Domine, Quo vadis?

1951年のハリウッド映画は
英語読みの『クォ・ヴァディス』で
1954年の岩波文庫も
同じく『クォ・ヴァディス』だった

これが1995年に岩波文庫から出た新訳では
ラテン語に忠実な読みになって
『クオ・ワディス』とされてしまった。(゚д゚lll)ギャボ

通常はギリシア語名やラテン語名の
英語読みには反対派なのだが
長年に渡って慣れ親しんでしまうと
正しい方に違和感がある。(´д`;)ギャボ

かつて自分が愛読した児童書は
1964年に出た偕成社少女世界文学全集だが
Vが「ヴ」でなくて
「バビブベボ」に置き換えられてて
『クォ・バディス』だったし
著者名もシェンキェビチになってたし
映画ではヴィニシウスとリジアだったのも
ビニキウスとリギアだった

しかし新訳はラテン語読みに正しく
『クオ・ワディス』になってるのと同様
ヴィニシウスもウィニシウスとなり
何が不便かってググる際に
何通りもググる必要が生じるし
そうしてググる人のコトを考えると
こうして記事にする時にも
表記について延々と説明する羽目に(-_-;)

てなワケで
表記についてが長くなったが
以下は本題の「QUO VADIS」の意味について

『新約聖書』では「ヨハネの福音書」13-36の
【最後の晩餐】のすぐ後の場面での
シモン(別名ペテロ)の科白に出てくる

Domine, Quo vadis?

Domine:主よ(とゆー呼びかけ)
Quo vadis?:いずこへ?
主と呼ばれたイエス・キリストの行く手には
磔刑に処される運命が待ち受けてるので
最終的な行き先は処刑場だ

しかしイエスはこれに答えず
シモンに以下のような暗示的な予言をする

鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしをしらないと言います。

シモンは予言通りに
イエスを知らナイと3度言い
イエスは十字架に架けられたが
シモンは免れたのだった

以降、シモンはペテロを名乗るが
その後、ローマにおいて
ぺテロ自身の身の上が危うくなり
こっそりローマを出ようとした時の話が
『新約聖書外典』の「ペテロ行伝」35にある

逃げ出そうとしてるまさにその時
イエス(の幻影)が現れて
ペテロが同じ科白でイエスに問うのだ

Domine, Quo vadis?

イエスはローマに戻って
十字架に架けられようとしてたので
「今度こそ自身が十字架に架けられよう!」
そんな決意をしたペテロは
ローマに戻って磔刑に処された

しかも主と同じでは畏れ多いとして
わざわざさかさまになって
十字架に架けられたが
シェンキェヴィチの小説に出てくるのは
後の方の問いかけのシーンだ

それにしても「ペテロ行伝」が
『新約聖書』の正典から排除されたのは
正典とするのに相応しくなかったからだろうが
その基準は曖昧模糊としてる

ユダヤ教とキリスト教では
正典に入れてるモノが同じではなくて
そんな事情からも明らかなように
正典か外典かの差と信憑性は無関係だ

ぶっちゃけ、どちらも信憑性に欠けるが
外典にも興味深い挿話は満載で
芸術作品の主題になってるモノも多い

と、この辺りでそろそろ
『クォ・ヴァディス』のあらすじを
映画版に沿って紹介しておく

青年貴族マーカス・ヴィニシウスのいた軍隊が
凱旋帰国したが
そのまますぐに帰宅できなかったのは
ネロが戦勝記念の祝典を行うまで
足止めを食らったからだった

その間にヴィニシウスは
アウルス将軍の館で世話になるが
この館で運命の美(少)女リジアと出会う

リジアとはローマに滅ぼされた蛮族の国名で
ローマにしてみたら蛮族抑止のための討伐なれど
勝手に蛮族呼ばわりされて滅ぼされた方からすると
ローマに略奪されたとしか言いようがナイが
その討伐なり略奪なりの際に孤児になった娘が
亡き祖国の名を名乗ってた

それもそのはずで
リジアはただの戦災孤児でなく
その国の王女だったらしく
忠実な下僕の巨人ウルススも
共にアウルス将軍の家に身を寄せてた

本来なら元の身分に関係なく
侵略されてローマ帝国の一部となったら
その国の民は王女であれ
ローマ人の奴隷となるのが常だろうが
リジアはアウルス将軍夫妻に
本トの娘のように大切に育てられてた

これはキリストの教えの高潔さが
この物語の主題でもあるので
キリスト教徒のアウルス夫妻が
慈悲心に優れてると示したかったのだろう

映画ではヴィニシウスとリジアの
ロマンス仕立てにもなってるが
基本的にはヴィニシウスの改悛の物語であり
キリスト教徒が大嫌いなネロを
ローマの大火の犯人に仕立て上げて
極悪非道のレッテルを貼るのが
目的なのではなかろうか?!

