トリマルキオの饗宴

ペトロニウスの小説『サテュリコン』で
恐らく主人公よりも有名なのが
トリマルキオ(Trimalchio)だろう

Trimalchio はギリシア語で
「3度祝福された人」の意

イタリア人監督のフェリーニの映画では
トリマルキオでなく
トリマルチョーネとなってて
他の登場人物も原作と映画で読み方が違うので
下表にまとめておく

登場人物『サテュリコン』『サテリコン』意味
Trimalchioトリマルキオントリマルチョーネ3度祝福された人
Gitonギトンジトーネ隣人(ゲイトン)
Encolpiusエンコルピオスエンコルピオ抱かれる人
Ascyltosアスキュルトスアシルト決してへこたれない人
Eumolpusエウモルポスエウモルポ甘く歌う人

修辞学校の教師の名がアガメムノンなのは

なぜか、彼の名はトロイア戦争におけるギリシア遠征軍の総帥の名にちなむ

とあるが、助教師の名がメネラオスなので
安易にセットでこの有名な悪漢兄弟の名を使ったんだろう

そしてまとめておいてなんだが
臨機応変にどちらも使用する・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

小説の話題ならギトンでも
映画の話題ならジトーネだってワケだが
例外的にトリマルキオは
一般的にもトリマルキオで通ってて
例えば『トリマルキオの饗宴』と冠する本があり
この記事ではその本についても触れてるので
トリマルキオで統一しとくw

その『トリマルキオの饗宴―逸楽と飽食のローマ文化』が
以前は中公新書で出てたのが
『逸楽と飽食の古代ローマ―「トリマルキオの饗宴」を読む』と
中身はそのままでタイトルがちょっと変わって
2012年に講談社学術文庫から再版され
今では電子書籍化した

紙の書籍でも電子書籍でも
この本を手にして最初に捲るページてのが決まってて
それはつまり最も気に入ってる件なのだ

 そのとき、ブドウの葉とキヅタの髪飾りをつけた美少年がブドウの籠を手にして登場し、酒神バッコスのさまざまな仕草を真似ながら、トリマルキオの詩を甲高い声でうたった。

バッカスに扮した美少年が歌い踊るのを思い浮かべて呑むワインは
格別に美味い( *゚Д゚)つ[葡萄酒]

但し、些細なコトだが
岩波文庫の国原吉之助訳のように
ブドウは「葡萄」、キヅタは「常春藤」、と
漢字の方が香り高い気がするのと
「さまざまな仕草」と省略してるのは
後からちゃんと解説があるにせよ、いただけナイ
文中での鮮明な描写があった方が
より陶酔できるのに
ほんのちょっぴり残念に思う

『サテュリコン』では以下のように訳されてる

 こんな会話をかわしていたとき、一人の美少年が葡萄の葉と常春藤で頭髪を飾り、ときに陶酔の酒神バッコスを、ときに苦悩の解放者バッコスを、ときに霊感の鼓吹者バッコスをよそおい、葡萄の実の入った小籠を持ってまわりながら、彼の主人の詩を甲高い声でうたった。

トリマルキオがこの美少年の奴隷に対して
「ディオニュソスよ、自由(リーベル)になれ」
と、声をかけると
美少年奴隷は皿の上のイノシシの頭に乗せられた
解放奴隷の帽子を手にとって
自身の頭に乗せ
皆がそれを祝福してキスをするのだ・・・ホゥ(*-∀-)

これはトリマルキオが美少年を
奴隷の身分から自由にしてやった
と、自分には思えたのだが
注釈でもそこが判然としなかった

ところが『トリマルキオの饗宴』は薀蓄本なので
当然、この場面に対しての詳しい解説があり

 少年はトリマルキオがつくった詩を殊勝にも丸暗記しており、少年らしい高く通る声で朗唱した。詩の最大の理解者は作者であるという法則にたがわず、トリマルキオは深い理解と感銘から心を揺らし、その揺れが言葉となって現われた。

そして自分が悟った通りの状況が述べられてるので
胸がすくのだ!

しかし映画『サテリコン』ではこの場面はナイ。(´д`;)ギャボ

てか、原作に忠実な作りではナイので
既に饗宴に参加してるメンバー(※)からして
大いに違ってたりもするしね
『サテュリコン』では修辞学校の教師ら、エンコルピオス、アスキュルトス、ギトンだが、『サテリコン』ではエンコルピオとエウモルポ

それにしても古代ローマにおいては
奴隷、の単語から発せられるイメージに
陰惨さはまるでナイ!!

とりわけトリマルキオの饗宴においては
主人自身が解放奴隷だってのもあるのかもしれナイが

 少年奴隷たちは面倒な仕事中でもつねに歌をうたっていた。

なんて、陰惨どころか、底抜けに明るいし
アメリカにおける黒人奴隷なんかとは全く違ってて
主人の信頼を得られれば
ちゃんと人間性も尊重されるし
先述のバッカスに扮した少年のように
饗宴での才気の対価として
快く自由を与えるコトさえあるのだ

『サテュリコン』の著者であるペトロニウスは
実際の家族構成がどうだったのかは謎だが
シェンキェヴィチの『クオ・ヴァディス』の中では
美しい奴隷を愛人にしてたりもするし
そもそもローマ帝国の皇帝であるネロも
解放奴隷であるアクテに恋をして
由緒正しい王女だった正妻とは離婚して
アクテを愛人ではなく
正妻に迎えようとしてたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

映画『クォ・ヴァディス』では
ペトロニウスと美女奴隷の恋愛が
非常にロマンティックに描かれてて
自分もこの時代に生まれるなら
美人の奴隷に生まれたいと思ったりw

ネロとアクテの恋物語は
『NERO ザ・ダーク・エンペラー』で堪能できるるる~

サテュロスと『サテュリコン』

ニーチェの『悲劇の誕生』では
2つの比喩的な語が繰り返される

アポロン(的)と
ディオニュソス(的)だ

これらが古代ギリシアの神であり
アポロンは太陽神で
予言、医術、音楽を司ってて
ディオニュソスは酒の神

そのくらいの認識は
およそ無教養な現代日本人でも持ってるだろう

とはいえ

 芸術は、<アポロン的なもの>と<ディオニュソス的なもの>という、ふたつの要素のせめぎあいによって展開してゆく。それはオスとメスによる生殖のようなものだ。生物の場合、ふたつの異質なものが絶えずせめぎあい、両者の和合はしかるべきときに定期的にしか訪れないわけだが、芸術にもそれと似たところがある。そうした芸術の特質を、ただ論理的に理解するだけでなく、ずばり直観的にも把握できるようになれば、美学はおおきく前進することになるだろう。

