人間は考える葦である

人間は考える葦である

この有名なフレーズは
パスカルの『パンセ』断章347にある

考える葦(ROSEAU PENSANT)

人間の比喩になぜ【葦】なのか
日本人なら釈然としナイのがフツーだろう

L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature; mais c’est un roseau pensant.
(人間は、自然のうちでもっとも脆い葦でしかない。しかし、それは考える葦である。)

なんて言われても
日本人の常識では【葦】は最も弱い植物ではナイ

【葦】と言われて日本人が思い起こすのは
軒先にぶら下がってたり、立てかけてある簾だろうて
その繊維質は弱いドコロか
強靭にさえ感じられるはずだw

それなのにパスカルの言を鵜呑みにして
賛同しちゃってる人もたまにいるし
中には「パスカルの比喩が甘い」なんて
バックグラウンドを推し量るコトなく
頭ごなしに非難してる輩までいて
YAHOO!知恵袋なんかで答えられてる殆どが
見当違いで失笑モノだったりするが
科学的に、理性的に、要するにまともに考えれば
【葦】より弱い生物なんて、他にもいくらでもいるし
そんなのパスカルも承知してるってヽ(゚∀。)ノ

なぜパスカルはあえて【葦】としたのか?

先に答えを言ってしまえば
キリスト教圏では単に
聖書に倣って人間を【葦】に例えてるので
パスカルもその慣例に従っただけだ

つまり、【葦】を人間に擬えるのは
ユダヤ(※)民族起源なので
換言すれば、【葦】を脆弱たらしめてるのは
旧約聖書成立以前のユダヤ人の感性なのであるるる~
現代日本人に合点が行くワケナイのだ。(´д`;)ギャボ
ヘブライもイスラエルも同義(使用する地域や時代で呼称が変わる)

但し、信者かどうかは別にしても
聖書の記述の真意を理解しようと努めて読んでれば
そういうモノなのだ、と刷り込まれてしまう

自分も信者ではナイが聖書は愛読書なので
旧約聖書の預言で人間を
【傷ついた葦】と表現してたり
イエスが群衆を愚弄するのに
【風に揺れる葦】と形容してるのは
合点は行かずとも
そういうモノと納得はしてたし
キリスト教圏の民であれば
もうそこに違和感を覚える余地もナイのだろう。(゚д゚lll)ギャボ

パスカルと同じく仏語圏のモーパッサンは
『メゾン テリエ』でお祝いに集まってきた人々を

そよ風にゆらぐ葦

としてて、原典のフランス語では次のようにあった

comme des roseaux sous la brise

comme:~のような
brise:弱い風(通常の風は vent で brise はそれより弱い風)

余談だが
風があえてそよ風なのは
これはモーパッサンにしてみれば(※)
vent では喧噪の只中の群衆のようだから
お祝いにかけつけた人々の心情に相応しくなかったので
brise としたのではなかろうか?
訳は杉捷夫

遥かに狂乱の群を離れて〈1〉 (昭和初期世界名作翻訳全集)遥かに狂乱の群を離れて〈2〉 (昭和初期世界名作翻訳全集)

喧噪の只中の群衆、と言えば
トマス・ハーディの『Far From the Madding Crowd』では
混雑した中で押し合いへし合いする群衆を

風に揺り動かされる芦(あし)のやうに揺られながら(※)

と表現してて、原典の英語がどうだかは不明だが
慣用句的な使われ方なのは想像に難くナイ
昭和初期世界名作翻訳全集なので旧かな遣いなのだ(訳者は英文学者宮島新三郎)
タイトルも『遥か群衆を離れて』が一般的だが、これは『遥かに狂乱の群を離れて』

ん(゚ ゚;)?!

改めて気づいたが、このタイトルの
『Far From the Madding Crowd』って
ユダヤ人に言わせれば
「荒野の葦原より遠のいて」なのか?!

☆・・・☆・・・☆

ラ・フォンテーヌの寓話の中に
『樫と蘆(あし)』てのがあって
頑丈な樫の木が自信満々で
何があってもびくともしナイ、としてて
鳥が留まったり風が吹いたりしただけで
たわんでしまう葦を
冒頭では憐れんでるのだが
最期には暴風によって
葦はいつものようにたわんだだけだったが
樫は根こそぎ倒れてしまった
と、そんな話だった

☆・・・☆・・・☆

それにしても葦、芦、蘆、葭・・・
葦の字は色々あるのだな

テスとバスシェバ

作者が同じくトマス・ハーディの
『ダーバヴィル家のテス』のテスと

『遥か群衆を離れて』のバスシェバは

その美貌や高潔さなどがよく似たタイプの女だ

しかしテスの一家は困窮してたので
テスが養うしかなかったが
かたやバスシェバは遺産を受け継いで
牧場主となり、成功して金持ちになった

テスは生活のために自らを恥辱に晒さねばならず
またそれがために愛する男に拒絶されるも
バスシェバは条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男のプロポーズも拒み
初めて恋した相手を悠々と夫に迎えるのであるるる~

但し
バスシェバに限らず
世間ではよくあるコトだが
夫は博打好きで酒に溺れるタイプで
妻以外の女にのめり込みやすく
更に放浪癖があった・・・

呑む、打つ、買うは
男の甲斐性だったらまだしも
バスシェバに依存してるのだから
タチが悪い(-_-;)

とはいえ
稀にこれらの悪癖を全く持ち合わせてナイ男もいるが
テスの愛したエンジェルのように
無駄な生真面目さで女を傷付けるのは
尚更タチが悪いし
新婚初夜を迎える寸前に
妻を拒絶するとは
「タチ」も悪いのかヽ(゚∀。)ノ

換言すれば
テスは結婚生活での苦労はなかった!
愛人生活にしたって
アレックが溺れてるのがテスだけだったし
生活する上での金銭的な苦労は
一切、なかったはずだ

実際、テスのような極貧の娘が生きてく術は
貧農の男に嫁ぐか
金持ちの愛人になるしかナイのは
わかりきってる事実だ

どうしても嫁ぎたい貧農の男がいなければ
金持ちの愛人だって゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃナイか?

