ロマンスとは何ぞや?

愛は甘美な倒錯である

酒のように
ほろ酔いが望ましいが
陶酔も泥酔も
惜しみなく愉しめるのが
若さってモノ

破滅的な恋愛に飛び込むなら
泳ぐ練習より溺れる覚悟が必要

いったい誰に
生涯の忠誠を誓うべきか?

若者の甘やかな苦悩は
ロマンスの香り

Ralph Lauren のフレグランスには
ロマンスてのがあって・・・

トップノート:ライチ、ジンジャー、マリーゴールド、イエローフリージア、カモミールオイル、サンゴッデスローズ
ミドルノート:ナイトブルーミングリリー、白スミレ、ロータスフラワー
ラストノート:オークモス、スキンムスク2000、リッチエキゾチックコンプレックス
タイプ:オードパルファム/レディス

瑞々しい香りを予想できたので
テスターで確認してから買いたいと
常々思ってるも
どこの百貨店にも売ってなくて
ずっと買えずにいたりするw

☆・・・☆・・・☆

さて
【ロマンス】なる語は
すっかり日本語になってて
「(男女の)恋愛に纏わる事件や物語」を
誰もが思い浮かべる

他にも類似の語で
【ロマンチック】とか【ロマン】とか
前者はより乙女風味が強まり
後者は「男の【ロマン】」など
対象が恋愛限定ではなくなったりする

しかしこれらは日本独特の使い方で
何か釈然としナイので
元の語源や世界標準的な正しい意味合いや
どのような経緯で日本に定着したのか
気になって調べた(のは2005年)時のメモ

まず、【ロマンス】の語を
片っ端から辞書でひいてみると
英語と仏語以外には
該当する発音の単語がなく
日本人の解釈に近いのが
英語の【romance】だったので
この語を輸入したのは英語圏からと
推察してたのが確信に変わった

【romance】 [英]
━━n.中世騎士物語,伝奇小説,恋愛[冒険]小説;≪楽≫ロマンス(曲);情話;小説的な事件,ロマンス(love affair);作り話,空想(物語);ロマンチックな雰囲気[気分];(R-)ロマンス語(派).
━━a.(R-)ロマンス語(派)の.
━━vi.作り話をする,空想する((about));求愛する((with)).
→三省堂のエクシード英和辞典より

【romance】 [仏]
━━f.恋愛詩,小詩曲≪楽≫無言歌.
→白水社刊の杉捷夫編新仏和小辞典より

単語の romance が形成されたのは
8世紀以降の中世西欧においてなのは確かだ

ローマ帝国が分裂~崩壊してくと同時に
ローマ人の日常語だったラテン語が
各地でそれぞれ(※)に発展
現在のフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語に至る途上の段階で、まだ「ラテン語の方言」と言った方が似つかわしかったかもだ

それらローマ人の諸言語は総括して
【ロマンス(ロマン)語】と呼ばれたが
複数を指すので【ロマンス諸語】が正しいが
便宜上【ロマンス語】とする

また、発音には地域差があるので
【ロマンス】だったり【ロマン】だったり
語尾の変化は多様だったが
便宜上【ロマンス語】とする

口語はロマンス語へと移行したが
文献は依然としてラテン語で書かれており
ダンテがトスカナ語(ロマンス語の1つ)で
『神曲』を著すまで
殆ど総てラテン語表記だった

そもそもダンテの頃(14世紀)の西欧では
製紙法が広まりつつあっても
印刷術はまだなく
本はとても高価だったので
庶民が手にするコトは稀だったし
手にしたトコロでラテン語では読めず
文芸はとても敷居が高かったのだ!

そんなだからルネサンスまでは
唯一の文芸が聖書だったりしたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

とはいえ
ラテン語の聖書を所持してたとしても
都度、読んでたんでなく
実態は丸暗記してたのだよ。(´д`;)ギャボ

だから「中世文学」てのは
実は口承文学なのだなw

古代ギリシアで
『イリアス』や『オデュッセイア』が
ホメロスの名の下に書物にまとめられるまで
吟遊詩人が連綿と歌い継いできたように

中世の吟遊詩人(※)も
騎士道に名を馳せた英雄の伝承を
文字に綴ったのでなく
ロマンス語で歌ってたのだ
仏語でtroubadour(トゥルバドゥール)、独語でMinnesinger(ミンネジンガー)、英語でBard(バード)

そしてその「中世騎士物語」が
【ロマンス】と呼ばれたが
騎士道を説いてなくとも
「ロマンス語で詠われた物語全般」の意で
広義で使われるようになった
(より精確には
吟遊詩人が歌ったロマンス語は
主に南仏で使われてたプロヴァンス語

ところでどちらも解さナイので
想像しづらいのだが
ロマンス語とラテン語の隔たりは
どの程度だったのだろうか?

上記の辞書からの引用で
【romance】[英]を見てて思ったが
イギリス人からしたら
ローマ人がラテン語に代わって
話すようになった言葉も
その言葉による「中世騎士物語」も
「ローマ人の言葉(で詠われた物語)」で
【ロマンス】だったのかも?!

