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『七つの愛の物語』の巻頭の「はじめに」を読めばわかるが
著者はアメリカ人女性ダイアン・ウォークスタインで
なんとストーリーテラーを生業としてるとな。(゚д゚lll)ギャボ

ストーリーテラーてのは日本語的には語り部かね?!
もしくは現代の吟遊詩人・・・まるでホメロスのようだ・・・ホゥ(*-∀-)

七つの愛の物語―「イシスとオシリス」から「トリスタンとイゾルデ」まで

そんな彼女が謳ってるのはやはり古来からの神話や伝承で
彼女なりの解釈の再話が『七つの愛の物語』に収められてるのだろう

  • はじめに
イシスとオシリス
百万年の太陽の船
イナンナとドゥムジ
聖なる結婚
シヴァとサティー
宇宙の永遠の舞踏
雅歌
私を連れていってください、さあ急いで!
プシュケーとエロース
愛の探求はよろこびをもたらす
ライラーとマジュヌーン
ただ愛のために愛させてください!
トリスタンとイゾルデ
ひとりの男、ひとりの女
  • 訳者あとがき

自分としては目当ての「トリスタンとイゾルデ」では
媚薬または惚れ薬を飲まずに自然に愛し合って欲しかったのだが
ある意味その部分は忠実に再現したのでがっかりだった。(´д`;)ギャボ

愛し合う2人だから引き離されてしまうコトが試練なのだが
試練のために愛し合うように仕向けられるのは変だ

それにしてもどの物語でも愛し合う2人の間には必ず試練があるが
ただ愛し合うのがなぜこんなにも困難なのか?

むしろ愛し合えナイ状況だからこそ、より求めてしまうのか・・・?

心に求める人を追い続けるのが恋愛だが
求める人と結ばれるコトを願いつつ
叶わずとも想い続ければやはり成就なのだと自分は確信してる

だがしかし!
愛する人と共にありたい
そんな至福を夢見るから現実が霞んで不幸になるとも思える
夢を見るより現実に努力をした方が少なくとも不幸にはならナイのでは?!

それでも夢を追わなければ現実を乗り切る勇気もナイのが
人間の弱さで
夢が叶わなくても見続けて、現実がどんな結果に終わろうとも本望だと納得できるのが
人間の強さでもある

原初の愛の物語に魅せられて
愛する相手に想いを馳せるための究極の1冊だな(*^^*)

『旧約聖書』の中で教義とは無関係に存在してる感がある「雅歌」は
この物語を読むまではすっ飛ばしてたのだが
こんなに酔い心地になるような愛の言葉が詠われてたとは知らなんだ(゚*゚;)

その唇でくちづけを。
あなたの愛はワインよりもすてき。

から始まり

わたしをあなたの胸に刻みつけてください、印章のように。
あなたの腕に、印章のように。

とか打たれるるる~・・・バタリ ゙〓■●゙

いとしのレイラ

ところで「ライラーとマジュヌーン」は
アラビア人(ペルシア人、セム族)に伝わる悲恋物語だが
このライラーはエリック・クラプトンの『Layla(邦題:愛しのレイラ)』のモデルだ

族長の跡継ぎとなるべく生まれたカイースは
眉目秀麗にして優秀な子供だったが
転校生のライラー(※)に一目惚れしてしまい
彼女の名を叫ばずにはいられなくなって遂には狂ってしまう
内容とはあまり関係ナイがライラーの名は「夜」を意味する

マジュヌーンは「狂人」の意だ(-_-;)

カイースの父親はライラーへの熱情を冷まそうと巡礼に連れて行くが
逆効果でこんな祈りを捧げてしまう

おお、神さま、ぼくの恋を癒さないで、むしろぼくの熱情を育ててください!
ただ愛のために愛させてください!
ぼくに残されている命をすべて取りあげて、ライラーに与えてください。
ぼくの愛を今日よりも百倍も大きなものにしてください!

ライラーの方も実はマジュヌーンに好意を抱いてたのだが
そこはそれ、イスラム圏の慎み深い女性なので
結局はそのまま嫁してしまい
絶望したマジュヌーン(となったカイース)は砂漠を彷徨う

そのまま(紆余曲折はあれど)最期を迎えるライラーと
それを知って後を追うように死ぬマジュヌーン

なんかもうね、不毛過ぎて悶え死にしそうな話なのだよヽ(゚∀。)ノ
そんな物語にあの旋律を当てるのはクラプトンてばさすがだ!

しかしそうなると歌詞の冒頭の部分は狂人の妄想なのか。(゚д゚lll)ギャボ
いずれにせよ、狂人になるほど一人の女だけを愛する男なんて
現実にはいやしナイワケでそこからして妄想か。(´д`;)ギャボ

それにしてもこの「ライラーとマジュヌーン」は
今となっては邦訳されてた東洋文庫の「ライラとマジュヌーン」が絶版で
アマゾンでも凄い値段がついてたりするが
偶然にもこの『七つの愛の物語』をゲトできた自分てラッキーヽ(´▽`)/

本屋で新書として平積みになってた中に
岡崎勝世の著書『科学VS.キリスト教』があったのを発見!

科学vs.キリスト教 世界史の転換 (講談社現代新書)聖書VS.世界史 (講談社現代新書)世界史とヨーロッパ (講談社現代新書)

同著者による『聖書VS.世界史』はお気に入りの1冊で
最近になって電子書籍でも購入し直したくらいだったので
買う気満々で1度は手に取ったが
電子書籍でも出るかもしれナイと考え直し
ググってみたらkindleでは早くも今週末に発売となってた!
できればSONY Readerの専用端末で読みたいので
まあ慌ててアマゾンでポチらずとも・・・

☆・・・☆・・・☆

小学校に上がる前から地質時代年表を諳んじてたが
それとは別に世界中にある創世神話が大好きで
『旧約聖書』の「創世記」もその内の一つとして愉しんでた

その後、テレビでアニメ『ギャートルズ』を観て
そんな状態がいつからいつまでだったのかに疑問を持って以来
文明の創生期を科学的に解明する方が興味深くなった

旧約聖書 創世記 (岩波文庫)はじめ人間ギャートルズ vol.1  (アニメ) モバコン(ワンセグ携帯端末対応コンテンツ入りSDカード) CTAN-308372世界史B用語集 改訂版

すぐに山川出版の『世界史用語集』によって
1万年前くらいから古代国家の設立直前までが『ギャートルズ』で
古代国家としては約五千年ほど前のモノが最古だと知って
誕生から現在に至る地球の歴史を認識して
その時に構築された世界観が今もほぼ変わらずにある

当時は併行して母親からキリスト教の信仰も勧められたが
母親は幼かった自分から見ても物知らずで見識の狭い女だったので
そんな女が救いを求めて縋ってるモノは胡散臭く感じたし
実際にシスターの信仰心の根源が胡散臭過ぎて
拒絶して然るべきと毅然と突っぱねた

「シスター、他の宗教は信じず、キリスト教だけを信じるのはなぜです?」

「蘇った人間はイエス・キリストだけだからです」

ポカーン。(゚д゚;)

