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筑摩世界文学大系がお気に入りなのは
本文以外が充実してるからだ

巻末には必ず
充実した「解説」と詳細な「年譜」があり
更に巻によっては
他の作家による論文が収録されてたりするるる~

筑摩世界文学大系のモーパッサンの巻には
ロシアの文豪トルストイの『モーパッサン論』が・・・

筑摩世界文学大系【44/47】モーパッサン



「女の一生」岡田真吉訳
「ベラミ」中村光夫訳
「脂肪の塊」杉捷夫訳
 短編 杉捷夫訳
  「山小屋」
  「ペルル嬢」
  「橄欖畑」
  「シモンのパパ」
  「わら椅子直しの女」
  「狂女」
  「海の上のこと」
  「ジュール叔父」
  「ひも」
  「老人」
  「雨がさ」
  「くびかざり」
  「酒樽」
  「帰村」
  「あな」
  「クロシェット」
  「港」
「モーパッサン論」トルストイ / 木村影一訳
 解説 中村光夫
 年譜

そしてこれがモーパッサンを論じてるってよりは
モーパッサンとゆーフィルターを通して
自身の主義・思想を述べてるカンジで
大変興味深い内容になってる

なんせロシアには近代に至るまで
自国語の口語文学がなく(※)
仏文学に対するロシア人作家の劣等感は
そりゃあ根が深かったろう
ロシアの宮廷ではフランス語をしゃべってたくらいだ

貴族で才能にも恵まれてたトルストイだが
仏文学に対してのコンプレックスはあったに違いナイ

晩年のトルストイは
勤労農民の素朴な信仰心に回心させられ
自身の貴族の身分を恥じるようになったりもするが
「モーパッサン論」を書いてる時点では
まだその境地に達してなかったらしく
『女の一生』を大絶賛してるのが笑えるw

トルストイはあくまでも貴族目線で
主人公の貴族女のジャンヌに降りかかる
身に余る不幸を憐れみつつ
打ちひしがれても無抵抗でいる女に対して
純粋だとか、清らかだとか
見当違いの感動をしてるのであるwww

1日の大半が仕事に消費されて
やっと生活が成り立ってる勤労庶民には
(要するに自分のような人間には)
生まれながらにして生活苦には無縁で
自らが稼ぐ必要が全くナイ上に
家事や雑事さえも人任せの貴族女ジャンヌが
どんな悲劇に見舞われようが
おざなりに生きてられるのなんて
羨ましいくらいで、同情の余地無しp(-_-+)q

既に子供も与えてくれた夫に浮気されようが
その子供の放蕩が過ぎようが
それで明日のメシに困りゃあしナイのだから
悲しみに暮れてばかりいナイで
好きなコトをして楽しく生きればいんじゃん?

無趣味で無教養ゆえに
暇を持て余してるだけの貴族女が
「何もやるコトがナイ!」
などと嘆いてるのに対して
「なんと道徳的な女だ!!」
と感動できるトルストイのおめでたさには
さすが貴族、としか言いようがナイw

察するに
トルストイの周囲の貴族女はきっとこんなだろう

依頼心の塊のクセに我が強くて
欲深なワリに自身では何一つ行動を起こさず
気に入らなければ文句だけは人一倍

そんな女たちの厚かましさに
トルストイは辟易してただろうから
無欲なジャンヌを清らかな乙女として
崇め奉りたくもなるワケだ

ジャンヌときたら
ダメンズのダンナに騙され続けても
更に息子もダメンズに育て上げて
挙句に財産をもぎ取られても
他力本願で受身であり続け
生きるコトに消極的なままで
本ト、心底無欲・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とはいえ
この時代の女が生きるためには
食わせてくれる男に対して
身を委ねるしかなかったのだから
貴族女も百姓女も娼婦も
男に傅かねばならなかった

それとゆーのも
社会が女にはごく限られた仕事しか与えず
微々たる収入を得る手段しかなく
それで生計を立てるのは大変なコトだったのだ

『女の一生』の原題『Une vie』は
直訳すれば「人生」で
とあるありふれた女の生涯の物語の意だが
このタイトルの解釈からして
トルストイの感覚が一般庶民とはズレてる