などと、のっけから言われても
太陽神と(葡萄)酒の神が
どうしてオスとメスほどに対極的なのかは
はっきり言って合点がいかんてw

ギリシア神話の神々の中では
ヘルメスが1番好きだが
次いでアポロンとディオニュソスも
甲乙付け難くお気に入り

そんな自分でさえも
ニーチェのこの位置付けには
疑問を感じてしまう

アポロンは美麗な青年の姿の神で
竪琴を爪弾くのだから
人間だったなら絶対にモテただろうが
これがなぜか非モテなのだ。(゚д゚lll)ギャボ

例えば
予言の術を授けるから恋人になるよう
トロイの王女カッサンドラに言い寄るのもおかしいが
それで振られた腹いせに
予言を信じる者がいナイようにしたり
美女コロニスを手篭めにして
恋人気取りでいたら
他の男と結婚してしまったからって
コロニスを殺そうとしたり
意外と人間臭いってか
姑息な部分が垣間見えるので
ニーチェが示唆するような高潔なイメージは
どうにも持てナイのだが。(´д`;)ギャボ

だいたいアポロンは相手の性別問わず
悲恋のエピソードばかりなのだが
腐女子にとってはアポロンの悲恋こそが
ギリシア神話の美味しい部分だ

ヒュアキントスやキュパリッソスなど
名だたる美少年とアポロンとの
在りし日のやりとりには妄想力を惜しまナイし
美少年の死に際に限定すれば
悲壮感の中にも優美なアポロンてのはわかるが
主知的、理性的とかは違う気がするし
それに比してディオニュソスを
激情的とするのはどうかと思われ

ディオニュソスの配下の
サテュロスのような牧羊神ら(※)は
放埓な獣らしい下半身をしてたりするし
パーンの笛の音でマイナデスは踊るだろうが
ディオニュソス自身は酩酊もせず
超然としてるカンジだが?
ローマのバッカスの従者であるファウヌス然り

サテュロスの名に由来する
『サテュリコン』なる奇異な小説を知ったのは
偕成社の少女世界文学全集の『クォ・バディス』で
そこには『サチリコン』とあり
登場人物のペトロニウスが書いた本なので
実在するとは夢にも思ってなかった

ところが雑誌ALLANの影響で
マルキ・ド・サドを澁澤龍彦訳で読み漁り
澁澤訳のユイスマンスの『さかしま』に巡り会い
ペトロニウスも『サテュリコン』も実在してたと知った!

それはまるでシュリーマンが
トロイの遺跡を探し当てたような興奮を思えたが
なんせネットで検索などできなかった時代のコトで
更に当時、女子高生だった身としては
大っぴらに買い求めづらかったのもあって
闇雲に古本屋を探し回るしかなかった

また映画『サテリコン』の存在を知ったのも
ALLANに載ってたからだが
そこで紹介されてる美少年ジトーネに一目惚れして
この映画を冥土の土産にどうしても観たいp(-_-+)q
そう思いながら20年余りが過ぎ
結局、DVDが発売されたのを買って
観たのは2003年だった

そうしてずっと片隅に追いやりながらも
人生の中で『サテュリコン』を切望してたので
サテュロスの名がいつも脳裏を掠めてて
山羊の角と下半身を持つ異形の姿を
ワリと身近に感じてて
現代日本に魔女狩りが無くて良かったw

最後に最愛のヘルメスに関して
神に対して不謹慎かもしれなんだが
ファッションを含めたルックスがたまらなく好きで
性格的にやんちゃで愛嬌たっぷりなのも
ときめかずにはいられん・・・ホゥ(*-∀-)

アポロンは最も美しい青年の容貌を持つとされ
そりゃあ文句のつけドコロは皆無だが
ヘルメスの方が愛らしいと思えるのは単に好みで
特にボッティチェリの描いた
『プリマヴェーラ(春)』でのヘルメスときたら
甘かやなヘアスタイルといい
端正な顔立ちといい
肉付きのイマイチ感といい
個性的な帽子とサンダル(ブーツ?)といい
大好きなテイストで仕上がっててるるる~

2014年をどう生きるか・・・

2013年は何かと業の深い1年だった

但し、老齢に差し掛かったわが身をもってすると
義務(仕事と家事と介護)をこなすだけで日々手一杯で
いちいち憂えてる暇もなかったし
考え込んで気持ちが沈む前にはもう呑んで昇華してたw
今、振り返ってみても楽しかった記憶しかナイのは
酒のおかげだろう、ディオニュソスに誓って!

ディオニューソス―神話と祭儀

それでも年の瀬になって怪我をしたのは
そのままやり過ごさずに2014年を迎えるために
素面でじっくり考える時間が必要だった気がするるる~

☆・・・☆・・・☆

常に20年先を考えて生きてきたが
齢45にもなると20年先に生きてる可能性は微妙だ
もちろん若い時から死も意識してはきたが
確実に訪れる死の瞬間がよりリアルさを増してきたこの数年は
その時があともう40年なのか、あるいは数年なのか
当たり前だがそこが定かではナイコトで
残りの人生に何をどうするかも定まらなくなってきてた

若い時分には希望が魂を燃え立たせてたので
無になるまで精一杯の抵抗をして生きてく所存だったが
実際、義務に忙殺される生活からは逃れようもなく
魂の希求が蔑ろにされ続けて生きてきてみれば
正直、どちらでもよくなってきた

