愛されてなかった?!その時、私は・・・

愛されてなかった?!

と気付いた時に
こちらも愛してなければ
もれなく合意の上で
別れれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

でもこちらは愛してたとしたら
どうするのがベストか?

過去に愛されてなかったならば
これからもずっと未来永劫
相手に愛されるようにはなるまいと
確信を持って絶望するに至るのがフツーだ

ところが不思議と絶望するほどに
愛する気持ちに拍車がかかってきて
より一層、無駄と知りつつも
愛情を求めてしまったりするのだ

いや、愛情なんて
そんな贅沢は望んでなくて
人並みに優しくして欲しいだけ・・・とかね

そんな風に一見、謙虚ながらも
優しい態度を強要するようになると
相手にとっては嫌気が差す決定打となる

しかも絶望を感じる方はたいてい
後追いで愛した方だったりするのだヽ(゚∀。)ノ

その場合は
「惚れた弱味」てのは間違ってる

人情味溢れる御仁であれば
惚れられた弱味なんてコトもあり
気持ちを受け止めようとして
相手の良さを認める努力をしてる内に
何でも許せてしまえるようになり
遂にはすっかり愛してしまえるのだ。(゚д゚lll)ギャボ

ところが惚れた側は逆に
惚れたその時のヴォルテージは最高潮だが
あとは下降する一方・・・。(´д`;)ギャボ

理想に適う相手と勝手に誤解しといて
実際に付き合ってみて
違うと気付く都度
気持ちは醒めるばかり・・・なんてね

惚れられた方が相手に対して
完全に愛情を傾けた頃
惚れた方は相手に辟易してたりして
「愛してなんかいなかった」って
そんな惨いセリフを吐けるようなのは
そりゃあ惚れた強みだね!

恋愛は先手必勝!!

とはいえ
恋愛はどちらかの勝ち負けの勝負ではなく
お互いに勝利者になるのが
成就なんだろうがね・・・

まあでも成就しなかった場合には
後追いで愛情を育んだ方が
どんどん醒めてく方に
負けるのだ(;つД`)

恋愛だけでなく
人生は負けたと思ったら
潔く降参するが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

で、勝った方に負けた方が
今後どうするかを決めてもらって
それに素直に従うのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

他人の気持ちや態度を変えるより
自分の気持ちや態度を制御する方が
まだしも簡単だからだ

それに悩むのは決めかねてるからで
だったら相手に決めてもらえば
悩みは解消するってモノだ

また、絶望するのは
希望通りに行かなかったからするので
だったら希望をこそ捨てれば
絶望に至らずヽ(´▽`)/

ちょうど10年前(2008年)
オルダス・ハクスリーの『恋愛対位法』を
筑摩世界文学大系で読んでた

この小説の冒頭には
まさに惚れた強みの男と
愛されてなかったと気付いた女の
駆け引きの場面から始まる

かつて他の男の妻だった美女を
無理矢理奪ってまで
なんとか妻にしたはずの夫だのに
どうにもその女がウザくなってしまう。(´д`;)ギャボ

そうして男はイラつきながら
憂さ晴らしに浮気をしに行こうとするが
女に勘付かれて引き止められ
なんとかしてウソで切り抜けようと
必死で食い下がるのだ

この時の男の心理描写が絶妙で
余りの屑っぷりに思わず笑えたが
女を自分に置き換えたら
泣いても泣ききれナイ状況だわな(;つД`)

恋愛小説でありがちな
美男美女のハッピーエンドモノは
殆どただの御伽噺でしかなく
自分には胸糞悪いだけだが
恋愛のリアルを淡々と描いてて
コミカルながら切なくなるようなのは
ちょっと胸が痛いけど
ワリと好きかもしれナイと気付いた

それにしても昨年末から
やたらとホフマンとハクスリーが
シンクロニシティを引き起こしてて
不気味ながらも面白い

ホフマンの『砂男』の目玉の寓意を探るべく
平凡社のイメージの博物誌のシリーズの
『眼の世界劇場ー聖性を映す鏡』を
買おうと決心を固めてた時だ

このシリーズを信頼してはいたものの
一応、著者のフランシス・ハクスリーを
ネットでプロフィール確認してみたら
ハクスリー一族と判明!

