『新約聖書』の中のサロメ

『新約聖書』ルカ9、ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情

 さて、国王ヘロデは、このすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していた。それは、ある人々が、
「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。」
と言い、ほかの人々は、
「エリヤが現れたのだ。」
と言い、さらに別の人々は、
「昔の預言者のひとりがよみがえったのだ。」
と言っていたからである。ヘロデは言った。
「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったいだれなのだろう。」
ヘロデはイエスに会ってみようとした。

『新約聖書』マタイ14、ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情

 そのころ、国王ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、侍従たちに言った。
「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」
実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、牢に入れたのであった。それは、ヨハネが彼に、
「あなたが彼女をめとるのは不法です。」
と言い張ったからである。ヘロデはヨハネを殺したかったが、群集を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。
 たまたまヘロデの誕生祝があって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。
「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。彼は、人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
 それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

『新約聖書』マルコ6、ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情

 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にもはいった。人々は、
「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ。」
と言っていた。別の人々は、
「彼はエリヤだ。」
と言い、さらに別の人々は、
「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ。」
と、言っていた。
 しかし、ヘロデはうわさを聞いて、
「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」
と、言っていた。実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、人をやってヨハネを捕え、牢につないだのであった。これは、ヨハネがヘロデに、
「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です。」
と言い張った、からである。ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。
 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、ヘロデヤの娘がはいって来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ。そこで王は、この少女に、
「何でもほしい物を言いなさい。与えよう。」
と、言った。また、
「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう。」
と言って、誓った。そこで少女は出て行って、
「何を願いましょうか。」
とその母親に言った。すると母親は、
「バプテスマのヨハネの首。」
と言った。そこで少女はすぐに、大急ぎで王の前に行き、こう言って頼んだ。
「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます。」
王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。
 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。

Women of Troy

エウリピデスの『トロイアの女たち』の新訳が
なぜか、突如として昨年末に出てた

そう、なぜ、エウリピデスの悲劇の中でも
今、これだけが単品で出るのか、訝しく思ったが
ちょうど蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』の公演があり
それに合わせてだったのだろうか?!

いや、WOWOWで観たらサルトルVer.だったw

トロイアの女たちギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

そう言えば『トロイアの女たち』は
エウリピデスのなら松平千秋訳のをダブって持ってるし(※)
『サルトル全集【33】トロイアの女たち』を
神保町の古本屋で奇跡的にゲトできたが
肝心のセネカ版が未だ手元になかったと思い出した
ちくま文庫のギリシア悲劇【III】エウリピデス(上)筑摩世界文学大系【2】ギリシア・ローマ古典劇集

セネカの『トロイアの女たち』は
京都大学出版の西洋古典叢書の『セネカ悲劇集』に収められてるるる~

セネカ悲劇集〈1〉 (西洋古典叢書)

セネカ悲劇集【1】
狂えるヘラクレス(小川正廣訳)
トロイアの女たち(高橋宏幸訳)
フェニキアの女たち(大西英文訳)
メデア(小林標訳)
パエドラ(大西英文訳)

セネカ悲劇集【2】
オエディプス(岩崎務訳)
アガメムノン(大西英文訳)
テュエステス(宮崎徳也訳)
オエタ山のヘルクレス(竹中康雄訳)
オクタウィア(木村健治訳)

【1】は『トロイアの女たち』以外にも
『フェニキアの女たち』も『メデア』も『パエドラ』(※)も
エウリピデスと比較して差異を読み解きたい
エウリピデスの『ヒッポリュトス』に当たる、ラシーヌだと『フェードル(とイポリート)』

しかし最も興味深いのは【2】の『オクタウィア』だ!
なんせセネカのオリジナルでネロが題材の史劇なのだからして!!

