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自分が幼少時は金持ちの家の女の子ほどリカちゃん派で
素敵なハウスやお洒落なドレスを所持してたが
そういう女の子の家に遊びに行く時に
貧乏人の娘はどうするか?

【1】リカちゃんの友達を買ってもらって
充実したワードローブでの着せ替えを楽しませてもらう
→金持ちに取り入るのが上手いのは悪いコトではナイし
こういう女の子こそが将来はしっかり者の嫁になるのだろう

【2】8頭身のバービーを持ってって
リカちゃんの5頭身と比べて優越感を楽しむw
→金持ちの親は娘にねだられずともリカちゃん一式を買うが
なんとか1体のドールを買ってもらうのが精一杯だと
最初で最後に最高に豪華なドレスのバービーをねだるワケだなw

自分は美意識からも断然バービー派だったのだが
未だに1度も箱から出したコトはナイ
祖母の家の他のお人形(博多人形やらフランス人形やら)と一緒に
必ずバービーが一体だけ箱にしまったまま飾ってあった

祖母にはねだるままに次々とバービーを買ってもらってたが
買う条件は決して箱から出さナイコトだったのだ!
しかもそうして大切に仕舞ってあった箱入り娘のバービーだのに
皆、箱ごと蒸発したのだった・・・

とゆーのも祖母は小さな女の子連れで訪問されたりすると
バービーを箱から出して遊ばせて
帰りはなんとお土産にあげてしまうのだった(゚ ゚;)
まあバービーに限らずぬいぐるみでも何でも
そんな風に留守中に忽然と姿を消すのは日常茶飯事だった

恐らく「破壊魔」と称されてた幼少時の自分のコトだから
扱いがぞんざいですぐ壊すと踏んで箱から出させなかったのだろうが
いくつになっても箱出しは了承されず
その割に余所の子供がぐちゃぐちゃにして遊んでるのは赦してて
要するに他人によって踏み躙られてたのを目撃した時は
えらいショックだった。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

マイケル・モンローを初めて見た時
まるでバービーみたい、と思って憧れたが
小学6年生で既に身長が160cmあったので
10代の頃は8頭身の華麗なバービー体形を目指してた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ピース・オブ・マインド

だがしかし、日本人には所詮、バービーは無理っつ(;つД`)
いや、5頭身のリカちゃんさえ程遠いと実感したのは
もう身長の伸びようがなくなった二十歳の時だ
(19歳の朝飯前まで伸びる、と祖母が言ってたのでね)

外見は本トに日本人に生まれて損した。(´д`;)ギャボ
ましてや外人からしたら日本人は歳より若く(幼く)見えるってのが
唯一の利点だってのに老け顔とキタコレwww
なんせ小学生の時に大学生と間違われてて
以来ほとんどずっと10歳は上に見られてキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

実際、バブルで浮かれてて失望してる暇はなかったがね♪

☆・・・☆・・・☆

バービーとの再会は90年代後半になってだが
その頃のBarbieは凄かった!!

バービー アメリカン フェイバリッツ ハーレーダビットソン バービー ピンクラベル N6590

クリスチャン・ディオールを装ってるかと思えば
ハーレー・ダヴィッドソンに乗り
ギリシア神話の大女神ヘラにもなれば
アメリカの象徴である自由の女神にもなるるる~

クリスチャン ディオール バービー Dior

99年は40周年だったので記念に1体買おうと決意して
ディオール・バービーをゲト♪と思いきや
実物を見たら2種あったどちらの衣装も顔も今1つ気に入らずヽ(゚∀。)ノ
それよりも隣のトッド・オールダム・バービーの方が
豹柄マキシコートがめちゃくちゃカッコよくて
口元のほくろがマドンナのようで断然そっちが欲しくなり・・・
結局、迷いに迷った挙句に双方とも断念したのは
飾る場所がナイ、てのが1番ネックだったのだ

トッド・オールダム・バービー

つい最近までオーディオセットに場所をとられてて
バービーは常時2~3体しか飾れなかったので
季節毎に交替して飾ってたのだが
仕舞ってあるバービーがどうにも不憫で
せいぜい7~8体を限度として欲しいと思ったら買い換えてた