しかもジュリアン・ソレル・ハクスリーの
息子だったのだ!!

ジュリアン・ソレル・ハクスリーてのは
オルダス・ハクスリーの兄で
このジュリアンとオルダスの祖父は
あのトマス・ヘンリー・ハクスリーなのだヽ(´▽`)/

まあ「あの」と言っても
わからナイ人が99.9%だと思われヽ(゚∀。)ノ

進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの
「番犬(ブルドッグ)」と称されてて・・・

教会からも学会からも風当たりの強かった進化論を
当人に代わって擁護した生物学者なのだ

そんな系譜をつらつら見てると
意外にもマシュー・アーノルドの名が・・・?!

彼の著書『教養と無秩序』を
つい先日、購入したばかりだったが
それはトマス・ハーディの
『ダーバヴィル家のテス』の
ブログ記事を書いてて
19世紀ヴィクトリア朝の
イギリスの一般庶民について
特に宗教観を知りたかったからだ!

このマシュー・アーノルドは
ジュリアンとオルダスの兄弟の大叔父だった!!
ハクスリー家は父方だが
母方がアーノルド家なのだった

それらとは別に
オルダス・ハクスリーの著書を
今更ながら買い集め始めてしまった

とりわけ神秘主義思想や
それを体現すべく幻覚剤を用いて
自らが行った実験の記録など
手当たり次第に購入して読んでるが
LSDを筆頭に幻覚剤を多数発明・発見したのが
アルベルト・ホフマン博士で
この人はスイス人の化学者なので
ドイツ人作家のホフマンとは無縁なれど
それにしても「ホフマン」かよ(゚ ゚;)

世界観を構築した10冊(子供の頃の愛読書)

人生において最良の本を
10冊選ぶとしたら?

まず、小学校高学年の時に
選んでたと思われる10冊(タイトル)

生きている地球(学研学習マンガ)
ビーグル号航海記(チャールズ・ダーウィン著)
シートン動物記(アーネスト・T・シートン著)
ハックルベリー・フィンの冒険(マーク・トウェイン著)
宝島(スティーヴンソン著)
幸福な王子(オスカー・ワイルド著)
にんじん(ルナール著)
クォ・バディス(シェンキェビチ著)
埋もれた世界(A・T・ホワイト著)
キュリー夫人 愛と科学の母(清閑寺健著)

これらは人生の初期段階で
世界観を構築するのに役立ったが
後に人生の岐路においても
常に道標となった

虚弱体質だった幼少の砌に
お世話になった小児科の待合室に
置いてあったのが『生きている地球』

【ビッグバン】から始まり
地質時代の様子が年代を追って描かれたマンガで
それはまさに知りたかったコトばかりで
毎度、熱心に読んでは
興奮して更に熱が上がってたw

その本への病的な執着が
遂に医師の妻で薬剤師の女性の心を動かし
「よかったらどうぞ持って帰って
差し上げますから」と言わしめた時
熱意が人の心を動かすと
奇蹟が起きるのだと
初めて確信したのだった

生命の誕生から
人類への進化までを
理路整然と説いた【進化論】には
魂を揺さぶられたが
とりわけ生命の誕生については
オパーリンの【コアセルヴェート説】で
神々しく美しい生命のスープが
干潟になって濃縮してく様子を思い描いては
生命の神秘に涙した

そんな風に理性と感動によって
自分が世界観の外枠を構築した後で
旧約聖書の冒頭の創世記による世界の始まりを
キリスト教かぶれの母親から
いくら恭しく押し付けられたトコロで
突っ込みドコロ満載な寓話としか思えなかったw