久々にアマゾンで両方チェックしてみたら
【2】が半額以下で出品されてたのでそっちをポチったった♪
トロイヲタとして【1】も絶対いつか購入するだろうがw

とりあえず蜷川の『トロイアの女たち』はサルトルに倣ってたが
現代日本人の常識の範疇に「トロイ戦争」はナイので
そりゃあ誤解のナイようにポセイドンが説明せねばなるまいて
改めてサルトルの手腕に脱帽しつつ
蜷川の奇異なアイディア(3ヶ国語でコロスを繰り返し)にも
よくもこんな鬱陶しいコトをやり通したモノだ
と、感心したし、感動した。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

蜷川はちょっと前に『トロイラスとクレシダ』もWOWOWで観た(※)が
シェイクスピアの全作をオールメールでって試みの一環で
その発想からして素晴らしいと思ったね
しかも『トロイラスとクレシダ』は中でも1番厄介だったろうに
納得の行く出来映えだったのには度肝を抜かれた。(゚д゚lll)ギャボ
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102292/

クレシダには穢れを知らナイ澄んだ美しさがあり
絶世の美女ヘレネの方が蠱惑的ではあるが
決して見劣りはしナイ美貌なはずと思われ。(´д`;)ギャボ
その点、2人とも性別を乗り越えた以上に美的に釣り合ってたが
恐らく女性がやると想像すると
主役のクレシダはでしゃばって美貌から儚さを失するだろうし
ヘレネも美しさよりいやらしさが目立ってしまいそうだ(-_-;)

でも何よりもカサンドラにはぞっとさせられた
『トロイアの女たち』でも運命に憤り、怒りながら舞うカサンドラがいたが
『トロイラスとクレシダ』のカサンドラの方がしなやかな動きで
巫女の資格を失った悲しみが舞踏に表現されてたし
狂気もそれらしく見えた

基本的にカサンドラは狂ってるのではなく
予言を口にすると狂ってるように見えてしまうだけだから
発狂してるだけだと白けてしまうのだよ
カサンドラはアポロンから予言の術を授かったが
引き換えにアポロンの恋人になる約束だったのを破ったので
それでアポロンによって予言が信じてもらえナイようにされたのだ

☆・・・☆・・・☆

宮本亜門の『サロメ』もWOWOWでやってて(※)
観る前はキャスティングに仰天したが
もれなく多部未華子ちゃんのサロメこそがサイコーだった
サロメは無垢ゆえに残酷なのだな・・・
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/101601/

サロメ (岩波文庫)

古典劇はハリウッド映画とかブロードウェイ・ミュージカルでも
原作の魅力が減退しまくりなのが多くてウンザリするが
日本の新劇が魅力を損なわずにやってるなんて
目にするまで思いもよらなかったね

とにかく戯曲は本で読んでるより
舞台で演じてるのを観る方が断然゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのは、当たり前かヽ(゚∀。)ノ

ここは一つ、宮本の『キャンディード』のDVDを購入すべきか?!

防水タブレット

低血圧で朝が弱い、て通説があって
自分もちょ~低血圧で朝起きてすぐにはどうも鈍くて
思い描いたようにしゃきしゃき動けナイし
既に思い描くのも頭の回転が遅い

でも低血圧のせいだとわかりきってるなら
それを逆手にとって血圧を上げりゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイワケで
そのために起床したらまずお風呂なのだ・・・ホゥ(*-∀-)

いきなり熱い湯に浸かって一気に上げるのでなく
ぬるめのお湯で十分にリラックスして(一旦下げてから)
ちょっとづつ熱くして慣らしてくカンジで
まあ少なくても30分~1時間はぬるま湯に浸かってて
この間にはたいてい本を読んでるるる~

そして本を読んでる時はたいていメモを取ってもいて
これらのメモは学生時代からだから物凄い量あったのだが
最近(ここ10年ほど)はブログにまとめたり
とりあえずテキストデータにしてサーバに収納してきた

しかしそれでもメモは増える一方で
もう少し時間があれば、てのは無理だとしても
何かもっと捗る方法ってナイのだろうか?

