愛されてなかった?!その時、私は・・・

愛されてなかった?!

と気付いた時に
こちらも愛してなければ
もれなく合意の上で
別れれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

でもこちらは愛してたとしたら
どうするのがベストか?

過去に愛されてなかったならば
これからもずっと未来永劫
相手に愛されるようにはなるまいと
確信を持って絶望するに至るのがフツーだ

ところが不思議と絶望するほどに
愛する気持ちに拍車がかかってきて
より一層、無駄と知りつつも
愛情を求めてしまったりするのだ

いや、愛情なんて
そんな贅沢は望んでなくて
人並みに優しくして欲しいだけ・・・とかね

そんな風に一見、謙虚ながらも
優しい態度を強要するようになると
相手にとっては嫌気が差す決定打となる

しかも絶望を感じる方はたいてい
後追いで愛した方だったりするのだヽ(゚∀。)ノ

その場合は
「惚れた弱味」てのは間違ってる

人情味溢れる御仁であれば
惚れられた弱味なんてコトもあり
気持ちを受け止めようとして
相手の良さを認める努力をしてる内に
何でも許せてしまえるようになり
遂にはすっかり愛してしまえるのだ。(゚д゚lll)ギャボ

ところが惚れた側は逆に
惚れたその時のヴォルテージは最高潮だが
あとは下降する一方・・・。(´д`;)ギャボ

理想に適う相手と勝手に誤解しといて
実際に付き合ってみて
違うと気付く都度
気持ちは醒めるばかり・・・なんてね

惚れられた方が相手に対して
完全に愛情を傾けた頃
惚れた方は相手に辟易してたりして
「愛してなんかいなかった」って
そんな惨いセリフを吐けるようなのは
そりゃあ惚れた強みだね!

恋愛は先手必勝!!

とはいえ
恋愛はどちらかの勝ち負けの勝負ではなく
お互いに勝利者になるのが
成就なんだろうがね・・・

まあでも成就しなかった場合には
後追いで愛情を育んだ方が
どんどん醒めてく方に
負けるのだ(;つД`)

恋愛だけでなく
人生は負けたと思ったら
潔く降参するが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

で、勝った方に負けた方が
今後どうするかを決めてもらって
それに素直に従うのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

他人の気持ちや態度を変えるより
自分の気持ちや態度を制御する方が
まだしも簡単だからだ

それに悩むのは決めかねてるからで
だったら相手に決めてもらえば
悩みは解消するってモノだ

また、絶望するのは
希望通りに行かなかったからするので
だったら希望をこそ捨てれば
絶望に至らずヽ(´▽`)/

ちょうど10年前(2008年)
オルダス・ハクスリーの『恋愛対位法』を
筑摩世界文学大系で読んでた

この小説の冒頭には
まさに惚れた強みの男と
愛されてなかったと気付いた女の
駆け引きの場面から始まる

かつて他の男の妻だった美女を
無理矢理奪ってまで
なんとか妻にしたはずの夫だのに
どうにもその女がウザくなってしまう。(´д`;)ギャボ

そうして男はイラつきながら
憂さ晴らしに浮気をしに行こうとするが
女に勘付かれて引き止められ
なんとかしてウソで切り抜けようと
必死で食い下がるのだ

この時の男の心理描写が絶妙で
余りの屑っぷりに思わず笑えたが
女を自分に置き換えたら
泣いても泣ききれナイ状況だわな(;つД`)

恋愛小説でありがちな
美男美女のハッピーエンドモノは
殆どただの御伽噺でしかなく
自分には胸糞悪いだけだが
恋愛のリアルを淡々と描いてて
コミカルながら切なくなるようなのは
ちょっと胸が痛いけど
ワリと好きかもしれナイと気付いた

それにしても昨年末から
やたらとホフマンとハクスリーが
シンクロニシティを引き起こしてて
不気味ながらも面白い

ホフマンの『砂男』の目玉の寓意を探るべく
平凡社のイメージの博物誌のシリーズの
『眼の世界劇場ー聖性を映す鏡』を
買おうと決心を固めてた時だ

このシリーズを信頼してはいたものの
一応、著者のフランシス・ハクスリーを
ネットでプロフィール確認してみたら
ハクスリー一族と判明!

しかもジュリアン・ソレル・ハクスリーの
息子だったのだ!!

ジュリアン・ソレル・ハクスリーてのは
オルダス・ハクスリーの兄で
このジュリアンとオルダスの祖父は
あのトマス・ヘンリー・ハクスリーなのだヽ(´▽`)/

まあ「あの」と言っても
わからナイ人が99.9%だと思われヽ(゚∀。)ノ

進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの
「番犬(ブルドッグ)」と称されてて・・・

教会からも学会からも風当たりの強かった進化論を
当人に代わって擁護した生物学者なのだ

そんな系譜をつらつら見てると
意外にもマシュー・アーノルドの名が・・・?!

彼の著書『教養と無秩序』を
つい先日、購入したばかりだったが
それはトマス・ハーディの
『ダーバヴィル家のテス』の
ブログ記事を書いてて
19世紀ヴィクトリア朝の
イギリスの一般庶民について
特に宗教観を知りたかったからだ!