この作品の内容をなすものは、題名が示すとおり、破滅させられた、無邪気な、美しい行いならなんでもする素質を持った、愛すべき女性の一生の叙述である。

バタリ ゙〓■●゙

またモーパッサンの『女の一生』以外の作品について
トルストイは特にその芸術性について貶してる

モーパッサンのようにしか民衆を描かない作家、つまりブルターニュの下女たちの腰や乳房にしか興味を持たず、はたらく人々の生活は嫌悪と嘲笑とをもって描く作家は、芸術家として大きなあやまちをおかしているのである。

何が1番気に入らナイかって
男たちの放縦さにあるらしいが
トルストイはフランス文化に対して
畏敬の念を抱いてるからこそ
フランス男らの興味が
肉欲をそそるような対象にしかなく
貴婦人のはちきれんばかりに盛り上がった乳房や
下女の粗末なスカートを揺らす肉厚の尻などにあるのを
モーパッサンが赤裸々に描いてしまうコトに
「裏切られた感」があるぽい

しかもそこで女の方もそれに呼応して
お互いに理性を働かせるコトなく
本能に付き従ってしまうので
その低俗さに耐えられナイのだろうが
そこは自分も苦手意識があって
トルストイの言い分を理解はできる(゚*゚;)

でもだからって
放縦な男に騙されてる女に対して
それだけで同情するのはどうかと思う

逆にその放縦な男が
他の全ての性質も性悪だとは限らナイし
男のせいで不幸な目に遭った女が
それでも男を愛してる可能性もあるしね

トルストイは恐らく
放縦な男を悪と捉えてて
男が悲惨な目に遭ったり死んだりする場面では
きっと胸を撫で下ろしたりするのだろうが
そういうトコロもさすが貴族・・・

自分がジャンヌだったら
毎日自由時間を満喫して過ごせるだろうから
それを自覚できたら幸せ過ぎて
ダンナにも同等に幸せになる権利があると思えて
快楽を与えてくれる女に夢中になるのなんて
咎めようもナイけど・・・
既に息子を儲けてるのだから
自分に対しての義務は果たしてくれたんだしね

お互いに義務から解放されて
それぞれの快楽に耽ってるなんてのは
もしかしたら夫婦の理想形態ではナイだろうか?!

どんなに恵まれた人間も
そうと気付かなければありがたさを感じず
人生をどう生きるか以前に
まず今日を生き抜かなければと
そのために働いてる人間に
どう生きるか悩んでる時間は殆どなく
だからさもトルストイのように
「高潔に生きよう」とか誓ってるヨユーは
勤労庶民にあるはずもナイのだよ

『女の一生』以外の作品では
モーパッサンは生々しく庶民の人生を描いてて
それが自分には共感できるし素晴らしいと思えるが
そういう作品を蔑むトルストイは
さすが貴族、だ(こればっかりだな)

そして自分が『女の一生』を蔑みつつも
何度も読んだり映画を観てるのは
自身より社会的に恵まれた立場の女性の
無欲さが織りなす悲喜劇によって
自身の現実の厳しさが和らぐからだろう

どう控えめに見ても
ジャンヌより自分の方が
充実した人生を愉しみながら生きてる♪

モーパッサンのエスプリやユーモアと
自分のような江戸っ子の洒落は
生真面目なトルストイと無欲なジャンヌにゃ
理解できまいヽ(゚∀。)ノ

大きくなったら書斎を持つのが夢で
子供の頃(1970年代)にイメージしてた大人の自分は
憧れの全集が収まった本棚を背にしてる姿だった

思い描いてたような書斎は持てなかったが
自室はクローゼットも天袋も本棚として利用できてるので
分相応と満足はしてる
但し、肝心の全集が殆ど総て絶版状態で
まさか古書を求めるしかなくなるとは思いもよらなかったヽ(゚∀。)ノ

