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Roman Catholic church、即ちローマ・カトリック教会とは何ぞや?!

キリスト教は古代ローマに端を発し
以降、迫害されながらも信者を増やしたが
一方で組織の分裂を繰り返し、宗派は細分化されてった

その中でもローマ・カトリック教会は
1054年にコンスタンティノープル教会(正教会)と分離して以来
キリスト教の最大の教派として現代に至るまで存続してる

以下が経緯、()内は西暦である

ローマ皇帝の連名によるミラノ勅令(313)・・・キリスト教公認
コンスタンティヌス帝のニケーア公会議(325)・・・キリスト教統一(?)
コンスタンティヌス帝の遷都(330)・・・ビザンティウム(現イスタンブール)へ
フンの東ゴート征服(375)・・・東ゴートはパンノニアを経てイタリア半島へ↓
西ゴートはイタリア半島を経てイベリア半島へ大移動
テオドシウスのキリスト教信奉令(380)・・・キリスト教を奨励、他宗教も容認
テオドシウスのキリスト教国教化(392)・・・他宗教を否認
テオドシウス崩御(395)・・・ローマ帝国の東西分裂
西ローマ帝国(395~476)・・・首都はローマ
東ゴートのイタリア半島進出(497~553)・・・首都はローマ
東西教会の大シスマ(1054)・・・東西教会が相互破門により分裂
東ローマ帝国(395~1453)・・・首都はコンスタンティノープル

ローマ皇帝リキニウスと副帝コンスタンティヌスとの連名によって
キリスト教が公認されたのが313年だったが
この時点で既にキリスト教は2つの宗派に分裂してて
325年に教義統一会議がコンスタンティヌス帝(※)主宰で開かれた
コンスタンティヌス帝はリキニウス帝を処刑して正帝となってた

この教義統一のためのニケーア公会議には約300名が召集され
結果から述べるとアタナシウス派の方が正統(orthodox)と認められ
ギリシア語で「普遍的」を意味するkathlolikos由来の
【Catholic】と称するようになったが
この時アタナシウス派(※)は三位一体説を主張してた
「父なる神、子なるイエス、聖霊の3者は一体で不可分」てのは
つまり「イエス=神」と言いたいのだろうが
これに対して「イエスも人間である」としたのがアリウス派(※)で
異端(heresy)としてローマ帝国を追放されたヽ(゚∀。)ノ
これらアタナシウスだのアリウスだのは教父の名に由来してた

コンスタンティヌスの生涯 (西洋古典叢書)コンスタンティヌス大帝の時代―衰微する古典世界からキリスト教中世へ「私たちの世界」がキリスト教になったとき――コンスタンティヌスという男

コンスタンティヌス帝はビザンティンに遷都して
その名もコンスタンティノープルとしたが
そこに置かれたコンスタンティノープル教会は皇帝の庇護の下に
五本山(※)の中でも2大勢力としてローマ教会と拮抗してた
ローマ、コンスタンティノープル、アンティオキア、イェルサレム、アレクサンドリア

その後ユリアヌス帝がキリスト教迫害者としては
ローマ帝国最後の皇帝となったが
テオドシウス帝によってキリスト教が奨励され
392年にはローマ帝国の国教とされた

ところがまもなくゲルマン民族の大移動が始まって
テオドシウス没後にローマは東西に分裂し
西ローマ帝国(※)が滅びると、東ゴート王国の支配下になり
更に東ゴートも東ローマ帝国(※)に滅ぼされたが
1453年にローマ帝国が滅亡するに至る
これらの呼称は後世になって付与されたモノ

民族大移動以降はローマ人とゲルマン人が混在してたので
法律もローマ法とゲルマン法がそれぞれに用いられた
都市生活を好まナイゲルマン人は西欧内陸の農村に社会を形成したが
既にヨーロッパ各地にはカトリックの住民も散在してたし
かつてローマを追われたアリウス派が支配層として定着してたりした