同じ語圏でも独語では
【romance】の語はなくて
英語や仏語の【ロマンス】の意味に近いのは
Roman と Romanze だった

【Roman】 [独]
━━m.(-s,-e)散文の長篇小説,物語;情話風の;『比』作り話,虚構.
→研究社のポケット独和辞典より

【Romanze】 [独]
━━f.民謡調の物語詩(Balladeと似た詩形式でスペインから起こった);≪楽≫ロマンス(感傷的な性格を持った愛の歌で、美しい旋律を主体としたゆるやかな楽曲).
→研究社のポケット独和辞典より

大雑把に訳せば
文芸の方が Roman で
音楽の方が Romanze だが
この独語の Roman と Romanze にあたるのが
伊語では romanzo と romanza だ
また、独語の Romane(ロマンス語を話す民族)は
伊語の romano(ローマ人)
独語の Romanisch(ロマンス語)は
伊語の romanzo(ロマンス語)だ

【romanzo】 [伊]
━━m.長編小説)作り話.
━━agg.ロマンス語の.
→大学書林のイタリア語小辞典より

【romanza】 [伊]
━━f.≪楽≫ロマンス,華想曲.
→大学書林のイタリア語小辞典より

なぜかイタリアとイギリスとでは
発想が似てるようで
「ロマンス語=ロマンス語で詠われた物語」
なのだな

ティツィアーノの描いた大がらの女性の絵

モーパッサンは
『女の一生』では主人公のジャンヌを
ヴェロネーゼの肖像画の女性に譬えてるが
短編『ロンドリ姉妹』では
一糸纏わぬ姿でベッドで眠る女を
こう表現してる・・・

ティツィアーノの描いた大がらの女性の絵

そもそもティツィアーノが描く女性には
女神含め、貧相で痩せこけたような女はいなくて
大柄の女性が裸で横たわってる絵は
いくつも思い当たるが
著者の意図するのがズバリどれなのか?

正解を確認しようもナイコトだからこそ
自由気ままに推理するのは愉しい

聖水係の男
「冷たいココはいかが!」
脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)
マドモアゼル・フィフィ
ローズ
雨傘
散歩
ロンドリ姉妹
痙攣
持参金

年譜
訳者あとがき

その前にまず
どういうシチュエーションなのかと言えば
登場人物は列車の旅で先刻知り合ったばかりの
フランス男2人組と1人のイタリア女

不機嫌そうにしてる不愛想な女が
男たちとは打ち解けナイままに
宿を共にするコトになるも
ホテルは二部屋しか空きがなかった

一部屋を女に与えてしまうか
どちらかが女と同衾するかの選択肢で
意を決して女に意向を伺うと
女は拒絶せず、また選択もせず
どちらの男でも結構、とな!

男たちは言い争いの後
主人公の男の方が女の部屋へ入ってみれば
女は素っ裸で眠ってた!!

これ、女の意図はどうなんだろう?

その晩の宿を提供してくれる男に対して
お礼のつもりで寝るのだとしたら
「好きにして」の意思表示か?

ただ単に着替えの途中で
眠さに勝てなくなっただけなのか?

ティツィアーノの『ダナエ』は
裸でベッドに横たわってる大柄の女性だが
このエピソードは最高神ゼウスが
純潔を死守するために閉じ込められてるダナエを
さすが雷神だけあって
金の雨になってゴーカンしに行くとゆーモノ

なので、ダナエはゼウスに犯されるのを
待ってたワケではナイのだよヽ(゚∀。)ノ

それでも神に、そして運命に
身を委ねるしかナイ処女の表情は
絶望してるようには見えず

『ロンドリ姉妹』の女も
捨てる神あれば拾う神あり
なんて諺があるが
拾ってくれた男が神でなくとも
運命ならば身を委ねてしまおうと
意を決してたのだとしたら
『ダナエ』とダブらなくもナイ

ただ気になるのは
ポーズが刺激的過ぎる気がw

ティツィアーノが描く横たわる裸婦と言えば
人間でなく女神ではあるが
『ヴィーナス』連作のシリーズもあげておく

1つめは『ヴィーナスとオルガン奏者』

ヴィーナスはオルガン奏者には目もくれず
でもそっぽを向いてはいても
音楽そのものに感じ入ってるよう

ヴィーナスと見詰め合うのは息子のアモル(※)で
しかもプットタイプ(幼児体形)なので
以外にも母親としての情を感じる
※エロス、クピド、キューピッドの別名もある

オルガン奏者のヴィーナスへの欲情は
あからさまに一方通行がゆえに
音に託すしかなく
官能的な音楽を奏でてるのではと
見てる方は今にもその聴こえナイ音色に
情欲を掻き立てられそうな・・・

『ロンドリ姉妹』の女と重ね合わせてみれば
確かに男2人は拒絶こそされなかったが
どちらも選ばれてはおらず
ヴィーナスとオルガン奏者との距離感は
もしかして似てる?

2つめは『ヴィーナスとアドニス』

代わって今度はヴィーナスの方が
アドニスに対して一方的に恋焦がれてる図

狩りの最中のような着衣のアドニスに
裸のヴィーナスが腕を伸ばしてて
タックルをかまそうとしてるように見えるw

またこの絵はよく見ると
奥の方ではアモルが寝こけてて
母親の恋路にだけは関わり合いたくナイ
とでも言わんばかりなのが笑えるが
息子もたじろぐほど恋愛にかまける母親は
現実的には息子を女性不振にしてしまうだろうね

夫を裏切っても平然としてて
バレては不味い相手には嘘を付くのだから
それが女ってモノなんだと認識したら
女性不振にならナイ方が不思議だ

そういう男が女性不振から解放されるには
一途な女性にひたむきに愛され続けるしかナイが
疑念を抱いただけでもその女性に対して
母親と同類と感じてしまったら
そこで一巻の終わりだ

話が逸れてしまったが
『ロンドリ姉妹』の女は先に述べたように
不機嫌そうにしてる不愛想な女でも
実は1度情を交わしたら
このヴィーナスのような激しさで
求めてくるのやも・・・?!

男は好きなのだよ
自身に無関心な美女を陥落するのもだが
積極的な美女に陥落させられるのもw

自分はこの物語を初めて読んだ時は
もしかしてその両方を味わえる
極上の女との出会いの物語かと勘ぐってた^^;

読み進むと予想とは違って
もっと複雑で・・・
そりゃあもう複雑怪奇www

最後にこれが本命と思える『ウルビーノのヴィーナス』

見る者を見返して虜にするこのヴィーナスは
一見してまるで情欲の女神だが
周囲に描かれたモノから察するに
嫁入り支度の整ったお嬢様なのだよ!

夫となる男以外とも既にしたたかに通じてるのか?
あるいは処女の無垢ゆえの奔放な魅力なのか?