このマシュー・アーノルドは
ジュリアンとオルダスの兄弟の大叔父だった!!
ハクスリー家は父方だが
母方がアーノルド家なのだった

それらとは別に
オルダス・ハクスリーの著書を
今更ながら買い集め始めてしまった

とりわけ神秘主義思想や
それを体現すべく幻覚剤を用いて
自らが行った実験の記録など
手当たり次第に購入して読んでるが
LSDを筆頭に幻覚剤を多数発明・発見したのが
アルベルト・ホフマン博士で
この人はスイス人の化学者なので
ドイツ人作家のホフマンとは無縁なれど
それにしても「ホフマン」かよ(゚ ゚;)

サミュエル・リチャードソンの 『パミラ』のあらすじ

時代背景は特定されてナイが
たぶんエリザベス朝のイングランド

貧しい両親の許で
清く正しく美しく育った娘パミラ

パミラはお屋敷に奉公に出て
奥様の大のお気に入りの小間使いとなるも
すぐに奥様が亡くなってしまい
跡を継いだ息子の小間使いとなった

この新しいご主人に
パミラが見初められるまでが
ページにして1/50ほどで
全体の2/3を費やしたトコロで
2人がやっと結婚するも
残りの1/3で
身分違いのパミラが
愛人でなく正妻として
周囲に認められるまでが描かれてるるる~

自分は筑摩世界文学大系で持ってて
310ページの長編なのだが
このシリーズは1ページが3段組みで
通常の文庫の3ページ分くらいあるので
換算すれば約900ページに相当し
文庫で出すなら3巻以上になりそうなヴォリューム!

上記のあらすじからしたら
ハーレクイン・ロマンスとかにありがちな
ロクに働きもせず
恋愛にのみ一喜一憂して
紆余曲折あれど相思相愛に至り
ハッピーエンド♪
そんなつまらナイ恋愛小説の代表作みたいなのに
よくぞ最後まで読み通したと思うが
これが予想外に面白くて
実際、中毒気味になって読み進めたw

なんせパミラは
筋金入りの純潔至上主義者なのだ

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の
テスも純潔信奉者だったが
パミラはテスも恐れ慄くくらいに
常軌を逸したレベルで
「操を護れなければ死を選びます!」
とか、ご主人を脅すし・・・バタリ ゙〓■●゙

とにかくなんとかパミラをモノにしようと
あれこれたくらむご主人から
ひたすら逃げ回るのだが
そのパミラの操の攻防の悶着の都度
後からコトの仔細を一言一句たりとも省かずに
両親への手紙にしたためるるる~

しかもそれをご主人も読んでて
読者が読んでるのも
そのパミラの両親宛の書簡と
たまに差し挿まれる両親からの返信で
著者による状況説明さえ一切挟まず100%手紙だけ
そんな徹底した書簡体小説。(゚д゚lll)ギャボ

だから全ての出来事に対しての見解が
殆どパミラの筆に依ってて
それを信じての両親からの返信で
他の登場人物の言動もパミラ目線だし
思惑も「生真面目に邪推」してしまってて
読者が第三者的立場から読み取ってる事態とは
どうにもズレてしまってて
そのズレた感覚がおかしくてたまらんw

めげずに襲い続けるご主人と
あらん限りの抵抗を試みて
なんとか操を護り続けるパミラだが
結婚して大団円とはいかず
パミラが愛人でなく正妻として
周囲に認められるまでが
延々と続くのだった(゚*゚;)

正式なタイトルが
『パミラ、あるいは淑徳の報い』で
原題は『Pamela, or Virtue rewarded』

貧しくも気高く
純潔を重んじる娘が
理想的な男に見初められて
小間使いから本妻になるなんて
一種の訓話みたいだが
著者は本気なのか皮肉なのか
推し量りかねる程
現代日本人の自分には笑えたw

それにしても女中の分際でありながら
一日中、殆ど何の仕事もせずに
手紙ばかり書いてるのだが
自分にはそこが羨ましい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

作者のサミュエル・リチャードソンは
17世紀末(1689年)に生まれて
『パミラ』を発表したのは1740年で
亡くなったのが18世紀中頃(1761年)の
ハノーヴァー選帝侯ジョージ1世・2世の頃の人だ

【近代小説の父】と冠されてるが
『ロビンソン・クルーソー』のダニエル・デフォーや
『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフトは
リチャードソンより少し前だ

『ロビンソン~』や『ガリヴァー~』も
主人公の書いた日記から成るが
『ロビンソン~』はまだしも
『ガリヴァー~』はあからさまにフィクションとわかる
(当時だったら真実だと信じてた人もいたかもだが・・・)

ところが『パミラ』の場合は
そうと知らずに読むと
ノンフィクションだと信じてしまいそうで
そのリアルさが最大の魅力だろう

一般的な女性にとってのパミラは
金持ちで美男のご主人に惚れ込まれてて
羨ましい存在かもしれナイのに
そんなパミラが何度も襲われそうになる度に
断固として拒否してて
「両親の許に帰してください」などと
懇願し続けるのが自分には笑えたが
フツーはやきもきしてしまうんだろうか?

そしてそんな拒み方をされるからこそ
ご主人はなんとしてでも
パミラをモノにしたいと思うようになり
彼女の貧しい両親の生活の面倒を請け負ったり
財産の殆どを彼女に与えると約束するのだが
それでも頑ななパミラはこの期に及んで
「両親の許で一生身を汚さず生きたい」などと
願い続けるのだからどうしようもナイ。(´д`;)ギャボ

パミラは結婚して子供を産むには
十分な歳なはずなのに
貧しい両親を抱えて家族3人で
どうやって生計を立ててくつもりなんだ?!
何を考えてるんだ(何も考えてナイのか)???