7世紀になってマホメットの出現によりイスラム教が台頭すると
アンティオキア、イェルサレム、アレクサンドリアなどが
統治下でなくなったり、異教圏に様変わりして
残ったのが、西のローマ教会と東のコンスタンティノープル教会で
要するにローマ・カトリック教会とギリシア正教会だったが
8世紀頃から聖像崇拝論争などで争ってて
1054年には相互破門によって正式に分離してしまった

エウセビオス「教会史」 (上) (講談社学術文庫)エウセビオス「教会史」 (下) (講談社学術文庫)

12世紀には大学の創設ラッシュがあり
現在でも世界に名だたる西欧の大学はこの時期に出来たのだが
元はと言えば教会の研究機関として派生したので
大学の総元締めはローマ・カトリック教会なのだった

哲学は神学の婢(はしため)

神学とは神ありきの世界観の中で理論的に神を探求する学問であり
現代なら科学的に論じるべき問題でさえも
「神が創りたもうた世界」についての考察なので
事実より聖書に矛盾しナイ論拠が重要視された
そのワリにキリスト教がなかった古代ギリシアの自然哲学を引用して
正しさを示唆するのに「アリストテレス曰く・・・」とか言い出すのだが
アリストテレスは正しいが神を知らなかったヽ(゚∀。)ノ
ローマ・カトリック教会の自己弁護としてこの言葉があるワケだが
この時代の学問のあり方をよく表わしてる言葉だ

14世紀にルネッサンスとゆー文化現象が繁栄するが
ダンテの『神曲』然り
ダヴィンチやラファエロの絵画や
ミケランジェロの彫刻の代表作品のモチーフを見れば解るように
キリスト教以前のギリシア・ローマの文化を手本にしながら
表現してるモノはキリスト教由来だったり・・・

ローマ・カトリック教会の教義と制度は
16世紀前半頃には西欧各地に広まり、厳しく取り締まられるようになった
庶民が異を唱えれば忽ち異端審問=拷問の末に処刑、で
身分に関係なく破門=死後に地獄に落ちるのを確定されたりして
教会組織は暴君のように権勢を振るってたのだ

現エリザベス女王はエリザベス2世なのだと
最近になって知った、とゆーか再認識したのだが
エリザベス1世となると1558年に25歳の若さで即位して
一生を独身で通したテューダー朝最後の女王だ

生涯に6人の妻を持ったヘンリー8世を父に持ち
母はその2番目の妻アン・ブーリンだ
映画『ブーリン家の姉妹』ではナタリー・ポートマンによって
美しさゆえに勝気なアン・ブーリンが描かれているが
実像は冴えナイからこそ女子力に磨きをかけたぽい

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ヘンリー8世の妻になるまでの策士ぶりとか
前妻を陥れてからのその娘にまで及ぶ悪辣な仕打ちとか
その美貌によってちやほやされるのが当たり前の
ヨユーがある女には在り得ナイ陰湿さなのでそう思うのだがw

このアン・ブーリンの陰謀で
前妻との離婚を(より正確には離婚ではなく婚姻の無効を)
ゴリ押ししたヘンリー8世は
ローマ・カトリック教会と真っ向から対立した。(゚д゚lll)ギャボ

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それとゆーのも聖トマス・アクィナスが認めてませんでしたから!(※)
ああ、しかしトマス様、なんたるコトでしょう!!
ルター批判によってカトリック信仰の擁護者の称号を授かった王が
遂には破門されてしまうとは・・・(←『トリストラム・シャンディ』風w)
ヘンリー8世の時代のトマスと言えばトマス・モアだが、モアも認めておらず
それが原因でモアはロンドン塔に幽閉ののち斬首刑に処された
またそうしてモアを追い詰めるに至った国教会の支持者クロムウェル卿もトマスだった

でも現代日本人からしたら一国の王の婚姻について
なんで他国の教会組織に許可をもらう必要があるのか???だし
従わなかったら破門されるってのも???だろうし
そもそも破門ってのが意味不明かと・・・。(´д`;)ギャボ

カトリック信者にとってのローマ・カトリック教会は
人間による神の代理組織の頂点、なのだ(現代においても!)