もしかしてテスは
サミュエル・リチャードソンの『パミラ』で
小間使いのパミラが本妻に成り上がったように
アレックから愛人でなく本妻に望まれたら
子供じみた抵抗などせずに上手くいってたのだろうか?

でも愛人に望まれた純潔至上主義者のテスは
操を守りきれなかった自身と
相手の男をひたすら呪い続けるるる~

テスがこの呪縛から解放されるためには
価値観をひっくり返されるほど
恋人に愛されるしかなかっただろうが
エンジェルはテス以上に純潔至上主義者だったため
相手の男のアレックだけでなく
愛する女のはずのテスも
同じように呪い
穢れてる女とは別れるのだったΣ(゚д゚lll)ガーン

愛する女自身よりも
女の純潔の方が大切で
それを失ってしまったら
女には愛する価値が無いのか???

そんな奇異な価値観を振り翳してくる男よりは
酒と博打と女に溺れ易いトロイの方が
自分にはまだしも人として愛らしいと思えるが
(放浪癖さえなければねぇ・・・)

結末では
エンジェルがテスを赦せるまでに
人としてやっと成長したので
テスを迎えに行くのだが
時既に遅し・・・

と思いきや!
テスはアレックを殺害して
エンジェルと短い逃避行の末に捉えらえ
後に処刑されるのだった!!

かたやバスシェバは
生活に困るコトもナイので
トロイに酷い目に遭いながらも
最期まで愛し続けて
むしろ愛情のストックがある間に
トロイが死んでくれて
こう言っては何だがほっとしただろうし
きっと幸せだったと思う。・゚・(ノД`)・゚・。

夫が単に浮気性だと
嫉妬で腸(はらわた)が煮えくり返るくらいで
赦せば戻ってくるのだと思えば
幸せでいられるし
そんな夫が死んでしまえば
もう浮気のしようもなくなるから一安心だヽ(´▽`)/

女は基本的には
男より精神的に逞しく明朗快活だが
それは男のように無駄なプライドを持ち合わせておらず
実力が無いのに虚勢を張っては
弱点を突付かれていじけたりしナイからだし
まともな女は家事だの雑事に追われて生活してるので
そんな風に自身の殻に閉じ篭って
周囲に当たり散らしてるような暇も無いのだ

女が底力を発揮するのは
不幸な目に遭ってこそなのだと思う(*^^*)

悲恋の経験だって
それを乗り越えられれば
人生を豊かにするし
女の本能がそうと知ってるから
恋愛に勇猛果敢に挑むのだォゥ( -∀-)/

見てくれの「女子力」なんかあったって
当たり障りの無い男にちやほやされて
まるで自惚れが強いだけの
男尊女卑の男みたいになるだけだw

それにしても映像化された『テス』は
ナスターシャ・キンスキー版も
ジェマ・アータートン版(BBCのドラマ)も
テスがアレックに
苺を食べさせられるシーンが゚゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

このシーンが恋の始まりのように映るから
テスがアレックを拒む理由がわからなくなるるる~

だって心底嫌なヤツだったら
その手から苺を口に入れられたりしたら
絶対に気持ち悪くて食べられナイのが女ってもんよ?

主従関係によって拒むコトができなかったとしても
後から意地でも吐き出すと思うから
そういうシーンが必要で
それがなかった以上
テスがアレックを心から拒んではいナイばかりか
受け入れてるように見えてしまう・・・

そしてジェマ・アータートンのこのカウルと・・・

この日傘・・・

こういうのを編んでみたいヽ(´▽`)/

『遥か群衆を離れて(2015)』

2018年3月の時点で
日本では原作の翻訳も絶版状態で
オリジナルの映画もソフト化されておらず。(゚д゚lll)ギャボ

自分はこの2015年のリメイク版を
字幕版も吹替版もWOWOWで観れた(録画した)が
未だにソフトが出てなくて
アマゾンビデオで字幕版が観れるだけの状態。(´д`;)ギャボ

なぜ日本ではこの作品ばかりが
ここまで蔑ろにされてるのか
理解に苦しむ・・・

同じトマス・ハーディ原作で
やはり何度も映画化されてる『テス』は
2種がソフト化もされてるし
原作の『ダーバヴィル家のテス』の翻訳などは
岩波、ちくま、河出・・・と枚挙に暇がナイ程出てて
加えていくつかの全集にも収録されてて
小林清一訳で電子書籍にもなってて
『テス』の解釈本まで数冊あるとゆーのに?!

それにしても冷静に考えてみると
テレンス・スタンプのファンである自分にとって
彼が出てナイ『遥か群衆を離れて(2015)』は
観る意味があるのかどうか・・・?

ましてやバスシェバ役が
『華麗なるギャツビー』の最新(2013年)リメイク版で
デイジーをやったキャリー・マリガンとはね。(´д`;)ギャボ

自分は1974年版での
ミア・ファローのデイジーがお気に入りなので・・・

キャリー・マリガンのデイジーは
余りにもイメージが違ってて
観るのを躊躇した(結局は観たけど)。(゚д゚lll)ギャボ

『華麗なるギャツビー』に比べれば
『遥か群衆を離れて』の方がギャップは少なくて
これなんかは凄く可愛くて
個人的には好きなカンジではあるるる~

でもこれが強気の処女バスシェバかって言えば
どうも違う気がしてならナイ(゚*゚;)

どちらかと言えば
トロイが愛したファニーのイメージだ

これがオリジナルのファニーだが・・・

こちらは2015年版のファニー

こうして見ると
キャリー・マリガンがファニーで
ジュノー・テンプルがバスシェバだと
好かったような気もしてくるが
そうなると男性陣もそのままではダメだな

男性キャストと言えば
2015年版ではトロイとオークだったら
断然オークの方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男に見えるが・・・

犬のせいじゃナイよな?

