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rebours

ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサントは
自分にとって理想の相手の妄想対象なので
その趣味を分かち合いたいと切に願ってしまう

デ・ゼッサントはLINK先にあるような特殊な装丁の書物を蒐集してたようだが
そうでなくとも装丁の美しい神秘的な本には魅力を感じて
買うのは無理でもせめて現物を拝みたくなる
LINK:[『さかしま』-デ・ゼッサントの好んだ本]

しかし現代日本においてはデ・ゼッサントのコレクションのレベルはもちろんだが
なかなか装丁の凝った本にはお目にかかれナイ

それが2008年の4月にティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』を観に行って
偶然にも目にしたのがメディチ家の所蔵の
大プリニウスの『博物誌』とオウィディウスの『変身物語』だった

そうとわかった瞬間には目当ての絵以上に興奮したが
『博物誌』がポストカードになってたのには泣けた。・゚・(ノД`)・゚・。

デ・ゼッサントが読んでたラテン文学はこんなかな・・・ホゥ(*-∀-)

尤もデ・ゼッサントは大プリニウスもオウィディウスも貶してるがね。(゚д゚lll)ギャボ
てか、ラテン文学の殆どをこきおろしてるのだがw

そんなワケでユングの『赤の書』の現物を見たくなったのは
その体裁に惹かれてだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

赤の書 ―The“Red Book”

バカでかくて
目も眩むような真っ赤!
尋常ではナイ!!

実はその時までユングの著作など読んだコトはなく
学生時代に週に1度の心理学の授業を1年間受けてただけで
ユングも心理学も一般常識以上には知らナイし
特別な想い入れはもちろんだがほとんど興味はなかったのだヽ(゚∀。)ノ

それがまるでデ・ゼッサントだったら買っておきそうな本だったので
とにかく手にとって実感したかったのだ

ググってみれば内容の方もイラストが想像以上に鮮烈だったし
何よりもカリグラフィーで綴られたテキストページが
ルネサンス期のラテン文学の本を髣髴とさせるるる~(『博物誌』画像参照)

しかし『赤の書』はいかんせん大き過ぎるし=重過ぎるので
実際に腺病質のデ・ゼッサントが読むのにはどうかとも思ったがね(苦笑)
てか読む以前の問題なのだよ
本棚から出し入れするだけでも4kg以上もある本は無理っつ。(´д`;)ギャボ

そして自分の場合は置き場所が無理っつ・・・バタリ ゙〓■●゙

とりあえず現物を手にとって『赤の書』がどんなモノか納得できたので満足して
むしろユングのフツーの本を読んでみたくなってきたが
思い起こせば確かとーちゃんの本棚に数冊あったはず・・・

1ヵ月後にちょうど夏休みで遊びに行ったので本の発掘作業してたら
『ユング自伝』と『現代人のたましい』を発見!
これらを借りてって『ユング自伝』読み始めたら思い出した!!

以前にも読み始めで怖くなって止めたのを・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

何が怖かったかってその時は漠として不明瞭だったが
何かに自分の根源的な部分をばくばくたべられてしまうようなカンジがした

今にして思えば洗脳されそうな恐怖だったのだろう
キリスト教にw

今では宗教に洗脳されるほどヤワではナイ自分が確立されてるので
あえてキリスト者を理解する上では有効な本だと思えるし
定番ってカンジの『哲学の木』と気になってた『ヨブへの答え』も購入して読んだので
キリスト教を深く理解するのにとても役にたった(-人-;)

人間同士の出会いもそういうのってあるよな
こっちがまだできてなくて勝手に萎縮しちゃって苦手意識持って
コンプレックスを克服してからその苦手だった人に会うと
お互いに受け容れられなかったとしても別になんてコトはなく話くらいできる

キリスト教の残忍さや狡猾さや図々しさが江戸っ子には耐え難い

最終的にはそれだけのコトなのだが
だからって別にローマ法王にケンカ売る必要なんてナイだろうし
自分の意識の中では自分が世界の中心だが
現実の世界では自分などは世界に全く認識されてナイ存在なのだ

