セム、ハム、ヤペテ~アブラハム(アブラム)

セム、ハム、ヤペテがそれぞれの民族の祖となった

殆どの日本人にはなんのこっちゃだろうが
このセム、ハム、ヤペテの3人は兄弟で
父親の名はノア

あの「ノアの箱舟」のノアだ

『旧約聖書』の「創世記」第9章~第10章によれば
この親子は方舟に乗って
大洪水を生き延びた唯一の人間の家族で
だから人類は全員ノアの子孫だとしてるのだ

但し、3人兄弟の誰を祖としてるかで
民族系統は異なってるそうだ
(元は兄弟なら同じ民族のはずなんだが・・・
とゆー突っ込みはナシでw)

『旧約聖書』によれば
セムの子孫のアブラハムの一族が
神に認められた正統な民族(※)となった
元はヘブライ人と呼ばれてたがイスラエル人と自称するようになり
ユダ王国(紀元前922年~紀元前586年)以降はユダヤ人と称された

そしてハムの息子のカナンは
カナン人の祖となったが
ハムは酔っ払って裸で寝てるノアを見たコトで
ノアに呪われて追放されてしまい
現パレスチナ辺りに追いやられたからだ

ヤペテの子孫については
『旧約聖書』の記述が途中までしかなく
その子孫がどの民族系統なのか言及されておらず

しかしギリシア神話のイアペイトスが
ヤペテと似た名前だとして同一視したのは
『失楽園』を著したジョン・ミルトンだった

でもギリシア神話と結び付けたのは無理があって
ヤペテの息子たち=イアペイトスの息子たちならば
人類に火を与えたプロメテウスや
人類初の女パンドラを娶ったエピメテウスが
ヤペテの息子ってのは
いかんせん辻褄が合わん・・・。(´д`;)ギャボ

もちろん
セムが黄色人種
ハムが黒色人種
ヤペテが白色人種
とそれぞれの祖だなんてのは
明らかに後からのこじつけであるるる~
(だから元は兄弟なら同じ民族のはずなんだってばw)

☆・・・☆・・・☆

ユダヤ民族の伝承の創世神話「創世記」と
神ヤハウェとの契約を遂行してきた歴史の記述が
1冊にまとめられて『旧約聖書』となったが
『旧約聖書』の「旧約」とは「旧い契約」の意で
後から唯一神と新しく契約したキリスト教徒によって
便宜上、『新約聖書』に対して
勝手に『旧約聖書』と名付けられたのだ

セムの子孫テラの子アブラムは
99歳の時にヤハウェと契約をして
アブラハムの名とカナンの地を与えられ
それまでカルデア(新バビロニア)のウルに住んでたが
父テラと妻サライと弟の息子ロトを連れて
カナンに向かった

そのころカナンびとがその地にいた。時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。

途中のハランで父親のテラは死んでしまうが
アブラハムとサライ夫婦と息子のロトは
カナンに辿り着いて
「神がカナンの地をおれらに与えたんで
おまいらはどけ」とばかりに
ハムの子孫のカナン人は
セムの子孫のアブラハムに追いやられて
現レバノン海岸辺りへの移住を
余儀なくされた。(゚д゚lll)ギャボ

フツーに考えると
アブラハムの方が侵略者で
神の啓示があったなんてのも嘘かもしれナイが
唯一神を信仰してる民族にとっては
神に与えられた権利こそが正当な権利なのだw

ユダヤ人の選民思想は
どんなに卑劣な振る舞いをしても
絶対的な正義は神に認められたユダヤ人にあり
歯向かう相手こそが絶対的な【悪】となる

事実を捻じ曲げてでも
自身を正当化して
敵対勢力が不正であるとするのは
勧善懲悪を信奉する日本人の道徳観念では
到底、相容れず
既に理解の範疇を超えてるヽ(゚∀。)ノ

信憑性はさておき
神との約束通りにカナンを得たアブラハムだったが
その地が飢饉に見舞われると
妻のサライとエジプトに行ったΣ(゚д゚lll)ガーン

さて
エジプトで2人はどうなったか?!

  1. 奴隷として働いてなんとか貯えができて帰国した
  2. 神の恵みで良い働き口が見つかり十分に稼いで帰国した
  3. 結婚詐欺を働いてぼろ儲けして帰国した
  4. 神の預言者として厚遇されたので帰国の途につけた

大正解は3.だが
とりようによっては2.と4.も間違いではナイ

アブラハムは美人妻サライを妹と偽り
パロ(ファラオ、エジプト王の意)に取り持って
その兄として自身もパロに世話になりながら
たくさんの贈物までもらう

しかしこのサライの不倫に怒ったヤハウェは
疫病を齎すのであった!

齎されたのはアブラハムでもサライでもなくて
パロにだが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

懼れたパロはサライをアブラハムに返し
アブラハムはパロからお土産をたんまり頂いて
エジプトを去った

これを結婚詐欺と言わずして
何と呼ぶのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

 アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出てネゲブに上った。ロトも彼と共に上った(注:ロトはその後ソドムの地へ)。
 アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。

セム系の遊牧民についての的を得た表現が
ゲルハルト・ヘルムの『フェニキア人』にあった

夜になると、獲物を求める盗賊となってやってきた。しかし昼間は、平和的な取引相手であった。

前夜に盗んだモノを
翌朝には盗んだ先に売りに行ってたりしそうだが
元より厳しい自然環境で暮らす遊牧民が
更に飢饉に襲われたら
一族を飢え死にさせナイためには
富める者から分捕るしかなく
その時に善意や良心や道徳観念が
彼らを救う何の役に立つのだろうか?!

自分は『旧約聖書』に対して
そんな想いを根底に感じ取れるので
現代日本人の道徳観で
一方的に批難する気は起きナイ(-_-;)

ところでアブラハムが
カルデアのウルにいたとすると
これは後の新バビロニア王国のなので
時代が合わナイ気がするが
古バビロニア王国時代の話でも
書かれたのが新バビロニア王国時代だからなのか?

何かで検証しようと思いつつ
ずっとそのままになってるるる~

禁忌(イヴとパンドラ)

既にパンドラ(パンドーラー)の名からして・・・

パン=すべて
ドーラー=贈り物

そもそも彼女自身が
人類に災いとして天から齎されたワケで
セット商品的に箱が・・・
元の言語的に正しくは壺(甕)が付いてきてる

その壺の中に入ってたモノは
細々と分別された災いで
中に「エルピス」も含まれてた

この「エルピス」をどう訳すかが問題で
英語圏では「hope(希望)」なので
日本語でも「希望」としてるんだろうが
「前ぶれ」「予兆」「前兆」「期待」・・・
等々に翻訳可能なんである

寓意的な神話で訓話的要素もあるので
どの訳を当て嵌めるのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイのか
解釈次第で何通りもあって正解はナイ

災いセットに「希望」が入ってるコトに
違和感を感じてるとしたら
「前ぶれ」などの災いに含めてしっくりくる語に
置き換えれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

自分なんかはむしろ「期待」を選ぶね
自身では何もせずに他人に依存して
期待してる人間は災いでしかナイ

毒親とその子供の関係なんかは
何が問題なのかって「期待」に尽きるね

一つは親が子供に期待し過ぎて
子供が親を負担に感じるようになるパターン

もう一つは子供が親に愛情を期待しても
親の愛情が欠如してて人格形成に欠陥が生じるパターン

尤も親子に限らず
人間関係では「期待」は殆どの場合災いする

よく友達や恋人に裏切られたって嘆く人がいるが
実はそいつらが裏切ったんでなく
期待した通りではなかったと判明しただけのコトだ

まあでも「エルピス」の真意が何かは
この神話を作った意図からすれば
ワリとどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

これは禁忌の訓話であり
しかも男性優位社会を築こうとする男たちが
なんとかして女を服従させようとして
でっち上げた作り話に違いナイからだ

人類で初めて禁忌を犯したのは
ギリシア神話に倣えばパンドラだろうが
キリスト教圏で生活してるならば
信じる信じナイは別として
イヴ(エヴァ)を思い起こすだろう

エデンの園で禁断の果実を
食べてしまった人類初の女とされてるイヴだ

『旧約聖書』の「創世記」では
第1章で神によって世界が創られて
第2章で神によって人が造られて
第3章では神に定められた禁忌を人が犯して
神によって罰せられてる

具体的には
まず神なる絶対的な存在を示唆しておいて
その神を裏切ったのがイヴなので
イヴと同じ性の女は罪深い存在だとしてて
要するに罪人であるコトを理由に
女を格下げしようと目論んでるのが
痛いほどわかる構成なのだw

いや、罪を犯したのはイヴ個人で
その罪を人類の女全員が背負う必要なんて
どこにある?!