紙のメモをPCでテキストデータ化してるのって
媒体が別物だってだけで違うコトしてる気になってるが
よく考えてみるとほぼ同じ作業を二重にしてるのに気づいた(゚*゚;)

今更ながら防水性のワープロとか買おうか?
なんて今時のIT企業の人間とは思えナイ発想をしてみたりしたが
時代に即したタブレットに防水ってのがある・・・はず

実際に防水タブレットはあったのだが
自分が想像してたほど市場は広くなかったし
それも年々増えるドコロか生産中止になってる機種もあり
むしろ減ってるらしかった(需要ありそうなのに?)

お風呂でワープロ代わりに使うとなると
必須の機能は防水とQWERTYキーボードとエディタで
できあがったテキストデータはUSBでPCに送っても構わナイが
FTPでサーバにアップするコトができれば便利だ

これらの条件の中でエディタとFTPはアプリを入れたら適うので除外
ヴァーチャルキーボードの使い易さからいくと
サイズは10インチしか在り得なかったので
防水機能と10インチサイズとゆーたった2つの条件に絞られたが
意外にもマッチしてたのは富士通のARROWS Tabしかなく
迷いようもなく購入決定したp(-_-+)q

新品 docomo ARROWS Tab LTE F-01D by FUJITSU エターナルホワイト 白ロム

金額的には6~7万なのでVaioより高額だったが
いくら安かろうと妥協して不要なタブレットを買うのは意味がナイ
しかもほぼスマホMEDIASを使い始めてたので
7インチのタブレットなら要らナイ、スマホで事足りる、と思えた

DoCoMoの月々サポート割引の対象商品だったのもあり
これはカナ~リ思い切って購入
しかし本トに欲しいモノは高額でも買うべきで
購入以来、紙のメモは増えてナイが
それ以上に色々便利で今ではPCより重宝してるるる~

なんと言ってもPCを立ち上げなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイのは
手頃感がハンパではナイ!!

mixiなんかはアプリも秀逸なのでPC画面よりやり易いくらいだし
今やPCはTumblr専用機になりつつあったり(※)
当然ながらAndroidアプリではできナイようなブログのカスタマイズ、自作プログラムの修正
買い物や会員サイトの情報変更など、個人情報を入力する場合はPCありきなのだがね

そして昨夜から電子書籍リーダーとしても使い始めたが
画面が大きくて=字が大きくて行間も広い、ので使い心地はサイコー!

電子書店BookLive!では無料で会員登録するだけで
タブレットにリーダーアプリをダウンロード&インストールできた(※)ので
電子書籍での読書を初体験してみたのだ
もちろん端末はPCでもスマホでもOK、12月10日に専用リーダーLideoも発売される

さかしま (河出文庫)

ユイスマンスの『さかしま』を検索したら澁澤龍彦訳があって
[立ち読み]ボタンでダウンロードしてみたら
なんと第5章まで試し読みするコトができたのだった(つまりタダ読み)

フォントはゴシックと明朝が選べて
明朝にしたがルビまで美しく見易かったのが嬉しい
『さかしま』はルビなしでは読めナイような漢字が多く使われてるし
雰囲気で旧字体を使ってたりもするから
文字が小さい以上に印刷がショボいとストレスを感じるのだ。(´д`;)ギャボ

「ギュスターヴ」で検索をかけると
第5章にあるギュスターヴ・モローのページがぱっと開いて
たぐってくと見慣れた挿絵もちゃんと入ってて
モローのサロメ連作の『まぼろし』(※)も見れた
一般的には『出現』の邦題が使われてるが澁澤が『まぼろし』と訳してる

更に専用スタンドも付いてて
これに立てかけて読むのは本物の書籍では味わえナイ楽チンさ♪

これだけでも早朝の風呂場が捗って実に愉しいが
まだまだ使い途はたくさんありそうだ

ヘロディア(ヘロデヤ)

1番慣れ親しんだ『新約聖書』に「ヘロデヤ」とあるので
これまでずっと「ヘロデヤ」と表記してたが
一般的なのは「ヘロディア」のようで『ユダヤ古代誌』でもそうだった

Salome (Dover Fine Art, History of Art)

ワイルドの『サロメ』(福田恆存訳・岩波文庫版)では
ヨハネ>ヨカナーン、ヘロデ>エロド、ヘロデヤ>エロディアス
と固有名詞が総てフランス語読みなのだが
シェークスピアの訳を手がけてる福田なら英語版を訳してるはずだのに
英語版も固有名詞はフランス語のままなのだろうか?