『ロンドリ姉妹』の女も
両極端に想像できるくらい謎めいてる点からしても
この『ウルビーノのヴィーナス』を想起させる

ジャンヌの容貌とヴェロネーゼの緑

モーパッサンは『女の一生』の冒頭で
ヒロインのジャンヌの容貌を
次のように表現してる

ヴェロネエズの肖像画を思わせた。

ヴェロネエズはヴェロネーゼ(Veronese)だ

北イタリアのヴェローナ出身故に
ヴェロネーゼと称されるも
本名はPaolo Caliariで
ヴィンチ村出身のレオナルドが
ダ・ヴィンチと呼ばれてるが如くである

ヴェロネーゼの作品と言えば
有名ドコロは『カナの婚礼』とか・・・

自分が好きな『レダと白鳥』とか・・・

しかしヴェロネーゼの肖像画となると
生憎、印象に残ってるモノがナイ

ググってみると・・・この辺りだろうか???

これはヴェネチア女性の肖像なので
恐らく豪商の奥方と見た

フランス貴族の嫁入り前のジャンヌは
ましてや修道院に預けられてたときたら
こんなに恰幅良いはずもなくw

とは言え
ヴェロネーゼの作品はやはり
キリスト教やギリシア神話を主題としたモノが多く
テーマに沿った登場人物が描かれてて
相対的に肖像画は少なく
その中でも若い女性となると
これくらいしか該当するモノが見当たらず

まあ他のちょっと年上だろう女性の肖像画も
面立ちはどれも似通ってるので
当たらずとも遠からずかと思われ

ところでヴェロネーゼと言えば
Vert Veroneseと称する色があって
直訳すれば「ヴェロネーゼの緑」

高級ブランドのHERMESでも
このカラーが取り扱われてて
ファッション・デザイナーのマーク・ジェイコブスが
まさにこのバーキンを持ってた!

くすんだ緑、カーキぽい(てか、カーキ?!)

これより一段トーンが明るいVert Anisだと
全然ヴィヴィッドな印象になって
名だたるバーキン持ちのヴィクトリア・ベッカムが
目に眩しい黄色いコートに合わせてる

そういうワケで
Vert Veroneseがどんな色なのかは判明

今度はそのヴェロネーゼの緑が
いったいどの絵から派生したのか気になって
それらしい緑を用いた印象的な一作品があるかどうか
ググりまくるも該当作品は見当たらず・・・

但し
殆ど総ての作品で複数の人物を描いてて
登場人物1人1人の表情を引き立たせるためにか
背景に木々などを配してても
明るいトーンの緑でなく
アースカラーで描いてるってのはある

よって
まるでヴェロネーゼが背景に好んで使うような緑
なのか?(断言はせずにおくw)

カランダッシュの水彩色鉛筆に
ヴェロネーゼ・グリーンがあった!

水彩色鉛筆だとトーンがだいぶ明るめ!!

どうもヴェロネーゼの緑は
国(あるいは民族もしくは言語)による違いもありそうだw

最後はバルバロ邸のフレスコ画

ヴェロネーゼが手掛けてて
樹木が主役級に描かれてるので
ヴェロネーゼの緑を一通り堪能できるるる~

白百合

白い花と言えば、真っ先に思い浮かぶのは百合だが
日本に自生の白百合となるとテッポウユリ(鉄砲百合)で
学名はLilium longiflorum

テッポウユリ
(上野不忍池付近で7月下旬に撮影)

テッポウユリは花冠筒(花弁の根元の筒部分)が長細くて
横から見ると鉄砲のような形状なのでその名がついたのだろう
ササユリ(笹百合)との比較スケッチがわかりやすい

ササユリとテッポウユリ

ササユリはその名の通り葉が笹に似てるが
学名がLilium japonicumでまさしく日本原産だ

稀に白百合(アルビノ)も存在するが
花弁が淡いピンク色で花粉は赤褐色がデフォなので
ササユリの原産地である四国・九州辺りでは
もしかしたら百合のイメージはピンクなのかもしれナイ?!

いや、鹿の子百合とか・・・

鬼百合とか・・・

山百合だってベースは白だけど
毒々しいほどの斑点模様があるるる~

百合が白いってイメージを植えつけられたのは
自分の場合は間違いなくキリスト教の受胎告知図だろうて

マリアが神の子を宿したコトを
大天使ガブリエルが告げに来る際に手にしてるのが
純潔の証しの白百合なのだよ
以下のガブリエル画像コレクションを参照してくれたまえw

バプテスマのヨハネ / 大天使 / 大天使ガブリエルとの出会い

ところでこれはダヴィンチの描いた百合のデッサンで
彼の潔癖なまでの精密さからしたら
現物と寸分違わずに描かれてるのだと断言できるが
自分には一見して百合の花と断定しづらい

いかんせん、葉が日本の百合にはナイ形で
花弁も短かめで巻きが甘いカンジ?
これはwikiの日本語版にはなかったが他言語版ではあった

英語でMadonna Lily、学名はLilium candidumで、和名はニワシロユリだ
このwikiページには数枚の写真がアップされてるが
その中の1枚のキャプションにShoshan(ショーシャーン)とあった!
ショーシャーンとかシューシャーンてのは
ヘブライ語で百合の意だ(と、『聖書植物大辞典』、『聖書象徴事典』にあった)!!