ユングを読んでそんな結論に至る人は他にいるだろうか(-_-;)

そうこうしてるうちに今度はユングの豪華本が出るのだが
それが『ヴィジョン・セミナー』だ

ヴィジョン・セミナー

それにしても心理学者ってのは哲学者より更に変人だな・・・

renaissance

1965年発行の筑摩世界文学大系の『ルネサンス文学集』(※)を月報附きで入手したが
さすが【筑摩書房】ってカンジの充実した内容だった
LINK:『筑摩世界文学大系【74】ルネサンス文学集』

ちなみにルネサンス文学の先駆けとなったダンテはこれとは別に
『新生』と『神曲』が6巻に収められてるので
上記の『ルネサンス文学集』にナイのはいたしかたナイ
LINK:『筑摩世界文学大系【6】ダンテ』

そのダンテの『神曲』に対して『人曲』と称されたのが
ボッカッチョの『デカメロン』だが
欲を言えばこれであと『デカメロン』が入ってたら、と思った

デカメロン物語 (現代教養文庫 (663))

『デカメロン』は日本ではなぜか様々な訳で読み比べられるほど出版されまくってて
入手困難になる心配は皆無であえて筑摩世界文学大系になくても゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

そして『デカメロン(十日物語)』はなくとも
影響を受けたであろう『エプタメロン(七日物語)』の抄訳がある
これを別途購入するコトもナイと思うからちょーど゚+.(・∀・)゚+.゚イイ♪

ワーグナーやゲーテにも称えられた靴職人ザックスによる劇作や
逆によく酷評を目にするロンサールのベタな恋愛詩や
カルヴァンやカステリヨンといった確執する僧侶たちの論文など
ルネサンスを知る上で是非とも読んでみたい!
が、わざわざ大枚はたいて入手するコトもナイような小品が
まとめて収められてるのは本トにありがたい(-人-;)

また「フランス・ルネサンス名詩選」では
訳注にペトラルカの影響度合いが詳細に記されてるのが嬉しい!
ペトラルカがルネサンスを代表する詩人となったのは
この「カンツォニエーレ詩抄」の形式を真似る者が続出したからで
でもそんなのは訳を見たトコロでわかるワケもなく
もちろん原文は読めナイワケで・・・p(-_-+)q
そのジレンマを解消してくれる素晴らしい作りだ!!

それにしても個人的には
岩波文庫で所持してたモノがダブってしまって困惑してる
だからって岩波版の解説がまた充実してるので
それらを手放すコトもできナイでいる。(´д`;)ギャボ

特にマキアヴェッリの『君主論』は1981年版でパラフィン表紙仕様で
そのパラフィンも剥がれてしまっててぼろぼろよれよれだが
巻末に附録としてフランチェスコ・ヴェットリに送った手紙があり
マキャヴェリの生涯とその歴史的背景が
訳者黒田正利による14ページに渡って詳述された解説があり
これがイタリア・ルネサンスを知る上で大いに役立ってるるる~

更に簡便ながら人名索引もあり
アレクサンドロス、コンモドゥス、ハンニバル、ヘリオガバルス・・・としおり要らずだ

わが秘密 (岩波文庫)

ペトラルカの『わが秘密』は1996年版で装丁も綺麗だから
アマゾンで売りにも出せるだろうが
巻末の解説が訳者によりなんと34ページに渡ってあり
その充実振りたるや・・・(;つД`)
それとペトラルカに関連がある南フランスと北イタリアの地図もあって
これがまた便利なのだ♪

なのでどちらも手放せナイでいるのだ。・゚・(ノД`)・゚・。

そんな風に原典が同じでも訳者が違うとか出版社が違うとかで
何冊も持ってしまうから本棚がぎゅうぎゅうになるのだ(-_-;)





このティツィアーノに描かれたヴィーナスは
顔立ちが気に入ってる

身体のラインはもう少し絞られてるのが好みだが
これだけの顔なら身体は別に文句も言うまい

肌の質感が実際はどうなのか
そこのトコロを生で見たかったので行ったのだが
見る前から出来栄えの良さは確信してたので
この作品だけで十分満足できると思って
他には何も期待せず・・・
てかそもそも何が展示されてるのか
全く気にも留めずに入場してたりして・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

入ってみて気付いたが
要するにヴィーナス展だったようだ
しかも古代ギリシアの壺絵から展示されてるではナイか!