トロイはこれ
ただのオッサンにしか見えんが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかもそれでいて
゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男の如き振る舞いでは
そもそも強気のバスシェバなら一笑に付して
惚れ込むワケもなかろうp(-_-+)q

アマゾンビデオのレビューでは
テレンス・スタンプのトロイを知らずに
この2015年版のトロイだけを見て
「キモイ」キャラ設定してる人もいるくらいだから
バスシェバ以上にミスキャストだろうw

これならボールドウッドの方が
まだしも・・・いや、断然素敵だろう!

但し、この2015年版のボールドウッドは
原作のイメージより若過ぎる気もするがね

でも原作者トマス・ハーディの意図するトコロを考えたら
オークとトロイとボールドウッドは三者三様で
それぞれに魅力的に描かれるべきなのでは?

自分はオークが好みのタイプではナイが
朴訥とした男が一途に想い続けながらも
その想いを周囲にはひた隠して
影で支えるコトができる程に男前になって
最後にはその成長ぶりを認めたバスシェバが
かつては「あなたを愛してません!」と
プロポーズを断ったのに
「愛してるから戻ってきて!!」と
乞うようになる・・・
これって純朴な青年の成長物語として見れば
凄く感動的な物語ではあると思う

そしてオークを受け入れるには
バスシェバにも恋愛・結婚の破綻を
経験する必要があったとも思う

う~ん、深い・・・

だから、こんなに面白い物語なのに
なぜ、日本では疎んじられてるのだろうかヽ(゚∀。)ノ

La donna è mobile バスシェバの女心

NHK BSの『クラシック倶楽部』を
早朝にやってた時は
毎朝、家事をしながら聴いてた

お気に入りの曲を好ましく奏でてくれてる奏者だとか
稀に美しく装飾されたチェンバロとかだと
家事の手を休めて
画面に釘付けになるコトもしばしばw

ある時
セルソ・アルベロのテノール・リサイタルで
オペラのアリアを程よく軽快に歌ってた

でも自分は常々
オペラは朝っぱらから観るモノではナイ(-_-;)
と、思ってたのだが
それは朝の爽やかな空気感を払拭してしまうからだ

ところがアルベロの明るく透明感のある声には
そんな懸念は吹き飛んでしまい
すっかり魅了されて
ソファーに腰を据えたトコロで
ヴェルディの『リゴレット』のアリア
「女心の歌」が始まった

La donna è mobile
Qual piuma al vento

女は(donna)気まぐれ(mobile)だ
風(vento)の中の羽(piuma)のように

mobile(モービレ)は英語のmobileと同義なのだな
まあ固定されてナイ電子機器を
モバイルと言うのはもはや日本語でもあり
世界共通のIT用語だがね

そんな歌い出しで始まるこの曲には
日本語の歌詞が何種類かあるくらいだから
きっと原詩の表現が抽象的なのだと予測できるが
この時の字幕にはぐっとキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

恋にうるむ肌に触れずにいれば
女心は変わるよ、風の中の羽のよう

恋にうるむ肌・・・てのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!
科学的に、物理的に、潤わすのでなく
スピリチュアルな潤い!!

愛しい相手にそうと気付かれず
触れてもらえずにいれば
風の中の羽のようにふわふわと浮きつ沈みつ
確かに自分自身でも
本心の捉えドコロがなくなってしまいそうだ・・・

このアリアを軽妙に歌うのは
名うてのプレイボーイ(死語?)の公爵なのだが
さすが女心がよくわかってると感心するも
実は公爵のお相手の方が
女心よりもよっぽど移ろいやすいと思われwww

そうなのだp(-_-+)q

男は種蒔き本能がある以上に
新たに開墾したがるモノなのだが
たいていの女は1人の最愛の男しか愛せナイモノだ
女心がわからぬなどと嘆くなかれ

男の態度に応じて
女心は浮き沈みしてるのだから
恋にうるむ肌を存分に堪能すれば
女は素直に男に従うだろうて(*^^*)

☆・・・☆・・・☆

さて
トマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』では
強気な美女バスシェバが
トロイ軍曹と恋に落ちた様子を
以下のように表現してる

強気の女がその強気を投げ棄ててしまふと、投げ棄てるべき強さなどは全く持たない弱気の女よりもっと弱くなるものである。

美女は美しいから強気でいられるのか
強気だからこそ美しく見えてしまうのか?
はたまた弱気な美女なんて存在するのだろうか?

バスシェバはかつては求婚を断るのに
「あなたを愛してませんから!」
と、はっきり言える女だった

ところがトロイに恋してからは
全く理性を失って
俗に言う「恋は盲目」の状態になって
彼の総てを享受するようになり
トロイに対する誹謗や中傷となると
自身のコト以上に憤慨して
事実を彎曲させてでも彼を信じずにはいられナイ
そんなバカな女に成り下がってしまうのであるるる~

傍から見れば
あるいはトロイからしたら
恋に打ちひしがれるバスシェバのバカっぷりは
哀れでしかなかったろう。(´д`;)ギャボ

普段から男に振り回されてるような心弱い女以上に
強気の女が強気を失ってる様子には
憐憫の情を抱かずにはいられナイ・・・

それがトロイを失って(失踪してしまったのだが)
条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男(当然、オークではナイ)に
改めてプロポーズされる(※)も
やはりその男を愛してナイので乗り気ではなく
トロイがもし帰ってこなかったら・・・
との条件を提示した上で受けるので
実質的にはトロイを待ってたのだった。(゚д゚lll)ギャボ
以前も求婚されたが、「あなたを愛してません!」ときっぱり断った

皆がトロイは死んだと思ってて
ましてやトロイの子を身ごもったまま死んだ女との間に
真実の愛を見出したトロイが
いたたまれなくなった故の失踪であると
誰よりもよくわかってるはずのバスシェバだのに
まだトロイを待つのだ、待っていたいのだ

だってトロイを愛してるから。・゚・(ノД`)・゚・。

女は一途だからこそ
女心は風の中の羽のように「不安定」になるのだ

『遥かに狂乱の群を離れて』

先に原作を読んでて
勝手に思い描いたイメージが
映画とは全然違う

Σ(゚д゚lll)ガーン

とか

逆に先に映画で観てて
後から原作の小説を読み進みながら
じわじわと違和感に苛まれて
こんなんじゃナイ

p(-_-+)q

なんてのは
小説が原作の映画の宿命みたいなモノだ

トマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』は
たった1度、映画を観ただけで
その時の鮮烈なヴィジュアルの印象を
20年以上引きずってた後で
初めて小説(※)を読んだので
そのギャップに面食らった。(゚д゚lll)ギャボ
昭和初期訳の『遥かに狂乱の群を離れて』

小説を読むまでは
ヒロインが美貌の農場主バスシェバで・・・

相手役がハンサムで洒落者のトロイ軍曹で・・・

2人の悲恋物語のように捉えてたのだが・・・

小説ではトロイの方が端役扱いで
雇われ羊飼いのゲーブリエル・オークの方が
準主役だったのだ!!