こういうのを「講釈師、見てきたような嘘を言い」てんだw

逆に仏壇と神棚に向かって手を合わせてる祖母に聞いてみた

「神様とか仏様とか信じてるの?」

「仏壇も神棚もご先祖から受け継いでくモノだよ」

ポカ~ン。(゚ o ゚*)

例え、血縁関係がなくとも、縁あって家族になったのだから
引き会わせてくれた感謝の気持ちを伝えてくのだ、とは
実に日本人らしい清らかな信仰心に思えた

妄信してる人間と信じてなくても気持ちを汲む人間と
後者の方が美しく感じたので祖母に賛同した

そうして信仰として受け入れたくなかったからこそ
矛盾してる部分を指摘するためにも聖書の読破を試みたのだが
読み終える頃には学問(※)の対象として捉えてて
思えばスコラ哲学に目覚めたのはこの時だったのかもしれナイ
宗教・思想・哲学・民俗学・古代史などの様々な分野が含まれる

☆・・・☆・・・☆

『聖書VS.世界史』はそのタイトルが表す通り
聖書が伝える普遍史と実質の世界史との食い違いをVS.としてて
原理主義者(※)が中国のような聖書にはナイ古代国家を
なんとか普遍史に辻褄合わせしようと躍起になってる過程が
傍から見てると滑稽でおかしいw
聖書の記述を頑なに信じてる信者

ヨーロピアンの中世までの選民意識はマジキチとしか言いようがナイ
元々何の根拠もナイのに奢り高ぶり
それを正当化するために狂信的に奔走するのだが
無理を通せば道理が引っ込む、てのはこいつらのためにある言葉だな。(´д`;)ギャボ

アイザック・ニュートン―すべてを変えた科学者 (ビジュアル版伝記シリーズ)プリンキピアを読む―ニュートンはいかにして「万有引力」を証明したのか? (ブルーバックス)光学 (岩波文庫 青 904-1)

特に後半部分でおもしろいのが
ガチでキリスト教を妄信する物理学者アイザック・ニュートンが
普遍史の中に世界史を組み込もうと科学的証明を試みてるが
盲目的に信奉してる宗教の正しさを確証するために
科学的・理性的に弁護してるのなんて、スコラ哲学臭プンプンだ。(゚д゚lll)ギャボ

タイトルからすると聖書と世界史ではどっちが正しいか
結論を導く道程が書かれた本だと思ってたが
聖書の普遍史から、実際の世界史へのこじつけが
ヨーロッパではどうやってまかり通ってきたかの変遷で
むしろその時代における認識の過程についてが記されてるるる~

それにしてもキリスト教信者は
どうしてこうもユダヤ教の経典(旧約聖書)に拘るのかw
信仰の対象であるイエス・キリストはユダヤ人でユダヤ教徒だったが
未だに当のユダヤ人はイエス・キリストが神の子だと認めてナイのに
なぜ勝手にキリスト教の経典にしてるのだろうヽ(゚∀。)ノ
その根本的に履き違えた部分を念頭において読み進むと
食い違ってる歴史的事実の方を捻じ曲げてるようにしか見えず
キリスト教信者の空回りしてるのが虚しさ一入である(-人-;)ナムアーメン

極論を言えば
キリスト教徒こそがキリスト教を曲解してる気が・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

  • プロローグ
  • 世界史年代表
【第1章】普遍史の成立
[第1節]聖書の描く人物史
聖書の構成
人類史の第一期=ノアの大洪水まで
第二期=ユダ王国滅亡まで
第三期=四世界帝国の時代
「終末」とヨハネの黙示録
聖書の種類
[第2節]キリスト教年代学と普遍史の成立
キリスト教の成立
エウセビオスとヒエロニムス
カルデア人の古さの問題
アッシリアの問題
エジプト人の古さの問題
アウグスティヌスの「神の国」
「第四の国」=ローマ帝国
古代的普遍史の集大成
キリスト教擁護活動として
始点と終点のある時間
終末観と人類史6000年間の観念
三大陸からなる平円盤状の世界観
「化物世界誌」の継承
【第2章】中世における普遍史の展開
[第1節]キリスト紀元の発生
種々の年号
ディオニシウス・エクシグウス
ディオニシウスの算定方法
イングランド教会の役割
キリスト紀元使用の一般化
[第2節]中世における普遍史叙述
ベーダの年代記
ベーダの役割
オットー・フォン・フライジングと中世的普遍史の完成
楕円ヨーロッパ
オットーの使用した年号
12世紀を代表する世界史
[第3節]中世の化物世界観と普遍史
TO図
ヘレフォード図による普遍史の図像化
化物世界誌
イシドールス「語源論」の世界
東西交流の再開
マルコ・ポーロ
化物世界誌にからめ取られた新情報
マンデヴィルの「東方旅行記」
「カタロニア図」の世界
妖怪変化に満ちた世界
【第3章】普遍史の危機の時代
[第1節]ルネサンスと普遍史の危機
イタリア・ルネサンスとマキャベリ
「政治的世界」の発見
「人間の発見」
新しい歴史観
エジプト史の亡霊
ヘロドトスの描くエジプト史
ディオドールスの描くエジプト史
マネトの再生
[第2節]宗教改革と普遍史の危機
ヨハネス・スレイダヌス
プロテスタントの代弁者として
聖書をめぐる議論の新時代
年代学論争と聖書の批判的研究の開始
トマス・ホッブズ
スピノザ
リシャール・シモン
[第3節]大航海時代と普遍史の危機
コロンブスによる「人間」の発見
新大陸の認知
メルカトルの世界図
インディアンはアダムの子孫
バリャドリの論戦
モンテーニュ
様々なインディアン起源論
アコスタのアジア起源説
危機を持ちこたえた普遍史
[第4節]中国史の古さの問題と普遍史の危機
ポルトガル人と中国
イエズス会の中国布教
メンドーサ「シナ大王国誌」
マルティニ「中国古代史」
パスカルと中国
ライプニッツと中国
フォシウスの問題提起
ゲオルク・ホルンの解決策
ホルンの後継者たち
[第5節]科学革命と普遍史の危機
ニュートンの世界史叙述
天文学による年代決定
エジプト史の短縮
預言の研究
プロテスタント的普遍史
ニュートンの時間と世界
アリウス派だったニュートン
歴史学における位置
[第6節]年代学論争
スカリゲル「時間修正論」と年代学の形成
ユリウス周期
スカリゲルの年号体系
プロテスタントとカトリックの「時間」を巡る争い
「時間論の宝庫」とエジプトの問題
ペタヴィウス
アッシャー
ボシュエ
ペズロン
【第4章】普遍史から世界史へ
[第1節]啓蒙主義的世界史の形成
ヴォルテールによる歴史学のコペルニクス的転回
ニュートン物理学的な時間
年号表記の問題
普遍史的世界の否定
中国の問題の意味の変化
[第2節]普遍史の崩壊
ケラーと「古典的三区分法」
ガッテラーとゲッティンゲン学派
「普遍史序説」
「世界史」での変化
普遍史の自己の歩み
シュレーツァーと世界史
創世紀元の否定
キリスト紀元の自立と「古典的三区分法」
創世紀元の重み
聖書の批判的研究の新展開
ミハエリス
【第5章】普遍史と万国史
[第1節]「史畧」と「萬國史畧」
明治初期の世界史教育
紀元論、凡ソ四千年ノ頃ニ当リテ
「萬國史畧」の底本
「パーレー萬國史」の位置
[第2節]明治政府と万国史
洋学の状況
精神構造の一致
  • エピローグ