それにしても現代日本においては
自分のように殆ど古典しか読まナイ人間が稀有な存在なのか
不朽の名作さえ入手困難(もしくは不可能)だ・・・バタリ ゙〓■●゙
一昔前までは必読書100冊などとされてて
あちこちの出版社からこぞって刊行されてたのが嘘のよう!
筑摩世界文学大系と中央公論社(※)の世界の名著の
2つの全集をほぼ収集するのに10年以上かかってしまった!!
後に中公バックスとなった(詳細は下記参照)

☆・・・☆・・・☆

同じ本を生涯に何度も読むが
再読したくなる部分は科学でも哲学でも小説でも同じで
静かな感動を与える流麗な文体そのものだったり
心底共感できるヒューマニズムの表現だったり
自分の中に新しい世界観が構築された喜びだったり
現実において不足してる美・情・快を補って余りある要素だ

これらの要素を感じ取りながら読み
更に思索をしながら深く理解し得るために
著者のプロフィールは欠かせナイが
これに著者のバックグラウンドが総括されてれば
自分のような読者としては非常に嬉しい

そんな要望に適ってるのが筑摩世界文学大系と中公世界の名著で
タイトル通りに前者は文学全集で
本文があってから解説などが巻末にあるが
後者は科学・哲学・歴史・宗教などの言わば思想の著で
巻頭に何十ページにも渡る訳者の解説があり
専門的過ぎて敷居が高そうな著作でも
これらの解説を読んだ後で本文を読み始めると
すっかり訳知り顔で誤謬も少なく読み進めるのだヽ(´▽`)/

書き出し「世界文学全集」

筑摩世界文学大系(第1期分)(※)は
世界文学全集が数多ある中でも名作や名訳揃いで
解説や年譜などの資料が充実してて
他作家による書評もある、てか、この書評こそが
本編以上に価値があったりするのだが
更に月報付きで引用の栞まで付いてたらラッキー♪
第1期分とあるのは2度に渡って刊行されてて、ラインナップが違うからだが
自分が蒐集してるのは殆どが第1期分(1958年~1968年刊行)の方だ
第1期分の方が第2期分よりも数年古いのだが概ね状態は良好で
所持してる中で函がナイモノもあるが本自体は新しく見えるほどに美品だし
函に多少傷みがあるモノも本自体には全く損傷がナイ
いつどこで購入してもなぜか状態が悪かったためしがなく
1冊だけもれなく背表紙が危なっかしいのも購入時には問題なく
自分が持ち歩き過ぎてよれてしまったのだった

とにかくこのシリーズの紙質の良さは素晴らしく
とても今から半世紀近く前の本には見えず
ネットで安価で見つける度に安心して即座に購入してるが
これがクローゼットの上部棚に並んでる図は壮観。・゚・(ノД`)・゚・。

中公世界の名著も2度に渡って刊行されてて
第1期分は中央公論社から全66巻で出てたのだが
1980年代に中央公論新社(中公バックス)から全81巻で出てて
第1期分からあるモノの内容は第1期分でも変わらずに
新たにラインナップが増えてる分だけ巻数が変わってるのだが
装丁は全く別物ってくらいに変わった。(゚д゚lll)ギャボ

古い中央公論社版は函入り月報付きで
本自体がしっかりした作りなので
函がいかれてても本は綺麗で安心して買えるのだが
中公バックスでは函入りでなくなって紙質も悪くなって
特に表紙が金箔押しだがペラペラなので
近年になって古本屋で見かけるのは
経年による劣化が古い中央公論社版以上に目立ってる場合が多い

とはいえ、それでもかつての渇変してしまうような文庫本とは
比較のしようもナイくらいの微々たる劣化だが・・・

☆・・・☆・・・☆

電子書籍時代を迎えるに当たって、切に願うコト

ベストセラーは電子ブックのみで賄え!
一時的に何十万部も売れてもすぐに手放すようでは
紙の無駄でエコにも反する!!
売れなくても必要としてる人間が手にして
ずっと手元に置いておく本だけが本の形状としてあるべきp(-_-+)q