いや、最終的には
パミラはご主人と結婚して
この上なく上手くいってしまったので
後から考えてみたら
もしかして純潔の価値を吊り上げるために
わざとじらしてたのかと
読み終えた後で勘ぐってしまった!
あるいは究極のSMを愉しんでたとか・・・!!

それにしても
女性心理をよくわかってると
感心する作家は少なくナイが
こんなパミラのような特異な女の気持ちは
自分が女だって理解し難いのに
リチャードソンはたいしたモノだと尊敬するね

しかも数多あるハッピーエンドの物語と違って
ご都合主義のエピソードはなくて
ヒロイン自らが
ご主人にも抵抗してるが
話の流れにも逆らってるのがウケるるる~

テスの真意をキリスト教によって読み解く

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』は
自分も含め、現代日本人の感覚では
登場人物の思考が理解し難かったりすると思われヽ(゚∀。)ノ

時代背景としては
1870年代のイングランドのドーセット地方の
マーロット村が舞台なのだが・・・

ドーセット地方ってのはこの辺りらすぃ(by Wiki)

19世紀後半のイングランドってコトで
ヴィクトリア女王(在位1837~1901)の治世で
比較的安定した世の中ではあった

そんなバックグラウンドで
テスもエンジェルもキリスト教徒には違いナイ

でもカトリックなのかどうか
そうでなかったら何派なのかが
翻訳されたモノだけでは確証に至らず
原文がThe Project Gutenbergにあったので
参照しながら検証してみた

テスが赤ん坊に自ら洗礼を施し
教会に埋葬してもらいに行くシーンでは
神父だか牧師だかが登場するが・・・

最初の方では
the parson of the parish とあって
単に教区の人(担当者)

最後の方で
the Vicar とあり
これは神の代理人を意味するので
まずプロテスタントでは使わなさそうだ

とは言え、カトリックだけでなく
英国国教会も使いそうなので
どちらかに限定するのは困難だ

とりあえずテスは熱心な信者ではなく
カトリックでも英国国教会でも
一般的なキリスト教信者であって
赤ん坊の洗礼に拘ってるトコロから
地獄や煉獄に恐れをなしてるコトは明白で
その事実にさえ裏付けが取れれば
どちらでもさして変わりはナイ

エンジェルは牧師ジェームズ・クレアの息子なので
明らかにプロテスタントだろうと踏んでたが
ジェームズ・クレアが傾倒してる人物が・・・

Wycliff, Hus, Luther, Calvin

カルヴィンときたら
やはり間違いなくプロテスタントで
だから牧師なのだと合点が行った

アレックはブルジョワの放蕩息子で
信仰心を持ち合わせてなかったようだが
何の因果なのか
エンジェルの父ジェームズ・クレアによって
メソジストに改宗してる旨の一文があり・・・

it is Alec d’Urberville, who has been converted to Methodism under the Reverend James Clare’s influence.

ジェームズ・クレアがメソジストなら
息子のエンジェルもそうなのか?

そしてアレックはテスを救うために
結局は信仰を捨てて
不信心者に逆戻りするのだがw

まあそういうワケで宗派は違えど
また信心深さも違えど
基本的に登場人物はキリスト教信者であり
キリスト教の教えが常識としてある

キリスト教圏では
中世より死後の世界が確証されてたが
例えば自分のような無神論者は
無条件で地獄や煉獄へ落ちるのだと
考えられてて・・・

神の御許(天国)に行き着くためには
魂の救済が必要不可欠なのだが
特にカトリックでは【洗礼】の秘蹟によって
この処置を施すのだ

換言すれば
【洗礼】を受けずに死ねば
地獄や煉獄行き確定との考えが
民間信仰レベルで根強い

テスの産んだ子は私生児だったため
【洗礼】を受けられずにいて
この子が死に瀕した際に
テスはその純粋な信仰心から
二重の負い目を持つ我が子が死んだら
地獄に落ちると確信する

二重の負い目・・・それは
私生児(=罪の子)であるコトと
【洗礼(=魂の救済処置)】が施されてナイコト

カトリックの信徒の地獄の概念は
凄まじく恐ろしいモノで
テスはふと思い巡らせただけで
居ても立ってもいられなくなったのだろう

とうとう自らの手で赤ちゃんに
【洗礼】を行うに至った

[1]水(聖水)で浄める
[2]名前(洗礼名)を付ける

【洗礼】の概要は以上の2項目と
かつてカトリックのシスターに教わった

やるコト自体は安易ではあるが
誰でもできるワケではなく
れっきとした授洗者(神父)が行わねば
【洗礼】の秘蹟とはならず・・・

それも承知の上で
テスが自ら【洗礼】を強行したのは
恐怖心から何もせずにはいられなかったのだろう

淡い望みと冷たくなった我が子を
胸に抱いたテスは教区の教会に赴いて
キリスト教徒として埋葬してもらうよう懇願する

もちろん神父は教義上
その子を認めるワケにはいかず
堕獄の集ばかりが眠る墓場に埋められた・・・

この堕獄の集とは
キリスト教の教義に適わぬ死に方をした者で
悪名高い酔っ払いや人殺しや自殺者
そして【洗礼】の秘蹟を齎されずに死んだ者だ

どんなに素晴らしい生き方をした人でも
無垢な乳幼児であっても
死ぬ前に【洗礼】を受けなければならんとは
キリスト教の唯一神は
どんだけ了見の狭いヤツで
どんだけ融通が利かナイヤツなんだかヽ(゚∀。)ノ

