セム、ハム、ヤペテ~アブラハム(アブラム)

セム、ハム、ヤペテがそれぞれの民族の祖となった

殆どの日本人にはなんのこっちゃだろうが
このセム、ハム、ヤペテの3人は兄弟で
父親の名はノア

あの「ノアの箱舟」のノアだ

『旧約聖書』の「創世記」第9章~第10章によれば
この親子は方舟に乗って
大洪水を生き延びた唯一の人間の家族で
だから人類は全員ノアの子孫だとしてるのだ

但し、3人兄弟の誰を祖としてるかで
民族系統は異なってるそうだ
(元は兄弟なら同じ民族のはずなんだが・・・
とゆー突っ込みはナシでw)

『旧約聖書』によれば
セムの子孫のアブラハムの一族が
神に認められた正統な民族(※)となった
元はヘブライ人と呼ばれてたがイスラエル人と自称するようになり
ユダ王国(紀元前922年~紀元前586年)以降はユダヤ人と称された

そしてハムの息子のカナンは
カナン人の祖となったが
ハムは酔っ払って裸で寝てるノアを見たコトで
ノアに呪われて追放されてしまい
現パレスチナ辺りに追いやられたからだ

ヤペテの子孫については
『旧約聖書』の記述が途中までしかなく
その子孫がどの民族系統なのか言及されておらず

しかしギリシア神話のイアペイトスが
ヤペテと似た名前だとして同一視したのは
『失楽園』を著したジョン・ミルトンだった

でもギリシア神話と結び付けたのは無理があって
ヤペテの息子たち=イアペイトスの息子たちならば
人類に火を与えたプロメテウスや
人類初の女パンドラを娶ったエピメテウスが
ヤペテの息子ってのは
いかんせん辻褄が合わん・・・。(´д`;)ギャボ

もちろん
セムが黄色人種
ハムが黒色人種
ヤペテが白色人種
とそれぞれの祖だなんてのは
明らかに後からのこじつけであるるる~
(だから元は兄弟なら同じ民族のはずなんだってばw)

☆・・・☆・・・☆

ユダヤ民族の伝承の創世神話「創世記」と
神ヤハウェとの契約を遂行してきた歴史の記述が
1冊にまとめられて『旧約聖書』となったが
『旧約聖書』の「旧約」とは「旧い契約」の意で
後から唯一神と新しく契約したキリスト教徒によって
便宜上、『新約聖書』に対して
勝手に『旧約聖書』と名付けられたのだ

セムの子孫テラの子アブラムは
99歳の時にヤハウェと契約をして
アブラハムの名とカナンの地を与えられ
それまでカルデア(新バビロニア)のウルに住んでたが
父テラと妻サライと弟の息子ロトを連れて
カナンに向かった

そのころカナンびとがその地にいた。時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。

途中のハランで父親のテラは死んでしまうが
アブラハムとサライ夫婦と息子のロトは
カナンに辿り着いて
「神がカナンの地をおれらに与えたんで
おまいらはどけ」とばかりに
ハムの子孫のカナン人は
セムの子孫のアブラハムに追いやられて
現レバノン海岸辺りへの移住を
余儀なくされた。(゚д゚lll)ギャボ

フツーに考えると
アブラハムの方が侵略者で
神の啓示があったなんてのも嘘かもしれナイが
唯一神を信仰してる民族にとっては
神に与えられた権利こそが正当な権利なのだw

ユダヤ人の選民思想は
どんなに卑劣な振る舞いをしても
絶対的な正義は神に認められたユダヤ人にあり
歯向かう相手こそが絶対的な【悪】となる

事実を捻じ曲げてでも
自身を正当化して
敵対勢力が不正であるとするのは
勧善懲悪を信奉する日本人の道徳観念では
到底、相容れず
既に理解の範疇を超えてるヽ(゚∀。)ノ

信憑性はさておき
神との約束通りにカナンを得たアブラハムだったが
その地が飢饉に見舞われると
妻のサライとエジプトに行ったΣ(゚д゚lll)ガーン

さて
エジプトで2人はどうなったか?!

  1. 奴隷として働いてなんとか貯えができて帰国した
  2. 神の恵みで良い働き口が見つかり十分に稼いで帰国した
  3. 結婚詐欺を働いてぼろ儲けして帰国した
  4. 神の預言者として厚遇されたので帰国の途につけた

大正解は3.だが
とりようによっては2.と4.も間違いではナイ

アブラハムは美人妻サライを妹と偽り
パロ(ファラオ、エジプト王の意)に取り持って
その兄として自身もパロに世話になりながら
たくさんの贈物までもらう

しかしこのサライの不倫に怒ったヤハウェは
疫病を齎すのであった!

