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日本では今や「ドン・キホーテ」と言えば
年中無休24時間営業のディスカウントストアのコトだが
これも間違いなくセルバンテスの小説の主人公の名からとってるだろう

ドレの絵で読むドン・キホーテ

しかしなぜこんな名称にしたのか?
ググってみたらYAHOO!知恵袋に中の人が答えてるぽい
LINK:ディスカウントショップ「ドン・キホーテ」の名前の由来は?

しっかり『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』に由来してるようだが
社員の中でこの長く退屈な小説を読破した兵は果たしてどれほどいるのだろうか?
なんせ現代日本人には意味不明な要素が盛りだくさんで
それらが話の腰を折るように次から次へと割り込んでくるのだから
次のエピソードに辿り着くまで緊張感を保てナイのだ。(´д`;)ギャボ

むしろ自分はその意味不明な部分にこそ愉しみを見出すのでうってつけなのだが
それでも前・後編のうち前編の半分ほどで挫折・・・
前編の後半にある有名な風車のエピソードは一応読んだがねw

確かに面白いと思える滑稽さが漲ってるのだが
そういうドン・キホーテの道化ぶりを素直に笑えナイのだ
そもそも道化ってキャラクタにはおかしさより憐憫を感じてしまう性質で
そこが合ってナイような気がするるる~

とか、ずっと敬遠してたのだが数年前にふとしたきっかけで読み始めたら
ハマった(゚*゚;)

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もう四十路に程近くなって還暦に向けての自分の人生の再構築をしてたその時
20歳からの20年間の義務を果たすための人生とは訣別して
余生はただひたすら幸せに、幸せのために生きたい、と思ってた

自分の幸せの在り処・・・それはかつて本の中にあり
読んでから反芻しながら散歩するのが至福だった・・・ホゥ(*-∀-)

もちろんそれだけの悠長な生活を送れる身分ではナイので働かねばならナイが
仕事と家事以外の時間は全て自分のためだけに使おうォゥ( -∀-)/

ところがふとしたきっかけで『ドン・キホーテ』を読み始めてしまい
読み進むほどに考えが変わって行った

なんせ主人公のドン・キホーテは中年もほど過ぎた冴えナイオッサンだが
自分と同じように本から与えられた夢の世界を愉しんでたのだ
それも現実に夢を再現して思いっきり愉しんでるのだった。(゚д゚lll)ギャボ

本の中、過去と未来、現実と夢、昨夜の酔いと今のまどろみ・・・
時空を超えて、交錯して、巡り会い別れ、でも繋がったまま・・・

ドン・キホーテはいつでもどこでも我武者羅に愉しんで
それを皆が見て笑う、嘲笑も気にならナイ、だって愉しんでるから♪

他人をおもしろがらせようとしても道化にはなれナイが
己の信じるままに大真面目に生きてると他人からは道化に見えるのだ
そう見えたら大いに笑ってくれたまえ

サンチョ・パンサはいつも酷い目に遭う予感がして
ドン・キホーテに忠告しながらも予想通りの災難を愉しんでる
信頼しきって迷惑かけまくるドン・キホーテを心配するのも愉しそうだ

人間ってやっぱり内に篭ったらつまらナイな・・・
まだまだバカやれる内に迷惑かけまくって笑われておこう!
見栄を張るのはあの世に行ってからで゚+.(・∀・)゚+.゚イイや!!

将来飼う犬の名前を1匹はブケファラスと決めてたが
もう1匹はロシナンテにしようかな(*^^*)

そう、ロシナンテだ
このドン・キホーテの愛馬の名が何て意味でどうやって名付けられたか
それが知りたくて再読したのだ

折りしもロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』を読み始めて
まだ第1巻の第10章めだったが
そこに産婆を救った牧師が乗ってた馬(またなぜそんな馬に乗ってるのか)の話があり
その中でその馬に例えられてるのがロシナンテだった

『ドン・キホーテ』の第一篇第一章には次のようにある

『さきの痩せ馬(ロシナンテ)』と呼ぼうと思いついたが、これは彼の見るところでは、気高く、口調もよく、しかも現在の身分になる前に駄馬(ロシン)だった身の上を現わしたばかりか世のあらゆる駄馬の中でまず筆頭だということをこよなく現わした名前だった。

ドン・キホーテがドン・キホーテと名乗るコトにする一週間前に
馬の名がロシナンテと決まったのだが
馬に名付けるのには4日悩んで自らの呼称には1週間「も」悩んだってワケだヽ(゚∀。)ノ

アレクサンドロス大帝のブケフェルスも、エル・シードのバビエカもてんで足もとにもよりつけないと思われた。

とドン・キホーテの眼には映ってたらしい。(゚д゚lll)ギャボ

ブケフェルス・・・スペイン語だとそうなのかな、ブケファラス、ブーケファラス、ブケパロス・・・そんな読み
オリバー・ストーンの『アレキサンダー』では理想的なブケファラスだったな(*^^*)

バビエカは『エル・シードの歌』に出てくる英雄的騎士エル・シードの愛馬・・・らしい
とゆーのも原著の『エル・シードの歌』が未読だからだが
同じ題材を扱ったコルネイユの戯曲『ル・シッド』なら持ってるし
チャールトン・ヘストン主演の映画『エル・シド』もソフィア・ローレンのために買った
しかしバビエカの名には覚えがナイのである。(´д`;)ギャボ

このコトでヲタを自認してた自分はセルバンテスに惨敗した悔しさに
『ドン・キホーテ』を一気読みするに至ったのだった・・・ヽ(゚∀。)ノ

明後日(10/27)から読書週間だ

世界観をなるべく精確に構築するための知識を得たい

この想いを少しでも叶えるべく
今までも本を読んできたし、これからも読み続けるだろうが
そうして読む意義がはっきりしてるからこそ
主義に合わナイ本を読むのは時間の無駄としか思えなくて
基本的に現代作家の小説は一切読まナイ主義だ

ましてや、ファンタジーとかになると
他人が勝手に創造した異世界なんかどうでもよくて
ファンタジーと銘打たれた『ゴーメンガースト』三部作は
頼まれても絶対に読みたくナイ類のはずだったが
うっかり読んでみたら非科学的な現象は一切見当たらず
どこがファンタジーなんだかヽ(゚∀。)ノ