☆追記...
この記事を書いたのは2007年頃で
当時は自分が電子書籍を読むようになるとは思ってなかったが
実際に、電子書籍を読むようになってみると
これ以上、本を増やせナイ物理的な事情からしても
筑摩世界文学大系と中公世界の名著こそ
電子書籍化すべきだと思う
日本の未来のためにもこれらが絶版のままは惜しい。(´д`;)ギャボ

パスカルの『パンセ』の決定版を
1冊選べと言われたら筑摩世界文学大系だが
2冊選べるなら中央公論社の世界の名著(※)もあれば完璧だ
このシリーズも中央公論社版が出て、その後に中公バックス版で再編纂されてるので
パスカルの巻は【24】と【29】と巻数が違ってても内容は同じ
またこのシリーズも半世紀前に出てるが【24】の方は概ね状態が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

中公世界の名著
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世界の名著 24 パスカル
世界の名著〈29〉パスカル (1978年) (中公バックス)
世界の名著 29 パスカル パンセ 小品集 中公バックス

中公世界の名著は前田陽一と由木康との共訳で
冒頭の前田陽一による「パスカルの人と思想」には
パスカルの生涯についての詳述があり
『パンセ』本文の後にはパスカルの「小品集」も収録されてて
当然ながら巻末には年譜と、あと索引があるのが便利だ

世界の名著〈第24〉パスカル (1966年)

パスカルの人と思想
前田陽一
小品集
パスカル / 前田陽一、由木康訳
パスカルと私真空論序言
パスカルの時代愛の情念について
生い立ち罪びとの回心について
科学者覚え書
人間探求者初代と今日とのキリスト者の比較
キリスト者ド・サシ氏との対話
『パンセ』の歴史幾何学的精神について
パスカルと後世病の善用を神に求める祈り
パスカルと日本大貴族の身分について
本書の読み方

しかしこれら2冊を揃えて嬉々としてるような自分も
実際には現代日本人で無神論者なので
信仰心を問われる箇所には今一つ踏み込めずにいて
ブランシュヴィック版の前半部分に限った愛読者だったりして
ラフュマ版なんて読み始めてすぐに嫌気が差した・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

その日本では稀有なラフュマ版を完訳してるのが田辺保なのだが
パスカルが書き留めた年代順に従ったこの版は
整理整頓されたブランシュヴィック版に慣れてると些か読み難く
涜神に対する呪詛のような言いがかりが
後半にまとまってなくて随所に散見してくると
とりわけ自分のような無神論者が抵抗なく読み進むのは難しい

パスカルと現代
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パスカルと現代 (1967年) (紀伊国屋新書)
パスカルと現代

そんなラフュマ版を支持する田辺保の著書を
そうとは知らずにうっかり読んで目から鱗な事実に気づかされた

神や宗教のような伝統的なまやかしを信奉してる信仰心と
科学や自然の摂理を真実だと確信する理性は
相反するようだが実は根っこが同じ場合もあるのだ

今、手元にあるのは『パスカルと現代』のみだが
以下の3冊も揃えたいと思ってて
電子書籍版が出てくれるのを待ってるるる~
とはいえ、『パンセ』自体が未だに電子書籍化されてナイのだが(-_-;)

パスカル―痛みとともに生きる (平凡社新書)パスカル伝 (講談社学術文庫)パスカルの信仰―パスカルとわたし

『パスカルと現代』

新装版への「まえがき」
はじめに―パスカルとわたしたち―
第1章パスカルの時代
  1. 「科学革命」の時代
  2. 17世紀フランスの社会
第2章パスカルの思想
  1. 生きたヴィジョン
  2. その政治思想
第3章精神の兄弟たち
  1. キェルケゴールとパスカル
  2. ペギーとパスカル
  3. パスカル、シモーヌ・ヴェイユ、テイヤール・ド・シャルダン
  4. 植村正久の『真理一斑』
ブランシュヴィク版との対照表
あとがき