それにしてもヴィーナスとキューピッドは英語読みで
他はローマ神話に倣ってたりと煩雑で
気になって後から調べてみたら
フィレンツェ当局がバックアップしてて
ウフィツィ美術館の作品を展示してるくらいだった

となると史料はイタリア語できてたはずだが
主要な展示物であるヴィーナスとキューピッドだけは
汎用として英語読みにしたのだろうか?
しかしそれなら総て英語読みの方がわかりやすかったのでは?

肝心のヴィーナスの夫である鍛冶の神が
「ウルカヌス」だったワケだが
「ヘパイストス」の方が日本人には浸透してるのでは???

尤もゼウス(希)=ユピテル(羅)=ジュピター(英)さえ
日本人にどれくらい通用してるのか・・・。(´д`;)ギャボ

それはさておき
以下はギリシア語読みで統一するるる~ヽ(゚∀。)ノ

アプロディテ(ヴィーナス)自身には殆ど想い入れはナイが
関連する想い入れの深い人物(神)は多い

夫である鍛冶の神ヘパイストス
不倫相手の軍神マルス
息子(?)のエロス
片恋の相手の美少年アドニス
世界一の美青年パオン
「パリスの審判」のパリス

特別展示コーナーには
これらの作品数がそれなりに集めてあったのだが
ヲタからすると量ではなく質なのだよ・・・バタリ ゙〓■●゙

クラーナハの「パリスの審判」は駄作ではナイが
葡萄の房の巻き毛の美少年であるはずのパリスが
その辺のオサーンみたいに描かれてて萎えるし
パオンも1点あったが世界一の美青年には見えナイのだよ!

そしてこれはいつもゲンナリするのだが
アプロディテとエロスが描かれてる絵画は
絶対エロスがプットタイプ(幼児体型)なのだな(-_-;)
期待した自分が悪かった・・・(な、何を?!)

プット天使は当時(ルネッサンス期)の流行だったようだね
ギリシア神話ではエロスは原初の神に入ってて
アプロディテとの親子関係は示唆されてなかったのだが
ローマ神話においてはアモルもしくはクピドと呼称が変わり
ウェヌス(アプロディテ)の息子とされてるのだ

しかしプシュケとの恋愛物語もあるのだから
プットタイプはやめれ(苦笑)

挙句↓こんな時代考証無視のパリスも・・・Σ(゚д゚lll)ガーン

これは酷過ぎて笑えたんでポストカード買っちまったがねw

maupassant-kadokawa

モーパッサンは『女の一生』では主人公ジャンヌをヴェロネーゼの絵に例えてるが
短編『ロンドリ姉妹』に出てくる一糸纏わぬ姿でベッドに横たわる女をこう表現してる

ティツィアーノの描いた大がらの女性の絵

そんな絵はいくつか思い当たるのだが
著者モーパッサンの意図するのがずばりどれなのか?
確かめようもナイコトだからこそそれを推理するのは愉しい(*^^*)
LINK:モーパッサン傑作選

この時の女のシチュエーションは
男が来るのをホテルの部屋で待ってるのだが
その男とは先ほど知り合ったばかりなのであるるる~

太陽と月に背いて [DVD]

裸でベッドに横たわって男を待つ光景と言えば
『太陽と月に背いて』にまさにそんなシーンがあるが
これはかつては愛し合って夫婦になったが
夫を【男】に寝取られて駆け落ちされて離婚の危機に瀕してる妻が
なんとか夫とよりを戻そうとして【女】を最大限に生かして
これを武器に戦いに挑むp(-_-+)q

『ロンドリ姉妹』の女の場合は男とは初対面で
かつて愛し合ったコトなどナイ
ただその晩の宿を提供してくれる男に対してお礼のつもりか
実は男に一目惚れだったのか
はたまた・・・???
意図は今一つはっきりしナイ

しかし愛し合った経験のある相手を待つ女なればこそ
そうして確信犯で男を迎えられると思うのだ
かつての夫や恋人ももちろんだが
すぐさま衣服を剥がし合って愛し合う図が想像できる間柄が
既に築かれてるからそこまでできるワケで
娼婦だって素っ裸で客を迎えはしナイだろうに・・・?

