フランクリン・ライブラリーと電子書籍

80年代の半ば頃に話は遡るが
【フランクリン・ライブラリー】なる豪華装丁本があった

デアゴスティーニみたく月に1冊づつ揃えてく売り方で
当時はこれの世界の文学全50巻が欲しくてたまらなかったが
1冊が¥18,000ってバブルにもほどがあるるる~

いつか金持ちになって
購入資金以上に立派な本棚のある書斎が持てたら
全冊揃えたいと野望を抱いてたのだが
日本での発行元のフランクリン・ライブラリー社は
バブル崩壊と運命を共にしたようだ
(ネット上にはほとんど情報が残ってナイので詳細は不明だが)

それが今から4年前(2008年)に
フローベールの『ボヴァリー夫人』を杉捷夫訳で欲しくて探してたら
ヤフオクにフランクリン・ライブラリー版があったので
これを¥2,000でゲト!!

初めて手にしたかつての憧れの本にはうっかり涙したが
装丁の豪華さもさるコトながら
20年以上の経年をまるで感じさせナイ紙質に驚愕した。(゚д゚lll)ギャボ

気になって調べてみたらこんな記事が見つかった
LINK:永く残る本を— 書籍用紙の耐久性問題を考える —

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

要するにアメリカの図書館では1850年以降の粗悪な酸性紙の本が
21世紀にはぼろぼろに崩壊して読めなくなってしまうという危機に瀕してたのだが
これを回避するために古典的な手口で本を解体して
一葉一葉アンモニア希釈液に晒して製本し直したりしてては間に合わず
まだしも近代的なマイクロフィルム化などによって
別の媒体へ移し替えるコトで残す方法などが検討された

本を「本」として残すことから言えば、邪道かもしれナイが

と断った上で・・・
実際にはマイクロフィルム化でも追いつく仕事量ではなく
画期的なやり方としては

ジエチル亜鉛ガスにより、本を解体しないでそのまま脱酸化する技術

が開発されたのだが
とにかく本の形状を半永久的に留めるには
紙質が劣化し難い中性紙でなくてはならなかったのだ

フランクリン・ライブラリーはまさにこれで
見た目に美しいだけでなく頑丈な本だったのであるるる~

本の形状に慣れ親しんできた自分には
電子書籍はどうもとっつきにくく、嫌悪感すら抱いてたのだが
今となってはアメリカでは電子書籍の方が主流らしいし
電子書籍化に反対するのが無意味だとわかってはいる

それにアメリカで電子書籍化が急速に進んだのが
元から「本の危機」に対しての意識が高かったからこそで
本を残そう、ではなく、本に書かれてる内容を残そう、となった経緯は
こうして改めて一部始終を知ってみれば
主旨として間違いではナイ、てか、全く正しい

それでも同じ杉捷夫訳の『ボヴァリー夫人』を
電子書籍で入手した場合を想像してみると
感動の度合いは随分違ってただろうとは容易に予想がつくワケで
なんか惜しい気がして諸手を挙げて賛成はできかねるのだ

だがしかし!

例えば日本におけるベストセラーで
発売前の予約だけで何十万部で
発売日には本屋の店先に山積になるものの
1ヶ月もしナイうちにブックオフの店頭に必ずある本とかって
あれは紙の無駄でしかナイから電子書籍化すべきではなかろうか?!

それにしても辞書や辞典は微妙なトコロだな
使い慣れてる場合はもうほぼ勘だけで該当ページに辿り着けるから
入力して検索する方が面倒くさい気がするし
そうして毎回使ってると慣れようもナイのはなんだか淋しいな(-_-;)

1番よく使う世界史用語集だとしても
それが電子書籍化されてしまったモノだと
まるで赤の他人のように感じてしまうだろう。(´д`;)ギャボ

そういう感傷をいちいち持たずにいられれば
何の疑問もなく電子書籍を受け入れられるのだろうなw

あと電子書籍はおみくじに使いづらい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
ぱっと手に取った本をぱっと開いて
そこにある言葉をその日のモットーにするってゆー
愉しい遊びが好きなのだ♪

まあ自分はフランクリン・ライブラリー派だな