【進化論】を構想するに至った経緯を
ダーウィンが綴った『ビーグル号航海記』は
自然の厳しさ(ある意味無慈悲さ)と
そこに生きる生物の
力強さと儚さ、強靭さとしなやかさといった
地球が織りなすドラマに感じ入った

そうして【進化論】を踏まえて
動物の生態に興味を持つようになり
『シートン動物記』も読むべくして読んだが
中でも「狼王ロボ」でオオカミが大好きになり
今に至るるる~

『ハックルベリー・フィンの冒険』や『宝島』は
『ビーグル号航海記』からしてそうなんだが
後に海洋小説とそれを原作とした映画を
格別に好むきっかけになった

まあ自分自身はからきし苦手で
酒より船の方が酔うんだがね( *゚Д゚)つ[酒]

典型的なお人好しの江戸っ子だった自分は
『幸福な王子』でワイルドのペシミズムに衝撃を受け
母親に嫌悪されてると悲観し始めた時
『にんじん』で同士を見出してほっとした

歴史小説『クォ・バディス』(※)は
ローマ皇帝だったのがネロの時代の
キリスト教に傾倒した長編で
実在した登場人物のネロとセネカ
そしてペトロニウスが魅力的だった
映画のタイトルでは『クォ・ヴァディス』、新訳(岩波文庫)だと『クオ・ワディス』

当時はまだキリスト教に対して
今ほど反感は抱いておらず
もれなくこの小説こそが
不信感を募らせる要因になったのだったヽ(゚∀。)ノ

『埋もれた世界』は
トロイア、エジプト、メソポタミア、マヤの
遺跡を発掘する考古学者たちについて
子供にもわかりやすく書かれて(翻訳されて)たが
古代文明の中でも自分は特にトロイアに惹かれた

たくさんの伝記を読んだ内では
『キュリー夫人』に1番感銘を受けたが
それは化学者としてノーベル賞を受賞した女性が
既にいるのは心強かったからだ、なんて
自分もキュリー夫人の後に続くつもりでいて
化学だけは執り憑かれた様に勉強してた

但し、物理学(の数式)を理解できるほど
知能を持ち合わせておらず断念。(´д`;)ギャボ

『クォ・バディス』の著者シェンキェヴィチも
キュリー夫人と同じく
ノーベル賞を受賞してるポーランド人だが
受賞時にはポーランドは地図上から消えてて
2人とも祖国独立を悲願してたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

結局、シェンキェヴィチは
独立を目にする前に命尽きたが・・・

上記10冊の他にも
世界観を構築するのに
補助的な役目を担ったのが
山川出版の日本史用語集と世界史用語集と
旧約聖書・新約聖書、古事記、ギリシア神話などで
愛読書と言うよりは便覧のように
何かにつけ参照しまくった

自分はこの時点で最早
読書の醍醐味は
1冊の本を最初から最後まで読みこなして
単体で消化するだけに非ず
一言一句から
著者の真意を汲んで
改めて世界を読み解くコトに
意義があると気付いて
生真面目に読書をしなくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

40年近く経った今
改めてこれら10冊に感謝したいのは
与えられた知識はもちろん
感動、信条、希望、霊感・・・etc.etc.
そしてノスタルジーも加わり
人生をスピリチュアルな面から
支えてくれたコトだ

気のふれた母親に
押し入れに閉じ込められても
電気スタンドで照らされた文字から
確信してた

世界は広く美しい(はず)

いつも心を希望で満たし
明るい未来へ導いてくれ続けた

親友(著者)と時空を超えて
共有してる宝物のような存在が
愛読書だと自分は思う

Heaven is a Place on Earth

自分が物心ついた頃に
小学館の学習マンガ『生きている地球』を読んで信じたのは
宇宙がガモフの言うトコロのビッグバンから始まり
生命の誕生はオパーリンのコアセルヴェート説だったが
この時にキリスト教圏で生息してたら
敬虔な信者になって創世論を頑なに信じただろうし
本を読まずにテレビだけ見てたら
何も考えずに芸能人を拝んでたかもしれナイ(-人-;)