齎されたのはアブラハムでもサライでもなくて
パロにだが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

懼れたパロはサライをアブラハムに返し
アブラハムはパロからお土産をたんまり頂いて
エジプトを去った

これを結婚詐欺と言わずして
何と呼ぶのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

 アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出てネゲブに上った。ロトも彼と共に上った(注:ロトはその後ソドムの地へ)。
 アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。

セム系の遊牧民についての的を得た表現が
ゲルハルト・ヘルムの『フェニキア人』にあった

夜になると、獲物を求める盗賊となってやってきた。しかし昼間は、平和的な取引相手であった。

前夜に盗んだモノを
翌朝には盗んだ先に売りに行ってたりしそうだが
元より厳しい自然環境で暮らす遊牧民が
更に飢饉に襲われたら
一族を飢え死にさせナイためには
富める者から分捕るしかなく
その時に善意や良心や道徳観念が
彼らを救う何の役に立つのだろうか?!

自分は『旧約聖書』に対して
そんな想いを根底に感じ取れるので
現代日本人の道徳観で
一方的に批難する気は起きナイ(-_-;)

ところでアブラハムが
カルデアのウルにいたとすると
これは後の新バビロニア王国のなので
時代が合わナイ気がするが
古バビロニア王国時代の話でも
書かれたのが新バビロニア王国時代だからなのか?

何かで検証しようと思いつつ
ずっとそのままになってるるる~

禁忌(イヴとパンドラ)

既にパンドラ(パンドーラー)の名からして・・・

パン=すべて
ドーラー=贈り物

そもそも彼女自身が
人類に災いとして天から齎されたワケで
セット商品的に箱が・・・
元の言語的に正しくは壺(甕)が付いてきてる

その壺の中に入ってたモノは
細々と分別された災いで
中に「エルピス」も含まれてた

この「エルピス」をどう訳すかが問題で
英語圏では「hope(希望)」なので
日本語でも「希望」としてるんだろうが
「前ぶれ」「予兆」「前兆」「期待」・・・
等々に翻訳可能なんである

寓意的な神話で訓話的要素もあるので
どの訳を当て嵌めるのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイのか
解釈次第で何通りもあって正解はナイ

災いセットに「希望」が入ってるコトに
違和感を感じてるとしたら
「前ぶれ」などの災いに含めてしっくりくる語に
置き換えれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

自分なんかはむしろ「期待」を選ぶね
自身では何もせずに他人に依存して
期待してる人間は災いでしかナイ

毒親とその子供の関係なんかは
何が問題なのかって「期待」に尽きるね

一つは親が子供に期待し過ぎて
子供が親を負担に感じるようになるパターン

もう一つは子供が親に愛情を期待しても
親の愛情が欠如してて人格形成に欠陥が生じるパターン

尤も親子に限らず
人間関係では「期待」は殆どの場合災いする

よく友達や恋人に裏切られたって嘆く人がいるが
実はそいつらが裏切ったんでなく
期待した通りではなかったと判明しただけのコトだ

まあでも「エルピス」の真意が何かは
この神話を作った意図からすれば
ワリとどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

これは禁忌の訓話であり
しかも男性優位社会を築こうとする男たちが
なんとかして女を服従させようとして
でっち上げた作り話に違いナイからだ

人類で初めて禁忌を犯したのは
ギリシア神話に倣えばパンドラだろうが
キリスト教圏で生活してるならば
信じる信じナイは別として
イヴ(エヴァ)を思い起こすだろう

エデンの園で禁断の果実を
食べてしまった人類初の女とされてるイヴだ

『旧約聖書』の「創世記」では
第1章で神によって世界が創られて
第2章で神によって人が造られて
第3章では神に定められた禁忌を人が犯して
神によって罰せられてる

具体的には
まず神なる絶対的な存在を示唆しておいて
その神を裏切ったのがイヴなので
イヴと同じ性の女は罪深い存在だとしてて
要するに罪人であるコトを理由に
女を格下げしようと目論んでるのが
痛いほどわかる構成なのだw

いや、罪を犯したのはイヴ個人で
その罪を人類の女全員が背負う必要なんて
どこにある?!

