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自分が幼少時は金持ちの家の女の子ほどリカちゃん派で
素敵なハウスやお洒落なドレスを所持してたが
そういう女の子の家に遊びに行く時に
貧乏人の娘はどうするか?

【1】リカちゃんの友達を買ってもらって
充実したワードローブでの着せ替えを楽しませてもらう
→金持ちに取り入るのが上手いのは悪いコトではナイし
こういう女の子こそが将来はしっかり者の嫁になるのだろう

【2】8頭身のバービーを持ってって
リカちゃんの5頭身と比べて優越感を楽しむw
→金持ちの親は娘にねだられずともリカちゃん一式を買うが
なんとか1体のドールを買ってもらうのが精一杯だと
最初で最後に最高に豪華なドレスのバービーをねだるワケだなw

自分は美意識からも断然バービー派だったのだが
未だに1度も箱から出したコトはナイ
祖母の家の他のお人形(博多人形やらフランス人形やら)と一緒に
必ずバービーが一体だけ箱にしまったまま飾ってあった

祖母にはねだるままに次々とバービーを買ってもらってたが
買う条件は決して箱から出さナイコトだったのだ!
しかもそうして大切に仕舞ってあった箱入り娘のバービーだのに
皆、箱ごと蒸発したのだった・・・

とゆーのも祖母は小さな女の子連れで訪問されたりすると
バービーを箱から出して遊ばせて
帰りはなんとお土産にあげてしまうのだった(゚ ゚;)
まあバービーに限らずぬいぐるみでも何でも
そんな風に留守中に忽然と姿を消すのは日常茶飯事だった

恐らく「破壊魔」と称されてた幼少時の自分のコトだから
扱いがぞんざいですぐ壊すと踏んで箱から出させなかったのだろうが
いくつになっても箱出しは了承されず
その割に余所の子供がぐちゃぐちゃにして遊んでるのは赦してて
要するに他人によって踏み躙られてたのを目撃した時は
えらいショックだった。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

マイケル・モンローを初めて見た時
まるでバービーみたい、と思って憧れたが
小学6年生で既に身長が160cmあったので
10代の頃は8頭身の華麗なバービー体形を目指してた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ピース・オブ・マインド

だがしかし、日本人には所詮、バービーは無理っつ(;つД`)
いや、5頭身のリカちゃんさえ程遠いと実感したのは
もう身長の伸びようがなくなった二十歳の時だ
(19歳の朝飯前まで伸びる、と祖母が言ってたのでね)

外見は本トに日本人に生まれて損した。(´д`;)ギャボ
ましてや外人からしたら日本人は歳より若く(幼く)見えるってのが
唯一の利点だってのに老け顔とキタコレwww
なんせ小学生の時に大学生と間違われてて
以来ほとんどずっと10歳は上に見られてキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

実際、バブルで浮かれてて失望してる暇はなかったがね♪

☆・・・☆・・・☆

バービーとの再会は90年代後半になってだが
その頃のBarbieは凄かった!!

バービー アメリカン フェイバリッツ ハーレーダビットソン バービー ピンクラベル N6590

クリスチャン・ディオールを装ってるかと思えば
ハーレー・ダヴィッドソンに乗り
ギリシア神話の大女神ヘラにもなれば
アメリカの象徴である自由の女神にもなるるる~

クリスチャン ディオール バービー Dior

99年は40周年だったので記念に1体買おうと決意して
ディオール・バービーをゲト♪と思いきや
実物を見たら2種あったどちらの衣装も顔も今1つ気に入らずヽ(゚∀。)ノ
それよりも隣のトッド・オールダム・バービーの方が
豹柄マキシコートがめちゃくちゃカッコよくて
口元のほくろがマドンナのようで断然そっちが欲しくなり・・・
結局、迷いに迷った挙句に双方とも断念したのは
飾る場所がナイ、てのが1番ネックだったのだ

トッド・オールダム・バービー

つい最近までオーディオセットに場所をとられてて
バービーは常時2~3体しか飾れなかったので
季節毎に交替して飾ってたのだが
仕舞ってあるバービーがどうにも不憫で
せいぜい7~8体を限度として欲しいと思ったら買い換えてた

☆・・・☆・・・☆

この春にオーディオセットを処分したので
バービーを並べて6~7体ほど飾れる場所をキープできたが
改めて並べてみて気付いたのは
うちにいるバービーは悲恋の女性ばかりなのだった。(゚д゚lll)ギャボ

買い替えを繰り返して厳選して手元に残ったのだから
投影されてる女性像がより一層想い入れの強いバービーなはずで
そうなると確かにハッピーエンドのお姫様より
悲劇のヒロインになってしまわざるを得ナイ

つい数ヶ月前に買おうかどうしようか迷ってたのも
『嵐が丘』のキャシーを髣髴とさせるような
ゴースト・バービーだったっけ・・・

バービーコレクター ホーンテッド・ビューティ ゴースト バービー (ゴールドラベル) (W7819)

だからありふれたブライド・バービーなんて
今まで1度も欲しいとさえ思ったコトがなかったりして
今年はウェディング・ドレスの買ってみようかな?

