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現エリザベス女王はエリザベス2世なのだと
最近になって知った、とゆーか再認識したのだが
エリザベス1世となると1558年に25歳の若さで即位して
一生を独身で通したテューダー朝最後の女王だ

生涯に6人の妻を持ったヘンリー8世を父に持ち
母はその2番目の妻アン・ブーリンだ
映画『ブーリン家の姉妹』ではナタリー・ポートマンによって
美しさゆえに勝気なアン・ブーリンが描かれているが
実像は冴えナイからこそ女子力に磨きをかけたぽい

ブーリン家の姉妹 [Blu-ray]

ヘンリー8世の妻になるまでの策士ぶりとか
前妻を陥れてからのその娘にまで及ぶ悪辣な仕打ちとか
その美貌によってちやほやされるのが当たり前の
ヨユーがある女には在り得ナイ陰湿さなのでそう思うのだがw

このアン・ブーリンの陰謀で
前妻との離婚を(より正確には離婚ではなく婚姻の無効を)
ゴリ押ししたヘンリー8世は
ローマ・カトリック教会と真っ向から対立した。(゚д゚lll)ギャボ

(仮)ザ・チューダーズ ヘンリー8世/背徳の王冠 DVD-BOX1

それとゆーのも聖トマス・アクィナスが認めてませんでしたから!(※)
ああ、しかしトマス様、なんたるコトでしょう!!
ルター批判によってカトリック信仰の擁護者の称号を授かった王が
遂には破門されてしまうとは・・・(←『トリストラム・シャンディ』風w)
ヘンリー8世の時代のトマスと言えばトマス・モアだが、モアも認めておらず
それが原因でモアはロンドン塔に幽閉ののち斬首刑に処された
またそうしてモアを追い詰めるに至った国教会の支持者クロムウェル卿もトマスだった

でも現代日本人からしたら一国の王の婚姻について
なんで他国の教会組織に許可をもらう必要があるのか???だし
従わなかったら破門されるってのも???だろうし
そもそも破門ってのが意味不明かと・・・。(´д`;)ギャボ

カトリック信者にとってのローマ・カトリック教会は
人間による神の代理組織の頂点、なのだ(現代においても!)

そこから破門されてしまうと秘蹟を享受できなくなり
秘蹟による赦しがなければ死後は地獄行き、と信じられてるるる~

聖地奪回のための十字軍遠征にこぞって参加したのも
そうすれば赦しを得られるとローマ・カトリック教会が説いたからだし
また参加せずとも金銭によって参加したコトにしてもらえたのも
ローマ・カトリック教会がそう示唆したからだ

これで免罪符による教会の不当な金儲けが正当化されたのを
おかしい、と感じて信仰の意義を唱えたのがルターの宗教改革で
ヘンリー8世在位中(1517年)の出来事だったが
熱心なカトリック信者でインテリだった王は(女癖は悪かったが)
ルターを批判しカトリックの秘蹟を擁護する文書を著して
当時の教皇に【信仰の擁護者】と称された

その同じ王が、たかが女性問題なんか(※)で
ローマ・カトリック教会と決別して仕舞いには破門されてるって
どんだけ女に弱いの?バカなの???
王妃はそのままにしといて影で愛人ともよろしくやるのが穏便な方法では?!

しかもそこまでして結婚したアン・ブーリンなのに
数年後には離婚してロンドン塔に幽閉した後にあっさり処刑ヽ(゚∀。)ノ
そういう両親の熾烈な愛憎劇の渦中に生まれ落ちたエリザベス1世が
決して結婚しなかったのには諸説あるが
自分としてはこのバックグラウンドだけで十分と思えるがね

このエリザベス1世の治世は1558年~1603年と44年ほども続いてて
シェイクスピアやマーロウの演劇が持て囃されてたが
要するにこの時代の文学と言えばほぼ戯曲だった

エリザベス朝演劇集〈1〉

そこからするとトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』での
以下の表現はシェイクスピアやマーロウに見受けられるのだろうか?