いずれ無になるなら
とりあえず生きてれば=わざわざ死ななくても
いっか~くらいなレベルに鎮火してきたので
ヨユーすら出てきた

そもそも今こなしてる義務と比較したら
人生に重くのしかかってた3大義務(結婚・出産・育児)が
ここへきてすっかり免除されたようで
これを堂々と放棄できただけで自分の人生を倍にしたようなモノだから
そのお得感だけでも十分に満足できてしまえたりするし
余生はそんなに切羽詰まってまで自ら希求せずとも
それなりに与えられた愉しみをそれなりに享受してる内に
死んでしまうのだろう・・・なんてヨユーがね

こんな書き方だとリア充の人なんかからしたら
つまらナイ人生に見えるかもしれナイが
自分を至福に至らしめるモノは智と美の希求なので
読書によって得られる智と散歩によって感じられる美とで
つまり近所に図書館と公園があって
それを利用する時間があれば充分なのだ

むしろ図書館にはナイ本も自室にはあり
しかも半生の趣味の集大成ができあがってるのだから
許されるなら引き籠って読み尽くしたい・・・!
メシも食わずに没頭したい・・・!!

そんな幸せな一日が訪れナイモノかと夢想するだに
それだけで満ち足りた気分にはなるし
一日が叶わずとも数時間でも(睡眠を削ってでも)
実践できればもれなく幸せなので
朝は起きてすぐに欲望のままに本を読み
夜も眠る前に睡眠欲に負けるまで必ず本を読むのだ
負けやすいように酒を伴って( *゚Д゚)つ[酒]

☆・・・☆・・・☆

怪我をしてホチキスのついた頭で考えて
これからの生き方の指針を「臨機応変」とした

どんな不測の事態でも適応性を発揮して
乗り切れれば乗り切り、どうしてもダメなら留まる、と

問題は解決するモノだが
解決しようもナイ問題には最初から取り組まず
憂鬱が癖にならナイ内に酔って
なるべく気にかけナイように仕向けるのだ

酔うのはアルコールばかりではなく
音楽に陶酔するのもありだし
サッカーを観ながら編み物をしてれば
それ以上に何か気にかけようとしても無理っつ(;つД‘)

その際に常に気を付けるのは病気や怪我だ

今もまだ頭皮の傷は完治してはおらず
少なくともあと1か月は髪を染めたりするのはやばそうだし
あばらが痛むのもまだ数週間は続きそうだ。(´д`;)ギャボ

ずっとくすぶり続けてた下唇のヘルペスが遂に正月早々に炸裂してしまい
今まではヘルペス如きは気にする必要なかったが
週末に男装するのに不細工な要素が目立っては不味い。(゚д゚lll)ギャボ

4日は男装始め、5日は新年会、6日は仕事始めなので
3が日はなるべく疲労回復を心掛けて
大人しく養生しておこうかと・・・

Pythia aut Maenas

新しいブログのタイトルは「アポロンとディオニュソス」になるはずだった

それが「Pythia aut Maenas」となったのは
目の錯覚でURLの「pvsa.mmrs」の部分が「pythia.maenas」に見えてしまい
アポロン神の巫女であるPythia(ピューティアーもしくはピュティア)と
ディオニュソス(あるいはバッカス)の信女のMaenas(マイナス)の方が
ひねりがあって゚+.(・∀・)゚+.゚イイような気がしたからだ

これをGoogle翻訳でラテン語(※)にしようとした際に
「ピュティアとマイナス」でなく「ピュティアかマイナス」にしたのは
アポロンとディオニュソスは「と」による一体感に違和感を感じナイが
ピュティアとマイナスの間には「と」で結びつかナイ強い反発を感じたからだ
ちなみに「Pythia aut Maenas」の”aut”が英語の”or”である

とはいえ、ピュティアとマイナスにはどちらも
忘我する、とゆー共通点があるのだ
ピュティアはある種の毒ガスにやられて神懸りになり
マイナスは葡萄酒のアルコールで狂乱状態になり
前者は予言をし、後者は淫行に耽る

Maenas

また蛇と戯れるこの女がそれだけでマイナスだとわかるのは
マイナデス(マイナスの複数形)が蛇を神聖視してるからなのだが
ピュティアもその名称自体が大蛇(ピュートー)から派生してて
蛇繋がりなのだな・・・などと考えを巡らしてたら
このマイナスが突如としてエウリュディケに見えてきた!

ギリシア神話におけるエウリュディケは
楽人オルフェウスの妻だったが結婚の喜びもつかの間に
蛇に咬まれて死んでしまった女だ

エウリュディケを失ったオルフェウスは嘆き悲しみ
彼女を黄泉の国まで迎えに行き
なんとか連れて帰る段取りまではできたものの
地上に出るまで決して振り向いてはならぬ、とゆー禁忌を犯してしまい
愛妻を携えて地上に戻るコトは叶わなかった・・・
と、そんな悲劇である

ニーチェの処女作『悲劇の誕生』では
「アポロ的」「ディオニューゾス的」なる表現を用いてて
これらが「理性」と「情動」であるとか正反対の形容に対比させてるが
両者を併せ持つと最高峰の芸術(※)形態である【悲劇】になるとも言及してる
【悲劇】はギリシア悲劇を特定してるのだが、それを構成する要素である音楽(コロス)の意味合いが強い

このニーチェの考察にキリスト教的価値観が付随されてしまうと
優美なアポロンが神的、粗野なディオニュソスが悪魔的
と、受け止められがちなので誤謬が生じるのだが
キリスト教のフィルターを省いたもっと太古の宗教観からしたら
アポロンの竪琴が奏でるのは死者に手向ける挽歌なのであり
それに比してディオニュソスのパン・フルートの調べは
生者の音楽なればこそ、エロスの舞踏が引き起こされるのだ

そして死と生は全ての生物が内包してるモノではあるが
決して一個体に同時に顕現するコトはなく
必ずどちらか一方の状態なのである

生死はまるで実体と鏡像のような関係だが
アポロンとディオニュソスも然りで
一人の人間が兼ね備えてる相対する性質のようではなかろうか?