バービーコレクター 2013 ホリデーバービー Pink (X8271)

ググってみたら2013のHoliday Barbieが
雪の結晶をあしらった真っ白なドレスで綺麗だったので
アマゾンでポチっと予約して買ったったヽ(´▽`)/

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自分は元より
恋する相手に対して
一般論にあるような年齢や性別といった拘りは持っておらず
主義に反するかどうかだけが譲れなかった

耽美主義者なので美意識に反したモノは拒絶反応を起こすし
人文主義者なので心ナイ言動は許容できナイし
快楽主義者なので愉しむ&愉しませる努力は惜しまナイ

かいつまんで言えば
Barbieドールにより近い見てくれ(↑↑↑画像参照↑↑↑)で
憐憫の情に溢れてて
洒落がわかれば
惚れるw

そして惚れた相手の笑顔を見てれば幸せで
欲を言えば幸せを持続したいから
ずっと笑顔を見れるように
いつも一緒にいて笑わせられると゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

それが叶えば社会的に望むコトなんて何もナイ

でも結婚相手に対しては違う、いや、違った
以前は子供を産み育てるための相手と認識してたので
社会的責任も子供のためには果たしてもらわなくては困ると考えてた

規律正しい生活態度とか
それなりの収入とまともな金銭感覚とか
むしろ主義に反しててもそこは譲れなかった
否、譲ってはいけナイと自分で自分に言い聞かせてた

今にして思えば
潜在意識にある理想の恋愛と義務感に則った結婚生活が
全く噛み合ってなかった

それでもそこで割り切って
恋愛感情抜きでテキトーな相手と結婚してたら
義務は全うできてたかもしれナイが
今頃、不毛な日々にきっと後悔してたと思う

子供を産み育ててナイ女は女として認めナイ
結婚してくれる相手がいナイ人間は人間として認めナイ

そういう毒母の呪詛に負けずに
閉経まで自分を貫けた上に
結局はアラフィフにもなって今更ながら
最愛の相手と笑いが絶えナイ日常生活を送ってて
オマケに毒母の毒気も抜けた(完全には抜けきらナイがねw)

小学生の頃には既に
通常の男女のマニュアル通りの恋愛には
拒絶反応の吐き気を催すほどだった腐女子の中の腐女子で
キモヲタと後ろ指を差されようが一向に構わず
孤独でも主義を曲げずに愉しく生きるコトを望んでたが
葛藤しつつも望み通りに生きてこられて
しかもそんな自分を理解してくれる伴侶にも恵まれた

日々の営みがやり過ごせるだけのお金は必要だが
社会生活の安定だけが幸福の条件ではナイし
逆に言えば、幸福の条件を社会生活の安定だけに求めたら
それが揺らぐ度に不幸を味わうコトになるのだ

生きてくのに障害は付き物で
自分だけでなく、伴侶、そして近親者、友人、知人の全員が
順風満帆なままに人生を送れるとしたら奇跡だ

困難にぶつかった時に助けてくれたり
手を貸さずとも立ち向かう勇気を与えてくれるような人々に
救われながら生き永らえるコトができるのが
最も幸せな生き方だと思われ

そう考えると現在の自分は
もしかしたら本トの意味でリア充なのかもしれナイ

☆・・・☆・・・☆

Olivia Newton-JohnのTwist of Fate(邦題:運命のいたずら)は
映画『Two of a Kind(邦題:セカンド・チャンス)』の主題歌で
この映画でJohn Travoltaと再度共演したOliviaは
めまいがするほど美しかった。・゚・(ノД`)・゚・。

映画の出来自体は今一つだったが
Oliviaの冴え冴えとした美貌とこの主題歌のカッコ好さで±0

Do we deserve a second chance?
(私たちは2度目の機会に値するか?)
で始まって

Love is what we've found
The second time around
(愛は私たちが見つけたもの、2回目に)
で終わるるる~

失敗しても謝ってやり直せたらいんじゃん?

空気を読んでその場限りの人間関係を穏便に終わらすより
本音で喧嘩してから始まった縁を大切にしたい

『七つの愛の物語』の巻頭の「はじめに」を読めばわかるが
著者はアメリカ人女性ダイアン・ウォークスタインで
なんとストーリーテラーを生業としてるとな。(゚д゚lll)ギャボ

ストーリーテラーてのは日本語的には語り部かね?!
もしくは現代の吟遊詩人・・・まるでホメロスのようだ・・・ホゥ(*-∀-)

七つの愛の物語―「イシスとオシリス」から「トリスタンとイゾルデ」まで

そんな彼女が謳ってるのはやはり古来からの神話や伝承で
彼女なりの解釈の再話が『七つの愛の物語』に収められてるのだろう

  • はじめに
イシスとオシリス
百万年の太陽の船
イナンナとドゥムジ
聖なる結婚
シヴァとサティー
宇宙の永遠の舞踏
雅歌
私を連れていってください、さあ急いで!
プシュケーとエロース
愛の探求はよろこびをもたらす
ライラーとマジュヌーン
ただ愛のために愛させてください!
トリスタンとイゾルデ
ひとりの男、ひとりの女
  • 訳者あとがき

自分としては目当ての「トリスタンとイゾルデ」では
媚薬または惚れ薬を飲まずに自然に愛し合って欲しかったのだが
ある意味その部分は忠実に再現したのでがっかりだった。(´д`;)ギャボ

愛し合う2人だから引き離されてしまうコトが試練なのだが
試練のために愛し合うように仕向けられるのは変だ

それにしてもどの物語でも愛し合う2人の間には必ず試練があるが
ただ愛し合うのがなぜこんなにも困難なのか?

むしろ愛し合えナイ状況だからこそ、より求めてしまうのか・・・?

心に求める人を追い続けるのが恋愛だが
求める人と結ばれるコトを願いつつ
叶わずとも想い続ければやはり成就なのだと自分は確信してる

だがしかし!
愛する人と共にありたい
そんな至福を夢見るから現実が霞んで不幸になるとも思える
夢を見るより現実に努力をした方が少なくとも不幸にはならナイのでは?!