それにしたって読むべき何かは
少なくとも読む前には何もなかったのだが
執り憑かれたように夢中になったのは主人公に感じ入ったからだ

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そんな『ゴーメンガースト』が実写映像化されたのは
21世紀最初の年で、イギリスのBBCによるテレビシリーズだった

すぐさまキャスティングをググってみると
肝心の主役、ゴーメンガースト城の少年城主タイタスが
予想以上の美少年子役&美青年俳優で期待できたし
敵役のひたすら不気味な存在であるはずのスティアパイクを演るのが
無駄に美形なジョナサン・リース・マイヤーズだったので
余りにもイメージがかけ離れてて驚愕したものの
その意外性にも期待せずにはいられなかった

とはいえ、観る機会を得るのは困難だと思われたので
喜ぶよりも先に諦めてたがね。(´д`;)ギャボ

それが2002年になって奇跡的に日本でもDVDが発売されてみると
DVD2枚組(4時間超えw)で¥6,300とカナ~リ痛かったので
なかなかポチする勇気が出ずにいたりして。(゚д゚lll)ギャボ

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それでも最終的に購入するに至ったのは
ジョナサン・リース・マイヤーズに尽きるだろう
『マイケル・コリンズ』や『17』での端役の頃から目にしてて
『ベルベット・ゴールドマイン』のブライアン・スレイド(つか、ほぼDavid Bowie)
そして『アレキサンダー』でのカッサンドロスのジョナサンを観て
こいつはやるかもしれナイ、と思い直したからだが
その予感は的中してて、原作では敵意を抱いてたスティアパイクに
実写ではすっかり魅了されてしまったのだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

簡単に実写版のあらすじを述べると
ゴーメンガースト城はグローン伯爵家の当主が代々治めてたが
使用人スティアパイクが権謀術数を駆使してのし上がり
城内の頂点に君臨しようとする一方で
まだ年若い当主タイタスは儀式に縛られた日常に嫌気が差し
外の世界に憧れてる始末でてんで相手にならず
それでもタイタスはスティアパイクの息の根を止めて
晴れてゴーメンガーストから外の世界へと旅立つ・・・

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原作の三部作中のちょうど2部までで終わってるが
3部でのタイタスの外の世界での体験こそが
自分にとってはこのシリーズの中で重要な部分だったりするので
初めて観た時に愕然としたのは否めナイものの
2度目にはすっかりスティアパイクに感情移入してしまって
主役がタイタスであるコトは忘却の彼方・・・
いや、こっちでは主役は完全にスティアパイクだって!

不思議なコトに通常は原作への想い入れが強いと
実写でのほんのちょっとのブレでさえも裏切られた感が湧いて
全体的にどうにも受け容れ難く感じられるのに
ビジュアル的な美しさと不気味さのマッチ・バランスとか
観念としての善悪の表裏一体、正気と狂気の共存など・・・
そんな原作に潜んでた要素が表面化したカンジで
元よりゾクゾク来るのがたまらなかったトコロがより一層誇張されて
原作の魅力がいや増したのだ!!

そもそもスティアパイクのような心底悪辣な男には
グロテスクな容貌が相応しいと誰もが(作者さえもが)思い描くが
そうとは見えナイ美貌の持ち主が自身の悪徳に対して
整然とした美しい顔を歪めてほくそえむ・・・
まるでドリアン・グレイ的退廃臭がなんとも小気味よいではナイか?!

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こんな男に騙されて徹底的に利用されて
用が済むとあっさり殺されて
死に顔を覗き見ては嘲笑される女ってのも
どうせ幸せな家族に恵まれナイとしたら
女としては案外幸せな人生かもしれナイ気がしたりしてw

だからタイタスの姉フューシャも原作で想像してたより格段に美人で
美形のスティアパイクに篭絡されそうになる危ういシーンが
ロマンティックで思わずうっとりしてしまった・・・ホゥ(*-∀-)

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尤も、原作で自分が1番うっとりしたのは
2部での夢見がちな少年タイタスと
3部での現実に戸惑う青年になりきれナイタイタスなので
どちらも納得の行く美形が演じてくれてたからこそ
いよいよ3部って場面までで終了してしまったのは惜しい(;つД`)

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特筆すべきは少年時代のタイタスの教師役に
スティーヴン・フライが出てたコトだが
彼はかつて映画『オスカー・ワイルド』に出てたな

1987年作のハリウッド映画『シシリアン』は意外と知られてナイが
原作者は『ゴッドファーザー』のマリオ・プーゾで
ストーリーが『ゴッドファーザー』とも交錯してたりする
(ここではその詳細は伏せておくがね)

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物語の大筋をちょ~簡略化すると
主人公ジュリアーノが義賊として人民に尽力したが殺された、そんな話

でもこのジュリアーノってヤツは一味違う
ハリウッド映画ならではの単細胞のスーパーマンではまずナイ
正義のヒーローとは言い難い、とても好ましいとは思えナイやり方なのだが
そこが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

人民に尽力、てのは裏を返せば
権勢(お上でもマフィアでも)にタテついてるのだから
それが仇となって惨殺されるに至るワケだよ

そんな魅力的な(?)主役を演じてるのは
クリストファー・ランバートで複雑なキャラ設定において当に適役だ

一見してマフィア相手でも睨みが利く面構えだが
女が放っておけナイ甘さも兼ね備えてるし
それでいて実は熱心なクリスチャンにも見えるるる~

女たらしの義賊、てのはある意味ありがちなのだが
クリスチャン、てのが何よりも笑えるw
そもそも義賊であるコト自体が洒落なのだろうし
むしろただひたすら正義感に心酔するような義賊もいまいて
てか、それだと映画としての面白みに欠けてしまう

☆・・・☆・・・☆

この映画を観たきっかけはテレンス・スタンプだ

敵役(実際そうでもナイが)の貴族ボルサ公爵役で
初老ながらも不気味ハンサムなインテリ貴族を好演してて
しかもディレクターズ・カット版のDVDでは
出演シーンがどっと増えてて嬉しいのだ。・゚・(ノД`)・゚・。
なんせ監督がヲタな変なシーンをよく撮るマイケル・チミノだから♪

ボルサ公爵はいかにも貴族らしい微笑ましいキャラで
誘拐されて連行されてるのにも拘らず
呑気に日傘をさして馬に乗ってたりするのだ
またあるいは自身のインテリぶりに酔い痴れながら
レコード鑑賞してるシーンとかもたまらなく゚+.(・∀・)゚+.゚イイ♪

これらは公開時にカットされてたので
本トにディレクター・カット版のDVDはお宝だ!!