白雪をちりばめた紅ばらという、エリザベス朝の古めかしいたとえを、これほどしつこく、くり返し思い出させる女性の唇と歯を、いままで彼はついぞ知らなかった。彼は恋人としてだったら、それらを即座に完璧な口もとだと呼んだかもしれない。しかし、いや――それらは完璧ではなかった。一目みて完璧と見まごう画面に、一刷毛の描き残し、または不完全さが残っていてこそ、甘美な魅力は生まれるのだ、――不完全さ、それは人間性を発揮する要素だからである。

自然が望む美はシンメトリーなのだが
人間が憐憫の情を抱くのはアシンメトリーで
完璧にほど近い美の中の僅かに不完全な愛くるしさなのだ

そんなテスの唇を見つめる時
恋人のエンジェルは全神経をつらぬく薫風が吹き起こりめまいがするそうで
この薫風はギリシア語で「アウラ」(大沢衛の訳は【開花発気】)だ
なんて瑞々しい表現だろう・・・ホゥ(*-∀-)

テス  Blu-ray スペシャルエディション

ロマン・ポランスキによって映画化された『テス』では
小説で想像してたよりも幾分明るいイメージのナスターシャ・キンスキーが
ハーディの美的表現通りのテスを演じてたが
当時17歳のキンスキーはこの時ポランスキと深い仲だったそうで
だからこその出来の良さなのかもしれナイが
そこにどうにも苦々しさを感じてしまうのが残念だ

映画『テス』はポランスキの亡き妻シャロン・テイトに捧げられたが
それは彼女こそが夫に映画化を勧めてたからなのだ
チャールズ・マンソンの狂気の犠牲となる前に・・・

道徳、なんて言葉を他人に振りかざす人間ほど
不道徳の罠にかかった道徳的な女を傷つけたりするモノだ

【映画パンフ】テス ロマン・ポランスキー ナスターシャ・キンスキー

道徳的な人間とは、どういう人間なのか?
さらに適切にいえば、道徳的な女とは、いかなる女をいうのか?
ある性格の美醜は、その人の業績にばかりあるものではなく、その目的と動機にあるのだ。
性格の真の歴史は、成し遂げられたことのあいだにあるのではなくて、意図されたことのあいだにあるのだ。

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の中で1番心に沁みる部分だ

テス 上 (岩波文庫 赤 240-1)テス 下 (岩波文庫 赤 240-2)

以下、『ダーバヴィル家のテス』のあらすじと疑問点

☆・・・☆・・・☆

ヴィクトリア朝時代のイギリスの片田舎に
テスは極貧で子沢山の一家の長女として生まれたが
美しかったお蔭で金持ちのアレックに見初められて愛人になり
家族を養うコトができるようになって
大団円♪

と、思いきやテスは突然アレックの許を去る。(゚д゚lll)ギャボ

当初テスがアレックの強引さに戸惑ってたのは処女ならではの抵抗で
そういうテスをアレックはますますかわいく思っただろうし
若くてハンサムで洒落者の男に甘やかされてほだされナイ女はいナイから
テスもそろそろアレックに対して素直になる頃かな?

と、思った矢先に突然アレックの許を去ったのだ。(´д`;)ギャボ

テスの突飛な行動にアレックも呆然としただろうが
現代日本人の読者としては当のアレック以上にあっけにとられた

アレックの何が嫌なのか?単に愛人とゆー立場なのが嫌なのか?
既に純潔も失ったテスがいったいどうしてこうも頑ななのか?

そしてもっと切実な問題として
テスはこれからどうやって家族を養うつもりなのか?!

よりを戻そうとするアレックを拒み続けるテスは
家族を養うために野良仕事に明け暮れて厳しい日々に耐える
それだけならテスの姿はとても感動的で心を打たれるが
意地を張らずにアレックの許に戻りゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに、と思うと
どうにもバカバカしくなってくるるる~・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そうして重労働に身をやつすテスはエンジェルと出会った

エンジェルが美しいテスを見初めるのはわかる
しかしテスがなぜエンジェルを好きになるのかはまるでわからん
無粋で意固地で自分勝手で夢見がちで処女崇拝で男尊女卑の冴えナイ男だw
テスの不運は男の趣味が悪かったコトとそれを貫き通した我の強さかヽ(゚∀。)ノ

学生時代に初めて読んだ時からずっと疑問だったのは
テスがなぜ非の打ちドコロのナイアレックの愛人の座から逃げ回り
一方で覚束ナイエンジェルと結婚しようと必死だったのか?