☆・・・☆・・・☆

人間は誰しも成長の過程で何らかの世界観を形成してく

つまり、世界がどうあって
その中で自分が何なのか、自分のポジションがどこにあるのか?
何かを根拠にして信じるようになる

古来より民族に伝わる伝承なのか
科学実験の結果から齎された事実なのか
その根拠によって世界観は異なり
たいていの人間は自身とは違う世界観を享受できナイ

信仰を持ってる人間ほど世界観にすがって生きてるので
宗教・宗派が違えば憎み合いさえするワケだが
それをえげつナイと思ってかつては蔑んでた

しかし実は科学的に=理性的に生きてるはずの無神論者も
学者同士だったとしてもやはりえげつナイものなのだ
例えば進化論のように実験で結果が明らかにできナイ場合には
異論を唱える者に対して憎悪にも似た感情を抱く。(゚д゚lll)ギャボ

ドーキンス VS グールド (ちくま学芸文庫)

リチャード・ドーキンスとスティーブン・ジェイ・グールドがそれで
2人とも進化論自体は認めてるのに
その進化の過程についての考え方を批判し合ってるのだ

まあ進化論に関しては昔から
ラマルクに対するキュヴィエとか、カンメラーに対するベーツソンとか
創世論者が進化論者に対する以上の憎悪の念が感じられるがな。(´д`;)ギャボ

自分は無神論者だが懐疑主義者なので
事実として見せつけられてるコトも易々と信じはしナイし
ましてや情に脆い江戸っ子なので
見せかけの行動よりも真意を汲み取ろうとしてしまう

だからリアルで悪辣に見える人も
その悪意が諦めや失望によって齎されてたかもしれナイ
それとは別にもっと心の深い部分に思い描いてる理想郷に対してなら
共感できるってコトもあるかもしれナイ
そんな風に希望を捨てられナイ

パスカルとは同じ理想を夢見る仲間に違いナイ
アウグスティヌスもトマス・アクィナスもライプニッツも
そしてヴォルテールだってそうだが
神に依存するのが前者でそれができナイのがヴォルテールとか自分なのだ!

世界はきっと神の意思そのものではなくとも
宇宙の原理や自然の摂理が美しくあろうとしてるはずだ!!

パスカルの『パンセ』にはいくつかの翻訳があるが
その中でも研究者として名高い前田陽一訳は文体も読み易く
入手し易い点でもオススメだが
自分が最も愛読してるのは松浪信三郎訳だ

筑摩世界文学大系
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世界文学大系〈第13〉デカルト・パスカル (1958年)
筑摩世界文学大系〈19〉デカルト,パスカル (1971年)
筑摩世界文学大系 (19)

松浪信三郎訳は筑摩世界文学大系(※)で持ってるのだが
これは邦訳『パンセ』の決定版だp(-_-+)q
テキストはレオン・ブランシュヴィック版を底本としてるが
ザカリ―・トゥールヌール版、ルイ・ラフュマ版2種との差異や
断章番号もこれらの4つが掲載されており
訳者による「『パンセ』のテクストについて」では
『パンセ』編纂の歴史が事細かに綴られてて
これ以上に親切にはできナイ限界仕様だと断言できる
なお、本文の概要についてはPenseesを参照
このシリーズは2度に渡って編纂されてるので、【13】と【19】と巻数が違ってても内容は同じ

しかもデカルトとのカップリングなので
『方法序説』『省察』『情念論』を参照しながら読めるのだが
参照すべきとわかるのは訳注にそうあるからだ

『方法序説』野田又夫訳
【第1部】~【第6部】

『省察』桝田啓三郎訳

献辞「いとも賢明にして著名な聖なるパリ神学部の学部長ならびに博士諸氏に」
読者への序言
以下の六つの省察の概要
省察1疑われうるものについて
省察2人間精神の本性について。精神は身体よりも容易に知られるということ
省察3神について。神は存在するということ
省察4真と偽とについて
省察5物質的な事物の本質について。そして再び、神は存在するということについて
省察6物質的な事物の存在ならびに精神と身体との実在的な区別について
凡例
訳注