☆・・・☆・・・☆

Fire from Heaven

自分はこの映画を観て以来、常々思ってたのだ
アレクサンドロス(アレキサンダー)大王の映画を
いつかこのマイケル・チミノ監督にヲタ炸裂で撮って欲しいp(-_-+)q
と・・・そう思わせたのはジュリアーノが少年に語るシーンだ

アレキサンダーは天から降る火(Fire from Heaven)と呼ばれた

・*:。゜萌。*(*´∀`*).*ぇ゚*・。・

いかにも教養のなさそうなジュリアーノが偉大な英雄の名を語るのか?!
尤もそれくらいアレクサンドロス大王の存在がメジャーで
ヨーロッパでは人口に膾炙してるのかもしれナイが
それにしたって内容的に無関係で随分と突拍子もなく言わせてて
もしかして監督はアレクサンドロス大王について
格別の想い入れがあるのではなかろうか、と深読みした次第

結果的にはオリバー・ストーンの『アレキサンダー』で満足したがね
彼ほどの病的なアレクサンドロスヲタな監督はありえナイだろう

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しかし『シシリアン』にはアレクサンドロス以外でも
自分がぐっとくるキーワードが随所に鏤められてて
例えば脇役にアドニス教授なんてのがいるのだが
アドニスはもちろんギリシア神話に出てくる美少年の名で
しかもこの教授の肩書きが「ダンテ研究の第一人者」だなんて・・・ホゥ(*-∀-)

☆・・・☆・・・☆

『シシリアン』が日本で受けなかった理由の一つに
この映画の見所が貴族、てか貴族趣味だってのがあるように思う
要はヴィスコンティ的なノリなのだが
あれが好きな人は最初からチミノのマフィア映画は観ナイ
自分だってテレンス・スタンプ出てなかったら観なかったかもだ

とにかく全編に貴族なる人種の【優雅な下劣さ】が満載で
公爵夫人ともなると強盗に入られても慌てず騒がず
ハンサムな強盗を押し倒して頂いてしまう大胆不敵さだったりして
まあ高貴な身分の者ほど下半身は卑しいとゆー好例だな

冒頭には若く美しい公爵夫人が
乗馬の後にバスタブに浸るシーンがあるのだが
バスタブまで広い邸内を歩いてく間に
あちらこちらに服や靴を脱ぎ散らかしてって
お行儀が悪いったらありゃしナイ!
それをお女中が拾ってはたたみながら後をつけてって
公爵夫人はバスタブ到着までにはすっかり一糸纏わぬ姿になる・・・
そりゃあ風呂に入るのだから裸なのは当たり前だが
公爵夫人は人前で裸体を晒すのに何の抵抗も感じてナイのだよ。(゚д゚lll)ギャボ
尤もお女中は公爵夫人にとっては人ではナイのかもしれナイが。(´д`;)ギャボ

傅ずかれてるだけの人間の【優雅な下劣さ】に感動したヽ(゚∀。)ノ
とはいえ、自分として好ましく思えるのは
いくら若く美しくとも人前で素っ裸が平気の自堕落な貴族女より
断然、慎みや恥じらいを敏感に感じるお女中だわ

そうしてなるほど、美貌の妻を差し置いてさえも
メイドにお手つきする主人の気持ちがよく理解できた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

キリスト教徒はかつて信者が罰せられた遺恨から
ネロを目の敵にして悪の権化に仕立て上げようと躍起だが
ポーランド独立運動に従事したシェンキェヴィチは
そういうキリスト者の一般論を利用して
『クォ・ヴァディス』でネロを圧政者として描いてるのだろう

それにしたってキリスト教信者が胡散臭いほど清廉潔白で
ネロがローマの大火の真犯人だと脚色するのはやり過ぎだと思うが
それ以上にアーティスト、あるいはエンターテイナーとしても
ネロを侮り過ぎてる気がするのは自分も侮ってたからだ

年代記〈下〉ティベリウス帝からネロ帝へ (岩波文庫)ローマ皇帝伝 下 (岩波文庫 青 440-2)

死に至るその時に『イリアス』の一行が口をついて出たと
タキトゥスの『年代記』にもスエトニウスの『ローマ皇帝伝』にもあるし
実はネロは教養があり、感性も豊かだったのではなかろうか?

まずネロがギリシア通であったコトは疑いの余地がナイ
叙事詩や悲喜劇などを諳んじてたし
遂には自作の詩に合わせて竪琴を奏でてたくらいだ

しかしそういうコトは皇帝の趣味として相応しくなかった
かのアレクサンドロス大王もまだ王子であった時
竪琴を上手に奏でて父王ピリッポスに怒られたそうだ。(゚д゚lll)ギャボ
楽器を意のままに奏でるのも武術に秀でるのも、訓練の賜物だが

そこでアレクサンドロスが訓練すべきは竪琴であるはずがなかろう?!

とそういう意味で怒られたのだ

若くして皇帝となったネロとて、謡いながら竪琴を爪弾くのは
皇帝らしからぬ、と周囲に禁じられてたかもしれナイ
ところがペトロニウスが高尚な趣味としてネロに指南したりして
周囲も認めざるを得なくなってしまったとか?
しかもネロは調子に乗ってネロ祭なんて始めてしまったとw

とはいえ、ペトロニウスはタキトゥスが言うほどに
ネロを誑かすつもりも、そのために背徳者を装うつもりもなかっただろう
周囲からはペトロニウスがネロを手懐けてるように見えたかもだが
ペトロニウスはネロの若さと生来の感性からくるほとばしりを
自身も一緒に愉しみながら解放しただけに過ぎナイ
恐らく2人は無教養な人間をこきおろしてたに違いナイ

ペトロニウスはタキトゥスの『年代記』によれば

贅沢の通人として世に聞えていた

とあり、この一文からでもペトロニウスが時代の寵児であるコトが伺えるが
一種スター的存在には誰もが憧れを抱かずにはいられナイので
絶対君主であるはずの皇帝にとっても憧憬の対象であったはずだ

ネロは降って湧いたように皇帝の地位に就いてはいたが
それ以上に自身では芸術家として認められたい気持ちがあって
創作した詩や竪琴の演奏についての芸術性を
ペトロニウスに認めてもらえたらそれは嬉しかったのだ!