ビーグル号世界周航記――ダーウィンは何をみたか (講談社学術文庫)

また小学生の時には
ダーウィンの『ビーグル号航海記』が愛読書で
生命のダイナミズムに感銘を受けて【進化論】を信奉してたが
世界中の荒唐無稽な神話にも興味を持ってて
特に『古事記』と『ギリシア神話』
そして『旧約聖書』の「創世記」の部分はお気に入りで
寓話と認識しながらその世界観で精神を開放して愉しんでた

既にどんな神も全く信じてなかったが
神に依らずともきっとこの世界は本来美しいモノだ、と確信してたので
意識して世界観から神を排除しようとも思わなかった
神自身は虚偽であったにせよ、信仰が派生したのは紛れもナイ史実で
その原動力となったのは神のような存在の到来を望む人々の
思い(希望・願望・野望)だったはず!
そして自分が人類の歴史に想いを馳せるのは
生命の連鎖以外にそういう気持ちの連鎖があったコトに感動したいからだ!!

中学~高校でバイオテクノロジーの時代を迎え
分子生物学によって生命の誕生や進化が解き明かされてくると
創世論者が事実の方を捻じ曲げようと
躍起になるのを目の当たりにして辟易しつつも
逆に神を否定しかねナイ科学を解する理性を持った学者たちが
自身の中で信仰と科学をどう結び付け、またどう切り離してるのかに
大いに興味が沸いたが
その時に出会ったのがパスカルの『パンセ』だった

パスカルの時代はキリスト教から派生したスコラ学が主流だったが
時代より先行して近代科学を学んでたパスカルは
要するに神に辻褄を合わせて理論付けるスコラ学派ではなく
事実から導いた理論をこそ実証する近代科学の先駆者だったのだからして
そうして科学的な理性をもってしてて
なぜ一方で非科学的な存在の神を信じられるのか?

『パンセ』を読み始めた頃はそこが甚だ疑問だったのだが
敬虔なキリスト教信者である科学者は珍しくナイ
ニュートンやリンネ、そしてダーウィンにしても元は神学を学んでた
むしろ神の創りたもうた世界を正しく認識したくて
もれなく科学者になったのがこの時代までの科学者だろう
ダーウィン然り、「創世記」に反論するためではなく
神の存在を決定付ける証拠を突き止めようとして
多様な生物について研究してたのだ

☆・・・☆・・・☆

ウイルスは生物ではナイが増殖する

但しウイルスの個体は増殖するための装置のみでできてるので
この装置がONになる環境がなくては増殖できず
換言すれば生物が増殖するのは
増殖するための環境と装置を生物の個体が併せ持ってるからだ

利己的な遺伝子 <増補新装版>” /></a><a href=神は妄想である―宗教との決別悪魔に仕える牧師

神を全面否定する分子生物学者リチャード・ドーキンスは
上記を踏まえて著書『利己的遺伝子』において
利己的遺伝子による理路整然とした世界観を構築してる

遺伝子(増殖するための装置)によって
生物の個体(増殖するための環境)は操られてるので
まるで生物の個体は単なる遺伝子の乗り物のような存在であり
それに比して遺伝子の方は利己的である、とな

人類が生物の中で特別な存在で生物界を支配してる
なんてとても思えなかったから
ヒトを含む全ての生物が自身の持つ遺伝子に支配されてる
その理性的な発想にはメカニズムを含めて賛同できる

しかし生物は個体としても生きる意志を持ってて
同じ種である仲間同士はもちろんだが
同じ生態系においては一見して敵対してると見做されつつも
その中で【共生】してる=助け合ってるのでは?