そこから破門されてしまうと秘蹟を享受できなくなり
秘蹟による赦しがなければ死後は地獄行き、と信じられてるるる~

聖地奪回のための十字軍遠征にこぞって参加したのも
そうすれば赦しを得られるとローマ・カトリック教会が説いたからだし
また参加せずとも金銭によって参加したコトにしてもらえたのも
ローマ・カトリック教会がそう示唆したからだ

これで免罪符による教会の不当な金儲けが正当化されたのを
おかしい、と感じて信仰の意義を唱えたのがルターの宗教改革で
ヘンリー8世在位中(1517年)の出来事だったが
熱心なカトリック信者でインテリだった王は(女癖は悪かったが)
ルターを批判しカトリックの秘蹟を擁護する文書を著して
当時の教皇に【信仰の擁護者】と称された

その同じ王が、たかが女性問題なんか(※)で
ローマ・カトリック教会と決別して仕舞いには破門されてるって
どんだけ女に弱いの?バカなの???
王妃はそのままにしといて影で愛人ともよろしくやるのが穏便な方法では?!

しかもそこまでして結婚したアン・ブーリンなのに
数年後には離婚してロンドン塔に幽閉した後にあっさり処刑ヽ(゚∀。)ノ
そういう両親の熾烈な愛憎劇の渦中に生まれ落ちたエリザベス1世が
決して結婚しなかったのには諸説あるが
自分としてはこのバックグラウンドだけで十分と思えるがね

このエリザベス1世の治世は1558年~1603年と44年ほども続いてて
シェイクスピアやマーロウの演劇が持て囃されてたが
要するにこの時代の文学と言えばほぼ戯曲だった

エリザベス朝演劇集〈1〉

そこからするとトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』での
以下の表現はシェイクスピアやマーロウに見受けられるのだろうか?

白雪をちりばめた紅ばらという、エリザベス朝の古めかしいたとえを、これほどしつこく、くり返し思い出させる女性の唇と歯を、いままで彼はついぞ知らなかった。彼は恋人としてだったら、それらを即座に完璧な口もとだと呼んだかもしれない。しかし、いや――それらは完璧ではなかった。一目みて完璧と見まごう画面に、一刷毛の描き残し、または不完全さが残っていてこそ、甘美な魅力は生まれるのだ、――不完全さ、それは人間性を発揮する要素だからである。

自然が望む美はシンメトリーなのだが
人間が憐憫の情を抱くのはアシンメトリーで
完璧にほど近い美の中の僅かに不完全な愛くるしさなのだ

そんなテスの唇を見つめる時
恋人のエンジェルは全神経をつらぬく薫風が吹き起こりめまいがするそうで
この薫風はギリシア語で「アウラ」(大沢衛の訳は【開花発気】)だ
なんて瑞々しい表現だろう・・・ホゥ(*-∀-)

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ロマン・ポランスキによって映画化された『テス』では
小説で想像してたよりも幾分明るいイメージのナスターシャ・キンスキーが
ハーディの美的表現通りのテスを演じてたが
当時17歳のキンスキーはこの時ポランスキと深い仲だったそうで
だからこその出来の良さなのかもしれナイが
そこにどうにも苦々しさを感じてしまうのが残念だ

映画『テス』はポランスキの亡き妻シャロン・テイトに捧げられたが
それは彼女こそが夫に映画化を勧めてたからなのだ
チャールズ・マンソンの狂気の犠牲となる前に・・・

Puritan、即ちピューリタンとは何ぞや?!

事の始まりは1517年のルターの「95ヵ条の論題」だった

何が始まったかってキリスト教における宗教改革だが
改革、てのは改革前の元の状態があるワケで
それが免罪符の発行を許可したローマ・カトリック教会だ

宗教改革における立役者マルティン・ルターは
ドイツのザクセン出身の神学者だが
ルターの地元のヴィッテンベルク教会でも
魂の救済を約束する免罪符が発行されたのに対して
批判的な意見を「95ヵ条の論題」として提出したのだ