しかもそこでペトロニウスはお追従で濁さなかったのが
むしろネロの絶対的な信頼を得たのだろう
そして辛辣に批判されれば萎れ、よきアドヴァイスは素直に受け入れ
褒められれば天にも昇る心持ちになっただろう!!
とか、想像するだにネロがいじらしくてたまらなくなるるる~

ローマの哲人 セネカの言葉

そもそもネロがギリシア通になったのは
ネロの師セネカによるトコロが大きいと思われるのだが
史実としてセネカは自身が哲学者でありながら
ネロに対しては哲学を指南してナイ

セネカは一応ストア派哲学者としての彼が1番名が通ってるが
科学書も著せば戯曲も書いてる多才な著述家で
ネロの時代のローマでは最も学識の高い人物だったので
ローマ人が目指すギリシア的な教養をネロに授けたのだろう

残存するセネカの書簡には生活に即した先人の言葉で
相手にとって最も有効な回答を学派に拘らずに引用してたりするが
セネカのやり方は実践しながら学び取らせる人生哲学なので
ネロに対してもストア派たるように仕込むコトはしなかっただろう

そういう押し付けがましさはセネカのやり方に反してるし
加えて芸術家気質で詩を諳んじたり竪琴を奏でたりするコトにこそ
ネロの感性が迸ってるのを理解してたのかもしれナイ

裏を返せば、セネカはエキセントリックなネロを目にするにつけ
哲学を受け入れる資質にはネロはおよそ恵まれてナイ
と誰よりも感じてたかもしれナイ

それでも17歳にして戴冠したネロはたぶん
セネカが予想してた以上に立派に皇帝らしく振舞って見えた

ネロの天性の才で自覚もしてるが要はエンターテイナーなのだな
いつも役者のように芝居がかってたワケだが
皇帝を演じるのもなかなか堂に入った役者ぶりだったのだ

映画『クォ・ヴァディス』でのセネカは控えめな役ドコロだが
ペトロニウスの自殺に際した最期の晩餐の場面が印象的だ
とゆーのも、セネカもネロに命じられて自殺してるのだからね
映画にはそのシーンはナイからこそ見るに忍びナイ

とにかくキリスト教信者は「迫害された」とゆー史実に対して
狂信的な思い込みからひたすらネロを忌み嫌うが
新興宗教の流行が政府にとって頭痛の種なのはネロに限った話ではナイ
それどころか現代社会にしても変わらナイ事実なのだ
残酷さで言えば中世に教会が行った異端審問の方が酷いかと・・・

racine

フローベールの『ボヴァリー夫人』を読んでて
どうしてポンペイウス・トログスの『地中海世界史』に行き当たってしまったのか
改めて考えると奇妙な経路だが
それは登場人物のオメーがヴォルテールの信奉者で
ヴォルテールはラシーヌの讃美者で
ラシーヌがアレクサンドロス大王マニアなら
自分はアレクサンドロス大王ヲタだとゆー自負からだp(-_-+)q

とにもかくにも『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を購入して
真っ先に読み始めたのは入手目的とは別に『アレクサンドル大王』だったが
これが自分にはヲタ的に駄作に思えたワケだ

但しインドでのアレクサンドロスの恋愛のエピソードはラシーヌ曰く
創作ではなくクルティウス・ルフスとユスティニスを参照した、そうだが
クルティウス・ルフスを確認したがはっきりせず
ユスティヌスを確認しようと思ったらなんと持ってなかったのだ。(゚д゚lll)ギャボ

ラシーヌにはアレクサンドロス大王ヲタとしては負けるつもりはナイので
早速ユスティヌスを手に入れようとググってみると
ユニアヌス・ユスティヌスは3世紀の人で彼のアレクサンドロスに関する著作は
実はポンペイウス・トログスの著『ピリッポス史44巻』の抄録だった

ピリッポスはもちろんアレクサンドロスの父のピリッポスで
タイトルからしたらピリッポスの生涯に詳しく
アレクサンドロスについてはオマケ程度にしか載ってナイのではナイかと思えたが
実質的には44巻中の7~9巻がピリッポス史に過ぎず
アレクサンドロスでさえ13巻で死んでしまう・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

つまり訳者がつけたタイトル通りに『地中海世界史』なのだ
ディアドコイ(後継者争い)についてはもちろんだが
アレクサンドロスが対峙したダレイオス3世より以前のペルシア史や
マケドニアの起源、周辺民族の歴史にも詳しかった!

そうして時間がある時にくまなく読破したい内容だったが
まずは問題の箇所を確認せねばなるまい

第12巻には確かにラシーヌの言を裏付ける以下の記述があった

(前略)そこから彼{アレクサンドロス}は、ダイダロスの山々とクレオピス女王の王国へ行った。彼女が彼に屈服した時、彼女は同衾することによってアレクサンドロスから王国を買い取り、武器で得られなかったことを誘惑によって得た。そして、彼女は彼との間に生まれた息子をアレクサンドロスと名づけ、この子は、のちインド王国を支配した。女王クレオピスは貞節を投げ捨てた故に、その後、インド人によって王の娼婦と呼ばれた。

ちょっと待て。(´д`;)ギャボ

アレクサンドロスの息子をもうけた、までいくと間違いなく虚言だろw

このクレオなんちゃら女王についての記述もだが
アレクサンドロスがインドで息子を儲けたなんて話は他には一切載っておらず
著者ポンペイウス・トログスか、後の編纂者ユスティヌスの創作だろうな(-_-;)

そしてラシーヌはおそらくアレクサンドロスについて
序文に表記してる2冊(※)しか読んでなかったので鵜呑みにしたのかもしれナイ
『ポンペイウス・トログス 地中海世界史』『クルティウス・ルフス アレクサンドロス大王伝』

それにしてもラシーヌがアレクサンドロスの相手役に
インドの美女を選んだ点だけは高評価に値するね

もし写真のようなレベルの美女であったら
それはもう総ての男にとって盲目的に惚れざるを得ナイだろうてw

アレクサンドロスがぞっこんになったクレオなんちゃらに限らず
ポリュスやタクシルが命を賭して愛するアクシアーヌがこんな美女ならば
愛するのに他に何か理由を持ち出す必要もナイ・・・ホゥ(*-∀-)

しかも写真のナイ時代のコトだから美醜の実像を窺い知るのには
肖像画を見て想像するくらいなので正確さや説得力に欠けるのだが
ラシーヌはインド人の美女を実際に見たのだろうか?