全ての生物は助け合って共存するのが自然の摂理に適った真理である
とゆー考えを根強く持ってた自分としては
利己的遺伝子の戦略に操られてる「だけ」となってしまうと
それはあまりにも情が無さ過ぎて納得行かなかった

正しいか間違ってるか、に対して
正しいかもしれナイけどあんまり非人情ですヽ(゚∀。)ノ
なんて、最先端科学を学んできた人間にしてはバカとしか言いようがナイ反論だが
こちとらがっつり江戸っ子として生きてきちまったんで
正論だろうと人情を欠いてちゃ合点が行かねんでいっ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

どうも腑に落ちナイ・・・何か冷たいモノを感じてしまうのは
世界には美しさや優しさが満ちてるはずで
神がいてもいなくても・・・いや、神がいなければこそ
この世が天国(※)であって欲しいヽ(´▽`)/
ドーキンスからはそんな気持ちが汲み取れナイからだと思われ
理想郷、楽園、エデンの園、ユートピア、極楽浄土・・・等

Heaven on Earth

パスカルが神の存在を肯定したいのは
人類の望む方向がそういう意味で天国であって欲しいからだとしたら
潜在的世界観では自分と同じモノを持ってると感じるのだ

Blaise Pascal

パスカルの『パンセ』の決定版を
1冊選べと言われたら筑摩世界文学大系だが
2冊選べるなら中央公論社の世界の名著(※)もあれば完璧だ
このシリーズも中央公論社版が出て、その後に中公バックス版で再編纂されてるので
パスカルの巻は【24】と【29】と巻数が違ってても内容は同じ
またこのシリーズも半世紀前に出てるが【24】の方は概ね状態が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

中公世界の名著
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世界の名著 24 パスカル
世界の名著〈29〉パスカル (1978年) (中公バックス)
世界の名著 29 パスカル パンセ 小品集 中公バックス

中公世界の名著は前田陽一と由木康との共訳で
冒頭の前田陽一による「パスカルの人と思想」には
パスカルの生涯についての詳述があり
『パンセ』本文の後にはパスカルの「小品集」も収録されてて
当然ながら巻末には年譜と、あと索引があるのが便利だ

世界の名著〈第24〉パスカル (1966年)

パスカルの人と思想
前田陽一
小品集
パスカル / 前田陽一、由木康訳
パスカルと私真空論序言
パスカルの時代愛の情念について
生い立ち罪びとの回心について
科学者覚え書
人間探求者初代と今日とのキリスト者の比較
キリスト者ド・サシ氏との対話
『パンセ』の歴史幾何学的精神について
パスカルと後世病の善用を神に求める祈り
パスカルと日本大貴族の身分について
本書の読み方

しかしこれら2冊を揃えて嬉々としてるような自分も
実際には現代日本人で無神論者なので
信仰心を問われる箇所には今一つ踏み込めずにいて
ブランシュヴィック版の前半部分に限った愛読者だったりして
ラフュマ版なんて読み始めてすぐに嫌気が差した・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

その日本では稀有なラフュマ版を完訳してるのが田辺保なのだが
パスカルが書き留めた年代順に従ったこの版は
整理整頓されたブランシュヴィック版に慣れてると些か読み難く
涜神に対する呪詛のような言いがかりが
後半にまとまってなくて随所に散見してくると
とりわけ自分のような無神論者が抵抗なく読み進むのは難しい

パスカルと現代
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パスカルと現代 (1967年) (紀伊国屋新書)
パスカルと現代

そんなラフュマ版を支持する田辺保の著書を
そうとは知らずにうっかり読んで目から鱗な事実に気づかされた

神や宗教のような伝統的なまやかしを信奉してる信仰心と
科学や自然の摂理を真実だと確信する理性は
相反するようだが実は根っこが同じ場合もあるのだ

今、手元にあるのは『パスカルと現代』のみだが
以下の3冊も揃えたいと思ってて
電子書籍版が出てくれるのを待ってるるる~
とはいえ、『パンセ』自体が未だに電子書籍化されてナイのだが(-_-;)