と、正論をのたまえるのは
自分が現代日本人の女だからで
砂漠や荒野で厳しい自然に晒されて
ギリギリで生きてるような民族に生を受け
ましてや男に生まれてて
しかも族長の立場であったなら
女のまともな意見に対して
いちいち納得して従ってたら
一族は飢え死にするしかなかったのだろう。(´д`;)ギャボ

『旧約聖書』に話を戻すと
禁忌を犯したのが発覚したすぐ後で
罪が神に裁かれる部分では
以下のような原因譚が神の口から語られてる

蛇がなぜ4つ足で歩いてナイのか
女性がなぜ蛇を忌み嫌うのか
女性がなぜ出産の苦痛と夫への欲求を持つのか
男性(人)がなぜ土を耕すのか
男性(人)がなぜ土に返るのか(死ぬのか)

これらの答えが
古代のユダヤの民に生活信条とされたのだが
だから『旧約聖書』の偏った正義が
近代的な道徳から外れているのは致し方ナイ

そうして民族の価値観の相違について
熟考する題材として
『旧約聖書』が書物として存在するのは
ありがたいコトだと思う

イエス・キリストの登場で
『新約聖書』と一緒に勝手に編纂されたり
それをローマ・カトリック教会が
都合良く曲解してしまったりもしたが
それでもユダヤ民族の真意は慮るコトができる

とはいえ
現代日本人の立場から
科学的な見解を言わせてもらえば
男はその事実をスルーして認めナイが
イヴがアダムを助けるために創られたなら
アダムよりは出来が良かったと思われヽ(゚∀。)ノ

それに神が禁忌を設定しなければ
イヴは罪を犯す必要もなかったって話だが
なんで仕向けるようにエデンの園のど真ん中に
禁断の果実が生る木を植えてるんだか・・・

一方、パンドラの場合は
ゼウスは最初から人間を懲らしめるために
災いセット「パンドラ」を贈ってる。(゚д゚lll)ギャボ

プロメテウスこそが粘土で人間を作った
なんて異説もあるが
一般的にはヘシオドスに詠われてるように
人間の男は既に存在してて
プロメテウスが天上から盗んだ火を与えた

実は火だけでなく
ゼウスが糧を隠してた際にも
プロメテウスがゼウスを欺いて糧をも与えた

それは窮乏してた人間を哀れに思って
助けてあげたってだけで
それでゼウスが怒ってるのも
なんだかな~だが
そこでゼウスが人間を懲らしめるとか
本ト、なんだかな~(-_-;)

そうして人間に助力するプロメテウスに対して
ゼウスが騙してやろうと計画を立てて
そのために人間の女を創った

それじゃ人類には
パンドラが齎されるまで
女がいなかったって・・・Σ(゚д゚lll)ガーン
と、引っ掛かるであろうがそこはスルー推奨w

いや、「人間の女を創った」のでなく
鍛冶の神ヘパイストスに命じて
「女神に似せたモノを粘土でこしらえさせた」のだが
それは女神かと見紛う美貌に
プロメテウスが恋してしまうと想定してたからだ

これにパンドラと名付けて
神々から種々の能力と贈物を授けて
当初はプロメテウスに贈ったのだった

ところがプロメテウスは
名前の通りに考えが先立つ男で
怪しいと勘付いてパンドラを拒否したので
名前の通りに考えが及ばナイ男の
弟のエピメテウスが
パンドラに魅了されるままに
妻にしてしまったワケだ

エピメテウスの妻となったパンドラは
箱(壷)を開けてしまう

開けてはいけナイ【禁忌】の箱だったのに
好奇心にかられたパンドラによって開けられた

なんてこった!
【禁忌】を犯して
人類に厄災を齎したのが
女だった!!

先のイヴの寓話とは作者が同じと思える程
その筋立ての根本にある思想が似てるw

実際にこのパンドラなどは
イヴとダブって描かれてるがね

TABOO~パンドラ随想~

3月26日はSteven Tylerの誕生日で
なんと70歳だそう!

Aerosmithの音源は
CD1枚(※)しか持っておらず
グレイテスト・ヒッツ1973-1988

ヒットした曲には馴染みがあるが
アルバムのタイトルが思い浮かばなくて当然だw

40年近くも好きでいて
LIVEにも何度も足を運んでるワリには
筋金入りのにわかファンだったりするるる~

たまたま「パンドラの箱」とアマゾンで検索してみて
初めてAerosmithのBEST盤に
『パンドラの箱』てのがあると知った

これが「箱」ではなくて
『パンドラの匣』となるとRod Stewartだ

「匣」の字を使ってるトコロからして
この邦題をつけたディレクターは
太宰ファンかと睨んでた

それにしてもRod Stewartのアルバムは
原題が『Foolish Behavior』で
「愚かな行動」って意味で
パンドラなんてどこにも見当たらん

これってパンドラが禁忌を破ったのを
「愚かな行動」だとしてるとしたら
その太宰ファンのディレクターは
読みが深くても思考は短絡的なのだろうか?