著者のシェンキェヴィチはポーランド人で
もちろんキリスト教徒だろうが
それ以上に祖国の独立を望んでて
圧政に対しての正しき者たちの抵抗を
描きたかったのだろうし
そこでわかりやすいように
ネロの時代を脚色したのだろう

でもローマの大火はネロの仕業ではなく
キリスト教信者はネロ以外の皇帝も
厳しく取り締まってたのだ

ちなみに「ペテロ行伝」の最後には
ネロがペテロの処刑には関わってなかった事実と
その後キリスト教信者の迫害から
手を引いたコトがちゃんと述べられてる

またリジアなる国は
実はポーランドのコトで
故国を失った王女リジアは
シェンキェヴィチ自身を投影してるるる~

『新約聖書』の中のサロメ

『新約聖書』ルカ9、ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情

 さて、国王ヘロデは、このすべての出来事を聞いて、ひどく当惑していた。それは、ある人々が、
「ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。」
と言い、ほかの人々は、
「エリヤが現れたのだ。」
と言い、さらに別の人々は、
「昔の預言者のひとりがよみがえったのだ。」
と言っていたからである。ヘロデは言った。
「ヨハネなら、私が首をはねたのだ。そうしたことがうわさされているこの人は、いったいだれなのだろう。」
ヘロデはイエスに会ってみようとした。

『新約聖書』マタイ14、ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情

 そのころ、国王ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、侍従たちに言った。
「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」
実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、牢に入れたのであった。それは、ヨハネが彼に、
「あなたが彼女をめとるのは不法です。」
と言い張ったからである。ヘロデはヨハネを殺したかったが、群集を恐れた。というのは、彼らはヨハネを預言者と認めていたからである。
 たまたまヘロデの誕生祝があって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。
「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。彼は、人をやって、牢の中でヨハネの首をはねさせた。そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。
 それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

『新約聖書』マルコ6、ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情

 イエスの名が知れ渡ったので、ヘロデ王の耳にもはいった。人々は、
「バプテスマのヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が、彼のうちに働いているのだ。」
と言っていた。別の人々は、
「彼はエリヤだ。」
と言い、さらに別の人々は、
「昔の預言者の中のひとりのような預言者だ。」
と、言っていた。
 しかし、ヘロデはうわさを聞いて、
「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」
と、言っていた。実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、人をやってヨハネを捕え、牢につないだのであった。これは、ヨハネがヘロデに、
「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です。」
と言い張った、からである。ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。
 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、ヘロデヤの娘がはいって来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ。そこで王は、この少女に、
「何でもほしい物を言いなさい。与えよう。」
と、言った。また、
「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう。」
と言って、誓った。そこで少女は出て行って、
「何を願いましょうか。」
とその母親に言った。すると母親は、
「バプテスマのヨハネの首。」
と言った。そこで少女はすぐに、大急ぎで王の前に行き、こう言って頼んだ。
「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます。」
王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。
 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。

Women of Troy

エウリピデスの『トロイアの女たち』の新訳が
なぜか、突如として昨年末に出てた

そう、なぜ、エウリピデスの悲劇の中でも
今、これだけが単品で出るのか、訝しく思ったが
ちょうど蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』の公演があり
それに合わせてだったのだろうか?!

いや、WOWOWで観たらサルトルVer.だったw

トロイアの女たちギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

そう言えば『トロイアの女たち』は
エウリピデスのなら松平千秋訳のをダブって持ってるし(※)
『サルトル全集【33】トロイアの女たち』を
神保町の古本屋で奇跡的にゲトできたが
肝心のセネカ版が未だ手元になかったと思い出した
ちくま文庫のギリシア悲劇【III】エウリピデス(上)筑摩世界文学大系【2】ギリシア・ローマ古典劇集

セネカの『トロイアの女たち』は
京都大学出版の西洋古典叢書の『セネカ悲劇集』に収められてるるる~

セネカ悲劇集〈1〉 (西洋古典叢書)

セネカ悲劇集【1】
狂えるヘラクレス(小川正廣訳)
トロイアの女たち(高橋宏幸訳)
フェニキアの女たち(大西英文訳)
メデア(小林標訳)
パエドラ(大西英文訳)

セネカ悲劇集【2】
オエディプス(岩崎務訳)
アガメムノン(大西英文訳)
テュエステス(宮崎徳也訳)
オエタ山のヘルクレス(竹中康雄訳)
オクタウィア(木村健治訳)

【1】は『トロイアの女たち』以外にも
『フェニキアの女たち』も『メデア』も『パエドラ』(※)も
エウリピデスと比較して差異を読み解きたい
エウリピデスの『ヒッポリュトス』に当たる、ラシーヌだと『フェードル(とイポリート)』

しかし最も興味深いのは【2】の『オクタウィア』だ!
なんせセネカのオリジナルでネロが題材の史劇なのだからして!!

久々にアマゾンで両方チェックしてみたら
【2】が半額以下で出品されてたのでそっちをポチったった♪
トロイヲタとして【1】も絶対いつか購入するだろうがw

とりあえず蜷川の『トロイアの女たち』はサルトルに倣ってたが
現代日本人の常識の範疇に「トロイ戦争」はナイので
そりゃあ誤解のナイようにポセイドンが説明せねばなるまいて
改めてサルトルの手腕に脱帽しつつ
蜷川の奇異なアイディア(3ヶ国語でコロスを繰り返し)にも
よくもこんな鬱陶しいコトをやり通したモノだ
と、感心したし、感動した。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

蜷川はちょっと前に『トロイラスとクレシダ』もWOWOWで観た(※)が
シェイクスピアの全作をオールメールでって試みの一環で
その発想からして素晴らしいと思ったね
しかも『トロイラスとクレシダ』は中でも1番厄介だったろうに
納得の行く出来映えだったのには度肝を抜かれた。(゚д゚lll)ギャボ
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102292/

クレシダには穢れを知らナイ澄んだ美しさがあり
絶世の美女ヘレネの方が蠱惑的ではあるが
決して見劣りはしナイ美貌なはずと思われ。(´д`;)ギャボ
その点、2人とも性別を乗り越えた以上に美的に釣り合ってたが
恐らく女性がやると想像すると
主役のクレシダはでしゃばって美貌から儚さを失するだろうし
ヘレネも美しさよりいやらしさが目立ってしまいそうだ(-_-;)