聖書植物大事典聖書象徴事典

なぜ覚えてたのかと言えば
古代ペルシアの都スーサもヘブライ語ではシューシャーンとなり
語源が百合と同じだとされてるからだが
このスサの王が『古事記』に出てくる「スサノオ」で
スサノオの別名スメラミコトは「スメラ(シュメール)の神」で
日本人のルーツが実は・・・って話に繋がるるる~

と、話が逸れた、白百合のルーツだったw
小石川後楽園の庭内のそこかしこに咲いてる白百合が
台湾固有種のタカサゴユリ(高砂百合)と知って驚愕したのは数年前のコトだ

タカサゴユリ
(小石川後楽園で8月中旬に撮影)

それとゆーのも小学生の頃に図鑑でテッポウユリとの違いを調べたら
タカサゴユリには花冠筒に薄紅色の筋が入ってる、とあったので
筋がナイ=テッポウユリ、と固く信じてたのだった(-_-;)

これがアルビノだったりで筋はなくとも
葉の形状(細い葉)でタカサゴユリであるのは明らかだったのだ。(´д`;)ギャボ
ちなみに学名はLilium formosanum

タカサゴユリ
(都市センターホテルで8月上旬に撮影)

そうと知って以来、よく注意して見てみれば
都心で見かける白百合は殆どがタカサゴユリなのだった。(゚д゚lll)ギャボ

タカサゴユリ
タカサゴユリ
タカサゴユリ

紅百合

上野の東京都美術館のウフィツィ美術館展
ボッティチェリの『パラスとケンタウロス』を観に行ったが
他にも数点めぼしいモノがあったので
それらについても書き留めておく

が、その前に
メインの『パラスとケンタウロス』について
昨日書いた記事[パラスとケンタウロス]の追記を

図録を買ってきて解説を読んでたら
目録では以下のようなタイトルもつけられてたそうだ

古い順にまず『カミラとサテュロス』とな(゚ ゚;)???
カミラって名とこの武装からしたら
ウェルギリウスの『アエネイス』に出てくるアマゾネスか?!
いや、でもこれ、サテュロスは違うね
下半身が馬ではなくってよ。(´д`;)ギャボ

アエネーイス

次の『二人の人物像の大きな絵画』って・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
これまた随分とテキトーなw
ケンタウロスがどうしたら人物に見えたんだwww

そして『ミネルヴァとケンタウロス』となるワケだが
こうしてこれまでの変遷を考慮したればこそ
この女がパラス・アテネかどうかは疑わしくなった
とはいえ、それなら誰なのかはいくら考えてもわからん。(゚д゚lll)ギャボ

ボッティチェリよ、魅力的な謎をありがとう!

そしてボッティチェリのもう1つの秀作があった

『聖母子、洗礼者聖ヨハネ、大天使ミカエルとガブリエル』だ
これはもう見た瞬間に誰がどれだがすぐわかるように
アトリビュート(特定の持ち物)を携えてる

剣を持つミカエルと十字の杖を持つヨハネ
そして百合の花を持つガブリエル

それにしてもこの絵(トンド)は初めて見た!
ググっても引っかからなかったからネット上にはナイ?
としたら、もしかしてこれが1番の収穫だったんだろうか?!
このガブリエル、表情もレアだし、なんと美しい・・・ホゥ(*-∀-)

次のもボッティチェリで聖母子像だが
この天使がカメラ目線(?)でカワ゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
巻き毛も愛らしくて好みのタイプの美少年だなあ♪

ここまでの3枚のボッティチェリのポストカードがあったら
それらを買って帰る、か、なかったら図録を買おう、と決意した

で、結論から言えば、図録購入した
さすがにケンタウロスのはグッズも色々あったけど
残念ながらトンドの聖母子像のポストカードはなかったし
3枚目の聖母子像はポストカードがあったものの
聖母子像がクローズアップされてて美少年天使がちょん切れてたりで
納得行かなくてそれは買わず・・・

他にはこのラファエルとトビトも
足元の子犬が可愛かったんで気に入った

これは人物でなくて
フィレンツェの紅百合の紋章が目に留まった

そう、フィレンツェの百合の紋章は紅いはずなのに
売ってたトートバッグは白百合だったりしてヽ(゚∀。)ノ

まあ買ったけどね~

パラスとケンタウロス

3連休は雨模様らすぃと予想されてたので
土曜日の夜のバイト以外には外出予定は入れずに
手芸三昧できたら゚+.(・∀・)゚+.゚イイなと思ってたが
日曜日は思いの外晴れたのと
ダンナが二日酔いで寝たきりなのを好都合に
チャリンコで上野の東京都美術館まで行って来た

とゆーのもウフィツィ美術館展をやってて
今回の目玉はボッティチェリの『パラスとケンタウロス』で
ケンタウロスが好きな自分にはこれだけでも観に行く意義があったのだ

それにしてもケンタウロスとパラスとは変な組み合わせだ
パラスとはギリシアで言うアテナ、ローマで言うミネルウァの別名だが
この知恵と闘いの女神がケンタウロスと対峙してるシーンは
ギリシア・ローマ神話には記述がなく
ボッティチェリがいったい何を描きたかったのか
もしくは依頼主がどういう趣旨でこんな絵を描かせたのか
様々な憶測が飛び交ってるが自分には決定的と思われるモノはナイ

それに専門家らの概ねの見解にありがちな
悪のケンタウロスが善のパラス・アテナに懲らしめられてる
なんて単純な図式を当て嵌めたかったら
何の係わりもナイこの2人をわざわざ描きはしナイだろうに
ましてやケンタウロスが肉欲の象徴なら
アトリビュート(象徴的な持ち物)が弓矢であるのも腑に落ちナイ
そう、専門家らの解釈に沿うならば、例えば
シュリンクス(パン・フルート)を吹くサテュロスに向かって
弓矢を構える処女女神アルテミスならわかりやすい

あれこれ考えを巡らせながら
遂に本物の大きな絵の前に立った瞬間
ケンタウロスの繊細な表情には憂いが読み取れたが
それはパラス・アテナに懲らしめられてるからではなく
もっと深い悲しみに沈んでるようだった
確かにパラス・アテナはケンタウロスの髪をつかんではいるが
いかんせん懲らしめてるようには見えなかったのだ

そして2人の間にある一艘の船の存在に気付いてみると
アキレウスの命運がトロイ戦争で尽きたのを嘆くケイロン(※)と
諦めを諭すパラス・アテナに見えてきた
この辺りの詳しい事情は[アキレウスとケイロン]参照