ラシーヌの『エステル』についての殆ど総ては
ヴォルテールの『ルイ十四世の世紀』を読めばわかるのだが
やはり自分自身もその芝居を観るなり、せめて読むなりしなくては
単なるウケ売りになってしまうので
『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を購入して読んでみた

結論から言えばヴォルテールの言及とほぼ近い感想だったが
ヴォルテールが触れてナイ根幹的な部分にこそ自分には深く考えさせられた

比較するためにヴォルテールの言及を引用すると

(前略)荒唐無稽で、面白くもおかしくもない事件を、見せられるだけだ。王さまが一人出て来るが、半年も一緒に暮しながら、お后の素性を知らぬし、それを調べてみようともしないのだから、とうてい正気とは思えぬ。大臣がまた、ユダヤ人が、自分に敬意を表さぬというので、老若男女問わず、これを皆殺しにするよう、王さまに頼み込むなど、滑稽とも、野蛮とも、何ともいいようがない。この同じ大臣が、つまらぬことをしたもので、ユダヤ人を、十一ヶ月以内に、残らず殺せという触れを出すが、これでは、何のことはない、逃亡するなり、自衛の手段を講じるなり、勝手に振舞えということになる。王さまも王さまで、いわれもないのに、このおかしな命令に署名しておきながら、また、いわれもないのに、突然、当の気に入りの大臣を、絞り首にしてしまう。おまけに、筋らしい筋がなく、変化に乏しいし、面白みもないときているから、良識を持ち、趣味のよいものなら、うんざりするのが当然だ。

などと貶し放題だ。(´д`;)ギャボ

ここでヴォルテールが見落としてる重大な事実は
大臣の一族が先にユダヤ人に皆殺しにされてた過去があったコトである

サムエル記 (2) (ヘブライ語聖書対訳シリーズ (14))
出エジプト記 (1) (ヘブライ語聖書対訳シリーズ (3))

『旧約聖書』の「サムエル記」でイスラエル(ユダヤ人)の王サウルは
預言者サムエルに神の意思を告げられるるる~

わたしは、アマレクがイスラエルにした事、すなわちイスラエルがエジプトから上ってきた時、その途中で敵対したことについて彼らを罰するであろう。今、行ってアマレクを撃ち、そのすべての持ち物を滅ぼしつくせ。彼らをゆるすな。男も女も、幼な子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも皆、殺せ。

ところがサウルはアマレクの王を生け捕り、家畜も殺さずにいたので
サムエルは神の意に背いたサウルを罪人扱い。(゚д゚lll)ギャボ

サムエルに引き渡されたアマレクの王は神の前でサムエルによって切り刻まれ
神はそれをよしとしたがサウルを王としたのを悔いた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

後にダビデがアマレクの総てを「ぶんどり物」(※)として捕らえ
これらをまた皆殺しにして正しい大虐殺(?)の見本をやってのけたのだ
「ぶんどり物」てのは自分の持ってる聖書にそう書いてある通りだ
参考:セム、ハム、ヤペテ~アブラハム(アブラム)

マイケル・サンデルの講義に出たらサンデルもたじろぐだろう

正義=ユダヤ、以上p(-_-+)q←ユダヤ

ポカーン。(゚д゚ )←サンデル

みたいなw

とにかくユダヤ人がのさばるのに邪魔な民族は皆殺しにするのがユダヤ人の正義で
むしろ情けを起こしたりすれば神に背いた罪人と見做されるのだ

こういう民族に対して不条理を感じナイ人間だけが
もれなくキリスト教を享受できるのだな

信じる者は救われる

とは(都合)好く言ったモノで
ユダヤ人が信じる神ヤハウェは自ら選んだ民族以外を呪う神で
基本的にはヨーロピアンもアメリカンも呪われて然るべきなのだが
そこが神の子イエス・キリストの出現から解釈が変わって
ユダヤ人でなくても信じる者は救われる、となったのだ(゚*゚;)

しかも何を信じるかってユダヤ人の神ヤハウェではなく
唯一無二の神であり、キリストがその神の子であるコトであり
神を信じててもキリストを疑うのは善しとしナイ
これを父(神)と子(キリスト)と聖霊は三位一体なのだとして
非科学的、非理性的、かつ主観的な言い分で思考停止させてしまうのだなヽ(゚∀。)ノ

『エステル』がジェズイット教団にウケたのは然りで
ルターがローマ・カトリックに反旗を翻して真の信仰を説いた宗教改革に
真っ向から敵対したのがジェズイット教団(イエズス会)で
フランスではユグノーと呼ばれてたルター派の新教徒たちと衝突してた

ところでヴォルテールのみならず
ラシーヌも大臣の一族が皆殺しにされた過去をスルーしてるかと思いきや
以下のようなイスラエルの娘の台詞が見受けられた

祖先が罪を犯し、もう祖先は死んでしまった、
その罪の刑罰をわたしたちがこうむるのです。

まあこの一箇所だけでは観客には完全にスルーされただろうな(苦笑)

フローベールの『ボヴァリー夫人』のオメーがヴォルテールの信奉者で
そのヴォルテールが著書『ルイ十四世の世紀』の中で
ラシーヌを讃美してる中でも『アタリー』を高く評価してたので
オメーは自身の娘にアタリーと名付けた

と、そこまでの話は呑み込めたが
ヴォルテールがなぜ『アタリー』に対して高評価なのか
またなぜ前作の『エステル』を酷評してるのか
今一つ納得が行かナイのは当然ながら自分が観てナイからだヽ(゚∀。)ノ
参考LINK:マントノン夫人の高尚な意地悪

「百聞は一見にしかず」
換言すれば「一見が無理なら百聞を信じるしかナイ」のだが
聞くに及ばず見るに適わず、でも読めば゚+.(・∀・)゚+.゚イイワケで
『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を購入

『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』には年代順に全作品が収録されてた!
そこで目的を忘れて『アレクサンドル大王』から読み始めるのは
ヲタ的には何も間違ってはいナイのだ!!