パンドラはギリシア神話に出てくる人間の女の名で
「パンドラの箱(もしくは壺)」の挿話は
日本でもお馴染みで以下が概略だ

☆・・・☆・・・☆

プロメテウスが天上界から火を盗み
火が生物の中で唯一人類にだけ齎されたが
大神ゼウスはこれを許さなかった

プロメテウスの弟エピメテウスの結婚祝いに
ゼウスは箱(壷)を贈るが
これを開けるコトは許さなかった

花嫁が好奇心に勝てずに
この箱を開けてしまった途端
7種の災いが飛び出したので
人々は大いに憂えた

花嫁が慌てて閉じた箱の中には
前兆(または希望)だけが残った

この箱を開けた花嫁がパンドラだった

☆・・・☆・・・☆

プロメテウス(先に考える男の意)と
エピメテウス(後から考える男の意)の兄弟は
人間ではなく巨人族(Tytan)で
イアペイトスの子らだ

Tytan:ティタン(もしくはタイタン)と言えば
80年代のNew Wave of British Heavy MetalのBANDで
擦り切れる程、アルバムを聴いてたが
アマゾンで検索してみたら
唯一のアルバム『Rough Justice』が
今更(2017年に)CD化されてて
オンタイムのファンの自分には驚愕だった。(゚д゚lll)ギャボ

さて
人類初の女はパンドラでなくイヴ(エヴァ)で
更にパンドラはエピメテウスの嫁ではなく
『旧約聖書』のヤペテの息子の嫁とされてると
トマス・ブルフィンチは『ギリシア・ローマ神話』で
至極当然とばかりに以下のようにのたまう

 プロメーテウスとエピメーテウスとはイーアペイトスの息子でしたが、ミルトンはイーアペイトスをヤペテに変えているのです。

要するにエピメテウスの父親の名が「イアペイトス」で
「ヤペテ」と語感が近いって・・・
それだけかいなw

ノアの方舟で有名なノアには
3人の息子がいて
1人がヤペテ(他の2人はセムとハム)だが
ヤペテの息子となると
ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、
トバル、メシェク、ティラスと7人いて
いったいこの中の誰と誰が
プロメテウスとエピメテウスなのだ。(´д`;)ギャボ

またギリシア神話でも
ノアの方舟級の大洪水があったりするのだが
それはエピメテウスとパンドラの娘が
プロメテウスの息子と結婚した後の話だ

ノアとその息子ヤペテの時とは別に
子孫が再び大洪水にあったとは
『旧約聖書』の記述にはナイ

旧約聖書・創世記ギリシア神話
ノアの代ノアウラノス(妻はガイア)
ノアの息子の代セム、ハム、ヤペテイアペイトス
ノアの孫(ヤペテの息子)の代ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスプロメテウス、エピメテウス(妻はパンドラ)
ノアの曾孫(ヤペテの孫)の代省略デウカリオーン(プロメテウスの息子)
ピュラ(エピメテウスとパンドラの娘)

ブルフィンチはどうも
ギリシア神話の辻褄が合わナイ部分を正すワリに
キリスト教には従順で
どんなに矛盾を孕んでても
『旧約聖書』には突っ込まナイようだヽ(゚∀。)ノ

まあパンドラのエピソードなど
所詮はイヴと同様に
単に【禁忌】を破った女の話として
その肝心な部分が伝われば
瑣末なコトは気にしなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのが男の身勝手な言い分なのだよ

女は【禁忌】を遵守して
男に仕えるべし!
不貞は禁ずるるる~!!

でも、むしろ男に貞節は守れまいw
美女に誘惑されれば
すぐさま破るだろうからなwww

そんな男の世迷言の呪縛に
初めて打ち勝った女が
ギリシア神話で世界一の美女と謳われた
スパルタ王妃だったヘレネだろうか?!

夫の留守中に他国の王子と駆け落ちをして
トロイ戦争の原因となったのだが
その双子の姉のクリュタイムネストラも
後に元夫を殺した現夫を
不貞の相手と共謀して殺害し
復讐を遂げた

むしろこの姉妹の母親は
スパルタ王妃レダで
白鳥に化けたゼウスと不貞して
この姉妹を産んでるので
もれなくレダこそが
夫である男(ましてや一国の王)に対して
裏切り行為をした初めての女だったのだろうか?!

愛されてなかった?!その時、私は・・・

愛されてなかった?!

と気付いた時に
こちらも愛してなければ
もれなく合意の上で
別れれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

でもこちらは愛してたとしたら
どうするのがベストか?