それでも夢を追わなければ現実を乗り切る勇気もナイのが
人間の弱さで
夢が叶わなくても見続けて、現実がどんな結果に終わろうとも本望だと納得できるのが
人間の強さでもある

原初の愛の物語に魅せられて
愛する相手に想いを馳せるための究極の1冊だな(*^^*)

『旧約聖書』の中で教義とは無関係に存在してる感がある「雅歌」は
この物語を読むまではすっ飛ばしてたのだが
こんなに酔い心地になるような愛の言葉が詠われてたとは知らなんだ(゚*゚;)

その唇でくちづけを。
あなたの愛はワインよりもすてき。

から始まり

わたしをあなたの胸に刻みつけてください、印章のように。
あなたの腕に、印章のように。

とか打たれるるる~・・・バタリ ゙〓■●゙

いとしのレイラ

ところで「ライラーとマジュヌーン」は
アラビア人(ペルシア人、セム族)に伝わる悲恋物語だが
このライラーはエリック・クラプトンの『Layla(邦題:愛しのレイラ)』のモデルだ

族長の跡継ぎとなるべく生まれたカイースは
眉目秀麗にして優秀な子供だったが
転校生のライラー(※)に一目惚れしてしまい
彼女の名を叫ばずにはいられなくなって遂には狂ってしまう
内容とはあまり関係ナイがライラーの名は「夜」を意味する

マジュヌーンは「狂人」の意だ(-_-;)

カイースの父親はライラーへの熱情を冷まそうと巡礼に連れて行くが
逆効果でこんな祈りを捧げてしまう

おお、神さま、ぼくの恋を癒さないで、むしろぼくの熱情を育ててください!
ただ愛のために愛させてください!
ぼくに残されている命をすべて取りあげて、ライラーに与えてください。
ぼくの愛を今日よりも百倍も大きなものにしてください!

ライラーの方も実はマジュヌーンに好意を抱いてたのだが
そこはそれ、イスラム圏の慎み深い女性なので
結局はそのまま嫁してしまい
絶望したマジュヌーン(となったカイース)は砂漠を彷徨う

そのまま(紆余曲折はあれど)最期を迎えるライラーと
それを知って後を追うように死ぬマジュヌーン

なんかもうね、不毛過ぎて悶え死にしそうな話なのだよヽ(゚∀。)ノ
そんな物語にあの旋律を当てるのはクラプトンてばさすがだ!

しかしそうなると歌詞の冒頭の部分は狂人の妄想なのか。(゚д゚lll)ギャボ
いずれにせよ、狂人になるほど一人の女だけを愛する男なんて
現実にはいやしナイワケでそこからして妄想か。(´д`;)ギャボ

それにしてもこの「ライラーとマジュヌーン」は
今となっては邦訳されてた東洋文庫の「ライラとマジュヌーン」が絶版で
アマゾンでも凄い値段がついてたりするが
偶然にもこの『七つの愛の物語』をゲトできた自分てラッキーヽ(´▽`)/

人生において恐らくもう2度と外タレのLIVEに行くコトはナイな

悲観的にではなく、観たいモノは総て見尽くした満足感からだが
1999年には既にそんな風に感じてて
最期にMötoley Crüeを東京、大阪、名古屋で観た

モトリー・クルー~THE BEST 2000 DVD
Vanilla Fudge
パンドラの箱
パンドラの匣(紙ジャケット SHM-CD)
ラフ・ジャスティス(DVD付)

その後、予期してなかったVanilla Fudge再結成(再々々結成?)とか
BBAならぬCBA(って外タレかどうかびみょ~)とかあって
結局、年に1度くらいはLIVEに行ってたのだが
さすがにこの5年ほどは全く行かなくなってたのだった

今回来日してたAerosmithも過去に何度もLIVEに行ったので
今更どうしても行こうって気にはならなかったが
一時期は踊ってて1番楽しいBANDだったので
周囲がLIVEに行って楽しそうにしてるのが羨ましくなった

仕事の都合上(早くても19時あがりだし零細企業に有休はナイ!)
LIVEには行きようもナイが無性に踊りたくなった

正直、Aerosmithの音源はCD1枚(※)しか持ってなくて
そんなだからヒットした曲には馴染みがあるが
アルバムのタイトルの1つも思い浮かばナイ
30数年来の筋金入りのにわかファンだったりするるる~
グレイテスト・ヒッツ1973-1988

なので「パンドラの箱」とアマゾンで検索してみて初めて
AerosmithのBEST盤に『パンドラの箱』てのがあると知った

全42曲入りで中古盤だと700円台からあったので
うっかりカートに入れそうになったがやめた
もう何年も家でロックを聴くコトはなく
そもそもAerosmithは踊れるトコロで聴きたいのだp(-_-+)q
ロックバーで聴くのが妥当だな♪

これが「箱」ではなくて『パンドラの匣』だとRod Stewartだが
「匣」の字を使ってるトコロからすると
この邦題をつけたのは太宰ファンか?
原題は『Foolish Behavior』で「愚かな行動」・・・
パンドラなんてどこにもナイのだがw
これってパンドラが禁忌を破ったのを「愚かな行動」だとしてる?!

う~ん。(´д`;)ギャボ
太宰ファンは読みが深くても思考は短絡的なのだろうか???

パンドラとゆーのはギリシア神話に出てくる人間の女の名で
『パンドラの箱』の挿話は日本でもお馴染みだが
先に考える男、の意味のプロメテウスと
後から考える男、の意味のエピメテウスの兄弟は
人間ではなく巨人族(Tytan)でイアペイトスの子らだ

Tytan:ティタン(もしくはタイタン)と言えば
80年代のNew Wave of British Heavy MetalのBANDだが
アマゾンで検索してみたら
なんと唯一のアルバムが21世紀になってCD化されてたり
それにDVDまで付いてたりって
オンタイムのファンの自分には驚愕だった。(゚д゚lll)ギャボ

メタルはマイナーで一般的にはもれなく嫌悪される音楽だが
こよなく愛するファンがいるとこうして残るのだな!
そんな事実に改めて感動した!!

