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恋愛は甘美な倒錯である

現実にこれを持ち込んでしまえばすっかり色褪せてしまうし
浮世離れしてこれに陶酔しきってしまうと生活はままならなくなる

酒と同じようにほろ酔いが望ましいのかもしれナイが
まるで明日が来ナイかのように没頭できる恋愛なら
惜しみなく愉しめば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

それができるのが若さの醍醐味だ

匙加減のわからナイ相手との破滅的な恋愛だって
わざわざ望んではいナイが悪くナイ

でも忠誠を誓える相手に対しては
あえて何かに懸けて誓ったりはしナイが決して裏切るコトはナイ

中世騎士物語 (岩波文庫)

ロマンス(中世騎士物語)のように・・・

☆・・・☆・・・☆

【ロマンス】はもうすっかり日本語になってしまってて
誰もが「男女の恋愛に纏わる事件や物語」を思い浮かべるだろうし
他にも【ロマンチック】とか【ロマン】とかあって
前者はより乙女風味が強まり
後者は「男の【ロマン】」など対象が男女の恋愛限定ではなくなる

しかしこれらは日本独特の使い方で何か釈然としナイので
元の語源や世界標準的な正しい意味合いや
どのような経緯で日本に定着したのか
気になって調べたのは2005年のコトだった・・・

まず、【ロマンス】の語を片っ端から辞書でひいてみると
英語と仏語以外には該当する発音の単語がなく
日本人の解釈に近いのが英語の【romance】だったので
この語を輸入したのは英語圏からと推察してたのが確信に変わった

【romance】 [英]
━━n.中世騎士物語,伝奇小説,恋愛[冒険]小説;≪楽≫ロマンス(曲);情話;小説的な事件,ロマンス(love affair);作り話,空想(物語);ロマンチックな雰囲気[気分];(R-)ロマンス語(派).
━━a.(R-)ロマンス語(派)の.
━━vi.作り話をする,空想する((about));求愛する((with)).
→三省堂のエクシード英和辞典より

【romance】 [仏]
━━f.恋愛詩,小詩曲≪楽≫無言歌.
→白水社刊の杉捷夫編新仏和小辞典より

単語romanceが形成されたのは
8世紀以降の中世西欧においてであるのは確かだ
ローマ帝国が分裂~崩壊してくと同時に
ローマ人の日常語だったラテン語が各地でそれぞれに発展し(※)
それらローマ人の諸言語は総括して【ロマンス(ロマン)語】と呼ばれた
現在のフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語に至る途上の段階で
まだ「ラテン語の方言」と言った方が似つかわしくもあったかもしれナイ
また複数を指すので【ロマンス諸語】が正しいかもだが便宜上【ロマンス語】とする
参照→参考分布図
発音には地域差があるので【ロマンス】だったり【ロマン】だったりした以上に
語尾の変化は多様だったと思われる

口語はロマンス語へと移行したが
文献は依然としてラテン語で書かれており
ダンテがトスカナ語(ロマンス語の1つ)で『神曲』を著すまで
殆ど総てラテン語表記だった

ドレの神曲

そもそもダンテの頃の14世紀の西欧では
製紙法が広まりつつあっても印刷術はまだなかったので
本はとても高価で手にするコトは稀だっただろうし
手にしたトコロでラテン語では読めず
文芸はとても敷居が高かったのだ!

そんなだからルネサンスまでは
唯一の文芸ったら聖書だったりしたのだ。(゚д゚lll)ギャボ
それも坊主が持ってる聖書を読書するってよりは
実体としては丸暗記してたのだよ。(´д`;)ギャボ
だから「中世文学」ってジャンルは一応あるが
これって実は口承文学なのだなw
古代ギリシアで『イリアス』や『オデュッセイア』が
ホメロスの名の下に書物となるまで
吟遊詩人が連綿と歌い継いできたように
中世の吟遊詩人(※)も騎士道に名を馳せた英雄の伝承を
文字に綴ったのでなくロマンス語で歌ってたのだ
そしてその「中世騎士物語」が
【ロマンス】即ち「ロマンス語で詠われた物語」と呼ばれた
より正確には吟遊詩人が歌ったロマンス語は
主に南仏で使われてたプロヴァンス語だったようだ
LINK:プロヴァンス語 Dialectes provencaux
仏語でtroubadour(トゥルバドゥール)、独語でMinnesinger(ミンネジンガー)、英語でBard(バード)

ところでどちらも解さナイので想像しづらいのだが
ロマンス語とラテン語の隔たりはどの程度だったのだろうか?