☆・・・☆・・・☆

この春にオーディオセットを処分したので
バービーを並べて6~7体ほど飾れる場所をキープできたが
改めて並べてみて気付いたのは
うちにいるバービーは悲恋の女性ばかりなのだった。(゚д゚lll)ギャボ

買い替えを繰り返して厳選して手元に残ったのだから
投影されてる女性像がより一層想い入れの強いバービーなはずで
そうなると確かにハッピーエンドのお姫様より
悲劇のヒロインになってしまわざるを得ナイ

つい数ヶ月前に買おうかどうしようか迷ってたのも
『嵐が丘』のキャシーを髣髴とさせるような
ゴースト・バービーだったっけ・・・

バービーコレクター ホーンテッド・ビューティ ゴースト バービー (ゴールドラベル) (W7819)

だからありふれたブライド・バービーなんて
今まで1度も欲しいとさえ思ったコトがなかったりして
今年はウェディング・ドレスの買ってみようかな?

バービーコレクター 2013 ホリデーバービー Pink (X8271)

ググってみたら2013のHoliday Barbieが
雪の結晶をあしらった真っ白なドレスで綺麗だったので
アマゾンでポチっと予約して買ったったヽ(´▽`)/

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rebours

心が乾くから本を読むワケだが
何度読んでもその度に潤してくれる本が愛読書と成り得る

生涯を通じて愛読してる本があるなら
それこそが人生のバイブルだったに違いナイ

自分の1番の愛読書は何か?

ふと思い立って本棚としばしにらめっこ・・・
1番読み込んだ=1番傷んでる?

いや、最初から汚れた感があるような紙質の古本を買ってたり
買い直して今はたまたま綺麗な状態のもあったりするし
そもそも同じタイトルでも訳者が違って何冊も持ってたりするから
そうすると傷みが1冊に集中しナイので基準にはならナイのだ
それに確認作業のために頻繁に開く本は辞書のようなモノで愛読書とは言えナイ

さかしま (河出文庫)

長い間飽きずに様々な読み方で愉しんで2度も買い直してる本なら
澁澤龍彦訳のユイスマンスの『さかしま』だが
素直に愛読書と言えるかどうかはビミョ~(-_-;)

一応(?)小説なのだが筋を追うコトはなく
専ら主人公デ・ゼッサントのアート・エッセーのような感覚で
そこに挙げられてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
となると、愛読書ってより耽読書なのだな

そうすると愛読書らしいのはアランかもしれナイ

アランの『幸福論』は自分より年上の本だけあってよごよごなのだが
古本屋で買った時からその状態なので特に気にするには及ばず
ずっと旧仮名遣いの石川湧訳に馴染んでたのだが
近年になって新訳(ってもそんなに新しくもナイが)を2冊購入して
今は3冊持ってるw

新しく買ったのは集英社の白井健三郎訳と岩波文庫の神谷幹夫訳だが
神谷訳が1番的確な訳であるコトは疑いようもなく
でも石川湧の旧仮名遣いの訳は日本語の美しさが際立ってるし
それに比べて白井健三郎の訳は読み易い点で勝ってる
そんな風に三者三様なのだから3冊とも必要なのであるるる~

ところで『幸福論』と言えば
アランに加えてヒルティとラッセルで「世界3大幸福論」とする向きもあるが
これはまるで「世界3大宗教」のような括りで3者は全く相容れナイ

ヒルティはキリスト教信者にとっての幸福論であり
ラッセルは凡庸に生きるコトの幸福さを諭してるモノであり
キリスト教信者でもなく、既に凡庸に幸福を見出して生きてる自分には
何の効力も持たナイのだよ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

だがしかし!
エピクテトスに関する詳述があるので
ヒルティの『幸福論』は岩波文庫の第1部を持ってたりして
その部分だけはしつこく読み返してたりするのだ

アランの『幸福論』の何が+.(・∀・)゚+.゚イイのかって
論じられてる幸福の定義やその定義に即した対応策も心地好く心に響くが
それ以上に引用してる事柄がどれもこれも自分と趣味が合ってて
【幸福論】として読んで理解して実践しなくても
読んだだけで幸福になれてしまうw