そして次にやっと『エステル』に辿り着いたのだが
本文に到達する前に序文で躓いてしまう・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

なんせラシーヌは序文で次のように述べてるのだ

わたしは、俗世のものと聖なるものとを混同することを慎重に避けたけれども、それでもアシュエリュス{アハシュエロス}をよりよく描きだすために、ヘロドトスから二、三の特徴を借りてもよいと考えた。というのは、この歴史家が語るイダスプ{ヒュスタスペス}の子の有名なダレイオス王とアシュエリュスが同じ者であると考える多くの聖書解釈学者の意見に従ったからである。

現代ではアハシュエロス=クセルクセスが通説のようだが
当時(ラシーヌの生きた17世紀頃)の聖書解釈学者や歴史家の間では
アハシュエロス=ダレイオス、しかもヒュスタスペスの子ならダレイオス1世なのか?
それともラシーヌが勘違いしてるのだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

ヘロドトスの『歴史』巻3によればダレイオス1世は
王座を簒奪した謀反人を始末した7人の中で
取り決めに従って馬を1番先に嘶かすコトができたので王位に就いたが
ダレイオス自身には先王のキュロスやカンビュセスと同じ血は流れておらず
4人の妻の内3人が王家の娘で残る1人が謀反を看破したオタネスの娘で
ワシテやエステルに該当するような女は見受けられナイ
だいだいにおいてダレイオスの女とのエピソードはほとんど伝わってナイのだが
それとゆーのもダレイオスは戦争に明け暮れてたからだ

但しペルシア戦争に至るきっかけを作ったのは
妻アトッサにピロートークでギリシア征伐を勧められたからだが
アトッサはキュロスの娘にしてカンビュセスの妻であり
またカンビュセス亡き後には謀反を企てたマゴスの妻でもあった女で
間違いなくワシテにもエステルにも当て嵌まらナイ

ヘロドトスはダレイオスの妻(妾)との挿話をこの他に一切記述してナイので
これはやはりラシーヌの勘違いだろう。(´д`;)ギャボ

尤も現代においては『旧約聖書』に史実でナイ事象が含まれてるのは周知の事実で
それらは口承で伝えられてきた昔語りのようなモノだったのを
神と神が選んだ民族の栄光の物語、にユダヤ人が都合よく編纂してるのだw

なので『エステル記』も辺鄙な土地に伝わる物語なのかもしれなくて
アハシュエロスはダレイオスでもクセルクセスでもナイかもだ

『エステル記』を歴史的事実として検証しようと思ったら
ハマンの一族アマレク人がユダヤ人によって皆殺しにされた事件が
誰が王の時に起こったかを調べれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
ペルシア側の史料にはそういった史実は認められナイ

エステル記 (ティンデル聖書注解)

聖書の解釈(むしろ曲解w)本の最新刊がまさに『エステル記』だったりするが

(前略)おとぎ話のように思われがちなエステル記の史実性にさまざまな資料から迫り、またモルデカイの傀儡のように見なされがちなエステルの自立性にも焦点を当てる。ユダヤ人問題にも触れる画期的な注解書。

てなワケで史実としての確たる資料がナイコトがよくわかるるる~
LINK:ティンデル聖書注解

それにしても『エステル記』の史実性についてググってたら
キリスト教信者はヲタとしては本トにレベル高くて
信じてる姿になんとか近づけるために事実無根でもでっちあげて
最終的には精神論で何かの比喩であると片付けて納得させるってコトを
改めて実感してしまったのが以下のLINK記事とか・・・ヽ(゚∀。)ノ
LINK:アマレク―後編

  アラビアやその周辺諸国には、アマレク人に関するたくさんのおとぎ話があります。これらのおとぎ話には根拠はありませんが、多くのアラビア、イスラム作家がアマレク人についての物語を創作してきました。さらに最近になって、イスラム作家たちは「イスラエルの大量虐殺による不運な犠牲者」としてアマレク人を描くようになりました。

確かに世界中に御伽噺はあって解釈は自由だが
上記のようにはっきりと自身でも「おとぎ話」で「根拠はありません」
「イスラム作家がアマレク人についての物語を創作してきました」とまで書いてるのに
そのすぐ後には次のように記してるのだ

 イスラム作家たちが書くアマレク人の物語は架空のものですが、アマレクとその子孫が確かに存在していたことは歴史的事実です。なぜなら、彼らについて明確な記述が聖書にあるからです。

架空ですが聖書にあれば歴史的事実です、なんて
信者以外には何の説得力もナイのに力説してるのが痛い、痛過ぎるるる~

単にペルシアに伝わる美しくも残忍な奴隷女の物語としたら
それはそれで自分は好きだけどね
LINK:アハシュエロス王との謁見のために化粧をするエステル

racine

ラシーヌの『エステル』と『アタリー』について述べてる箇所が
ヴォルテールの『ルイ十四世の世紀』の第2巻にあった

まず『エステル』と『アタリー』の訳注を見てみると次のようにある

『エステル』(Esther)及び『アタリー』(Athalie)
ラシーヌの創作活動の最後を飾るこの二作は、いずれも旧約聖書に取材し、合唱隊を登場させてギリシャ悲劇の形式に近づけてあり、晩年キリスト教に深く帰依するようになった作者が、悲劇の世界に新しい境地を開いたものとして注目される。
「アタリー」が初演当初成功しなかったのは、サン・シールの女生徒たちに対する宗教教育上の配慮から、衣装や装置を極端に簡素にしてしまったためとも言われるが、今日では、ラシーヌの代表作の一つとして、高く評価されている。

そして『ルイ十四世の世紀』の第27章には
モンテスパン夫人に代わって王の寵を受けるようになったマントノン夫人が
ラシーヌに『エステル』を依頼した経緯が以下のようにあった

知的な楽しみを復活させたのは、サン・シールの女学校である。ラシーヌは、ヤンセニスムと宮廷に気兼ねして、劇作を断念していたが、マントゥノン夫人が、このラシーヌに頼んで、自分の学校の生徒に上演できるような悲劇を作らせた。主題は聖書からとるというのが、その希望である。

王が病気になり、宮廷での艶やかな宴を一切取り止めてから
以来、観劇に姿を現すコトもなくなって
宮廷のみならず国中が塞いでた状態だったのだが
そこでマントノン夫人がささかやな観劇を自らの学院の生徒によって催し

まず、サン・シールの校内で、それから、1689年の冬、ヴェルサイユで、何度も、王の御前で上演される。

これに続く意表をつく文章が以下だ

宗教界の歴々や、ジェズイット教団の僧侶たちが、この妙な芝居を見ようとして、許可を得るのに汲々たるありさま。この作品が、当時、完全な成功を収めたのにひきかえ、二年後、『アタリー』が、同じ人々の手で上演され、全くの不首尾に終ったのは、注目に値する。

『エステル』は素人の女生徒による「妙な芝居」でもウケたらしい(゚ ゚;)
しかも宗教界の歴々やジェズイット教団の僧侶たちに?!
ところが『アタリー』は同じように「妙な芝居」であっても不評だった(-_-;)
それも宗教界の歴々やジェズイット教団の僧侶たちに?!

更にヴォルテール曰く

この両者が、作者の死後久しくしてから、パリで上演された時には、結果は正に正反対だったが、これは宮廷内の人間関係が変わったからだ。『アタリー』は、1717年に上演され、当然のことながら、感激の渦を巻き起こした。『エステル』の方は、1721年に上演されたが、何の反応もなく、その後二度と日の目を見ぬ。

キタ ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

『エステル』はどうやら自分の予想してた通りに
ルイ14世の愛妾マントノン夫人の思惑に則った脚本だったようだ!!