今になってやっとわかったがテスの思考や行動の全ては
恋愛感情でも損得勘定でもなく信仰心から発したモノだったのだ

当のテスは信仰心だけを貫きたかったが
アレックはまるで悪魔のように誘惑して虜にした
甘い夢を見せられて幸せのぬかるみにはまってしまったテスが
それに気づいた時にもれなく捨てるべきだったのは
アレックではなくて信仰心だったのでは?・・・まあ捨てられナイだろうがな

そうして罪の子を産み、更にその子を亡くし
これまた信仰心ゆえに無駄に自身を呪わしく感じてしまう
だからエンジェルに対してもどうしても恋心より罪悪感が先に立ち
その罪の重さに耐えかね、ついには告白してしまう

これはエンジェルに関しても言える
典型的な庶民=純粋なキリスト教の信徒、なのだからして
恋愛感情よりも性欲よりも信仰心が勝ってるるる~

テスが非処女であると知った途端に拒んだエンジェルを
以前は単に恋人の裏切りに対する拒絶としか捉えてなかったので
なんて器の小さい男だ、と軽蔑してた
でも実はテスが告白したのは恋人への裏切りなんかではなく
私生児を産む、とゆーキリスト教では赦されざる罪を犯してた事実で
エンジェルにしてみれば地獄へ落ちるのが確定してる女に見えただろうから
そりゃあ逃げ出したくもなるってものだ

だからそうして一旦は逃げ出したはずのエンジェルが
ましてや牧師の息子であったのにテスの元へ戻ったのは(遅過ぎたけど)
これこそが恋愛も性欲も信仰も超えた愛だったのではナイだろうか?

いつでも女の子の味方でありたいとは思うのだが
暗く鬱陶しい悲劇のヒロインは応援のし甲斐もなくて
そんな女が主人公の物語はつまらなかった

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』のテスのように
最愛の相手との結ばれナイ運命に打ちひしがれて憂いてる女とか無理っつ!

トマス・ハーディ全集 12 ダーバヴィル家のテス

テスは男を見る目がナイばっかりに゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男を蹴って
激情の迸るままにバカな男に愛を捧げて・・・
いや、総てを曝け出して赦しを乞うたのに捨て置かれるるる~

テスはアレックの愛人になれば若死にする必要ナイのに・・・
しかも犬死に・・・バタリ ゙〓■●゙

まあ最愛の相手と結ばれて長生きしても
そいつにこそ不幸な目に遭わされ続けるとなると
若死にとどちらが得なのか、微妙だがw

同じくハーディの『遥か群衆を離れて』のバスシェバと
『ダーバヴィル家のテス』のテスは
その美貌や高潔さなどがよく似たタイプの女だ

しかしテスの一家は困窮してたのでテスが養うしかなかったが
かたやバスシェバは遺産を受け継いで牧場主となった

テスは生活のために自らを恥辱に晒さねばならず
またそれがために愛する男に拒絶され
一方バスシェバは条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男のプロポーズも拒み
初めて恋した相手を悠々と夫に迎えるのであるるる~

但し、バスシェバに限らず世間ではよくあるコトだが
夫は博打好きで酒に溺れるタイプで妻以外の女にのめり込みやすく
更に放浪癖があった・・・
呑む、打つ、買うも男の甲斐性だったらまだしも
バスシェバに依存してるのだからタチが悪い(-_-;)

とはいえ、稀にそういう悪癖を持ち合わせてナイ男もいるが
テスの愛したエンジェルのように無駄な生真面目で
女を攻撃して傷つけるのは尚更タチが悪いし
ましてや新婚初夜を迎える寸前に妻を拒絶するような男は
手を焼かせ続けるダメンズの夫にも劣るヽ(゚∀。)ノ

換言すれば、テスは結婚生活での苦労はなかったとも言えるし
愛人生活でも男が溺れてるのがテスなのだから
生活する上での苦労はなかったはずだ
愛人である、とゆー不満以外には・・・

実際、テスのような貧農の娘が生きてく術は
同じ貧農の男に嫁ぐか金持ちの愛人になるしかナイのは
わかりきってる事実なのだから
どうしても嫁ぎたい貧農の男がいなければ
別に金持ちの愛人になったって゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃナイか?
しかも相手の男は愛する対象としても全然悪くナイのだ
自分はどうもアレックに惹かれてしまう(苦笑)

[第1巻 メロドラマ] パミラ、あるいは淑徳の報い (英国十八世紀文学叢書)

もしかしてサミュエル・リチャードソンの『パミラ』のように
テスもアレックから愛人でなく本妻に望まれたら
子供じみた抵抗などせずに上手くいってたのだろうか?