Tres cuentos

そうかと思えばフローベールの『Hérodias』は
太田浩一によって『ヘロディア』とされてて巻末に以下の断りがあった

人名、地名等の固有名詞の表記については、聖書に出てくるものは、原則としてそれに従った。

この『ヘロディア』はフローベールの晩年の3作の短編の1つで
『三つの物語(原題:Trois Contes)』に収録されてて
他2篇は『純な心』と『聖ジュリアン伝』なのだが
自分が持ってる福武文庫版(※)は澱みなく読み進めて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
LINK:『三つの物語』(福武文庫版)
岩波文庫版から半世紀後に出た新訳で著者名はフローベールではなくフロベールとされてる

Idols of Perversity: Fantasies of Feminine Evil in Fin-De-Siecle Culture (Oxford Paperbacks)

マラルメにも未完だが『Hérodiade:エロディアード』があり
『LES POÉSIES DE STÉPHAN MALLARMÉ:ステファヌ・マラルメ詩集』に収録されてるが
筑摩世界文学大系【43】マラルメ ヴェルレエヌ ランボオでは
鈴木信太郎訳なので何度読んでも意味不明だ・・・バタリ ゙〓■●゙

それでも何度も読んでしまうのは余りにも美しい単語が鏤められてるからで
日本語の美麗さはここに極まれりってカンジだ・・・ホゥ(*-∀-)

ギュスターヴ・モローの『まぼろし』もしくは『出現』

ファム・ファタルとしてサロメを描き
逸品のオブジェとしてヨハネの生首を描いた最高傑作の絵画と言えば
ギュスターブ・モローの『出現』であるコトに異論を唱える者はいナイだろう
これ以外にもモローのサロメ連作はファム・ファタルのイメージを浸透させた功績が測りしれナイ

モノが生首でなければ王女が舞を舞った褒美を手にして嬉々としてる図でしかナイ
どれほど若く美しい王女だとしてもそこにはなんのドラマもナイ

純潔の王女が可憐な舞を舞って愛らしいペットを得る、とか
淫奔な王女が官能的な舞を舞って珍しい宝石を得る、とか想像に難くナイw

ところがモノが生首ともなると万人を震撼させる戦慄のドラマが生まれるるる~

サロメを主題とした作品を描いた画家達の着眼点には敬服せざるを得ナイが
サロメがなぜヨハネの生首を所望したのか、とゆー主題の根底にあるべき要因が
オスカー・ワイルドの『サロメ』発表以前の作品からは読み取れナイ

ワイルドの創作意欲はそれを明確に打ち出したかったトコロにあると思う
しかもワイルドの解釈は『新約聖書』の記述(※)とは違ってるが
不思議と数多く描かれた「サロメと生首のヨハネ」の構図に肉薄してるのだ
「ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情」の聖書の記述はルカ9マタイ14マルコ6参照

『新約聖書』によればヨハネの生首を所望してたのはサロメの母親のヘロデヤだ
あくまでも「ヘロデヤがヨハネを逆恨みして処刑を望んでた」とされてて
ヘロデ王はそれに乗り気ではなかったものの、やむなく加担して
ヘロデヤの娘(サロメ)は母親のヘロデヤに促されるままに、素直に加担した

ヨハネの生首を褒美にもらうようにサロメをそそのかしたのはヘロデヤで
褒美にもらったサロメはそれをすぐさまヘロデヤに差し上げてるので
サロメと生首のヨハネが対峙したのは
処刑人より盆に乗ったそれを受け取ってからヘロデヤに差し出すまでの
右から左へと盆を送ったほんの一瞬なのでキスをしてる猶予はナイ

その時のサロメの心情を推察すれば平常心で受け止められる光景であるはずがナイ
それをやってのけたサロメがその時平然としてたのか動揺してたのかまでは
それこそ『新約聖書』からは読み取りようもナイが
やってのけた=超然としてた、と見受けられたのだろう