自分などはやはりランジェリー姿とかも愉しみたいから
相手が女なら女が素っ裸で待ってるよりは何か纏ってる方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
部屋は明るい方が相手の表情も存分に味わえるから
わざわざ電気を消すなんて有り得ナイ!
相手が男なら男の趣味に合わせるのも悪くはナイが
素っ裸で待つように願う男もいまいw

ティツィアーノの絵画の中に『ダナエ』が2つあり
これらがまさに大柄の女性で裸でベッドに横たわってるが
このエピソードは最高神ゼウスが金の雨になって(さすが雷神だな)
純潔を守るために閉じ込められてるダナエを襲いに行くとゆーモノで
ダナエはゼウスに犯されるのを待ってたワケではナイヽ(゚∀。)ノ

それでも神に、そして運命に身を委ねる処女の表情には
絶望よりは希望が色濃く見える

捨てる神あれば拾う神あり、と諺があるではナイか!
拾ってくれた男が神なら身を委ねてしまおう!!

そんな決心をしてたのだとしたら
『ダナエ』のように見えたのかもしれナイ

またティツィアーノが描く横たわる裸婦と言えば『ヴィーナス』連作だ

『ヴィーナスとオルガン奏者』

オルガン奏者には目もくれずそっぽを向いて
音楽そのものに感じ入ってるが
見詰め合うのは息子のエロスでしかもプットタイプなので
ヴィーナスに欲情して官能的な音楽を奏でてるオルガン奏者の想いが
一方通行がゆえに更に音に託すしかなくなってて
見てる方は今にもその聴こえナイ音色に情熱を掻き立てられそうだ

『ヴィーナスとアドニス』

代わって今度はヴィーナスの方が
アドニスに対して一方的に恋焦がれてるが
狩りの最中のような着衣のアドニスに
素っ裸のヴィーナスがタックルをかまそうと腕を伸ばしてて
よく見ると奥の方でキューピッドが寝こけてて
母親の恋路には関わり合いたくナイ、とでも言わんばかりなのが笑えるw
息子もたじろぐほど恋愛にかまける母親はある意味最強だ

そして『ウルビーノのヴィーナス』・・・[全体] [クローズアップ]

見る者を見返して虜にするこのヴィーナスは
一見してまるで情欲の女神だが
よく見ると嫁入り支度の整ったお嬢様なのである!
これは既に夫となる男以外ともしたたかに通じてるのか
あるいは処女の無垢ゆえの奔放な魅力なのか

『ロンドリ姉妹』での例えは
どうも『ウルビーノのヴィーナス』のような気がしてならナイ

louis14

フランス革命前のフランスで
貴族とも教会とも対立的な立場にあった啓蒙思想家のヴォルテールが
太陽王ルイ14世についてどんな描き方をしてるのか
興味津々で『ルイ十四世の世紀』第1巻を購入したのは2007年だった

永らく岩波文庫ではよくある重版未定となってたので
神保町界隈で4巻セットで1万円以下で(できればもっと安価で)探してたが
好奇心に負けてアマゾンでとりあえず1巻のみ購入

巻末の解説から読み始めたが、そこにはヴォルテールの以下の言葉があった

コルネーユ、ラシーヌ、或は、モリエールの筆になる台詞、フランス人のはじめて耳にするリュリの音楽、・・・ボシュエやブルダルーの声等が、ルイ14世、趣味のよいので有名な王弟妃殿下(マダム)、コンデ、チュレンヌ、コルベールのような人々をはじめ、あらゆる分野における卓抜な人士に味われた・・・こういう時代には、後人の注目に値する、といって差し支えなかろう。『箴言』の著者ラ・ロシュフーコー公が、パスカルやアルヌーと談笑した上で、コルネーユの作品の上演を見に出掛ける・・・こういう時代が、またとあるだろうか。