免罪符の起源は11世紀末~13世紀末に遡る
セルジューク・トルコに占領された聖地イェルサレムの奪回のために
キリスト教徒が十字軍として遠征してたのだが
実際に従軍する代わりに教皇指定寺院への参詣と寄進で
従軍した分の苦行を果たした、とする証明書を発行したのだが
この教皇指定寺院がローマ・カトリック教会だ

免罪符は言わば十字軍従軍代替苦行追行証明書だったのだが
十字軍遠征を行わなくなってからも
これが天国行きのパスポートに成り代わって
教会の財源確保目的に利用(悪用?)されるようになり
それに対してルターは次のような見解を表明した

免罪符なぞ買っても罪は贖われず魂の救済にならん!
教会のこの商売の仕方は神に遣えるものに似つかわしくナイ!!

現代日本人にはルターの言い分の方が尤もだろうが
当時のヨーロッパの世界観はキリスト教の神に支配されており
現世における神の代理機関がローマ・カトリック教会だったのだから
ルターの意見書が受け容れられようはずもなく
大論争の結果はもちろん教皇無謬となり
ルターと彼の支持者は教皇に破門状をもらう破目に陥った。(´д`;)ギャボ

そこでその破門状を燃やしてしまったルターは
ドイツ皇帝カール5世に意見書取り消しを強要されるも
なんせ教皇からの破門状を燃やすほどのルターが
皇帝の、要するに神学に素人の人間に屈服するワケもなく。(゚д゚lll)ギャボ

交渉決裂後、カール5世は自身の保身のためにルター派禁止令を発し
ここでルターの身柄も拘束されて然るべきだったのだが
当時のドイツは諸侯がそれぞれの領地を独立国のように統治してて
皇帝に絶対的な権力がなかったゆえ
反皇帝派の諸侯ザクセン公フリードリヒが
ワルトブルクの城(※)にルターを匿ったのだった!
ここでルターはそれまでラテン語だった聖書のドイツ語訳を完成させ、『キリスト者の自由』を執筆した

キリスト者の自由・聖書への序言 (岩波文庫)

こうしてルターには反皇帝派のドイツ諸侯が援護に付いたお蔭で
彼らの領地においてルター派が広まってったが
敵対するカール5世は再度ルター派禁止令を発布して
これに対してルター派は1529年にprotestantio(抗議文※)を提出
カトリックに対するプロテスタント(Protestant)の語源がここに由来する

ルターとは別に1523年にはスイスのジュネーヴでも宗教改革が起こり
発起したツヴィングリ自身は保守派と戦って戦死したが
この後を請けてフランスからやってきたのがカルヴァン(※)だった
スペルはCalvinで仏語でカルヴァン、英語でカルヴィン、『キリスト教綱要』を執筆した

キリスト教綱要 第1篇・第2篇

魂の救済は免罪符によっては得られナイとしてる部分では
カルヴァン派とルター派とは意見が一致してるが
起源としては別々なのである

このカルヴァン派がカトリックとは袂を分かつ教会として
フランスではHuguenot:ユグノー(語源は不明)
イングランドではPuritan:ピューリタン(清教徒)
スコットランドではPresbyterian:プレスビテリアン(長老派)
ネーデルラントではGeussen:ゴイセン(乞食)
などと称するようになったが
先のルター派も含めて総じてプロテスタントなのだ

要するにプロテスタントとはこれら宗派の総称なのだが
現代でも日本ではカトリックに対して非カトリックの意味合いで
プロテスタントとしてて、特にルター派を指してはいナイ
またカトリックを旧教、非カトリックを新教とも呼んだりするが
これは日本においてだけ通じる概念だろう

以上をまとめるとピューリタンとは基本的には
イギリスにおけるカルヴァン派を起源とするキリスト教徒だが
実態はもっと複雑なのであるるる~

それとゆーのもイギリスにはカトリックともピューリタンとも別に
イングランド国教会(Anglican Communion)があり
これはヘンリー8世がローマ・カトリック教会に破門されたため
跡を継いだ娘のエリザベス1世によって確立された宗派だ
ピューリタンは信仰においてはカトリックとも国教会とも争ってたが
政治的には絶対王政と対立してて、社会的には大商業資本家と反目してた