実際、神がいたとしても
死後の人間の魂をどう取り計らってるのかなんて
生きてる人間には知る由もナイだろうに
てのは、無神論者の勝手な思い込みではなく
ローマ・カトリック教会の教えこそが
そう貶めてしまってるのが痛いw

ルターはその痛さに耐えられなかったんだろう

いずれにせよ
信者がどれほど【洗礼】に重きを置いてるかは
無神論者にも理解はできる
(納得はできなくとも)

だからなるべく早く
子供に【洗礼】を受けさせたいのだろうし
極論として
生まれる前の子供の【洗礼】にまで
話が及んでしまうのもわかる

なんせ近代まで
乳幼児が死ぬ確率は現代とは比較にならナイほど高く
妊娠~出産時の死亡率も母子共に高かったのだ

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の
第1巻の第20章では
生まれる前の子供の【洗礼】
つまり嬰児の【洗礼】についての
ローマ・カトリック教会とソルボンヌ大学と
聖トマス・アクィナスの見解が
原注に記されてる

ローマカトリック教会の儀典書は、危急の際における出産前の子供の洗礼を指令しています――ただし、子供の体のいずれかの部分が授洗者の目にふれた時という条件付です。――ところがソルボンヌの博士たちは、1733年4月10日、彼らの間で行われた審議の結果、産婆の権限を拡大して、子供の体のいかなる部分も外にあらわれないときでも、注射によって(小なるカヌーレの使用により――つまり、注射器を用いて)洗礼を施すべきことを決定しました。――ここで甚だ不思議なのは、かの聖トマス・アキナスが、一方ではあのスコラ派神学の無数の紛糾錯雑したこんぐらかりを作るほうにもああいうきわ立った緻密な頭を持ちながら、この問題には大いに労力を傾注したあげくに、最後はこれを第二の不可能事として遂に断念してしまったことです。――「母胎内にある嬰児は、」(聖トマスは言っています)「いかなる手段によりてもこれに洗礼を施すを得ず」――何ということです、トマス様!トマス様!

現代日本に生息する無神論者からしたら
胎児に【洗礼】を施そうとするコト自体が
ナンセンスなのだが
聖水を注射器に仕込んで母胎に注入する
なんてグロテスクな方法には
どうしてそんな発想ができるのか
眉を顰めてしまう(-_-;)

しかもこの「母胎に注射器」を条件とすれば
【洗礼】が「有効」である
と認めたのがソルボンヌ大学とな。(゚д゚lll)ギャボ
いやいや、それを神も認めてるかどうかは
誰にもわからんて。(´д`;)ギャボ
しかし聖トマスは認めてませんから~ヽ(゚∀。)ノ

ちなみに作中では
「母胎に注射器」での【洗礼】の代わりに
主人公のトリストラム・シャンディは以下を提案してる

父親の精子の小人全員に対してならどうか?

精子全部を聖水で浄める
なんてのはもうやり方も想像を絶するなw

それにしても今でこそ
生まれる前に性別を知り得て
性別に見合った名前をつけるなんて
当たり前にできるようになったのだが
昔はそうはいかなかったのだから
もしかして「母胎に注射器」で【洗礼】を行うより
洗礼名をつける方が困難だったりして(-人-;)ナムアーメン

テスとバスシェバ

作者が同じくトマス・ハーディの
『ダーバヴィル家のテス』のテスと

『遥か群衆を離れて』のバスシェバは

その美貌や高潔さなどがよく似たタイプの女だ

しかしテスの一家は困窮してたので
テスが養うしかなかったが
かたやバスシェバは遺産を受け継いで
牧場主となり、成功して金持ちになった

テスは生活のために自らを恥辱に晒さねばならず
またそれがために愛する男に拒絶されるも
バスシェバは条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男のプロポーズも拒み
初めて恋した相手を悠々と夫に迎えるのであるるる~

但し
バスシェバに限らず
世間ではよくあるコトだが
夫は博打好きで酒に溺れるタイプで
妻以外の女にのめり込みやすく
更に放浪癖があった・・・

呑む、打つ、買うは
男の甲斐性だったらまだしも
バスシェバに依存してるのだから
タチが悪い(-_-;)

とはいえ
稀にこれらの悪癖を全く持ち合わせてナイ男もいるが
テスの愛したエンジェルのように
無駄な生真面目さで女を傷付けるのは
尚更タチが悪いし
新婚初夜を迎える寸前に
妻を拒絶するとは
「タチ」も悪いのかヽ(゚∀。)ノ

換言すれば
テスは結婚生活での苦労はなかった!
愛人生活にしたって
アレックが溺れてるのがテスだけだったし
生活する上での金銭的な苦労は
一切、なかったはずだ

実際、テスのような極貧の娘が生きてく術は
貧農の男に嫁ぐか
金持ちの愛人になるしかナイのは
わかりきってる事実だ

どうしても嫁ぎたい貧農の男がいなければ
金持ちの愛人だって゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃナイか?

もしかしてテスは
サミュエル・リチャードソンの『パミラ』で
小間使いのパミラが本妻に成り上がったように
アレックから愛人でなく本妻に望まれたら
子供じみた抵抗などせずに上手くいってたのだろうか?