ディオニューソス―神話と祭儀

オルフェウスの悲劇は妻との別離の後日談があり
これがまた悲劇的にも八つ裂きにされて死んでしまうのだが
彼を殺したのはトラキアの女たちであり
彼女らはマイナデスであった

それとゆーのもオルフェウスは亡き妻に捧げる挽歌を奏じてて
それを耳にしたマイナデスに襲われてしまったのだが
要するに情欲を煽っておいて放置プレイだったのでレイプされて
彼女らの狂気が八つ裂きにまで至らしめたのである

ここで1つの疑問が浮かぶのは
オルフェウスは異説ではアポロンの息子だとされてたりもするが
少なくとも彼の竪琴はアポロンから授かってたので
まさに「アポロ的」な挽歌だったはずなのに
マイナデスはなぜ欲情したのか?むしろ欲情できたのか?

解せナイ、これは計画的な犯罪ではあるまいか?

エウリュディケは人間ではなく森のニンフとされてるが
蛇に咬まれて死んだのを考え合わせたら
この女は実はマイナスで、夜の森に集い、葡萄酒で酔い
蛇と踊りながら淫行に興じてたのに
結婚して仲間を裏切ったために蛇の制裁を受けたのではなかろうか?

そもそもオルフェウスがアポロンから竪琴を与えられた際に
楽才をも享受したのだとすれば
それはエウリュディケの挽歌を歌う宿命だったのでは?

自分なりにそう納得してみたトコロで
もう1つ新たな疑問が沸いたのは
オルフェウスの死に様で、ディオニュソスと同じだったのだ

☆追記…
結局、新しいサイトは閉鎖され、このサイトに吸収合併されたw

クリスマスの奇蹟

幼少時からクリスマスのミサにはよく参加してた

超高音シャウトで讃美歌を歌うのが愉しみで
特にLes anges dans nos campagnes(あめのみつかいの)の
歌詞の一部をラテン語で歌えるのが気持ちよかった

Gloria in excelsis Deo!
(最高神に栄光あれ!)

ミサに行く目的の大半はこの部分を熱唱するコトにあり
近年では四ツ谷の聖イグナチオ教会でのパイプオルガンの伴奏が
大のお気に入りであるるる~

それにしてもこの日はカナ~リ寒くて
夕方には寒気→悪寒→発熱とゆー一連の体調予想ができたので
それを回避するために寒さに身体を慣らしておこうと
朝9時から散歩に出かけた

北の丸公園をうろうろしてたら
水辺に小鳥の大挙して押し寄せてきて
すかさず木陰に身を隠して息を殺して見守ってると
こちらには気づかずに1羽が接近してきた!

なんと目の前の30cmほどの至近距離の枝にとまり
くるりと振り返ってこちらを見たので
一瞬、目が合ってしまった!!

スズメより少し大きいくらいで
身体はオレンジ色で頭は黒っぽくて、顔の模様に特長があり
ホオジロのオスと判明♪

そんな奇蹟の瞬間の後は余韻に浸りながら
しばし水辺でのバード・ウォッチングを満喫して
すっかりにやけ顔になってから神保町へ

千代田区の消費生活支援事業「スタンプカード事業」の
¥10,000分が三省堂書店で使えるので
これで毎年クリスマスには
普段は買うのを躊躇するような高額な本を買うのだ

自分にとっては三省堂書店の4階の思想・哲学・宗教の辺りが
この世で最も煩悩に塗れてしまう場所で
あれもこれも欲しい本だらけで
吟味してるうちに新たに欲しい本が増えるばかりだw

いつのまにかプリニウスの『博物誌』が復刊してたりして
でも1冊¥6,000超えで全5巻は自分には無理っつ

プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉

全巻集める予定のプルタルコスの『モラリア』の中では
売り場に【8】しかなかったのでこれだけは即決

モラリア8 (西洋古典叢書)
ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ (シリーズ・古典転生)
地中海の暦と祭り (刀水歴史全書)

毎度、思い悩んでは買わずにきてるブルーノの著作集は
今回こそ購入を決意してたのだがそんな時に限って店頭にはなく
でも『ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ』は
むしろ買いだと思ってこれも即決した

と、2冊で既に¥8,000超えだ

ここであともう1冊を悩んだ末に『地中海の暦と祭り』にしたのは
1番興味深かったタンムズ(あるいはドゥムジ、もしくはアドニス)の
死と復活の祭礼について書かれてたからだ

このタンムズの死を嘆く女たちの声が
プルタルコスの『モラリア』の【5】にある逸話・・・
「大いなる神パンは死んだ」の天の声の正体なのだ
とゆー何か確たる証拠を掴みたいので
これは必須の資料と目論んだのだ

他にもクリスマスの起源となった異教の祭祀について
記述があるかもしれナイ、との期待もあった

最後まで買うかどうか迷いに迷ったが次回に持ち越したのは
『洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー』と
京都大学学術出版会の『トロイア陥落せず:弁論集2』と
その他、デカルト、フーコー、キルケゴール、ヘーゲルとか
予算が余ったら堀口大學の『月下の一群』も
母親のを借りるのが面倒なので自分用を買いたかった

洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー

トロイア陥落せず: 弁論集2 (西洋古典叢書)

それ以外に古本屋で
『現代思想』のユング特集号が¥400だったのと一緒に
値段はなかったが『ディオニュソスへの旅』をおそるおそるレジへ持ってくと
『ディオニュソスへの旅』は蛍光ペンのハイライトが多かったお蔭(?)で
なんと¥100だった

ディオニュソスヲタにしてみれば
この本との出会いだけで奇蹟だったと思えるが
値段が¥100てのは二重の奇蹟だったね

大いなるパーンは死せり

昭和生まれで子供の頃に星座の名の由来に興味があったなら
きっと野尻抱影の本を読んでただろう

自分ももれなくそんな一人で
ギリシア神話自体が野尻の著書で初めて読んだし
そこに鏤められた星座に纏わるエピソード群を拠点として
ギリシア(ローマ)神話の世界観が構築されてったが
一通りわかった気になったトコロで手放してしまって四半世紀経過ヽ(゚∀。)ノ