1620年には新天地を求めたピューリタンが
メイフラワー号でアメリカ東海岸に移民したり
1642年にはピューリタンの抗争が市民革命に発展し
革命の波は1688年の名誉革命に至る

時代を経るに従ってピューリタンの流れを汲む宗派は細分化して
クエーカーとか、バプテストとか、メソジストとか
今日でもアメリカでは多数存在してるのだが
ピューリタンの呼称は用いられてはいナイ

世界を司ってるモノが
神であろうが
自然の摂理であろうが
何だって構わナイし
どうせその答えは人類には出せナイ

ただ切に願わずにはいられナイのだ
世界は美しくあるべき、と

☆・・・☆・・・☆

パスカルはキリスト教信者だった(※)が
宗派としてはジャンセニスム(ヤンセニスム)で異端であり
ローマ・カトリック教会の中でもジェズイット教団(イエズス会)は
ジャンセニストに対して攻撃的だった
23歳の時に第1の回心、31歳の時に第2の決定的回心

ローマ教皇歴代誌

ローマ・カトリック教会はローマ教皇庁を頂点にした権威主義的な組織だが
その最高権威者たる大司教は単純に考えて神に任命されたワケではナイ
そんなコトは信者だってわかってる・・・はずヽ(゚∀。)ノ
それでも神の代理機関としてヨーロッパ中で認知されてたので
神の名を騙って異端審問を行ってた

この「審問」てのは「裁判」とは違って
異端審問を受ける=既に異端者として見做されてる、なので
受けたら最後、何らかの刑罰からは逃れようもなく
まあほとんどの場合は火炙りにされたのだが
要するにローマ・カトリックが中世より権威を保ってきたのは
教会にとって都合が悪い真実を述べてる人間を
悉く惨殺するコトによってなのだよ。(゚д゚lll)ギャボ

そういうローマ・カトリックのやり方がどうにも虫が好かナイ自分は
それでキリスト教自体にも懐疑的にならざるを得なかったが
パスカルはキリスト教そのものや神(至高存在)は是認してたので
正しい信仰の在り方を希求した結果として
ジェズイットとは反目するようになったのであって
消去法的にジャンセニストの側についた、という見方が正しいと思われ

それとゆーのも、パスカルが所属してたパリのポール・ロワイヤルは
当時のフランスにおけるジャンセニスムの本拠地だったので
これを目の敵にするジェズイットの攻撃が不可避で
パスカル自身が格別にジャンセニスムに傾倒してなかったとしても
ジャンセニスム擁護の立場におかれてたのだ

パスカルはジェズイットの攻撃に対する回答をまとめて
『プロヴァンシャル』として匿名で出版したが
ジャンセニストを代表してのパスカル名義ではナイコトや
論旨が必ずしもジャンセニスムに忠実ではナイコトからしても
単にジャンセニストとして十把一絡げにしまうのは憚られるのだが
キリスト者としても決して不寛容な妄信の徒ではなく
理性的に、時には科学的にさえ、考えてる

だって人間は【考える葦】だよ・・・。・゚・(ノД`)・゚・。
from パンセ by パスカル

自分は無神論者だが
パスカルが無神論者を嘆く気持ちが痛いほどよくわかるのだ

通常であれば、信者は信仰が定めた世界観が正しいと思い込んでて
その世界観に疑いを抱く非信者を間違ってると見做し
自身は神に従順な正義なので、反駁する相手を悪(魔)だと決め付ける

パスカルは押し付けられた世界観をそのまま享受してるのではナイ
世界がどう(美しく)あるべきかを吟味した上で
思い描くようになった理想郷があり
そこを神が支配してて欲しい、と願ったのがパスカルで
自分は反対に、そこで偽りの神を祀るべからず、となるワケだw
なんせ宗教の存在こそが争いとその後の悲劇の原因なのは
有史以来の歴史が明らかにしてる史実だwww
しかしパスカルに言わせれば
良心のありかは神の存在なくしては成り立たナイ
つまり、非道をやってのける者は神を畏れずにいるためにやってしまう
そんな前提で「良心を持ってて欲しい」=「神を信じて欲しい」だとすれば
無神論者の自分も=の前の部分には共感できてしまうのだが(-_-;)