と、正論をのたまえるのは
自分が現代日本人の女だからで
砂漠や荒野で厳しい自然に晒されて
ギリギリで生きてるような民族に生を受け
ましてや男に生まれてて
しかも族長の立場であったなら
女のまともな意見に対して
いちいち納得して従ってたら
一族は飢え死にするしかなかったのだろう。(´д`;)ギャボ

『旧約聖書』に話を戻すと
禁忌を犯したのが発覚したすぐ後で
罪が神に裁かれる部分では
以下のような原因譚が神の口から語られてる

蛇がなぜ4つ足で歩いてナイのか
女性がなぜ蛇を忌み嫌うのか
女性がなぜ出産の苦痛と夫への欲求を持つのか
男性(人)がなぜ土を耕すのか
男性(人)がなぜ土に返るのか(死ぬのか)

これらの答えが
古代のユダヤの民に生活信条とされたのだが
だから『旧約聖書』の偏った正義が
近代的な道徳から外れているのは致し方ナイ

そうして民族の価値観の相違について
熟考する題材として
『旧約聖書』が書物として存在するのは
ありがたいコトだと思う

イエス・キリストの登場で
『新約聖書』と一緒に勝手に編纂されたり
それをローマ・カトリック教会が
都合良く曲解してしまったりもしたが
それでもユダヤ民族の真意は慮るコトができる

とはいえ
現代日本人の立場から
科学的な見解を言わせてもらえば
男はその事実をスルーして認めナイが
イヴがアダムを助けるために創られたなら
アダムよりは出来が良かったと思われヽ(゚∀。)ノ

それに神が禁忌を設定しなければ
イヴは罪を犯す必要もなかったって話だが
なんで仕向けるようにエデンの園のど真ん中に
禁断の果実が生る木を植えてるんだか・・・

一方、パンドラの場合は
ゼウスは最初から人間を懲らしめるために
災いセット「パンドラ」を贈ってる。(゚д゚lll)ギャボ

プロメテウスこそが粘土で人間を作った
なんて異説もあるが
一般的にはヘシオドスに詠われてるように
人間の男は既に存在してて
プロメテウスが天上から盗んだ火を与えた

実は火だけでなく
ゼウスが糧を隠してた際にも
プロメテウスがゼウスを欺いて糧をも与えた

それは窮乏してた人間を哀れに思って
助けてあげたってだけで
それでゼウスが怒ってるのも
なんだかな~だが
そこでゼウスが人間を懲らしめるとか
本ト、なんだかな~(-_-;)

そうして人間に助力するプロメテウスに対して
ゼウスが騙してやろうと計画を立てて
そのために人間の女を創った

それじゃ人類には
パンドラが齎されるまで
女がいなかったって・・・Σ(゚д゚lll)ガーン
と、引っ掛かるであろうがそこはスルー推奨w

いや、「人間の女を創った」のでなく
鍛冶の神ヘパイストスに命じて
「女神に似せたモノを粘土でこしらえさせた」のだが
それは女神かと見紛う美貌に
プロメテウスが恋してしまうと想定してたからだ

これにパンドラと名付けて
神々から種々の能力と贈物を授けて
当初はプロメテウスに贈ったのだった

ところがプロメテウスは
名前の通りに考えが先立つ男で
怪しいと勘付いてパンドラを拒否したので
名前の通りに考えが及ばナイ男の
弟のエピメテウスが
パンドラに魅了されるままに
妻にしてしまったワケだ

エピメテウスの妻となったパンドラは
箱(壷)を開けてしまう

開けてはいけナイ【禁忌】の箱だったのに
好奇心にかられたパンドラによって開けられた

なんてこった!
【禁忌】を犯して
人類に厄災を齎したのが
女だった!!

先のイヴの寓話とは作者が同じと思える程
その筋立ての根本にある思想が似てるw

実際にこのパンドラなどは
イヴとダブって描かれてるがね

TABOO~パンドラ随想~

3月26日はSteven Tylerの誕生日で
なんと70歳だそう!

Aerosmithの音源は
CD1枚(※)しか持っておらず
グレイテスト・ヒッツ1973-1988

ヒットした曲には馴染みがあるが
アルバムのタイトルが思い浮かばなくて当然だw

40年近くも好きでいて
LIVEにも何度も足を運んでるワリには
筋金入りのにわかファンだったりするるる~

たまたま「パンドラの箱」とアマゾンで検索してみて
初めてAerosmithのBEST盤に
『パンドラの箱』てのがあると知った

これが「箱」ではなくて
『パンドラの匣』となるとRod Stewartだ

「匣」の字を使ってるトコロからして
この邦題をつけたディレクターは
太宰ファンかと睨んでた

それにしてもRod Stewartのアルバムは
原題が『Foolish Behavior』で
「愚かな行動」って意味で
パンドラなんてどこにも見当たらん

これってパンドラが禁忌を破ったのを
「愚かな行動」だとしてるとしたら
その太宰ファンのディレクターは
読みが深くても思考は短絡的なのだろうか?

パンドラはギリシア神話に出てくる人間の女の名で
「パンドラの箱(もしくは壺)」の挿話は
日本でもお馴染みで以下が概略だ

☆・・・☆・・・☆

プロメテウスが天上界から火を盗み
火が生物の中で唯一人類にだけ齎されたが
大神ゼウスはこれを許さなかった

プロメテウスの弟エピメテウスの結婚祝いに
ゼウスは箱(壷)を贈るが
これを開けるコトは許さなかった

花嫁が好奇心に勝てずに
この箱を開けてしまった途端
7種の災いが飛び出したので
人々は大いに憂えた

花嫁が慌てて閉じた箱の中には
前兆(または希望)だけが残った

この箱を開けた花嫁がパンドラだった

☆・・・☆・・・☆

プロメテウス(先に考える男の意)と
エピメテウス(後から考える男の意)の兄弟は
人間ではなく巨人族(Tytan)で
イアペイトスの子らだ

Tytan:ティタン(もしくはタイタン)と言えば
80年代のNew Wave of British Heavy MetalのBANDで
擦り切れる程、アルバムを聴いてたが
アマゾンで検索してみたら
唯一のアルバム『Rough Justice』が
今更(2017年に)CD化されてて
オンタイムのファンの自分には驚愕だった。(゚д゚lll)ギャボ

さて
人類初の女はパンドラでなくイヴ(エヴァ)で
更にパンドラはエピメテウスの嫁ではなく
『旧約聖書』のヤペテの息子の嫁とされてると
トマス・ブルフィンチは『ギリシア・ローマ神話』で
至極当然とばかりに以下のようにのたまう

 プロメーテウスとエピメーテウスとはイーアペイトスの息子でしたが、ミルトンはイーアペイトスをヤペテに変えているのです。

要するにエピメテウスの父親の名が「イアペイトス」で
「ヤペテ」と語感が近いって・・・
それだけかいなw

ノアの方舟で有名なノアには
3人の息子がいて
1人がヤペテ(他の2人はセムとハム)だが
ヤペテの息子となると
ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、
トバル、メシェク、ティラスと7人いて
いったいこの中の誰と誰が
プロメテウスとエピメテウスなのだ。(´д`;)ギャボ