でも愛人に望まれた純潔至上主義者のテスは
操を守りきれなかった自身と相手の男をひたすら呪い続けるるる~

テスがこの呪縛から解放されるためには
恋人に価値観をひっくり返されるほど愛されるしかなかったが
エンジェルはテス以上に純潔至上主義者だったため
愛する女のはずのテスも相手の男アレックも同じように呪い
穢れてる女との別れを望むのだった。(゚д゚lll)ギャボ

愛する女自身よりも女の純潔が大切で
それを失ってしまったら女には愛する価値がナイ???

そんな奇異な価値観を振りかざしてくる男よりは
酒と博打と女に溺れやすいダメンズの方が愛らしいと思えるけど(゚*゚;)

結末ではやっとテスを許せるようになったエンジェルが
テスを迎えに行くのだが時既に遅し・・・
と思いきや、エンジェルに呪いを解いてもらいたいテスは
殺人まで犯してエンジェルを追うのだった

呪いは解けたが・・・そこでテスの命運は尽き果てた。(´д`;)ギャボ

かたやバスシェバは生活に困るコトもナイので
ダメンズの夫トロイに酷い目に遭いながらも最期まで愛し続けて
むしろ愛情のストックがある間にトロイが死んでくれて
きっとほっとしただろうし、幸せだったと思う。・゚・(ノД`)・゚・。

夫が単に浮気性だと嫉妬で腸が煮えくり返るくらいで
赦せば戻ってくるのだと思えば幸せでいられるし
死んでしまえばもう浮気のしようもなくなるから一安心だヽ(´▽`)/

女は基本的には男より精神的に逞しく明朗快活だが
それは男のように実力もナイくせに無駄なプライドを持ち合わせて
そこを突付かれる度にいちいちいじけたりしナイからだし
フツーは家事だの雑事に追われて生活してるので
そんな風に自身の殻に閉じ篭ってるような暇もナイからだ

女の底力を発揮するのは不幸な目に遭ってこそで
悲恋こそが女の人生を豊かにするのだ!
それを乗り越えられれば!!

女の本能はそうと知ってて挑む、だから女なのだ(*^^*)

女にとって名状し難い魅力を持ってる男には
不思議な共通点があるるる~

そう思ったのはトマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』(※)の
トロイ軍曹についての描写だった
実際に読んでたのは昭和初期訳の『遥かに狂乱の群を離れて』

彼にあつては過去とは昨日のことであり、将来とは明日のことであつて、決して、次の時代の謂ではなかつた。

カサブランカ [Blu-ray]

ボギーも『カサブランカ』で似たようなコトをのたまう

昨夜?
そんな昔のことは覚えてない
今夜?
そんな先のことはわからない

女の誘いをそつなく断るのに吐いた科白だが
自分もこんな風に断られてみたい、とさえ思えるほどに
不躾ながらもなぜか心地好いのは
女が1番拘りを持つ【時系列】に対して
無頓着だ(だから止めた方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ)と
暗に先手を打ってるからだろう

とはいえ、そうしてつれなさを粋に計らえるコトこそが
女に恋われる所以でもあるのだ
一定の距離を置いてなら楽しく付き合っていけるし
本気にもならなければ裏切られずに済む
とか安心させつつも、隙あらばと挑ませるのだよw

さてトロイは主人公の非モテ男オークとは正反対で不道徳極まりなく
色男の常で金はなかったが力の方は剣術が達者で
生まれ持っての家柄と美貌を誇る紅い制服が似合う軍人だった

女に対してどんな非道もやってのけそうに見えて
案外ロマンチストな部分を持ち合わせてて
貧しく鈍臭くも愛らしい女を1度は捨て置きながらも
後から純愛に目覚めて一途に想ってみたりする・・・ホゥ(*-∀-)
それも金持ちで賢い美女の夫の地位を得た後でだったりする。(゚д゚lll)ギャボ

トロイは女に対して臆するトコロがナイので
美女に何の気兼ねも無く、その美貌を褒め称えるのだが
美しく誇り高き処女バスシェバも
ただでさえトロイの容姿から目が離せナイのに
その口から自身を美しいと賛美する言葉が発せられるのだから
抵抗のしようもナイのは当然だ
更にそこですっかり゚+.(・∀・)゚+.゚イイ気分になった頃合いに
皮肉交じりにさらりと愛の告白をされたら
本気なのかどうかが気になって思い悩んでる内に
夜も眠れなくなるほどに狂おしく愛してしまうのだよ。(´д`;)ギャボ