そうだとすればこれはアレクサンドロスの偉大さ以上に
女性の神々しいまでの美しさを讃美する戯曲なのではナイだろうか?
なんせアレクサンドロスも平伏してるのだからねヽ(゚∀。)ノ

とするとまた従来の悲劇とは趣が異なってくるのは
美女がハッピーエンドになってしまっては悲劇が成り立たナイからで
いや、だからこれはやっぱり駄作なのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

とりあえずインド美女Neha Dalviの画像をまとめて貼っておこうっと♪

racine

筑摩書房の『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を買うまでは
『エステル』と『アタリー』が読みたかったのだが
気づけば真っ先に『アレクサンドル大王』を読んでたのは
アレクサンドロス大王ヲタとして当然だなw

ところが『アレクサンドル大王』は期待を裏切る駄作だった。(゚д゚lll)ギャボ
これはラシーヌの2作目で一応出世作になったらしいが
まだ本領は発揮してなかったようで
アレクサンドロスの相手役が美貌の王女であるコトで萎えるのを差し引いても
どうにも詰めの甘さが否めナイ出来で拙い点を列挙すれば以下の通り

1.クルティウス・ルフスやプルタルコスを参考にしたってワリには
  インド征服中のアレクサンドロスって設定を使ってる「だけ」に過ぎず
  ほぼフィクションで歴史的考察の余地も価値もなくつまらナイ

アレクサンドロス大王伝 (西洋古典叢書)
プルタルコス英雄伝〈中〉 (ちくま学芸文庫)
地中海世界史 (西洋古典叢書)

ラシーヌ自身が第1の序文において作中の実在した人物ポリュスについて

クルティウス・ルフスの{『アレクサンドロス大王伝』の}第8巻全部を写さねばならないだろう。

などとのたまってるがポリュスは実際には第8巻の第13章と第14章にしか登場せず
この芝居全体の主題でも第8巻の第12章~第14章に収まってるるる~

ちなみにクルティウス・ルフスではインドのある国の王ポリュスはポロスで
インドの別の国の王タクシルはタクシレス、その妹のクレオフィルはクレオカレスだろうが
訳注にはクレオカレスは「不詳」とあり、タクシレスの妹であるとゆー記述はナイ

アレクサンドロスは、ポロスにも自分の盛名によって帰順を強いることができると考え、クレオカレスを派遣した。

ラシーヌはなぜこの1文にしか出てきてナイクレオカレスがタクシレスの妹で
更にアレクサンドロスの恋慕する美貌の姫であると思えたのだろうか(-_-;)?

第2の序文には以下のようにあった

アレクサンドロスとクレオフィルの恋は私の創作ではない。クルティウス・ルフスと同様、ユスティヌスもこれについて述べているからである。

なななんですと~Σ(゚д゚lll)ガーン

ここまできて初めてユスティヌスの『西洋古典叢書 地中海世界史』を
買いそびれてたコトに気付いたのでこれを機に購入したw
まあ購入するまでもなく引用があったのだが・・・ヲタだからヽ(゚∀。)ノ

そのユスティヌスからの引用によれば
クレオフィルはアレクサンドロスの子を産んで同じ名をつけてるるる~

しかし物語の主軸となってるのはこのカップルの恋愛ではなく
ラシーヌが創作した女王アクシアーヌを巡って
三角関係に陥る2人の王タクシルとポリュスだ(と自分は思う)

2.男女の恋愛の中でも美女を巡る恋の鞘当てなら
  もう少し登場人物の誰かに肩入れできそうなモノだが
  それぞれの思惑が空回りしてしまってるせいか感情移入し難い

アクアシーヌがアレクサンドロスとの和平を受け容れナイので
ポリュスはこれに倣ってあくまでも抗戦を主張し
タクシルはアレクサンドロスに情をかけられた妹クレオフィルに譲歩し
和平交渉に応じようとポリュスを説得するが拒絶される

しかしアクアシーヌが美貌以外にどこが魅力的なのかが描けておらず
ポリュスが命を懸けて戦うのが悲喜劇的に見えてしまうし
袖にされて犬死にするタクシルに至っては完全なる喜劇なのだ。(´д`;)ギャボ

それはクレオフィルについても同じコトが言えて
天下のアレクサンドロスが、しかも決して好色ではなかっただろうに
なぜクレオフィルに夢中になるのかがわからナイのだよ(-_-;)

中ではアクアシーヌが1番アクが強いキャラだが
好感度は低いのでもう少しバックグラウンドが掘り下げられてナイと共感はしづらい

3.主人公が誰なのかわからナイヽ(゚∀。)ノ
  タイトルにはなってるがアレクサンドロスではナイのは確かで
  あとの4人の主要人物の中にも主役らしい者はいナイ

ラシーヌ自身は序文で「タイトル通りにアレクサンドロスが主役(てか主題)だ」と主張してるが
その主張も批評家の「アレクサンドロスが主役にしちゃ影が薄い」って意見に応えてのコトで
自分も確かにアレクサンドロス讃歌的な作りではあると思うが
三角関係の3人の動向がストーリーを展開させてるのは間違いナイのだ

主となる人物に焦点が絞れてナイ・・・
これがこの芝居を悲劇とも喜劇ともつかなくしてしまってるのだ

4.せっかく従者の中で唯一登場してるヘファイスティオンだのに
  その役ドコロは単なる伝令使でまるで人間性が見えてこナイ
  =誰がやったって同じって役ドコロに成り下がってるのだよ・・・

いや、これは自分の個人的な見解だw

それにしてもラシーヌとは興味の範疇が近似であっても
そこから構築する世界観が今回は全く異なってて
読後は肩透かしを食らったってカンジだ。(´д`;)ギャボ

ローマ皇帝の中でもとりわけネロが好きな自分は
ネロについて書かれてる本を蒐集してるので
ラシーヌの『ブリタニキュス』もいつかは欲しいと思ってた

だから岩波文庫から出てる『ブリタニキュス』を古本屋で見かけては
購入すべきかどうか何度も迷いに迷ってた
迷いがあったのはこの本がちょうど岩波文庫の紙質が悪い時代に出てて
その後に重版されずにいたコトによる
時を経て紙面はすっかり褐変してるよれよれのモノばかりで
どうしてもコレクションに加え難い品質だった

だからいつかこれが奇跡的に復刊されるか
もしくは更に望み薄だが新訳が出たりした折には購入しようと決心してた

とはいえ、いずれにしろ随分気の長い話だと思ってたが
2006年夏に先に渡辺守章訳の『フェードル / アンドロマック』が復刊され
続いて2008年に遂に『ブリタニキュス / ベレニス』が同じく渡辺守章訳で出た!