と、ここまできてからなんだが
ジェズイットにしろ、ジャンセニスムにしろ
そもそもキリスト教からして日本人には馴染みが薄いかもだな。(´д`;)ギャボ

ジェズイット(ヤソ)会士は厳格な男子修道会で
平たく言えば修業を積んだら僻地へ布教に行く派遣員の候補者で
日本に布教に来たフランシスコ・ザビエルも
この教団の創始メンバーだった

聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄 上巻 (岩波文庫 青 818-1)聖フランシスコ・デ・サビエル書翰抄 下巻 (岩波文庫 青 818-2)アウグスティヌス講話 (講談社学術文庫)

ジャンセニスムは人間を罪重く非力な存在と貶めて
神の恩寵なくしては救われナイ、としてるのだが
これはオランダの神学者ヤンセンの著書に端を発してて
そのタイトルの『アウグスティヌス』てのは
若き放縦の日々への悔恨に苛まれ続けたヒッポの司教の名だ

パスカルの『パンセ』にはいくつかの翻訳があるが
その中でも研究者として名高い前田陽一訳は文体も読み易く
入手し易い点でもオススメだが
自分が最も愛読してるのは松浪信三郎訳だ

筑摩世界文学大系
アマゾンへのリンク
世界文学大系〈第13〉デカルト・パスカル (1958年)
筑摩世界文学大系〈19〉デカルト,パスカル (1971年)
筑摩世界文学大系 (19)

松浪信三郎訳は筑摩世界文学大系(※)で持ってるのだが
これは邦訳『パンセ』の決定版だp(-_-+)q
テキストはレオン・ブランシュヴィック版を底本としてるが
ザカリ―・トゥールヌール版、ルイ・ラフュマ版2種との差異や
断章番号もこれらの4つが掲載されており
訳者による「『パンセ』のテクストについて」では
『パンセ』編纂の歴史が事細かに綴られてて
これ以上に親切にはできナイ限界仕様だと断言できる
なお、本文の概要についてはPenseesを参照
このシリーズは2度に渡って編纂されてるので、【13】と【19】と巻数が違ってても内容は同じ

しかもデカルトとのカップリングなので
『方法序説』『省察』『情念論』を参照しながら読めるのだが
参照すべきとわかるのは訳注にそうあるからだ

『方法序説』野田又夫訳
【第1部】~【第6部】

『省察』桝田啓三郎訳

献辞「いとも賢明にして著名な聖なるパリ神学部の学部長ならびに博士諸氏に」
読者への序言
以下の六つの省察の概要
省察1疑われうるものについて
省察2人間精神の本性について。精神は身体よりも容易に知られるということ
省察3神について。神は存在するということ
省察4真と偽とについて
省察5物質的な事物の本質について。そして再び、神は存在するということについて
省察6物質的な事物の存在ならびに精神と身体との実在的な区別について
凡例
訳注

『情念論』伊吹武彦訳

第1部情念を概説してたまたま人性全般に及ぶ
第2部情念の数と順位、ならびに基本的六情念の説明
第3部特殊情念について

デカルトの『方法序説(および三試論)』が出版された時
パスカルの父がフェルマーらと共にこれに反論してるくらいだから
息子のパスカルもデカルトを敵視するのは無理もナイが
その敵意がどうも神に対する冒涜に向けられてる気がするのが
現代日本人で無神論者の自分からすると腑に落ちナイ点だ
とゆーのも、デカルトこそがキリスト教由来のスコラ哲学を踏まえてて
パスカル親子は当時の最先端の数学や科学を学んでたからだ

1634年、38歳のデカルトが『宇宙論』を発表しようとした矢先に
先んじたガリレオが教会に対して主張(地動説)を曲げず
裁判の末に有罪になった。(゚д゚lll)ギャボ
既にデカルトはそれまでの著作だけでも
デカルトの思想・哲学は有害であり有罪だ、とされてたので
『宇宙論』の出版は断念せざるを得なかったが
いずれにせよ、まだ時代が早過ぎたのだ