パスカル―痛みとともに生きる (平凡社新書)パスカル伝 (講談社学術文庫)パスカルの信仰―パスカルとわたし

『パスカルと現代』

新装版への「まえがき」
はじめに―パスカルとわたしたち―
第1章パスカルの時代
  1. 「科学革命」の時代
  2. 17世紀フランスの社会
第2章パスカルの思想
  1. 生きたヴィジョン
  2. その政治思想
第3章精神の兄弟たち
  1. キェルケゴールとパスカル
  2. ペギーとパスカル
  3. パスカル、シモーヌ・ヴェイユ、テイヤール・ド・シャルダン
  4. 植村正久の『真理一斑』
ブランシュヴィク版との対照表
あとがき

☆・・・☆・・・☆

人間は誰しも成長の過程で何らかの世界観を形成してく

つまり、世界がどうあって
その中で自分が何なのか、自分のポジションがどこにあるのか?
何かを根拠にして信じるようになる

古来より民族に伝わる伝承なのか
科学実験の結果から齎された事実なのか
その根拠によって世界観は異なり
たいていの人間は自身とは違う世界観を享受できナイ

信仰を持ってる人間ほど世界観にすがって生きてるので
宗教・宗派が違えば憎み合いさえするワケだが
それをえげつナイと思ってかつては蔑んでた

しかし実は科学的に=理性的に生きてるはずの無神論者も
学者同士だったとしてもやはりえげつナイものなのだ
例えば進化論のように実験で結果が明らかにできナイ場合には
異論を唱える者に対して憎悪にも似た感情を抱く。(゚д゚lll)ギャボ

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

リチャード・ドーキンスとスティーブン・ジェイ・グールドがそれで
2人とも進化論自体は認めてるのに
その進化の過程についての考え方を批判し合ってるのだ

まあ進化論に関しては昔から
ラマルクに対するキュヴィエとか、カンメラーに対するベーツソンとか
創世論者が進化論者に対する以上の憎悪の念が感じられるがな。(´д`;)ギャボ

自分は無神論者だが懐疑主義者なので
事実として見せつけられてるコトも易々と信じはしナイし
ましてや情に脆い江戸っ子なので
見せかけの行動よりも真意を汲み取ろうとしてしまう

だからリアルで悪辣に見える人も
その悪意が諦めや失望によって齎されてたかもしれナイ
それとは別にもっと心の深い部分に思い描いてる理想郷に対してなら
共感できるってコトもあるかもしれナイ
そんな風に希望を捨てられナイ

パスカルとは同じ理想を夢見る仲間に違いナイ
アウグスティヌスもトマス・アクィナスもライプニッツも
そしてヴォルテールだってそうだが
神に依存するのが前者でそれができナイのがヴォルテールとか自分なのだ!

世界はきっと神の意思そのものではなくとも
宇宙の原理や自然の摂理が美しくあろうとしてるはずだ!!

人生を愉しみで満たしてくれた本について






自分にとって意味のナイ本を読むのは時間の無駄だと思うから
総ての本に読む意義を見出せナイのだとすれば
本を読まナイとゆーのは人としてとても納得できるが
読書が趣味で何でも読み漁る人だけはわからんヽ(゚∀。)ノ

読書とゆー作業自体が楽しいのだろうか?
自分はそうは思わナイが・・・
本を読む以外にはやるコトがナイくらい暇を持て余してるのだろうか?
自分は睡眠を削って読書の時間を捻出してるので
必要性を感じナイ本など読んでる暇はナイからわかりようがナイ・・・

ところで現代日本でベストセラーになってるような本は
いったい誰が読んでるのだろうか?
これこそ読書が趣味で何でも読み漁る人たちが読んでて
ベストセラーになると遂には
本を読まナイ人たちまでが読んでみたりもするのではナイだろうか?

