『遥か群衆を離れて(2015)』

2018年3月の時点で
日本では原作の翻訳も絶版状態で
オリジナルの映画もソフト化されておらず。(゚д゚lll)ギャボ

自分はこの2015年のリメイク版を
字幕版も吹替版もWOWOWで観れた(録画した)が
未だにソフトが出てなくて
アマゾンビデオで字幕版が観れるだけの状態。(´д`;)ギャボ

なぜ日本ではこの作品ばかりが
ここまで蔑ろにされてるのか
理解に苦しむ・・・

同じトマス・ハーディ原作で
やはり何度も映画化されてる『テス』は
2種がソフト化もされてるし
原作の『ダーバヴィル家のテス』の翻訳などは
岩波、ちくま、河出・・・と枚挙に暇がナイ程出てて
加えていくつかの全集にも収録されてて
小林清一訳で電子書籍にもなってて
『テス』の解釈本まで数冊あるとゆーのに?!

それにしても冷静に考えてみると
テレンス・スタンプのファンである自分にとって
彼が出てナイ『遥か群衆を離れて(2015)』は
観る意味があるのかどうか・・・?

ましてやバスシェバ役が
『華麗なるギャツビー』の最新(2013年)リメイク版で
デイジーをやったキャリー・マリガンとはね。(´д`;)ギャボ

自分は1974年版での
ミア・ファローのデイジーがお気に入りなので・・・

キャリー・マリガンのデイジーは
余りにもイメージが違ってて
観るのを躊躇した(結局は観たけど)。(゚д゚lll)ギャボ

『華麗なるギャツビー』に比べれば
『遥か群衆を離れて』の方がギャップは少なくて
これなんかは凄く可愛くて
個人的には好きなカンジではあるるる~

でもこれが強気の処女バスシェバかって言えば
どうも違う気がしてならナイ(゚*゚;)

どちらかと言えば
トロイが愛したファニーのイメージだ

これがオリジナルのファニーだが・・・

こちらは2015年版のファニー

こうして見ると
キャリー・マリガンがファニーで
ジュノー・テンプルがバスシェバだと
好かったような気もしてくるが
そうなると男性陣もそのままではダメだな

男性キャストと言えば
2015年版ではトロイとオークだったら
断然オークの方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男に見えるが・・・

犬のせいじゃナイよな?

トロイはこれ
ただのオッサンにしか見えんが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかもそれでいて
゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男の如き振る舞いでは
そもそも強気のバスシェバなら一笑に付して
惚れ込むワケもなかろうp(-_-+)q

アマゾンビデオのレビューでは
テレンス・スタンプのトロイを知らずに
この2015年版のトロイだけを見て
「キモイ」キャラ設定してる人もいるくらいだから
バスシェバ以上にミスキャストだろうw

これならボールドウッドの方が
まだしも・・・いや、断然素敵だろう!

但し、この2015年版のボールドウッドは
原作のイメージより若過ぎる気もするがね

でも原作者トマス・ハーディの意図するトコロを考えたら
オークとトロイとボールドウッドは三者三様で
それぞれに魅力的に描かれるべきなのでは?

自分はオークが好みのタイプではナイが
朴訥とした男が一途に想い続けながらも
その想いを周囲にはひた隠して
影で支えるコトができる程に男前になって
最後にはその成長ぶりを認めたバスシェバが
かつては「あなたを愛してません!」と
プロポーズを断ったのに
「愛してるから戻ってきて!!」と
乞うようになる・・・
これって純朴な青年の成長物語として見れば
凄く感動的な物語ではあると思う

そしてオークを受け入れるには
バスシェバにも恋愛・結婚の破綻を
経験する必要があったとも思う

う~ん、深い・・・

だから、こんなに面白い物語なのに
なぜ、日本では疎んじられてるのだろうかヽ(゚∀。)ノ

緋文字

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』にしろ
サミュエル・リチャードソンの『パミラ』にしろ
ヴィクトリア朝の貧農の娘は病的に貞操観念が強いが
結婚前に純潔を失う=堕落する=地獄に落ちる、と信じてたのだし
社会的にも私生児を産んだ女には風当たりが強かったので
現代日本人が奇異に思うほど
彼女らが病んでるワケでもなかったりする

ところでヴィクトリア朝はハノーヴァー朝末期の
ヴィクトリア女王が統治してた1837年から1901年だが
アメリカの作家ナサニエル・ホーソーンが
『緋文字』を発表したのがこの時代で1850年だった

The Scarlet Letter (Classics)

