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昨日(5/7)はロバート・ブラウニングの誕生日だった
と、知ったのは岩波書店のTwitterだ

今日は,イギリスの詩人ロバート・ブラウニングの誕生日(1812年).上田敏訳の「すべて世は事も無し」の名調子でご存じの方も多いでしょう.(後略)

対訳 ブラウニング詩集―イギリス詩人選〈6〉 (岩波文庫)
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

「すべて世は事も無し」は
上田敏の訳詩集『海潮音』の「春の朝」の最後の一行だが
その前の一行とで二行がセットでよく引用される

春の朝 ロバアト・ブラウニング

時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

春の朝の平和な光景を簡潔に表現してから神への感謝で締め括ってるので
それだけだとキリスト教信者の抹香臭さが鼻につくが
訳者の註(※)を読むと一気に面白くなるるる~
『海潮音』は青空文庫にあり、ロバアト・ブラウニングの詩と註は中程より少し後にある

かいつまんで言うなれば
ロバート・ブラウニングは善き信者なので
神にはもちろん、神の創りたもうた世界の全てに対しても
与えられたコトに感謝するだけの楽天主義者でライプニッツのノリに近いw

だから最後の一節も崇高な信仰心がなければ皮肉っぽく感じてしまう
きっとヴォルテールだったらカンディドに呟かせるだろうて

Candide of het optimisme / druk 5

そもそも神が空から世界を見下ろして「問題ナシ、おk」てのは
旧約聖書の「創世記」で第一章の最後の一節(゚ ゚;)

神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。

と、出来立ての世界に満足して締め括ったのを受け売りしてるだけのようだが
でもこれが今の自分の気持ちにぴったり
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

☆・・・☆・・・☆

ばーさんと、その似たような境遇の仲間を見て育ったから
50歳も過ぎた人間こそ人生を謳歌してるるる~
そう思えてずっと彼女らが羨ましかった

ばーさんらは若い頃は芸者で
後に妾宅を与えられて、お手当で生活してた人たちだったが
関東大震災と東京大空襲を助け合って生き抜いて
日陰の身の上でも身を立てようと様々な商売に取り組んで
最終的には皆、大なり小なりの賃貸の家主となって
家賃収入で生活してた立派な人たちだ

子供がいても私生児だったり
私生児と役所には登録してあるが他人の子だったり
様々な事情を抱えてたため
世間からは子供らも蔑まれたのだろうが
彼女らはいつも気丈に笑ってた

屈託がなく、気取ったトコロがなく
天然具合が恥知らずレベルだったりもしたが
好感度は高く、愛嬌に溢れた憎めナイキャラだった

堅気の人に蔑視されるのが我慢ならなかったせいか
子供らの躾には厳しく、想像するだけでも身の縮むお仕置きが用意してあり
それをわかってるから子供らも助け合って言いつけを遵守した

とはいえ、怠ける、だらける、サボる、楽をする、誤魔化す・・・
そういった一切の堕落が許されなかっただけなので
生まれつき勤勉・勤労の素質さえ持ってればなんてコトはなかっただろう

ところが怠惰な性分に生まれついた母親にはきつかったらしい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかもヘマをやらかさナイように気を張って
張り過ぎてうっかりヘマをやってしまったりして
またそのヘマに対して怒られたくナイからって
責任転嫁する手立てにばかり必死になってるのが裏目に出て
それがバレた日には、元はたいしたヘマでなくても大事になってて
大叱責を食らっては逆恨みするような子供だった

そんなのが毎度のコトとなると
その好くナイクセが強固に性格づけられてしまっても無理はナイ
そしてその間違った方向に働く防衛本能が
いつしか犠牲者に対しての攻撃力へと変容しても仕方がナイ

母親が何らかのヘマをする度に自分が叱責されたのはそういうワケなのだ

とは、ある程度の歳を経てからなら理解できるが
物心ついたばかりの自分には理解不可能で耐え難かった
身に覚えのナイ呵責を呪文のように唱え続ける母親が恐ろしかったし
そんな人間に根拠なく蔑まれてるのは腹立たしかった