教義的解釈からすればこの物語の主題は
残忍で好色なヘロデ王とその家族による聖なる洗礼者ヨハネの【受難】なのである

残忍で好色な国王一家= VS 聖者ヨハネ=

さかしま (河出文庫)

モローの『出現』はフロルッサス・デ・ゼッサント(※)によれば
斬首の直後に処刑人の足元の大皿からヨハネの生首が浮遊したためにサロメが怯えてる図、だそうで
『水戸黄門』だと1番見飽きた「印籠を見せられて悪代官がうろたえる場面」だヽ(゚∀。)ノ
悪代官がサロメで水戸黄門(印籠自身?)がヨハネ(の生首)なワケだなw
デ・ゼッサントは実在する人物ではなく、ユイスマンスの小説『A Rebours:さかしま』の主人公
小説中ではこの作品のタイトルが『出現』ではなく、澁澤龍彦氏によって『まぼろし』と訳されてる

ヨハネ(ヨカナーン)の実像

オスカー・ワイルドの『サロメ』では
生首となって盆に盛られたヨカナーン(ヨハネ)にサロメがキスをする
とゆー戦慄を覚えずにはいられナイ場面があるが
聖職者の身ではサロメでなくとも女を受け入れるコトなどできなかったであろう
ましてやヨハネはイエス・キリスト(以下イエスと略す)の洗礼者であった

サロメ誕生―フローベール/ワイルド
エウセビオス「教会史」 (上) (講談社学術文庫)
エウセビオス「教会史」 (下) (講談社学術文庫)

『新約聖書』に登場するヨハネには
このイエスを含む多くの人々に洗礼を授けたヨハネと
イエスの弟子のヨハネとがいるが
前者を「バプテスマ(洗礼者)のヨハネ」、後者を「使徒ヨハネ」と呼び
『ヨハネの黙示録』の著者は一般的には使徒ヨハネ(※)だ
エウセビオスによれば更にもう一人ヨハネが存在してて
その別人のヨハネによって書かれたと『教会史』で述べてる

以下ヨハネとあるのは総てバプテスマのヨハネである

キリスト教(古くはユダヤ教)における洗礼てのは
入信時に行われる頭上に水を注いだり水に浸ったりする儀式で
シャーマニズムにおける禊(みそぎ)と似てるが
イエスがヨハネによって洗礼を受けたのはヨルダン川においてだったそうだ

イエスがヨハネに洗礼を施されたのはその出生に話を遡らせると
ヨハネを産んだのはザカリヤの妻エリザベツで
イエスを処女懐胎で宿して産んだマリアの従姉妹に当たり
同じく処女懐胎によってイエスより一足先に産まれたのがヨハネなのだ
(エリザベツは既婚だったのだから処女ではナイのでは、てな突っ込みはナシでw)

『新約聖書』に幼少時のイエスとヨハネの邂逅の記述はナイのに
幼子イエスと聖母マリアの聖母子図に幼子ヨハネもしばしば登場するのは
親戚なのだから会ってたとしても不自然ではナイからだろうか?!

それにしても腑に落ちナイのは
エリザベツが元より不妊で高齢になってすっかり諦めてたトコロで
ようやくできた跡継ぎのはずのヨハネだのに
なぜか少年のうちから荒野を放浪してユダヤ教の宣教者となってしまったコトだ

ユダヤ教は唯一神ヤハウェを信仰し
ヤハウェの言葉を伝える【預言者】の言う通りに忠実に生活を営む宗教で
この【預言者】の再来ではナイか、と畏れられてたのがヨハネだが
【救世主】としてイエスが現れる、と予言する(※)のだ!
穿った見方をすればイエスを【救世主】に仕立て上げるペテンの片棒を担いでたかもだ!!
「バプテスマのヨハネの質問とイエスの証言」の聖書の記述はルカ7マタイ11参照