自分はほとんど滅多に人を羨むコトはナイが
これは素直にラ・ロシュフーコーが羨ましいと思えた一文で
ヴォルテール自身も同じ気持ちで書いたと思われ・・・ホゥ(*-∀-)

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)

更に冒頭にはルイ14世の世紀の定義付けがあり
第一の世紀としてフィリップとアレクサンダーを挙げ
第二の世紀にはシーザーとアウグスツス
第三の世紀がメディチ家によるイタリアのルネッサンスで
ルイ14世の時代を第四の世紀としてて、自分にはどの世紀もツボだったのだが
実際の文面では以下のように哲学者や詩人を挙げてて
絶大な権力者が台頭しただけでなく、文化の円熟期であったのを踏まえてたので
解説と1ページ目だけで既に感動の坩堝。・゚・(ノД`)・゚・。

(前略)まず指を屈するのは、フィリップとアレクサンダーの時代だが、ペリクレス、デモステネス、アリストテレス、プラトン、アペレス、フィディアス、プラクシテレス等の代といってもよい。(中略)第二は、シーザーとアウグスツスの時代で、これもルクレティウス、キケロ、リヴィウス、ヴェルギリウス、ホラチウス、オヴィディウス、ヴァロ、ヴィトルヴィウス等の名前で知られている。第三は、(中略)トルコ人に国を追われたギリシアの学者達を、メディチ家でフィレンツェへ招聘したのである。

他にもミケランジェロ、ラブレエ、ガリレイが挙げられてて
この後の展開は否が応でも文化史を中心に記され
さぞやルイ14世の時代の華々しさが綴られるのだろうと期待に胸が膨らむが
第2章から第24章まではフランス戦史を忠実に記述してるだけなので
史料としては申し分ナイのだがいかんせん面白味には事欠く。(´д`;)ギャボ

ここではまず、王の治下の戦争と外交に関し、主な事件を述べることにする。

と、確かに第1章の最後にあるのだが
まさか第24章までそれが延々続くとは思わなんだヽ(゚∀。)ノ
ちなみに第1巻は第16章までなのであるるる~

それでも17世紀フランスの絶対王政の史実を踏まえてこそ
その行き詰まり・・・要するに18世紀のアンシャン・レジーム(旧制度)だが
改めて的確に感じ取れたし、各国の様子も把握できたのは収穫だった

ルイ14世の頃のイギリスではイングランド王ジェームズ2世が専制を強行したのを最後に
名誉革命で一足お先に絶対王政が崩壊し、替わって議会が国政を掌握し
近代民主主義の根本原則である立憲政治が早くも実現してたが
この時のイギリスとフランスの時代の差がどれほど大きく水をあけたか。(゚д゚lll)ギャボ

ヴォルテールは『哲学書簡』でイギリスの文物をフランスに紹介するが
イギリス賛嘆を持って暗にフランスの後進性を批判してた

それにしてもいくら戦勝に次ぐ戦勝だとしても
ルイ14世の人間性が全く語られナイままに第1巻の第13章で

この頃が、王の全盛時代だ。

といきなり締め括られてもね、ポカーン。(゚д゚ )

確かにルイ14世は即位以来ずっと全戦全勝で領土は拡大する一方なのだから
そういう意味では全盛期には違いナイのだろうが
アレクサンドロスやカエサルと等しく「偉大な」と思えるような
個人的に秀でた活躍が何ら見当たらナイので
「全盛」と言える盛り上がりの華やかさが微塵も感じられず、意外な気さえしてしまう

同じく第1巻の第13章にはそれこそアレクサンドロスやカエサルと比して
「大王」の称号が与えられたコトが記されてた

(前略)パリの市当局が、祭典を催して大王の尊号を奉呈(1680年)、(中略)ただし、民衆の間では、ルイ14世の方が、大王より通りがよかった。何もかも習慣しだい。(中略)大ヴェルギリゥス、大ホメロス、大タッソーなどと、いうものはあるまい。アレクサンダー大王も、いつの間にか、呼び捨てにされるようになった。
シーザー大帝(セーザール・ル・グラン)では、とうてい話にならぬ。(中略)尊号など、後世の人には無用の長物だ。立派な仕事をすれば、名前だけで十分、余計な言葉を並べたのより、はるかに襟を正させる。