とにかく自分に対して悪感情をむき出しにして責めてくる母親には
負けナイほどの憎悪や嫌悪を抱き続けるしかなく
ワケがわかったとしてももうとても赦せる存在ではなかったのだ

母親の方も罵るべき存在としか捉えようがなくなってたのだろうが
おもしろいコトに自分の成長に合わせて罵り方が少しづつ変化していって
ここ15年くらいは一貫して
結婚・出産・育児のどれもできナイ人間のクズ、社会のゴミ、呼ばわりで
「女として最低限の結婚・出産・育児の義務から逃れて
それらの辛さを知らずにのうのうと生きてるなんて!
何の苦労もなく、好き勝手してて、遊び歩いてばかりいて
私は日々憂鬱だってのに!!」
とゆーのが定番になってた・・・バタリ゙〓■●゙

一応、事実無根ではなく、事実を言われてるので逆らう気もなく
相槌代わりに「生きててすいませんね」とか詫びながらやり過ごしてたし
酔っ払ったふりしてかわすか、本トに泥酔してしまうか
とりあえず母親とはもうとてもシラフでは対峙できなくなってた(-_-;)

正気になると殺意しか沸かナイからp(-_-+)q

そんな母親が今年になってから肺炎で入院した時は
これで死んでくれ、頼む、帰って来ナイでくれ~と、正直、願ってしまったが
帰って来た母親は少々ボケたせいで余り噛み付いてこなくなった

退院する時には病状はすっかり回復して
唯一気がかりだったのは寝たきりになってたコトだったが
食事と排泄はスパルタで厳しく指導したので
今では1日くらいは放っておいてもダイジョブ(※)になった
1日分3食の食事を用意しておいても放っておけば好き放題にやるから、1日中煎餅を食べてるとかあるけど
それは自分さえ気にしなければ、たいした問題ではなく、週に1日くらいはそれもありだ

てか、1日暇を持て余してるせいか
「洗濯しとこうか?」とか言い出すようになったりしてウケるるる~
最初のうちはぐちゃぐちゃにされるのが嫌で遠慮してたが
別にタオルが皺だらけでも何も困らナイし
メンドウだが害のなさそうな洗濯物を選別しといて洗濯させるコトにした
引き出しを開けると雑然としててめまいがしそうになったが
慣れてくると気にはならなくなるもので
そうしてきちんとした生活を保とうって意識が薄れたせいか
母親が入院前と比べて、精神的にも体力的にも楽になった自分がいるヽ(゚∀。)ノ

実質的にも家事が今まで以上に楽になった
火事が恐いからIHにしたが、魚焼くのにひっくり返す手間も不要になったりとか♪

でも1番救われたのは
母親が素直に「美味しい」と飯を食うようになったコトだな
ダイエットだ、味が合わナイわ、とか文句がなくなった。(゚д゚lll)ギャボ

赤毛のアン DVD-BOX

ばーさんほどのヨユーはナイにしても
少しだけ行く末が明るくなった気がしてきたトコロで
ロバート・ブラウニングの一節を大嫌いな『赤毛のアン』のように
つい小声で呟いてしまうのだった。(´д`;)ギャボ

シェンキェヴィチの小説『クォ・ヴァディス』は
1951年にハリウッドで映画化されたが
この映画では登場人物の名は英語読みだったので
ペトロニウスの愛人となる奴隷女の名Euniceはユーニスだった

Eunice

偕成社世界少女文学全集『クォ・バディス』や岩波文庫『クオ・ワディス』での
エウニケとゆー呼び名の方が自分的にはしっくりくるが
以下は映画についてなのでユーニスで統一する

ユーニスを演じてたのはMarina Bertiなる女優で
画像のように圧倒的な美貌の正統派の美女だ

地中海を越えてローマに連行されて(と、自ら語ってるが)
折りしもペトロニウスに仕えるコトになったのだが
そんな境涯の不遇は全く気にかけておらず
むしろ愛しい主人の傍に仕えてる幸せを噛み締めてるるる~

とゆーのも、主人のペトロニウスに惚れてしまったのだ!!
但し、告白できるような身ではナイので
ユーニスにとって唯一の不幸は想いを秘めねばならナイコトだった!

