ティツィアーノの描いた大がらの女性の絵

モーパッサンは
『女の一生』では主人公のジャンヌを
ヴェロネーゼの肖像画の女性に譬えてるが
短編『ロンドリ姉妹』では
一糸纏わぬ姿でベッドで眠る女を
こう表現してる・・・

ティツィアーノの描いた大がらの女性の絵

そもそもティツィアーノが描く女性には
女神含め、貧相で痩せこけたような女はいなくて
大柄の女性が裸で横たわってる絵は
いくつも思い当たるが
著者の意図するのがズバリどれなのか?

正解を確認しようもナイコトだからこそ
自由気ままに推理するのは愉しい

聖水係の男
「冷たいココはいかが!」
脂肪の塊(ブール・ド・スュイフ)
マドモアゼル・フィフィ
ローズ
雨傘
散歩
ロンドリ姉妹
痙攣
持参金

年譜
訳者あとがき

その前にまず
どういうシチュエーションなのかと言えば
登場人物は列車の旅で先刻知り合ったばかりの
フランス男2人組と1人のイタリア女

不機嫌そうにしてる不愛想な女が
男たちとは打ち解けナイままに
宿を共にするコトになるも
ホテルは二部屋しか空きがなかった

一部屋を女に与えてしまうか
どちらかが女と同衾するかの選択肢で
意を決して女に意向を伺うと
女は拒絶せず、また選択もせず
どちらの男でも結構、とな!

男たちは言い争いの後
主人公の男の方が女の部屋へ入ってみれば
女は素っ裸で眠ってた!!

これ、女の意図はどうなんだろう?

その晩の宿を提供してくれる男に対して
お礼のつもりで寝るのだとしたら
「好きにして」の意思表示か?

ただ単に着替えの途中で
眠さに勝てなくなっただけなのか?

ティツィアーノの『ダナエ』は
裸でベッドに横たわってる大柄の女性だが
このエピソードは最高神ゼウスが
純潔を死守するために閉じ込められてるダナエを
さすが雷神だけあって
金の雨になってゴーカンしに行くとゆーモノ

なので、ダナエはゼウスに犯されるのを
待ってたワケではナイのだよヽ(゚∀。)ノ

それでも神に、そして運命に
身を委ねるしかナイ処女の表情は
絶望してるようには見えず

『ロンドリ姉妹』の女も
捨てる神あれば拾う神あり
なんて諺があるが
拾ってくれた男が神でなくとも
運命ならば身を委ねてしまおうと
意を決してたのだとしたら
『ダナエ』とダブらなくもナイ

ただ気になるのは
ポーズが刺激的過ぎる気がw

ティツィアーノが描く横たわる裸婦と言えば
人間でなく女神ではあるが
『ヴィーナス』連作のシリーズもあげておく

1つめは『ヴィーナスとオルガン奏者』

ヴィーナスはオルガン奏者には目もくれず
でもそっぽを向いてはいても
音楽そのものに感じ入ってるよう

ヴィーナスと見詰め合うのは息子のアモル(※)で
しかもプットタイプ(幼児体形)なので
以外にも母親としての情を感じる
※エロス、クピド、キューピッドの別名もある

オルガン奏者のヴィーナスへの欲情は
あからさまに一方通行がゆえに
音に託すしかなく
官能的な音楽を奏でてるのではと
見てる方は今にもその聴こえナイ音色に
情欲を掻き立てられそうな・・・

『ロンドリ姉妹』の女と重ね合わせてみれば
確かに男2人は拒絶こそされなかったが
どちらも選ばれてはおらず
ヴィーナスとオルガン奏者との距離感は
もしかして似てる?