つまり王の寵愛を過度に受けるエステルに自身を擬えてた芝居で
観ててそういうコトだとわかって権勢を誇る夫人へのお追従が絶えなかったのが
好評に繋がったのだな。(´д`;)ギャボ

ヴォルテールは「作者の死後」としてるが
要するにもうお追従は不要なマントノン夫人の権威の失墜後(※)で
だから1717年の『アタリー』の上演時も1721年の『エステル』の上演の際も
改めてプロの演劇集団による公演に正当な評価が下されたのだったが
その結果は『アタリー』の大当たり~(殴)
ルイ14世が1715年に没してるのでその少し前だろう

ところでヴォルテールは1ページ近く割いて『エステル』をクソ貶しに貶してるが
詩としては実に素晴らしい、と締め括ってラシーヌ自身を貶してはいナイ

ボヴァリー夫人 (河出文庫)

さてここで当初の疑問に話を戻すと
『ボヴァリー夫人』のオメーが娘にアタリーと名付けたのは
ヴォルテールに共鳴してるのだと合点が行った!
なぜならオメーは自らが神と仰ぐ人物を次のように挙げてる!!

ソクラテス、フランクリン、ヴォルテール、ベランジェの神だ!

ヴォルテールの言はオメーにとってキリストの福音なのだ(-人-;)

それにしてもマントノン夫人は
エステルに擬えられてさぞご満悦だっただろうが
マントノン夫人によって退けられたモンテスパン夫人も
アハシュエロスの元正妻ヴァスチ(ワシテ)に譬えられてて
さぞや悔しい思いをしてたのだろう

そう想像するとマントノン夫人もたいがいな女だが
意地悪の仕方が余りにも高尚なのがなんだか素敵に思えてくるし
それにそうとわかって耐えるモンテスパン夫人にしても
また更にそこでマントノン夫人に媚び諂ってる輩にしたってさえ
なんてインテリジェンスなのかと感動してしまうよなヽ(゚∀。)ノ

ヴォルテールにしてみればそれ以上に
不寛容なジェズイット教団の連中が『エステル』を絶賛してる図ワロタ
てなカンジなのかね(゚*゚;)

そしてそういう総てを踏まえてオメーのキャラクター設定を施したのだから
自分にはフローベールこそが神だな。(゚д゚lll)ギャボ

racine

『エステル』の原典も『アタリー』と同じく『旧約聖書』なのだが
こちらは目次に「エステル記」とあるので探す手間は不要

ペルシアの専制君主と美しい女奴隷の物語、てのが朧気な認識だったが
冒頭に首都がスサとあり

アハシュエロスすなわちインドからエチオピヤまで127州を治めた

てコトはアケメネス朝ペルシアの話で
確認するとアハシュエロス=クセルクセス1世じゃナイか。(゚д゚lll)ギャボ

歴史 下 (岩波文庫 青 405-3)

慌ててヘロドトスの『歴史』を開いてみると
「エステル記」と同じエピソードは見つからなかったが
クセルクセスもアハシュエロスと似たようなコトをしてたので
同一人物である確証が持てた。(´д`;)ギャボ

『歴史』の下巻にある【巻9】でクセルクセスは弟のマシステスの妻に横恋慕して
無碍にされたのでこの女自体は諦めたが
この弟夫婦の娘(名前は不明)を息子ダレイオスに嫁すよう取り計らいながらも
息子の嫁であるコトはお構いなしに自身の愛人にしてしまう・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そこでクセルクセスは満足させてくれた娘に言う
「欲しいモノは何でも与えよう」と!

「エステル記」のアハシュエロスもエステルに会う度にこう言う!!

「王妃エステルよ、あなたの求めることは何か。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう。」

これだけで既に同一人物な気がしてきたが
ここでユダヤ人のエステルがアハシュエロスに請いたモノが凄まじい!

1.ユダヤ人大量虐殺計画を企てた寵臣ハマンとその一族の処刑
2.エステルの叔父モルデカイの手柄に対しての取立て

ユダヤ人がユダヤ人大量虐殺計画の中止を請願するのはわかるが
当の寵臣とその息子ら10人の処刑では飽き足らず
一族の占めて7万5千人の殺戮をユダヤ人が行う許可を求めたのだ!!
ちなみにエステルの叔父の手柄とは王の暗殺計画を看破したコトだ

『旧約聖書』ではユダヤ人は神に選ばれた民族であるから
ユダヤ人が何をしても常に正義であり、危害を加え(ようとす)る者は容赦しナイ
とゆー道理を無理に通すために著された経典で
そういう意味でユダヤ人であるエステルの行いはユダヤ人にとっては正しいが
第三者の立場から見るとエステルこそ残忍酷薄に見えてしまう(苦笑)

アハシュエロスも寵妃エステルの望みを叶えたいだけなので悪意はナイのだろうが
言われるままに従って満足してて、正義も道理も憐憫の情もへったくれもナイ

一方、ヘロドトスによればクセルクセスも
娘(愛人となった息子ダレイオスの嫁)に誓言までして望みを叶えようとしたものの
娘が欲したモノがエステルに比べたらたわいナイモノでありながら
禍の元凶となり得るモノだったので困惑した(゚*゚;)
なんせクセルクセスが着てる正妻アメストリスの織った上着なのだからしてw
世の浮気男の常らしく、正妻には頭が上がらナイのだなヽ(゚∀。)ノ

それでも結局クセルクセスは娘に上着を与えてしまい
そうと知って激怒した正妻は報復に出る。(´д`;)ギャボ
しかも当の娘ではなくその母親に矛先を向ける。(゚д゚lll)ギャボ

元はと言えばクセルクセスはこの母親の方にこそ横恋慕してたので
正妻にしてみれば待ちかねた復讐だったかもしれナイし
クセルクセスのお気に入りの娘に傷をつければ
自身も不興を買ってしまうため母親の方にしたのか?!

いずれにしろ凄惨過ぎる仕打ちは以下の通り・・・

正妻は母親の身柄を自身に預けるようクセルクセスに掛け合うが
弟のマシステスの妻なので兄としては勝手に身柄を拘束するワケには行かず
まずはマシステスに離別を申し渡した・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

もちろんマシステスは離婚を受け入れようもなかったが
クセルクセスがそうして言い含めてる間にマシステスの妻は既に制裁を受けてて
帰宅したマシステスが見た妻は乳房も鼻も耳も舌も切られてた・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

事態に激昂したマシステスは兵を挙げるもクセルクセスに討ち取られるるる~

よく調べ物のために紐解く『旧約聖書』の中でも『歴史』の中でも
今までは引っかからなくて記憶に留めてなかった部分だったが
こうして改めて読んでみるとあんまりな話だな・・・バタリ ゙〓■●゙

ところで『旧約聖書』の「エステル記」では
アハシュエロスの正妻はワシテ(ヴァスチ)だったのだが
王の不興を買って王妃の位を剥奪されてしまい
そこへ代わって王妃の座についたのがエステルなのである
なのでこの『歴史』のクセルクセスの横恋慕から始まる一連の事件の時の正妻は
既にワシテではなくエステルなのではナイかと思うのだがどうだろう?
いや、この報復の残虐ぶりはエステルに間違いナイ(-人-;)
アメストリス=エステルに1票p(-_-+)q