パラス・アテナはトロイの守り神として
そのパラディオン(神像)がトロイ建国時に神殿に祀られたが
これがある限りトロイは不落であるとされてたので
例の木馬作戦を実行する前にオデュッセウスらが盗み出した

パラディオンがギリシア陣営にあって
トロイの守護を放棄せざるを得なくなったパラス・アテナは
地理的には遠く離れてはいたが
アキレウスの訃報(※)に悲嘆にくれるケイロンと
お互いに守り育てた大切なモノを失う
その喪失感を共有してるのを感じて通じ合った
そんな図に思えてきた・・・
映画によってはトロイの木馬にアキレウスも参加してるが、知り得る限りの文献ではとっくに死んでて
アキレウスの代わりに息子のネオプトレモスが戦地に赴き、トロイの王を討ったのはこのネオプトレモスとされてる

人の子を育てた獣神であるケイロンと
人々の営みを育んできた女神であるパラス・アテナ

と、ここまでが頭の中で一気に展開して
何かが怒涛のように押し寄せてきて魂がスパークした
時間軸と空間を結ぶ点から存在が解き放たれると
現実や真実や事実より真意の重みを感じる

絵の前にいたのはほんの1分程だろうが
時空を超えて魂が旅をしてた
こういう感覚をまさにトリップと言うのだろう

薬物などでこの感覚を得てる人が
抜けられなくなるのはわかる、確かに爽快だ・・・
なので、この感覚を呼び覚ますモノでなければ
芸術として完成されてるとは自分には認められナイのだ

そんなだから、あとは数点しか
自分にとって有用な作品がなかったので
まあいつものコトだが15分ほどで会場を後にしたヽ(゚∀。)ノ

帰路、冷静になって考え直してみれば
ケイロンとパラス・アテナが手塩にかけた対象を
無慈悲に奪い去ったトロイ戦争が
開戦に及んだきっかけとなった大元の原因はと言えば
3柱の女神らの誰が1番美しいかの諍いで
その女神の内の1柱は誰あろうパラス・アテナだったし
戦争での勝利を約束するコトで審判を買収しようとさえした

とすると、パリスの審判でパラス・アテナが選ばれてたら
トロイは滅亡しなかったのだろうか?

九十三年

ヴィクトール・ユゴーの『93年』を読み返しながら
アキレウスとケイロンに想いを馳せる

秋の夜長・・・

A Dog of Flanders

『フランダースの犬』でネロが最期に垣間見た絵画が
ルーベンスの作品であったコトから
日本でもその名はワリと知られてる気はしてたが
それにしたって予想外に混雑してたルーベンス展だった

ルーベンス展

ルーベンスの作風自体は
自分にとっては可もなく不可もなくといったトコロだが
肖像画でもナイ限りは顔がぐちゃついてるので
モノによっては無表情なのが気色悪く感じてしまう

Peter Paul Rubens: The Life of Achilles

なので、トロイ戦争ヲタの腐女子としては
アキレウス連作(※)で女装のアキレウスを描いてるのを知って
それだけのために画集の購入を検討したコトもあるが
大枚はたいて顔がぐちゃついてるとショックなので
結局は買わなかった(今はネットでタダで観れるから正解だな!)
タペストリー制作のための8点の下絵で、アキレウスの生涯の8つの場面が描かれてる

女装のアキレウス

今回はアキレウス連作の中からは
『ヘクトルを打ち倒すアキレス』だけがあって
日本初公開ってコトで間近で拝み見たが
アキレウスはすっとぼけた顔してて
へパイストスが作ったはずの甲冑も今1つ地味だし
ヘクトルも勇猛果敢な王子ってより、聖人のジーサンみたいだった

まあそれはある意味、予想通りだったのだが
意外と頭上を飛来してるアテナ(ミネルウァ)とフクロウが
主役の2人よりは見応えがあったので収穫ありかな?
特にフクロウはぎこちナイ飛び方なのがワロタw

ローマ建国伝説 ロムルスとレムスの物語 (講談社学術文庫)ローマ建国の英雄たち―神話から歴史へ

ローマ建国神話を描いた『ロムルスとレムスの発見』は
狼好きの自分には最も期待が高い作品だったが
毛並みの艶感なども見事に描かれてた
この展覧会のフライヤーにも使われてるのも納得だ

惜しむらくはデフォルメ過多にせず
双子の赤ん坊を小さく(てか現実的な比率で)描いて
狼に憐憫の情を募らせた方がぐっときたが
そうはしナイからバロックなのかね、さもありなんヽ(゚∀。)ノ

この作品のモティーフとしたルーブル所蔵の彫刻については
ルーブルのサイトには画像はナイが詳細はあるるる~

あとティツィアーノの『毛皮をまとった婦人像』の模写だが
ティツィアーノの描く人物(神含む)は皆
その表情の深さに魅力があるが
特に女性は裸婦であっても高潔な人柄を感じられて
見た目以上に魂の美しさに惹かれるるる~

それを模写したルーベンスの作品は悪くはナイが
ティツィアーノファンからすれば
いかんせん、面差しの高貴さが格段に違うように感じてしまう
肖像画なので顔の表情がはっきりしてるのだが
よく言えば、ルーベンスのは少女らしさが漂ってるので
確かに無垢な清らかさはあるるる~

つまり、どちらが徳の高い女かは一目瞭然だ

ティツィア-ノ Titian NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)

以上、3作品はどれも本邦初公開だったワケだが
それは目にするのがもれなく初めてってか
むしろもう2度と本物を観る機会はナイモノなのだろう

他の作品はなるほどルーベンスだったとしか言いようがナイ
憐憫の情に訴えて素直に感動させるより
大袈裟さで圧倒して信仰心を煽る
そんなカンジだな、宗教画としては優れてるのは間違いナイ