2つめは『ヴィーナスとアドニス』

代わって今度はヴィーナスの方が
アドニスに対して一方的に恋焦がれてる図

狩りの最中のような着衣のアドニスに
裸のヴィーナスが腕を伸ばしてて
タックルをかまそうとしてるように見えるw

またこの絵はよく見ると
奥の方ではアモルが寝こけてて
母親の恋路にだけは関わり合いたくナイ
とでも言わんばかりなのが笑えるが
息子もたじろぐほど恋愛にかまける母親は
現実的には息子を女性不振にしてしまうだろうね

夫を裏切っても平然としてて
バレては不味い相手には嘘を付くのだから
それが女ってモノなんだと認識したら
女性不振にならナイ方が不思議だ

そういう男が女性不振から解放されるには
一途な女性にひたむきに愛され続けるしかナイが
疑念を抱いただけでもその女性に対して
母親と同類と感じてしまったら
そこで一巻の終わりだ

話が逸れてしまったが
『ロンドリ姉妹』の女は先に述べたように
不機嫌そうにしてる不愛想な女でも
実は1度情を交わしたら
このヴィーナスのような激しさで
求めてくるのやも・・・?!

男は好きなのだよ
自身に無関心な美女を陥落するのもだが
積極的な美女に陥落させられるのもw

自分はこの物語を初めて読んだ時は
もしかしてその両方を味わえる
極上の女との出会いの物語かと勘ぐってた^^;

読み進むと予想とは違って
もっと複雑で・・・
そりゃあもう複雑怪奇www

最後にこれが本命と思える『ウルビーノのヴィーナス』

見る者を見返して虜にするこのヴィーナスは
一見してまるで情欲の女神だが
周囲に描かれたモノから察するに
嫁入り支度の整ったお嬢様なのだよ!

夫となる男以外とも既にしたたかに通じてるのか?
あるいは処女の無垢ゆえの奔放な魅力なのか?

『ロンドリ姉妹』の女も
両極端に想像できるくらい謎めいてる点からしても
この『ウルビーノのヴィーナス』を想起させる

A Dog of Flanders

『フランダースの犬』でネロが最期に垣間見た絵画が
ルーベンスの作品であったコトから
日本でもその名はワリと知られてる気はしてたが
それにしたって予想外に混雑してたルーベンス展だった

ルーベンス展

ルーベンスの作風自体は
自分にとっては可もなく不可もなくといったトコロだが
肖像画でもナイ限りは顔がぐちゃついてるので
モノによっては無表情なのが気色悪く感じてしまう

Peter Paul Rubens: The Life of Achilles

なので、トロイ戦争ヲタの腐女子としては
アキレウス連作(※)で女装のアキレウスを描いてるのを知って
それだけのために画集の購入を検討したコトもあるが
大枚はたいて顔がぐちゃついてるとショックなので
結局は買わなかった(今はネットでタダで観れるから正解だな!)
タペストリー制作のための8点の下絵で、アキレウスの生涯の8つの場面が描かれてる

女装のアキレウス

今回はアキレウス連作の中からは
『ヘクトルを打ち倒すアキレス』だけがあって
日本初公開ってコトで間近で拝み見たが
アキレウスはすっとぼけた顔してて
へパイストスが作ったはずの甲冑も今1つ地味だし
ヘクトルも勇猛果敢な王子ってより、聖人のジーサンみたいだった

まあそれはある意味、予想通りだったのだが
意外と頭上を飛来してるアテナ(ミネルウァ)とフクロウが
主役の2人よりは見応えがあったので収穫ありかな?
特にフクロウはぎこちナイ飛び方なのがワロタw

ローマ建国伝説 ロムルスとレムスの物語 (講談社学術文庫)ローマ建国の英雄たち―神話から歴史へ

ローマ建国神話を描いた『ロムルスとレムスの発見』は
狼好きの自分には最も期待が高い作品だったが
毛並みの艶感なども見事に描かれてた
この展覧会のフライヤーにも使われてるのも納得だ

惜しむらくはデフォルメ過多にせず
双子の赤ん坊を小さく(てか現実的な比率で)描いて
狼に憐憫の情を募らせた方がぐっときたが
そうはしナイからバロックなのかね、さもありなんヽ(゚∀。)ノ

この作品のモティーフとしたルーブル所蔵の彫刻については
ルーブルのサイトには画像はナイが詳細はあるるる~

あとティツィアーノの『毛皮をまとった婦人像』の模写だが
ティツィアーノの描く人物(神含む)は皆
その表情の深さに魅力があるが
特に女性は裸婦であっても高潔な人柄を感じられて
見た目以上に魂の美しさに惹かれるるる~