でも何よりもカサンドラにはぞっとさせられた
『トロイアの女たち』でも運命に憤り、怒りながら舞うカサンドラがいたが
『トロイラスとクレシダ』のカサンドラの方がしなやかな動きで
巫女の資格を失った悲しみが舞踏に表現されてたし
狂気もそれらしく見えた

基本的にカサンドラは狂ってるのではなく
予言を口にすると狂ってるように見えてしまうだけだから
発狂してるだけだと白けてしまうのだよ
カサンドラはアポロンから予言の術を授かったが
引き換えにアポロンの恋人になる約束だったのを破ったので
それでアポロンによって予言が信じてもらえナイようにされたのだ

☆・・・☆・・・☆

宮本亜門の『サロメ』もWOWOWでやってて(※)
観る前はキャスティングに仰天したが
もれなく多部未華子ちゃんのサロメこそがサイコーだった
サロメは無垢ゆえに残酷なのだな・・・
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/101601/

サロメ (岩波文庫)

古典劇はハリウッド映画とかブロードウェイ・ミュージカルでも
原作の魅力が減退しまくりなのが多くてウンザリするが
日本の新劇が魅力を損なわずにやってるなんて
目にするまで思いもよらなかったね

とにかく戯曲は本で読んでるより
舞台で演じてるのを観る方が断然゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのは、当たり前かヽ(゚∀。)ノ

ここは一つ、宮本の『キャンディード』のDVDを購入すべきか?!

防水タブレット

低血圧で朝が弱い、て通説があって
自分もちょ~低血圧で朝起きてすぐにはどうも鈍くて
思い描いたようにしゃきしゃき動けナイし
既に思い描くのも頭の回転が遅い

でも低血圧のせいだとわかりきってるなら
それを逆手にとって血圧を上げりゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイワケで
そのために起床したらまずお風呂なのだ・・・ホゥ(*-∀-)

いきなり熱い湯に浸かって一気に上げるのでなく
ぬるめのお湯で十分にリラックスして(一旦下げてから)
ちょっとづつ熱くして慣らしてくカンジで
まあ少なくても30分~1時間はぬるま湯に浸かってて
この間にはたいてい本を読んでるるる~

そして本を読んでる時はたいていメモを取ってもいて
これらのメモは学生時代からだから物凄い量あったのだが
最近(ここ10年ほど)はブログにまとめたり
とりあえずテキストデータにしてサーバに収納してきた

しかしそれでもメモは増える一方で
もう少し時間があれば、てのは無理だとしても
何かもっと捗る方法ってナイのだろうか?

紙のメモをPCでテキストデータ化してるのって
媒体が別物だってだけで違うコトしてる気になってるが
よく考えてみるとほぼ同じ作業を二重にしてるのに気づいた(゚*゚;)

今更ながら防水性のワープロとか買おうか?
なんて今時のIT企業の人間とは思えナイ発想をしてみたりしたが
時代に即したタブレットに防水ってのがある・・・はず

実際に防水タブレットはあったのだが
自分が想像してたほど市場は広くなかったし
それも年々増えるドコロか生産中止になってる機種もあり
むしろ減ってるらしかった(需要ありそうなのに?)

お風呂でワープロ代わりに使うとなると
必須の機能は防水とQWERTYキーボードとエディタで
できあがったテキストデータはUSBでPCに送っても構わナイが
FTPでサーバにアップするコトができれば便利だ

これらの条件の中でエディタとFTPはアプリを入れたら適うので除外
ヴァーチャルキーボードの使い易さからいくと
サイズは10インチしか在り得なかったので
防水機能と10インチサイズとゆーたった2つの条件に絞られたが
意外にもマッチしてたのは富士通のARROWS Tabしかなく
迷いようもなく購入決定したp(-_-+)q

新品 docomo ARROWS Tab LTE F-01D by FUJITSU エターナルホワイト 白ロム

金額的には6~7万なのでVaioより高額だったが
いくら安かろうと妥協して不要なタブレットを買うのは意味がナイ
しかもほぼスマホMEDIASを使い始めてたので
7インチのタブレットなら要らナイ、スマホで事足りる、と思えた

DoCoMoの月々サポート割引の対象商品だったのもあり
これはカナ~リ思い切って購入
しかし本トに欲しいモノは高額でも買うべきで
購入以来、紙のメモは増えてナイが
それ以上に色々便利で今ではPCより重宝してるるる~

なんと言ってもPCを立ち上げなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイのは
手頃感がハンパではナイ!!

mixiなんかはアプリも秀逸なのでPC画面よりやり易いくらいだし
今やPCはTumblr専用機になりつつあったり(※)
当然ながらAndroidアプリではできナイようなブログのカスタマイズ、自作プログラムの修正
買い物や会員サイトの情報変更など、個人情報を入力する場合はPCありきなのだがね

そして昨夜から電子書籍リーダーとしても使い始めたが
画面が大きくて=字が大きくて行間も広い、ので使い心地はサイコー!