ブリタニキュス ベレニス (岩波文庫)

古く『ブリタニキュス』は『星の王子さま』の訳で名高い内藤濯の訳だったので
きっと真意を深く追求した意訳だと予想できて魅力的だったが
『ブリタニキュス / ベレニス』の渡辺守章訳の方は
実際に脚本として用いられた口語訳なのがむしろ非常に読み易かった!!
これは既に『フェードル / アンドロマック』で馴染んでたせいもあるだろう

しかし渡辺訳版の秀でた点は本文以上に訳注と「解題」にあるるる~

ためつすがめつ購入を迷い続けた『ブリタニキュス』には
『ベレニス』が未収録であったのは言うまでもナイが
これが『ブリタニキュス / ベレニス』に比して1/4くらいの薄さだったのは
『ベレニス』が途轍もなく長い戯曲だったからではナイ
(実際『ブリタニキュス』より短い)

『ブリタニキュス』と『ベレニス』とで訳注が合わせて100ページ以上あり
「解題」がこれまた100ページ以上に及ぶために
200ページ強分の厚みが増してたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

200ページとゆーページ数からも歴然としてるが
訳注も「解題」もとにかく詳細で隙がナイ。・゚・(ノД`)・゚・。

とりわけ「解題」の中の「ラシーヌの生涯と作品」には
各作品の紹介と共にその作品に対する当時の評価などもあったので
これを読んだら元の話を知ってるだけに(※)
ラシーヌの脚本をちゃんと読んだような気にすっかりなってしまえてたが
既出の4作(フェードル、アンドロマック、ブリタニキュス、ベレニス)以外は
後に筑摩書房の『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を入手して読んで
そういえば全く未読であった、と改めて気付いたくらい
渡辺の「解題」は詳し過ぎたのだったヽ(゚∀。)ノ
『アレクサンドル大王』は伝記の邦訳本を総て持ってたし、『アタリー』も『エステル』も『旧約聖書』にある

そうなのだ、ラシーヌにすっかり魅了された自分は
絶版の全集をついに手に入れたのだった!

しかもかねてから中公世界の名著と筑摩世界文学大系は
「解説」の充実度で他に比肩するモノはナイと確信を持ってたので
迷わず筑摩書房の『世界古典文学全集【48】ラシーヌ』を購入したのだが
これが予想以上に素晴らしい内容だった!!

ラシーヌ執筆の全作品がもれなく年代順に収録されており
時代背景、公演の評判、ラシーヌが参考とした資料などの詳細が
各作品の冒頭の「解説」にあり
それとは別にラシーヌ自身が書いた序文や
時の権力者に送った作品についての書簡などもあり
要するにこれ一冊でラシーヌを完璧に網羅できてしまうのだ

それでも『ブリタニキュス / ベレニス』も買っておいて損はなかった
てか、この岩波文庫版新訳の訳注と「解題」は
ネロヲタの自分としては最強に俺得で死ねる・・・バタリ ゙〓■●゙

それにしてもラシーヌの扱う題材は
どうしてこうも自分のヲタ趣味と合致するのだろうか?

トロイ戦争ヲタには既読の『アンドロマック』も俺得だったが
未読の中にも『イフィジェニー』があり
ゲーテの『タウリス島のイフィゲーニエ』と読み比べれば
一粒で2度美味しく愉しめるってモノだ♪

そして未読の目玉はなんと言っても『アタリー』と『エステル』だが
これはフローベールの『ボヴァリー夫人』の中で
最も個性的な登場人物オメーが娘にアタリーと名付けてるのが
まさしくラシーヌの『アタリー』由来なのだった
ましてやそうと名づけたオメーの真意を推し量るためには
実際に読んでみナイコトには考察のしようもナイ以上に
作中でオメーが信仰する神ヴォルテールの著書『ルイ十四世の世紀』で
『アタリー』を高く評価しつつ『エステル』を貶してる
と知らなけらばいかんせん意味不明なのである。(゚д゚lll)ギャボ

『エステル』と『アタリー』はプルーストの『失われた時を求めて』でも
「スワン家のほうへ」第一部の「コンブレ」で比喩に使われてるが
もちろんこの2作品をただ読むだけでなく
完璧に理解してなければやはり意味不明なのである。(´д`;)ギャボ

しかしアレクサンドロス大王ヲタである自分にとって
未読の中で真っ先に読んだのは『アレクサンドル大王』だったがw

それとゆーのも自分の読書の仕方がいつも決まってて
未読の本はまず目次や索引からアレクサンドロスを探して
そこから読み始めるからだ

バイオテクノロジーがカッコ゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

そんなノリで学生時代は科学を学んできたが
最先端の科学とはまるで縁のナイ職業に就いた際には
心の隙間を埋めるようにむしろ科学の本を読み漁るようになった

講談社のブルーバックスが必ずバッグに入ってたし
Newtonの興味ある特集号もよく買ってたが
何よりも定期購読してたQuarkの発売日が楽しみだったのは
古代文明の遺跡の特集ページで今でもとってある(本体は捨てても!)

人生において科学好きになったのはダーウィンの『ビーグル号航海記』だが
深く学びたくなったきっかけはシュリーマンの『古代への情熱』で
要するに化石や遺跡に心惹かれたのだった
そりゃあもう妄想ヲタにはうってつけの素材だよなヽ(゚∀。)ノ

1番愉しい妄想は生命の誕生や人類の起源だったが
有史以前から古代までの神話と伝承と史実が絡み合ってる様相も
神話や伝承こそが史実以上に民族の精神世界を知り得るし
解明が待ち遠しくも謎だからこそ魅力的だった

フェニキア人はアルファベットを発明してて
ビブロスがパピルスの名産地であるにも関わらず
自らの歴史を書き残さなかったのが皮肉的で゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
アレクサンドロス大王に残滅させられたテュロスとか
ローマ軍を打ち負かしたハンニバルとか
近所にチュニジア大使館があったりするのも偶然ではナイような気がしてて
蔵書リストのサイトにも独立した項目を作成してあるるる~

シュメール人の場合はもっと単純に
彼らこそが人類最古の文明の源流だと知って夢中になって
史実に基づいたシュメール文明年表をせっせと作成して悦に入ったり
世界最古の長編叙事詩『ギルガメシュ叙事詩』を
自分なりの解釈でイラスト入りでサイトにアップしてみたりもした(←妄想ヲタ炸裂w)

とりあえずシュメール人はしっかり書き残してる(※)だけあって
フェニキア人に比べたらいかんせん古いのだが
神話や伝承から史実に至るまで資料には事欠かナイのだ
とはいえ、邦訳されたモノは限られてた
粘土板に楔で彫ってるのだから、正しくは書いてたワケではナイがw

イナンナ 上弦の巻 (モーニングKCDX)

それでもシュメール神話「イナンナとドゥムジ」は
『七つの愛の物語』になんと64ページにも渡って載ってたので
ありがたく読んでみたものの・・・何が何やら???

