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3連休は雨模様らすぃと予想されてたので
土曜日の夜のバイト以外には外出予定は入れずに
手芸三昧できたら゚+.(・∀・)゚+.゚イイなと思ってたが
日曜日は思いの外晴れたのと
ダンナが二日酔いで寝たきりなのを好都合に
チャリンコで上野の東京都美術館まで行って来た

とゆーのもウフィツィ美術館展をやってて
今回の目玉はボッティチェリの『パラスとケンタウロス』で
ケンタウロスが好きな自分にはこれだけでも観に行く意義があったのだ

それにしてもケンタウロスとパラスとは変な組み合わせだ
パラスとはギリシアで言うアテナ、ローマで言うミネルウァの別名だが
この知恵と闘いの女神がケンタウロスと対峙してるシーンは
ギリシア・ローマ神話には記述がなく
ボッティチェリがいったい何を描きたかったのか
もしくは依頼主がどういう趣旨でこんな絵を描かせたのか
様々な憶測が飛び交ってるが自分には決定的と思われるモノはナイ

それに専門家らの概ねの見解にありがちな
悪のケンタウロスが善のパラス・アテナに懲らしめられてる
なんて単純な図式を当て嵌めたかったら
何の係わりもナイこの2人をわざわざ描きはしナイだろうに
ましてやケンタウロスが肉欲の象徴なら
アトリビュート(象徴的な持ち物)が弓矢であるのも腑に落ちナイ
そう、専門家らの解釈に沿うならば、例えば
シュリンクス(パン・フルート)を吹くサテュロスに向かって
弓矢を構える処女女神アルテミスならわかりやすい

あれこれ考えを巡らせながら
遂に本物の大きな絵の前に立った瞬間
ケンタウロスの繊細な表情には憂いが読み取れたが
それはパラス・アテナに懲らしめられてるからではなく
もっと深い悲しみに沈んでるようだった
確かにパラス・アテナはケンタウロスの髪をつかんではいるが
いかんせん懲らしめてるようには見えなかったのだ

そして2人の間にある一艘の船の存在に気付いてみると
アキレウスの命運がトロイ戦争で尽きたのを嘆くケイロン(※)と
諦めを諭すパラス・アテナに見えてきた
この辺りの詳しい事情は[アキレウスとケイロン]参照

パラス・アテナはトロイの守り神として
そのパラディオン(神像)がトロイ建国時に神殿に祀られたが
これがある限りトロイは不落であるとされてたので
例の木馬作戦を実行する前にオデュッセウスらが盗み出した

パラディオンがギリシア陣営にあって
トロイの守護を放棄せざるを得なくなったパラス・アテナは
地理的には遠く離れてはいたが
アキレウスの訃報(※)に悲嘆にくれるケイロンと
お互いに守り育てた大切なモノを失う
その喪失感を共有してるのを感じて通じ合った
そんな図に思えてきた・・・
映画によってはトロイの木馬にアキレウスも参加してるが、知り得る限りの文献ではとっくに死んでて
アキレウスの代わりに息子のネオプトレモスが戦地に赴き、トロイの王を討ったのはこのネオプトレモスとされてる

人の子を育てた獣神であるケイロンと
人々の営みを育んできた女神であるパラス・アテナ

と、ここまでが頭の中で一気に展開して
何かが怒涛のように押し寄せてきて魂がスパークした
時間軸と空間を結ぶ点から存在が解き放たれると
現実や真実や事実より真意の重みを感じる

絵の前にいたのはほんの1分程だろうが
時空を超えて魂が旅をしてた
こういう感覚をまさにトリップと言うのだろう

薬物などでこの感覚を得てる人が
抜けられなくなるのはわかる、確かに爽快だ・・・
なので、この感覚を呼び覚ますモノでなければ
芸術として完成されてるとは自分には認められナイのだ

そんなだから、あとは数点しか
自分にとって有用な作品がなかったので
まあいつものコトだが15分ほどで会場を後にしたヽ(゚∀。)ノ

帰路、冷静になって考え直してみれば
ケイロンとパラス・アテナが手塩にかけた対象を
無慈悲に奪い去ったトロイ戦争が
開戦に及んだきっかけとなった大元の原因はと言えば
3柱の女神らの誰が1番美しいかの諍いで
その女神の内の1柱は誰あろうパラス・アテナだったし
戦争での勝利を約束するコトで審判を買収しようとさえした

とすると、パリスの審判でパラス・アテナが選ばれてたら
トロイは滅亡しなかったのだろうか?