確かに
冒頭でヒロインに求婚してて
最終的にはヒロインとハッピーエンドになるも
殆ど記憶に残ってなかったくらい
映画の中では地味な登場人物なんである。(´д`;)ギャボ

しかも道徳的な人間の見本のように描かれてるが
そういう男はたいていの女にとっては
魅力的とは言い難いタイプだw

小説ではオークのルックスには何の言及もナイので
取り立てて言う程の酷さではなくとも
良くも悪くも抜きん出てはおらず
印象に残らナイ平凡さなのだと解釈できるし
そこは映画のイメージと合ってるとも言えるが
間違いなく女の関心は惹かナイタイプだw

極め付けが恋愛に関して疎過ぎて
女からしたら腹立たしくさえあるのだヽ(゚∀。)ノ

後にそんなオークを上回るレベルの
恋愛に不向きの男の代表格も出現するので
まあそいつと比べれば
いくらか怒りも緩和されるがね・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

物語の最初の方で
バスシェバにプロポーズをした時のオークは
独立したばかりの牧場主で
それなりに結婚生活を送れる収入の見込みはあって
同じように牧場経営をしてる家の娘ならば
結婚相手に望むコトができたし
それを世間から高望みと非難されはしなかった

それで「不当ではナイだろう」との考えから
牧場の手伝いに訪れた美女バスシェバを見初めて
すぐに彼女の家まで押しかけて
いきなり結婚を迫ってしまったのだが
その無骨な性急さが
どれほど女に嫌悪感を抱かせるコトか(゚*゚;)

ましてやその申し込み方も大失敗なのは
彼女の美貌に平伏し
「後生だから結婚してください」とか
懇願するならまだしも
「自分ならあなたを幸せに出来ます」って・・・?!
最悪だな!!

当然ながら
たいしたコトナイ男にそんな風に「卑下」されては
美女が怒り心頭にならナイ方がおかしい!

そこでバスシェバは最も歴然とした断り方をするのだ
「あなたを愛してませんから!」とね

しかしそうとはっきり言われても
オークにはなぜ拒まれたのかが理解不能なのは
結婚生活の資産的な条件が揃えば
求婚を受け入れてもらえると
道徳的な男らしく過信してるからだヽ(゚∀。)ノ

その後
バスシェバは遠くへ行ってしまい
オークは不運に見舞われて牧場を失い
つまりは職も失って
ハローワークのようなトコロへ
職探しに行く身の上となり・・・

それは若しも彼が金持ちだつたとしたら、恐慌といつたほどであつたらうけれども、不幸は個人的恐怖を和らげる立派な麻酔剤である。

なんて描写をされるような転落を余儀なくされたが
その身に余る不幸の最中に
彼が見出した幸せが
もうね、バカバカしくて呆れたっつーの(-_-;)

「彼女と結婚してなくてよかった」

バタリ ゙〓■●゙

幸せに出来ると予想して
結婚しようと思ったが
こんな不幸に巻き込むなら
結婚しなくてよかった

確かに道徳的な見解ではあるなwww

でもこれって
オークがバスシェバを幸せに出来るって自信は
彼女に与えられる物資の質と量だけだって
オーク自身でも自覚してるってコトだし
更に不愉快なのはオークなんか(※)が
バスシェバはそれだけで幸せになれる女だと
上から目線で決め付けてるトコロだp(-_-+)q
美女で引く手数多のバスシェバに対して、オークなんか非モテキモヲタだろうて

もしもバスシェバが
物欲を満たそうと躍起になってるだけの女ならば
最初っからその美貌でもって
いくらでも条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男に
食らいついてるだろうから
オーク如きが相手にされるワケもなかろう?!

こういう非モテ男の何が癇に障るって
「愛してません」と徹底的な根拠によって
はっきりと拒まれてるってのに
その肝心なトコロがスル―されてるからだ!

しかもそんな拒絶を無視して
「結婚してたかも?」なんて図々しく仮定して
「しなくてよかった」までになる???
以上が非モテ男のオークの場合である

☆・・・☆・・・☆

女にとって名状し難い魅力を持ってる男には
不思議な共通点があるが
トロイ軍曹についての以下の描写で・・・

彼にあつては過去とは昨日のことであり、将来とは明日のことであつて、決して、次の時代の謂ではなかつた。

『カサブランカ』のボギーにも・・・

これと似たような台詞がある

昨夜?
そんな昔のことは覚えてない
今夜?
そんな先のことはわからない

女の誘いをそつなく断るのも
気が利いてると思えるから゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男なのだ

この台詞が不躾ながらも
なぜか心地好く響くのには
女が最も拘りを持つ【時系列】に対して
無頓着だ(だから止めた方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ)と
暗に先手を打ってるからだろう

こういう粋な計らいが出来る男ならば
楽しく付き合っていけるだろうと
女に安心感を与えつつも
どこかしら危険な香りもすれば
意外と実直だったり・・・

とにかく
非モテ男にありがちな
生真面目一方に付き合ってくのかと
げんなりくるような「しんどさ」が無いのだ

非モテ男オークとは正反対のトロイは
色男の常で金はなかったが
力の方は剣術が達者で
生まれ持っての家柄と美貌を誇るように
紅い制服が似合う軍人だった

女に対してどんな非道もやってのけそうに見えて
案外ロマンチストな部分も持ち合わせてて
貧しく鈍臭くも愛らしい女を愛し
1度は捨て置きながらも後から純愛に目覚めて
一途に想ってみたりする・・・ホゥ(*-∀-)