まず1番最初に引用されてるのがアレクサンドロス大王で
愛馬ブケファルスとの出会いのエピソードだが
この締め括りにはワザとアレクサンドロスのコトを
「アリストテレスの弟子」などと呼ぶ・・・ホゥ(*-∀-)

これだけで自分は至福を味わえるのだが
そうなると著者アランが幸福に纏わるエッセーにおいて
挙げてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
って、これじゃアランの『幸福論』も『さかしま』と同じく
愛読ではなく耽読してるのかもしれナイ

そう考えたら耽読書ばかりだ
う~ん、何だろう、1番の愛読書・・・ヽ(゚∀。)ノ

とにかく誰もが「おもしろかった」とゆー現代作家の人気小説も
自分にとってはどうにもつまらなく感じるのは
単に耽溺する要素に欠けてて内容が薄っぺらに思えるからだし
逆に古典でも耽溺する要素の盛り込みが(少)ナイと
まるで興味が沸かナイくらいだから
耽読書でなく愛読書てのが既に自分には在り得ナイのかも?

なんて諦めてたが1つ思いついた!
幼少時から何度も読み返してて
特に耽溺する要素が見当たらなくても
読み始めれば必ず夢中になってしまう小説・・・

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』だ!!
てコトは、自分の人生のバイブルは『嵐が丘』なのだろうか?!

kaiseisha

小学生の時に夢中になって読んでた本は
いわゆる不朽の名作ってヤツばかりだったので
児童版とてまさか絶版になろうとは思いもよらなかった

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)森鴎外全集〈10〉即興詩人 (ちくま文庫)嵐が丘 (新潮文庫)
愛の妖精 (中公文庫)マリー・アントワネット 上 (角川文庫)スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)
荒野のおおかみ (新潮文庫)にんじん (岩波文庫)赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)
ゲーテ全集 (7)ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)マリー・キュリー―フラスコの中の闇と光 (グレート・ディスカバリーズ)
ビーグル号航海記 上 (岩波文庫 青 912-1)レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 (岩波文庫 青 550-1)

神保町の古本屋でシェンキェビチの『クォ・バディス』を見つけて
懐かしさの余り購入して読んでたら
当時の想いが胸に広がって不思議なカンジがした・・・

そこで早速アマゾンで大人買いしようと探したのだが
児童版全集では『ビーグル号航海記』さえなくて驚愕した。(゚д゚lll)ギャボ

以下、少女世界文学全集一覧(【16】クォ・バディスの巻末より)

著者収録作品訳者
1モンゴメリー「赤毛のアン」村岡花子
2シェークスピア「ハムレット」「ベニスの商人」森三千代
3ハドソン「緑の館」野田開作
4アンデルセン「即興詩人」伊藤左喜雄
5チェーホフ「三人姉妹」「桜の園」大庭さち子
6シャーロット・ブロンテ「ジェーン・エア」榛葉英治
7プローティー「母の曲」宮内寒弥
8アボット「幸福の家」岸なみ
9ビョルンソン / ラーゲルレーブ「日向丘の少女」「沼の家の娘」山室静
10エミリー・ブロンテ「嵐が丘」船山馨
11ウィンスローエ「制服の処女」富沢有為男
12オルコット「若草物語」川端康成
13ツワイク「悲劇の王妃」大原富枝
14シェークスピア「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」桂芳久
15ウェブスター「あしながおじさん」中里恒子
16シェンキェビチ「クォ・バディス」野田開作
17シュトルム「みずうみ」「三色菫」結城信一
18ウィギン「少女レベッカ」城夏子
19エレナ・ポーター「パレアナの青春」村岡花子
20プーシキン「大尉の娘」「スペードの女王」大庭さち子
21ゲーテ「君よ知るや南の国」森三千代
22パール・バック「大地」藤原てい
23ジョルジュ・サンド「愛の妖精」「魔の沼」三井ふたばこ
24ドストエフスキー「罪と罰」伊藤左喜雄
25オードー「孤児マリー」「光ほのか」畔柳二美
26小デュマ「椿姫」宮内寒弥
27シュランパ「少女シリアの死」大滝重直
28ヘッセ「春の嵐」「車輪の下」榛葉英治
29トルストイ「戦争と平和」未定
30ドーデー「ちび君」「風車小屋だより」未定
31ルナール「にんじん」未定
32ジイド「田園交響楽」「狭き門」今官一

