『幸福の王子』は王子(の像)とつばめの愛の物語だ

主義を貫く王子と
それに共感して付き従ったつばめ

恋愛とかそういう甘ったるいようなのでなく
博愛とかそういう生ぬるいようなのでなく
お互いの生き様に共鳴し合う愛

主義を貫く王子はワイルド自身を反映してて
つばめはロバート・ロスだろうか

ボジー(アルフレッド・ダグラス卿)はつばめの器ではなかった
ワイルドとボジーの関係は当時の人間社会のモラルからは不道徳だとされて
主義を貫こうとしたワイルドが断罪されると
ボジーはそんなワイルドに付き従うのをやめてしまった

ワイルドが貫こうとした主義とは何かと言えば
日本語では耽美主義・唯美主義・審美主義などと訳されるaestheticismで
存在自体が美そのものだったり、存在理由が美であるものを
賛美し、そうではナイモノから護ろうとする主義だ

ボジーは存在自体が美しかったのは明白だが
ワイルドが買いかぶり過ぎて本質を見落としてたのだろう

ボジーは美の体現者である自身に酔い痴れてて
その賛美者となったのが今を時めくワイルドであるコトに陶酔してたが
元より堕落を好む性質でワイルドからは快楽だけを享受し
自身以外に対しての憐憫の情は欠落してて
ワイルドの主義の根本にある美意識を理解してなかったようだ

生涯、何があっても(当のワイルドに不貞をされても)
ワイルドに付き従ったのはロスだった

とはいえ、つばめも当初はボジーのようなヤツだったがねw

なんせつばめは本来ならばとっくにエジプトへ渡ってるはずだのに
葦に一方的に恋をしたかと思えば
構ってくれナイ葦に対して振られたと恨み節で
その間はつばめとしての生活を投げ打ってしまってるるる~

恋の成就の快楽を夢見たばっかりに
日々の暮らしが立ち行かなくなってしまうつばめ・・・

しかも恋の相手は同種異性のつばめのメスでなく
異種の葦・・・ましてや植物、そして性別は本トにメスなのかも疑わしい

人間社会では基本的にカップルは同種異性を望ましいとしてて
同種同性のカップルはここ最近は許容されてきたものの
許容であり、推奨ではナイ

そんな人類のモラルを鳥類のつばめに当て嵌めるのもなんだが
既に同種ではナイモノに恋してしまい易く
姓の別には余り拘りがナイようなので
人間社会の児童書に出てくるキャラにしては不道徳の極みだろう

そんな不埒なつばめだったのが
王子の像に出会い、少しづつ変わってく

憐憫の情が漲り過ぎて涙となって迸る心優しき王子に
恐らく一目惚れしたのだろう

王子が像として美しかったのも一理ありかもだが
その心根の美しさに打たれたに違いナイ

だからつばめはブーたれながらも
王子の気持ちを汲んで施し事業を手伝いながら
ぼろぼろになってく王子に対して
自身も身を粉にしながら愛情を募らせてたのだ!

このつばめの愛し方・・・
ワイルドは伴侶にこれを求めてたんだろう・・・

しかし社会的にも生物学的にも正式な伴侶であった妻には
病身の、しかも梅毒持ちの夫に尽くしてもらうのは気が引けたろうし
ボジーはもちろんだがロスにしたって
求めてはいたが実際には望んでなかったろう

妻にはワイルドより子供たちを護る使命があった

ボジーはワイルドに賛美されたり
共に快楽に耽るのを愉しんでただけで
そもそもワイルド自身を愛してはいなかった

ワイルドとボジーが同種同性カップルとして
不道徳のレッテルを貼られると
ボジーは父親の権威に縋って逃げ延びて
ワイルドだけが投獄されるに至ったコトからして
保身に長けた俗物であるのは明白だ

そうしてロスだけがワイルドに付き従い続けた
つばめのように・・・

それにしても子供の頃は
偽善者王子が酷い奴だなんて思ってたりもした

だってどうせ王子は像なのだから
実質的には死なず、あるいは既に死んでて
凍え死ぬつばめだけが可愛そうだった

でもつばめは王子を放置してエジプトに渡るコトができたのに
王子の元を飛び立たなかったのはつばめの意志で
そこにあったのは生半可なボランティア精神などでなく
王子への愛、一途な思い、それに尽きる

見返りなんか何一つナイ
お互いに報われるコトは何一つナイ
それでも2人は美しい事業を助け合ってやり遂げた
自らの命と引き換えに・・・

この物語がなぜ泣けるのか?

それは王子もつばめも気高く美し過ぎるが
人の世においてはいつもそういう美しい者こそが
踏み躙られる・・・そんな悲しい現実がよぎるからだ