それを模写したルーベンスの作品は悪くはナイが
ティツィアーノファンからすれば
いかんせん、面差しの高貴さが格段に違うように感じてしまう
肖像画なので顔の表情がはっきりしてるのだが
よく言えば、ルーベンスのは少女らしさが漂ってるので
確かに無垢な清らかさはあるるる~

つまり、どちらが徳の高い女かは一目瞭然だ

ティツィア-ノ Titian NBS-J (ニューベーシック・アート・シリーズ)

以上、3作品はどれも本邦初公開だったワケだが
それは目にするのがもれなく初めてってか
むしろもう2度と本物を観る機会はナイモノなのだろう

他の作品はなるほどルーベンスだったとしか言いようがナイ
憐憫の情に訴えて素直に感動させるより
大袈裟さで圧倒して信仰心を煽る
そんなカンジだな、宗教画としては優れてるのは間違いナイ

世界名作劇場 フランダースの犬 1000ピース 憧れの絵 1000-342

ところでアニメの『フランダースの犬』のネロが
死に際にアントワープ大聖堂で観たのは『被昇天の聖母』で
そこに描かれたマリアと同じように天に召されてったと記憶してた
アマゾンにそのシーンをパズルにしたのを売ってるが
やはりどう見てもマリアだ

キリストの降架

ルーベンス展では『フランダースの犬』グッズも売ってたが
展示物には『被昇天の聖母』はなく
単に日本人にルーベンス=ネロとすりこみされてるからかと呆れつつ
自分もちゃっかりパトラッシュのクリアケース購入したったw

しかし帰宅してからサイトを確認すると
展示されてた『キリストの降架』の版画について
以下のような解説があった

アントワープ大聖堂にある、有名な三連祭壇画の中央画面を、フォルステルマンが、ルーベンスの監督下に版刻した作品です。


ググってみるとアントワープ大聖堂にあるのは
『十字架上のキリスト(The raising of the cross)』
『キリストの昇天(The resurrection of Christ)』
『キリストの降架(The descent from the cross)』
『被昇天の聖母(The assumption of the Virgin)』
これら4つの絵で『被昇天の聖母』以外は三連の祭壇画であった

原作を読んだコトがなかったので
ちょっと読んでみたくなって青空文庫で探してみたら
なんと菊池寛訳のがあったので早速ダウンロード

菊池寛は『真珠夫人』しか読んだコトナイが
あれは日本版ピューリタン文学ってか、主人公の瑠璃子が強烈で
非常に面白い作品だった・・・何度も読み返した
瑠璃子以上に種彦のキャラが立ってて悶絶死しそうに好きだ(;つД`)
『白痴』のムイシュキンを髣髴とさせるのだよ。・゚・(ノД`)・゚・。

パトラッシュ

犬のように無垢な魂を持つ愛らしい人を
無碍にできる人の方が不思議だが
なぜか、世間にはそんな人が多いのが現実だ・・・やんぬるかな

そして今朝、菊池寛訳『フランダースの犬』を一気読みして
涙が止まらなくなって困ったが
とりあえずネロが観たかった絵は原作では
『キリストの昇天』と『十字架上のキリスト』だった

装丁の凝った本

ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサントは
自分にとって理想の相手の妄想対象なので
その趣味を分かち合いたいと切に願ってしまう

デ・ゼッサントはLINK先にあるような特殊な装丁の書物を蒐集してたようだが
そうでなくとも装丁の美しい神秘的な本には魅力を感じて
買うのは無理でもせめて現物を拝みたくなる
LINK:[『さかしま』-デ・ゼッサントの好んだ本]

しかし現代日本においてはデ・ゼッサントのコレクションのレベルはもちろんだが
なかなか装丁の凝った本にはお目にかかれナイ

それが2008年の4月にティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』を観に行って
偶然にも目にしたのがメディチ家の所蔵の
大プリニウスの『博物誌』とオウィディウスの『変身物語』だった