過去に愛されてなかったならば
これからもずっと未来永劫
相手に愛されるようにはなるまいと
確信を持って絶望するに至るのがフツーだ

ところが不思議と絶望するほどに
愛する気持ちに拍車がかかってきて
より一層、無駄と知りつつも
愛情を求めてしまったりするのだ

いや、愛情なんて
そんな贅沢は望んでなくて
人並みに優しくして欲しいだけ・・・とかね

そんな風に一見、謙虚ながらも
優しい態度を強要するようになると
相手にとっては嫌気が差す決定打となる

しかも絶望を感じる方はたいてい
後追いで愛した方だったりするのだヽ(゚∀。)ノ

その場合は
「惚れた弱味」てのは間違ってる

人情味溢れる御仁であれば
惚れられた弱味なんてコトもあり
気持ちを受け止めようとして
相手の良さを認める努力をしてる内に
何でも許せてしまえるようになり
遂にはすっかり愛してしまえるのだ。(゚д゚lll)ギャボ

ところが惚れた側は逆に
惚れたその時のヴォルテージは最高潮だが
あとは下降する一方・・・。(´д`;)ギャボ

理想に適う相手と勝手に誤解しといて
実際に付き合ってみて
違うと気付く都度
気持ちは醒めるばかり・・・なんてね

惚れられた方が相手に対して
完全に愛情を傾けた頃
惚れた方は相手に辟易してたりして
「愛してなんかいなかった」って
そんな惨いセリフを吐けるようなのは
そりゃあ惚れた強みだね!

恋愛は先手必勝!!

とはいえ
恋愛はどちらかの勝ち負けの勝負ではなく
お互いに勝利者になるのが
成就なんだろうがね・・・

まあでも成就しなかった場合には
後追いで愛情を育んだ方が
どんどん醒めてく方に
負けるのだ(;つД`)

恋愛だけでなく
人生は負けたと思ったら
潔く降参するが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

で、勝った方に負けた方が
今後どうするかを決めてもらって
それに素直に従うのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

他人の気持ちや態度を変えるより
自分の気持ちや態度を制御する方が
まだしも簡単だからだ

それに悩むのは決めかねてるからで
だったら相手に決めてもらえば
悩みは解消するってモノだ

また、絶望するのは
希望通りに行かなかったからするので
だったら希望をこそ捨てれば
絶望に至らずヽ(´▽`)/

ちょうど10年前(2008年)
オルダス・ハクスリーの『恋愛対位法』を
筑摩世界文学大系で読んでた

この小説の冒頭には
まさに惚れた強みの男と
愛されてなかったと気付いた女の
駆け引きの場面から始まる

かつて他の男の妻だった美女を
無理矢理奪ってまで
なんとか妻にしたはずの夫だのに
どうにもその女がウザくなってしまう。(´д`;)ギャボ

そうして男はイラつきながら
憂さ晴らしに浮気をしに行こうとするが
女に勘付かれて引き止められ
なんとかしてウソで切り抜けようと
必死で食い下がるのだ

この時の男の心理描写が絶妙で
余りの屑っぷりに思わず笑えたが
女を自分に置き換えたら
泣いても泣ききれナイ状況だわな(;つД`)

恋愛小説でありがちな
美男美女のハッピーエンドモノは
殆どただの御伽噺でしかなく
自分には胸糞悪いだけだが
恋愛のリアルを淡々と描いてて
コミカルながら切なくなるようなのは
ちょっと胸が痛いけど
ワリと好きかもしれナイと気付いた

それにしても昨年末から
やたらとホフマンとハクスリーが
シンクロニシティを引き起こしてて
不気味ながらも面白い

ホフマンの『砂男』の目玉の寓意を探るべく
平凡社のイメージの博物誌のシリーズの
『眼の世界劇場ー聖性を映す鏡』を
買おうと決心を固めてた時だ

このシリーズを信頼してはいたものの
一応、著者のフランシス・ハクスリーを
ネットでプロフィール確認してみたら
ハクスリー一族と判明!

しかもジュリアン・ソレル・ハクスリーの
息子だったのだ!!

ジュリアン・ソレル・ハクスリーてのは
オルダス・ハクスリーの兄で
このジュリアンとオルダスの祖父は
あのトマス・ヘンリー・ハクスリーなのだヽ(´▽`)/

まあ「あの」と言っても
わからナイ人が99.9%だと思われヽ(゚∀。)ノ

進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの
「番犬(ブルドッグ)」と称されてて・・・

教会からも学会からも風当たりの強かった進化論を
当人に代わって擁護した生物学者なのだ

そんな系譜をつらつら見てると
意外にもマシュー・アーノルドの名が・・・?!