☆・・・☆・・・☆

ミルトンの『失楽園』によれば
パンドラではなくイヴ(エヴァ)こそが人類初の女であり
更にパンドラはエピメテウスの嫁ではなく
旧約聖書のヤペテの息子の嫁とされてるのだが
これはエピメテウスの父親の名が「イアペイトス」で
「ヤペテ」と語感が近いかららしい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

それをトマス・ブルフィンチは至極当然とばかりに
『ギリシア・ローマ神話』で以下のように取り上げてるるる~

 プロメーテウスとエピメーテウスとはイーアペイトスの息子でしたが、ミルトンはイーアペイトスをヤペテに変えているのです。

ノアの3人の息子の1人がヤペテ(他の2人はセムとハム)だが
ヤペテの息子となるとゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスで
この中の誰がプロメテウスで誰がエピメテウスなのだろう?

失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2)旧約聖書 創世記 (岩波文庫)完訳 ギリシア・ローマ神話〈上〉 (角川文庫)

またギリシア神話でもノアの方舟級の大洪水があったりするのだが
エピメテウスとパンドラの娘がプロメテウスの息子と結婚した後の話で
ノアとその息子ヤペテの時とは別に
子孫が再度大洪水にあったとはもちろん聖書の記述にはナイ

旧約聖書・創世記ギリシア神話
ノアの代ノアウラノス(妻はガイア)
ノアの息子の代セム、ハム、ヤペテイアペイトス
ノアの孫(ヤペテの息子)の代ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスプロメテウス、エピメテウス(妻はパンドラ)
ノアの曾孫(ヤペテの孫)の代省略デウカリオーン(プロメテウスの息子)
ピュラ(エピメテウスとパンドラの娘)

ブルフィンチはギリシア神話の辻褄が合わナイ部分を正すワリに
キリスト教には従順で聖書の矛盾には言及しナイようだヽ(゚∀。)ノ

まあパンドラのエピソードなど
所詮はイヴと同様【禁忌】を破った女の話として
その肝心な部分が伝われば瑣末なコトは気にしなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのが男の身勝手な言い分なのだよ

女は【禁忌】を遵守して男に仕えるべし!
不貞は禁ずるるる~!!
でも、むしろ男には守れまい、誘惑されたら破るだろうに?!

そんな男の世迷言の呪縛に初めて打ち勝った女が
ギリシア神話ではトロイ戦争の原因となったスパルタ王妃ヘレネで
夫の留守中に他国の王子と駆け落ちをしてしまったのだが
その双子の姉のクリュタイムネストラも
後に元夫を殺した現夫を不貞の相手と共謀して殺害し復讐を遂げたし
むしろこの姉妹の母親はスパルタ王妃レダだが
白鳥に化けたゼウスと不貞してこの姉妹を産んでるので
もれなくレダこそが夫である男(ましてや一国の王)に対して
裏切り行為をした初めての女だろうか?!

パンドラの匣―変貌する一神話的象徴をめぐって (叢書・ウニベルシタス)

ちなみに自分が冒頭で探してたのは
『パンドラの匣―変貌する一神話的象徴をめぐって』だったが
これも「匣」ってコトは訳者が太宰ファンかね・・・

☆追記...
どうやら人生最後のLIVEはRolling Stonesになりそうヽ(゚∀。)ノ

モーパッサンの短編『水の上』の導入部では
主人公の(恐らくモーパッサン自身の)川への想いが炸裂してるが
せいぜい公園に流れる半ば人工的な小川と皇居のお堀しか知らナイ自分でも
水辺には深い想い入れがある、と改めて自覚させられた

それくらい故郷の水辺は誰にでも郷愁を抱かせるワケだが
ましてや世界に名だたるような川が流れてるなら尚更なのだろうから
モーパッサンがセーヌに恋するのは尤もな気がするるる~

自身の記憶にはなくとも総ての生命は海由来なので
始原的な心象風景としてDNAに刷り込まれてるのだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

実際にほんの1日か2日東京を離れて帰ってきた際には
何よりもお堀を目にするとほっとするので
地下鉄で帰りたくなくてJRで車中からでもお堀を見ながら帰宅するが
たまに衝動に駆られてお堀沿いを1時間ほど歩いて帰ったりもした

昔からよくお堀に沿って土手縁を散歩してたが
水辺には自然があり、季節によって様々な動植物と出合えるので
例えばトンボを目にしては『とんぼのめがね』を歌うなんてのが楽しかった

さすがに大きな声では歌わなくなったが
白鳥に出会えばサン・サーンスの『白鳥』が脳内には流れるので
鼻歌交じりでバレエの『瀕死の白鳥』を想い起こしながら
うっかりひらひらと踊りながら歩いてたりもする

瀕死の白鳥/アンナ・パヴロヴァを讃えて

しかもこれが近年ではトロックス(※)しか観てナイので
バラバラと羽根を撒き散らしながらユーモラスに舞うサマを想起して
思わず吹き出してしまったりしてw
トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団

ボート場に人影が見当たらナイ時間帯には
STYXの『Boat on the River』を口ずさむ・・・ってやっぱ歌ってるるる~
LINK:ボート・オン・ザ・リバー(Boat On The River) - STYX

この曲を書いたTommy Shawはアラバマ州の出身だが
『Boat on the River』にあるような川が実際に付近を流れてたそうだ
でも河川の名をはっきり口にしてナイので
モービル川とかアラバマ川のような大河ではなさそうだが
だからこそこの曲の哀愁が漂うようなひっそりとした光景なのだろう

隣接するミシシッピ州の名は原住民の部族語で「大きな河」を意味してるが
その名の通りの大きな河、ミシシッピ川が流れてるるる~
ミシシッピ川の全長は5,971kmで本流(ミズーリ川を除く)部分だけでも3,779km
日本列島の全長がおよそ3,000kmだからスケールの違いがわかろう

トム・ソーヤーの大冒険 [DVD]

そんな大河に寄せるマーク・トウェインの想いが
『トム・ソーヤーの冒険』と『ハックルベリー・フィンの冒険』に
瑞々しい少年の感性の中に溢れんばかりに表現されてて
読む度に心の中の宝石箱を開けるような愉しみを味わえるのだ(*^^*)

マイ・フレンド・フォーエバー [DVD]

若くして亡くなった映画俳優のブラッド・レンフロは
3作目で『トム・ソーヤーの大冒険(原題:Tom and Hack)』の
ハックルベリー・フィンの役を演じたのだが
2作目の『マイ・フレンド・フォーエバー』でも川を下るシーンがあり
自分はそこで既にハックルベリー・フィンを見出してたので
観る前からハマり役だと確信してた!
これが何度観ても゚+.(・∀・)゚+.゚イイ映画なのだがやっとDVD化された!!