まあそれが金持ちで賢い美女の夫の地位を得た後で
なのが不味いのだが。(゚д゚lll)ギャボ

トロイは女に対して臆するトコロがナイので
美女に何の気兼ねも無く
その美貌を褒め称えるコトが出来るのだが
美しく誇り高き処女バスシェバも
ただでさえトロイの容姿から目が離せナイのに
その口から自身を美しいと賛美する言葉が発せられたら
そりゃあ抵抗のしようもなかろうてw

そこで更に追い打ちをかけるように
すっかり゚+.(・∀・)゚+.゚イイ気分になった頃合いに
皮肉交じりにさらりと愛の告白をするのだから
もう本気なのかどうかが気になって
思い悩んでる内に夜も眠れなくなるほどに
狂おしく愛してしまうワケだwww

バスシェバに対するトロイの迫り方を
非モテ男オークの場合と比較すると
その決定的な差がよくわかる

私はあなたを(物資によって)幸せに出来ますから
是非とも結婚しましょうヽ(゚∀。)ノ

   by オーク

他の女とキスするよりあなたに罵られる方が好ましいので
ここ(あなたのそば)にいたいんですよ

   by トロイ

これでトロイを振ってオークを選べるのも
女としてよりむしろ人として立派なのかもしれナイ

でも不幸に陥るかもしれナイ予感がしながらも
ただひたすら愛し愛されたい男として
総てを敵に回してでも
トロイを求めてしまうのが女ってモノだし
最終的にどんな転落を味わったとしても
女は自身が選んだ男なら
絶対に恨んだりは出来ナイはず・・・

だからバスシェバも
身を切られるような裏切りに遭いながら
トロイを愛する気持ちは一向に変わらナイのだ!
夫が愛した女性に憐憫の情さえ抱き
トロイを選んだコトには微塵も後悔なんかしてナイのだ!!

人生においてたった1度でも
恋する男に乞われたいヽ(´▽`)/

そんな女の根源的な
でも刹那的な願望を叶える男・・・
いや~テレンス・スタンプはハマり役だわ・・・ホゥ(*-∀-)

『女の一生』のジャンヌと『遥か群衆を離れて』のバスシェバ

美人は得でブスなら損

人生はそんなに単純なモノではナイが
金持ちと貧乏人ならば
金持ちにヨユーがあるのは間違いナイだろう

貧乏してる
てのは、生活についての心配がいつもあり
また生活以外の何かをしようとすると
まずお金はもちろん無いのだが
だからこそ生活費のために
働いてるのが常なので
時間も無かったりするのだ

まずそうした生活に窮してる女が
生涯の伴侶となる男として
稼ぎもナイのに金がかかる男を選ぶのは
物理的に無理だし
自身の生活や家族の生活のためには
恋愛感情より損得勘定が先立って
受身にならざるを得ナイ

それならば受身にならずに済む金持ちで
しかも女としての恵まれた容姿を持ち得てたら
理想的な男と結婚できて
幸せになれる確約となり得るのかと言えば
そんなコトもナイ

☆・・・☆・・・☆

モーパッサンの『女の一生』では
主人公の貴族の子女ジャンヌが
生活に困るようなコトがナイ家に生まれて
清く正しく美しく育ったばっかりに
金汚く女癖の悪い男の犠牲者となってしまう

恵まれた女だったはずのジャンヌは
修道院育ちで男を見る目がなく
そこにあざとくつけいった男との結婚によって
不幸に身をやつしてくのだが
どんな情況に陥ってもただ嘆くばかりで
自らは解決策を企てようともせず
次々と襲ってくる不幸を
ひたすら享受し続けるるる~

端から見て
どんなに恵まれて生まれた女だって
当人がそれに気づかなければ
やはり受身でしかなかったりするのだ

そして財産は使えば無くなるし
美貌も年月に晒されるだけで色褪せてしまう

それでもずっと働きもせず
家事一つさえもせず
またそれを当然と受け止めてるジャンヌは
それでも自分などからしたら
確かに恵まれてる環境とは思えるが
別段、羨ましくもナイ

☆・・・☆・・・☆

一方
トマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』の
主人公の農場主の美女バスシェバは
元はそこそこ貧しく
近隣の農場の手伝いなどしてたが
その秀でた美貌ゆえの誇り高さがあったので
そこそこの金持ち男の当たり障りのナイ求婚に対して
「あなたを愛してません!」
なんて、一喝して断れるような女だった

その後、遺産相続によって
引き継いだ農場経営に成功して
若くして金持ちになったバスシェバは
更に男に対して受身ではいられなくなってしまう

そうしてずっとバスシェバの周囲には
魅力的な゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男(悪い男?)がおらず
何のときめきも抱けずにいたのだが・・・

ところが突如として現れたのが
バスシェバが不慣れなタイプの男!

それはハンサムで洒落者の軍人だったが
とうとうバスシェバは陥落される

結婚した時までは有頂天だったバスシェバだが
夫の生活態度に翻弄され
特に放浪癖と浮気に悩まされるようになる

☆・・・☆・・・☆

これらジャンヌとバスシェバの
恵まれてた女だったのに
結婚によって人生が破綻する物語は
一見すると酷似してるのだが
根幹が決定的に違ってる

ジャンヌは夫に対して
「幸せにしてくれるはず」と期待して結婚したが
その期待が裏切られる度に失望してるだけで
最初から最期まで夫に対して愛情の欠片もナイのだ

だから浮気をされても
夫の不実さ以上に腹立たしいのは
浮気相手が身分が低いから見下してた女中で
彼女に見くびられたコトに対してなのだ

つまりジャンヌは自分自身だけを愛してて
社会的には夫に裏切られた妻だが
実質的には夫を愛してもいなかったので
夫の裏切りについてはワリとスルーで
女中に裏切られたコトの方が
苦々しく思ってる節がある

それに比べてバスシェバは
浮気相手の女の墓に花を添えられるほどに
夫の総てを赦し
最期まで情熱的に愛し
欲し続けた

結果的に
夫に顧みられるコトは叶わなかったので
さぞや辛かったろうと思う反面
実際、幸せだったとも思えてしまうのは
だってそこには希望があるから!