『情念論』伊吹武彦訳

第1部情念を概説してたまたま人性全般に及ぶ
第2部情念の数と順位、ならびに基本的六情念の説明
第3部特殊情念について

デカルトの『方法序説(および三試論)』が出版された時
パスカルの父がフェルマーらと共にこれに反論してるくらいだから
息子のパスカルもデカルトを敵視するのは無理もナイが
その敵意がどうも神に対する冒涜に向けられてる気がするのが
現代日本人で無神論者の自分からすると腑に落ちナイ点だ
とゆーのも、デカルトこそがキリスト教由来のスコラ哲学を踏まえてて
パスカル親子は当時の最先端の数学や科学を学んでたからだ

1634年、38歳のデカルトが『宇宙論』を発表しようとした矢先に
先んじたガリレオが教会に対して主張(地動説)を曲げず
裁判の末に有罪になった。(゚д゚lll)ギャボ
既にデカルトはそれまでの著作だけでも
デカルトの思想・哲学は有害であり有罪だ、とされてたので
『宇宙論』の出版は断念せざるを得なかったが
いずれにせよ、まだ時代が早過ぎたのだ

以降のデカルトは46歳(1642年)から54歳で(1650年に)没するまで
神を擁護する人間との抗争の内に明け暮れてたが
真実を捻じ曲げようとしてるローマ・カトリック教会に対して
真実を突きつければ異端審問にかかるのがオチだ。(´д`;)ギャボ

そして神の恩恵を看板に掲げた組織との抗争を余儀なくされたのは
【決定的回心】がなされてたパスカルにしても同様で
宗教改革後のヨーロッパなのであるからして
分裂した宗派の諍いが激化してたのだ

パスカルはジャンセニスト(ヤンセニスト)とされて
ジェズイット(イエズス会)から敵視されてたが
そもそもパスカルが所属してるポール・ロワイヤルが
ジャンセニスムの本拠地でフランス国教会もこれを支持してたので
しばしばローマ・カトリック教会が無視されたのだ
なのでジェズイットにしてみれば
正統な神の代理機関が蔑にされてるのは
ジェズイットの沽券に関わる不祥事だったのだが
これに対してパスカルが応じたのが『プロヴァンシアル』だヽ(゚∀。)ノ

内容的にはジャンセニストとジェズイットの対立を
神学上からなんとか収めようとしてる手紙で
この『プロヴァンシアル』とそのいきさつが「注説」として
筑摩世界文学大系には収録されてるるる~

『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳

目下ソルボンヌで論議されている事柄について、ある田舎の住人(プロヴァンシャル)に、友だちの一人が書き送った第一の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第五の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第七の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十一の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十二の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会のアンナ神父にあてて書いた第十八の手紙
アンナ神父にあてられた第十九の手紙・断章

更に筑摩世界文学大系には
ジョルジュ・デュアメルのデカルト論(※)と
トマス・スターンズ・エリオットのパスカル論(※)に
デカルトとパスカルについての多数の著作がある野田又夫の解説もあり
巻末にはデカルトとパスカルの詳細な年譜もついてる充実ぶり!
これぞ『パンセ』決定版だ!!
G・デュアメル「デカルト 思考の師」(土居寛之訳)、T・S・エリオット「パスカルの『パンセ』」(青木雄造訳)

実は筑摩世界文学大系は半世紀近く前に出版されてるので
入手するとしたらもれなく古本なのだが
紙質が非常に良いので今まで(※)状態の悪い本を見たコトがナイ
できればモンテーニュの『エセー』も
入手するなら筑摩世界文学大系が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
自分がこのシリーズを入手し始めたのは近年になってからで100冊以上チェックしてる

現代日本人がパスカルの『パンセ』を理解するのは困難だろう
『パンセ』だけをいくら読んでも
全く意味不明か意味を取り違えてしまうだろう

最低でもモンテーニュとデカルトは読む必要があるし
モンテーニュを愉しむためにはルネサンスの教養人レベルの
古代ギリシア・ローマについての素養が必要だし
キリスト教の信者が真実としてる教義以上に
ローマ・カトリック教会の史実を知らなければならナイ

すっかり理解するにはスコラ哲学も必須だろうてw