ところがある日、ペトロニウスの甥の元にやられそうになり
それを激しく拒絶するるる~

どんな罰を受けても構いません、どうか、おそばに!!

ユーニスを貰い受けるはずだった男こそが主人公のヴィニシウスなのだが
元より彼には別に貰い受けたい女がいたのもあり
ペトロニウスはユーニスを手放すのを諦め
主人に逆らったコトに対してユーニスにムチ打ち5回の罰を与える

ペトロニウス「ムチ打ち5回だ」
ユーニス「ここにいても?」
ペトロニウス「行い次第だ」
ユーニス「ありがとうございます」

どんな罰を受けてもペトロニウスの元を離れたくナイp(-_-+)q

そうしてユーニスはしたたかムチ打たれた後で
秘かに主人の胸像にキスをしながら、さも愛しそうにささやく

愛しいご主人様、お慕いしてます、お伝えできたらいいのに・・・

うっとりとした表情でつく溜息のなんたる甘やかさ・・・ホゥ(*-∀-)

そしてまたある日、ついに告白するチャンスが訪れたのだ

ユーニス「老婆の予言の詩があるんです」
ペトロニウス「どんな?」
ユーニス「すみれ色のローマの海に/ヴィーナスが現れて/恋人たちを結び付ける/彼女の腕で永遠に」

ペトロニウスはユーニスの気持ちには全く気付かず
使用人の誰彼と相手の名を挙げるのだが
ユーニスは総てにうなだれながら首を振り続け
最後に主人をまっすぐに見据えてこういう

He's my lord.

一瞬硬直したペトロニウスだったが
ユーニスほどの美女に言い寄られて拒絶できるワケもなく

すみれ色の海へ私が誘ったらどうなる?

なんて返しができるトコロがいかにも洒落モノらしい

そんなペトロニウスに対してユーニスは全く捻りがなくて
えくぼまで作って顔を輝かせながら、小犬のように足下にすがり

嬉しくって気絶します!

しかしどうするかを問いかけただけで
まだ誘われたワケではナイのだ、と気付いた瞬間にしゅんとして

あとはお誘いだけ・・・

てか、この一言こそが誘いでなくて何なのだ?!
そして男の方からがっつり誘わなくてどうするのだ!!

ペトロニウス「それではアンティオキアへ」
ユーニス「ポカ~ン(゚ o ゚*)」
ペトロニウス「気絶しないのかね?」
ユーニス「支度をします、今すぐに(^▽^*)」

愛するコトしかできナイ女が愛されるコトで幸せの絶頂へ
だが、幸せな日々は続かなかった。・゚・(ノД`)・゚・。

ペトロニウスにはユーニスが奏でる竪琴にも死の影を感じ
遂にネロに自殺を命令され、友人を呼んで最期の晩餐で自殺を宣言し
決行した時にはユーニスは何の迷いもなく一緒に果てた
寄り添って眠るように死んでる2人がなぜか幸せそうに見えた

こんな美しい女に命懸けで愛される男はそりゃあ幸せだったろう

『王様の耳はロバの耳』は日本でイソップ物語として親しまれてるが
元ネタはギリシア神話にありロバ耳にされた王様はフリュギアのミダス王だ

このミダス王にはもう一つ有名な物語があり
それがThe Golden Touch

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

ミダス王は酒の神バッカスによって
触れるモノ総てを黄金に変えられるようになった
欲深な王は最初は大喜びだったが
食べ物も飲み物も黄金になるので飢え死にしそうになり
元に戻してくれるよう願った

とゆーのが基本的なあらすじだがなんせギリシア神話なので
バッカスではなくてサテュロスだったりシレノスだったりもするるる~

また上記リンク先のVer.ではミダス王の娘マリゴールドが登場するが
マリゴールドの記述はギリシア神話にもなければ
恐らくイソップにもなかったはず・・・いや、イソップは未確認なのだが
ローマ時代のラテン文学のオウィディウスにもなければ
近代にギリシア・ローマ神話を総括したブルフィンチにもナイのだから
イソップにだけあるのも不自然だろう(-_-;)