代わって、この10年来に何十冊もギリシア・ローマ神話の本を購入したが
読めば読むほど、その世界観が覆されてった。(゚д゚lll)ギャボ

同じエピソードでも著者によって内容がマチマチであり
しかも辻褄が合わナイのを無理矢理こじつけてたりするので
改めて神話に異説は付き物だと思い知った。(´д`;)ギャボ

所詮は神話であって
史実でナイのはもちろんだが単なる伝承や英雄伝説より信憑性に欠くし
そこに最初から真も偽もナイのだが
だからこそ自分にとって納得が行くように編纂して
真とすれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイとも思うのだ

むしろ史実だって確実な事象は確固たる事実として脳内に留めるが
それ以上にその時代を担った人々の心理を読み解いて
真実がどうあったのかを思索するコトこそ
歴史を学ぶ意味があるるる~

総ての神話はぶっちゃけ人間による創作だろうが
神話を創り上げる過程においてどんな想いがあったのか
神や怪物は何の比喩で、英雄に映し出された理想の人間像は何の教訓か
そしてなぜ民族の中で信じられて伝えられてきたのか
そこを深読みするのが醍醐味なのだ(*^^*)

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路

それにしたってニーチェが『悲劇の誕生』で比喩に使うほど
アポロンもディオニュソスも明確な切り分けができるキャラクターではなく
逆にギリシア神話の神において最も近しい2柱とも言え
違うのは容貌の美醜と信奉されてる場所(神殿か森か)くらいだ

なんせ両者とも音楽と酒がついて回り
美女との恋愛には全く縁がナイ非モテなのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ツァラトゥストラ (中公文庫)

ニーチェついでに『ツァラトゥストラ』で「神は死んだ」てのがあるが
これはプルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」に
船上で「大いなるパーンは死せり!」との天の声を耳にした逸話が載ってて
後世のご都合主義のキリスト教が
古代の総ての神に代わってイエス・キリストが唯一神になった
などと勝手に解釈したのだ(゚*゚;)

逸話自体に何の根拠もナイのに
それに対するまた更にまるで根拠のナイ解釈で
まともなおつむをしてたらとても納得できナイが
これを当然のように妄信してしまうキリスト教徒に危惧して
この台詞を逆手にとって皮肉を言ってるのだ

モラリア〈5〉 (西洋古典叢書)

だがしかし
自分にはこのプルタルコスの伝える逸話にどうも不信感を抱いてて
3年前にやっと邦訳された『モラリア』【5】を読んでみて
謎が解けた気がしたΣ(゚д゚lll)ガーン

まあ謎解きは長~くなるから後日にして
とにかく酒の神ディオニュソス(バッカス)と牧神パーンと
山羊の角と脚を持ったファウヌス、サテュロス、シレノスの類は
ギリシア・ローマ神話の中で混同されてるので
あちこち読み漁るほどに困惑が増すとゆー有り様なのだが
そんな迷宮から脱出するのには初心に帰るのが1番で
前述したかつての愛読書である野尻の『星の神話・伝説』を入手して
「やぎ座」の項目をたった2ページ読んで万事解決p(-_-+)q

 山羊といっても、魚の尾をしているふしぎな『海山羊』です。そして、これもいて座の半人半馬の怪人などとおなじく、西アジアの星座から伝わったもので、バビロニアの古い彫刻にこの姿が残っています。

そうなのだった!
これらの半獣神の起源はバビロニアの占星術由来なのだった!!
で、1年前に書いた記事[Goats Head Soup]を大幅に修正した(汗)

 パアンというのは、ギリシアの森林と野原の神で、山羊の角と、毛のはえたとがった耳で、足にもひずめがありました。
 彼はいつも山のほら穴に住み、いたってのんきで、遊び好きで、夕ぐれになると穴から出てきて、おなじ半人半獣のサチュロスと、森や谷川の精女(ニンフ)たちを追いまわしたり、ヨシの茎で作ったシリンクスという笛をふいて羊飼いや精女(ニンフ)たちとおどったりしていました。
 あるとき、神々がナイル川の岸で酒盛りをひらき、パアンはヨシの笛をふいて、興をそえていました。そこへ、怪物ティフォン(うお座参照)が現れたので、神々はあわてて、思い思いの形にかわってにげました。パアンも山羊になってナイル川にとびこんだのですが、水にひたった部分だけ魚の尾にかわり、外にでていた部分は山羊のままでした。
 このできごとの記念に、大神ゼウスが、その形を星座に伝えたといいます。しかし、これは、山羊の尾が魚になっているのを、むりに説明した話です。

スッ ━━━━━ ゚+.(゚∀゚)゚+.゚━━━━━ キリ!

ちなみに日本語版Wikipediaの山羊座の項目
出典は明らかにされてはいナイが間違いなく野尻のこの本だなw

うお座参照、とあるのでうお座も見てみるるる~

 この二ひきの魚は、愛の女神アフロディテーと、その子エロースとが、ユウフラテス川の岸を歩いていると、怪物ティフォーンがおどしにでてきたので、親子はあわてて川へとびこみ、魚にばけて逃げました。
 その記念にアテーネ女神が、二ひきの魚を星の間に加えたものと伝えられます。
 この神話は、やぎ座、みなみのうお座にも通じていますが、古代バビロニアでも、この星座を魚と呼んで、女神アシュタルテとその子になっていたので、それがギリシアに伝わって変化したものと思われます。アシュタルテは、ギリシアのアフロディテー(ヴィーナス)と同じ女神で、星では金星にあたります。

このバビロニアのアシュタルテは
アッシリア(アッカド語)のイシュタル由来で
イシュタルは元はと言えばシュメールのイナンナなワケだが
イナンナの夫がドゥムジ、イシュタルの夫・・・もとい愛人はタンムズとなり
このタンムズへの信仰が「大いなるパーンは死せり!」の
謎解きの鍵なのだ・・・愉しいねえ(^▽^*)

ビブロス(イシスとオシリス)