実際ルナールの『にんじん』はこのシリーズにはなかったが
むしろ岩波文庫の通常版はイラストもFelix Vallottonで味わい深かった
そういえば彼の描いた著者ルナールがシュールながら似過ぎてて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

メリメの『カルメン』やモーパッサンの『女の一生』なんかあったのだな
参考LINK:偕成社少女世界文学全集 1960~1970年

1番のお気に入りは『クォ・バディス』だったが
この作品でネロとセネカとペトロニウスを知ったコトで
世界観がどれほど拡がり、それによって人生がどれほど豊かに潤ったか!!

次点は3作あって『嵐が丘』と『即興詩人』と『愛の妖精』だが
成長してからもこれらの通常版がずっと愛読書だ

逆にどうしても受け容れられナイのが
『赤毛のアン』『あしながおじさん』『ジェーン・エア』で
これは今でも変わらなく大嫌いだp(-_-+)q

シェイクスピアも当時はピントがズレてる気がして
人生においてずっとイマイチ好きになれなかったのだが
ごく最近読み直して作品によって好きなモノも出てきたトコロだw

嫌いではなかったけど怖かったのは『スペードの女王』だった。(´д`;)ギャボ
まあそのお蔭で賭け事には無縁でいる=無駄な損失はナイ

そしてスタンダールの『赤と黒』はこのシリーズでは読んでなかった
とーちゃんが持ってた完訳版のを読んでたのだ

ちょうど宝塚の『ベルばら』全盛期の時に『悲劇の王妃』読んで
フランス革命にハマったのだヽ(゚∀。)ノ

後にゲーテの『君よ知るや南の国』が
『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の一部と知った時は
幼馴染みと再会したような気分だった

ヘッセについては『春の嵐』も『車輪の下』も゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
やはり『荒野のおおかみ』ほどの衝撃はなかったな・・・

想いは尽きナイ・・・ホゥ(*-∀-)

子供の頃に本を読んでなかったら
今の自分はナイ

実際、自分はたいした人間ではなくて
世の中の基準からしたらクズみたいな存在だろうが
自分自身ではなかなか気に入ってるし
何より愉しんで生きてる

それとゆーのも本が
広大な世界観と尊敬すべき先達を知らしめてくれたからだ

皆もっと素晴らしい本をたくさん読めば
読んだ分だけ幸せになれると思うのだけどなあ・・・

それには子供の頃から読む習慣がなければいきなりは読めまい(-_-;)
しかし読むべき本がナイのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

世界偉人伝全集一覧(少女世界文学全集【16】クォ・バディスの巻末より)