自分は売れてる本をほとんど読まナイが
それは興味の対象から外れて存在してるので
その本に辿り着く経路がどこにも見当たらナイからで
売れてるから避けてるってワケでもナイ
偏屈な自分に対して忠実なだけで単に縁がナイのだ

逆にベストセラーなら何でも広い心で受け容れられるような
広告や宣伝に素直に従って読書する人間には
自分のような偏屈な人間こそが全く無意味な存在に違いナイし
そういう人間の根の深い拘りなど想像もつかナイだろう

しかしその差はどの辺から生じたのだろうか?
たぶん幼少時には皆が似通った本を読んでたはずだが・・・

とはいえ確かに「のりものずかん」だけが大好きで
他の本には何も興味を示さナイ、なんて子も既にいたっけ?!
そういう子は大人になった今でも新幹線にときめくのだろうか?

自分は『長靴を履いた猫』がすごく好きだった記憶がある
同じシリーズで持ってた他の本はほとんど覚えてナイが
『長靴を履いた猫』は何度も音読してるので
ペロの台詞も結構覚えてるくらいだ

あとディズニーの絵本はこの頃から絵柄が好きでなかったのだが
誰かにまとめて譲り受けたらしくいっぱいあった
『シンデレラ』『ダンボ』『ピノキオ』『不思議の国のアリス』・・・
『ピノキオ』と『不思議の国のアリス』は好きだったが
他の本はやはりあまり記憶にナイ

なぜか『シンデレラ』だけは未だに持ってるのだが
『ピノキオ』と『不思議の国のアリス』の方が印象深いほどだ
ちなみに『シンデレラ』は家に遊びに来た子供にあげるにも
持って帰りようがナイくらい異常にでかいせいだろう

我ながら腑に落ちナイのは
なぜ『シンデレラ』より『不思議の国のアリス』を好んだのか?
アリスを愛らしいと思う気持ちが
どうしてシンデレラには湧かったのか?
なぜ何よりも『長靴を履いた猫』を愛読したのか?
ペロや魔王になりきって音読するのが
どうしてそんなに楽しかったのか?

当時の自分にしか(現在の自分にも)わからナイような
何か特別な魅力を識別する要素は
元より自分の中に存在してたのだろうか?
初めて読んだ時に自分の中に形成されたのだろうか?

前者だとしたら自分は偏屈に生まれついてしまったのだろうし
後者だとしたら自分は偏屈に成るような本と縁があったのだろう

それにしてもこうして列挙してみると
自分はどうやら旅をする物語が好きだったようだ?!

そういえば家出ごっこをよくやってたらしい
お気に入りのハンプティ・ダンプティの枕を背負い
片手には持ち物一切を風呂敷に包んだのを持ち
もう片方の手にはなぜか空の一斗缶で
写真を見ると用意万端整った満足感に溢れた面持ちだ

実際には家出などとゆー子供じみたコトはやる気が起きなかったし
大人になってみると特に旅行好きにはならなかったがね

それでも今夏も前半は航海(漂流)してる物語を読んでたし
後半にはトロイ戦争の中でも『オデュッセイア』を読んでたりして
表面はすっかり年老いて変貌してしまったが
趣味は物心ついた頃から変わってなかったりして・・・

思えばずっと科学者や冒険家の物語や手記が好きで
小学生の時にダーウィンやシュリーマンにときめいて以来
そのまま科学(生物学)と歴史(古代史)に夢中で
ダーウィニズムの不備に気づいたり
シュリーマンの非学術的で野心家な部分を知ってみても
【進化論】とか【トロイ戦争】ときたら
つい心躍ってしまうのだけは変わりようがナイ!!

読書が趣味とゆー人は
自分のように一語で狂喜乱舞するほどには
本に愉しませてもらってナイだろうな!

なんて
何の価値もナイ優越感に浸る偏屈な自分が大好きだw

宝島に出航だ!