アメリカは1607年に英国人が入植したのが始まりだが
最初の入植地はジェームズタウンで現ヴァージニア州にあった

1620年には新天地を求めたピューリタンが
現マサチューセッツ州ボストンの南東に移民し
メイフラワー号でイギリスのプリマスから出航したので
そこをニューイングランドと呼びプリマスと名付けた

そのニューイングランドのセイラム(現ダンバース)で
1626年に忌まわしい魔女裁判が起こり
200人近くの女性が告発され、異端審問を余儀なくされ
19人もが処刑されるに及んだ(加えて獄死者5人、拷問中の圧死者1人)が
ここの出身者で祖先が魔女裁判の判事をやってた、てのが
ホーソーンだったのだ

そうと知って何か読んでみようと思いたって
神保町へ赴いたのが昨年(2011年)末

昔から岩波文庫の『緋文字』は古本屋でよく目にしてたので
¥100~せいぜい¥300で購入できるだろうし
他にも掘り出し物があれば・・・と目論んで行ったのだが
掘り出し物はまさにホーソーンだった

『緋文字』は岩波文庫でなく河出書房の世界文学全集
また筑摩世界文学大系のホーソーンの巻もゲト!
これが3冊で¥500の小宮山書店のガレージセールだったので
もう1冊、河出の世界文学全集でドストエフスキーの『白痴』もゲト!!

3冊とも無傷で綺麗だったし
河出世界文学全集【13】の方はポーの短編も収録されてたが
それがハリー・クラークの挿絵入りだったりするし
本編には入ってなかったが『赤死病の仮面』のビアズリーのイラストも
オマケのしおりの表紙になってたのでカナ~リお得感(*^^*)

筑摩世界文学大系【81】には『七破風の屋敷』と短編3作品と
マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』が収録されてて
ちゃんと月報もついてたし
もう1冊はドストエフスキー作品の中で1番好きな『白痴』で
これら3冊で¥500ってしゃーわせヽ(´▽`)/

こういう自分にとって最も有意義な運の使い方ができるってか
人生の中で何よりも巡り合わせに恵まれてるって
やっぱ日頃の行いが+.(・∀・)゚+.゚イイからか、などと浮かれつつ
まずは生まれて初めて『緋文字』を読んだ

その奇妙なタイトル【緋文字:The Scarlet Letter】は
以前から何のコトやらと気になりつつも見当さえつかなかったが
謎が解けてみると「A」の文字が刺繍された縫い取りだった

この「A」は「adultery(姦通、姦淫、不倫、不義密通、婚外性交)」の意で
私生児を産んだ母親を指し示してるのだが
その罪の女がいつでもどこでも誰にでもそうとわかるように
必ず胸に着けておくように示唆されるモノだったのだ。(゚д゚lll)ギャボ

しかし胸に着けた緋文字のために白眼視され続けるヘスターが
その罪の子を女手一つで地道に育てていく生きザマは
誰よりも清く正しく美しく・・・なんて強い。・゚・(ノД`)・゚・。

感動しながらも空恐ろしくなったのは
小説『緋文字』はフィクションでモデルなどがいたワケでもなかったが
【緋文字】の罰を受けた罪人は実在してた気がしたからだ

正確には、【緋文字】の罰を与えた社会が実在してた
としても疑う余地がなく納得できるくらいに
『緋文字』の時代背景(1650年頃のアメリカ)が
中世さながらに暗黒だったと改めて気付いたからだ

西洋ではキリスト教の教義に反した人間を罪人扱いして
社会的に排除する風習が民間に根強くあると認識してはいたが
ちょうどヴォルテールの『寛容論』を併行して読んでて
キリスト教がいかに不寛容な宗教なのか
否、中世~近代のキリスト教徒がいかに不寛容な振る舞いをしてきたか
身震いをしながら思い知った

どうもアメリカ文学には疎くて
(てか、文学全般に渡って古典以外はまるで疎いのだがw)
唯一好きな作家がマーク・トウェインで他には一切読んでおらず
ホーソーンも『緋文字』の作者としか知らず
しかもその『緋文字』さえ40年以上読まずに生きてたのだが
読んでみてあまりにも心打たれて
これまで避けてた自分を悔いたし恥じた

ホーソーンはギリシア神話をいくつか児童文学に編纂してて
その中には『ミダス王の物語(The Golden Touch)』も含まれてるし
『大理石の牧羊神(The Marble Faun)』なんて小説も書いてたが
ググってみたらこれは残念ながら現代の話で
ギリシア神話とは関係無さそうだった