偉人表題著者
1野口英世「世界に誇る偉人」沢田謙
2キュリー夫人「愛と化学の母」清閑寺健
3西郷隆盛「維新の英傑」富田常雄
4ヘレン・ケラー「20世紀の奇跡」村岡花子
5豊臣秀吉「戦国統一の英雄」柴田錬三郎
6ノーベル「世界文化の恩人」崎川範行
7夏目漱石「永遠の文豪」多田裕計
8ナポレオン「運命の英雄」柴田錬三郎
9二宮金次郎「至誠と勤労の人」加藤武雄
10ナイチンゲール「クリミアの天使」岡田禎子
11織田信長「戦国偉大の英雄」真鍋呉夫
12エジソン「世界の発明王」中山光義
13福沢諭吉「近代日本の先覚者」沢田謙
14ベートーベン「永遠の楽聖」大滝重直
15紫式部「王朝文化の光」高木卓
16パスツール「愛の科学者」桶谷繁雄
17明治天皇「近代日本の建設者」寒川光太郎
18キリスト「愛の救世主」清閑寺健
19石川啄木「薄幸の詩人」野田開作
20アムンゼン「極地の探検家」寒川光太郎
21湯川秀樹「ノーベル賞に輝く」沢田謙
22ベーブ・ルース「世界の野球王」中山光義
23徳川家康「江戸幕府の建設者」吉田与志雄
24ジンギスカン「アジアの風雲児」尾崎士郎
25宮沢賢治「土と魂の詩人」浅野晃
26ダ・ビンチ「万能の天才」富永次郎
27勝海舟「智と意気の人」沢田謙
ミレー「愛の画聖」清閑寺健
日蓮「苦難の聖雄」福田清人
バッハ「近代音楽の父」大滝重直
島崎藤村「不滅の文学者」伊藤左喜雄
リンカーン「自由の父愛の人」那須辰三
戦国名将伝「智・情・勇の達人」浅野晃
ワシントン「アメリカ建国の父」沢田謙
一休禅師「警世の名僧」桑田忠親
ニュートン「近代科学の父」三石巌
芭蕉「自然を愛した詩人」伊馬春部
ガンジー「インドの聖雄」沢田謙
北里柴三郎「日本医学の恩人」未定
シューベルト「歌曲の王」未定
宮本武蔵「心眼を開いた剣聖」浅野晃
ファーブル「昆虫の詩人」小林清之介
樋口一葉「薄幸の才女」持丸良雄
ダーウィン「科学の偉人」中村浩
徳川光圀「憂国の名君」吉田与志雄
アインシュタイン「世紀の科学者」菅井準一
源頼朝「鎌倉文化の建設者」浅野晃
シュバイツァー「原始林の聖者」未定
聖徳太子「日本文化の建設者」未定
プルターク英雄伝「英傑群像」沢田謙

今はこういう偉人伝を読んで感銘を受けたコトのナイ子供ばかりなんだろうな・・・

pamela

不朽の名作と謳われるような古典文学でも
どう改訳して編纂したトコロで
児童向けの文学全集には加えられようもナイ一群がある

それは赤裸々な男女の恋愛の表現こそが真骨頂とも言える作品で
『マノン・レスコー』とか『クレーヴの奥方』とか
『ボヴァリー夫人』とか『アンナ・カレーニナ』とか
『チャタレイ夫人の恋人』とか『ダーバヴィル家のテス』なんてのがそれだ

これらは思春期になって一気呵成に読み尽くしてはみるのだが
気恥ずかしさからとても冷静には読み進めず
ハーレクイン・ロマンスと同じ括りで片づけてしまい
モノによっては駄作のレッテルを貼ってまで封印してしまったりした

まあその一方では生々しさが薄れた耽美的な要素に惹かれて
JUNE的なランボーやワイルドとかALLAN的なボードレールやユイスマンスに
のめり込んでたりもしたのだがw

嵐が丘―改訳 (角川文庫)
ジェイン・エア (集英社文庫 フ 1-1)

愛読書だった偕成社の少女世界文学全集にも上記の作品群は当然含まれてなかったが
ブロンテ姉妹の2作品『嵐が丘』と『ジェーン・エア』があり
『嵐が丘』は大好きだったが『ジェーン・エア』は大嫌いだった

後に児童版でなく完訳を読んで改めて実感したのだが
『嵐が丘』は複雑な物語で読み込むほどにおもしろくなり
『ジェーン・エア』は単純な物語でつまらナイのだ

『ジェーン・エア』では主人公のジェーン・エアはそれなりに辛い目にも遭うが
いつも強運による必然ぽい偶然によって結局は思い通りにコトが運び
もちろん最終的にはハッピーエンドだヽ(゚∀。)ノ

『嵐が丘』はまず主人公が誰なのかも特定しづらくて
全編を通してヒースクリフなのか?
第一世代ではキャシーで第二世代では娘のキャサリンなのか?
そこからして困惑しながらも読み進み
ヒースクリフとキャシーが絶望的な悲恋に終わり
キャサリンとヘアトンもハッピーエンドには至らずに予感だけさせて終わる