電子書店BookLive!では無料で会員登録するだけで
タブレットにリーダーアプリをダウンロード&インストールできた(※)ので
電子書籍での読書を初体験してみたのだ
もちろん端末はPCでもスマホでもOK、12月10日に専用リーダーLideoも発売される

さかしま (河出文庫)

ユイスマンスの『さかしま』を検索したら澁澤龍彦訳があって
[立ち読み]ボタンでダウンロードしてみたら
なんと第5章まで試し読みするコトができたのだった(つまりタダ読み)

フォントはゴシックと明朝が選べて
明朝にしたがルビまで美しく見易かったのが嬉しい
『さかしま』はルビなしでは読めナイような漢字が多く使われてるし
雰囲気で旧字体を使ってたりもするから
文字が小さい以上に印刷がショボいとストレスを感じるのだ。(´д`;)ギャボ

「ギュスターヴ」で検索をかけると
第5章にあるギュスターヴ・モローのページがぱっと開いて
たぐってくと見慣れた挿絵もちゃんと入ってて
モローのサロメ連作の『まぼろし』(※)も見れた
一般的には『出現』の邦題が使われてるが澁澤が『まぼろし』と訳してる

更に専用スタンドも付いてて
これに立てかけて読むのは本物の書籍では味わえナイ楽チンさ♪

これだけでも早朝の風呂場が捗って実に愉しいが
まだまだ使い途はたくさんありそうだ

Goats Head Soup

この1ヶ月ほどに誕生日が巡ってると山羊座=Capricorn(カプリコン)だが
英語の由来はラテン語のCapricornus(カプリコルヌス)だ

caper(山羊)とcornu(角)の合成語で「角のある山羊」即ち「雄山羊」の意で
ギリシア・ローマ神話における牧神の呼び名の1つ

これと似た名前のイタメシ屋のカプリチョーザ(Capricciosa)は
店舗サイトによればイタリア語で「気まぐれ」の意だそう
伊語辞典で確認してみたらCapriccioには「浮気」なんて意味もあった
グリコのカプリコ(Caplico)はスペルが違った~

ブロッコリー ハイブリッドスリーブ 「カプリコーン -山羊座-」

前述にギリシア・ローマ神話とあるが、語源のカプリコルヌスがラテン語なら
当然ながらギリシアでは別名なワケでAigipan(アイギパーン)だ
このAigiも「山羊」のコトだが
Pan(パーン、もしくはパン)は「牧神(牧羊神、半獣神とも)」で
ローマ神話では半獣神ファウヌスに相当する
LINK:牧神の午後

パーンやファウヌスの他にも
パーンが年老いたシレノスだとか森の精霊サテュロスとか
似たり寄ったりの山羊由来の神や精霊は色々いて
これらは頭部に山羊の角を持ってても上半身は人間らしくできてて
でも下半身はやっぱり山羊なのがデフォルトだが
山羊座となると下半身は魚だ

上半身が山羊で下半身が魚になった姿を憐れんでゼウスが星座にした
ってのが大まかな山羊座のエピソードの共通部分だが
誰がどうしてそんな姿になったのかはギリシア・ローマ神話的には定かではナイ
それとゆーのも異説・異論が多過ぎてどれも信憑性がナイのだ

LINK:
第1巻 第1章 神々について〔アポロドーロス〕

196 パーン〔ヒュギーヌス〕

巻5 ピエロスの娘たち〔オウィディウス〕

第16章 ギガンテス〔トマス・ブルフィンチ〕

クロノス、ゼウスの誕生、オリュムポスの神々の出現〔フェリックス・ギラン〕

第2章 神々の誕生〔ピエール・グリマル〕

第20章 そのほかふたつの反乱〔ロバート・グレイヴズ〕

以上を表にまとめてみるるる~

提唱者エピソードの概略誰が何に変身したか?付随するエピソード主要人物(怪物・神)
提唱者エピソードの概略誰が何に変身したか?付随するエピソード主要人物(怪物・神)
アポロドーロス怪物テューポーンを恐れた神々がエジプトへ逃げて、その追跡も恐れたので動物に姿を変えた神々がそれぞれどんな動物になったかや、山羊座誕生のエピソードなどは一切ナシゼウスはテューポーンにやられて手足の腱を隠されたが、これを盗み出したのがヘルメスとアイギパーンだとしてるテューポーン
ゼウス
ヘルメス
アイギパーン
ヒュギーヌス怪物テューポーンを恐れる神々に対して、パーンが動物に変身して身を潜めるコトを提案したのに従って変えた山羊の姿に変身してたパーンはそのまま星座になったが、他の神々が何に変身してたかは不明パーンの指示通りにしてる間にゼウスによってテューポーンが倒され、助かった神々はパーンを星座の列に加えるように推薦したテューポーン
ゼウス
パーン
オウィディウス怪物テュポエウスを恐れて神々はエジプトまで逃げたが、そこまで追って来たので動物に変身したユピテルが雄羊、アポロンは烏、バッコスは山羊、ディアナは猫、ユノーは白い牝牛、メルクリウスは朱鷺になったがバッコスが星座になったとはナイテュポエウスは倒れ、シケリア島の下敷きになって、口から炎を吐き火山となり、時々暴れて地震を起こすようになったが、誰にどうしてやられたかは不明テュポエウス
ユピテル
バッコス
メルクリウス
トマス・ブルフィンチ怪物テューポーンを恐れて神々はエジプトまで逃げたが、そこまで追って来たので動物に変身したゼウスが雄羊、アポローンは烏、ディオニューソスは山羊、アルテミスは猫、ヘーラーは牝牛、アプロディーテーは魚、ヘルメスは鳥になったがディオニューソスが星座になったとはナイ基本的にブルフィンチはオウィディウスに倣ってるが、テューポーンのその後の様子はなく、雷霆で倒された、とだけあるのは暗にゼウスの仕業テューポーン
ゼウス
ディオニューソス
ヘルメス
フェリックス・ギランテューポーンとテュポーエウスが別人・・・いや、別怪物としてて、テュポーエウスがエジプトまで神々を追いやった恐るべき怪物としてるが、神々の動物への変身の記述はナイ一切ナシゼウスがテュポーエウスにやられた際には、手足の腱を切られて閉じ込められてたが、ヘルメスがゼウスを救出したテュポーエウス
ゼウス
ヘルメス
ピエール・グリマルテュポン(テュポエウス)には諸説あり、と断った上でテュポンが天上に攻めてきたので、神々はエジプトまで逃げて、動物に姿を変えて砂漠に身を隠したアポロンは鳶、ヘルメスはこうのとり、アレスは魚、ディオニュソスは山羊、ヘパイストスは牛になったがディオニュソスが星座になったとはナイゼウスはテュポンにやられて手足の腱を隠されたが、これを盗み出したのがヘルメスとパンで、最後にはゼウスによってテュポンはシシリアのエトナ山の下敷きにテュポン
ゼウス
ディオニュソス
パン
ヘルメス
ロバート・グレイヴズテュポンが火を吐きながら突進してきたので、神々は動物に変身してエジプトへ逃げたゼウスは牡羊、ヘラは牝牛、アポロンは烏、ポセイドンは馬、アルテミスは山猫、アレスは猪、ヘルメスは鶴になったが山羊になった神はいナイゼウスはテュポンにやられて手足の腱を隠されて幽閉されてたが、パーンが見張りを驚かした隙に、ヘルメスが見張りから腱を盗み出してゼウスに戻し、アポロンが見張りを射殺した、最後にはゼウスによってテュポンはシチリアのエトナ山の下敷きにテュポン
ゼウス
パーン
ヘルメス