でも愛人に望まれた純潔至上主義者のテスは
操を守りきれなかった自身と
相手の男をひたすら呪い続けるるる~

テスがこの呪縛から解放されるためには
価値観をひっくり返されるほど
恋人に愛されるしかなかっただろうが
エンジェルはテス以上に純潔至上主義者だったため
相手の男のアレックだけでなく
愛する女のはずのテスも
同じように呪い
穢れてる女とは別れるのだったΣ(゚д゚lll)ガーン

愛する女自身よりも
女の純潔の方が大切で
それを失ってしまったら
女には愛する価値が無いのか???

そんな奇異な価値観を振り翳してくる男よりは
酒と博打と女に溺れ易いトロイの方が
自分にはまだしも人として愛らしいと思えるが
(放浪癖さえなければねぇ・・・)

結末では
エンジェルがテスを赦せるまでに
人としてやっと成長したので
テスを迎えに行くのだが
時既に遅し・・・

と思いきや!
テスはアレックを殺害して
エンジェルと短い逃避行の末に捉えらえ
後に処刑されるのだった!!

かたやバスシェバは
生活に困るコトもナイので
トロイに酷い目に遭いながらも
最期まで愛し続けて
むしろ愛情のストックがある間に
トロイが死んでくれて
こう言っては何だがほっとしただろうし
きっと幸せだったと思う。・゚・(ノД`)・゚・。

夫が単に浮気性だと
嫉妬で腸(はらわた)が煮えくり返るくらいで
赦せば戻ってくるのだと思えば
幸せでいられるし
そんな夫が死んでしまえば
もう浮気のしようもなくなるから一安心だヽ(´▽`)/

女は基本的には
男より精神的に逞しく明朗快活だが
それは男のように無駄なプライドを持ち合わせておらず
実力が無いのに虚勢を張っては
弱点を突付かれていじけたりしナイからだし
まともな女は家事だの雑事に追われて生活してるので
そんな風に自身の殻に閉じ篭って
周囲に当たり散らしてるような暇も無いのだ

女が底力を発揮するのは
不幸な目に遭ってこそなのだと思う(*^^*)

悲恋の経験だって
それを乗り越えられれば
人生を豊かにするし
女の本能がそうと知ってるから
恋愛に勇猛果敢に挑むのだォゥ( -∀-)/

見てくれの「女子力」なんかあったって
当たり障りの無い男にちやほやされて
まるで自惚れが強いだけの
男尊女卑の男みたいになるだけだw

それにしても映像化された『テス』は
ナスターシャ・キンスキー版も
ジェマ・アータートン版(BBCのドラマ)も
テスがアレックに
苺を食べさせられるシーンが゚゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

このシーンが恋の始まりのように映るから
テスがアレックを拒む理由がわからなくなるるる~

だって心底嫌なヤツだったら
その手から苺を口に入れられたりしたら
絶対に気持ち悪くて食べられナイのが女ってもんよ?

主従関係によって拒むコトができなかったとしても
後から意地でも吐き出すと思うから
そういうシーンが必要で
それがなかった以上
テスがアレックを心から拒んではいナイばかりか
受け入れてるように見えてしまう・・・

そしてジェマ・アータートンのこのカウルと・・・

この日傘・・・

こういうのを編んでみたいヽ(´▽`)/

読書感想文『ダーバヴィル家のテス』

ヒロインが理想的な男性に見初められて
途中、紆余曲折あるも
ハッピーエンドヽ(゚∀。)ノ

ハーレクイン・ロマンスとか
ハリウッド映画なんかにもありがちな
男女の恋愛だけが主題の安易な展開の物語には
既に小学生の頃から辟易してたので
悲劇的な結末と知って
『ダーバヴィル家のテス』を読んだ

高校生の時だった・・・

☆・・・☆・・・☆

感動が人生を形成してきた

芸術であったり
科学であったり
哲学であったり

自然主義文学はつまらナイ

恋人と添い遂げて幸せか
思いを遂げられなくて不幸か
それしか選択肢のナイ人生

ハーレクイン・ロマンスは
ロマンスと謳ってるけど
根本は自然主義文学なのかもな?

ハーディのTess of the d’Urbervillesを読んで

☆・・・☆・・・☆

このたった12行の感想は
学生時代のルーズリーフ片から拾ったモノだが
読書感想文の最短記録であるるる~

今にして思えば
この時は物語の背景にある処女信奉が
どうにもかったるく感じて
途中からはもう悲喜劇にしか思えなかったし
極めつけの処女信奉者のエンジェルが
とにかくウザかったしキモかった(゚*゚;)

ところが2007年の晩秋に再読して
ナスターシャ・キンスキー主演の映画も観た後では
テスの方が病的な処女信奉者で
狷介固陋(けんかいころう)で身勝手な女で
同情の余地はナイと思った

頑迷固陋(がんめいころう)でなく
狷介固陋なのだ

頑迷固陋
頑固で視野が狭く、道理をわきまえないさま。また、自分の考えに固執して柔軟でなく、正しい判断ができないさま。頭が古くかたくななさま。▽「頑迷」はかたくなで道理に暗いこと。「固陋」はかたくなで見識が狭いこと。また、頑固で古いものに固執すること。「迷」は「冥」と書くこともある。
狷介固陋
かたくなに自分の意志を守って、人のことを受け入れないさま。また、かたくなで頑固なさま。▽「狷介」は自分を固く守って妥協しないさま。「固陋」は自分の狭い視野にとらわれてかたくななさま。