以降のデカルトは46歳(1642年)から54歳で(1650年に)没するまで
神を擁護する人間との抗争の内に明け暮れてたが
真実を捻じ曲げようとしてるローマ・カトリック教会に対して
真実を突きつければ異端審問にかかるのがオチだ。(´д`;)ギャボ

そして神の恩恵を看板に掲げた組織との抗争を余儀なくされたのは
【決定的回心】がなされてたパスカルにしても同様で
宗教改革後のヨーロッパなのであるからして
分裂した宗派の諍いが激化してたのだ

パスカルはジャンセニスト(ヤンセニスト)とされて
ジェズイット(イエズス会)から敵視されてたが
そもそもパスカルが所属してるポール・ロワイヤルが
ジャンセニスムの本拠地でフランス国教会もこれを支持してたので
しばしばローマ・カトリック教会が無視されたのだ
なのでジェズイットにしてみれば
正統な神の代理機関が蔑にされてるのは
ジェズイットの沽券に関わる不祥事だったのだが
これに対してパスカルが応じたのが『プロヴァンシアル』だヽ(゚∀。)ノ

内容的にはジャンセニストとジェズイットの対立を
神学上からなんとか収めようとしてる手紙で
この『プロヴァンシアル』とそのいきさつが「注説」として
筑摩世界文学大系には収録されてるるる~

『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳

目下ソルボンヌで論議されている事柄について、ある田舎の住人(プロヴァンシャル)に、友だちの一人が書き送った第一の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第五の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第七の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十一の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十二の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会のアンナ神父にあてて書いた第十八の手紙
アンナ神父にあてられた第十九の手紙・断章

更に筑摩世界文学大系には
ジョルジュ・デュアメルのデカルト論(※)と
トマス・スターンズ・エリオットのパスカル論(※)に
デカルトとパスカルについての多数の著作がある野田又夫の解説もあり
巻末にはデカルトとパスカルの詳細な年譜もついてる充実ぶり!
これぞ『パンセ』決定版だ!!
G・デュアメル「デカルト 思考の師」(土居寛之訳)、T・S・エリオット「パスカルの『パンセ』」(青木雄造訳)

実は筑摩世界文学大系は半世紀近く前に出版されてるので
入手するとしたらもれなく古本なのだが
紙質が非常に良いので今まで(※)状態の悪い本を見たコトがナイ
できればモンテーニュの『エセー』も
入手するなら筑摩世界文学大系が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
自分がこのシリーズを入手し始めたのは近年になってからで100冊以上チェックしてる

現代日本人がパスカルの『パンセ』を理解するのは困難だろう
『パンセ』だけをいくら読んでも
全く意味不明か意味を取り違えてしまうだろう

最低でもモンテーニュとデカルトは読む必要があるし
モンテーニュを愉しむためにはルネサンスの教養人レベルの
古代ギリシア・ローマについての素養が必要だし
キリスト教の信者が真実としてる教義以上に
ローマ・カトリック教会の史実を知らなければならナイ

すっかり理解するにはスコラ哲学も必須だろうてw

シェンキェヴィチは1846年のリスワニアで生まれたが
この頃のリスワニアはポーランドの一部で
ポーランド自体は分割されロシアやプロイセンに支配されてた

ワルシャワ大学を出てアメリカに渡り
カリフォルニアの農園で働きながら「アメリカだより」を書き
これがポーランドの新聞に掲載されてた

三十路も過ぎてポーランドに帰ってきてからは
ポーランド独立に向けて国民を奮い立たせるような小説を書き始め
政府に取り締まられるようになったが屈するコトなく
1896年に『クォ・ヴァディス』を書き上げた

クオ・ワディス〈中〉 (岩波文庫)

2000年前のローマ帝国を舞台に
腐敗する政治とそれに付き従う軍隊
その恩恵を受けたり犠牲になったりする民衆
贄として闇に葬られようとする新興宗教の信者の姿
まるでその時代の全てを見てきたように克明に描いた作品で
後にロバート・テイラー主演でハリウッドで映画化された