名義上だけでも夫であれば
公的に愛する権利があるのだから
溢れる愛を我慢しなくても゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
そうして愛し続ければ
いつか相手も愛してくれるコトがあるかもしれナイ
いや、ナイかもしれナイし
その可能性の方が高いのは承知の上で
でもずっと待ってても゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

愛される、まで行かずとも
拒絶さえされなければほっとするし
目が合えば嬉しいし
唇を合わせれば至上の喜びで
肌を合わせたら・・・ヽ(´▽`)/
その時、赦せナイような一体何が
愛しい相手にあるのか?

無いっつp(-_-+)q

キリスト教では人の罪を神が贖うために
「赦しの秘蹟」なる儀式があるが
恋人同士が肌を合わすのは
愛する相手を「赦す」儀式でもあると思われ
そしてお互いに「赦し」合ってる状態が
きっと相思相愛なのだろう

それにしても愛されてる側の人間てのは
それだけでは不幸ではナイかもだが
愛する側の人間ほどには
実は幸せではナイような気がするのだ。(´д`;)ギャボ

極論を言えば
一方的に愛されてる側の人間てのは
相手を受け入れるか拒むかだけで
恋愛の境地には至れナイのかも。(゚д゚lll)ギャボ

とりあえず恋愛には
美貌も財産も決して有利には働かナイのは
間違いなかろうヽ(゚∀。)ノ

Far from the Madding Crowd(遥か群衆を離れて)

極端に内向的な、今で言うコミュ障の男が
蝶の収集が趣味で
蝶と同じように女を捕まえて
密室に閉じ込めてしまうって話が
『コレクター』

別に陵辱するでもなく
むしろ閉じ込めた女に仕えて
絵描きの卵である女は
好きに絵を描かせてもらえてた

自分がこの女だったら・・・
まず読みたい本を与えてもらって
貪り読むのも゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃん
手芸材料を揃えてもらって
作りまくるのも゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃん

至れり尽くせりで
時間を気にせずに趣味に没頭できるなんて
この世の天国としか思えん!
男に殺されたっておつりがくるわ!!

ましてや男は無駄に美形なのだから
目の保養だヽ(´▽`)/バンザイ

リア充にはまるで共感してもらえナイだろうが
自分は小学生にして既にヲタだったので
『コレクター』に理想の人生を見出してしまい
しばらく妄想が暴走w

それでいて
演じてた俳優の名をずっと知らず・・・
だって当時はググれナイから~!

それに自分が小学生の頃は
まだ一般家庭にビデオがなくて
映画を観るのは映画館かテレビだったしね

自主的に過去作品を観るなんて
できなかったから~!!

中学生の頃には家庭用ビデオデッキも登場して
高校生の頃には普及してきたけど
ビデオのソフトは1万円以上で
とても手が出せず(゚*゚;)

同じ映画をもう1度観るってコトが
敷居が高かった時代で
よく「冥土の土産に」なんて表現をしてた程

それでも毎日欠かさず
新聞のテレビ欄をチェックしてたら
遂に『コレクター』とあり
再度、観れた時には狂喜乱舞ヽ(゚∀。)ノ

テレンス・スタンプの名を心に刻み込み
その面差しも完璧に胸に焼き付けた

なので、夜中にレポートを書いてる時に
何気なく付けてたテレビに
テレンス・スタンプが映ってたのを目に留めたら
そりゃあもう正気でレポートなんぞ
書き続けられんて・・・

ポカーン。(゚д゚;)

ただひたすらテレンス・スタンプ演じるトコロの
深紅の軍服の色男に釘付けになり
その男が主人公の女に対する
一瞬の情熱と永遠の冷徹を見せつけるサマを
息を呑んで見守ったさ~

なんとその男の名はトロイだ。(゚д゚lll)ギャボ

そして自分はトロイ戦争ヲタだ。(´д`;)ギャボ

そもそも夜中に音も極力小さくして観てたのに
想い入れのある固有名詞「トロイ」が耳を捉えたから
思わず反応して画面に目をやったのだ

そうしてトロイの虜になったがために
不幸に見舞われる女たちに同情するでもなく
非道が露見してトロイが非難されるのを
なんとか上手く逃れられナイものかと
ハラハラしながら観てたね・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

新聞で映画のタイトルをチェックすると
『遙か群衆を離れて』とあり
以来、この映画の再放送をずっと待ち望んでたし
ビデオがあれば買おうと思ってたのだが・・・

なんと、未だ日本発売がナイ!!

☆・・・☆・・・☆

待てよ(゚ ゚;)?!
海外ではDVD化されてるかも?

そんな簡単なコトに気がついて
原題を調べてググってみると・・・

Far From the Madding Crowd

で、原作がトマス・ハーディ・・・バタリ ゙〓■●゙

そうと知らなかったのは
トマス・ハーディを避けてたからで
それとゆーのもハーディで初めて読んだ『テス』が
(当時は)つまらなかったからだ

ハーディを甘く見てた自分に反省しつつも
まああのハーディってコトで
イギリスではDVD化されてるのは間違いナイ

それよりまず原作を読もう
とアマゾンで検索してみるもナイ!

よくよく探したら
上下巻で1万円近くする「世界名作翻訳全集」なら
あったが・・・なかなか厳しい値段w

ちなみにタイトルは『遥かに狂乱の群を離れて』で
『昭和初期世界名作翻訳全集 133』と
『昭和初期世界名作翻訳全集 134』が
その上下巻になってた


これをアマゾンで検索するのに
「トマス・ハーディ」では出てこず

「トーマス・ハーデイ」と
トマスに長音記号が入ってるのと
最後の「イ」が拗音表記でなくでかいのでね

こういうアマゾンで正攻法で検索しても
どうやっても辿り着けナイ場合
セブン・アンド・アイで検索すればOK(※)
2007年当時はOKだったが2018年では抽出できなくなってた

結果、汎用の「トマス・ハーディ」でも
「トーマス・ハーデイ」が抽出され
表紙の画像に『遥かに狂乱の群を離れて』のタイトルが!

キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

値段との折り合いが付かず
4ヶ月余り悩んだ末、アマゾンで購入

☆・・・☆・・・☆

以上が2007年の出来事

現在、入手可能な訳本の新刊はなく
自分が買ったゆまに書房の
昭和初期世界名作翻訳全集にしても
たまたま買った年(2007年)に
実にタイミングよく出てくれてたが
もはや絶版・・・

だからこそ
このタイミングの良さは
シンクロニシティでなくて何だp(-_-+)q

この昭和初期世界名作翻訳全集は
当時(昭和初期)のままの旧仮名遣いの訳で
印刷技術も今一つの紙面のまま
さすがに原寸では見難いからって
110%に拡大してはいるけど
印刷ってより単にコピーしたっての?
よく言えばオンデマンド印刷

多少かすれ気味の印刷で
たまに激しく位置のずれてる文字もあって
整然としたプリントアウトが当たり前となってる昨今
自分にはむしろ味わい深く・・・ホゥ(*-∀-)

廉価版の単行本があったら
もちろんそっちを買ってたけど
それではきっと同じ感動を味わえなかったので
満足はしてる(にしても高かったがね)

そんなワケでボルテージ最高潮で
買った当日のうちに全編を一気に読み
特にトロイ軍曹が登場してからは
映画のシーンが脳裏に蘇って
20年も前に1度観たきりの映画だのに
余りにも鮮明に思い出せたのには
自分でも驚いた(゚ ゚;)

現在刊行中のトマス・ハーディ全集は
全 16 巻 19 冊で第9回配本の第 4 巻に
『はるか群衆を離れて』が当初2013年春配本予定で
それが秋に延びて、2015年に延びて
2018年の今現在、まだ発売になってナイようで
サイトも更新されてなくて
問い合わせでもしてみようかと・・・
トマス・ハーディ全集

サイトによれば訳者に内田能嗣の名があって
ブロンテ姉妹についての著書があるので
ヴィクトリア朝時代を描いた英国文学にはうってつけで
これは買いだと期待してずっと待ってるんだがね

それにしても1冊¥8,000弱ってのは
あ痛たたた(;つД`)
なんせ既に1万円弱して
昭和初期訳を購入済みなのだからして・・・

そして2013年に再映画化されると噂されてたのが
結局、2015年に『遥か群衆を離れて』が完成
アマゾンビデオにもあった

そして肝心のトロイ軍曹は・・・

なんか最近、フランスの軍服着れば
誰もがハンサムに見えると思ってたんだが
それは勘違いだったなw

アラン・ドロンやテレンス・スタンプだから
軍服姿「も」素敵なのだwww

テレンス・スタンプの『コレクター』

小学生の頃
映画『コレクター』を観た

邦題が『コレクター』の映画はいくつかあって
その中でも原題が『The Collector』のを
テレビで観た

ジョン・ファウルズの同タイトル小説が原作で
小説は1963年に出て
映画化されたのは1965年

その内容はフツーの小学生女子にとっては
怖いモノなのかもしれなかったが
自分には羨ましく思えたね

あらすじを簡単に述べれば
主人公の男が美女を拉致し監禁するも
最終的には病死されてしまい
次の標的となる美女に目星を付けた、オシマイ

美女の方は誘拐されたと思って
当然ながら、なんとかして逃げ出そうとするも
悉く失敗に終わり
主人公を殺害しようともするが
自身の方が肺炎にかかって死んでしまう(-人-;)ナムアーメン

主人公は極端に内向的な男で
美しい蝶の標本をコレクションしてて
同じように美女を捉えようと考えてしまい
実行に移してしまった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

但し、大方の予想を裏切って
主人公は捉えた美女を大切に扱って
せっせと食事を作ったり
美大生で絵を描くからって
画集とか絵を描く道具まで揃えてくれたり
こういうのを至れり尽くせりって言うんだろう

逆に強引に迫ったり
性的な行為に及んだりは一切せず
可愛そうなくらい彼女を想ってるるる~

自分なんか主人公に完全に同情してて
もれなく愛情に代わりそうだ

それで美女の方も
途中から態度が軟化してくるんだが
さすがに恋愛までには至らず
解放して欲しい気持ちは強まる一方・・・

そんな映画を観てて
自分もこういう人に見出されて
好きなコトだけやらせてもらえる生活を送りたい
なんて羨む小学生女子だったヽ(゚∀。)ノ

当時、実際に家出をして
祖母の家に匿われたりしてたくらい
実の母親に虐げられてて
奴隷のようにこき使われては
悪口雑言で罵られまくってたので
そりゃあ夢のような生活に見えたワケだ

それに主人公を演じてた俳優が
頗る美形・・・ホゥ(*-∀-)

あんな美しい人に大切にされるなんて
どんなに素晴らしい気分だか!

自分があの女だったら
毎日、彼の絵を描いて過ごすし
優しく接したら
もしかして本も買ってくれるかしら?

それにたまには自分も食事を作ってあげたいし
逃げナイとわかってもらえたら
彼を外に連れ出して
一緒に散歩するのも゚+.(・∀・)゚+.゚イイな♪

しばらくはそんな妄想ばかりしてたw

そして高校生の頃に
再度、テレビで『コレクター』を観た時
感動に打ち震えながら
その俳優の名がテレンス・スタンプだと
心に刻んだのだった!

もうね
初恋の相手に再会した気分ヽ(´▽`)/

そしてその気分も冷めやらぬ間に
夜中にレポートを書いてて
なんとなくテレビを点けてたら
テレンス・スタンプが出てるのに気付いて
その映画が『遙か群衆を離れて』で
真っ赤な軍服姿のテレンス・スタンプに
すっかり参った!!

