テスの真意をキリスト教によって読み解く

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』は
自分も含め、現代日本人の感覚では
登場人物の思考が理解し難かったりすると思われヽ(゚∀。)ノ

時代背景としては
1870年代のイングランドのドーセット地方の
マーロット村が舞台なのだが・・・

ドーセット地方ってのはこの辺りらすぃ(by Wiki)

19世紀後半のイングランドってコトで
ヴィクトリア女王(在位1837~1901)の治世で
比較的安定した世の中ではあった

そんなバックグラウンドで
テスもエンジェルもキリスト教徒には違いナイ

でもカトリックなのかどうか
そうでなかったら何派なのかが
翻訳されたモノだけでは確証に至らず
原文がThe Project Gutenbergにあったので
参照しながら検証してみた

テスが赤ん坊に自ら洗礼を施し
教会に埋葬してもらいに行くシーンでは
神父だか牧師だかが登場するが・・・

最初の方では
the parson of the parish とあって
単に教区の人(担当者)

最後の方で
the Vicar とあり
これは神の代理人を意味するので
まずプロテスタントでは使わなさそうだ

とは言え、カトリックだけでなく
英国国教会も使いそうなので
どちらかに限定するのは困難だ

とりあえずテスは熱心な信者ではなく
カトリックでも英国国教会でも
一般的なキリスト教信者であって
赤ん坊の洗礼に拘ってるトコロから
地獄や煉獄に恐れをなしてるコトは明白で
その事実にさえ裏付けが取れれば
どちらでもさして変わりはナイ

エンジェルは牧師ジェームズ・クレアの息子なので
明らかにプロテスタントだろうと踏んでたが
ジェームズ・クレアが傾倒してる人物が・・・

Wycliff, Hus, Luther, Calvin

カルヴィンときたら
やはり間違いなくプロテスタントで
だから牧師なのだと合点が行った

アレックはブルジョワの放蕩息子で
信仰心を持ち合わせてなかったようだが
何の因果なのか
エンジェルの父ジェームズ・クレアによって
メソジストに改宗してる旨の一文があり・・・

it is Alec d’Urberville, who has been converted to Methodism under the Reverend James Clare’s influence.

ジェームズ・クレアがメソジストなら
息子のエンジェルもそうなのか?

そしてアレックはテスを救うために
結局は信仰を捨てて
不信心者に逆戻りするのだがw

まあそういうワケで宗派は違えど
また信心深さも違えど
基本的に登場人物はキリスト教信者であり
キリスト教の教えが常識としてある

キリスト教圏では
中世より死後の世界が確証されてたが
例えば自分のような無神論者は
無条件で地獄や煉獄へ落ちるのだと
考えられてて・・・

神の御許(天国)に行き着くためには
魂の救済が必要不可欠なのだが
特にカトリックでは【洗礼】の秘蹟によって
この処置を施すのだ

換言すれば
【洗礼】を受けずに死ねば
地獄や煉獄行き確定との考えが
民間信仰レベルで根強い

テスの産んだ子は私生児だったため
【洗礼】を受けられずにいて
この子が死に瀕した際に
テスはその純粋な信仰心から
二重の負い目を持つ我が子が死んだら
地獄に落ちると確信する