またギリシア神話でも
ノアの方舟級の大洪水があったりするのだが
それはエピメテウスとパンドラの娘が
プロメテウスの息子と結婚した後の話だ

ノアとその息子ヤペテの時とは別に
子孫が再び大洪水にあったとは
『旧約聖書』の記述にはナイ

旧約聖書・創世記ギリシア神話
ノアの代ノアウラノス(妻はガイア)
ノアの息子の代セム、ハム、ヤペテイアペイトス
ノアの孫(ヤペテの息子)の代ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスプロメテウス、エピメテウス(妻はパンドラ)
ノアの曾孫(ヤペテの孫)の代省略デウカリオーン(プロメテウスの息子)
ピュラ(エピメテウスとパンドラの娘)

ブルフィンチはどうも
ギリシア神話の辻褄が合わナイ部分を正すワリに
キリスト教には従順で
どんなに矛盾を孕んでても
『旧約聖書』には突っ込まナイようだヽ(゚∀。)ノ

まあパンドラのエピソードなど
所詮はイヴと同様に
単に【禁忌】を破った女の話として
その肝心な部分が伝われば
瑣末なコトは気にしなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのが男の身勝手な言い分なのだよ

女は【禁忌】を遵守して
男に仕えるべし!
不貞は禁ずるるる~!!

でも、むしろ男に貞節は守れまいw
美女に誘惑されれば
すぐさま破るだろうからなwww

そんな男の世迷言の呪縛に
初めて打ち勝った女が
ギリシア神話で世界一の美女と謳われた
スパルタ王妃だったヘレネだろうか?!

夫の留守中に他国の王子と駆け落ちをして
トロイ戦争の原因となったのだが
その双子の姉のクリュタイムネストラも
後に元夫を殺した現夫を
不貞の相手と共謀して殺害し
復讐を遂げた

むしろこの姉妹の母親は
スパルタ王妃レダで
白鳥に化けたゼウスと不貞して
この姉妹を産んでるので
もれなくレダこそが
夫である男(ましてや一国の王)に対して
裏切り行為をした初めての女だったのだろうか?!

続・トルストイの『モーパッサン論』

トルストイは『モーパッサン論』において
モーパッサンのある部分を絶賛して
ある部分に対して残念がってる

モーパッサンの『女の一生』では
善良な女が不埒な夫と放蕩息子に悩まされるが
トルストイの解釈ではこの女が
『旧約聖書』の「ヨブ記」に譬えられてて
要約すると・・・
道徳的な女が不道徳な男に踏み躙られる不幸と
その不幸が誰にも理解されナイコトを
深く感動的に描いてると絶賛し
以降の長編、特に次いで書かれた『ベラミ』は
美しい純潔な魂と社会の堕落との衝突が
同じように描かれてても
不道徳な登場人物の方にこそ
作者が肩入れしてるように思えて
濡れ場における詳細な描写も
芸術性を損なってると残念がってる

モーパッサンがなぜ
トルストイにとって残念な長編を書いてしまうのかは
以下の言にあるように
トルストイも根本的にわかってはいる

 モーパッサンが出入りしていたサークルで、芸術が奉仕すべき美として昔も今も認められているのは、何よりもまず女、若い、美しい、しかも多くは裸体の女、それからその女との性的な交渉である。そう認めてきた人々の中には、単にモーパッサンの≪芸術≫上のすべての仲間、つまりが画家や彫刻家や小説家や詩人ばかりではなく、若い世代の教師たる哲学者もふくまれている。

しかし理解するコトと納得するコトは別なので
ルナンの『マルクス・アウレリウスについて』から
以下の言葉を批判的に引用してくる

キリスト教の欠陥はここにはっきりあらわれている。つまりキリスト教はもっぱら道徳的でありすぎるのだ。美は完全にしめ出されている。ところが、円満具足の哲学の眼からみると、美はうわべだけの長所、危険なもの、不都合なものであるどころではない。それは徳と同じく、神のたまものなのだ、美には徳に匹敵する価値がある。美しい女は天才や、徳の高い女と全く同じように、神の意図の一面、神の目的のひとつをあらわしている。美しい女はそのことを知っているからこそ、おのずと気位が高くなるのだ。美しい女は自分が体内に持っている無限の宝を本能的に感知する。(後略)

(後略)の後もトルストイは
ルナンの美女讃歌を延々と引用して
「宝石を身に付けたり、化粧をしたり、髪型や服装に凝ったり、
女がその美しさを際立たせるようとするのは正しい行い」
としてる部分に次のように
皮肉な解釈を入れてくるワケだ。(゚д゚lll)ギャボ

してみれば、この若い世代の指導者{ルナン}の考えでは、ようやく、現代にいたって、パリの裁縫師や理髪師がキリスト教の犯したあやまちをただし、美のために本来の、そして最高の地位を回復してやった、という訳である

有史以来
人類は不自然な生活を強いられてて
生物としての本能が蔑ろにされてきた

特定の時代や地域社会でしか通じナイような
独特の価値観が存在してるが
それらはいずれも誰かが
要するに人間が勝手に作った観念でしかなく
バックグラウンドを異にする者が
正しいか誤りかを論じるのはナンセンスだ

キリスト教が華美な女性を疎んじてるのを
美の表現者である芸術家や
美徳の体現者である哲学者が
反感を持論で展開するのまでは構わナイ

でもトルストイの反論は
それを曲解してて
ましてやパリの裁縫師や理髪師を
つまり、技能労働者をバカにした物言いは
所詮ドシア人(※)だって僻みで
世の中を舐めた資産家のお坊ちゃんの世迷言だ
お洒落なパリに憧れるド田舎者の無粋なロシア人、の略w

そう思えるので
自分が賛同できるのは
モーパッサンや同じサロンに集う人々の方
だった・・・そう、過去形なんである

今現在の姥(年老いた女)の自分にとっては
トルストイの見解もありに思える

再度、肝心な部分を引用すると・・・

何よりもまず女、若い、美しい、しかも多くは裸体の女、それからその女との性的な交渉である。

生物学的見地からすれば
この主張は全く持って正しく
生物は子孫を残すために
生殖を行う必要があり
その際にはお互いに
優先順位が同等でナイ性を選ばなくてはならず
またできるだけ若く(=体力があり)
そして美しい(=整ってる)相手を求めるのは
分子生物学(※)からしても正しい
生物をDNA単位から考察する学問

但し
人間以外の生物の場合は
性の優先順位(※)が高い雌に雄を選ぶ権利があり
雄の方こそが若さと美しさで雌に選別される
正確にはミトコンドリアの優位性

ところが人間社会は変わってて
どんなに若く美しい雄でも
それだけでは雌に選んでもらえナイ!

とゆーのも
雌には子供を産み育てる環境についても
十分に考慮する必要があるからで
そこで若さと美しさで劣ってる雄でも
社会的に優位だったり、財産を持ってたりすると
子供を産み育てる環境も好かろうと
選んでもらえたりする(よね?)