登場人物のキャラクターが練れていてリアリティーがあるのは
実在の人物が多いからに他ならナイ
暴君ネロの狂態の凄まじさや
ネロの指南役ペトロニウスの趣味の粋さや
新興宗教の開祖キリストの弟子ペテロの信心の抹香臭さが
主人公の活躍以上に興味深く、歴史小説として出来過ぎの感があるが
それは抄訳で、ましてや児童版の『クォ・バディス』でさえもそう思わせた

1冊の本を何度も読むのは2つの理由がある

1つには確認したい事項があるからで、必要最低限の部分だけを探して読む
もう1つは感動したいからで、感銘を受けた部分の前後も含め読み返す

『クォ・バディス』は実在の人物が出てくるし
実際にあった歴史的事件を追って物語が展開するので
歴史的事実との照合のための拾い読みが格別に愉快だった

ネロ、ペトロニウス、セネカの人となりをもっと深く知りたい!
そんな希求が自分の原点(ルーツ)でもあるが
それを知り得た時が終着点でもあるような気がするので
大袈裟かもしれナイが『クォ・バディス』は人生の一端を担ってるのだ!!

ところが『クォ・バディス』は現在では児童文学としては存在しておらず
それだけでなく、自分の子供の頃(昭和の後期)に図書室に必ずあったような
子供向けに編纂された世界の文学や偉人伝のほとんどが存在しナイのだ

つまり、今や『クォ・バディス』はもちろんのコト
不朽の名作のあらすじや偉人の生い立ちなどを知る小学生は
絶滅危惧種並みの稀有な存在なのだ

てか、フツーに原作を忠実に訳した通常版さえ
今となっては入手困難なモノが結構あり
子供の情操教育のレベルが如何に低下してるのか以上に
大人も含めて無知蒙昧な人間が如何に蔓延ってるのかを痛感する

人類の歴史が編み出した尊い遺産は蔑ろにされてるるる~
つくづく世の中に幻滅し、またしてもハリー・ハラーの心境だ・・・

☆・・・☆・・・☆

完訳 イリアス

ハリー・ハラーは同胞だと思えるが
死の間際に『イリアス』の一節を口にしたネロ(※)は同好の士だ
タキトゥスの『年代記』にもスエトニウスの『ローマ皇帝伝』にもある

ネロを知ったのは偕成社の少女世界文学全集『クォ・バディス』で

知性と情操を培う世界の文学!

と冠された児童向けの本で編集者には川端康成も名を連ねてたほどだから
決してよくある子供騙しの抄訳ではなかった
作者についての解説も充実してた

これを読んだ小学生の時は
まだキリスト教に否定的ではなかったので
キリスト教徒を見せしめに虐殺するネロに対して
最初は定石通りに反感を抱いたw

ところがもれなく聖書を旧約~新約と読破してみると
ユダヤ人の道徳観念は日本人の根底にある不道徳に一致してると思えたし
イエス・キリストはその神性以前の問題として
人間性がなってナイ(※)、と不信感を抱いてしまった
働かざる者食うべからず、この庶民の義務を軽んじてる、当人も三十路までニートだし

その後、ローマ・カトリック教会が
神を畏れずに科学的思考をする人間に対して
残忍な制裁処置を執り続けてきた歴史を知るにつけ
ユダヤ教徒以上にキリスト教徒の方が怖くなってきたが
それとは逆に知れば知るほどネロの人物像には深みが増してきた

歴史上で暴君・愚帝として名高いネロだが
どう転んでも皇帝には不向きの内向的な快楽主義者が
しかもかのローマ帝国の皇帝職に就いてしまったのだからしょうがナイ

そのワリにはどれほど悪政によって人民を苦しめたかって
むしろ治世とゆー点では永らく安定してたし
怪しい新興宗教団体も厳しく罰して、ローマ市民の平和に貢献してたw

シェンキェヴィチは悪い面を殊更誇張し過ぎかと思われ・・・