テスの場合
道理を弁え過ぎてるのが問題だった

テスが最初から
アレックの愛人に収まってれば
万事上手く行ったはず・・・(;つД`)

男を見る目がナイばっかりに
゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男(アレック)を蹴って
バカな男(エンジェル)に愛を捧げて
総てを曝け出して、赦しを乞うてみたら
挙句、捨て置かれたなんて・・・バタリ ゙〓■●゙

ましてや
テスに処女信奉を振り翳しておいて
エンジェル自身は童貞ではなく
憤懣やるかたなかったp(-_-+)q

それにしたって
テスがつくづく狷介固陋だと思うのは
己の立場をわかっておらず
破滅的な行動に走ってしまう部分だ

テスは自身の家族を養うために
アレックの愛人になってて
エンジェルに顧みられなかった間
テスもテスの家族の生活も
アレックに任せっきりだったのに
なぜエンジェルについて行きたい衝動のままに
アレックを刺せるのかがわからナイ?

自分がテスなら
裏切ったエンジェルなんかより
実質的に養ってくれてるアレックに恩義を感じて
身を引くのが当然だと思うけど・・・

なぜ激情にかられてアレックを刺してまで
エンジェルなんかを追うんだろう???

あ、でも、そうか?!

それでアレックの愛人に収まってから
2人の間に真実の愛が芽生えて
可愛い子供が生まれて大団円とか
最終的にはアレックの本妻として認められて
シンデレラ・ストーリー的なハッピーエンドとか
そんなだったら再読ドコロか
最初から読んでなかったと思われw

そして再読した2007年の
読書感想文(てか、メモ書き)が以下

☆・・・☆・・・☆

2度目の『テス』筑摩世界文学大系版

白雪をちりばめた紅ばらという、エリザベス朝の古めかしいたとえを、これほどしつこく、くり返し思い出させる女性の唇と歯を、いままで彼はついぞ知らなかった。彼は恋人としてだったら、それらを即座に完璧な口もとだと呼んだかもしれない。しかし、いや――それらは完璧ではなかった。一目みて完璧と見まごう画面に、一刷毛の描き残し、または不完全さが残っていてこそ、甘美な魅力は生まれるのだ、――不完全さ、それは人間性を発揮する要素だからである。

自然が望む美はシンメトリーなのだが
人間が憐憫の情を抱くのはアシンメトリーで
完璧にほど近い美の中の
僅かに不完全な愛くるしさなのだ

そんなテスの唇を見つめる時
恋人のエンジェルは
全神経を貫く薫風が吹き起こり
めまいがするそうで
この薫風はギリシア語で「アウラ」
大沢衛の訳は【開花発気】だ
なんて瑞々しい表現だろう・・・ホゥ(*-∀-)

Snow-White and Rose-Red

この表現がエリザベス朝の文学で
散見されるのだろうか?

エリザベス1世の治世は1558年~1603年(44年!)で
この時代の文学と言えば
演劇が持て囃されてたのでほぼ戯曲で
シェイクスピアやマーロウか?

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更にナスターシャ・キンスキー版のDVDを
視聴した際のメモが以下・・・

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ロマン・ポランスキーによって
映画化された『テス』では
小説で想像してたよりも幾分明るいイメージの
ナスターシャ・キンスキーが
ハーディの美的表現通りのテスを演じてたが
当時17歳のキンスキーは
この時ポランスキと深い仲だったそうで
だからこその出来の良さなのかもしれナイが
そこにどうにも苦々しさを感じてしまうのが残念だ

映画『テス』はポランスキーの
亡き妻シャロン・テイトに捧げられたが
それは彼女こそが夫に映画化を勧めてたからなのだ
チャールズ・マンソンの狂気の犠牲となる前に・・・

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シャロン・テート・・・美しい方でした

チャールズ・マンソン率いる「ファミリー」が
身重のシャロン・テートを惨殺したのは1969年で
死刑宣告を受けてたマンソンだったが
その後、終身刑となって服役中だったはず・・・
Wikiによればマンソンは昨年末に獄死したらしい

『ダーバヴィル家のテス』のあらすじと疑問点

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』は
人生で3度通読してて
ナスターシャ・キンスキー主演の映画や
ジェマ・アタートン主演のリメイク版の映画を
何度も観てたりするも
余り好きな作品とは言い難いのは
共鳴・共感する部分が殆ど無いからだ

その中で次の一節は
初回に読んだ際の読書メモに残してた

道徳的な人間とは、どういう人間なのか?
さらに適切にいえば、道徳的な女とは、いかなる女をいうのか?
ある性格の美醜は、その人の業績にばかりあるものではなく、その目的と動機にあるのだ。
性格の真の歴史は、成し遂げられたことのあいだにあるのではなくて、意図されたことのあいだにあるのだ。

道徳、なんて言葉を他人に振り翳す人間ほど
不道徳の罠にかかった道徳的な女を
無責任に傷付けたりするモノだ

ヴィクトリア朝時代のイギリスの片田舎に
極貧で子沢山の一家の長女として生まれたのがテス

美しかったお蔭で
金持ちのアレックに見初められて愛人になり
家族を養うコトができるようになって
大団円♪

と、思いきや
テスは突然アレックの元を去る。(゚д゚lll)ギャボ

当初テスがアレックの強引さに戸惑ってたのは
処女ならではの抵抗で
そういうテスをアレックは愛しく思ったろうし
若くてハンサムで洒落者の男に
甘やかされてほだされナイ女はいナイから
そろそろテスもアレックに対して素直になる頃かな?