ハックフィンの大冒険 [DVD]

その後『ハックフィンの大冒険(原題:The Adventures Of Huck Finn)』では
イライジャ・ウッドがハックルベリー・フィンをやったが
どうもイライジャのピュアな愛らしさが憐憫の情をそそってしまい
トムの方が俄然悪びれて見えるので調子が狂うのだった。(´д`;)ギャボ

☆・・・☆・・・☆

Tommy Shawは動物をたくさん飼いながら暮らしてたらしく
とりわけ『Sing for the Day』で歌われてるHannaなる女性が
人間ではなく犬だった、とインタビューにあったり
「小鳥の餌やり機」なるモノで近所中の小鳥に餌をやってた、とか
知れば知るほど総てのエピソードに心打たれまくりで
ミュージシャンとして以上に人として実に好ましい・・・ホゥ(*-∀-)

ユゴーと言えば日本では『レ・ミゼラブル(ああ無情)』だが
昨年は出版150周年に当たり、これを記念してイギリスで映画化されて
日本でも年末に公開された

過去にジャン・ヴァルジャンを演じた俳優として思いつくのが
ジャン・ギャバン、ジェラール・ドパルデュー、リーアム・ニーソンなので
既に最低でも3度は映画化されてるはずなのだが
どうやらリメイクとか小説からの直接的な映画化ってより
80年代からロングランのミュージカルの映画化だそう

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自分はミュージカルでは観たコトナイのでなんとも微妙だが
とりあえず近年は観たい映画が日本公開スルーばかりだったので
観れる確証があればもうそれだけでありがたかった・・・
まあ、結局は観に行けなかったのだが(苦笑)

日本未公開と言えば、どうして外されたのか不思議なのは
オスカー・ワイルド原作の『Dorian Gray』と
モーパッサン原作の『Bel Ami』だ
主役がイケメン、つか、正統派の超絶美形だったのだから
上手いコト煽れば日本でもウケると思うのに・・・
どうもブサメンとかキモメンを
強引にイケメンと称して押し通すために
チョンが裏で妨害してるような気がしてならナイのだがねp(-_-+)q
『Dorian Gray』も『Bel Ami』もDVDが日本発売されたのでゲト♪

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いかん、話が逸れた、いや、逸れてナイ、どっちだヽ(゚∀。)ノ

ユゴーはドリアンやベラミほどの優男ではなかったかもしれナイが
彼らに匹敵するか、それ以上に女には不自由してなかった
てか、むしろモテ過ぎて不自由してたかもだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

人間なのだから欠点があるのは当たり前で
それが女癖の悪さなら、自分の男でナイ限りは1番許せる欠点かとw

とはいえ、元女優で秘書兼愛人のジュリエットが50年間も
ユゴーの愛人だった、ユゴーだけの愛人だった、ユゴーの愛人でしかなかった
てのは、社会的にも生物学的にもどうなのかね。(´д`;)ギャボ
ましてやユゴーの方はまず正式な婚姻関係の妻がいたのだし
他にも肉体関係を持つ女が数え切れナイほどいたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

そんなユゴーが道義的な『レ・ミゼラブル』のような作品を書き
その中でこんな感動的な一節をほざくのだwww

海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。(※)

心清き人の哀しき魂は河川を流れて海へ辿り着き
一旦は波間を漂いながらも最後には大海の深淵に沈み行くのだろう
しかし水底から解き放たれて空へと飛翔してみれば
気がついたら魂の内奥に帰着してた・・・なんて。・゚・(ノД`)・゚・。
訳は青空文庫にある読み易い豊島与志雄訳で岩波文庫『レ・ミゼラブル』【1~4】の【1】より

『レ・ミゼラブル』は上記以外にも海や空を殊更比喩に用いてるが
同じ時期(晩年)に書かれた詩集にもこの傾向は強く見られ
とりわけ最晩年の『諸世紀の伝説』(※)における空の表現は秀逸で
「サテュロス(原題:Le Satyre)」では天空を越えて
宇宙へまでも達してるるる~
第一集が1859年、第二集が1877年、第三集が1883年に出版されてるが、1883年には人類史の年代順に再編纂された決定版も出た

「サテュロス」は『諸世紀の伝説』の中で
「16世紀、ルネッサンス、異教」の時代に位置づけられており
訳者の解題を引用すれば

この詩は、『諸世紀の伝説』のすべてのテーマが描かれている「凝縮された鏡」なのである。すなわち『諸世紀の伝説』という大宇宙(マクロコスム)に対して、「サチュロス」は小宇宙(ミクロコスム)なのである。

またこの詩の構成はプロローグに始まり
第1部 青、第2部 黒、第3部 暗色、第4部 星空
として、1日の空の移り変わりになってて
最後の星空においてはサテュロスは牧神パンとなり

牧神は叫んだ。
「未来は 天空が作るように
底なしの無限のなかへ拡大すること
あらゆる方向から事物に浸(し)み込む精神だ!
世界よ 悪はすべて神々の形に由来する。
(中略)
燃えるかそれとも流れる 聖なる元素に代われ!
宇宙の輝きに代われ!
国王とは戦争 神は夜。
(後略)」

プルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」には
「大いなるパーンは死せり!」との天の声を聞いた船乗りの逸話があり
これが誤ったまま伝わってキリスト教徒に寓意を纏わされて
更なる誤謬を携えながら近代まで信じ込まれてきたが
ユゴーはこれを前提として
ルネサンス期に他の神々と共に蘇った牧神パンに
人類が理想とすべきユマニスム(ヒューマニズム)が尊重される社会を
未来にあるべき姿として叫ばせているのだ!