彼の著書『教養と無秩序』を
つい先日、購入したばかりだったが
それはトマス・ハーディの
『ダーバヴィル家のテス』の
ブログ記事を書いてて
19世紀ヴィクトリア朝の
イギリスの一般庶民について
特に宗教観を知りたかったからだ!

このマシュー・アーノルドは
ジュリアンとオルダスの兄弟の大叔父だった!!
ハクスリー家は父方だが
母方がアーノルド家なのだった

それらとは別に
オルダス・ハクスリーの著書を
今更ながら買い集め始めてしまった

とりわけ神秘主義思想や
それを体現すべく幻覚剤を用いて
自らが行った実験の記録など
手当たり次第に購入して読んでるが
LSDを筆頭に幻覚剤を多数発明・発見したのが
アルベルト・ホフマン博士で
この人はスイス人の化学者なので
ドイツ人作家のホフマンとは無縁なれど
それにしても「ホフマン」かよ(゚ ゚;)

世界観を構築した10冊(子供の頃の愛読書)

人生において最良の本を
10冊選ぶとしたら?

まず、小学校高学年の時に
選んでたと思われる10冊(タイトル)

生きている地球(学研学習マンガ)
ビーグル号航海記(チャールズ・ダーウィン著)
シートン動物記(アーネスト・T・シートン著)
ハックルベリー・フィンの冒険(マーク・トウェイン著)
宝島(スティーヴンソン著)
幸福な王子(オスカー・ワイルド著)
にんじん(ルナール著)
クォ・バディス(シェンキェビチ著)
埋もれた世界(A・T・ホワイト著)
キュリー夫人 愛と科学の母(清閑寺健著)

これらは人生の初期段階で
世界観を構築するのに役立ったが
後に人生の岐路においても
常に道標となった

虚弱体質だった幼少の砌に
お世話になった小児科の待合室に
置いてあったのが『生きている地球』

【ビッグバン】から始まり
地質時代の様子が年代を追って描かれたマンガで
それはまさに知りたかったコトばかりで
毎度、熱心に読んでは
興奮して更に熱が上がってたw

その本への病的な執着が
遂に医師の妻で薬剤師の女性の心を動かし
「よかったらどうぞ持って帰って
差し上げますから」と言わしめた時
熱意が人の心を動かすと
奇蹟が起きるのだと
初めて確信したのだった

生命の誕生から
人類への進化までを
理路整然と説いた【進化論】には
魂を揺さぶられたが
とりわけ生命の誕生については
オパーリンの【コアセルヴェート説】で
神々しく美しい生命のスープが
干潟になって濃縮してく様子を思い描いては
生命の神秘に涙した

そんな風に理性と感動によって
自分が世界観の外枠を構築した後で
旧約聖書の冒頭の創世記による世界の始まりを
キリスト教かぶれの母親から
いくら恭しく押し付けられたトコロで
突っ込みドコロ満載な寓話としか思えなかったw

【進化論】を構想するに至った経緯を
ダーウィンが綴った『ビーグル号航海記』は
自然の厳しさ(ある意味無慈悲さ)と
そこに生きる生物の
力強さと儚さ、強靭さとしなやかさといった
地球が織りなすドラマに感じ入った

そうして【進化論】を踏まえて
動物の生態に興味を持つようになり
『シートン動物記』も読むべくして読んだが
中でも「狼王ロボ」でオオカミが大好きになり
今に至るるる~

『ハックルベリー・フィンの冒険』や『宝島』は
『ビーグル号航海記』からしてそうなんだが
後に海洋小説とそれを原作とした映画を
格別に好むきっかけになった

まあ自分自身はからきし苦手で
酒より船の方が酔うんだがね( *゚Д゚)つ[酒]

典型的なお人好しの江戸っ子だった自分は
『幸福な王子』でワイルドのペシミズムに衝撃を受け
母親に嫌悪されてると悲観し始めた時
『にんじん』で同士を見出してほっとした

歴史小説『クォ・バディス』(※)は
ローマ皇帝だったのがネロの時代の
キリスト教に傾倒した長編で
実在した登場人物のネロとセネカ
そしてペトロニウスが魅力的だった
映画のタイトルでは『クォ・ヴァディス』、新訳(岩波文庫)だと『クオ・ワディス』