と、思った矢先に
突然アレックの元を去ったのだ。(´д`;)ギャボ

テスの突飛な行動に
アレックも呆然としただろうが
現代日本人の読者としては
当のアレック以上にあっけにとられた

アレックの何が嫌なのか?
単に愛人とゆー立場なのが嫌なのか?
既に純潔も失ったテスだのに
いったいどうしてこうも頑ななのか?

そしてもっと切実な問題として
テスはこれからどうやって家族を養うつもりなのか?!

よりを戻そうとするアレックを拒み続けるテスは
家族を養うために野良仕事に明け暮れて
厳しい日々に耐える

それだけならテスの姿は
とても感動的で心を打たれるが
意地を張らずにアレックの元に戻りゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに
と思えば同情の余地はナイ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そうして重労働に身をやつすテスは
エンジェルと出会った

そしてエンジェルが美しいテスを見初めるのはわかる
しかしテスがエンジェルを好きになるのは
なぜなのか、まるでわからん

無粋で意固地で自分勝手で夢見がちで
処女崇拝で男尊女卑の冴えナイ男だw

テスの不運は男の趣味が悪かったコトと
それを貫き通した我の強さかヽ(゚∀。)ノ

学生時代に初めて読んだ時から
ずっと疑問だったのは
非の打ちドコロのナイアレックの愛人の座から
テスがなぜ逃げ回ってるのかだ

一方で
覚束ナイエンジェルと正式に結婚しようと
テスがなぜ躍起になってるのかが
更に理解し難い

今になってやっと納得が行ったが
テスの思考や行動の全ては
恋愛感情でも損得勘定でもなく
信仰心から発したモノだったからだ

当のテスは信仰心だけを貫きたかったが
アレックはまるで悪魔のように誘惑して虜にした

生活苦から逃れて甘い夢を見せられて
幸せのぬかるみにはまってしまったテスだが
現実的に家族を養ってくためにも
もれなく捨てるべきだったのは
アレックではなくて信仰心だったのでは?
と、無神論者の自分は思う(-人-;)ナムアーメン

テスはアレックの元を去ってから
秘かに罪の子を産み、更にその子を亡くし
これまた信仰心ゆえに
無駄に自身を呪わしく感じてしまう

だからエンジェルに対しても
どうしても恋心より罪悪感が先に立ち
その罪の重さに耐えかねて
遂には告白してしまう

これはエンジェルに関しても言えるが
典型的な庶民=純粋なキリスト教の信徒、なので
恋愛感情よりも性欲よりも何よりも
信仰心が勝ってるるる~

テスが非処女であると
知った途端に拒んだエンジェルを
以前は単に恋人の裏切りに対する拒絶としか捉えられず
なんて器の小さい男だ、と軽蔑してた

でも実はテスが告白したのは
恋人への裏切りなんかではなかったのだ!

私生児を産んだ女=罪を犯した女
それもキリスト教では赦されざる罪だったのだから
エンジェルにしてみれば
地獄へ落ちるのが確定してる女に見えただろうw
そりゃあ逃げ出したくもなるって(゚*゚;)

だからそうして
一旦は逃げ出したはずのエンジェルが
ましてや牧師の息子であったのに
テスの元へ戻ったのは(遅過ぎたけど)
これこそが恋愛も性欲も信仰も超えた愛
真実の愛だったのではナイだろうか?

『遥か群衆を離れて(2015)』

2018年3月の時点で
日本では原作の翻訳も絶版状態で
オリジナルの映画もソフト化されておらず。(゚д゚lll)ギャボ

自分はこの2015年のリメイク版を
字幕版も吹替版もWOWOWで観れた(録画した)が
未だにソフトが出てなくて
アマゾンビデオで字幕版が観れるだけの状態。(´д`;)ギャボ

なぜ日本ではこの作品ばかりが
ここまで蔑ろにされてるのか
理解に苦しむ・・・

同じトマス・ハーディ原作で
やはり何度も映画化されてる『テス』は
2種がソフト化もされてるし
原作の『ダーバヴィル家のテス』の翻訳などは
岩波、ちくま、河出・・・と枚挙に暇がナイ程出てて
加えていくつかの全集にも収録されてて
小林清一訳で電子書籍にもなってて
『テス』の解釈本まで数冊あるとゆーのに?!

それにしても冷静に考えてみると
テレンス・スタンプのファンである自分にとって
彼が出てナイ『遥か群衆を離れて(2015)』は
観る意味があるのかどうか・・・?

ましてやバスシェバ役が
『華麗なるギャツビー』の最新(2013年)リメイク版で
デイジーをやったキャリー・マリガンとはね。(´д`;)ギャボ

自分は1974年版での
ミア・ファローのデイジーがお気に入りなので・・・

キャリー・マリガンのデイジーは
余りにもイメージが違ってて
観るのを躊躇した(結局は観たけど)。(゚д゚lll)ギャボ

『華麗なるギャツビー』に比べれば
『遥か群衆を離れて』の方がギャップは少なくて
これなんかは凄く可愛くて
個人的には好きなカンジではあるるる~

でもこれが強気の処女バスシェバかって言えば
どうも違う気がしてならナイ(゚*゚;)

どちらかと言えば
トロイが愛したファニーのイメージだ

これがオリジナルのファニーだが・・・

こちらは2015年版のファニー

こうして見ると
キャリー・マリガンがファニーで
ジュノー・テンプルがバスシェバだと
好かったような気もしてくるが
そうなると男性陣もそのままではダメだな

男性キャストと言えば
2015年版ではトロイとオークだったら
断然オークの方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男に見えるが・・・

犬のせいじゃナイよな?