残念なコトに21世紀の今もユゴーの時代から全く進歩がナイがね(゚*゚;)
人類は滅び行くまでこのままだろうてヽ(゚∀。)ノ

とにかく自分は晩年のユゴーを読んでると
海から空へ、そして宇宙への航海が
STYXの名曲『Come Sail Away』を想い起こさせる・・・ホゥ(*-∀-)

☆追記...
ユゴーは自身の死後に未刊の作品を集めた詩集を
『大洋(原題:Océan)』と冠して刊行するよう息子らに遺言してた

恋愛が成就する―それは非常に難しい問題だ

何をして成就なのかの定義からして曖昧模糊としてるからだ

愛する相手とどうしたいか、と
どういう形で恋愛を成就させたいのか、とでは
まるで違う

若さゆえのときめきとは
愛する相手とどうしたいか、に尽きる

視線はひたすら想う相手を追い求め
近付けたら話したい
見詰め合えたらキスしたい
気持ちが高揚すればベッドで過ごしたい・・・

これらが叶えばすっかり浮かれてしまって
成就だ、と満足できるのだ

その際にお互いの立場なんかどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
同性愛だろうが不倫だろうが
成就だ、と満足できるのが若さってものだ

そういう恋愛の成就は
若いうちは夢みたいな出来事だが
歳を重ねるほどにリアルになるのは
老いが現実を見据えさせるので
夢見心地ではいられなくなるからだろうか?

不細工でもいつか綺麗になれる、と若ければ将来を夢見れようが
歳をとればとるほどにどんどん醜くなるしかナイので
昔は今よりはまだしも、と思い返すだに虚しいだけである

恋する気持ちが切ナイ、てのは年齢には隔たりがナイのだが
どこかしらに甘酸っぱさのナイ切なさは
苦い・・・(-_-;)

女の一生 (新潮文庫)ベラミ (角川文庫)

19世紀フランスの短編作家として知られるモーパッサンは
長編では『女の一生』『ベラミ』『死の如く強し』を書いてるが
『女の一生』は穢れを知らぬ女が汚れた男に翻弄され続ける転落悲話で
『ベラミ』は夫たちの陰で思うがままに生きる女たちを
翻弄しながら成り上がってるつもりの優男【ベラミ】の出世物語
そして『死の如く強し』は中年の男女のロマンスだ

Fort Comme La Mort

若い時分には
『女の一生』はハーレクイン・ロマンスにも劣ると思われたし
『ベラミ』の不道徳さはひたすら愉快痛快だったが
『死の如く強し』は『女の一生』以上に陳腐に感じられたヽ(゚∀。)ノ

男は初老だが美男で独身を貫いてる名の通った画家
女は画家と不倫関係を12年間続けてるモデル

12年前の絶世の美女も40歳ともなれば
彼女に生き写しの18歳の娘の愛らしさとは
比較するのも可哀相な有様だろうて
美意識の高い画家がどうして娘に心変わりをせずにいられよう?

そもそも歳老いて恋愛に現を抜かす自体が美しくナイのだが
それは歳を経てきたからこそ研ぎ澄まされるに至った美意識とは
ちょうど反比例してるかのように
容貌が見るに忍びなく衰えゆくからだ
しかも美貌を誇ってる者ほどその落差は顕著なのだ

そんな現実を直視して憂える初老の男女のロマンスは
深刻になるほど喜劇的で救いようがなく
とても耐えられずに初めて読んだ時は実は途中で放棄したw

ところが自分も同じ立場になってから読み返してみると
老いを噛み締めながらの恋愛の行く末に心が軋み
滑稽であるほどに切なさが胸を打った・・・
いや、打ったのでなく、食い込んできたのだった。・゚・(ノД`)・゚・。

恋愛の成就は唯一無二の愛する相手を確信するコトだ
なぜなら恋愛は0か1なのだ

もっと゚+.(・∀・)゚+.゚イイ人がいるはず、と
A~Zまで選り取り見取りの中から相手を決め兼ねてるモテる人は
はっきり言って自身しか愛せナイ恋愛音痴でしかなく
そういう人は周囲が羨むほどには満たされてはいナイのだよ
男だったら美女をモノにすれば征服欲だけは満たされるだろうが
女はどんな男を陥落しようが娼婦の感覚しか味わえやしナイ

0か1・・・
愛する相手がたった一人あり、その人でなければ要らナイ

そういう0か1の相手を一生涯愛し続けられれば
例え0だったとしても満たされてるのだ!
自分自身を偽らずに、そして迷わずに日々を過ごすのは至福だ!!
そこで相手にも愛されるような奇蹟を望む前に
ただ自分が愛するコトを相手が許してくれてれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

Do I, do I love you, baby?
Yeah, yeah, yeah, yeah
More than ever

叶わナイ相手をさっさと諦めて
お互いに妥協できる相手とすっかり満足できたりするのも
否定はしナイが
歳をとって人生最期の恋愛なればこそ
今更、社会的にも生物学的にも縛りがナイのだから
ただ愛する相手を愛したいのだ

そして愛するとゆーコトは
いつでも相手を待ってるとゆーコトだ(苦笑)

Metallicaは格別好きでも嫌いでもナイが
カヴァーしてたこの曲のオリジナルDiamond Headは好きだ

Am I Evil

Diamond HeadはNWOBHMの括りに入るバンドだが
このバンド名と同名の曲をThe Venturesがやってたので
どうもサーファーのイメージが思い浮かんでしまい
その違和感が未だに拭いきれずにいるるる~

Am I Evil ?