基本的に男女の恋愛がハッピーエンドの作品は好きではナイが
特に男と女が出会ってから結婚するまでの経緯があり
結婚のシーンで締め括られてるモノとか
それ以上に甚だしいモノになると交際の合意までで終了なんてのもあるが
しかもそれが美男美女ときたら出来過ぎで
より一層バカバカしく思えてしまう。(´д`;)ギャボ

ロマンス(中世騎士物語)やロマン(長編小説)は好きだし
ロマン主義文学もロマン派の音楽も大好きだが
ハーレクイン・ロマンスだけはどうにもダメなのだ(苦笑)

[第1巻 メロドラマ] パミラ、あるいは淑徳の報い (英国十八世紀文学叢書)

そういう意味ではサミュエル・リチャードソンの『パミラ』なんかは
美人の小間使いが美男のご主人とハッピーエンドを迎えるので
典型的につまらナイ話のはずなのだが非常におもしろかった(^▽^*)

操が正しいのは悪いコトではナイが
主人公のパミラはそれだけに固執して常軌を逸してるので
そのズレた感覚が現代日本人にとってはおかしくてたまらナイし
それでもピューリタンがこれを読む時には
パミラの清らかさに心底感心しながら読むのかと思うと
その際に神妙な顔をしてるのを想像するだにウケる(゚*゚;)ブフ

パミラは操を守ろうとひたすら逃げ回るのだが
その操の攻防の悶着の都度
後からコトの仔細を両親への手紙にしたためるヨユーはあるし
しかも一言一句たりとも省かずに書き上げるのだ!
このパミラの書簡がこの小説の総てで
作者による第三者的な状況説明などは一切ナイのだ!!

対話篇だって状況説明の前置きくらいあるし
登場人物は対話なのだから複数(最低2人)いて思惑が行き交うのに
『パミラ』には他の登場人物さえ存在していナイに等しく
彼らの思惑はパミラの的外れな思い込みによる想像で描かれてるるる~

これはもう「小説」などではなくて
例えば「架空書簡」とか別物と考えた方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ気がする

作者のリチャードソンは【イギリス小説の父】として名高く
それは殆ど初めてのフィクション作家だからだが
「殆ど」なのはリチャードソンより少し前に
『ロビンソン・クルーソー』のダニエル・デフォーや
『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフトがいたからだ

『ロビンソン~』や『ガリヴァー~』も
主人公の書いたモノ(日記)がそのままこれらの作品を成立させてるが
『ロビンソン~』はまだしも『ガリヴァー~』はあからさまにフィクションとわかる
(当時だったら真実だと信じてた人もいたかもだが・・・)
ところが『パミラ』の場合はありがちな設定なので
そうと知らずに読むとノンフィクションだと信じてしまいそうで
そのリアルさが最大の魅力なのだ♪

出来事に対する見解も第三者的な立場の作者のモノではなく
操を守るコトに命をかける処女パミラのモノなので
フツーの感覚の読者にはイタイだけなのだがそのイタイトコロが笑えるw
そんなパミラをマジで受け容れるコトはできかねるが
先にパミラがこちらを撥ね付けてしまうのであえて反感を抱く必要もなく
むしろ共感できナイ部分こそ興味深く
パミラの言動から目を離せなくなるのだ(*^^*)

繰り返すが物語の設定はありふれててつまらナイ!
貧しくも気高く純潔を重んじる美しい娘が
見初められて小間使いから本妻になるだけと言えばそれだけの話だが
数多あるハッピーエンドのロマンスのヒロインと違って
ご都合主義のエピソードは1つもなくて
話の流れにヒロイン自ら抵抗してるのが愉快なのだ!!

pamela

仏文学・独文学・露文学に比して英文学に馴染みが薄い気がするのは
格別に好きな作家がすぐに思い浮かばナイからだ

しかしよくよく考えてみれば
子供の頃に夢中になって読んだ小説にはワリと英文学が多かったかも?