赤地に黒でセンシティヴで流麗なライン
ビアズリーかハリー・クラークのようなイラスト
中心には黒地で金枠に金の文字

七つの愛の物語―「イシスとオシリス」から「トリスタンとイゾルデ」まで

そんな表紙の美しい装丁の本『七つの愛の物語』には
ヨーロッパやオリエントの原初の愛の物語が
タイトル通りに7つ収録されてる

エジプト神話★イシスとオシリス
シュメール(メソポタミア)神話★イナンナとドゥムジ
インド神話★シヴァとサティー
ヘブライ人(イスラエル人、ユダヤ人)の伝承★雅歌
ギリシア神話・ラテン文学★プシュケーとエロース
アラビア人(ペルシア人、セム族)の伝承★ライラーとマジュヌーン
ロマンス(中世ヨーロッパの騎士物語)★トリスタンとイゾルデ

これらの中で「トリスタンとイゾルデ」は何冊も持ってるほどのヲタで
それでも飽き足らずに「トリスタンとイゾルデ」をググってて
この『七つの愛の物語』に出会った(のは2004年)

ギリシア神話もラテン文学もヲタなので
「プシュケーとエロース(アモルとプシュケ)」も
アプレイウスの『黄金の驢馬』の挿話としてよく知った話だった

その『黄金の驢馬』の最後に登場するのがイシスとオシリスで
エジプト神話由来の夫婦(兄妹)神だとは知ってたが
なんせプルタルコスの論文『イシスとオシリスについて』でしか読んでなくて
この神話の内容はどうも朧気だったのだ

では、これから神話を物語りますが、できるだけ手短に、まったく無用の余計な部分は省略することにしましょう。

そう前置きしつつ『イシスとオシリスについて』でも一応あらすじを紹介してはいるが
むしろ逆に無駄にプルタルコスお得意の薀蓄を織り交ぜてくるので
話が横道に逸れまくるわ、1つの単語を深く掘り下げ過ぎるわ
輪郭がさっぱり掴めんてヽ(゚∀。)ノ

しかもそうしてストーリーもはっきりわからナイワリには
違和感を感じて引っかかってしまう箇所があって
例えば、イシスの父親がヘルメスだとか。(´д`;)ギャボ
セト=テュポンとか、オシリス=ディオニュソスとか。(゚д゚lll)ギャボ
まあこういった系譜の異説や異民族間でのすり替えは神話ではよくあるコトだがw

但し、プルタルコスは古代ローマの神官(※)だったが
古代ギリシアの哲学者のような自然哲学に対する考察力があり
神と称される信奉の根源的存在を一種の象徴と捉えてる部分があり
各民族の信仰の由来が近似だった神同士を結びつけてるので説得力はあるるる~
アポロンを祀るデルポイ神殿に仕えてた

それでもどうにも納得が行かナイのは
オシリスの棺が流れ着いたのがビブロスだったってコトで
ウェルギリウスの『アエネーイス』にしてもだが
古代ローマ人が信じてるフェニキア人の各都市の成立年代(※)ってのが
史実より明らかに古過ぎるのだよな(-_-;)
ヘロドトスの『歴史』がフェニキア人についての記述から始まってるのが誤解の元かと推測

エジプト創世神話の時代にビブロスが既に都市化してて
トロイ戦争の頃にはカルタゴが建国されてたなんて・・・バタリ ゙〓■●゙

いや、神話の中で1,000年のズレがあるのは気にならナイが
人類史としたら100年もズレてたら嘘になってしまう
神は1,000年生きるだろうが人は100年も歳をとらずにはいられナイのだ

だからフェニキア人の史実を誤って神話に取り入れたために
神話としても不確実性を露呈してしまってるのがなんとも惜しい気がするのだ

ちなみにゲルハルト・ヘルムの『フェニキア人』によれば
確かにビブロスの遺跡は他のレバノン海岸沿いの都市と比して最も古く
最古で紀元前4,500年頃の村落跡が発見されてるが
イシスが訪ねたような王宮となると村落などではなく
もっと都市化された紀元前2,900年頃より以降と想定されるので
エジプト第1王朝(紀元前3,100年頃)よりも新しい

そもそも同じく『フェニキア人』によればビブロスの呼称は

ブブロスあるいはビュブロスは単に、強大なフェニキアの共同体の名というだけでなく、また、パピルス、すなわち紙の原料を表わすギリシア語でもあったのだ。のちに、それからビブリオン、すなわち本という表現ができ、最後にルナンが集中的に研究していた聖書(ビブル)になった。

パピルスあってこその名称でそう呼んだのも古代ギリシア人てコトは
少なくとも紀元前2,000年以降と更に新しく想定せねばなるまいて(゚*゚;)

対するイシスとオシリスの年代の古さだが
まず混沌からアトゥム=ラーが生じて
シュー(空気もしくは大気)とテフヌト(蒸気もしくは湿気)を産み
シューとテフヌトがゲブ(大地)とヌト(天空)を
ゲブとヌトがイシスとオシリスを産んだとされてるのだから
実はエジプト第1王朝とかのレベルではナイのだ

それはそれとしてイシスとオシリスが1,000年以上とか生きてて
それより前の世代は億単位の年数を生きてるとすると
科学史とはある意味で辻褄が合ってるのだが?!

ゲブとヌトが生まれたのはその名の通りに大地と天空ができた時で
シューとテフヌトが生まれたのは地球ができた45億年前で
アトゥム=ラーが生まれたのはビッグ・バンとか?!