これはGoogle翻訳機にかけると
「私は意地が悪いですか?」となってしまうが
「母親が異端審問で火炙りにされた」と歌詞の冒頭にあるので
「(その息子の)私は邪悪(なる者)なのか?」
そういう問いかけで、しかも自身に問いかけてるのだが
それに対してまた自身で答えてもいる

Yes I am.
I am man.

この2つの答えの文は中学生の英語レベルだが
後者の方は解釈に含みがあるだろう

manは男、てよりは、人間、で
人間=邪悪なる者、なのだろうか?
そんな業の深さに対する開き直りのようにも感じる一方で
恐らく母親もその息子も邪悪などではなかっただろうが
世間にそうだと烙印を押されてしまった運命を
受け入れつつも呪ってるようでもある

いずれにしろ異端審問てのは
ローマ・カトリック教会と意が合わぬ者を
あるいは何の罪もナイ人間でも見せしめとして
火炙りに処すコトができる機構だった
異端審問は云わばキリスト教の黒歴史なのだw

☆・・・☆・・・☆

昨日で激しく呑み過ごした誕生日週間(月間)を終えた

〆はG街納涼感謝祭だったが
前半は懐かしい友達との再会を楽しみながら
後半はひたすら眠気と戦いながら(負けてたかも?)
殆ど完璧に記憶を失くして、オマケにタブレットも失くして
すっきりさっぱり喪失感を堪能した・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

帰宅した際の詳細な記憶まで抜け落ちてるが
最後にいた店にタブレットを忘れてナイか確認のTELをして
炊飯器をセットしてから自室で寝た

数時間後に喉が渇いたので起きて
廊下に出るとトイレの前で母親が倒れてた。(゚д゚lll)ギャボ

「転んで起きられナイ」

ちょっと動かすと酷い痛がりようで叫ぶのだが
この人はいつもそうして演技過剰なので
やれやれ、またか・・・。(´д`;)ギャボ
今度は何が気に入らなくてストライキなんだろうか?

呑んで総てを失ってせいせいしてた矢先だったのに
苦々しい想いがすぐさま蘇ってきて
瞬く間に心に闇が広がった・・・気がした

このまま放置してて死なれるのは後味が悪いが
実際、これしきでは人は死なナイから
処置を施すとして、何をどうしようか?

とりあえず意見しようヽ(゚∀。)ノ

何でそんな目に遭ってるか、教えてあげようか?
自業自得、行いの報いが返ってきてるのよ!
世話をしてくれる人間に対しての
毎度の横柄な態度と逆切れの挙句の暴言て、何なの?!
どうしてそこまできっち~思いをしなくちゃ
わからナイの???

虚ろな目にはもうこちらに歯向かう意志はなかった
言ってる意味を解そうとする意志もだが・・・

そこへ折りよく父親が来たようだったので
またストライキらすぃ・・・と託して様子を見てると
珍しくまともなコトを言い出した

「病院行く・・・」

結局、救急車に3人がかりで運ばれてって
自分も付き添って病院へ
待つコト数時間、大腿骨骨折で即入院

お腹がすいた、と言うので好物の寿司を食べさせて
満足そうにしてるのを目にしてやっと憐憫の情が湧いてきた

帰宅してみれば夜も更けていた

☆・・・☆・・・☆

Am I Evil ?
Yes I am.

Am I Evil?

基本的にサッカーとテニスの試合以外にテレビは観ナイが
毎朝NHK BSの『クラシック倶楽部』をかけて
家事をしながらなんとなく聴いてはいる

お気に入りの曲を好ましく奏でてくれてる奏者だとか
稀に美しく装飾されたチェンバロとかだと
家事の手を休めて画面に釘付けになるコトもあるるる~

昨日はセルソ・アルベロのテノール・リサイタルで
オペラのアリアをほどよく軽快に歌ってた

ヴェルディ:歌劇《リゴレット》 [DVD]

常々オペラは朝っぱらから観るモノではナイと思ってたのだが
それは朝の爽やかな空気感を払拭してしまうからだ
ところがアルベロの明るい声にはそんな懸念は吹き飛んでしまい
すっかり魅了されてソファーに腰を据えたら
ヴェルディの『リゴレット』のアリア「女心の歌」が始まった

La donna è mobile
Qual piuma al vento

女は(donna)気まぐれ(mobile)だ
風(vento)の中の羽(piuma)のように

mobile(モービレ)は英語のmobileとほぼ同義ぽい
固定されてナイ機器をモバイルと言うのはもはや日本語だし
今や世界共通のIT用語でもあるがね

まあそんな歌い出しで始まるこの曲には
日本語の歌詞が何種類かあるくらいだから
きっと表現が抽象的なのだろうと予測できるが
今回の字幕にはぐっとキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

恋にうるむ肌に触れずにいれば
女心は変わるよ、風の中の羽のよう

恋にうるむ肌・・・てのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!
科学的に、物理的に、潤わすのでなく、スピリチュアルな潤い!!

愛しい相手にそうと気付かれず、触れてもらえずにいれば
確かに、風の中の羽のようにふわふわと浮きつ沈みつ
自分自身でも捉えドコロがなくなってしまう。(゚д゚lll)ギャボ

このアリアを軽妙に歌うのは
名うてのプレイボーイ(死語?)の公爵なのだが
さすが女心がよくわかってると感心するも
公爵のお相手の方が女心よりもよっぽど移ろいやすいと思われw

そうなのだp(-_-+)q
男は種蒔き本能がある以上に新たに開墾したがるモノだが
たいていの女は1人の最愛の男しか愛せナイモノだ
女心がわからナイ、などと嘆くなかれ

男の態度に応じて女心は浮き沈みしてるのだから
恋にうるむ肌を存分に堪能すれば
女は素直に男に従うだろう

☆・・・☆・・・☆

強気の女がその強気を投げ棄ててしまふと、投げ棄てるべき強さなどは全く持たない弱気の女よりもっと弱くなるものである。

これはトマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』(※)で
強気な美女バスシェバがトロイ軍曹に恋した様子だが
美女は美しいから強気でいられるのか
強気だからこそ美しく見えてしまうのか?
はたまた弱気な美女なんて存在するのだろうか?
引用は『遥かに狂乱の群を離れて』で昭和初期の訳で旧仮名遣い