バスシェバに対するトロイの迫り方をオークと比較すると
非モテ男とモテる男の決定的な差がよくわかる

私はあなたを(物資によって)幸せに出来ますから
是非とも結婚しましょうヽ(゚∀。)ノ

   by オーク

他の女とキスするよりあなたに罵られる方が好ましいので
ここ(あなたのそば)にいたいんですよ

   by トロイ

これがテス(※)のような貧農で子沢山の家の娘だったら
トロイを振ってオークを選べるのも
女としてよりむしろ人として立派なのかもしれナイ
同じくトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の主人公

でも不幸に陥るかもしれナイ予感がしながらも
ただひたすら愛し愛されたい男として
総てを敵に回してでもトロイを求めてしまうのが女ってモノだし
最終的にどんな転落を味わったとしても
女は自身が選んだ男なら絶対に恨んだりは出来ナイはずだ

だからバスシェバも身を切られるような裏切りに遭いながら
トロイを愛する気持ちは一向に変わらナイ!
ドコロか夫が愛した女性に憐憫の情さえ抱き
トロイを選んだコトには微塵も後悔なんかしてナイのだ!!

バスシェバのような資産家の美人に生まれてたら
もれなくトロイのような男を求めてしまう、のはわかる♪
人生においてたった1度でも恋する男に乞われたいヽ(´▽`)/
実は勘違いだったと後々露見しても
一瞬だけでも至福を感じられるなら゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

それにしてもテレンス・スタンプはハマり役だな
なんか別のVer.でも映画があるようだが観る気がしナイよ(-_-;)

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これとは別に今年(2013年)また映画化するらすぃけど
それを機にテレンス・スタンプ版もDVD化されると嬉しいな(*^^*)

それにしても若い頃はトマス・ハーディをバカにしてたが
四十路を過ぎてファンになるとはヽ(゚∀。)ノ

tristram-shandy

キリスト教には【洗礼】なる儀式があり
この儀式をせずに死ぬのは信者にとって途轍もなく恐ろしいらしい

なんせキリスト教では死後の世界を確証してて
例えば自分のような無神論者は無条件で地獄や煉獄へ落ちるとされてるるる~

洗礼の外気ドイツ Rummelsburger 宗教 1902 年

神の御許=天国、に行き着くためには魂の救済が必要不可欠で
特にカトリックでは【洗礼】の秘蹟によってこの処置を施すのだそうだ

このカトリックの教えが民間信仰として根強いと確信したのは
トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』を再読した時(数年前)だった

テスの産んだ子は私生児だったため【洗礼】を受けられずにいて
この子が死に瀕した際にテスはその純粋な信仰心から
私生児=罪の子、であるコトと【洗礼】=魂の救済処置、が施されてナイコトの
二重の負い目を持つ我が子が死んだら地獄に落ちると確信する

カトリックの信徒が叩き込まれてる地獄の概念はテスにとっては凄まじく
思い巡らせばもう居ても立ってもいられなくなったのだろう
とうとう自らの手で赤ちゃんに【洗礼】を行うに至る

[1]水(聖水)で浄める
[2]名前(洗礼名)を付ける

かつて自分がカトリックのシスターに教わった【洗礼】の概要もこの2つで
思いの外やるコト自体は安易ではあるが誰でもできるワケではナイ
れっきとした授洗者(神父)が行わねば【洗礼】の秘蹟とはならナイのだが
それもおそらく承知の上でテスが【洗礼】を強行したのは
恐怖心から何もせずにはいられなかったのだ

淡い望みと冷たくなった我が子を胸に抱いて
キリスト教徒として埋葬してもらうよう神父に依頼しに行くテスだったが
神父は教義上、その子をキリスト教徒と認めるワケにはいかず
堕獄の集ばかりが眠る墓場に埋められるコトになった

この堕獄の集とはキリスト教の教義に適わぬ死に方をした者で
悪名高い酔っ払い、自殺者、そして【洗礼】の秘蹟を齎されずに死んだ者だ
どんなに素晴らしい生き方をした人でも無垢な乳幼児でも
死ぬ前に【洗礼】を受けなければ地獄行きなのだよヽ(゚∀。)ノ