ここへきてやっとウェルギリウスやホメロスの名を目にしたが
このくだり以外には第24章まではもうそういった感性の豊かな人物は見当たらナイので
第1巻(第16章まで)を読んだだけでは
著者のヴォルテールがワリとつまらナイ人物と誤解されるやもしれん(゚*゚;)

ルネサンスまで書物はずっとラテン語で読み書きされてたワケだが
内容もローマ帝国時代のままだった

哲学や思想、文芸は普遍の真理に基づいてるので
時代背景の違いを考慮すれば2,000年の時を隔てて読んでも通じるが
科学は日進月歩なので数年前の本でさえ新説に覆されてしまう可能性があり
古代ギリシア・ローマからルネサンスまで同じ学説が
真偽の検証ナシに権威によって受け継がれてたのは驚異であり脅威だった

学生時代に解剖生理学や病理学を学んでたが
その項目の1つ1つに医者が向き合って解明してきた歴史の重みを感じてて
中でも人体の解剖図は画家や版画家との二人三脚だったりで
その変遷に興味を持った

レオナルド・ダ・ヴィンチは多岐に渡る天才だが
自分が最も評価してるのはその解剖図の緻密な筆致から醸し出される美しさだ

ルネサンス期のもう一人の万能の天才ミケランジェロも
解剖によって精確に筋骨を把握して作品に反映してたのだが
システィーナ礼拝堂の天井画に脳(神経)の解剖図が隠し絵として描かれてるコトが
近年になってジョンズホプキンス大学の脳外科から論文発表されてた
LINK:ミケランジェロの「隠し絵」神の姿に脳幹解剖図

しかしダ・ヴィンチもミケランジェロも医者ではナイ
でもだからこそ当時の医学における権威に屈する必要がなく
解剖したままを精巧に描くコトが許されたのだろう

ここで笑えるのがその権威が2世紀のローマのガレノスだった事実だヽ(゚∀。)ノ

なので16世紀にヴェサリウスが登場するまで
医者が学んだ解剖図はせいぜいモンディーノやケタムなどの
ヴェサリウスと比しては余りにも稚拙なモノであった・・・バタリ ゙〓■●゙

謎の解剖学者ヴェサリウス (ちくまプリマーブックス)

そういういきさつを『謎の解剖学者ヴェサリウス』を手にして知ったのは
学校で解剖学を学んでた時からもう10年以上も経ってたが
やっと巡り会えた答えに感動して泣きながら読んだ。・゚・(ノД`)・゚・。

なんせヴェサリウスの生涯やその著書の紹介もさるコトながら
解剖学の歴史的変遷の大きな流れの中での生きザマに迫ってるのがたまらなかった!

改めて科学を愛する気持ちは人間を愛する気持ちから発してるのだと気付いた
つまり科学者の身を削るような努力から見出される真実それ自体と
真実を探求して止まナイ科学者の純粋な欲望に忠実に生きるその生きザマだ!!

解剖学とかまるで興味ナイ人が読んでも平易に描かれてるので
ヴェサリウスの情熱に胸が熱くなるであろう・・・とここまで薦めておいてなんだが
残念ながらこの本は現在(2012年7月)絶版状態となっており
ヴェサリウスの著書『ファブリカ』や『エピトメー』の邦訳とか他の解説本なども
日本においては尽く絶版状態だ。(´д`;)ギャボ

但しヴェサリウスの偉業の断片はむしろネットで簡単に見るコトができる
LINK:Vesaliusの解剖図

骨格人をよく見るとその叙情的なポーズと牧歌的な背景とが相俟って
繊細な芸術作品のように仕上がってるので見落としがちだが
防腐処理などなかった時代に死刑囚の遺体を解剖してスケッチしたモノで
気を失いかねナイような想像を絶する臭いの中でだったろう。(゚д゚lll)ギャボ