さっぱりわからんてヽ(゚∀。)ノ

まず原典通りに訳されてて元からわけわからん話なのか
訳した時の解釈がおかしいのか?

これはアメリカ人女性のストーリーテラーが再話してるので
恐らく通常の再話、つまり子供向けに解かり易く書き直されたようなのと違って
大人が読み聞かせられて感動し易いように
神話の正統性は多少欠いたとしても
よりドラマティックな要素の方が重要視されてるのではなかろうか?

だがしかし参考文献や改変した部分についての解説なども全くナイし
他に比較すべき資料もなければ、それは推測に過ぎナイ

具体的にどの辺が意味不明なのかの前に
主要な登場人物(神含む、てかほとんど神)を一通り挙げると
主役のイナンナは月の神ナンナと月の女神ニンガルの娘で
イナンナの兄は太陽神ウトゥで
この兄の決めたイナンナの結婚相手が羊飼いのドゥムジで
ドゥムジの父はエンキ、母はシルトゥル、姉がゲシュティンアンナで
最初の方で簡潔に創世と神々(※)が語られてるが
そこに出てくる冥界の女王エレシュキガルはイナンナの姉らしい
天界の神アン、大気の神エンリル、冥界の女王エレシュキガル、知恵の神エンキ

イナンナは婚約者が羊飼いであるのが最初は気に入らなかったが
初夜を迎えてみればドゥムジの虜になっており
そこでなぜかイナンナは突然冥界に行き
また冥界で裁かれたイナンナは死を齎されてしまい
イナンナを冥界から連れ戻すために身代わりをどうするかで
迷った挙句にドゥムジを立てるるる~

イナンナの死に対して哀悼の態度が見受けられなかった
てのはドゥムジを身代わりにした理由としてはわからなくもナイが
それにしてもドゥムジが妻の死を悼まなかったのがなぜかも謎だし
そもそもなぜイナンナが冥界に行ったのかも
そこでなぜ裁かれて死ななければならナイのかも
どうして身代わりが必要で、逆にどうして身代わりでも問題ナイのか

さっぱりわからんてヽ(゚∀。)ノ

この物語において感慨深いのは
イナンナとドゥムジの初夜の赤裸々かつ詩的な描写だけで
でもイナンナの気持ちの変化が汲み取りにくくて
なんかB級ホラーポルノを観てるような感覚に陥ってしまって
読後感が気まずかった。(´д`;)ギャボ

ある意味、イナンナは快楽に対して奔放であり従順でもあり
そうしてはっきり認めた男であるドゥムジに対して
愛を誓うからこそ、裏切りを許さナイ面もあり
愛情深い分だけ憎悪も激しいのかね。(゚д゚lll)ギャボ

いや、もしかしたらテーマはSEXの快楽こそが重要であって
あとはどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイのか?!

rebours

心が乾くから本を読むワケだが
何度読んでもその度に潤してくれる本が愛読書と成り得る

生涯を通じて愛読してる本があるなら
それこそが人生のバイブルだったに違いナイ

自分の1番の愛読書は何か?

ふと思い立って本棚としばしにらめっこ・・・
1番読み込んだ=1番傷んでる?

いや、最初から汚れた感があるような紙質の古本を買ってたり
買い直して今はたまたま綺麗な状態のもあったりするし
そもそも同じタイトルでも訳者が違って何冊も持ってたりするから
そうすると傷みが1冊に集中しナイので基準にはならナイのだ
それに確認作業のために頻繁に開く本は辞書のようなモノで愛読書とは言えナイ

さかしま (河出文庫)

長い間飽きずに様々な読み方で愉しんで2度も買い直してる本なら
澁澤龍彦訳のユイスマンスの『さかしま』だが
素直に愛読書と言えるかどうかはビミョ~(-_-;)

一応(?)小説なのだが筋を追うコトはなく
専ら主人公デ・ゼッサントのアート・エッセーのような感覚で
そこに挙げられてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
となると、愛読書ってより耽読書なのだな

そうすると愛読書らしいのはアランかもしれナイ

アランの『幸福論』は自分より年上の本だけあってよごよごなのだが
古本屋で買った時からその状態なので特に気にするには及ばず
ずっと旧仮名遣いの石川湧訳に馴染んでたのだが
近年になって新訳(ってもそんなに新しくもナイが)を2冊購入して
今は3冊持ってるw

新しく買ったのは集英社の白井健三郎訳と岩波文庫の神谷幹夫訳だが
神谷訳が1番的確な訳であるコトは疑いようもなく
でも石川湧の旧仮名遣いの訳は日本語の美しさが際立ってるし
それに比べて白井健三郎の訳は読み易い点で勝ってる
そんな風に三者三様なのだから3冊とも必要なのであるるる~

ところで『幸福論』と言えば
アランに加えてヒルティとラッセルで「世界3大幸福論」とする向きもあるが
これはまるで「世界3大宗教」のような括りで3者は全く相容れナイ

ヒルティはキリスト教信者にとっての幸福論であり
ラッセルは凡庸に生きるコトの幸福さを諭してるモノであり
キリスト教信者でもなく、既に凡庸に幸福を見出して生きてる自分には
何の効力も持たナイのだよ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

だがしかし!
エピクテトスに関する詳述があるので
ヒルティの『幸福論』は岩波文庫の第1部を持ってたりして
その部分だけはしつこく読み返してたりするのだ

アランの『幸福論』の何が+.(・∀・)゚+.゚イイのかって
論じられてる幸福の定義やその定義に即した対応策も心地好く心に響くが
それ以上に引用してる事柄がどれもこれも自分と趣味が合ってて
【幸福論】として読んで理解して実践しなくても
読んだだけで幸福になれてしまうw

まず1番最初に引用されてるのがアレクサンドロス大王で
愛馬ブケファルスとの出会いのエピソードだが
この締め括りにはワザとアレクサンドロスのコトを
「アリストテレスの弟子」などと呼ぶ・・・ホゥ(*-∀-)

これだけで自分は至福を味わえるのだが
そうなると著者アランが幸福に纏わるエッセーにおいて
挙げてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
って、これじゃアランの『幸福論』も『さかしま』と同じく
愛読ではなく耽読してるのかもしれナイ

そう考えたら耽読書ばかりだ
う~ん、何だろう、1番の愛読書・・・ヽ(゚∀。)ノ

とにかく誰もが「おもしろかった」とゆー現代作家の人気小説も
自分にとってはどうにもつまらなく感じるのは
単に耽溺する要素に欠けてて内容が薄っぺらに思えるからだし
逆に古典でも耽溺する要素の盛り込みが(少)ナイと
まるで興味が沸かナイくらいだから
耽読書でなく愛読書てのが既に自分には在り得ナイのかも?