神ってどんだけ了見の狭いヤツなんだかw

いや、実際に神がどう取り計らってるのかは知る由もナイが
無神論者が神に対してそう感じてしまうのは勝手な思い込みではなく
ローマ・カトリック教会の教えが貶めてるのにほかならナイのだ

しかしとりあえず信者がどれほど【洗礼】に重きを置いてるかは
無神論者にも納得はできなくとも理解はできる
だからなるべく早く子供に【洗礼】を受けさせたいのだろうし
極論として生まれる前の子供の【洗礼】にまで及んでしまうのもわかる
なんせ近代まで子供が死ぬ確率は現代とは比較にならナイほど高く
妊娠~出産時の死亡率も母子共に高かったのだ

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の第1巻の第20章では
生まれる前の子供の【洗礼】、つまり嬰児の【洗礼】についての
ローマ・カトリック教会とソルボンヌ大学と聖トマス・アクィナスの見解が
原注に以下のように記されてる

ローマカトリック教会の儀典書は、危急の際における出産前の子供の洗礼を指令しています――ただし、子供の体のいずれかの部分が授洗者の目にふれた時という条件付です。――ところがソルボンヌの博士たちは、1733年4月10日、彼らの間で行われた審議の結果、産婆の権限を拡大して、子供の体のいかなる部分も外にあらわれないときでも、注射によって(小なるカヌーレの使用により――つまり、注射器を用いて)洗礼を施すべきことを決定しました。――ここで甚だ不思議なのは、かの聖トマス・アキナスが、一方ではあのスコラ派神学の無数の紛糾錯雑したこんぐらかりを作るほうにもああいうきわ立った緻密な頭を持ちながら、この問題には大いに労力を傾注したあげくに、最後はこれを第二の不可能事として遂に断念してしまったことです。――「母胎内にある嬰児は、」(聖トマスは言っています)「いかなる手段によりてもこれに洗礼を施すを得ず」――何ということです、トマス様!トマス様!

現代日本に生息する無神論者からしたら
胎児に【洗礼】を施そうとするコト自体がナンセンスなのだが
聖水を注射器に仕込んで母胎に注入する、なんてグロテスクな方法には
どうしてそんな発想ができるのか、眉を顰めてしまうが
この「母胎に注射器」を条件とすれば【洗礼】が「有効」と認める、となヽ(゚∀。)ノ
いやいや、それを神も認めてるかどうかは誰にもわからんて。(´д`;)ギャボ

ちなみに作中では「母胎に注射器」での【洗礼】の代わりに
主人公のトリストラム・シャンディは以下を提案してる

父親の精子の小人全員に対してならどうか?

精子全部を聖水で浄める、なんてのはもうやり方も想像を絶するなw

それにしても今でこそ生まれる前に性別を知り得て
性別に見合った名前をつけるなんてコトが当たり前にできるのだが
昔はそうはいかなかったのだから
もしかして「母胎に注射器」で【洗礼】を行うより
洗礼名をつける方が困難だったりして。(゚д゚lll)ギャボ

pamela

仏文学・独文学・露文学に比して英文学に馴染みが薄い気がするのは
格別に好きな作家がすぐに思い浮かばナイからだ

しかしよくよく考えてみれば
子供の頃に夢中になって読んだ小説にはワリと英文学が多かったかも?

嵐が丘 [DVD]

中でも『嵐が丘』は大好きで最もよく読み込んでる作品だろうが
エミリー・ブロンテが好きな作家だ、とは言い難い
なんせこれ一作しか書いてナイのだからw

同様にアリスやガリヴァーなど親しんでる作中キャラクターもいるのだが
作家に対する想いは彼らへの愛情と=にはならナイ

反対にあえて好ましくナイとさえ感じられて敬遠してた英国作家なら結構いる
小説家ってか劇作家ではあるがシェイクスピアもその内の1人で
悲恋モノ好きな自分だが『ロミオとジュリエット』だけは
とても真面目に読む気も起こらなければ笑い飛ばすのもしんどかった

Tess of the D'Urbervilles (Penguin Classics)
Pamela: Or Virtue Rewarded (Oxford World's Classics)

そして英国文学嫌いの決定打となったのは
トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』だった
初めて読んだ時にはハーレクイン・ロマンス(※)かと思った。(゚д゚lll)ギャボ
てかむしろそれ以下に思えてしまったのだ。(´д`;)ギャボ
ロクに働かずに生きてる美男美女による非現実的で意味のナイ恋愛成就の物語