ラシーヌの『フェードル / アンドロマック』が2006年に岩波文庫で復刊されたのを買い
巻末の「ジャン・ラシーヌ略年譜」に『アタリー』を発見したコトによって
フローベールの『ボヴァリー婦人』のオメーの娘の名アタリーの由来について改めて考察し始めたが
同じ年の暮れにまとめて購入した筑摩世界文学大系にも『フェードル』が収録されてた
LINK:筑摩世界文学大系【14】古典劇集

岩波文庫版の訳者渡辺守章による「解説」は30ページ以上に及び
読み応えはあっても残念ながら『アタリー』についての言及はなかったが
筑摩世界文学大系の方は訳者二宮フサによる解説が丸1ページ(※)で
概要は「ジャン・ラシーヌの作品群とその時代背景」と題するべきモノで
『アタリー』についても次のような決定的な事実が記されてた
筑摩世界文学大系の1ページは岩波文庫の3ページ分以上に相当する

とにかくラシーヌは1677年1月の『フェードル』上演を最後に、演劇の世界と絶縁した。彼が後年聖書に取材した宗教悲劇『エステル』、『アタリー』を書いたのは、当時のルイ14世の寵妃マントノン夫人の要請によるもので、2篇とも夫人の設立したサン・シールの女生徒たちによって演じられたのである。

ここへきて重要な見落としに気づいたのは
『アタリー』には必ず付随して『エステル』が絡んでた事実だ
Bajazet / Mithridate / Iphigenie / Phedre / Esther / Athalie [French]
二宮の上記引用によれば『エステル』も『アタリー』も
ラシーヌが演劇界と絶縁した後(※)の『旧約聖書』を題材とした作品で
マントノン夫人の要請でサン・シールの女生徒が演じるために書かれたのだった
ラシーヌが『フェードル』以降に書いたのは『エステル』と『アタリー』2作品のみ

改めて渡辺の『フェードル / アンドロマック』の巻末の「ジャン・ラシーヌ略年譜」で
『エステル』について確認すると次のようにあった

旧約聖書に基づき、ジャン=バチスト・モローが作曲した「合唱入り悲劇」は非常に国王の気に入り、宮廷中の話題となる。

ちょっと待て(-_-;)

『エステル』は素人の女生徒だけによって演じられたのなら
どれほど脚本が優れていようがお世辞にも絶賛されるようなモノではなかっただろう

宝塚のエンターテイメント性を知る現代人の自分にとっては
女生徒だけの芝居は微笑ましくも思える反面
日々の過酷な練習が宝塚の完成度を高めてると知ってて
貴族の孤児を寄せ集めただけの学校のクラブ活動が
同じレベルに到達するコトは断じて在り得ナイと思えるのだ。(´д`;)ギャボ

それでも『エステル』が

国王の気に入り、宮廷中の話題となる

なんて成功を収めてたとしたら
そこには芝居の出来とは別の要因がウケてたに違いナイのだ。(゚д゚lll)ギャボ

とりあえず『エステル』も『アタリー』も『旧約聖書』が原典なのはわかったし
『エステル』は目次にもある「エステル記」でペルシアの話だろうが
「アタリー記」てのはナイしその名に覚えがナイヽ(゚∀。)ノ

しかし『旧約聖書』は小学生の時に読破したので一応総てが既読の物語で
中には興味深く繰り返し読んでる部分とそうでナイ部分があり
記憶にナイアタリーの名が出てくるとしたら
特におもしろいと感じなくてすすんで読み返してなくて
更に参照すべき重大な記述(有名な場面、例えば預言とか)も含まれてなくて
しかも読み切り的に挿入されてるエピソードなのではナイかと予想でき
「列王紀」(※)の辺りと狙いを定めてたら下巻の第8章にアタリヤの名を発見できた
LINK:列王紀下8
自分の持ってる1955年発行の日本聖書協会の旧約聖書ではこの列王紀だけが「紀」の字を使ってる(他は「記」)

あらすじをものすごく簡単に述べると
異教の神バアルを信仰したために滅びた民族の話で
王アハジヤの母親でアハジヤ亡き後に王位を継いだのがアタリーだ

ユダヤ教徒からすれば異教徒=悪だったので
預言者エリシャはラモテ・ギレアデのエヒウなる者に
イスラエルの王ヨラムとユダの王アハジヤを撃ち
その一族アハブ王家を滅亡させて替わって王となるようけしかけた

エヒウは言われるままにヨラムとアハジヤを殺した後
ヨラムの母親のイゼベルを宦官に命じて惨殺させた(投げ落として馬に踏ませた)
ところがイゼベルは王の娘であったためその遺骸を葬るよう指示するが
頭蓋骨と手足しか見つからなかったと報告を受けた途端エヒウは
「だろ?犬に食われるって預言あったわw」って・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

アハブ王家へのエヒウの残虐行為は続き
王の子ら70人の首を籠に詰めて持ってこさせるわ
一族の42人が身を隠してるのを見つけて皆殺しにするわ
自身もバアル信仰をすると嘘を流布して
信者を神殿に集めて皆殺しにして神殿も破壊した

その殺戮に至る理由が異教徒であるコトだけなのは
現代日本人にとってはマジキチとしか思えナイが
当のエヒウにしてみると神の言を代弁する預言者によって
異教徒を一掃して代わって王になる使命を受けたので
それを生真面目にまっとうしてるだけなのだヽ(゚∀。)ノ

王となったエヒウはイスラエルを統治してたが治世28年で没し
一方、息子アハジヤを失いながらも生き延びたアタリーは
バアルを信仰しながら6年間国を治めてたのだが
ユダヤ教の神官にクーデターを起こされて殺された

ラシーヌの脚本はどんなだろうか想像もつかナイな・・・

なかなか核心に辿り着けずにいるが
アポロンとディオニュソスは実はこのブログのテーマ(なはず)で
そこにこのブログのタイトルにある【葦】が複雑に絡み合ってるのを
解いているのかむしろより一層こんがらからせてるのか?!

実はギリシア語で【葦】とある場合には
植物以外に弦楽器の駒(ブリッジ)を指すのだそうだ
(我ながら後出しジャンケンみたいな話題の振り方だがw)
とか言いつつも自分は弦楽器には全くの素人なので
それは例えばギターだとどの部分なのか指差せっても無理っつ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

でもググったらわかりやすい画像が見つかった♪
しかも(少年ダビデのハープ)とあり『旧約聖書』に登場するダビデ王の竪琴か?!
LINK:おもちゃのハープ♪
→記事中ほどに竪琴の部位名称及び解説の画像が(*^^*)

しかしながらダビデは紀元前1000年頃の人なので
このダビデのハープは洗練され過ぎてるのではなかろうか?

ヘルメス(メルクリウス)が拾った亀から竪琴を作った、てのは神話にしても
そういう神話が生まれたのは古代ギリシアでは竪琴と言えば
亀の甲羅製の弦楽器だったからなのでは?