世界名作劇場 フランダースの犬 1000ピース 憧れの絵 1000-342

ところでアニメの『フランダースの犬』のネロが
死に際にアントワープ大聖堂で観たのは『被昇天の聖母』で
そこに描かれたマリアと同じように天に召されてったと記憶してた
アマゾンにそのシーンをパズルにしたのを売ってるが
やはりどう見てもマリアだ

キリストの降架

ルーベンス展では『フランダースの犬』グッズも売ってたが
展示物には『被昇天の聖母』はなく
単に日本人にルーベンス=ネロとすりこみされてるからかと呆れつつ
自分もちゃっかりパトラッシュのクリアケース購入したったw

しかし帰宅してからサイトを確認すると
展示されてた『キリストの降架』の版画について
以下のような解説があった

アントワープ大聖堂にある、有名な三連祭壇画の中央画面を、フォルステルマンが、ルーベンスの監督下に版刻した作品です。


ググってみるとアントワープ大聖堂にあるのは
『十字架上のキリスト(The raising of the cross)』
『キリストの昇天(The resurrection of Christ)』
『キリストの降架(The descent from the cross)』
『被昇天の聖母(The assumption of the Virgin)』
これら4つの絵で『被昇天の聖母』以外は三連の祭壇画であった

原作を読んだコトがなかったので
ちょっと読んでみたくなって青空文庫で探してみたら
なんと菊池寛訳のがあったので早速ダウンロード

菊池寛は『真珠夫人』しか読んだコトナイが
あれは日本版ピューリタン文学ってか、主人公の瑠璃子が強烈で
非常に面白い作品だった・・・何度も読み返した
瑠璃子以上に種彦のキャラが立ってて悶絶死しそうに好きだ(;つД`)
『白痴』のムイシュキンを髣髴とさせるのだよ。・゚・(ノД`)・゚・。

パトラッシュ

犬のように無垢な魂を持つ愛らしい人を
無碍にできる人の方が不思議だが
なぜか、世間にはそんな人が多いのが現実だ・・・やんぬるかな

そして今朝、菊池寛訳『フランダースの犬』を一気読みして
涙が止まらなくなって困ったが
とりあえずネロが観たかった絵は原作では
『キリストの昇天』と『十字架上のキリスト』だった

ダンテとウェルギリウス

ダンテの『神曲』でウェルギリウスが案内役なのは
『神曲』を書き始める段階で候補者の中から選んだのではなく
最初から決まってたに違いナイ、と思うのは
若い頃に書いた『新生』第25章において自身の詩作の意義が語られてるが
ここで例として既にウェルギリウスの名が筆頭に挙げられてるからだ

「アエネーイス」ローマ建国神話

ウェルギリウスといえば『牧歌』『農耕詩』『アエネーイス』だ
参考までに『牧歌』と『農耕詩』は西洋古典叢書に1冊に収録されてて
『アエネーイス』は今では数種類の訳で出てるが
韻文訳の語調の小気味よさや解説の充実度、そして値段の安さとで
オススメは岩波文庫の泉井久之助訳だ

『アエネーイス』はトロイ戦争において若者アエネーアース(※)が
トロイ王家(分家)の唯一の生き残りとして
漂流の末にイタリアに辿り着いて
王となってその子孫がローマを建国し
更にその血筋のカエサル(シーザー)やアウグストゥスが帝政ローマを築いた
とゆーギリシア神話を引き継いだローマ建国の物語でフィクションだ
読み方はWikiに準じた

古代ギリシアの先達に倣って、先祖に神のいる血筋を
悪く言えば捏造した、よく言えば辻褄が合うように編纂したのだが
ホメロスの『イリアス』に出てきたアエネーアースは
カエサルが自らをアエネーアースの末裔と主張する以前に
元々ラティウムで伝承されてたローマ建国伝説と融合させたぽい

編纂されたのはアウグストゥスの時代で
このウェルギリウスの『アエネーイス』以外にも
オウィディウスの『変身物語』などがある

自分の好みとしては『変身物語』だし
他の著作もオウィディウスの方が読みやすいし面白いが
『アエネーイス』はラテン文学の最高峰として
必読の古典だ!!(と思ってるのは自分とダンテだけ?)

ウェルギリウスはダンテにとって神のような存在だったが
当のウェルギリウスにしてみれば、それはホメロスだったようで
ホメロスを超えられなかった、と思い込んでたのだろうか?
『アエネーイス』が完成したコトを自ら認めずに

死後に火中に投じるように

などと遺言してたりする(遺言が実行されなくて現存してるるる~)

ホメロスを意識してのコトなのかどうか
第7巻の戦いの火蓋が切って落とされるトコロで物語は分割できるが
前半は『オデュッセイア』の如き冒険(漂流)譚で
後半は『イリアス』の如き戦記だ

長さもホメロス級で1万行以上(全12巻)に及ぶが
それでいて甚だしくも第1巻から
アエネーアースが築いた王国や子孫がどうなったか
またその後どうやってローマが建国されて
それがカエサルやアウグストゥスに至るのかが
既に【予言】として出てくるのである。(´д`;)ギャボ

つまり最初に結末がわかってしまってから、残り11巻・・・バタリ ゙〓■●゙

しかもその結末には程遠く全く辿り着かず
敵の大将が死ぬ場面でいきなり終わってしまうので
【予言】されてた事象は【予言】のままに幕切れとなってる。(゚д゚lll)ギャボ

ネタバレとかに神経使って生きてる輩には想像を絶する構成だが
ホラティウスの『詩論』Ab ovo.(卵から始める)てのがあるが
それこそトロイ戦争ならまだしも
ローマ建国の話がレダの卵から始まってもw

トロイでのアエネーアースには子も生した妻がいたが死に別れ
最終的にはラウィーニアを娶ってその地の王となるが
その間に恋に落ちたのはカルタゴの女王ディドで
アエネーアースとディドの愛憎劇はある意味1番のクライマックスだが
このディドとのエピソードが『アエネーイス』の最初にあるのだ

そりゃあアエネーアースにはトロイ再興の目的があり
そのためにそれが適う相手(ラウィーニア)と結婚したワケで
自分にはどうも政治的野心を持ってる人間は胡散臭く感じてしまうが
ダンテは妄想の中では恋愛第一主義のようでいて
現実では政治的野心を持ってたから、案外その辺も共感できるのかな?