しかし長生きはするものだし
悲恋モノは読むだけでなく実体験すべきなのだ

理想に燃えてた10代の頃の瑞々しいけど思い込みの激しいバカの感性と
理想に打ち破れてみて、人生は理想を貫くより日々些細なコトを愉しむべき
との悟りの境地のアラフォーでは
同じ本を読んでも感想が180度違って当たり前だが
恋愛や結婚については経験によって特に甚だしく変化するものなのだ

悲恋が
物語に描かれてるような美男美女の織り成す天国の悲劇ではなく
自らが道化となって演じる地獄の喜劇なのだと知ると
テスの生きザマにも意味があるとわかった

尤もテスの場合はそれ(恋愛)だけに留まらず
時代背景、つまりヴィクトリア朝の貧農の娘の度を越えた信仰心が理解できなければ
わかりようもナイ・・・基本的に現代日本人には理解不可能なはずw

ところが「英国文学の父」とも冠されるサミュエル・リチャードソンの『パミラ』を読み始めたら
ヒロインのパミラがテスも慄くほどの純潔信奉者だったので
テスのレベルが理解できるようになったのだ!
なんせパミラときたら操を守れナイのなら死を選ぶほどだ・・・バタリ ゙〓■●゙

そしてテスもバカだと思ったがパミラはテスなど問題にならナイほどバカで
それでいて女としてはパミラは実はやり手だったり(゚ ゚;)

パミラは金持ちで美男のご主人にすっかり惚れ込まれてて
何度も襲われそうになるのだが操を守りたいがために断固として拒否し
両親の許に帰してください、と懇願し続けるるる~

そんな拒み方をされてしまうほどに
男の方はなんとしてでもパミラをモノにしたいと思うようになり
彼女の貧しい両親の生活の面倒を請け負ったり
財産のほとんどを彼女に与えるコトまで約束するのだが
それでも頑なに純潔を貫くパミラはこの期に及んで
両親の許で一生身を汚さず生きたい、などと願い続けるのだヽ(゚∀。)ノ

パミラは結婚して子供を産むには十分な歳なのに
貧しい両親と家族3人で一生どうやって生計を立てるつもりなんだ?!
何を考えてるんだ、何も考えてナイのか・・・???

いや、最終的にはパミラはご主人と結婚してしまったので
後から考えてみたらもしかしてじらして純潔の価値を吊り上げてたのか?
あるいは究極のSMを愉しんでたとか・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とにかく最初から最後までず~っと2人が純潔の押し問答してるだけで
それがパミラから両親への書簡形式で綴られてる設定なので
現代日本人にはパミラの病的な貞操観念がオーバーに感じられてしまうし
無駄に長編なので途中でしらけてしまうだろうが
これを読めば度が過ぎるパミラに比して
手っ取り早くテスが理解できるようになるのは間違いナイp(-_-+)q

それにしても女性心理をよくわかってて感心する作家は少なくナイが
こんなパミラのような特異な女の気持ちは自分が女だって理解し難いのに
さすがリチャードソンは「英国文学の父」なのだな

そしてやはり英国文学の基本はピューリタン文学なのだろうか?

tess

夢見る(?)学生時代・・・どうにも処女信奉がかったるい、エンジェルはバカ
結婚生活破綻後・・・好きな男と結婚するのは諦めるべし、テスはバカ

テス [DVD]

以上がトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』を読んだ感想だった

だった、と過去形なのは最近また読み返して見解が変わったからだ

☆・・・☆・・・☆

感動が人生を形成してきた
芸術であったり科学であったり哲学であったり
{しかし実質は平凡に生きざるを得ず
凡庸な日々に飽き足りナイコトで葛藤があった}

――わが身以外の何人(なにびと)にとっても、彼女は存在ではなく、経験ではなく、情熱ではなく、また感覚の束でもない。ほかの人間全部にとって、テスはただ、かすめくるつかのまの思いにすぎない。友達にとってすら、彼女はただ、しばしばかすめくるつかのまの思いにすぎないのだ。たとえ彼女が一生涯、夜となく昼となくめそめそ悩みつづけたところで、友達にとってはただひとこと――「まあ、自分で不幸になってるのさ」と、これだけのことであろう。

{トマス・ハーディ『ダーヴァヴィル家のテス』より(大沢衛訳)}

自然主義文学はつまらナイ
{と思ってたがそのつまらナイ部分を納得できなければ
平凡とゆー幸せには到底行き着かナイのだろう}

恋人と添い遂げて幸せか、思いを遂げられなくて不幸か、それしか選択肢のナイ人生
{どっちに転ぼうが悩みは限定されるからある意味幸せだな}

ハーレクイン・ロマンスはロマンスと謳ってるけど
根本は自然主義文学なのかもな(゚ ゚;)???