とにかくヨハネはたくさんの弟子を持ち、民衆にも畏れられてたのだが
なぜヘロデ王の宮殿の牢に投獄されてたのかと言えば
ヘロデ王とヘロデヤの結婚をヨハネが咎めたのを逆恨みされたのだ(-_-;)
ヨハネの諫言は王族に対する侮辱と見做されたのだろう

それもヨハネの非難の矛先が専らヘロデヤの多淫に向けられてたのだろう
ヘロデヤにしてみると図星だけに我慢ならなかったに違いなく
ヨハネの処刑をヘロデヤが望んでたのは疑う余地がナイ

それではヘロデ王はどうだったかは「マタイ伝」によれば

ヘロデはヨハネを殺したかった

とはっきりとあるのでヘロデ王もヨハネの処刑に乗り気だったようにとれるが
同じ「マタイ伝」の中には

ヘロデはヨハネを預言者として認めていた

ともあり、これはヘロデ王自身がヨハネを信奉してたか否かには関係なく
民衆のヨハネに対する信奉を理解してた、とゆーコトだろう
王としては民衆の反感を買うようなマネはできナイので
ヨハネを捕えさせて牢には繋いだものの、それ以上は手を下せナイでいたのだ

これが「マルコ伝」によるとヘロデ王はヨハネの宣教に対して

喜んで耳を傾けていた

とさえあり、更に王女サロメにヨハネの首を所望された時には

非常に心を痛めた

とマタイとマルコとでは受け止め方が正反対で
『新約聖書』の記述からではヘロデ王の真意は掴めナイが
それまで寵妃ヘロデヤにせがまれてもヨハネを処刑するに至らなかったので
ヘロデ王は明らかにその意志がなかったのでは、と推測する次第だ

そこへきてサロメに促されるままにヨハネの斬首を決行したのは
なぜか・・・ヘロデ王の心理が最も不可解だ

サロメの実像

オスカー・ワイルドが戯曲『サロメ』を書く以前からサロメは悪徳の代表者だったが
キリスト教信者にとっては忌むべき存在で
男にとっては魅力的な存在で拒み通せる女ではなかった

聖者ヨハネ(ヨカナーン)とて生身の男であればその誘惑に打ち勝てたかは定かではナイが
生首になったコトで誘惑を遠ざけられ勝利できたのだろうか?

ところがワイルドは「生首へのキス」とゆー度肝を抜く展開で
サロメをまた逆点勝利に導いてしまうのだった。(゚д゚lll)ギャボ

「サロメ」の変容―翻訳・舞台

しかし実際のサロメは【ファム・ファタル】だったのだろうか?
その複雑怪奇な生い立ちを追ってみるるる~

まずサロメの母ヘロデヤについての言及から始めなくてはならナイが
ヘロデヤはヘロデ王の弟ピリポの妻であったが好色なヘロデ王に見初められて不貞をし
遂にはヘロデ王の妃に収まり、その際にヘロデヤの娘サロメも王女となった

なのでサロメがヘロデ王の実の娘ではナイのは明らかだが
そこでフツーに考えて実質的にはヘロデ王はサロメの伯父なのかと思ったら
ヘロデヤの前夫ピリポの娘でもナイので伯父には当たらなくて
ヘロデ王の父ヘロデ大王の子の別のヘロデとの娘だ。(´д`;)ギャボ

同じ名前ばかりでややこしいが
元を正せばヘロデ大王には10人の妻がいて
その内のマルタケ妃との間の息子がヘロデ王でマリアンメ妃との間の子の娘がヘロデヤで
ヘロデ大王からしたらヘロデ王は息子でヘロデヤは孫に当たり
サロメは曾孫でもあるのだが父親がヘロデ大王の息子なので孫でもあるるる~
ヘロデヤとサロメが親娘関係であるにも拘らず
父親の系統からはヘロデヤもサロメもヘロデ大王の孫なのだったヽ(゚∀。)ノ

なんともややこしいコトこの上ナイが今一度ヘロデヤを中心にまとめると
ヘロデ大王の孫娘でありながらヘロデ大王の息子のうち(少なくとも)3人と関係を持ってたのだ

以上、家系図にするのは断念・・・バタリ ゙〓■●゙

そういうワケでサロメは実の父親とは全く縁がなく
実母ヘロデヤの連れ子としてヘロデヤの夫の許で育ってきたので
恐らくサロメにとって父親としての存在感があったのはピリポだったのではナイだろうか?