『神曲』の筋立ては
神話・伝説上の人物や怪物と歴史上の人物が冥界においてどうなってるか
ダンテが確認しつつ冥界を巡る、とゆーモノだが
それらの人物はダンテの信仰と政治理念によって裁かれてて
裏を返せば、ダンテの信仰と政治理念を表現するために引き合いに出されたのだが
裁いたダンテ自身も公的には罪人であるトコロがおもしろいヽ(゚∀。)ノ

聖人は自身の悪しき部分を
傍から見たらたいしたコトなくても嘆き悲しむモノだが
少し狂人めいたくらいの極悪人ともなると過去の悪事や罪状を
もれなく自慢したりするモノである

どちらの場合も善悪の切り分けがはっきりしてて迷いがナイから
自身に対する省察が良くできてるのだが
ダンテのような平均的善人でも野心によって中途半端な罪人になったってのは
なんとか自身を社会的に正当化しようとしてもがくからこそ
葛藤や苦悩が多いのだろうか。(´д`;)ギャボ

それで『神曲』の出だしでは暗闇の森で迷ってるのだが
だからガイドはアエネーアースではなくウェルギリウスなのか。(゚д゚lll)ギャボ

野心家アエネーアースを描ききった詩人のウェルギリウス・・・

『新生』と『神曲』

ダンテの『神曲』を読めば
ロマンティストでフェミニストで信心深いダンテによって
永遠の女性であるベアトリーチェが
すっかり神格化されてしまってるのはわかるが
ダンテの『神曲』を読んだだけでは
ベアトリーチェにはそれ以上の存在意義を見出せナイだろう

言いたいコトはだ、詩人はダンテに限らず
とかく愛する女性を女神として大仰に称えたがるものだが
いくらダンテが壮大なスケールで冥界を描いて
その中でベアトリーチェに天女の役をあてがってても
実のところ、単にダンテにとっての永遠の女性でしかなかったのではナイか?!
と、不信感を抱かずにはいられナイ(-_-;)

つまりダンテがベアトリーチェをどれほど愛し抜いたかには感動できるが
ベアトリーチェの人となりが天女として納得行くものかどうかは
むしろ「恋は盲目」であるだけに疑わしいw

美人ならそれだけで確かに女神のような存在ではあるが
死後の世界のしきたりとしては生前に美人だったからではなく
生前の行為如何で地獄に落ちるか煉獄に送り込まれるか決定する

ましてや生前に偉大だった他の登場人物たちが
ダンテによって裁かれて冥界では酷い目に遭ってたりするので
そういう人々と比してベアトリーチェの何(何処)が
至高天に到達できるほどに優れていたのか
自分のようにダンテに負けず劣らずの妄想癖の(キモ)ヲタとしては
ベアトリーチェの実像に興味津々なのである

『神曲』では既に天界にいて、実在したかも不確かなベアトリーチェだが
どれほど素晴らしい行いをした人物だったのか
あるいは第三者から見たらたいしたコトなかったとしても
ダンテが生涯想い続けるようなどんなエピソードが2人の間にあったのか
生前のベアトリーチェを知りたい、と思うのは自分だけではナイはず

それなのに『新生』はずっと絶版状態だった・・・バタリ ゙〓■●゙

La vita nuova (Penguin Classics)

ダンテの『新生』を読めば
後にダンテが『神曲』を著す際に原動力となったのが
永遠の女性ベアトリーチェの存在そのものだったコトが伺える
てか、『神曲』に表現された世界(冥界)観は
ダンテがベアトリーチェを永遠の女性とするために構築したのだろう

『新生』でベアトリーチェは
妄想キモヲタダンテに愛される、てよりは、崇拝されてるのだが
それとゆーのも美女には縁がなさそうなダンテに対して
神々しいまでに美しいベアトリーチェはなんと会釈をしてくれたからだ!

ヲタ的にはそういう時の境地が凄くよくわかるのだが
まるで「神に存在を認められた」如くの歓喜が全身にほとばしるのだよ!!

ダンテのキモヲタ告白で自ら語ってる通り
若きダンテに至福を齎したベアトリーチェの会釈は
実は会釈をしてはいなかったとしても
一般人を自負してるってだけの人間が集団心理に訴えて
少し毛色の違う人間に対して嘲笑するコトで悦に入るような
残忍な移ろい易さは微塵も持ってなかったので
その視線にダンテは「神」と同等の価値を見出したのではなかろうか?

いや、神は無慈悲だから、同等でなくそれ以上かも知れナイ

そして『新生』を読んでて気づいたのが
『新生』を『神曲』にまで昇華させるに至ったのはベアトリーチェだが
そのきっかけを与えたのは【窓辺の婦人】なのでは、てコトだ

【窓辺の婦人】はベアトリーチェ亡き後に代わって登場する女性で
その解釈は様々だ

後にダンテの妻になったジェンマ・ドナーティである、とか
ベアトリーチェでもジェンマでもナイ全く別の女性(達)である、とか
もっと象徴的な存在でベアトリーチェを【神学】の頂点におくなら
それに対して【哲学】を意味してる、など諸説あるが
実在したが幻影のようだったベアトリーチェの存在に比して
それが実際に亡くなってしまった後に現れたのだから
(未だ)実在はしナイが現実の中に見出せる存在、見出さなければならナイ存在で
先に挙げた3つの解釈はある意味どれも当て嵌まり
要するに妄想世界から逸脱して現実と向き合うためのきっかけを
それがはっきりと何かはわからなかったがダンテは探してたのだと思うのだ!