そうとわかった瞬間には目当ての絵以上に興奮したが
『博物誌』がポストカードになってたのには泣けた。・゚・(ノД`)・゚・。

デ・ゼッサントが読んでたラテン文学はこんなかな・・・ホゥ(*-∀-)

尤もデ・ゼッサントは大プリニウスもオウィディウスも貶してるがね。(゚д゚lll)ギャボ
てか、ラテン文学の殆どをこきおろしてるのだがw

そんなワケでユングの『赤の書』の現物を見たくなったのは
その体裁に惹かれてだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

赤の書 ―The“Red Book”

バカでかくて
目も眩むような真っ赤!
尋常ではナイ!!

実はその時までユングの著作など読んだコトはなく
学生時代に週に1度の心理学の授業を1年間受けてただけで
ユングも心理学も一般常識以上には知らナイし
特別な想い入れはもちろんだがほとんど興味はなかったのだヽ(゚∀。)ノ

それがまるでデ・ゼッサントだったら買っておきそうな本だったので
とにかく手にとって実感したかったのだ

ググってみれば内容の方もイラストが想像以上に鮮烈だったし
何よりもカリグラフィーで綴られたテキストページが
ルネサンス期のラテン文学の本を髣髴とさせるるる~(『博物誌』画像参照)

しかし『赤の書』はいかんせん大き過ぎるし=重過ぎるので
実際に腺病質のデ・ゼッサントが読むのにはどうかとも思ったがね(苦笑)
てか読む以前の問題なのだよ
本棚から出し入れするだけでも4kg以上もある本は無理っつ。(´д`;)ギャボ

そして自分の場合は置き場所が無理っつ・・・バタリ ゙〓■●゙

とりあえず現物を手にとって『赤の書』がどんなモノか納得できたので満足して
むしろユングのフツーの本を読んでみたくなってきたが
思い起こせば確かとーちゃんの本棚に数冊あったはず・・・

1ヵ月後にちょうど夏休みで遊びに行ったので本の発掘作業してたら
『ユング自伝』と『現代人のたましい』を発見!
これらを借りてって『ユング自伝』読み始めたら思い出した!!

以前にも読み始めで怖くなって止めたのを・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

何が怖かったかってその時は漠として不明瞭だったが
何かに自分の根源的な部分をばくばくたべられてしまうようなカンジがした

今にして思えば洗脳されそうな恐怖だったのだろう
キリスト教にw

今では宗教に洗脳されるほどヤワではナイ自分が確立されてるので
あえてキリスト者を理解する上では有効な本だと思えるし
定番ってカンジの『哲学の木』と気になってた『ヨブへの答え』も購入して読んだので
キリスト教を深く理解するのにとても役にたった(-人-;)

人間同士の出会いもそういうのってあるよな
こっちがまだできてなくて勝手に萎縮しちゃって苦手意識持って
コンプレックスを克服してからその苦手だった人に会うと
お互いに受け容れられなかったとしても別になんてコトはなく話くらいできる

キリスト教の残忍さや狡猾さや図々しさが江戸っ子には耐え難い

最終的にはそれだけのコトなのだが
だからって別にローマ法王にケンカ売る必要なんてナイだろうし
自分の意識の中では自分が世界の中心だが
現実の世界では自分などは世界に全く認識されてナイ存在なのだ

ユングを読んでそんな結論に至る人は他にいるだろうか(-_-;)

そうこうしてるうちに今度はユングの豪華本が出るのだが
それが『ヴィジョン・セミナー』だ

ヴィジョン・セミナー

それにしても心理学者ってのは哲学者より更に変人だな・・・

ウルビーノのヴィーナス





このティツィアーノに描かれたヴィーナスは
顔立ちが気に入ってる

身体のラインはもう少し絞られてるのが好みだが
これだけの顔なら身体は別に文句も言うまい

肌の質感が実際はどうなのか
そこのトコロを生で見たかったので行ったのだが
見る前から出来栄えの良さは確信してたので
この作品だけで十分満足できると思って
他には何も期待せず・・・
てかそもそも何が展示されてるのか
全く気にも留めずに入場してたりして・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

入ってみて気付いたが
要するにヴィーナス展だったようだ
しかも古代ギリシアの壺絵から展示されてるではナイか!