いや、子供でなく
雌自身が好い環境で生活したくて
ってのが本音か???
まあ雌の見解の真意については今回はスルーでw

男が女にアプローチをかける時に
本能的に近付いてしまうのが
若く美しい女であるのは至極当然だが
仮に若くも美しくもナイ女しかいなければ
そこは躊躇せずにか、多少は躊躇したとしても
その女に選んでもらおうとするのが
男の性なのだ

最終的に性衝動を何とかしてくれるのであれば
ぶっちゃけ何でも構わナイ、てのが
雄の真っ当な種蒔き本能なので
手当たり次第に攻略を試みてく内に
選んでもらえたらラッキー、てなモノだ

攻略する順番は手当たり次第なんかではナイと
反論するヤツもいるかもしれナイが
そこはきっと個々の好みが反映してると思うので
傍から見てれば手当たり次第なのだよ

理性によって制御してはいるが
箍が外れた男はそんなモノだろう(-_-;)

それにしても
男が女を選ぶ時に
若さの判別は簡単だが
美醜の基準は曖昧模糊としてて
若いけど美しくはナイ女と
若くはナイが美しい女となると
どちらを選ぶかは微妙なトコロだ

僅差で前者をオススメするのは
生物学的な理由による
妊娠の確率が高く
子育てをするのに十分な体力があるからだ
でも後者も妊娠可能な限り
選ばれたとしても間違ってはいナイ

換言すれば
妊娠の可能性が全くナイ女だけは
美醜を問わず男を選ぶ権利もなければ
またそういう女を男が受け入れてしまうのは
生物学的には間違ってるとも言えるヽ(゚∀。)ノ

だからって
若くも美しくもナイ女は男に愛される価値がナイ
と思うのは生物学的狭量による早計で
哲学的とか、もっと素朴な情によるとか
あるいはスピリチュアル(霊的)とか
愛される理由付けはいくらでもある

むしろ社会的とか生物学的な結び付きは
若さと美しさと条件に適えば
もれなく誰でも゚+.(・∀・)゚+.゚イイとも言える

でも人間同士が愛を育むのは
とある妙齢の男ととある妙齢の女が、でなくて
個対個であって
性別も年齢も容姿も思想も何もかも
お互いが受け入れられれば
それだけでいんじゃん?

社会的かつ生物学的に条件が適って
お互いに合意した結婚だとしても
持続させるには条件を保ち続けるのでなく
他の要素で愛を育んでいかなければ
意味がナイワケで
条件が変わっただけで
破綻して離婚に至るのがオチ

その脆さに気付かナイで
社会的かつ生物学的な条件を
保つコトだけに奔走してる状態を
「若い」とか「青い」と言う

寓話と科学

幼少時に通ってた小児科医の待合室には
学研から出てたまんが『生きている地球』がおいてあった

宇宙が出来て
地球が生まれて
そこに生命が生じて
生物が進化してく

その過程がとても理路整然として描かれてたので大いに納得したが
子供の純粋無垢さを差し引いても疑いの余地がなかったから
記されてるコトが事実だと素直に信じられたのだった

ところが同じ頃に教会で教えられた「天地創造」の方は
自分にとっては釈然としナイ部分が多く
深く追求して質問すればするほど理不尽な回答しか得られず
とても歴史的事実だとは信じ難かった
いや、明らかに寓話だと断定できたのだった

そもそも自然に興味津々の子供で
花や鳥や虫が好きで図鑑が大好きだったせいもあり
現存する生物だけでも膨大な種類があるコトをよく心得てたので
そりゃあ「ノアの方舟」の話には合点が行くワケがナイw
総ての動物をつがいで方舟に乗せるなんてのは
文明の利器が揃った現代においてさえ物理的に全く不可能なのだから
それを真実だなんて受け止めようもなかった

だから「天地創造」の際に
あるいはノアが方舟に動物のつがいを詰め込む際に
【種】の数をカウントしてたなら
これらが寓話でしかナイコトがもっとはっきりと示せただろうにチッ(-д-)、
なんて舌打ちしてはひとりごちてた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかしサンタクロースを信じる子供は愛らしいし
その期待に応えようとしてサンタクロースを演じる親は更に愛らしい(*^^*)
その穢れなき魂のあり方は人として愛らしい!
穢れなき魂には罪はナイし愛らしいコトは美しきコトである!!
そんな美しい事態なら
サンタクロースを信じてナイコトを非難されるのも心地゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
こちらもあえて否定する気は毛頭ナイ

信じる信じナイは別としても
自分も神話や伝説の類が好ましいと思える性質ではあり
これらが夢や希望を与えてくれればどんなに不条理だって構わナイ

尤も寓話としての正しさは科学としての正しさとは全く逆なので
科学的に寓話を否定する余地などナイのだ
寓話を彩る迷信の類が近代に至って科学的に実証されるコトはままあるが
時空を経て継承される内にどんどん変化してった寓話は
原初のモノこそが正確だ
正確と言うのは内容が正しいかどうかでなく
例えばディズニーが改変した寓話は
アメリカ国民の能天気さに合わせてか悲劇的要素は排除され
時に悲劇もハッピーエンドの結末に書き換えられ
もはや原典とはまるで違ったモノになってしまってたりするが
寓話としては完全に間違ってる
(まあエンターテインメントとしては楽しませられれば何でもOKで
寓話としての真意を伝える必要なんかナイんだがね)

それに比べて科学となると
その時点での最新理論こそが最も正しい
とお互いが仮定して話を進めるし
それまでずっと正しいとされて皆が信じてたコトでも
実は正しくなかったと証明さえできれば
その証明を裏付ける新説の方が正しい、つまりは元の説は正しくナイ
そうなれば元の説は時代を経て顧みられなくなるモノだ

また寓話と科学は価値も正反対だ

寓話は多少辻褄が合わなくたって非現実的であったって
間違っていようもナイ類のモノで
そこに求めるのは何が正しいかでなく
先人の知恵だったり、信奉の根源的な挿話だったり
先述のディズニーならば単に愉しめる要素だ

反して科学は事象の実体の解明で
それが理性的、客観的、第三者的であるコトに意義がある
(但し、特に学会のような組織が確固たる権威を持つようになってから
権威主義によって価値が決まる場合もあり
極端な話、真偽を実証できナイ複数の説があったとしたら
最も権威ある学者の説が真偽以上にまかり通るコトもあった)

そういう根本的に成り立ちの違う寓話と科学が
同じ土俵でどちらが正しいか決着をつけようとするのは
その取り組み自体がナンセンスである

なので、サンタクロースの存在を信じる子供は無敵だ。(゚д゚lll)ギャボ

自分は無神論者で科学をよく勉強してたが
高校で「応用微生物」を勉強してる時にこんな風に愉しんだ

これらの生物も「天地創造」の時に神が創ったとしたら?
性別もナイ微生物をノアはつがいでなくてコロニーで方舟に詰め込んでたのか?
生物か非生物か不明のウイルスも方舟に乗れたのだから今に至るとしたら
どうやって箱舟に乗り込んだのだろうか?
そもそも神としてはウイルスを生物のつもりで創ったのか?

・・・次々と想像してたら仕舞いには噴出さずにはいられなくなるが
科学の概念で非科学的な物語に想いを巡らすのは愉しい(^▽^*)

どちらを信奉するかきちんと決める必要ナイし
決めたからって信奉しナイ方に敵対する必要ナイし
必要ナイコトを上手くできナイからってそれに対して懺悔するなんてのは
全くもって不要だと思うのだがそれを生真面目にやってたのが
このトルストイの『懺悔』だったりするのだ

懺悔 (岩波文庫 赤 619-0)

絶対に答えが出ナイ問題をずっと考えてたらツライ
世界の始まりはどうだったか?
どうやって生命は誕生したのか?
なぜ生物種はこれほどまでに多種多様なのか?
・・・etc.etc.なんてのは問題が大き過ぎるだけに
これはもうシラフで悩んでたらもれなく気が狂って当然だろう

以前読んだ時はトルストイに同調して
同じ真実の深淵に嵌って気が狂いそうになった・・・んでやめたヽ(゚∀。)ノ

深淵を彷徨い続けてはいけナイ
実際に深淵の虜となったニーチェなんかはもう・・・ヤヴァイ
抜けられナイ恐ろしさと虚しさでうっかり死にたくなったりするが
これでちょっと気がふれてて簡単に死ぬ方法があれば
もれなく死んでしまうからだ

嘔吐

同じ感覚をもっとよりリアルに味わうならサルトルの『嘔吐』だが
今読み返してみると全然リアル(現実的)ではナイね
なんせトルストイはもちろんサルトルも発想が庶民とは隔絶してて
それはとりもなおさず生活が庶民とは一線を画してたからだ