以上、古来から現代までの怪物テュポンの代表的なエピソードだが
これらの中で山羊座の由来とはっきり明示してるのはヒュギーヌスだけとなると
後からこじつけたようにしか思えなくなってきたな。(´д`;)ギャボ

山羊座と牧神と半獣神と( *゚Д゚)つ[酒]の神は
かように一緒くたにされてたり混在してたりするのだが
パーンやファウヌスやサテュロスは酒呑みで好色で音楽や舞踊を好む宴会気質で
ギリシアのディオニュソスやローマのバッカスと縁が深く
親しみを感じてしまうのは自分が酒呑みだからだが
飲酒や肉欲や音楽や舞踊といった快楽に溺れるのはあまりよろしくナイ
とゆーのが一般的には良識ある見解とされてるだろう

とりわけ敬虔なキリスト教信者にとっては
快楽に耽る=悪魔に魂を売るが如くで
そういう牧神の所業が悪魔のイメージと重なるからか
サタンやバフォメットなどが山羊男の姿に描かれてるのではなかろうか?

それに比して【神の子羊】などとも言うが
イエス・キリスト自身もまた羊に例えられてて
彼を信奉する者もまた羊になぞらえられ
『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」の最後の審判の様子には次のようにある

羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、 羊を自分の右に、山羊を左に置きます

要するに信者(羊)とそうでナイ者(山羊)を選り分けて
羊は天国へ昇れるが山羊は地獄へ落とされる・・・
キリスト教ではここまではっきりと山羊は悪魔の象徴となってるのだ。(゚д゚lll)ギャボ

山羊の頭のスープ

表題の『山羊の頭のスープ』はローリング・ストーンズのアルバムのタイトルだが
キリスト教圏では上記のように間違いなく
山羊=悪魔、なので
キリストがその血と肉をワインとパンにしたように
悪魔が頭を煮出したスープはどうだい、なんてねヽ(゚∀。)ノ
ミック・ジャガーは洒落ててカッコ゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

そうなるとこのアルバム1曲目の「Dancing with Mr.D」ってDevil?Daemon?
いや、もれなくディオニュソスでは?!

山羊男はディオニュソスの従者で酒宴で音楽や舞踊を捧げるのだから
そこで演奏するのがストーンズでしょ、やっぱ(*^^*)

大天使

御絵(※)コレクションの中で大天使のガブリエル、ラファエル、ミカエルは
今でも格別に大切にしてるのはほとんど恋をしてるからだ
金髪の長髪好きは間違いなくここからきてるるる~ヽ(゚∀。)ノ
御絵(ごえ)はイエスやマリア、大天使や聖人が描かれたカード

まずは最愛の大天使ガブリエル

大天使の中でも超エリートで
主にメッセンジャーとして活躍してるので
結婚前の処女マリアに神の子が宿ったと告知しに来たのもガブリエル

【受胎告知】の天使ガブリエル、とゆーのは
キリスト教圏や西欧美術愛好者にとって常識だが
N○Kの『○曜美術館』でミカエルと解説された時には驚いたのなんの
ナレーターの読み間違いなのか、元(台本)から間違ってるのか
どういうコトなのか気になって思わず投書したねw

確認不足でした

みたいな返答が絵葉書のウラに書かれて封書に入って送られてきたが
【受胎告知】の天使の名を確認しなくちゃわからナイくらい
美術番組の制作者に常識的な人間がいナイのだ、と愕然とした。(゚д゚lll)ギャボ
それ以上に関係者でさえこれなら
一般的には全く知られてナイのだ、と予測できるので呆然とした。(´д`;)ギャボ

ガブリエルはたいてい清純の象徴の百合を手にしてるが
他にオリーブの枝や棕櫚(シュロ)の枝笏(シャク)や杖などもある

神からの伝言を人間に報せに来るのはたいていこのガブリエルで
『旧約聖書』然り『新約聖書』然り
イスラム教の創始者マホメットに神の言葉を伝えたのもそう

絵画を見る限りでは1番おしゃれな天使で最も女性的に描かれてるが
マリア等の受胎告知の際には怖れナイように女性の姿で現れた、って説もあるるる~

このバーン・ジョーンズの描いた髪の短いガブリエルはどうもいただけナイ
と思うのは自分だけだろうか・・・?