ググりまくってみるとマリゴールドはホーソーンの創作らしい?!
ホーソーンは『A Wonder Book for Girls and Boys』として
ギリシア神話の6篇を児童向けに編纂してたのだ

A Wonder-Book for Girls and Boys (Everyman's Library Children's Classics)

収録作品は以下の通り

The Gorgon's Head
The Golden Touch
The Paradise of Children
The Three Golden Apples
The Miraculous Pitcher
The Chimaera

このホーソーン編纂の児童向けギリシア神話集は
日本語版でも良質な絵本が出てたようだが
残念なコトに現在では入手は困難ぽい。(´д`;)ギャボ(※)
しかしアマゾンで英語版を検索してみたらなんと毎年新刊で出てた。(゚д゚lll)ギャボ

つまり英語圏の子供にはホーソーンのマリゴールドVer.が普及してるのだ!

触れるモノを黄金に変えられるようになったミダス王は
愛娘マリゴールドに触れて黄金にしてしまい
元に戻してくれるように懇願する、てのがマリゴールドVer.で
金銀財宝に目が眩んで大切なモノを見失わナイように
そんな教訓がより効果的に明示されてる
日本語版は青空文庫にあった(^▽^*)アリガタヤ~♪
LINK:ワンダ・ブック――少年・少女のために――
ミダス王がマイダス王だったり、マリゴールドがメアリゴウルドだったり、古い訳は風情があって゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

ところで日本人にはピンとこナイのだが
海外ではヒトラーやビル・ゲイツなどがミダス王に例えられてて
黄金を手中にした業突く張りの権力者で嫌われ者キャラだ

ヒトラーほどの隙のナイ圧倒的な支配者ではナイし
ビル・ゲイツは今では実業家だが元は技師だったのだし
ミダス王の方が全然凡庸な善人に思えるのだがねw

ただミダス王は酒の神ディオニュソス(バッカス)を信奉してたし
その従者の牧神山羊男(サテュロス)のような悦楽に興じる者と仲が良く
そんなコトから悪徳の象徴なのだろうが
それはキリスト教的な人間性の捉え方でしかなく
酒呑みで快楽主義者の無神論者からしたら
見知らぬ人間をいきなり悪人だとして忌み嫌う理由には事足りんて(゚*゚;)

だいたい自分は他人に対しては好き嫌いより探究心が勝ってしまうので
一般論に忠実な人間像なんて何の興味も沸かナイが
奇人変人悪人は観察と考察のし甲斐があり
特になぜそうなってしまったのか
バックグラウンドをあれこれ仮定するのは愉しい

そうしてると必ず最後に2つの答えのどちらかに辿り着くのだ

1.確かに悪辣だが最初からそんな人間ではなかったはず

育つ環境の中で悪意にばかり晒されて
当人が抵抗しても悪意を植え付けられてしまった例だ
一応悪人と認めざるを得ナイのは残念だが
それでもまだ良心は残ってるかもしれナイ可能性はある

2.悪意を持って見るから悪に見えてるだけ

当人に悪気はさらさらナイのに
僻みや妬みといった見る側の発する劣等感が
勝手に悪意を妄想してるに過ぎナイ場合だ
これは全然悪人ではナイ

ミダス王は基本的に後者のような気がするが
ホーソーンの描いたミダス王なら間違いなく後者だ

娘が黄金になって悲しんだミダス王には親としての愛情があった!!

悪人とレッテルを張られてる人間に対して
愛情を確信して創作したホーソーンってなんて情が深いのだろう。・゚・(ノД`)・゚・。

しかし感動すると同時に疑問が沸いた
ホーソーンはキリスト教信者ではなかったのだろうか?