それまでのダンテの行動と照らし合わせるとわかりやすいが
要するに現実で思う通りに行かずに
泣いて、部屋に引き篭もっては幻影を見て、妄想世界に浸って詩作をしてたのが
外から窓辺にいる婦人を見たのだ!!

その後は政治家として立派に務め、結婚して子供も儲け
しばらく妄想世界から遠ざかってた【リア充】ダンテだったが
政局混迷の渦中で追放の憂き目に遭い(事実ダンテは罪人であった)
現実に裏切られたコトで再び妄想世界に引き篭もり
『神曲』が著されたのだった

ダンテが若き日に妄想キモヲタでなかったら
『新生』は書かれてなかったが
ダンテが【リア充】ダンテのまま年老いてたら
おそらく『神曲』が書かれてなかった

ダンテの『新生』における【愛】の存在

『新生』においてダンテが見る幻影の特徴は【愛】が擬人化されるコトだが
例えば「旅人の姿」とか具体的な装束で現れ
その時点のダンテの心情を表してる

そして先述のような【愛】の儀式(?)を執り行ったり
ダンテの恋愛の行く末を示唆したりするのだが
その指し示す方向がどうもとんちんかんにしか思えナイ(-_-;)

まあ既にダンテの想いがフツーの恋愛からズレまくってるんだから
ダンテの見る幻影=ダンテの妄想、なのでしょうがナイのだが。(´д`;)ギャボ

そんなだからこの【愛】は
ダンテがベアトリーチェを想い続けるためにこそ
その想いが周囲にバレナイように他の女性を想ってるように見せかけろ
などと手の込んだ提案をしたりするのだが
フツーの恋愛観からすれば
叶わずとも永遠の女性であるベアトリーチェをひたすら想え
と勧めるだろうに・・・ズレてるなあ(苦笑)

Vita Nuova (Oneworld Classics)

そしてその偽装が真実だとして人々の噂にのぼるようになり
ベアトリーチェの耳にも入った時に
またしてもベアトリーチェと行き交うのだが
この際にダンテの唯一の楽しみであった会釈をされなかったヽ(゚∀。)ノ

ショックを受けたダンテは泣きながら帰宅して部屋に引き篭もり

鞭で打たれた少年のように泣きじゃくりながら眠りこんでしまった。

眠りに付いた後はお決まりの幻影劇場が始まり
【愛】が現れて、今度は偽装をやめるように諭す・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

【愛】はダンテにおおよそ次のようなコトを言う

「ベアトリーチェとは9歳の時に出会ってて
その時からダンテは長きに渡って彼女のモノなのであるから
それを彼女に証明すればわかってくれるはず
でもそれを彼女に直接訴えたりせずに詩で表現せよ」

出会っただけで彼女のモノってのもおかしいが
それ(9歳の時に会ったコト)を証明できたトコロで
ベアトリーチェも何もわかってやれナイだろうに。(´д`;)ギャボ

その後、ダンテは友人と連れ立って参加したパーティーで
思いがけずベアトリーチェに会うのだが
ダンテは意識し過ぎて彼女の前ですっかりあがってしまって
そのサマが誰の目にも明らかなほどだったので
その場にいた女性たちに嘲笑されるるる~

しかしこの時もこれといって
ダンテがベアトリーチェと言葉を交わしたなどの記述はなく
一方的にダンテがベアトリーチェを見てぼ~っとなってただけのようだが
その時のダンテの様子が女性たちの嘲笑を誘うほどだったってのは
ダンテは決して゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男ではなかったって以上に
社交的な場において歴然とブサメンと認知されてたに違いナイ(-人-;)

ほかの婦人たちと私の容貌をあざけりつつ淑女よ、汝の美しさを眺めるときに私の姿がかくも奇妙に変わるのがなんの原因(ため)であるか考えてもみない、(後略)

ダンテのルックスを嘲笑してたのはベアトリーチェもだったらしいw
傷ついたダンテはその場を逃げるように去り帰宅して
泣く→眠る→幻影劇場→詩作、といつものパターンになったが
上記の詩は今回の失態(?)について
自分に非はなくベアトリーチェがわかってくれてナイだけだp(-_-+)q
などと嘆いてたりするヽ(゚∀。)ノ

以降しばらくは妄想しては詩作に励んでいたダンテだったが
ある日、嘲笑してた婦人たちと出くわしてしまい
傷口に塩を塗り込まれるような惨めな事態に陥らされてしまう

「ベアトリーチェにストーカーしてんの、チョ~迷惑~!ウザイ~!!」
てなカンジに婦人たちに非難されるのだ

更にかわいそうにダンテはキモヲタであるコトを自ら告白させられる破目に・・・

私の愛の目的は、彼女の会釈なのでした、おそらくみなさんもそれを了解されたことと思います。彼女の会釈のなかには、私のすべての願望の目的である福(さいわい)がやどっていたのです。だが、彼女がそれを私に与えるのを拒んだので、私の主『愛』は、そのお恵みによって、私のすべての福をそれぞれがけっして失われることのない場所に置いたのです。

婦人たちはこのダンテの言葉に騒然となったが
そりゃあキモヲタにしたって完全に逝っちゃってる系だから、ビビるってばw
ダンテの時代(ルネサンス期)のフィレンツェでも現代日本でも
こんな台詞を公然と生真面目に吐くようなキモヲタは
女子をドン引きさせるだけでなく、すっかり怖がらせてしまうよな(-_-;)
この場にいた女子は自身がベアトリーチェでなかったコトに
ほっと胸を撫で下ろさずにはいられなかっただろう

それにしてもこれでダンテも再起不能かと思いきや
今度はソネット(短い詩)でなくカンツォーネ(長い詩)を書き出す

人間は逆境をバネにして
それを乗り越えるたびに強くなるものだし
芸術家は苦悩を素材にして
それを表現できれば作品にまとまるワケだが
どうやらダンテは打たれ強いらしい?!