トロイはこれ
ただのオッサンにしか見えんが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかもそれでいて
゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男の如き振る舞いでは
そもそも強気のバスシェバなら一笑に付して
惚れ込むワケもなかろうp(-_-+)q

アマゾンビデオのレビューでは
テレンス・スタンプのトロイを知らずに
この2015年版のトロイだけを見て
「キモイ」キャラ設定してる人もいるくらいだから
バスシェバ以上にミスキャストだろうw

これならボールドウッドの方が
まだしも・・・いや、断然素敵だろう!

但し、この2015年版のボールドウッドは
原作のイメージより若過ぎる気もするがね

でも原作者トマス・ハーディの意図するトコロを考えたら
オークとトロイとボールドウッドは三者三様で
それぞれに魅力的に描かれるべきなのでは?

自分はオークが好みのタイプではナイが
朴訥とした男が一途に想い続けながらも
その想いを周囲にはひた隠して
影で支えるコトができる程に男前になって
最後にはその成長ぶりを認めたバスシェバが
かつては「あなたを愛してません!」と
プロポーズを断ったのに
「愛してるから戻ってきて!!」と
乞うようになる・・・
これって純朴な青年の成長物語として見れば
凄く感動的な物語ではあると思う

そしてオークを受け入れるには
バスシェバにも恋愛・結婚の破綻を
経験する必要があったとも思う

う~ん、深い・・・

だから、こんなに面白い物語なのに
なぜ、日本では疎んじられてるのだろうかヽ(゚∀。)ノ

『ブーリン家の姉妹』

現エリザベス女王はエリザベス2世なのだと
最近になって知った、とゆーか再認識したのだが
エリザベス1世となると1558年に25歳の若さで即位して
一生を独身で通したテューダー朝最後の女王だ

生涯に6人の妻を持ったヘンリー8世を父に持ち
母はその2番目の妻アン・ブーリンだ
映画『ブーリン家の姉妹』ではナタリー・ポートマンによって
美しさゆえに勝気なアン・ブーリンが描かれているが
実像は冴えナイからこそ女子力に磨きをかけたぽい

ヘンリー8世の妻になるまでの策士ぶりとか
前妻を陥れてからのその娘にまで及ぶ悪辣な仕打ちとか
その美貌によってちやほやされるのが当たり前の
ヨユーがある女には在り得ナイ陰湿さなのでそう思うのだがw

このアン・ブーリンの陰謀で
前妻との離婚を(より正確には離婚ではなく婚姻の無効を)
ゴリ押ししたヘンリー8世は
ローマ・カトリック教会と真っ向から対立した。(゚д゚lll)ギャボ

(仮)ザ・チューダーズ ヘンリー8世/背徳の王冠 DVD-BOX1

それとゆーのも聖トマス・アクィナスが認めてませんでしたから!(※)
ああ、しかしトマス様、なんたるコトでしょう!!
ルター批判によってカトリック信仰の擁護者の称号を授かった王が
遂には破門されてしまうとは・・・(←『トリストラム・シャンディ』風w)
ヘンリー8世の時代のトマスと言えばトマス・モアだが、モアも認めておらず
それが原因でモアはロンドン塔に幽閉ののち斬首刑に処された
またそうしてモアを追い詰めるに至った国教会の支持者クロムウェル卿もトマスだった

でも現代日本人からしたら一国の王の婚姻について
なんで他国の教会組織に許可をもらう必要があるのか???だし
従わなかったら破門されるってのも???だろうし
そもそも破門ってのが意味不明かと・・・。(´д`;)ギャボ

カトリック信者にとってのローマ・カトリック教会は
人間による神の代理組織の頂点、なのだ(現代においても!)

そこから破門されてしまうと秘蹟を享受できなくなり
秘蹟による赦しがなければ死後は地獄行き、と信じられてるるる~

聖地奪回のための十字軍遠征にこぞって参加したのも
そうすれば赦しを得られるとローマ・カトリック教会が説いたからだし
また参加せずとも金銭によって参加したコトにしてもらえたのも
ローマ・カトリック教会がそう示唆したからだ

これで免罪符による教会の不当な金儲けが正当化されたのを
おかしい、と感じて信仰の意義を唱えたのがルターの宗教改革で
ヘンリー8世在位中(1517年)の出来事だったが
熱心なカトリック信者でインテリだった王は(女癖は悪かったが)
ルターを批判しカトリックの秘蹟を擁護する文書を著して
当時の教皇に【信仰の擁護者】と称された

その同じ王が、たかが女性問題なんか(※)で
ローマ・カトリック教会と決別して仕舞いには破門されてるって
どんだけ女に弱いの?バカなの???
王妃はそのままにしといて影で愛人ともよろしくやるのが穏便な方法では?!

しかもそこまでして結婚したアン・ブーリンなのに
数年後には離婚してロンドン塔に幽閉した後にあっさり処刑ヽ(゚∀。)ノ
そういう両親の熾烈な愛憎劇の渦中に生まれ落ちたエリザベス1世が
決して結婚しなかったのには諸説あるが
自分としてはこのバックグラウンドだけで十分と思えるがね

このエリザベス1世の治世は1558年~1603年と44年ほども続いた