キリスト教信者にとって
ギリシア神話の神さえも異教の邪神だが
牧神山羊男ともなれば姿形からしても悪魔なので
その悪魔と仲良しのミダス王は絶対的な極悪人と見做すのがフツーで
愛情を見出したりはしナイはずヽ(゚∀。)ノ

treasureland

夏期休暇は3日で
しかもまとまってはとれナイので
遠出はできようもナイ

年に1度の父親の家のPCのメンテナンス作業日
年に1度の自分の誕生日
年に1度のぬいぐるみの入浴日(フツーは洗濯とゆーがなw)
以上で使い果たしてしまう予定

まあでも日々の読書の時間に旅に出るコトはできるるる~

十五少年漂流記 (集英社文庫J・ヴェルヌコレクション)

まずは無人島へ・・・

ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』だが
これはどうしても読みたいってよりはオマケ(※)につられて消去法で買ってしまった
続・はちくん(アランの幸福論実践)

今まで児童版しか読んだコトがなかったので
完訳は今回購入した新潮文庫版が初となるのだが
読み比べた人によれば「創元社版の方がおもしろい」らしい
確かにこういう古典的なSFの訳書は創元社の方が十八番ってカンジで
愛蔵版とするなら創元社のを買えばよかったかも?!
ちょっぴり航海・・・いや、後悔

十五少年漂流記 (創元SF文庫)

それでもとりあえず児童版に比べたら
読み応えがあって十分愉しめた
登場人物の15少年のキャラ設定がすごく練られてて
読み進む内にそれぞれの性格がすっかり飲み込めた後半では
こいつはまたこうきたか、とにやりとするのが
この本の醍醐味なのだがその点はとても満足したのでね

ところで実生活では漂流はもちろんだが
船旅なんて自分には全く縁がナイ
でも本に関しては【航海記】は1番親近感の持てるジャンルかもしれナイ

ビーグル号世界周航記――ダーウィンは何をみたか (講談社学術文庫)

なんせ幼少期に最もしつこくくどく読み返したのは
ダーウィンの『ビーグル号航海記』で
これで進化論にとりつかれてしまったのだよ!
尤も論説としては自分は反ダーウィニズムの見解を支持してて
ラマルクやカンメラーに共感してるがねw

宝島(上) (お風呂で読む文庫 16)
宝島(下) (お風呂で読む文庫 17)

スティーヴンソンの『宝島』も大好きな本で何度も読んだが
今でも読み始めたらわくわく感が尋常でなく
最後まで一気に読めてしまう!

そりゃあ宿屋の息子が海賊の宝を横取りしに行く話なんて
ときめかナイ方がどうかしてるが
この物語の中で何よりも心を捉えたのは宝物でも海賊でもナイ

海賊フリント船長がどうやって宝島の地図を作成したのか?!

読む度にこの疑問に捉われて
どこぞの漫才師のように眠れぬ夜を過ごしながら
大の地図好きになってしまったのだったヽ(゚∀。)ノ

そうしてとーちゃんの家に行く朝は『宝島』を持って出かけた
『宝島』は完訳版を旺文社文庫で持っててこの訳が凄く気に入ってる
海賊の台詞がなぜか江戸っ子ぽくて
「きゃつをとっつかめえろ!」とか言い出すのだが
まさにとーちゃんがそういう口ぶりなので親しみを感じてしまうのだよね

そういえば今はもう旺文社文庫自体がなくなってしまったのだよな
岩波も好きだが旺文社文庫の方が個性的なラインナップで
それが自分の趣味に合ってたのだが・・・

そうして『宝島』を読みながら
待ち時間に飽きるコトなく電車とバスを乗り継いで
往復4時間近くかけてとーちゃんの家に行った

PCのメンテナンスをしながら
途中でとーちゃんのうでたそばをいただいて
庭のブラックベリーを摘んでジャムをこしらえて
2階の書斎でたくさんの本に囲まれて
楽しい夏休みの1日を過ごした

とーちゃんの本棚から持てるだけの本を借りてきた(*^^*)

ヤスパース『ニーチェの実存的意義』
松浪信三郎『実存哲学』
ラ・ロシュフコオ(内藤耀訳)『箴言と考察』
ボーヴォワール(青柳瑞穂訳)『人間について』
マックス・ウェーバー『基督教的ヒューマニズムと現代』
ダンテ(山川丙三郎訳)『新生』
トルストーイ『懺悔』
春秋社『エドガア・アラン・ポオ全集2』
ユング『現代人のたましい』
ヤッフェ『ユング自伝1・2』

すごい、まるで宝の山だ・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

自分の宝島はとーちゃんの書斎だった(^▽^*)