上記の辞書からの引用【romance】 [英]を見てて思ったが
テュートン語圏のイギリス人からしたら
ローマ人がラテン語に代わって話すようになった言葉も
その言葉による「中世騎士物語」も
「ローマ人の言葉(で詠われた物語)」で【ロマンス】だったのかも?!
同じテュートン語圏でも独語では【romance】の語はなくて
英語や仏語の【ロマンス】の意味に近いのはRomanとRomanzeだった

【Roman】 [独]
━━m.(-s,-e)散文の長篇小説,物語;情話風の;『比』作り話,虚構.
→研究社のポケット独和辞典より

【Romanze】 [独]
━━f.民謡調の物語詩(Balladeと似た詩形式でスペインから起こった);≪楽≫ロマンス(感傷的な性格を持った愛の歌で、美しい旋律を主体としたゆるやかな楽曲).
→研究社のポケット独和辞典より

大雑把に訳せば文芸の方がRomanで音楽の方がRomanzeだが
この独語のRomanとRomanzeにあたるのが伊語ではromanzoとromanzaだ
また、独語のRomane(ロマンス語を話す民族)は伊語のromano(ローマ人)
独語のRomanisch(ロマンス語)は伊語のromanzo(ロマンス語)だ

【romanzo】 [伊]
━━m.長編小説)作り話.
━━agg.ロマンス語の.
→大学書林のイタリア語小辞典より

【romanza】 [伊]
━━f.≪楽≫ロマンス,華想曲.
→大学書林のイタリア語小辞典より

なぜかイタリアとイギリスとでは発想が類似で
「ロマンス語=ロマンス語で詠われた物語」なのだな

☆・・・☆・・・☆

で、Ralph LaurenのフレグランスRomanceは
男女の恋愛がテーマなのだよな

ラルフ ローレン ロマンス 30ml (EDP-SP)

aeneas

ダンテの『神曲』でウェルギリウスが案内役なのは
『神曲』を書き始める段階で候補者の中から選んだのではなく
最初から決まってたに違いナイ、と思うのは
若い頃に書いた『新生』第25章において自身の詩作の意義が語られてるが
ここで例として既にウェルギリウスの名が筆頭に挙げられてるからだ

「アエネーイス」ローマ建国神話

ウェルギリウスといえば『牧歌』『農耕詩』『アエネーイス』だ
参考までに『牧歌』と『農耕詩』は西洋古典叢書に1冊に収録されてて
『アエネーイス』は今では数種類の訳で出てるが
韻文訳の語調の小気味よさや解説の充実度、そして値段の安さとで
オススメは岩波文庫の泉井久之助訳だ

『アエネーイス』はトロイ戦争において若者アエネーアース(※)が
トロイ王家(分家)の唯一の生き残りとして
漂流の末にイタリアに辿り着いて
王となってその子孫がローマを建国し
更にその血筋のカエサル(シーザー)やアウグストゥスが帝政ローマを築いた
とゆーギリシア神話を引き継いだローマ建国の物語でフィクションだ
読み方はWikiに準じた

古代ギリシアの先達に倣って、先祖に神のいる血筋を
悪く言えば捏造した、よく言えば辻褄が合うように編纂したのだが
ホメロスの『イリアス』に出てきたアエネーアースは
カエサルが自らをアエネーアースの末裔と主張する以前に
元々ラティウムで伝承されてたローマ建国伝説と融合させたぽい

編纂されたのはアウグストゥスの時代で
このウェルギリウスの『アエネーイス』以外にも
オウィディウスの『変身物語』などがある

自分の好みとしては『変身物語』だし
他の著作もオウィディウスの方が読みやすいし面白いが
『アエネーイス』はラテン文学の最高峰として
必読の古典だ!!(と思ってるのは自分とダンテだけ?)