当時はまだキリスト教に対して
今ほど反感は抱いておらず
もれなくこの小説こそが
不信感を募らせる要因になったのだったヽ(゚∀。)ノ

『埋もれた世界』は
トロイア、エジプト、メソポタミア、マヤの
遺跡を発掘する考古学者たちについて
子供にもわかりやすく書かれて(翻訳されて)たが
古代文明の中でも自分は特にトロイアに惹かれた

たくさんの伝記を読んだ内では
『キュリー夫人』に1番感銘を受けたが
それは化学者としてノーベル賞を受賞した女性が
既にいるのは心強かったからだ、なんて
自分もキュリー夫人の後に続くつもりでいて
化学だけは執り憑かれた様に勉強してた

但し、物理学(の数式)を理解できるほど
知能を持ち合わせておらず断念。(´д`;)ギャボ

『クォ・バディス』の著者シェンキェヴィチも
キュリー夫人と同じく
ノーベル賞を受賞してるポーランド人だが
受賞時にはポーランドは地図上から消えてて
2人とも祖国独立を悲願してたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

結局、シェンキェヴィチは
独立を目にする前に命尽きたが・・・

上記10冊の他にも
世界観を構築するのに
補助的な役目を担ったのが
山川出版の日本史用語集と世界史用語集と
旧約聖書・新約聖書、古事記、ギリシア神話などで
愛読書と言うよりは便覧のように
何かにつけ参照しまくった

自分はこの時点で最早
読書の醍醐味は
1冊の本を最初から最後まで読みこなして
単体で消化するだけに非ず
一言一句から
著者の真意を汲んで
改めて世界を読み解くコトに
意義があると気付いて
生真面目に読書をしなくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

40年近く経った今
改めてこれら10冊に感謝したいのは
与えられた知識はもちろん
感動、信条、希望、霊感・・・etc.etc.
そしてノスタルジーも加わり
人生をスピリチュアルな面から
支えてくれたコトだ

気のふれた母親に
押し入れに閉じ込められても
電気スタンドで照らされた文字から
確信してた

世界は広く美しい(はず)

いつも心を希望で満たし
明るい未来へ導いてくれ続けた

親友(著者)と時空を超えて
共有してる宝物のような存在が
愛読書だと自分は思う

『砂男』と『ネオン・デーモン』

早朝に映画を観てたのは
前夜に1度観た『ネオン・デーモン』の
細部を確認したかったからだ

こんな衝撃的なシーンから始まるが
一緒に観てたダンナは
これがドールだ(人間ではナイ)と断言。(゚д゚lll)ギャボ

自分はモデルの物語だと知ってたので
ドールに見立ててる人間だと思いつつも
100%の自信がなく・・・

クローズ・アップになってみて
その瞳を確認してから
やっと人間だと確信・・・ホッ(*-∀-)=3

そうして人間かドールかの区別をするのに
自然と瞳に注目するのは
自分だけではナイだろう

今はカラ・コンが普及したので
ドールぽい目にも見せかけられるが
だからこそ、逆に
いかにもドールぽい目ならば
人間が意図してやってるのがわかる

ましてや今の自分は
『眼の世界劇場』なんて本を読んでる最中で
目玉に対して敏感になってるのだがw

そもそも先週(あ、もう先々週か)
『ホフマン物語』のオペラを観に行って
どうにも腑に落ちナイ部分を
ホフマンの原作や原文のドイツ語まで
検証してる最中だったのだ

オートマタ(自動人形)のオランピアと・・・

彼女を創ったスパランツァーニ博士以外に
その目玉部分だけを提供してるコッペリウスの
存在の奇妙さに引っ掛かってた

見ての通り
象徴的に目玉を配した衣装も
渦巻や螺旋を配したオランピアの巨大ドレスに
引けを取らずヽ(゚∀。)ノ

原作では
夜遅くまで起きてる子供の
目玉を砂男が抉り出すなんてコトを
乳母やがまことしやかに話して
幼かったナタナエルを怖がらせてる

そこまでで済めば
大人になったナタナエルは
忘れるか、思い出して笑うレベルだろう

しかし実在した弁護士コッペリウスの正体が
砂男だと確信してたナタナエル。(´д`;)ギャボ

青年になってからも
そっくりの晴雨計売りのコッポラに遭遇したら
すっかり現実として砂男が蘇えるるる~

しかも理想の女性と思って恋したオランピアが
コッポラに目玉を刳り貫かれてて
実はオートマタだったと気付くなんて
夢にしたって酷い悪夢でおかしくなりそうだが
残酷にも現実なのだった

((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

思いっきりネタバレしてしまうと
『ネオン・デーモン』でも
目玉が象徴的に出てくる(以下、グロテスク画像注意)

これはラスト・シーンで
モデルが吐き出した目玉だが
これをもう1人のモデルが拾って
呑み込んだトコロで終わり
文字通り後味が悪い結末となってる(゚*゚;)

目玉を吐き出すきっかけになったのは
その時、プールサイドでの撮影だったが
水底に見える2つ並んだ栓が
まるで目玉のように見えてた(のは気のせい?)