だがしかし事件当時はこの養父ピリポを殺した両親の元に身を寄せてるのだ

うっかり「養父を殺した」などと書いてしまったが
ヘロデ王もヘロデヤも直接的にはピリポには手を下してはいナイ
但し後にヨハネが入る牢に長いコト幽閉された末に死んだらしいので殺したも同然だと思われ

以上のようにサロメの生い立ちはあまりにも特殊な状況にあり
王女、とゆー肩書きからは想像もつかナイ孤独や恐怖に苛まれ続けてたのだ

サロメが幼い時にピリポを父と慕ってた度合いにもよるが
ヘロデ王に対しては父親としての情を微塵も感じてナイのは予想がつくし
実の母であるヘロデヤへの情でさえ希薄か、もしくは憎悪を感じてたかもしれナイ

いずれにしろサロメはヨハネがヘロデ王とヘロデヤを非難してたコトに対しては
異存はなく、むしろヨハネを唯一の理解者のように感じたかもしれナイ

それでヨハネがかつて養父が繋がれてた牢に入れられてたら
サロメはその最期を知ってるのだから少なくとも憐憫の情は抱くだろうし
清く正しく美しい聖者に想いを寄せてしまうのも無理はナイ

そこでヨハネがサロメに対しても両親と同じように非難したとしたら
ヨハネに惨い仕打ちをするのも頷ける(-人-;)

自分はそんな風に想い描いたのでワイルドの『サロメ』にも納得は行く

ヴェネツィア絵画のきらめき1

ティツィアーノはお気に入りの画家だが
『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』は格別に好きな作品で
日本で公開されてたので行ってきた

Bunkamura ザ・ミュージアムの「ヴェネツィア絵画のきらめき」

『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』は期待通りで
間近で見るサロメの肌の質感は艶かしく
理想的な柔肌だった!!

サロメが盆に載せて持つヨハネの首は
髪の一筋まで緻密に描かれてて
非常にリアルではあるが
美し過ぎるのが非現実的かも・・・
尤も切ったばかりの生首を実際に見たコトはナイので
そうとも言い難いが(苦笑)

このヨハネの生首はティツィアーノの自画像だって説もあるが
確かに生首のモデルなんてのは
あまり気持ちの゚+.(・∀・)゚+.゚イイモノではナイだろうから
自身をモデルにして描くしかなかったのかも?!

サロメとヨハネ(の生首)の図はたくさん観てきたが
ヨハネは最も安らかな表情をしてるし
サロメもそんなヨハネに対して穏やかな表情だ

しかもヨハネは死んでて安らかなのではなく
サロメに膝枕してもらって安堵の寝息を立ててるかのようなのだ

一方、サロメもヨハネを恋人のように抱いてるが
恋人にぞっこんと言うよりは少し倦怠を感じてるような・・・
アンニュイな表情だ

それでもヨハネは大切な恋人なのだろう
目を覚ましたヨハネには倦怠を悟られてしまわナイように
まるで起きるのを今か今かと待ち望んでたように
きっとキスをするはず

サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇 (新潮文庫)

見入ってるとうっかりそんな風に思えてしまうこの絵を
オスカー・ワイルドが観てたら
『サロメ』を戯曲化しようと思いつきそうだ

いや、ワイルドの『サロメ』の構想は
ティツィアーノでなかったかもしれナイが
サロメとヨハネが恋人同士に見えてくるような絵画と
出会ったからに違いナイp(-_-+)q

それにしても「ヴェネツィア絵画のきらめき」は
予想以上に見所満載だった

(前略)ここには、あの艶やかな色彩、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼといった画家たちが生みだした宝石のごとき色彩世界があるのに(後略)

まあこの煽り文句だけでもグッとくるがな♪

最後の誘惑(デヴィッド・ボウイ出演作品)

