情念論』を参照しながら読めるのだが
参照すべきとわかるのは訳注にそうあるからだ

『方法序説』野田又夫訳
【第1部】~【第6部】

『省察』桝田啓三郎訳

献辞「いとも賢明にして著名な聖なるパリ神学部の学部長ならびに博士諸氏に」
読者への序言
以下の六つの省察の概要
省察1疑われうるものについて
省察2人間精神の本性について。精神は身体よりも容易に知られるということ
省察3神について。神は存在するということ
省察4真と偽とについて
省察5物質的な事物の本質について。そして再び、神は存在するということについて
省察6物質的な事物の存在ならびに精神と身体との実在的な区別について
凡例
訳注

『情念論』伊吹武彦訳

第1部情念を概説してたまたま人性全般に及ぶ
第2部情念の数と順位、ならびに基本的六情念の説明
第3部特殊情念について

デカルトの『方法序説(および三試論)』が出版された時
パスカルの父がフェルマーらと共にこれに反論してるくらいだから
息子のパスカルもデカルトを敵視するのは無理もナイが
その敵意がどうも神に対する冒涜に向けられてる気がするのが
現代日本人で無神論者の自分からすると腑に落ちナイ点だ
とゆーのも、デカルトこそがキリスト教由来のスコラ哲学を踏まえてて
パスカル親子は当時の最先端の数学や科学を学んでたからだ

1634年、38歳のデカルトが『宇宙論』を発表しようとした矢先に
先んじたガリレオが教会に対して主張(地動説)を曲げず
裁判の末に有罪になった。(゚д゚lll)ギャボ
既にデカルトはそれまでの著作だけでも
デカルトの思想・哲学は有害であり有罪だ、とされてたので
『宇宙論』の出版は断念せざるを得なかったが
いずれにせよ、まだ時代が早過ぎたのだ

以降のデカルトは46歳(1642年)から54歳で(1650年に)没するまで
神を擁護する人間との抗争の内に明け暮れてたが
真実を捻じ曲げようとしてるローマ・カトリック教会に対して
真実を突きつければ異端審問にかかるのがオチだ。(´д`;)ギャボ

そして神の恩恵を看板に掲げた組織との抗争を余儀なくされたのは
【決定的回心】がなされてたパスカルにしても同様で
宗教改革後のヨーロッパなのであるからして
分裂した宗派の諍いが激化してたのだ

パスカルはジャンセニスト(ヤンセニスト)とされて
ジェズイット(イエズス会)から敵視されてたが
そもそもパスカルが所属してるポール・ロワイヤルが
ジャンセニスムの本拠地でフランス国教会もこれを支持してたので
しばしばローマ・カトリック教会が無視されたのだ
なのでジェズイットにしてみれば
正統な神の代理機関が蔑にされてるのは
ジェズイットの沽券に関わる不祥事だったのだが
これに対してパスカルが応じたのが『プロヴァンシアル』だヽ(゚∀。)ノ

内容的にはジャンセニストとジェズイットの対立を
神学上からなんとか収めようとしてる手紙で
この『プロヴァンシアル』とそのいきさつが「注説」として
筑摩世界文学大系には収録されてるるる~

『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳

目下ソルボンヌで論議されている事柄について、ある田舎の住人(プロヴァンシャル)に、友だちの一人が書き送った第一の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第五の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第七の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十一の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十二の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会のアンナ神父にあてて書いた第十八の手紙
アンナ神父にあてられた第十九の手紙・断章

更に筑摩世界文学大系には
ジョルジュ・デュアメルのデカルト論(※)と
トマス・スターンズ・エリオットのパスカル論(※)に
デカルトとパスカルについての多数の著作がある野田又夫の解説もあり
巻末にはデカルトとパスカルの詳細な年譜もついてる充実ぶり!
これぞ『パンセ』決定版だ!!
G・デュアメル「デカルト 思考の師」(土居寛之訳)、T・S・エリオット「パスカルの『パンセ』」(青木雄造訳)

実は筑摩世界文学大系は半世紀近く前に出版されてるので
入手するとしたらもれなく古本なのだが
紙質が非常に良いので今まで(※)状態の悪い本を見たコトがナイ
できればモンテーニュの『エセー』も
入手するなら筑摩世界文学大系が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
自分がこのシリーズを入手し始めたのは近年になってからで100冊以上チェックしてる

現代日本人がパスカルの『パンセ』を理解するのは困難だろう
『パンセ』だけをいくら読んでも
全く意味不明か意味を取り違えてしまうだろう

最低でもモンテーニュとデカルトは読む必要があるし
モンテーニュを愉しむためにはルネサンスの教養人レベルの
古代ギリシア・ローマについての素養が必要だし
キリスト教の信者が真実としてる教義以上に
ローマ・カトリック教会の史実を知らなければならナイ

すっかり理解するにはスコラ哲学も必須だろうてw