なんて諦めてたが1つ思いついた!
幼少時から何度も読み返してて
特に耽溺する要素が見当たらなくても
読み始めれば必ず夢中になってしまう小説・・・

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』だ!!
てコトは、自分の人生のバイブルは『嵐が丘』なのだろうか?!

alexandros

山川出版の日本史用語集を誰かに譲ってもらった時は
ちょうど古代日本(邪馬台国から平安時代)にハマってて
この1冊で疑問が即座に解決できて重宝したが
それ以上に同じく山川出版の世界史用語集の方は
この用語集自体に夢中になった

世界史B用語集 改訂版

わかりやすく完璧に作成された年表を見て覚えてるだけでは
年代と国家(地域と民族系統と宗教)と主要人物と出来事のピースを
決まった箇所に当てはめるだけのパズルでしかなくて
世界史なんてちっともおもしろいモノではナイが
興味のある語句から始まる世界観を自分で繋ぎ合わせてくのは
想像と思索を存分に発揮できる悦楽だった

特に古代史の辺りは語句から語句へと読み解いて
頭の中に民族の興亡の年表を構築してくのが愉しくて
愛読書とは趣が異なるが子の世界史用語集には格別の愛着があり
今ではかなり解体して本体からもげてしまったりしてるが
そういうページこそがもれなく自分にとっての主要部分なワケで
そこだけ外れてた方がむしろ読みやすかったりw

民族の興亡の歴史は換言すれば戦史で
勝った方は大義名分の下での征服なのだが
負けた方からすれば侵略でしかなく
略奪や殺戮に曝される庶民にはその行為を受ける理由など微塵もナイのだ

しかしどんな戦勝国だっていつまた敗戦国になるかわからナイ
なんせ栄華を誇った古代国家は総て滅亡してて
かのローマ帝国でさえ滅んだのだ

まあローマのような世界帝国になると領土も広大過ぎて
これが一気に滅亡するのも無理があって
まず国家の分立の段階があるが
この分立だって一斉に各国が独立するのではなく
徐々にあっちでこっちでと新興国が建国されてくのである

過去の世界帝国も例に漏れず
古くはアッシリア帝国がペルシアに亡ぼされて後の4国分立とか
アレクサンドロス大王の死後とか・・・

このアレクサンドロスのディアドコイ(後継者)争いについては
アレクサンドロスヲタであるがゆえに死後には興味がなかったのだが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とりあえず世界史用語集には
最終的には紀元前301年のイプソスの戦いで3国分立になり
アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプトが
その3国で総てローマに滅ぼされた、とあるるる~
自分でもうろ覚えだったがそう覚えてたヽ(゚∀。)ノ

ところが『旧約聖書』のダニエル書の預言に出てくる「ギリシアの王の目の間の角」が
定説のようにアレクサンドロスだとすると「その角が折れて生じた四つの角」は
4国分立ってコトだとすると残る1つはどこなのだろう?
LINK:ダニエル書 第8章

ググってみたらアッタロス朝ペルガモンだってあって
世界史用語集の索引見たら一応ペルガモンの項目ならあった↓

小アジアのペルガモン王国アッタロス朝(B.C.241~B.C.133)の都。B.C.3~2Cに繁栄。

って、これだけかよ。(゚д゚lll)ギャボ

いや、Wikipediaでも詳細があったのでとっくり読んでみたが
やっぱり他の3つと並列させるには苦しくナイか?
なぜ皆こんなので納得してるのだろう。(´д`;)ギャボ

ところでダニエル書は預言者ダニエルについて書かれてて
まず当人を一般常識的な世界史と照合してみると
Exile(バビロン捕囚)の際にバビロンに強制移住させられたユダヤ人だ

紀元前586年にユダ王国を滅ぼしてExileを行ったのはネブカドネザル2世だが
紀元前562年にはネブカドネザル2世は狂死してしまい
息子のベルシャザールが後を継いでて
その治世の3年目にこの預言があったとされてるるる~

いずれアレクサンドロスの時代より3世紀ほど前の人物だし
それでディアドコイ争いまで正確に言い当ててたら
預言者、てか、予言者だ!

ダニエルの場合は預言者で
預言てのは神に預けられた言葉、即ち神託で
この預言を神に代わって発して民衆に警告を齎す者であって
いわゆる予言者とは違う

中には未来を予見してるようなのもあるが
ダニエルは人の夢を当ててその謎解きをしたり、自身も夢や幻覚を見たりしてて
でもそれだけっちゃそれだけなので
夢の解釈なんてどうとでもとれるから信憑性は全くナイし
現代日本の理性的な人間からしたら単に逝っちゃってる危ナイ人だ

だいたいこのダニエル書の成立年代はその当時ではまずナイ
だってガブリエルが「口外するな」と言ってるのに
ダニエルが禁を破ってすぐさま吹聴したってコトはナイワケで(゚*゚;)

研究者によればマカベア書と同じ年代とされてて
マカベア書はまさしくヘレニズム時代のユダヤ年代記なのだからして
そうなると少なくともアレクサンドロスの台頭は知ってて
4国に分かれた、ってコトはディアドコイ争いの中で
まだ終結に及ばなかった頃に4大勢力が争ってるように見えてて
それをダニエルの預言に取り入れたとか?!

それにしてもディアドコイ争いは権力の変遷が細か過ぎるし複雑過ぎるが
そこに登場する武将たちには何の思想も見出せなくて
ある意味単純過ぎるるる~ヽ(゚∀。)ノ