九十三年

ヴィクトール・ユゴーの『93年』を読み返しながら
アキレウスとケイロンに想いを馳せる

秋の夜長・・・

泣けた・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

『レ・ミゼラブル』より涙してしまったのは
『93年』の以下の件(くだり)だ

ゴーヴァンは勝利者だ。しかも民衆のために勝利をもたらした英雄であった。彼はヴァンデにおける革命の大黒柱であり、しかもこの柱石を共和国のために築いたのはシムルダンその人ではなかったか。この勝利者こそシムルダンが手塩にかけて育てた教え子であった。共和国のパンテオンにやがてはまつられるであろうあの若々しい顔にシムルダンが認めているかがやき、それすなわちシムルダン自身の思想であった。彼の弟子、そして精神上の子供は今の今から英雄となり、やがて近い将来に祖国の栄誉を一身に担うようになるだろう。シムルダンは擬人化した自分の魂と再会した心地であった。彼はつい今しがたゴーヴァンの戦うありさまをその目で見たばかりだった。それはアキレウスの戦闘を目撃していたケイロンのごとき心情であった。僧侶と半人半馬族(ケンタウロス)のあいだには不思議な類似がある。僧侶もまた上半身しか人間ではないからである。

ヴィクトール・ユゴー『93年』より今日出海訳(筑摩世界文学大系)

ボッティチェリ「パラスとケンタウロス」 インテリア アート 絵画 プリント 額装作品 フレーム:木製(黒) サイズ:XL(563mm X 745mm)

野蛮な習性とされるケンタウロスの中にあっては
変わり者であったらしいケイロンは
アキレウスを乳幼児~9歳まで養育してる
(この辺りの詳しい事情は[アキレウスの誕生]参照)

その後アキレウスはリュコメデス王の許で女として育ち
オデュッセウスに見破られてトロイ戦争に赴いて
最大の英雄であった敵の大将ヘクトルを討ち
超英雄の座を得た(のもつかの間で戦死する)が・・・
(この辺りの詳しい事情は[アキレウスのトロイ出征]参照)

そんなアキレウスのトロイ戦争での活躍を
ケイロンが目にしたとゆー記述はどこにもナイし
ギリシアの山奥でひっそりと暮らしてるはずのケイロンは
フツーに考えて物理的にトロイに出没しようもナイ
もちろんユゴーだって勘違いしてるのでなく
そうと知っていながら、わざとそんな例えを引き合いに出してるのだが
だからこそこの例えは胸を打つ!

英雄と女神(海の精)とゆー立派な両親の元に生まれながらも
乳飲み児の内に親元を離れた・・・
換言すれば親に捨てられたアキレウスが
ケイロンを師と敬う以上に(以前に)父とも母とも慕ってたのは明白で
それはケイロン自身も気付いてただろう

ところがケイロンからしてみれば
人間のアキレウスとはそもそも棲む世界が違うので
成長した暁には手放す運命が確定してるし
言い切ってしまうと、本来、引き取って育てる義理もなければ
どう育てたトコロで何の見返りもあるワケでもナイのだ

それでもケイロンがアキレウスを世話し
共に生活する中で必要な知識を与えてったのは
江戸っ子に言わせれば、人情ってヤツに他ならナイので
そこに感じ入ってしまうのだが
更にその教育が理想的に思えるから胸熱!!

神話を紐解いても詳細は見当たらナイが想像に難くナイのは
指導と呼ばれる思想の刷り込みや
最初から考えさせナイようにする洗脳といった
素直な子供であるほどに持って生まれた自身らしさを失い
不自然な大人にしてしまうような教育を施してなかっただろうからだ
たぶんルソーも納得の理想的な教育ではナイだろうか?

エミール〈上〉 (岩波文庫)エミール〈中〉 (岩波文庫)エミール〈下〉 (岩波文庫青 622-3 )

ケイロンはアキレウスをアキレウスとして育んだのだ

シムルダンもゴーヴァンをゴーヴァンとして育んだに違いナイ

もしもケイロンが立派に成長したアキレウスの姿を目にしたら・・・
ゴーヴァンと再会したシムルダンの心情を表現するのに
これほど的確な例えはあるまい

実の親と子の縁は切れナイがその縁より強い絆もある
血を分けた、それだけの理由に依らナイ人情がその絆を強くする
これは何も師弟関係に限らず、夫婦間や友人同士もそうだ

人情・・・無償の愛情、と言えばわかりやすいだろうか?
尤も無償ではなく何らかの補償が伴う愛は
相手を「愛してる」と錯覚してるだけの自己愛でしかナイがなw

自分はケイロンのようにシムルダンのように
愛する人を育みたい

そういう想いからケイロン=ケンタウロス、に対して
格別な敬意を抱くのだろう

九十三年〈上〉 (潮文学ライブラリー)九十三年〈下〉 (潮文学ライブラリー)