{『ダーバヴィル家のテス』は恋愛や結婚に苦い想いをした後でナイと何の実感も共感も齎さナイ
平凡な女の人生にこそドラマがあるのか・・・(-_-;)???}

☆・・・☆・・・☆

上記☆・・・☆・・・☆内は2007年晩秋のブログ記事で
元は学生時代のルーズリーフ片から拾ったモノで
アップ時に引用文と{}内を追記した

トマス・ハーディ全集 12

考え方の方向性は根本的に変わりようもナイが
自分の感性に合うかどうかだけを基準に断定的な物言いだったのが
他者に対して卑下した態度で挑むようになってきてて
20年の歳月は物腰を変化させたらしい・・・まあ単に歳をとったってコトだw

学生時代には希望ばかりを無限大に持てたが
若さを失ってくのと同時に義務に対する責任が大きくなり
20年後には義務ばかりが重くのしかかってた

義務は最初のうちは結婚と出産だったが
出産にはタイムリミットがあり
押し迫ってくるとむしろ結婚なんてしてる場合ではなく
とりあえず私生児でも産むしかナイ、と切実に思い詰めるようになった

そういう切羽詰った状況でイライラしてると何を読んでも心ここにあらずで
あえて若い時に一読して捨て去ったようなくだらナイ本を読み返してみたら
やっぱりどれもくだらなかった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
が、どれもつまらなくはなかった(≒おもしろかった)

かつて『ダーバヴィル家のテス』は
自分の世界観の構築には何の関係もナイ、と思ってた

ところが20年の歳月を経て
私生児を産もうと策略するようになった自分にとっては
私生児を産んでしまったがために罪の意識に苛まれ続けたテスが
なんとも不可解に感じられるようになった

まあその不可解さが単なる違和感なら
時代と場所が違うのだから、そこを検証すれば納得できるだろう

でも引っかかってるのは違和感ではなく
正反対に思える立場、思考、行動、などの対比の中に何か共鳴し合ってる部分がある気がしたのだ
この時点ではどうにも把握できずにいたが感覚的に感じてた

それが今回読み返してみてやっとしっくりきた

自分がテスのようにヴィクトリア朝時代の貧農の娘で多少器量がよかったら
もれなく同じ人生を歩みそうだってコトだ。(゚д゚lll)ギャボ

テスは信仰心によって罪の意識を科したが自分は責任感によって義務を科し
テスが信仰心を捨てられナイように自分も責任を放棄できナイ
おそらく立場が入れ替わればお互いの人生を受け容れてやはり貫くであろう

要するに無駄に生真面目で意味もなく頑固なのだな
自分もテスも・・・

だがしかし
テスは信仰を生涯捨てられなかったから不幸な一生だったが
自分は義務を果たせなくなったおかげで今はしゃーわせヽ(´▽`)/

タイムリミットがキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!

そんなんで四十路を過ぎてからは自由気ままに愉しんでて
おそらく若い時の10倍も充実してるね!
還暦の時には今の仕事はやめてるだろうから
更に今の10倍は充実してそうで若い時からしたら100倍か?!

何をしてそう確信できるのかと言えば
現実と感覚的世界観を巧く切り分けて日々を臨めてるからだろう
日常生活においては諦めと忍耐でただ黙々とこなして生き永らえるコト以外考えず
解き放たれた時には好きなモノや心ある人だけに囲まれて想いを美しい色や形に表現したり
本を通じて時空を超えた親友と共鳴したりもするるる~

この解き放たれた時の感覚を共有できるような人との交流は魂がスパークするカンジで
生きててよかった、と思う瞬間だが
換言すればこの瞬間を味わうために生きてるのだ(*^^*)

とすると現実逃避するためにこそ凡庸な日常を過ごしてる、とゆーコトかw
平凡な女の人生は幸せのパラドックスだな?!

それにしてもいつの間にポランスキの『テス』以外の『テス』のDVDが。(゚д゚lll)ギャボ