それにしてもヴィーナスとキューピッドは英語読みで
他はローマ神話に倣ってたりと煩雑で
気になって後から調べてみたら
フィレンツェ当局がバックアップしてて
ウフィツィ美術館の作品を展示してるくらいだった

となると史料はイタリア語できてたはずだが
主要な展示物であるヴィーナスとキューピッドだけは
汎用として英語読みにしたのだろうか?
しかしそれなら総て英語読みの方がわかりやすかったのでは?

肝心のヴィーナスの夫である鍛冶の神が
「ウルカヌス」だったワケだが
「ヘパイストス」の方が日本人には浸透してるのでは???

尤もゼウス(希)=ユピテル(羅)=ジュピター(英)さえ
日本人にどれくらい通用してるのか・・・。(´д`;)ギャボ

それはさておき
以下はギリシア語読みで統一するるる~ヽ(゚∀。)ノ

アプロディテ(ヴィーナス)自身には殆ど想い入れはナイが
関連する想い入れの深い人物(神)は多い

夫である鍛冶の神ヘパイストス
不倫相手の軍神マルス
息子(?)のエロス
片恋の相手の美少年アドニス
世界一の美青年パオン
「パリスの審判」のパリス

特別展示コーナーには
これらの作品数がそれなりに集めてあったのだが
ヲタからすると量ではなく質なのだよ・・・バタリ ゙〓■●゙

クラーナハの「パリスの審判」は駄作ではナイが
葡萄の房の巻き毛の美少年であるはずのパリスが
その辺のオサーンみたいに描かれてて萎えるし
パオンも1点あったが世界一の美青年には見えナイのだよ!

そしてこれはいつもゲンナリするのだが
アプロディテとエロスが描かれてる絵画は
絶対エロスがプットタイプ(幼児体型)なのだな(-_-;)
期待した自分が悪かった・・・(な、何を?!)

プット天使は当時(ルネッサンス期)の流行だったようだね
ギリシア神話ではエロスは原初の神に入ってて
アプロディテとの親子関係は示唆されてなかったのだが
ローマ神話においてはアモルもしくはクピドと呼称が変わり
ウェヌス(アプロディテ)の息子とされてるのだ

しかしプシュケとの恋愛物語もあるのだから
プットタイプはやめれ(苦笑)

挙句↓こんな時代考証無視のパリスも・・・Σ(゚д゚lll)ガーン

これは酷過ぎて笑えたんでポストカード買っちまったがねw

ヴェネツィア絵画のきらめき4

Bunkamura ザ・ミュージアムの「ヴェネツィア絵画のきらめき」を観に行って
実は1番気に入ったのがティントレットの『奏楽天使』だった

元より『奏楽天使』は好きなモチーフで
例えプットタイプ(幼児体型)の天使だとしても
基本的には好きではナイのに楽器を持つと許せてしまうくらいだったが
ティントレットの『奏楽天使』は巻き毛の美青年で
リュートを手にしてうつ伏せに寝そべってて裸体の背には翼がニョキリ!

これはもう天使相手に不謹慎にも欲情してしまえた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ところがポストカードにはなってなかったし
図録も買わなかったので手元には何も残っておらず。(゚д゚lll)ギャボ
でもググって見つけた画像をブログにアップしてたのだが
ブログの管理が悪くていつの間にかリンク切れになってて画像を紛失してしまい
今になって再度ググってみてもどこを探してもなかった。・゚・(ノД`)・゚・。

なのでこれはティントレットの『奏楽天使』ではなくて似た画像・・・

このカラヴァッジョの『Rest on the Flight into Egypt』で
ヴァイオリンを弾いてる天使がワリと近いかと
まあリュートとヴァイオリンでは違うが一応同じ弦楽器を携えてるって点と
裸体の背には翼がニョキリ、ての(しか合ってナイ)がね
それにしても天使の翼の付け根はなかなか目にしナイから新鮮だな