よく知らナイで購入したCD『古代ギリシャの音楽』には
古代ギリシアの楽器を再現して演奏してて
ブックレットに写真が載ってた

phorminx:ポルミンクス(フォルミンクス)

lira:リラ(リュラ、もしくはリュレ)

ついでに名前からしてギターの原型となったぽいkithara:キタラ

アポロンやオルフェウスの持ってた竪琴は
後代の絵画や彫刻で見る装飾過多の華美なモノのはずがナイよな。(´д`;)ギャボ

アポロンの竪琴は牛泥棒の見返りにヘルメスから譲り受けてるので
間違いなくヘルメスが拾った亀から作ったモノのはずで
ややこしいコトにオルフェウスの竪琴も
父(とゆー説もある)アポロンより与えられてるらしい

つまり3つとも同じ竪琴なのだろうか・・・竪琴パラドックス。(゚д゚lll)ギャボ

さて
生まれたばかりのヘルメスが揺籃を抜け出して
亀を拾って中身を抉り出して竪琴を作り
アポロンの牛を盗んではシラをきり
バレても竪琴を与えてごまかし
人の゚+.(・∀・)゚+.゚イイアポロンから錫杖までもらう
そんな一部始終が岩波文庫抄訳版『四つのギリシャ神話―ホメーロス讃歌より』
「ヘルメースへの讃歌」にある
LINK:「ヘルメース讃歌」

この「ヘルメース讃歌」中の竪琴の作成手順の冒頭には
葦の茎を~、とあってあえて【葦】と訳してるくらいなので
ブリッジとして使われてるパーツのコトではナイらしいが
だとするとどの辺に使われてるのかも不明瞭だw

とにかくヘルメスは亀で竪琴を作る際に葦を使ってるるる~
更に通説では葦笛(シュリンクス)は牧神が作ったとされてるが
「ヘルメース讃歌」では葦笛もヘルメス作だとしてるるる~

まあいずれにせよ
葦はそうして楽器に事欠かナイ植物だったのだ、実は!

だからアポロンの竪琴と牧神マルシュアスの笛と
どちらが優れてるかなんて競い合いをしてアポロンが勝ったが
(そりゃあ音楽の神が負けたらマズイワケで)
所詮は葦を使って作られた原始的な楽器同士だったのだな

しかも牧神の笛はシュリンクスに相場が決まってると思ってたが
マルシュアスの笛はアウロス(もしくはアウルス)で
『ホメーロス讃歌』の「ヘルメース讃歌」でアポロンは
マルシュアスの吹くアウロスとヘルメスが吹くシュリンクスを比較して
シュリンクスの方が優れてる、とのたまってるのだった

アウロスはシュリンクスより先に存在してて
縦笛で2管笛でオーボエとかと同じくダブルリードだそうだ
画像の真ん中のがアウロスだろう
LINK:英語のWikipediaのAulos

シュリンクスの方は恐らく[葦舟と葦笛]にあげたラウネッダスに類似と思われ
3管笛でクラリネットと同様シングルリードだ
LINK:英語のWikipediaのLauneddas

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

とか書いてはいても自分のように楽器に疎い人間には
詳細を辿るほどアウロスとシュリンクスの差異に実感が湧かナイのだが
牧神マルシュアスの吹くアウロスはアポロンの爪弾く竪琴に敗北し
それだけでは済まず木に吊るされて皮を剥がされてしまい
マルシュアスの方が勝者としたミダス王はロバの耳にされてしまう。・゚・(ノД`)・゚・。
このブログにはあえて掲載せずにおくが
「Marsyas」で画像検索すれば凄惨な場面が嫌になるほど出てくる(゚*゚;)

ところでこの牧神マルシュアスだが
マルシュアスてのは名前でその実体については
オウィディウスは牧神サテュロスとしてるが
ブルフィンチは牧神パーンとしてて
マルシュアスが仕える神も前者はバッカスで後者はディオニュソスだ

ギリシアではディオニュソスとパーン
ローマ(つまりラテン語)でバッカスとサテュロスで
ニーチェがディオニュソスと言うのは
ドイツ語がラテン語由来でナイからと勝手に思い込んでて
シンパの自分もニーチェに倣ってディオニュソスを使ってたが
改めて調べてみると各国語で混在してるのでどちらでも構わナイようだ

酒の神ディオニュソス(バッカス)に仕える牧神や巫女は
酒宴で神に音楽と舞踊を捧げるのだが
この様子をモチーフにしたバレエ(音楽)があり
バッカスから転じて仏語でBacchanales(バッカナール)だ(他国語も類似)
余談だがカフェのオーバカナルの店名の由来はこれだ♪

『古事記』では冒頭の国産みの時に最初に産まれた蛭子が葦舟で流され
『旧約聖書』でもモーセが流されたのは葦舟だった

と表記されてる日本語訳を信じてたがモーセのはパピルス製であったコトが判明した

古事記 (学研M文庫)
十戒 スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

パピルスは『聖書植物大事典』によればカミガヤツリと言うくらいでカヤツリグサ科だが
葦はイネ科で全くの別物であるるる~

葦は高さ2~6mで茎の太さは1cm程度だが
パピルスは高さ4~5mで茎の太さは最大6cmにも及ぶ

そんな葦を束ねて作っただろう蛭子の舟はすぐに浸水してしまいそうだし
流されたのも海では助かる可能性は無いに等しいが
これはきっと間違いなく帰ってこナイようにそうしたのだな(-_-;)

ところがモーセの方は親が殺すに忍びなく頑丈なパピルス・バスケットに入れて
誰かに拾ってもらえるようにとナイルに浮かべ運良くエジプトの王女に拾われたワケだ

今まで両方が同じ葦舟だと思ってて腑に落ちなかった部分がすごくスッキリしたw

それなら葦笛はどうなのだろう?

ググってみたがWikipediaには該当項目はなく
どうやら日本では葦の葉を鳴らす葦笛はあるが葦の茎で作られた葦笛は存在しナイらしい
尺八や雅楽の笙(しょう)などはどれも竹製だ(※)
尤も大陸より伝来してるので日本起源ではナイのだが・・・

バレエ『くるみ割り人形』に「葦笛の踊り」があるが
これは英語だと「葦笛」の部分はreed pipeで和訳すればまさに「葦笛」と訳せそうだが
残念ながらパイプオルガンのパイプ部分の呼び名でフランス語ではjeux d'ancheだ

それなら「葦笛の踊り」は仏語ではどうなのか?
「Danse des mirlitons」となるがこのmirlitonsとはkazooのコトだそうだ。(゚д゚lll)ギャボ

LINK:Kazoo

LINK先を見ての通りKazooも「葦笛」ではナイが邦題は英語からの誤訳で「葦笛」としてて
でも仏語から英語になる時点でも誤訳があったワケでなんともややこしい事態だ。(´д`;)ギャボ

基本的には日本語で「葦笛」と訳すのは
英語ではpan flute、もしくはpan pipe
仏語ではflûte de Pan、もしくはsyrinx
これらのpanは材料とする植物の名ではなく
ローマ神話に登場する牧神パン(パーン)に由来してて
仏語のsyrinx(シュリンクス)もこの挿話に因むが
それによれば確かにこの笛は英語ではwater reeds、仏語ではroseauxから作られてて
紛うこと無き「葦笛」なのだが・・・

この牧神パン所以の葦笛の形状は葦を長短に切り音階順に並べて束ねたモノで
前述のパイプオルガンの部品やハーモニカの原型となったようだ

そうしてやっと頭の中が整理できたと思ったら
普段は見もしナイのになぜかテレビをつけると『旅のアルバム・世界の工芸品』なんてのをやってて
しかもイタリアのサルディニアの職人が葦製の笛ラウネッタ(Launetta)を作るって?!

キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

ところがこれが直径2~3cmで葦より全然太いっつーのw
この番組も誤訳なのだった(-_-;)
LINK:ラウネッタ画像あり

☆・・・追記
あとからよくよく調べてみたら
イタリア語ではLauneddasだった
ラウネッタでなくラウネッダスが正しい表記なのでは・・・
さすが天下無敵のNHKクオリティw

androgynous

天使像はギリシア神話の勝利の女神であるニケが原型である
ニケはローマで言うトコロのヴィクトリアで英語のVictoryってのはこれが由来だ
またNikeはスポーツ用品メーカーが使ってるるる~

しかしニケはギリシア・ローマ神話にほとんど登場してなくて
最も系譜に詳述があるアポロドーロスの『ギリシア神話』にも誕生の記載しかナイ
ホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』にも出てこナイから
もしかすると古来からの神ではなかったか地域限定だったのか?

天使像の原型となったニケの彫像はルーブル所蔵の『サモトラケのニケ』で
BC190年頃ロードス人が対シリア戦勝記念にサモトラケ島に建てたモノ
でもフランスまで観に行かなくても日本でも見れるるる~
ルーブル彫刻美術館てのがあるのだ
しかもちょうどTOPページに『サモトラケのニケ』が出てる
LINK:ルーブル彫刻美術館

『サモトラケのニケ』以外では片足の膝を上げてるニケの像が多数あり
これは全力疾走の表現なので
勝敗が決定した際に勝利の宣告を授かって
陣営から陣営と走って廻ったメッセンジャーの役割をしてた
俊足の女性・・・もしくは女性に見紛う容姿の美少年が神格化したのが起源
なんて妄想してるのだが実際はどうなのか不明

この正統派の大人の容姿の天使以外にも
日本の某食品メーカーが登録商標にしてるような乳幼児の姿の天使もいる

【プット】と呼ばれるこのタイプはルーベンスの作品に溢れかえってるが
ルネッサンス期に描かれるようになった比較的新しいモノで
ヴィクトリア朝のイギリスにおいてもブームだったらしく
「Victorian Angels」でググったらその手の画像がどっさりあった

原型としてはギリシア神話のエロス(ローマのアモルもしくはクピド)で
英語圏ではCupid(キューピッド)となるw

アモルとプシュケ (アモルとプシュケ叢書)
アモールとプシケー―女性の自己実現

ギリシア及びローマ神話のエロスの出自には異説が多々あって
これがヘレニズム期にアプロディテの息子とゆーコトで落ち着いた
アプロディテと言えばローマのヴィーナスで
愛と美の女神であるのは誰もが知るトコロだが
それで息子が【アモル:愛】だったり【クピド:欲望】だったりするワケだ

エロスが幼児として描かれるようになったのは
たぶんアプロディテとエロスの親子像が
美女と美少年ではどうにも親子らしくまとまらナイからではナイかと。(´д`;)ギャボ
だからってエロスを全くの赤ん坊にしてしまうとすると
今度はアプロディテが聖母ぽくなってしまう。(゚д゚lll)ギャボ
それで幼児がちょ~ど゚+.(・∀・)゚+.゚イイってコトになったのではなかろうか?

ニケは美術作品も少ナイので天使と見紛うコトはナイだろうが
エロスは数多く描かれてるから素人には見分けがつかナイだろう
周囲の人物がアプロディテやプシュケなどのあからさまな美女か美少女であるか
またはアトリビュートが弓矢であればエロスだ

ところで天使の背にあるのは翼であって羽でも羽根でもナイ

翼は飛行のための器官でその構成単位は羽
羽は翼の構成単位で生えてる状態のモノ
羽根は羽が抜け落ちたモノ

天使や鳥の翼を羽や羽根と誤用しがちだけどあれは翼が正しい
(実際に手元の本もほとんど誤用してるが)

昆虫には通常2枚づつ左右2対で計4枚の羽が生えてて
これらが翼の役割をするが翼ではなく羽(翅とゆー字も使うけど基本的には羽)である
昆虫に類似の羽を持つ妖精やハエそっくりの悪魔ベルゼブブも羽だね

ん(・_・?)
ベルゼブブ以外の悪魔や怪物によくあるコウモリ様のモノは翼なのか羽なのか?
そして飛行機は翼だなヽ(゚∀。)ノ
羽根と根がつくのは抜け落ちてる状態のモノで
羽根ペンはもちろん羽子板やバドミントンに使う羽根及びシャトルもこれに相当するるる~
日本語って難しいね( *゚Д゚)つ[酒]

【大天使】と【天使】では【大天使】の方が階級が上だが
そもそも階級(ヒエラルキー)なる語が初めて使われたのは
1c頃のギリシア人ディオニシウス・アレオパギタの著書『天上位階論』においてであった

この『天上位階論』によると天使は上級・中級・下級の3層に分かれてて
各々更に3隊に分かれてるので全9階級で構成されてるらしい
その中で【大天使】は上から8階級目なので
ガブリエル、ミカエル、ラファエルって実は下っ端?!
それなのにミカエルが総ての天使の総帥てのは辻褄が合わナイ気がするのだがw
ちなみに【大天使】の下の階級(つまり1番下っ端)は【天使】だ

後世になって『天上位階論』は偽書疑惑に曝されたが
にも関わらず「位階論」自体は325年のニケヤの宗教会議でキリスト教の教義として正式に取り入れられて
以降現代まで天使学(アンゲロロギア)において「位階論」が正しい認識としてまかり通ってるるる~
元より天使の階級に信憑性などナイのだがねヽ(゚∀。)ノ

だいたいにおいて天使は科学の法則に従ってナイモノなのでその姿形は人間の概念の便宜上でしかナイ
より人間に近い下級の【大天使】や【天使】には人間に似た姿形が割り振られたのだろう
美術の中で天使らしい姿となれば100%どちらかだ

逆に上級天使は人間の想像を絶する様相をしてる
顔だけで身体がなくて顔から直に翼が生えてたりするのだ

このラファエロの『エゼキエルの幻視』は

正面に人間の顔
右に獅子の顔
左に牛の顔
後ろには鷲の顔で
翼が4枚生えてる

との聖書の記述に基づいてるのだが複雑怪奇な姿は天使よりは怪物。(´д`;)ギャボ
ラファエロは天才的手腕で美的にまとめてるが
これで実際に人間の前に姿を現されたら妖怪だと勘違いするに違いナイ。(゚д゚lll)ギャボ
だがしかし上級の【智天使】だったりして・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

そんなだから実力者のミカエルが天使の総帥として
肩書きだけの上級天使をも従えてるのは尤もな気もしてきたりしてw