ウェルギリウスはダンテにとって神のような存在だったが
当のウェルギリウスにしてみれば、それはホメロスだったようで
ホメロスを超えられなかった、と思い込んでたのだろうか?
『アエネーイス』が完成したコトを自ら認めずに

死後に火中に投じるように

などと遺言してたりする(遺言が実行されなくて現存してるるる~)

ホメロスを意識してのコトなのかどうか
第7巻の戦いの火蓋が切って落とされるトコロで物語は分割できるが
前半は『オデュッセイア』の如き冒険(漂流)譚で
後半は『イリアス』の如き戦記だ

長さもホメロス級で1万行以上(全12巻)に及ぶが
それでいて甚だしくも第1巻から
アエネーアースが築いた王国や子孫がどうなったか
またその後どうやってローマが建国されて
それがカエサルやアウグストゥスに至るのかが
既に【予言】として出てくるのである。(´д`;)ギャボ

つまり最初に結末がわかってしまってから、残り11巻・・・バタリ ゙〓■●゙

しかもその結末には程遠く全く辿り着かず
敵の大将が死ぬ場面でいきなり終わってしまうので
【予言】されてた事象は【予言】のままに幕切れとなってる。(゚д゚lll)ギャボ

ネタバレとかに神経使って生きてる輩には想像を絶する構成だが
ホラティウスの『詩論』Ab ovo.(卵から始める)てのがあるが
それこそトロイ戦争ならまだしも
ローマ建国の話がレダの卵から始まってもw

トロイでのアエネーアースには子も生した妻がいたが死に別れ
最終的にはラウィーニアを娶ってその地の王となるが
その間に恋に落ちたのはカルタゴの女王ディドで
アエネーアースとディドの愛憎劇はある意味1番のクライマックスだが
このディドとのエピソードが『アエネーイス』の最初にあるのだ

そりゃあアエネーアースにはトロイ再興の目的があり
そのためにそれが適う相手(ラウィーニア)と結婚したワケで
自分にはどうも政治的野心を持ってる人間は胡散臭く感じてしまうが
ダンテは妄想の中では恋愛第一主義のようでいて
現実では政治的野心を持ってたから、案外その辺も共感できるのかな?

『神曲』の筋立ては
神話・伝説上の人物や怪物と歴史上の人物が冥界においてどうなってるか
ダンテが確認しつつ冥界を巡る、とゆーモノだが
それらの人物はダンテの信仰と政治理念によって裁かれてて
裏を返せば、ダンテの信仰と政治理念を表現するために引き合いに出されたのだが
裁いたダンテ自身も公的には罪人であるトコロがおもしろいヽ(゚∀。)ノ

聖人は自身の悪しき部分を
傍から見たらたいしたコトなくても嘆き悲しむモノだが
少し狂人めいたくらいの極悪人ともなると過去の悪事や罪状を
もれなく自慢したりするモノである

どちらの場合も善悪の切り分けがはっきりしてて迷いがナイから
自身に対する省察が良くできてるのだが
ダンテのような平均的善人でも野心によって中途半端な罪人になったってのは
なんとか自身を社会的に正当化しようとしてもがくからこそ
葛藤や苦悩が多いのだろうか。(´д`;)ギャボ

それで『神曲』の出だしでは暗闇の森で迷ってるのだが
だからガイドはアエネーアースではなくウェルギリウスなのか。(゚д゚lll)ギャボ

野心家アエネーアースを描ききった詩人のウェルギリウス・・・

1

vita-nuova

ダンテの『神曲』を読めば
ロマンティストでフェミニストで信心深いダンテによって
永遠の女性であるベアトリーチェが
すっかり神格化されてしまってるのはわかるが
ダンテの『神曲』を読んだだけでは
ベアトリーチェにはそれ以上の存在意義を見出せナイだろう

言いたいコトはだ、詩人はダンテに限らず
とかく愛する女性を女神として大仰に称えたがるものだが
いくらダンテが壮大なスケールで冥界を描いて
その中でベアトリーチェに天女の役をあてがってても
実のところ、単にダンテにとっての永遠の女性でしかなかったのではナイか?!
と、不信感を抱かずにはいられナイ(-_-;)

つまりダンテがベアトリーチェをどれほど愛し抜いたかには感動できるが
ベアトリーチェの人となりが天女として納得行くものかどうかは
むしろ「恋は盲目」であるだけに疑わしいw