嵐が丘 [DVD]

中でも『嵐が丘』は大好きで最もよく読み込んでる作品だろうが
エミリー・ブロンテが好きな作家だ、とは言い難い
なんせこれ一作しか書いてナイのだからw

同様にアリスやガリヴァーなど親しんでる作中キャラクターもいるのだが
作家に対する想いは彼らへの愛情と=にはならナイ

反対にあえて好ましくナイとさえ感じられて敬遠してた英国作家なら結構いる
小説家ってか劇作家ではあるがシェイクスピアもその内の1人で
悲恋モノ好きな自分だが『ロミオとジュリエット』だけは
とても真面目に読む気も起こらなければ笑い飛ばすのもしんどかった

Tess of the D'Urbervilles (Penguin Classics)
Pamela: Or Virtue Rewarded (Oxford World's Classics)

そして英国文学嫌いの決定打となったのは
トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』だった
初めて読んだ時にはハーレクイン・ロマンス(※)かと思った。(゚д゚lll)ギャボ
てかむしろそれ以下に思えてしまったのだ。(´д`;)ギャボ
ロクに働かずに生きてる美男美女による非現実的で意味のナイ恋愛成就の物語

しかし長生きはするものだし
悲恋モノは読むだけでなく実体験すべきなのだ

理想に燃えてた10代の頃の瑞々しいけど思い込みの激しいバカの感性と
理想に打ち破れてみて、人生は理想を貫くより日々些細なコトを愉しむべき
との悟りの境地のアラフォーでは
同じ本を読んでも感想が180度違って当たり前だが
恋愛や結婚については経験によって特に甚だしく変化するものなのだ

悲恋が
物語に描かれてるような美男美女の織り成す天国の悲劇ではなく
自らが道化となって演じる地獄の喜劇なのだと知ると
テスの生きザマにも意味があるとわかった

尤もテスの場合はそれ(恋愛)だけに留まらず
時代背景、つまりヴィクトリア朝の貧農の娘の度を越えた信仰心が理解できなければ
わかりようもナイ・・・基本的に現代日本人には理解不可能なはずw

ところが「英国文学の父」とも冠されるサミュエル・リチャードソンの『パミラ』を読み始めたら
ヒロインのパミラがテスも慄くほどの純潔信奉者だったので
テスのレベルが理解できるようになったのだ!
なんせパミラときたら操を守れナイのなら死を選ぶほどだ・・・バタリ ゙〓■●゙

そしてテスもバカだと思ったがパミラはテスなど問題にならナイほどバカで
それでいて女としてはパミラは実はやり手だったり(゚ ゚;)

パミラは金持ちで美男のご主人にすっかり惚れ込まれてて
何度も襲われそうになるのだが操を守りたいがために断固として拒否し
両親の許に帰してください、と懇願し続けるるる~

そんな拒み方をされてしまうほどに
男の方はなんとしてでもパミラをモノにしたいと思うようになり
彼女の貧しい両親の生活の面倒を請け負ったり
財産のほとんどを彼女に与えるコトまで約束するのだが
それでも頑なに純潔を貫くパミラはこの期に及んで
両親の許で一生身を汚さず生きたい、などと願い続けるのだヽ(゚∀。)ノ

パミラは結婚して子供を産むには十分な歳なのに
貧しい両親と家族3人で一生どうやって生計を立てるつもりなんだ?!
何を考えてるんだ、何も考えてナイのか・・・???

いや、最終的にはパミラはご主人と結婚してしまったので
後から考えてみたらもしかしてじらして純潔の価値を吊り上げてたのか?
あるいは究極のSMを愉しんでたとか・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とにかく最初から最後までず~っと2人が純潔の押し問答してるだけで
それがパミラから両親への書簡形式で綴られてる設定なので
現代日本人にはパミラの病的な貞操観念がオーバーに感じられてしまうし
無駄に長編なので途中でしらけてしまうだろうが
これを読めば度が過ぎるパミラに比して
手っ取り早くテスが理解できるようになるのは間違いナイp(-_-+)q

それにしても女性心理をよくわかってて感心する作家は少なくナイが
こんなパミラのような特異な女の気持ちは自分が女だって理解し難いのに
さすがリチャードソンは「英国文学の父」なのだな

そしてやはり英国文学の基本はピューリタン文学なのだろうか?