働けど働けど我が暮らし楽にならざりじっと手を見る

そんな啄木の気持が切実にわかるほどになると
『懺悔』も『嘔吐』も働かざる者の倦怠からくる憂愁だとわかる

原初の愛の物語

『七つの愛の物語』の巻頭の「はじめに」を読めばわかるが
著者はアメリカ人女性ダイアン・ウォークスタインで
なんとストーリーテラーを生業としてるとな。(゚д゚lll)ギャボ

ストーリーテラーてのは日本語的には語り部かね?!
もしくは現代の吟遊詩人・・・まるでホメロスのようだ・・・ホゥ(*-∀-)

七つの愛の物語―「イシスとオシリス」から「トリスタンとイゾルデ」まで

そんな彼女が謳ってるのはやはり古来からの神話や伝承で
彼女なりの解釈の再話が『七つの愛の物語』に収められてるのだろう

  • はじめに
イシスとオシリス
百万年の太陽の船
イナンナとドゥムジ
聖なる結婚
シヴァとサティー
宇宙の永遠の舞踏
雅歌
私を連れていってください、さあ急いで!
プシュケーとエロース
愛の探求はよろこびをもたらす
ライラーとマジュヌーン
ただ愛のために愛させてください!
トリスタンとイゾルデ
ひとりの男、ひとりの女
  • 訳者あとがき

自分としては目当ての「トリスタンとイゾルデ」では
媚薬または惚れ薬を飲まずに自然に愛し合って欲しかったのだが
ある意味その部分は忠実に再現したのでがっかりだった。(´д`;)ギャボ

愛し合う2人だから引き離されてしまうコトが試練なのだが
試練のために愛し合うように仕向けられるのは変だ

それにしてもどの物語でも愛し合う2人の間には必ず試練があるが
ただ愛し合うのがなぜこんなにも困難なのか?

むしろ愛し合えナイ状況だからこそ、より求めてしまうのか・・・?

心に求める人を追い続けるのが恋愛だが
求める人と結ばれるコトを願いつつ
叶わずとも想い続ければやはり成就なのだと自分は確信してる

だがしかし!
愛する人と共にありたい
そんな至福を夢見るから現実が霞んで不幸になるとも思える
夢を見るより現実に努力をした方が少なくとも不幸にはならナイのでは?!

それでも夢を追わなければ現実を乗り切る勇気もナイのが
人間の弱さで
夢が叶わなくても見続けて、現実がどんな結果に終わろうとも本望だと納得できるのが
人間の強さでもある

原初の愛の物語に魅せられて
愛する相手に想いを馳せるための究極の1冊だな(*^^*)

『旧約聖書』の中で教義とは無関係に存在してる感がある「雅歌」は
この物語を読むまではすっ飛ばしてたのだが
こんなに酔い心地になるような愛の言葉が詠われてたとは知らなんだ(゚*゚;)

その唇でくちづけを。
あなたの愛はワインよりもすてき。

から始まり

わたしをあなたの胸に刻みつけてください、印章のように。
あなたの腕に、印章のように。

とか打たれるるる~・・・バタリ ゙〓■●゙

いとしのレイラ

ところで「ライラーとマジュヌーン」は
アラビア人(ペルシア人、セム族)に伝わる悲恋物語だが
このライラーはエリック・クラプトンの『Layla(邦題:愛しのレイラ)』のモデルだ

族長の跡継ぎとなるべく生まれたカイースは
眉目秀麗にして優秀な子供だったが
転校生のライラー(※)に一目惚れしてしまい
彼女の名を叫ばずにはいられなくなって遂には狂ってしまう
内容とはあまり関係ナイがライラーの名は「夜」を意味する

マジュヌーンは「狂人」の意だ(-_-;)

カイースの父親はライラーへの熱情を冷まそうと巡礼に連れて行くが
逆効果でこんな祈りを捧げてしまう

おお、神さま、ぼくの恋を癒さないで、むしろぼくの熱情を育ててください!
ただ愛のために愛させてください!
ぼくに残されている命をすべて取りあげて、ライラーに与えてください。
ぼくの愛を今日よりも百倍も大きなものにしてください!

ライラーの方も実はマジュヌーンに好意を抱いてたのだが
そこはそれ、イスラム圏の慎み深い女性なので
結局はそのまま嫁してしまい
絶望したマジュヌーン(となったカイース)は砂漠を彷徨う

そのまま(紆余曲折はあれど)最期を迎えるライラーと
それを知って後を追うように死ぬマジュヌーン

なんかもうね、不毛過ぎて悶え死にしそうな話なのだよヽ(゚∀。)ノ
そんな物語にあの旋律を当てるのはクラプトンてばさすがだ!

しかしそうなると歌詞の冒頭の部分は狂人の妄想なのか。(゚д゚lll)ギャボ
いずれにせよ、狂人になるほど一人の女だけを愛する男なんて
現実にはいやしナイワケでそこからして妄想か。(´д`;)ギャボ

それにしてもこの「ライラーとマジュヌーン」は
今となっては邦訳されてた東洋文庫の「ライラとマジュヌーン」が絶版で
アマゾンでも凄い値段がついてたりするが
偶然にもこの『七つの愛の物語』をゲトできた自分てラッキーヽ(´▽`)/

『旧約聖書』の「創世記」のあらすじ

時代を超越した世界的な大ベストセラーの本といえば
キリスト教の経典とされてる聖書だろうが
その中で最もよく読まれてるのは
恐らく『旧約聖書』の冒頭にある「創世記」かと思われ

「創世記」の構成は第1章から第3章が天地創造アダムとイヴ堕罪(失楽園)
第4章がカインとアベル
第6章からがノアの方舟で第9章まで続き
第11章にバベルの塔が出てくるが
この辺りはキリスト教圏の人間には常識の範疇だし
聖書に馴染みの薄い日本人でもあらすじくらいは知ってるかね?

ヤハウェ神は6日かけて世界を作って、7日目に休んだ

神が最初にこしらえた人間はアダムとゆー男で
そのあばら骨からイヴとゆー女を作成し
エデンの園なる楽園に裸のまま住まわせるが
蛇に誘惑されたイヴは禁断の果実を食べてしまい
これをアダムにも食べさせた

アダムとイヴは裸を恥じるようになって
慌てていちじくの葉で局所を隠し
その様子から禁忌を犯したコトが神にバレたので
罰として楽園から追い出される羽目に・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
しかもアダムには働く使命とイヴには産む使命が課され
ついでに蛇も忌み嫌われるように仕向けられた

エデンを後にしたアダムとイヴは2人の男の子を儲け
カインとアベルと名付けて育てたが
長じて、兄カインは嫉妬から弟アベルを殺害してしまう。(゚д゚lll)ギャボ
神ヤハウェがカインにアベルの居場所を問うと
知りません、と人類初の嘘をついた。(´д`;)ギャボ
カインはエデンの東のノドに追放されるがその息子がエノクで
更にその息子がメトシェラでその息子がレメクで
その息子ノアまで縦系図が続くのだった

ノアはヤハウェに促されて方舟を作り
これに総ての動物の番(つがい)を乗せて大洪水をやり過ごし
地上に取り残された邪悪なモノは滅びた・・・と
そしてノアの息子たちセム、ハム、ヤペテが
ヤハウェに与えられた各地に移住した

バベルの塔はそれから後の話で
人間たちが新しい技術で天に届く高い塔を作ろうとしたが
もちろんそんな塔は作れなかった

☆・・・☆・・・☆

創世記は英語でGenesisで
イギリスにはそんな名前のバンドがあり
たまたま前回12月の某所セッションにおいて
GenesisのMamaを歌いたいと希望してたのが叶わなかったが
今回2月の同セッションでは別の曲(That’s All)を歌うコトになった