自分にはアンテナがあって欲するモノが必ず引っかかってくるのだが
その1つにデヴィッド・ボウイの出演映画のアンテナがあり
今回のこの『最後の誘惑(原題:The Last Temptation of Christ)』も
そうとは知らずに購入して観てて気付いたのだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

この映画を観たいと思い立ったのは
タイトルの通りにイエス・キリストの生涯が描かれてて
その最期の時に十字架に架けられつつ彼が何を思ったかが主題だったからだ
なので邦題は「最後」ではなく「最期」として欲しかったのだが・・・

それにしてもその主題に辿り着くまでの伏線が映画の殆どを占めてるので
主人公がキリストほどの人格破綻者でなかったら途中で飽きてしまうと思われるるる~

いつも自分や母親のためにキリストに祈ってくださってるシスターが知ったら腰を抜かすだろうが
自分は【アンチ・キリスト】だヽ(゚∀。)ノ

まあ日本人でそんな考え方の人間はほとんどいナイだろうが
キリストを信仰してナイってコトは=悪魔崇拝なのかと言えばもちろん違うw
ところがたいていのキリスト教信者はきっぱりと2元的に捉えてて
否信者に対しては悪魔崇拝だと断定したがるが
中立的な立場でキリストに心を許さず悪魔にも魂を売ってナイ人間もいるのだ

そしてそんな人間だって単に興味の対象であるキリスト像を
信者としてではなく哲学的に科学的に人物像を知る権利だってあるし
そのための題材の一つとしてこの映画は是非とも観てみたいと思ってたのだ

それが中古屋に¥1,500でビデオがあり元値は¥15,000弱なので超お買い得だと即買い!
その後¥980でDVDで出たがな・・・(;つД`)
でもそうか、当時はまだビデオしかなかったのだよな(゚ ゚;)

最後の誘惑 [DVD]

さてこの作品でのデヴィッド・ボウイの役はこれがなんとピラト総督。(゚д゚lll)ギャボ
簡単に言うとキリストの磔刑を決定付けた役人。(´д`;)ギャボ

ロック・ミュージシャンは反体制なのが常だが
そのロック・ミュージシャンが反体制のイエス・キリストを裁く役人なのだ!
尤もこの映画をキリスト教徒が観れば
神(の子)であるキリストに対して不徳を冒してるのがピラトの方なワケで
そうなるとやっぱり反体制なのか?!

そんなピラトの出演場面はウィレム・デフォー演ずるキリストとの対峙で
このデフォーのキリストも美し過ぎるのが難だが
それ以上にピラトの無駄な美しさには困惑するるる~

エッケ・ホモ ――こいつホモセクシャルです

違った~ヽ(゚∀。)ノ

エッケ・ホモ ――この人を見よ

このラテン語のまま知られる有名な台詞を口にするデヴィッド・ボウイ
これが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!!

ペンブックス1 ダ・ヴィンチ全作品・全解剖。 (Pen BOOKS)
サロメ (岩波文庫)

しかし美麗過ぎるキリストやピラトはある意味ミス・キャストかもしれナイが
2人に比べて醜過ぎるバプテスマのヨハネは間違いなくミス・キャストだろうてp(-_-+)q
ダ・ヴィンチのアンドロギュヌス的な美貌のヨハネとは別人だと思いたいし
ワイルドの『サロメ』のヨハネだとしたら喜劇にしかならん。・゚・(ノД`)・゚・。

あと弟子たちは各々それなりだが(元から興味が薄いからだろうがw)
マグダラのマリアの解釈やくたびれ果てて聖母の面影がナイマリアも
実像はこんなモノだろう、と予想してたモノが表現されてて納得できた
自分が受け容れやすいくらいだからキリスト教信者にはさぞかし不評だったろうが(-_-;)

インチキ臭いキリスト礼賛がなく淡々と話が進むので
日本人とか先入観のナイ初心者が観るのにぱ+.(・∀・)゚+.゚イイかと・・・
但しこの映画から入信する人はいナイだろうから信者にとっては問題作なのだなヽ(゚∀。)ノ