夏期休暇は3日で
しかもまとまってはとれナイので
遠出はできようもナイ

年に1度の父親の家のPCのメンテナンス作業日
年に1度の自分の誕生日
年に1度のぬいぐるみの入浴日(フツーは洗濯とゆーがなw)
以上で使い果たしてしまう予定

まあでも日々の読書の時間に旅に出るコトはできるるる~

十五少年漂流記 (集英社文庫J・ヴェルヌコレクション)

まずは無人島へ・・・

ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』だが
これはどうしても読みたいってよりはオマケ(※)につられて消去法で買ってしまった
続・はちくん(アランの幸福論実践)

今まで児童版しか読んだコトがなかったので
完訳は今回購入した新潮文庫版が初となるのだが
読み比べた人によれば「創元社版の方がおもしろい」らしい
確かにこういう古典的なSFの訳書は創元社の方が十八番ってカンジで
愛蔵版とするなら創元社のを買えばよかったかも?!
ちょっぴり航海・・・いや、後悔

十五少年漂流記 (創元SF文庫)

それでもとりあえず児童版に比べたら
読み応えがあって十分愉しめた
登場人物の15少年のキャラ設定がすごく練られてて
読み進む内にそれぞれの性格がすっかり飲み込めた後半では
こいつはまたこうきたか、とにやりとするのが
この本の醍醐味なのだがその点はとても満足したのでね

ところで実生活では漂流はもちろんだが
船旅なんて自分には全く縁がナイ
でも本に関しては【航海記】は1番親近感の持てるジャンルかもしれナイ

ビーグル号世界周航記――ダーウィンは何をみたか (講談社学術文庫)

なんせ幼少期に最もしつこくくどく読み返したのは
ダーウィンの『ビーグル号航海記』で
これで進化論にとりつかれてしまったのだよ!
尤も論説としては自分は反ダーウィニズムの見解を支持してて
ラマルクやカンメラーに共感してるがねw

宝島(上) (お風呂で読む文庫 16)
宝島(下) (お風呂で読む文庫 17)

スティーヴンソンの『宝島』も大好きな本で何度も読んだが
今でも読み始めたらわくわく感が尋常でなく
最後まで一気に読めてしまう!

そりゃあ宿屋の息子が海賊の宝を横取りしに行く話なんて
ときめかナイ方がどうかしてるが
この物語の中で何よりも心を捉えたのは宝物でも海賊でもナイ

海賊フリント船長がどうやって宝島の地図を作成したのか?!

読む度にこの疑問に捉われて
どこぞの漫才師のように眠れぬ夜を過ごしながら
大の地図好きになってしまったのだったヽ(゚∀。)ノ

そうしてとーちゃんの家に行く朝は『宝島』を持って出かけた
『宝島』は完訳版を旺文社文庫で持っててこの訳が凄く気に入ってる
海賊の台詞がなぜか江戸っ子ぽくて
「きゃつをとっつかめえろ!」とか言い出すのだが
まさにとーちゃんがそういう口ぶりなので親しみを感じてしまうのだよね

そういえば今はもう旺文社文庫自体がなくなってしまったのだよな
岩波も好きだが旺文社文庫の方が個性的なラインナップで
それが自分の趣味に合ってたのだが・・・

そうして『宝島』を読みながら
待ち時間に飽きるコトなく電車とバスを乗り継いで
往復4時間近くかけてとーちゃんの家に行った

PCのメンテナンスをしながら
途中でとーちゃんのうでたそばをいただいて
庭のブラックベリーを摘んでジャムをこしらえて
2階の書斎でたくさんの本に囲まれて
楽しい夏休みの1日を過ごした

とーちゃんの本棚から持てるだけの本を借りてきた(*^^*)

ヤスパース『ニーチェの実存的意義』
松浪信三郎『実存哲学』
ラ・ロシュフコオ(内藤耀訳)『箴言と考察』
ボーヴォワール(青柳瑞穂訳)『人間について』
マックス・ウェーバー『基督教的ヒューマニズムと現代』
ダンテ(山川丙三郎訳)『新生』
トルストーイ『懺悔』
春秋社『エドガア・アラン・ポオ全集2』
ユング『現代人のたましい』
ヤッフェ『ユング自伝1・2』

すごい、まるで宝の山だ・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

自分の宝島はとーちゃんの書斎だった(^▽^*)