Genesis

こういう時ってのは必ず何かシンクロするモノで
アダムとイヴの赤裸々な独白録『アダムとイヴの日記』を
電子書籍版で見つけて(※)購入した(紙の書籍でも持ってるがw)
見つけたのは今年になってからだが出たのは昨年末

当然ながら、マーク・トウェインの創作(法螺話)だが
そうとわかってても読み進んでる内に真実味を帯びてくるのは
男と女ってこういうモノだよな、と納得させられるからだヽ(゚∀。)ノ

自分が思うに(以下、教義的な解釈からは逸脱してしまうが)
アダムとイヴはエデンの園なる楽園にいたが
これって動物が動物園の檻の中に飼われてるのに等しく
そこには人間としての尊厳はナイ

トウェインのアダムは無機的な日常を好み
変化をこそ煩わしく思うようなボンクラな性質なので
問題がなければ何の疑問も感じずに生きて行けるだろうが
情緒的なイヴは平穏な日々に嫌気が差してしまい
自身の存在意義を問うようになるるる~

レヴィ・デュルメルのパステル画のエヴァ(※)は
初めて見た際にはトウェインのイヴがモデルかと思った
なんせアダムとイヴを描いた絵画は宗教画であれ芸術作品であれ
イヴが無表情に描かれてるのが常だからして
豊かな髪を弄ぶように身体に絡ませて
官能に身を委ねてるかのような煽情的な表情なのは珍しい
イヴのフランス語読み

そもそも画面上にはボンクラなアダムもいなければ
蛇も精密に描かれてるワリには存在感が希薄だったりするので
これが無垢なはずのイヴであるとは一目ではわからんて(-_-;)
どう見ても蛇にそそのかされて罪を犯す従順な女には見えナイし
むしろ蛇を共犯者にしようと目論む確信犯のように
不敵な笑みさえ浮かべてるではナイか?!

またたわわに実った禁断の果実の鮮やかな橙色は魅惑的で
重厚な質感が罪の重さを物語ってるかのよう!
悪事とはなんて甘美な果実なのだ!!

それにしてもこのエヴァが不可思議のは
果実を手にしながらも気にもとめてナイ様子で視線さえ向けてナイ点だ
つまり、もれなく果実を食べたかったのではなく
単に禁忌を破りたかったのではなかろうか?

そうなるとこのエヴァにとって禁断の果実を口にするコトは
退屈な楽園におけるスリリングな非日常体験であり
誘惑者エヴァにまんまと陥れられたのが蛇とアダムなのでは???

アダムの日記とイヴの日記

旧約聖書の「創世記」のアダムとイヴがつけてた日記が発見されて
それをマーク・トウェインが解読したのが本書である(※)
参照:アダムとイヴの日記の冒頭の注

冒頭にそんな注があって、ページをめくると
全ページの構成は正しく絵日記で
見開きの片方が絵(原典)でもう片方が文章(トウェインによる訳)

「アダムの日記」では粘土板にアダムが自ら彫ったモノとされてて
実はストロスマン(F. Strothmann)が描いたと解説にあり
「イヴの日記」の方はイヴが描いたとゆー設定ではナイようだが
(ハテ?それならトウェインは何を解読したのだ?)
解説には引き続きストロスマンと契約してたが
最終的にはレスター・ラルフ(Lester Ralph)が描いたとある

The Complete Diaries of Adam and Eve

「アダムの日記」は72ページ、「イヴの日記」は78ページで
全150ページの半分は絵で本文は実質75ページだったりするのだが
本文正味75ページに対して15ページも「解説」があり
そこで「アダムの日記」と「イヴの日記」が
元々1冊の本には収録されてなくて、年代的にもバラバラに書かれてて
それが一作品にまとめられるようになった経緯が
トウェインの生涯と絡めて語られてて
自伝からの抜粋など興味深い表現が随所に挿入されており
本文で純粋に涙した後で「解説」で改めて深い感動に見舞われるるる~

☆・・・☆・・・☆

古本屋に行くのは出会いがあるからだが
稀に形を変えた再会なんてのもあり
岩波文庫の『イヴの日記―他五篇』がまさにそれだった

日本では今世紀に入って以降
マーク・トウェインの『アダムとイヴの日記』は絶版状態で
大久保博訳の福武文庫版が1995年に出たのが最後だった
自分は同じく大久保博訳を旺文社文庫版で持ってたのだが
他の訳でも読んでみたかったし
この岩波文庫版は1988年の版でも旧仮名遣い(※)だったので
美しい物語を読むのに似つかわしく思えて即購入した
新仮名遣いで粗雑な口語体だと一言一句に心がささくれてしまうのでねw
岩波文庫では21世紀になっても旧仮名遣いのままなんてのがよくある
なので、これは1988年の版で驚くに値しナイ、初版発行は1952年だしね

訳者は龍口直太郎・・・目新しい名だった
てか、既に「たつのくち なおたろう」とは読めなかったのでググったが
戦後の日本においてアメリカ文学の翻訳を多く手がけてた人で
なるほど米文学自体に馴染みが薄いので知らなかった

読んでみて龍口の訳も自分は大いに気に入ったが
やはり読みやすさでは大久保訳だろう
しかし訳以上に味わい深さに差異を感じるのは
『アダムの日記』も『イヴの日記』も
日記ではなく絵日記であるトコロにあるので
旺文社文庫版では見開き毎にある挿絵が
岩波文庫版には数枚しかナイのが痛恨のミスと言うか・・・
龍口自身も解説でそのコトを惜しがってるので
何らかの事情があったのだろうから責めるまでもナイが残念だ。(´д`;)ギャボ

The Diaries of Adam and Eve

むしろこの岩波文庫版を手にして初めて気付いたが
旺文社文庫版にはオリジナル・イラストが総て収録されてて
訳者大久保による解説と詳細な年譜が充実した完全版なのだった!

大久保は法政大のアメリカ文学教授で
トマス・ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』の翻訳も手がけてるが
英国文学ヲタ全開のブルフィンチの注解に対して
大久保の訳注が更に充実してるのが凄い・・・ホゥ(*-∀-)

また「解説」に続く17ページに渡る「年譜」が大久保ならではで
同時代の文学史や世相と照合できるモノになってて

☆福沢諭吉生まれる
☆ヴィクトリア女王即位
☆ダーウィン「種の起源」
☆ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」

などと併列表記されて
時間と空間とが噛み合う良く出来た作りだ

そんなだから1987年に旺文社文庫自体がなくなってしまって
この完全版が一時は運命を共にしたのだが
福武文庫が引き継いで再刊したのだろうと思うが・・・
今世紀には、福武文庫自体もなくなってしまったのだったヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

ここ1年で電子書籍を300タイトルほど購入したが
半分は紙の書籍でも持ってるモノだったりで大半は既読だ
電子書籍ストアは古本屋と似てるのだが
出会いよりも再会・・・形を変えた再会の頻度が高く
要するに同じ本の別の訳を購入しやすいのだ♪

アランの『幸福論』やプラトンの『饗宴』
ランボーの詩集などを訳者違いで何冊も揃えても
収納に悩まずに済むし、読み比べるのも手元の操作だけで済む

SONY Reader Storeで『アダムとイヴの日記』が
佐山栄太郎訳のグーテンベルク21版であったので
即ポチで購入したら、挿絵が全く入ってなかった。(゚д゚lll)ギャボ
とはいえ、ナイからこそPDF仕様のファイルではなくて
文字の大きさを好きに調整して読めるし
線引き、メモ書き、Evernoteへの送信も可能なのだがね

旺文社文庫岩波文庫グーテンベルク21
形式XMDFファイル
訳者大久保博龍口直太郎佐山栄太郎
挿絵オリジナル完全版オリジナル数枚無し
他の
収録作
無しアロンゾとロザナアの戀
山彦
キャリフォーニヤ人の話
奇妙な経験
無し
その他
後に福武文庫より再刊されたがこれも絶版
旧仮名遣い
なので「山彦」の[彦]も「経験」の[経]も旧字
出版協同社の『マーク・トウェーン短篇全集』の【第3巻】に収録されてた
購入先
リンク
旺文社文庫版
福武文庫版
岩波文庫版グーテンベルク21版
(SONY Reader Store)