それから程なく
自分は「コレクター」となって
テレンス・スタンプの出てる映画は
ビデオやDVDが発売される度に買ってたのだが・・・

『遙か群衆を離れて』だけは
なぜか一向にソフトの日本発売がなくて
その後はテレビ放映がなかったのか
単に見逃してたのか・・・

再度、視聴できたのは
忘れもしナイ2012年5月30日(水)で
NHKのBSプレミアムでやってて
そりゃあもう録画したよ

その前に遡るコト5年前・・・
2007年のブログ記事にこんなのがあった

ゼウス(ユピテル)の予言とアプロディテ(ウェヌス)の庇護

ウェルギリウスの『アエネーイス』の最初の方で
アエネーアースがアフリカ北岸(現チュニジア)に辿り着いた頃
息子の難儀に心を痛めてたアプロディテ(ウェヌス)は
父なるゼウス(ユピテル)にそれを訴えると
ゼウスはアエネーアースとその子々孫々に至る未来を語り
ヘルメス(メルクリウス)を遣いにやった

ヘルメスはカルタゴの女王ディドに
トロイ王家のアエネーアース一行を歓待するように告げるが
その一方ではアプロディテも息子のエロス(クピド)を遣わして
ディドに愛の矢を射てアエネーアースを愛するように仕向けたのだった

ギリシア神話ではアプロディテは泡から生まれたとされてるが
ローマ神話では母親は諸説あるようだが、なぜかゼウスの娘となってて
よってゼウスにとってアエネーアースは孫にあたるのでカワ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのもあるだろうし
実母であるアプロディテが息子を庇護するのに理由など要らナイだろう

しかしゼウスの妻のヘラからすれば
アプロディテはゼウスが他の女に産ませた子なので本妻が妾の子を憎く思うほどには憎いだろうし
ましてや【パリスの審判】において美貌で「負け」の判定をされてたら
アプロディテに対してよく思いようがあるまい
その息子ともなればアエネーアース然りで
更に怨恨のあったトロイ王家が滅亡したコトで少しは気が晴れたヘラにとって
アエネーアースがトロイ再興をしようとしてるのは許し難かったに違いナイ

それでもゼウスの預言通りに
アエネーアースの子々孫々がトロイ再興、てか、ローマを建国するるる~

とはいえ、最終的には実在してたカエサルやアウグストゥスに至るが
アエネーアースもその後の子々孫々の物語も基本的にはフィクションなのだ

古代ギリシアではトロイ戦争の物語は人口に膾炙してたが
アエネーアースのその後は誰も知らず
英雄に祀り上げられたのはローマがギリシアを蹂躙した後のコトだ
蹂躙されつつも【教養】を誇ってたギリシアに認められるために
ローマの支配階級の家系がギリシアの神の系譜由来であると論証させた試みが
アエネーアースに始まる『アエネーイス』なのだ!

ローマ領において既に独立して存在してた神話や伝承を
史実との辻褄合わせのために少々手を加えてからパズルのように繋ぎ合わせてて
その調整の部分がウェルギリウスの創作ってワケで
だから本来のギリシア神話とは食い違ってる点が多かったりするのだ

アエネーアースはローマ人にとって実に都合の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ人物で
ギリシア人の血統ではナイがギリシアの神の血統であり
息子の名がユールス(ユリウス)であった(※)コトが
その名を持つ一族にはまさに好都合だった!!
アエネーアースの息子はアスカニウスで、アスカニウスの息子がユールスだが
ウェルギリウスはアスカニウスの別称がユールスであるとした

現代日本人からしたらバカバカしい気もするけど
『古事記』由来の天皇家を未だ君臨させてるのだからそれもありか。(´д`;)ギャボ

クラウス:歌劇「カルタゴのイーニアス」より管弦楽作品集

ところで『アエネーイス』の中で1番のクライマックスと言えば
カルタゴの女王ディドが絶望して自殺してしまうシーンで異論反論はナイと思われるが
ディドにアエネーアースを歓待するように命じたのはゼウスだし
愛し合うように仕向けたのはアプロディテだ

アエネーアースが最終的にはイタリアへ旅立つ宿命なので
その準備を整えるためにもディドに力になってもらおうとゼウスが取り図ったのはわかる
でもディドを捨て置くコトになるアエネーアースに対して
ディドが恋するように仕向けるのは惨い!
愛と美の女神アプロディテがやるコトとは思えナイ!!

どうもアプロディテの庇護の仕方は
愛する美しい息子アエネーアースしか見えておらず
ディドはその犠牲者で「犬死に」と言っても過言ではナイだろう

ところでカルタゴはポエニ(フェニキア)人の「新しい町(※)」で
建国したのは女王のディドだが
ディドは元はテュロス(レバノン海岸にあるポエニ人の町)の先王の妻であり
その先王を殺害して王に収まってるのがディドの兄だったりして
夫殺しの悪辣な兄に愛想が尽きたので故郷を去り
夫の意志を継いで国を興したのだ
カルタゴは正しくはカルターゴーで「新しい町」を意味する

恋をした相手に捨てられたからって自殺するような
そんなに脆い女性にはとても思えナイのだが
トマス・ハーディの見解は正しいのかもしれナイな

強気の女がその強気を投げ棄ててしまふと、投げ棄てるべき強さなどは全く持たない弱気の女よりもっと弱くなるものである。

ちなみにテュロスはポセイドン(ネプチューン)の息子アゲノールを祖とするが
『アエネーイス』の脚注にポセイドンはアプロディテの夫とされてるるる~

って、ちょっと待て!

アプロディテがポセイドンの妻とな。(゚д゚lll)ギャボ
そんな設定は『アエネーイス』以外では覚えがナイってばよ!!
本来ならアプロディテは鍛冶の神ヘパイストス(ウルカヌス)の妻で
軍神アレス(マルス)が不倫相手で
アンキセスは浮気相手の1人に違いナイのだが
ポ、ポセイドン・・・???

いずれにせよ、アプロディテはローマ神話に取り込まれて
ギリシア神話以上に恋多き女になったのは間違いナイ
もしかしてこの浮気癖がゼウスにそっくりだからって娘とされたのか?!