古代エジプト人が地球外生物かと疑われる所以はこの創世神話かΣ(゚д゚lll)ガーン

( *゚Д゚)つ[酒]

毎年のコトだが秋口には真夏の元気はどこへやら
気温の下降と共に体調も思わしくなくなり
とりあえず10月~11月は3回くらいは高熱に見舞われるるる~

ありがたいコトにその予兆に唇にヘルペスが出来てくれるので
唇に違和感を感じた時点でウォッカをがぶ飲みして眠れば
夜中に熱が上がっても朝には下がってたりして
身体が弱くても酒に強いのが救いだ

いまどきロシアウォッカ事情 (ユーラシア・ブックレット)
そんな話をすると「ウォッカで熱が下がるなんて?!」と訝しがられるが
やっぱウォッカで風邪治した人がいたw

風邪が一晩で治った【ロシア民間療法レシピ】

確かに喉も痛ければ温めて蜂蜜を入れたりするし
ミルク、ジュース、サングリアで割ったり
金柑煮、ドライフルーツのイチジク、冷凍ブルーベリー
とーちゃんの手作りのブラックベリージャムなんかを入れて
果実にアルコールが浸透するのを待ちながら1杯に時間をかけて呑んだりもするが
体調が芳しくナイほどぐびぐび呑むワケで
ボトルが3日と持たなかったりするのはこの時期珍しいコトではナイ( *゚Д゚)つ[空]

ほろ酔い加減のロシア―ウォッカ迷言集 (ユーラシア・ブックレット)

一昨夜はそうして呑んでから麻布まで踊りに行って
またそこでテキーラショットを呑んでは踊ってたものだから
相当に酔っ払ってへべれけで帰宅したが
ちょっと小腹が減ってたのでカップスープかなんかを飲んでから寝ようと
やかんを火にかけてからカップスープの素を探すが見つからず
そこですぐに諦めて寝るコトにしたのだが
なんとやかんをかけっ放しで2階の自室でぐっすり!

朝起きてみると笛部分が溶けたやかんがあって
瞬時に反芻して驚いたの何のって!!

その笛部分が溶け出した際の悪臭で和室に寝てた母親が目を覚まして
とにかく火を消してくれたそうだ
洋間でドアを閉めて寝てると音や臭いを遮断してしまうので
火事で逃げ遅れて焼死するのも納得してぞっとした

惨事に至らなかったのは全く不幸中の幸いだった

なんせただでさえ生きてるコト自体が罪とでも言わんばかりに
何をやってもやらなくても母親に罵られるために生きてるようなものなのに
こんな失態をやってしかも借りが出来ては死んだ方がマシだ(-_-;)
と、いつも脳天気な自分だがさすがに昨日は憂鬱になった

しかし何か漠然とした不安に駆られて
四十路になったら酒を止める決心してたのに
だらだら呑み続けてるからこんなコトになったんだな

まあでも実際に酒は薬代わりに必要ではあるから
一切止めるのはどうかと思うので
安全な呑み方に変える、てのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイだろう

そこで考えたルール
1、外で呑むのは1日3杯まで
2、家では具合が悪い時にのみ必要量を自室で呑む

これでまず泥酔で火元に近づくコトはなくなるだろうから
危険回避はできるだろう

それにしても今回の出来事は「年寄りの冷や水」って言葉が身に沁みたw

THE BODY

上野に大英博物館古代ギリシャ展を観に行ってきた

ちなみに最近は「ギリシア」の表記の方が一般的と信じきってて
「ギリシャ」の表記に違和感を感じてたのだが
実はネット上では「ギリシャ」が圧倒的に多かったりして・・・

特設公式サイトを見る限りでは
自分にとっての見所とは当てが外れた「みどころ」ばかりで
135点の中に見る意義のあるモノが何か1つでもあれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
くらいの期待度で颯爽と入場

ギリシア神話についての説明書きがやたらと多いのは毎度のコトだが
そこに人だかりがすごいってのは
それだけ日本人には馴染みが薄い世界観なのだよな~
と改めて思いつつスルーしてどんどん進むと
冥土の土産に見ておく必要があるモノは2点ほどあった

1つは壷絵『パリスの審判』で題材はありがちなのだが
今まで見てきたのとまるで違うので間違い探しのようなおもしろさがあった

並びが向かって左から
アテナ、パリス、ヘラ(ユノー)、ヘルメス、アフロディテ(ウェヌス)で
パリスの頭上には天使が・・・いや、天使ではなくてニケが?!
この場面にニケがいたのは始めて見た
そしてアテナやヘラが堂々と描かれてるのに対して
勝者となったはずのアフロディテが見劣りするしょぼさでほぼ裏面に描かれてる
羊飼いのパリスがいくら実は王子だって玉座に座ってるのも変だし
でもパリスとヘルメスをこよなく愛する自分としては
とりあえず彼らが美しく描かれてたので良しとしてしまおう(*^^*)

そしてもう1つがディオニュソス像だが
これこそ自分が求めてたディオニュソス像なのだった!

女性的で甘美なディオニュソス像てのは数年前にも
東大発掘チームが今世紀に掘り出した『豹を抱くディオニュソス像』を見て
なかなか美しいながらもどうも愚鈍なカンジなのが気になってたのだが
本来の風貌からここまで美的変化したのはたいしたものだ
なんて受け流してたのだ

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路
ディオニューソス―破壊されざる生の根源像
ディオニューソス―神話と祭儀

だがしかし今回の『擬人化した葡萄の木とディオニュソス像』は
( *゚Д゚)つ[酒]の神だってのに酔いが醒めそうに冴え冴えと美しかったのだ!!
いや、一旦醒めたその後はまたその美貌に酔い痴れたのだが(←複雑)!
とにかく顔の表情とボディラインの柔らかさと締まり方の塩梅が
瑞々しい若者のそれでとても石(大理石)とは思えナイ・・・ホゥ(*-∀-)

このディオニュソス像のポストカードがありますように(-人-;)
でもなかったら図録買ってやるるる~p(-_-+)q
そんな一大決心で会場を出てマーチャンダイズの売り場へ行くと
なんとポストカード、キーホルダー、ケータイストラップ、クリアファイルに栞まであり
図録はやめにしてディオニュソスグッズばかり買い込んだのは言うまでもナイw

参考になったのはニケ(小像)とシレノス(小像)

ニケは最も有名なルーブルの『サモトラケのニケ』以外は
アルカイック期のもっと原始的な彫塑が多くて
その中間型くらいのどちらの要素も持つニケだったので新鮮に感じた

シレノスは牧神の中でも格別に不明瞭な存在で
その姿も山羊脚男説と狸腹男説があったり謎が多かったが
今回は狸腹で泥酔してるぽいシレノスに信憑性を見出した気がした

ニケは天使の原型であり
シレノスはディオニュソス(バッカス)に造詣が深いので
天使と酒が好きな自分には気になる存在なのだ

それからしたら今回の展示のメインは
本邦初公開のDISKOBOLOS(円盤投げの像)だったが
このローマ期のコピー作品の出来が゚+.(・∀・)゚+.゚イイのは認めるも
顔がつまらなくてほぼスルーw