ところでアマゾンKindleでは『アダムとイヴの日記』は
いずれの版も未だ電子書籍化されてナイが(2015/8/28修正)原題で検索したらあった

The Diaries of Adam and Eve and Other Stories

そして実は「アダムの日記」はネット上で公開されてるるる~
Extracts from Adam’s Diary by Mark Twain
ちなみに、タイトルに Extracts from~ とあるのは
別に「アダムの日記」の完全版があるワケでなく
トウェインがわざといかにもでっち上げの法螺話に倣って(?)
「アダムの日記抄」としてるだけっす・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

☆追記…

アマゾンKindle版が出てた(2015/07/25)

出たのは角川書店からでも
旺文社文庫や福武文庫と同じく挿絵全部入りの完全版で
しかも挿絵と文章は別ページ=別ファイルとなってて
テキストのフォントサイズの調整は可能

泣ける物語。・゚・(ノД`)・゚・。(アダムとイヴの日記)

何度でも読んでしまい、その度に泣いてしまう(;つД`)
読むのが辛いような幸せなような・・・でも好きで読まずにいられナイ小説
なんてゆー愛読書を持ってる自分は幸せ者だ

オスカー・ワイルドの『幸福な王子』なんぞは
幼少の砌より100回は読んでるだろうが泣けなかったコトはナイ

マーク・トウェインの『アダムとイヴの日記』も
『幸福な王子』に次いで繰り返し読んでて
最期のアダムの一言で毎度泣いてしまってるのだが
むしろそのキメ台詞を承知してるからこそ
そろそろくるるる~、と思うだけで
フライングでクライングなのだ←英語で韻を踏んでみたw

よくネタバレを気にしてレビューで多くを語らナイ人がいるが
そもそも1度読んでネタがバレたら2度目にそうとわかって読むと面白くナイ
なんて本は換言すれば再度読む必要がナイつまらナイ本なのだよw
読みたい本を全部読めるほど長くナイ人生において
そんな本は最初から読まナイに限ると思われ。(´д`;)ギャボ
その分『幸福な王子』や『アダムとイヴの日記』を
繰り返し読む方が有意義だろうて

てなワケで以下はネタバレ含むあらすじ

☆・・・☆・・・☆

『アダムとイヴの日記』の概要は
2編の小説「アダムの日記」と「イヴの日記」からなり
同じ日の出来事を別々に綴ってるのだが
アダムとイヴでは表現が全然違ってて、その対比が面白い♪

その差は男と女の目線の捉え方の違いであり
考え方、感じ方の相違だ

アダムの日記は一言で片付ければ・・・「朴訥」
ただ内容の浅はかさのワリに居丈高なので
純朴さからくる愛らしさなどは全く見受けられナイがなw
人類初の男が勘違いの甚だしいボンクラだったなんて
とりあえず女よりは出来るつもりの男尊女卑を是認してる男には
愚弄されてるようで憤懣やるかたナイだろうが
そういう男こそアダムに共感できるのか。(゚д゚lll)ギャボ

これに対して、比較するのもどうかと思えるほど
イヴの日記は詩的なのだ
自然に対する好奇心や美への憧憬を綴ってるが
その感情の繊細さと表現力の豊かさに心打たれるのだ
しかも何か発見しては自身で昇華させてる点が科学的でもあり
なんて素敵な女性かと溜息を漏らさせる・・・ホゥ(*-∀-)

だからイヴは堕罪による失楽園の後に
エデンの園(神から与えられた幸福)を失ったが
アダム(幸福を与えたり分け合いたい相手)を見出し
初めて生きる目的を持てたのだ

片や、相変わらず冴えナイアダムなのだが
イヴはどれほど「理由もなく」彼を愛してるか
切なくて胸が張り裂けそうになる・・・
いや、アダムとイヴは相思相愛でナイワケではナイのだが
イヴが積極的に愛したのに比べて
アダムはそれを受け入れてるだけのように感じてしまうのだ
温度差が違うカンジがね

でも最後にイヴの墓の前でアダムはこうつぶやく

たとえどこであろうと、彼女のいたところ、そこがエデンだった。

☆・・・☆・・・☆

読む度にアダムの最後の一言で泣くのだが
解釈は毎度同じなワケではナイ

初めて読んだ時には100%イヴの悲恋に対して泣けた

たとえどこであろうと、彼女のいたところ、そこがエデンだった。

アダムは・・・男はそんなモノなのだろうか?
神から与えられた至福のエデンを失ったら
女から与えられるエデンでも我慢するしかなく
でもそれさえも失ってしまった!
そういう嘆きだとしたらイヴは報われなくて可哀想過ぎ!!

しかしアダムの気持ちを推し量れるようになった今は
アダムの喪失感に対しても涙するようになった

アダムにとってイヴは「人間として見合った幸せ」で
イヴほど情熱的に見えずとも
アダムにも彼女への深い愛情があったに違いナイ

仮に神からアダムだけが許しを得て
1人でエデンに戻るように促されたとしても
イヴが一緒でなければきっと戻らナイはず
そう思えるようになったからだ

☆追記…

今世紀始まって以来、完全版はずっと絶版状態で入手困難だったのが
アマゾンkindle、その他の電子書籍で入手可能になった
このページのトップ画像からはアマゾンkindleのページにリンク

旺文社文庫岩波文庫グーテンベルク21
形式XMDFファイル
訳者大久保博龍口直太郎佐山栄太郎
挿絵オリジナル完全版オリジナル数枚無し
他の
収録作
無しアロンゾとロザナアの戀
山彦
キャリフォーニヤ人の話
奇妙な経験
無し
その他
後に福武文庫より再刊されたがこれも絶版
旧仮名遣い
なので「山彦」の[彦]も「経験」の[経]も旧字
出版協同社の『マーク・トウェーン短篇全集』の【第3巻】に収録されてた
購入先
リンク
旺文社文庫版
福武文庫版
岩波文庫版グーテンベルク21版
(SONY Reader Store)

聖書VS.世界史

本屋で新書として平積みになってた中に
岡崎勝世の著書『科学VS.キリスト教』があったのを発見!

科学vs.キリスト教 世界史の転換 (講談社現代新書)聖書VS.世界史 (講談社現代新書)世界史とヨーロッパ (講談社現代新書)

同著者による『聖書VS.世界史』はお気に入りの1冊で
最近になって電子書籍でも購入し直したくらいだったので
買う気満々で1度は手に取ったが
電子書籍でも出るかもしれナイと考え直し
ググってみたらkindleでは早くも今週末に発売となってた!
できればSONY Readerの専用端末で読みたいので
まあ慌ててアマゾンでポチらずとも・・・

☆・・・☆・・・☆

小学校に上がる前から地質時代年表を諳んじてたが
それとは別に世界中にある創世神話が大好きで
『旧約聖書』の「創世記」もその内の一つとして愉しんでた

その後、テレビでアニメ『ギャートルズ』を観て
そんな状態がいつからいつまでだったのかに疑問を持って以来
文明の創生期を科学的に解明する方が興味深くなった

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)はじめ人間ギャートルズ vol.1  (アニメ) モバコン(ワンセグ携帯端末対応コンテンツ入りSDカード) CTAN-308372世界史B用語集 改訂版

すぐに山川出版の『世界史用語集』によって
1万年前くらいから古代国家の設立直前までが『ギャートルズ』で
古代国家としては約五千年ほど前のモノが最古だと知って
誕生から現在に至る地球の歴史を認識して
その時に構築された世界観が今もほぼ変わらずにある