バスシェバはかつては求婚を断るのに
「あなたを愛してません!」とはっきり言える女だったのが
トロイに恋して全く理性を失って
俗に言う「恋は盲目」の状態になって彼の総てを享受するようになり
トロイに対する誹謗や中傷となると自身のコト以上に憤慨して
事実を彎曲させてでも彼を信じずにはいられナイ
そんなバカな女に成り下がってしまうのであるるる~

傍から見れば、あるいはトロイからしたら
恋に打ちひしがれるバスシェバのバカっぷりは哀れでしかなく
普段から男に振り回されてるような心弱い女以上に
憐憫の情を抱かずにはいられなかっただろう(-_-;)

それがトロイを失って(失踪してしまったのだが)
条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男に改めてプロポーズされる(※)も
やはりその男を愛してナイので乗り気ではなく
トロイがもし帰ってこなかったら・・・と条件を出す
以前も求婚されたが、「あなたを愛してません!」とはっきり断った

トロイはもう死んだ、と皆が思ってて
ましてやトロイの子を身ごもったまま死んだ女との間に
真実の愛を見出して、いたたまれなくなった故の失踪であると
誰よりもよくわかってるはずのバスシェバだのに
まだトロイを待つのだ、待っていたいのだ

だってトロイを愛してるから。・゚・(ノД`)・゚・。

女は一途だからこそ
女心は風の中の羽のように不安定になるのだ

社会的に結婚に失敗して、生物学的に更年期が終了した

四十路になる前にはもうそんな状態で
勝ち組だのリア充だのと自負してるような人からしたら
嘲笑のし甲斐もナイ女だw

確かに子孫を残せなかったのは先祖に対して申し訳ナイが
自分自身では人生に満足してた

最愛の相手と一時でも一緒に暮らせたし
そうする際に「結婚しよう」と言ってもらえたのは
その時既に若くもなかったヲタな自分にとって
夢のような出来事だった

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籍を入れる前に別れてしまったので
社会的には内縁の妻でしかなかったかもだが
自分としては相手を一生涯の夫として誓いを立てて
1年も一緒に生活してたのだし
むしろ神前結婚式もしていたのだから
もれなく夫でしかなかったのだ。(´д`;)ギャボ

しかし結婚生活はなかなか過酷だった
まあ今となってはネタだがとにかく空回りの毎日だった

お金がなくて昼も夜も働き詰めで
家事にも手を抜くコトが許されなかったから
寝る時間もなく、気持ちにヨユーもなく
愛するダンナとは会う暇もなく
いや、たまに会っても目を合わせようともしナイので
嫉妬からくる憎悪でいつも殺気立ってたし
心労でいよいよ身体にも変調をきたしてしまうと
こんな辛い日々はごめんだ、と打ちひしがれ
もう好きな男とは2度と絶対結婚しナイ、と別れを決意してた(-人-;)

この時10歳も若ければもう少し強気で
あと10年くらい諦めなかったかもしれナイから
まぐれ(?!)で子供に恵まれてた可能性もあるが
三十路も中盤では先を考えたら1年で限界で
精神的にも肉体的にも疲弊して断念するしかなかった

☆・・・☆・・・☆

最愛の相手を永遠に失ってしまうのは辛いコトだ

しかし最愛の相手が不実な夫である場合には
それに気づかずに愛されてると勘違いできれば幸せだが
裏切られてると認めざるを得なければ不幸なのだ

そうして自分を不幸にしか追い込まナイ相手を
いつまでも夫として繋ぎ止めておく必要性があるとしたら
子供がいて、そのメンタルを慮ってとか
財産、生活費、何らかの事業などの経済的事情とか
そういう夫婦間の愛情以外のモノにすがってなのだろうが
すがるモノが何もなければ別れるしかナイ

別れてしまえば愛情を友情にすり替えてしまって
友情から相手の幸せを願うコトもできるが
夫であり続ける限り愛情は尽きナイし
それが嫉妬から憎悪に変換されてしまうのだ。(゚д゚lll)ギャボ

でも本来なら夫に憎悪なんて抱きたくはナイ

人生の望みは愛する人たち皆の幸せだ
当然ながら最愛の相手に対しても幸せを願って止まナイので
自分といるのが不幸なら別れて幸せになってくれれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

ただもう少し温和に別れられればよかったが
今更詳細は控えるが最悪の別れ方をしてしまって
友達同士に戻るのにも困難を極めたし、時間もかかった

Sing it out, Sing it out for love again

それが11年を経て、まさかやり直すコトになるとは
復縁して2ヶ月経った今でも狐につままれてる気がするるる~

愛しい気持ちを我慢する必要がナイ

それだけでまるで総ての迷いから解放されたかのように
人生が凄く単純で自然なモノに感じられるのだが
この身軽なのに充実してる感覚こそが【幸せ】なのだろうね

☆・・・☆・・・☆

さて、Kim Wildeの3rd album『Catch As Catch Can』は
No.1ヒットのYou Keep Me Hangin' Onより3年前の83年に出て
日本ではもちろん世界的にも全く売れなかったのだが
ラジオで聴いたSing it out for loveが気に入って購入して
以来30年に渡ってターンテーブルで頻繁に回ってたのを
この度MP3で購入し直した・・・やっぱ゚+.(・∀・)゚+.゚イイね

マドンナやシンディ・ローパーと比較してしまうと
確かに個性には乏しい気がするけど
Cool Beautyって言葉がぴったりのルックスには憧れてた

ググってみたらなんと今TOUR中で
しかもNik Kershawとやってるらしいので驚いた
さすがに最近は太ってきてるけど基本的に美人なのだよなあ・・・