そういえばガブリエルは天国の金庫番もしてるくらいだから
神からの信頼度は高いのだろうね
それにしても天国になぜ金庫が必要なのだろうヽ(゚∀。)ノ

次はN○Kに【受胎告知】の天使と間違えられた
戦う大天使ミカエル

ミカエルは神が最初に創った天使らしく古参だけあって
その活躍には枚挙に暇がナイ
人類に農業を齎したり
サタンと戦ったり
ドラゴンを退治したり
ジャンヌ・ダルクを導いたりしたので
武装して武具を手にしてる姿で描かれるコトが多く
天使が武装してればそれはミカエルだ

ジャンヌ・ダルク (中公文庫)

そんなミカエルの武具以外のアトリビュートには
最後の審判に用いて魂の善悪の分別をする天秤があり
魂を司り善を援けて悪を挫き、善の象徴(?)のキリスト教会を守護する一方で
イスラエル民族(ユダヤ人)の救済もする予定・・・は未定(※)
ミカエルの出現でイスラエル人の受難が終了するとされてる

またミカエルは天使の総帥的な役割も担ってるが
天使の階級は9階級あってその下から2番目の8番目が大天使なので
そんなに下位なのに総帥なのはなぜだろうヽ(゚∀。)ノ

中世には7大天使が世界を代わる代わる支配するとされてて
これによると今現在は4番目のミカエルの支配下で2235年まで続くのだそう
ちなみに後続がアナエル→ラファエル→ガブリエルとなるそうな

ガブリエルとは対照的に男らしく描かれてる天使で
どうして芸術家はここに目をつけてガブリエルとミカエルの好一対を描かナイのだろうか?!
といつも思う・・・p(-_-+)q

最後は水先案内天使ラファエル

癒しの天使ラファエルはエデンの園の生命の樹を守り
病気や怪我の治療にも勤しむ
守護の天使の長でもあり若者や旅人の守護もするが
要するに迷いがある人々を導く天使なので
現代において最も需要のある大天使なのではなかろうか?

通常は旅支度の杖にサンダル履きで
水筒やリュックや蓋付きの小箱を持ってる姿が描かれるが
この御絵ではなぜか杖以外には何も持ってナイw
でも手前の若者は水筒を下げてるから明らかに旅人で
しかも小川の中に立ってるのだ

手を差し伸べるラファエルと手を差し出す若き旅人の間には
どんな駆け引きがあったのか興味をそそられる構図

ラファエルは若者トビアスと旅をしてる姿がよく描かれてるから
目にする姿がいつも旅支度の天使なのだが
本トはその旅の間はアザリアと名乗って人間の姿をしてたはずで
絵画では決まって天使の姿をしてるのを昔からずっと疑問に思ってるのだがw
ウィリアム・ブグローのが唯一人間ぽい(しかも美しい♪)

この題材は『旧約聖書外典』の「トビト記」にあるモノだが
実はラファエルは『旧約聖書』にも『新約聖書』にも正典の方には登場してナイ

バプテスマのヨハネ

もはやタイトルも忘れたが
幼少の砌にイエスの伝記の児童書を持ってて愛読してたw

この冒頭に出てきたのがザカリヤとエリザベツの老夫婦で
2人には子供がいなかったが
ある日ザカリヤが祭壇で香を焚いてると大天使ガブリエルが現れて告げた

「男の子を授かるのでヨハネと名づけるように、ヨハネは預言者となるだろう」

ザカリヤは年老いた妻がまさか妊娠するとはとても信じられずにいると

「お前は信じなかったので、ヨハネ生誕のその時までおしになる」

とも告げられてしまい
その通りにザカリヤはしゃべれなくなってしまった。(゚д゚lll)ギャボ

しかしながらその後エリザベツは男の子を産み
ヨハネと名づけるとザカリヤはまた口がきけるようになった

成長するとヨハネは荒野で修行を積んで

「【神の国】が近づいてるので悔い改めるように」

=人類の世界の終末が近づいてるので洗礼するように、と説き
信じた者たちは洗礼を受けるためにヨハネの元へ・・・

レオナルド・ダ・ヴィンチはそんなヨハネを
荒野で修行してたようにはとても見えナイ血色の生気溢れる若者に描いてて
ダ・ヴィンチの師匠だったヴェロッキオの作中のヨハネとは
比較するのも憚られる無駄な美しさであるるる~

一方ヴェロッキオの『キリストの洗礼』はリアリズムに徹してて
預言者も神の子も人間らしい”よれた”感があり
ダ・ヴィンチの筆による天使ばかりがひたすら美しかったりするのは
マズイだろ。(´д`;)ギャボ

自分が幼少時に読んだ本は子供向けのイエスの伝記だったので
ヨハネについての記述はその生誕についてまでしかなく
次はエリザベツのいとこのマリアの話に移行した(ような気がする・・・よく覚えてナイ)

レオナルド・ダ・ヴィンチと受胎告知 (平凡社ライブラリー)

マリアのトコロにも大天使ガブリエルがやってきて

「既に神の子を身ごもってる」

と告げるのだがこれが【受胎告知】ってヤツで
マリアは親子ほど歳の離れた大工のヨゼフの名のみの妻となり
処女のまま神の子イエスを産む

【受胎告知】はたくさんの画家によって描かれてるが
自分の好みではダヴィンチかボッティチェリが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!