当時は併行して母親からキリスト教の信仰も勧められたが
母親は幼かった自分から見ても物知らずで見識の狭い女だったので
そんな女が救いを求めて縋ってるモノは胡散臭く感じたし
実際にシスターの信仰心の根源が胡散臭過ぎて
拒絶して然るべきと毅然と突っぱねた

「シスター、他の宗教は信じず、キリスト教だけを信じるのはなぜです?」

「蘇った人間はイエス・キリストだけだからです」

ポカーン。(゚д゚;)

こういうのを「講釈師、見てきたような嘘を言い」てんだw

逆に仏壇と神棚に向かって手を合わせてる祖母に聞いてみた

「神様とか仏様とか信じてるの?」

「仏壇も神棚もご先祖から受け継いでくモノだよ」

ポカ~ン。(゚ o ゚*)

例え、血縁関係がなくとも、縁あって家族になったのだから
引き会わせてくれた感謝の気持ちを伝えてくのだ、とは
実に日本人らしい清らかな信仰心に思えた

妄信してる人間と信じてなくても気持ちを汲む人間と
後者の方が美しく感じたので祖母に賛同した

そうして信仰として受け入れたくなかったからこそ
矛盾してる部分を指摘するためにも聖書の読破を試みたのだが
読み終える頃には学問(※)の対象として捉えてて
思えばスコラ哲学に目覚めたのはこの時だったのかもしれナイ
宗教・思想・哲学・民俗学・古代史などの様々な分野が含まれる

☆・・・☆・・・☆

『聖書VS.世界史』はそのタイトルが表す通り
聖書が伝える普遍史と実質の世界史との食い違いをVS.としてて
原理主義者(※)が中国のような聖書にはナイ古代国家を
なんとか普遍史に辻褄合わせしようと躍起になってる過程が
傍から見てると滑稽でおかしいw
聖書の記述を頑なに信じてる信者

ヨーロピアンの中世までの選民意識はマジキチとしか言いようがナイ
元々何の根拠もナイのに奢り高ぶり
それを正当化するために狂信的に奔走するのだが
無理を通せば道理が引っ込む、てのはこいつらのためにある言葉だな。(´д`;)ギャボ

アイザック・ニュートン―すべてを変えた科学者 (ビジュアル版伝記シリーズ)プリンキピアを読む―ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか? (ブルーバックス)光学 (岩波文庫 青 904-1)

特に後半部分でおもしろいのが
ガチでキリスト教を妄信する物理学者アイザック・ニュートンが
普遍史の中に世界史を組み込もうと科学的証明を試みてるが
盲目的に信奉してる宗教の正しさを確証するために
科学的・理性的に弁護してるのなんて、スコラ哲学臭プンプンだ。(゚д゚lll)ギャボ

タイトルからすると聖書と世界史ではどっちが正しいか
結論を導く道程が書かれた本だと思ってたが
聖書の普遍史から、実際の世界史へのこじつけが
ヨーロッパではどうやってまかり通ってきたかの変遷で
むしろその時代における認識の過程についてが記されてるるる~

それにしてもキリスト教信者は
どうしてこうもユダヤ教の経典(旧約聖書)に拘るのかw
信仰の対象であるイエス・キリストはユダヤ人でユダヤ教徒だったが
未だに当のユダヤ人はイエス・キリストが神の子だと認めてナイのに
なぜ勝手にキリスト教の経典にしてるのだろうヽ(゚∀。)ノ
その根本的に履き違えた部分を念頭において読み進むと
食い違ってる歴史的事実の方を捻じ曲げてるようにしか見えず
キリスト教信者の空回りしてるのが虚しさ一入である(-人-;)ナムアーメン

極論を言えば
キリスト教徒こそがキリスト教を曲解してる気が・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

  • プロローグ
  • 世界史年代表
【第1章】普遍史の成立
[第1節]聖書の描く人物史
聖書の構成
人類史の第一期=ノアの大洪水まで
第二期=ユダ王国滅亡まで
第三期=四世界帝国の時代
「終末」とヨハネの黙示録
聖書の種類
[第2節]キリスト教年代学と普遍史の成立
キリスト教の成立
エウセビオスとヒエロニムス
カルデア人の古さの問題
アッシリアの問題
エジプト人の古さの問題
アウグスティヌスの「神の国」
「第四の国」=ローマ帝国
古代的普遍史の集大成
キリスト教擁護活動として
始点と終点のある時間
終末観と人類史6000年間の観念
三大陸からなる平円盤状の世界観
「化物世界誌」の継承
【第2章】中世における普遍史の展開
[第1節]キリスト紀元の発生
種々の年号
ディオニシウス・エクシグウス
ディオニシウスの算定方法
イングランド教会の役割
キリスト紀元使用の一般化
[第2節]中世における普遍史叙述
ベーダの年代記
ベーダの役割
オットー・フォン・フライジングと中世的普遍史の完成
楕円ヨーロッパ
オットーの使用した年号
12世紀を代表する世界史
[第3節]中世の化物世界観と普遍史
TO図
ヘレフォード図による普遍史の図像化
化物世界誌
イシドールス「語源論」の世界
東西交流の再開
マルコ・ポーロ
化物世界誌にからめ取られた新情報
マンデヴィルの「東方旅行記」
「カタロニア図」の世界
妖怪変化に満ちた世界
【第3章】普遍史の危機の時代
[第1節]ルネサンスと普遍史の危機
イタリア・ルネサンスとマキャベリ
「政治的世界」の発見
「人間の発見」
新しい歴史観
エジプト史の亡霊
ヘロドトスの描くエジプト史
ディオドールスの描くエジプト史
マネトの再生
[第2節]宗教改革と普遍史の危機
ヨハネス・スレイダヌス
プロテスタントの代弁者として
聖書をめぐる議論の新時代
年代学論争と聖書の批判的研究の開始
トマス・ホッブズ
スピノザ
リシャール・シモン
[第3節]大航海時代と普遍史の危機
コロンブスによる「人間」の発見
新大陸の認知
メルカトルの世界図
インディアンはアダムの子孫
バリャドリの論戦
モンテーニュ
様々なインディアン起源論
アコスタのアジア起源説
危機を持ちこたえた普遍史
[第4節]中国史の古さの問題と普遍史の危機
ポルトガル人と中国
イエズス会の中国布教
メンドーサ「シナ大王国誌」
マルティニ「中国古代史」
パスカルと中国
ライプニッツと中国
フォシウスの問題提起
ゲオルク・ホルンの解決策
ホルンの後継者たち
[第5節]科学革命と普遍史の危機
ニュートンの世界史叙述
天文学による年代決定
エジプト史の短縮
預言の研究
プロテスタント的普遍史
ニュートンの時間と世界
アリウス派だったニュートン
歴史学における位置
[第6節]年代学論争
スカリゲル「時間修正論」と年代学の形成
ユリウス周期
スカリゲルの年号体系
プロテスタントとカトリックの「時間」を巡る争い
「時間論の宝庫」とエジプトの問題
ペタヴィウス
アッシャー
ボシュエ
ペズロン
【第4章】普遍史から世界史へ
[第1節]啓蒙主義的世界史の形成
ヴォルテールによる歴史学のコペルニクス的転回
ニュートン物理学的な時間
年号表記の問題
普遍史的世界の否定
中国の問題の意味の変化
[第2節]普遍史の崩壊
ケラーと「古典的三区分法」
ガッテラーとゲッティンゲン学派
「普遍史序説」
「世界史」での変化
普遍史の自己の歩み
シュレーツァーと世界史
創世紀元の否定
キリスト紀元の自立と「古典的三区分法」
創世紀元の重み
聖書の批判的研究の新展開
ミハエリス
【第5章】普遍史と万国史
[第1節]「史畧」と「萬國史畧」
明治初期の世界史教育
紀元論、凡ソ四千年ノ頃ニ当リテ
「萬國史畧」の底本
「パーレー萬國史」の位置
[第2節]明治政府と万国史
洋学の状況
精神構造の一致
  • エピローグ