自分としてはティントレットの『奏楽天使』以外では以下の4点がよかった

ティツィアーノの『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』
ヴェロネーゼの『エッケ・ホモ(キリストと刑史たち)』
ヨーゼフ・ハインツの『イアソンを若返らすメディア』
フランチェスコ・グアルディの『パリスの審判』

次点に大天使ラファエルが描かれた『トビト』があったが
構図もよくなければ扱ってる題材に対しての作者の意図も中途半端な印象で
何よりもトビトがぶんむくれのブサイクな幼児で
付き添って旅をするラファエルが可哀想になったのだった。(´д`;)ギャボ
それでも1分くらいは観てたのだが誰の作かも失念

だいたいイタリアの宗教画の天使は殆どの場合がプットタイプ(幼児体型)で
そうかと思えば痩せこけてて貧相で悲壮感漂うようなのとか
どうも美しさにおいて天使ヲタの眼鏡に適うようなのがいナイのだがね
って、眼鏡って色眼鏡かいなヽ(゚∀。)ノ

まあヴェネツィアといわれた時点で天使には全く期待してなかっただけに
ティントレットの『奏楽天使』には惚れたぜ・・・p(-_-+)q←目的を履き違えてるがなw

惜しむらくは画像がナイコトだが
代わりに『奏楽天使』の代表作とも言えるロッソ・フィオレンティーノの作を・・・
これもプットタイプだが表情が+.(・∀・)゚+.゚イイからなんか好きだ
お昼によく行くサイゼリヤにもこの絵があるるる~

黙示録論 (ちくま学芸文庫)

こうして見ると天使には弦楽器が似合う気がするのだが
むしろ弦楽器が容貌の美しい人に似合うのだろう
吹奏楽器はパン・フルートとか半獣神のイメージがあるし
もれなく天使がラッパを吹くのは最後の審判の予兆だからな

ヴェネツィア絵画のきらめき1

ティツィアーノはお気に入りの画家だが
『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』は格別に好きな作品で
日本で公開されてたので行ってきた

Bunkamura ザ・ミュージアムの「ヴェネツィア絵画のきらめき」

『洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ』は期待通りで
間近で見るサロメの肌の質感は艶かしく
理想的な柔肌だった!!

サロメが盆に載せて持つヨハネの首は
髪の一筋まで緻密に描かれてて
非常にリアルではあるが
美し過ぎるのが非現実的かも・・・
尤も切ったばかりの生首を実際に見たコトはナイので
そうとも言い難いが(苦笑)

このヨハネの生首はティツィアーノの自画像だって説もあるが
確かに生首のモデルなんてのは
あまり気持ちの゚+.(・∀・)゚+.゚イイモノではナイだろうから
自身をモデルにして描くしかなかったのかも?!

サロメとヨハネ(の生首)の図はたくさん観てきたが
ヨハネは最も安らかな表情をしてるし
サロメもそんなヨハネに対して穏やかな表情だ

しかもヨハネは死んでて安らかなのではなく
サロメに膝枕してもらって安堵の寝息を立ててるかのようなのだ

一方、サロメもヨハネを恋人のように抱いてるが
恋人にぞっこんと言うよりは少し倦怠を感じてるような・・・
アンニュイな表情だ

それでもヨハネは大切な恋人なのだろう
目を覚ましたヨハネには倦怠を悟られてしまわナイように
まるで起きるのを今か今かと待ち望んでたように
きっとキスをするはず

サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇 (新潮文庫)

見入ってるとうっかりそんな風に思えてしまうこの絵を
オスカー・ワイルドが観てたら
『サロメ』を戯曲化しようと思いつきそうだ

いや、ワイルドの『サロメ』の構想は
ティツィアーノでなかったかもしれナイが
サロメとヨハネが恋人同士に見えてくるような絵画と
出会ったからに違いナイp(-_-+)q

それにしても「ヴェネツィア絵画のきらめき」は
予想以上に見所満載だった

(前略)ここには、あの艶やかな色彩、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼといった画家たちが生みだした宝石のごとき色彩世界があるのに(後略)

まあこの煽り文句だけでもグッとくるがな♪