ダヴィンチのは数年前に上野に見に行ったのだが
静的なガブリエルで透き通るような澄んだ美しさに満ちてた!!
生きてる内に本物が見れて嬉しかったな。・゚・(ノД`)・゚・。

ボッティチェリのはダヴィンチとは正反対の躍動的なガブリエルで
服のドレープがゴージャスなのが優雅だ・・・ホゥ(*-∀-)

それにしてもここまでの出来事は
神とか天使とか非科学的な存在は外してフツーに理性的に考察すると
次のように解釈できなくもナイ

・エリザベツが不妊なのではなくザカリヤが種無しだった

・エリザベツは不貞をしたら子を生した

・ザカリヤは不貞に気がついて腹を立てて口をきかなかった

・ザカリヤは大天使ガブリエルのお告げ話を思いついた

・ザカリヤは不貞の子ヨハネを荒野に追いやった

・マリアはエリザベツに大天使ガブリエルのお告げ話を聞いた

・マリアは結婚相手のヨゼフが気に入らなかった

・マリアは結婚相手以外と婚前交渉の末に妊娠

・マリアも大天使ガブリエルのお告げ話を使った

これは何も自分が無神論者だからではなく
現代なら間違いなくエリザベツもマリアも不貞を疑われたからだ
しかもキリスト教圏でなければ疑念では済まされまい

いや、本トに純潔のまま神の子を身ごもってたとしても
夫の身に覚えのナイ子供を産んだ妻の潔白を
キリスト教圏であってもいったい誰が信じてくれよう?

ヘロディア(ヘロデヤ)

1番慣れ親しんだ『新約聖書』に「ヘロデヤ」とあるので
これまでずっと「ヘロデヤ」と表記してたが
一般的なのは「ヘロディア」のようで『ユダヤ古代誌』でもそうだった

Salome (Dover Fine Art, History of Art)

ワイルドの『サロメ』(福田恆存訳・岩波文庫版)では
ヨハネ>ヨカナーン、ヘロデ>エロド、ヘロデヤ>エロディアス
と固有名詞が総てフランス語読みなのだが
シェークスピアの訳を手がけてる福田なら英語版を訳してるはずだのに
英語版も固有名詞はフランス語のままなのだろうか?

Tres cuentos

そうかと思えばフローベールの『Hérodias』は
太田浩一によって『ヘロディア』とされてて巻末に以下の断りがあった

人名、地名等の固有名詞の表記については、聖書に出てくるものは、原則としてそれに従った。

この『ヘロディア』はフローベールの晩年の3作の短編の1つで
『三つの物語(原題:Trois Contes)』に収録されてて
他2篇は『純な心』と『聖ジュリアン伝』なのだが
自分が持ってる福武文庫版(※)は澱みなく読み進めて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
LINK:『三つの物語』(福武文庫版)
岩波文庫版から半世紀後に出た新訳で著者名はフローベールではなくフロベールとされてる

Idols of Perversity: Fantasies of Feminine Evil in Fin-De-Siecle Culture (Oxford Paperbacks)

マラルメにも未完だが『Hérodiade:エロディアード』があり
『LES POÉSIES DE STÉPHAN MALLARMÉ:ステファヌ・マラルメ詩集』に収録されてるが
筑摩世界文学大系【43】マラルメ ヴェルレエヌ ランボオでは
鈴木信太郎訳なので何度読んでも意味不明だ・・・バタリ ゙〓■●゙

それでも何度も読んでしまうのは余りにも美しい単語が鏤められてるからで
日本語の美麗さはここに極まれりってカンジだ・・・ホゥ(*-∀-)

ギュスターヴ・モローの『まぼろし』もしくは『出現』

ファム・ファタルとしてサロメを描き
逸品のオブジェとしてヨハネの生首を描いた最高傑作の絵画と言えば
ギュスターブ・モローの『出現』であるコトに異論を唱える者はいナイだろう
これ以外にもモローのサロメ連作はファム・ファタルのイメージを浸透させた功績が測りしれナイ

モノが生首でなければ王女が舞を舞った褒美を手にして嬉々としてる図でしかナイ
どれほど若く美しい王女だとしてもそこにはなんのドラマもナイ

純潔の王女が可憐な舞を舞って愛らしいペットを得る、とか
淫奔な王女が官能的な舞を舞って珍しい宝石を得る、とか想像に難くナイw

ところがモノが生首ともなると万人を震撼させる戦慄のドラマが生まれるるる~

サロメを主題とした作品を描いた画家達の着眼点には敬服せざるを得ナイが
サロメがなぜヨハネの生首を所望したのか、とゆー主題の根底にあるべき要因が
オスカー・ワイルドの『サロメ』発表以前の作品からは読み取れナイ

ワイルドの創作意欲はそれを明確に打ち出したかったトコロにあると思う
しかもワイルドの解釈は『新約聖書』の記述(※)とは違ってるが
不思議と数多く描かれた「サロメと生首のヨハネ」の構図に肉薄してるのだ
「ヘロデの恐れとバプテスマのヨハネの死の事情」の聖書の記述はルカ9マタイ14マルコ6参照

『新約聖書』によればヨハネの生首を所望してたのはサロメの母親のヘロデヤだ
あくまでも「ヘロデヤがヨハネを逆恨みして処刑を望んでた」とされてて
ヘロデ王はそれに乗り気ではなかったものの、やむなく加担して
ヘロデヤの娘(サロメ)は母親のヘロデヤに促されるままに、素直に加担した

ヨハネの生首を褒美にもらうようにサロメをそそのかしたのはヘロデヤで
褒美にもらったサロメはそれをすぐさまヘロデヤに差し上げてるので
サロメと生首のヨハネが対峙したのは
処刑人より盆に乗ったそれを受け取ってからヘロデヤに差し出すまでの
右から左へと盆を送ったほんの一瞬なのでキスをしてる猶予はナイ

その時のサロメの心情を推察すれば平常心で受け止められる光景であるはずがナイ
それをやってのけたサロメがその時平然としてたのか動揺してたのかまでは
それこそ『新約聖書』からは読み取りようもナイが
やってのけた=超然としてた、と見受けられたのだろう