肉体美なら顔はどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイってコトはナイ!
ボディラインの美しさに見合う顔でなくてはバランスが悪い!!
決してブサイクではナイのだがいかんせん無表情なので
全然魅力的ではナイのだ・・・ざざざ~んねん

アスリートってのは競技をしてる時
全身全霊を込めてる瞬間に真剣な表情になると思うのだが
そんな魂が篭ってるような顔にちっとも見えんのだ

そもそも円盤投げときたらヒュアキントス(※)に決まってるるる~
まあ肉体美を誇示するのには美少年は向いてナイので
それならアポロンをモデルにしてくれょ
神が人間とは違った優美な表情で軽やかに円盤投げするのは
想像もつかナイからこそ誰か創って見せてくれょ
アポロンと円盤投げしてて円盤が当たって死んでしまいヒヤシンスになった少年

The Golden Touch

『王様の耳はロバの耳』は日本でイソップ物語として親しまれてるが
元ネタはギリシア神話にありロバ耳にされた王様はフリュギアのミダス王だ

このミダス王にはもう一つ有名な物語があり
それがThe Golden Touch

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

ミダス王は酒の神バッカスによって
触れるモノ総てを黄金に変えられるようになった
欲深な王は最初は大喜びだったが
食べ物も飲み物も黄金になるので飢え死にしそうになり
元に戻してくれるよう願った

とゆーのが基本的なあらすじだがなんせギリシア神話なので
バッカスではなくてサテュロスだったりシレノスだったりもするるる~

また上記リンク先のVer.ではミダス王の娘マリゴールドが登場するが
マリゴールドの記述はギリシア神話にもなければ
恐らくイソップにもなかったはず・・・いや、イソップは未確認なのだが
ローマ時代のラテン文学のオウィディウスにもなければ
近代にギリシア・ローマ神話を総括したブルフィンチにもナイのだから
イソップにだけあるのも不自然だろう(-_-;)

ググりまくってみるとマリゴールドはホーソーンの創作らしい?!
ホーソーンは『A Wonder Book for Girls and Boys』として
ギリシア神話の6篇を児童向けに編纂してたのだ

A Wonder-Book for Girls and Boys (Everyman's Library Children's Classics)

収録作品は以下の通り

The Gorgon’s Head
The Golden Touch
The Paradise of Children
The Three Golden Apples
The Miraculous Pitcher
The Chimaera

このホーソーン編纂の児童向けギリシア神話集は
日本語版でも良質な絵本が出てたようだが
残念なコトに現在では入手は困難ぽい。(´д`;)ギャボ(※)
しかしアマゾンで英語版を検索してみたらなんと毎年新刊で出てた。(゚д゚lll)ギャボ

つまり英語圏の子供にはホーソーンのマリゴールドVer.が普及してるのだ!

触れるモノを黄金に変えられるようになったミダス王は
愛娘マリゴールドに触れて黄金にしてしまい
元に戻してくれるように懇願する、てのがマリゴールドVer.で
金銀財宝に目が眩んで大切なモノを見失わナイように
そんな教訓がより効果的に明示されてる
日本語版は青空文庫にあった(^▽^*)アリガタヤ~♪
LINK:ワンダ・ブック――少年・少女のために――
ミダス王がマイダス王だったり、マリゴールドがメアリゴウルドだったり、古い訳は風情があって゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

ところで日本人にはピンとこナイのだが
海外ではヒトラーやビル・ゲイツなどがミダス王に例えられてて
黄金を手中にした業突く張りの権力者で嫌われ者キャラだ

ヒトラーほどの隙のナイ圧倒的な支配者ではナイし
ビル・ゲイツは今では実業家だが元は技師だったのだし
ミダス王の方が全然凡庸な善人に思えるのだがねw

ただミダス王は酒の神ディオニュソス(バッカス)を信奉してたし
その従者の牧神山羊男(サテュロス)のような悦楽に興じる者と仲が良く
そんなコトから悪徳の象徴なのだろうが
それはキリスト教的な人間性の捉え方でしかなく
酒呑みで快楽主義者の無神論者からしたら
見知らぬ人間をいきなり悪人だとして忌み嫌う理由には事足りんて(゚*゚;)

だいたい自分は他人に対しては好き嫌いより探究心が勝ってしまうので
一般論に忠実な人間像なんて何の興味も沸かナイが
奇人変人悪人は観察と考察のし甲斐があり
特になぜそうなってしまったのか
バックグラウンドをあれこれ仮定するのは愉しい

そうしてると必ず最後に2つの答えのどちらかに辿り着くのだ

1.確かに悪辣だが最初からそんな人間ではなかったはず

育つ環境の中で悪意にばかり晒されて
当人が抵抗しても悪意を植え付けられてしまった例だ
一応悪人と認めざるを得ナイのは残念だが
それでもまだ良心は残ってるかもしれナイ可能性はある

2.悪意を持って見るから悪に見えてるだけ

当人に悪気はさらさらナイのに
僻みや妬みといった見る側の発する劣等感が
勝手に悪意を妄想してるに過ぎナイ場合だ
これは全然悪人ではナイ

ミダス王は基本的に後者のような気がするが
ホーソーンの描いたミダス王なら間違いなく後者だ

娘が黄金になって悲しんだミダス王には親としての愛情があった!!

悪人とレッテルを張られてる人間に対して
愛情を確信して創作したホーソーンってなんて情が深いのだろう。・゚・(ノД`)・゚・。

しかし感動すると同時に疑問が沸いた
ホーソーンはキリスト教信者ではなかったのだろうか?

キリスト教信者にとって
ギリシア神話の神さえも異教の邪神だが
牧神山羊男ともなれば姿形からしても悪魔なので
その悪魔と仲良しのミダス王は絶対的な極悪人と見做すのがフツーで
愛情を見出したりはしナイはずヽ(゚∀。)ノ