美人ならそれだけで確かに女神のような存在ではあるが
死後の世界のしきたりとしては生前に美人だったからではなく
生前の行為如何で地獄に落ちるか煉獄に送り込まれるか決定する

ましてや生前に偉大だった他の登場人物たちが
ダンテによって裁かれて冥界では酷い目に遭ってたりするので
そういう人々と比してベアトリーチェの何(何処)が
至高天に到達できるほどに優れていたのか
自分のようにダンテに負けず劣らずの妄想癖の(キモ)ヲタとしては
ベアトリーチェの実像に興味津々なのである

『神曲』では既に天界にいて、実在したかも不確かなベアトリーチェだが
どれほど素晴らしい行いをした人物だったのか
あるいは第三者から見たらたいしたコトなかったとしても
ダンテが生涯想い続けるようなどんなエピソードが2人の間にあったのか
生前のベアトリーチェを知りたい、と思うのは自分だけではナイはず

それなのに『新生』はずっと絶版状態だった・・・バタリ ゙〓■●゙

La vita nuova (Penguin Classics)

ダンテの『新生』を読めば
後にダンテが『神曲』を著す際に原動力となったのが
永遠の女性ベアトリーチェの存在そのものだったコトが伺える
てか、『神曲』に表現された世界(冥界)観は
ダンテがベアトリーチェを永遠の女性とするために構築したのだろう

『新生』でベアトリーチェは
妄想キモヲタダンテに愛される、てよりは、崇拝されてるのだが
それとゆーのも美女には縁がなさそうなダンテに対して
神々しいまでに美しいベアトリーチェはなんと会釈をしてくれたからだ!

ヲタ的にはそういう時の境地が凄くよくわかるのだが
まるで「神に存在を認められた」如くの歓喜が全身にほとばしるのだよ!!

ダンテのキモヲタ告白で自ら語ってる通り
若きダンテに至福を齎したベアトリーチェの会釈は
実は会釈をしてはいなかったとしても
一般人を自負してるってだけの人間が集団心理に訴えて
少し毛色の違う人間に対して嘲笑するコトで悦に入るような
残忍な移ろい易さは微塵も持ってなかったので
その視線にダンテは「神」と同等の価値を見出したのではなかろうか?

いや、神は無慈悲だから、同等でなくそれ以上かも知れナイ

そして『新生』を読んでて気づいたのが
『新生』を『神曲』にまで昇華させるに至ったのはベアトリーチェだが
そのきっかけを与えたのは【窓辺の婦人】なのでは、てコトだ

【窓辺の婦人】はベアトリーチェ亡き後に代わって登場する女性で
その解釈は様々だ

後にダンテの妻になったジェンマ・ドナーティである、とか
ベアトリーチェでもジェンマでもナイ全く別の女性(達)である、とか
もっと象徴的な存在でベアトリーチェを【神学】の頂点におくなら
それに対して【哲学】を意味してる、など諸説あるが
実在したが幻影のようだったベアトリーチェの存在に比して
それが実際に亡くなってしまった後に現れたのだから
(未だ)実在はしナイが現実の中に見出せる存在、見出さなければならナイ存在で
先に挙げた3つの解釈はある意味どれも当て嵌まり
要するに妄想世界から逸脱して現実と向き合うためのきっかけを
それがはっきりと何かはわからなかったがダンテは探してたのだと思うのだ!

それまでのダンテの行動と照らし合わせるとわかりやすいが
要するに現実で思う通りに行かずに
泣いて、部屋に引き篭もっては幻影を見て、妄想世界に浸って詩作をしてたのが
外から窓辺にいる婦人を見たのだ!!

その後は政治家として立派に務め、結婚して子供も儲け
しばらく妄想世界から遠ざかってた【リア充】ダンテだったが
政局混迷の渦中で追放の憂き目に遭い(事実ダンテは罪人であった)
現実に裏切られたコトで再び妄想世界に引き篭もり
『神曲』が著されたのだった

ダンテが若き日に妄想キモヲタでなかったら
『新生』は書かれてなかったが
ダンテが【リア充】ダンテのまま年老いてたら
おそらく『神曲』が書かれてなかった