教義的解釈からすればこの物語の主題は
残忍で好色なヘロデ王とその家族による聖なる洗礼者ヨハネの【受難】なのである

残忍で好色な国王一家= VS 聖者ヨハネ=

さかしま (河出文庫)

モローの『出現』はフロルッサス・デ・ゼッサント(※)によれば
斬首の直後に処刑人の足元の大皿からヨハネの生首が浮遊したためにサロメが怯えてる図、だそうで
『水戸黄門』だと1番見飽きた「印籠を見せられて悪代官がうろたえる場面」だヽ(゚∀。)ノ
悪代官がサロメで水戸黄門(印籠自身?)がヨハネ(の生首)なワケだなw
デ・ゼッサントは実在する人物ではなく、ユイスマンスの小説『A Rebours:さかしま』の主人公
小説中ではこの作品のタイトルが『出現』ではなく、澁澤龍彦氏によって『まぼろし』と訳されてる

ヨハネ(ヨカナーン)の実像

オスカー・ワイルドの『サロメ』では
生首となって盆に盛られたヨカナーン(ヨハネ)にサロメがキスをする
とゆー戦慄を覚えずにはいられナイ場面があるが
聖職者の身ではサロメでなくとも女を受け入れるコトなどできなかったであろう
ましてやヨハネはイエス・キリスト(以下イエスと略す)の洗礼者であった

サロメ誕生―フローベール/ワイルド
エウセビオス「教会史」 (上) (講談社学術文庫)
エウセビオス「教会史」 (下) (講談社学術文庫)

『新約聖書』に登場するヨハネには
このイエスを含む多くの人々に洗礼を授けたヨハネと
イエスの弟子のヨハネとがいるが
前者を「バプテスマ(洗礼者)のヨハネ」、後者を「使徒ヨハネ」と呼び
『ヨハネの黙示録』の著者は一般的には使徒ヨハネ(※)だ
エウセビオスによれば更にもう一人ヨハネが存在してて
その別人のヨハネによって書かれたと『教会史』で述べてる

以下ヨハネとあるのは総てバプテスマのヨハネである

キリスト教(古くはユダヤ教)における洗礼てのは
入信時に行われる頭上に水を注いだり水に浸ったりする儀式で
シャーマニズムにおける禊(みそぎ)と似てるが
イエスがヨハネによって洗礼を受けたのはヨルダン川においてだったそうだ

イエスがヨハネに洗礼を施されたのはその出生に話を遡らせると
ヨハネを産んだのはザカリヤの妻エリザベツで
イエスを処女懐胎で宿して産んだマリアの従姉妹に当たり
同じく処女懐胎によってイエスより一足先に産まれたのがヨハネなのだ
(エリザベツは既婚だったのだから処女ではナイのでは、てな突っ込みはナシでw)

『新約聖書』に幼少時のイエスとヨハネの邂逅の記述はナイのに
幼子イエスと聖母マリアの聖母子図に幼子ヨハネもしばしば登場するのは
親戚なのだから会ってたとしても不自然ではナイからだろうか?!

それにしても腑に落ちナイのは
エリザベツが元より不妊で高齢になってすっかり諦めてたトコロで
ようやくできた跡継ぎのはずのヨハネだのに
なぜか少年のうちから荒野を放浪してユダヤ教の宣教者となってしまったコトだ

ユダヤ教は唯一神ヤハウェを信仰し
ヤハウェの言葉を伝える【預言者】の言う通りに忠実に生活を営む宗教で
この【預言者】の再来ではナイか、と畏れられてたのがヨハネだが
【救世主】としてイエスが現れる、と予言する(※)のだ!
穿った見方をすればイエスを【救世主】に仕立て上げるペテンの片棒を担いでたかもだ!!
「バプテスマのヨハネの質問とイエスの証言」の聖書の記述はルカ7マタイ11参照

とにかくヨハネはたくさんの弟子を持ち、民衆にも畏れられてたのだが
なぜヘロデ王の宮殿の牢に投獄されてたのかと言えば
ヘロデ王とヘロデヤの結婚をヨハネが咎めたのを逆恨みされたのだ(-_-;)
ヨハネの諫言は王族に対する侮辱と見做されたのだろう

それもヨハネの非難の矛先が専らヘロデヤの多淫に向けられてたのだろう
ヘロデヤにしてみると図星だけに我慢ならなかったに違いなく
ヨハネの処刑をヘロデヤが望んでたのは疑う余地がナイ

それではヘロデ王はどうだったかは「マタイ伝」によれば

ヘロデはヨハネを殺したかった

とはっきりとあるのでヘロデ王もヨハネの処刑に乗り気だったようにとれるが
同じ「マタイ伝」の中には

ヘロデはヨハネを預言者として認めていた

ともあり、これはヘロデ王自身がヨハネを信奉してたか否かには関係なく
民衆のヨハネに対する信奉を理解してた、とゆーコトだろう
王としては民衆の反感を買うようなマネはできナイので
ヨハネを捕えさせて牢には繋いだものの、それ以上は手を下せナイでいたのだ

これが「マルコ伝」によるとヘロデ王はヨハネの宣教に対して

喜んで耳を傾けていた

とさえあり、更に王女サロメにヨハネの首を所望された時には

非常に心を痛めた

とマタイとマルコとでは受け止め方が正反対で
『新約聖書』の記述からではヘロデ王の真意は掴めナイが
それまで寵妃ヘロデヤにせがまれてもヨハネを処刑するに至らなかったので
ヘロデ王は明らかにその意志がなかったのでは、と推測する次第だ

そこへきてサロメに促されるままにヨハネの斬首を決行したのは
なぜか・・・ヘロデ王の心理が最も不可解だ