二重の負い目・・・それは
私生児(=罪の子)であるコトと
【洗礼(=魂の救済処置)】が施されてナイコト

カトリックの信徒の地獄の概念は
凄まじく恐ろしいモノで
テスはふと思い巡らせただけで
居ても立ってもいられなくなったのだろう

とうとう自らの手で赤ちゃんに
【洗礼】を行うに至った

[1]水(聖水)で浄める
[2]名前(洗礼名)を付ける

【洗礼】の概要は以上の2項目と
かつてカトリックのシスターに教わった

やるコト自体は安易ではあるが
誰でもできるワケではなく
れっきとした授洗者(神父)が行わねば
【洗礼】の秘蹟とはならず・・・

それも承知の上で
テスが自ら【洗礼】を強行したのは
恐怖心から何もせずにはいられなかったのだろう

淡い望みと冷たくなった我が子を
胸に抱いたテスは教区の教会に赴いて
キリスト教徒として埋葬してもらうよう懇願する

もちろん神父は教義上
その子を認めるワケにはいかず
堕獄の集ばかりが眠る墓場に埋められた・・・

この堕獄の集とは
キリスト教の教義に適わぬ死に方をした者で
悪名高い酔っ払いや人殺しや自殺者
そして【洗礼】の秘蹟を齎されずに死んだ者だ

どんなに素晴らしい生き方をした人でも
無垢な乳幼児であっても
死ぬ前に【洗礼】を受けなければならんとは
キリスト教の唯一神は
どんだけ了見の狭いヤツで
どんだけ融通が利かナイヤツなんだかヽ(゚∀。)ノ

実際、神がいたとしても
死後の人間の魂をどう取り計らってるのかなんて
生きてる人間には知る由もナイだろうに
てのは、無神論者の勝手な思い込みではなく
ローマ・カトリック教会の教えこそが
そう貶めてしまってるのが痛いw

ルターはその痛さに耐えられなかったんだろう

いずれにせよ
信者がどれほど【洗礼】に重きを置いてるかは
無神論者にも理解はできる
(納得はできなくとも)

だからなるべく早く
子供に【洗礼】を受けさせたいのだろうし
極論として
生まれる前の子供の【洗礼】にまで
話が及んでしまうのもわかる

なんせ近代まで
乳幼児が死ぬ確率は現代とは比較にならナイほど高く
妊娠~出産時の死亡率も母子共に高かったのだ

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の
第1巻の第20章では
生まれる前の子供の【洗礼】
つまり嬰児の【洗礼】についての
ローマ・カトリック教会とソルボンヌ大学と
聖トマス・アクィナスの見解が
原注に記されてる

ローマカトリック教会の儀典書は、危急の際における出産前の子供の洗礼を指令しています――ただし、子供の体のいずれかの部分が授洗者の目にふれた時という条件付です。――ところがソルボンヌの博士たちは、1733年4月10日、彼らの間で行われた審議の結果、産婆の権限を拡大して、子供の体のいかなる部分も外にあらわれないときでも、注射によって(小なるカヌーレの使用により――つまり、注射器を用いて)洗礼を施すべきことを決定しました。――ここで甚だ不思議なのは、かの聖トマス・アキナスが、一方ではあのスコラ派神学の無数の紛糾錯雑したこんぐらかりを作るほうにもああいうきわ立った緻密な頭を持ちながら、この問題には大いに労力を傾注したあげくに、最後はこれを第二の不可能事として遂に断念してしまったことです。――「母胎内にある嬰児は、」(聖トマスは言っています)「いかなる手段によりてもこれに洗礼を施すを得ず」――何ということです、トマス様!トマス様!

現代日本に生息する無神論者からしたら
胎児に【洗礼】を施そうとするコト自体が
ナンセンスなのだが
聖水を注射器に仕込んで母胎に注入する
なんてグロテスクな方法には
どうしてそんな発想ができるのか
眉を顰めてしまう(-_-;)

しかもこの「母胎に注射器」を条件とすれば
【洗礼】が「有効」である
と認めたのがソルボンヌ大学とな。(゚д゚lll)ギャボ
いやいや、それを神も認めてるかどうかは
誰にもわからんて。(´д`;)ギャボ
しかし聖トマスは認めてませんから~ヽ(゚∀。)ノ

ちなみに作中では
「母胎に注射器」での【洗礼】の代わりに
主人公のトリストラム・シャンディは以下を提案してる

父親の精子の小人全員に対してならどうか?

精子全部を聖水で浄める
なんてのはもうやり方も想像を絶するなw

それにしても今でこそ
生まれる前に性別を知り得て
性別に見合った名前をつけるなんて
当たり前にできるようになったのだが
昔はそうはいかなかったのだから
もしかして「母胎に注射器」で【洗礼】を行うより
洗礼名をつける方が困難だったりして(-人-;)ナムアーメン