それが水流によって揺らいで見えてて
吐き気を催してしまい
控え室へ駆け込む(最終的には嘔吐)

そのずっと前の場面で
鏡に描いてるこれ・・・

この×が2つ並んでるのも目玉(が無い状態?)・・・
てのは考え過ぎだろうか?

そんなワケで色々気になって
翌朝、再度、じっくり観てみたら
主人公の少女と契約するモデル・エージェンシーが
ロバータ・「ホフマン」・・・バタリ ゙〓■●゙

やはり『砂男』の不気味なモチーフを
意識して使ってる・・・のか?

いや、鏡が出てくるシーンも多いから
むしろ『砂男』だけでなく
『ホフマン物語』なんだろうか???

特にモデルの1人が
整形しまくりの人工的美女って設定で・・・
(彼女にとっては歯を磨くのと整形は同義らすぃw)

その彼女がランウェイのバックステージで
独特の奇抜なメイクを施されて
まるで他人のように鏡の中の顔を見てたりするが
その鏡像はまるでピエロ。(゚д゚lll)ギャボ

整形しまくりの時点で彼女自身の本来の顔と
鏡に映る姿はかけ離れてしまってるのに
美しさを極めてトップモデルの座を手にしても
鏡像がピエロ。(´д`;)ギャボ

何とも皮肉な事態だw

そして別のモデルは
オーディションに落ちた際に
鏡をぶち割った!

それまではナルシストで
鏡を見ては惚れ惚れしてただろうが
恐らく初めて
第三者に拒絶されてしまったので
今まで信じてた鏡像に
裏切られた感がそうさせたのだろうか(゚ ゚;)

そして主人公の少女が
ランウェイのラストの1番気合の入ったドレスを着て
登場するシーンがこんな・・・

三角3つからなるこのネオンが
タイトルのネオン・デーモンなのか???

個人的にはこの主人公の気絶シーンが
最も美しさを堪能できた

それにしても『砂男』のまとめ中に
なんでこんな映画を観てしまったのか?!

凄いシンクロニシティだヽ(´▽`)/

恋愛が成就するとはどういうコトなのか?

恋愛が成就する

それは非常に難しい問題だ

何をして成就なのか?
その定義からして曖昧模糊としてるからだ

愛する相手とどうしたいのかと
どういう形で恋愛を成就させたいのかは
実は似て非なるモノだ

若さゆえのときめきとは
愛する相手とどうしたいのか
これに尽きる

視線はひたすら想う相手を追い求め
近付けたら話したい
見詰め合えたらキスしたい
気持ちが高揚すればベッドで過ごしたい・・・

そうした次々と湧き起こる欲求が
叶い続ける限りは
成就してると満足できるのだ

しかもその際に
お互いの立場なんかどうでもよく
同性愛だろうが不倫だろうが
むしろ障害があるほどに
成就したとより満足できるのが
若さってモノだろう

そういう恋愛の成就は
ぶっちゃけ肉欲の満足感だけで
それも若いうちなら
夢のような出来事だろうが
歳を重ねれば
現実を見据えざるを得ず
夢心地ではいられなくなるのだ

だからいい歳こいて不倫してると
バカにされるし
糾弾されるワケだw

肉欲の同意を恋愛の成就と考えてて
しかも人生において
他に何の愉しみも見いだせずにいると
モテるための努力以外は
何もしナイ人間になってしまう。(゚д゚lll)ギャボ

それだって若い娘が
一時的に夢中になって頑張ってる図は
バカなりに可愛いとは思うが
美魔女とかって酔い痴れてるようなのは
バカに付ける薬がなくて
可哀そうだと思う。(´д`;)ギャボ

美貌を構成する成分の殆どは若さで
若さは儚いからこそ美しい

歳をとればとるほどに
美女も醜女(しこめ)も差はなくなり
美人だからと結婚した男ならば
若くて綺麗な他の女性に
現を抜かすようになるのは必定

そんな至極当然の未来も予期できずに
モテる容貌を取り繕うのにばかり
必死になってるからバカだと言うのだw

男を楽しませるのは
起きてる時は顔だけで
寝てる時は身体だけ・・・

そんな美人こそが
3日で飽きられるって典型だヽ(゚∀。)ノ

さて19世紀フランスの
モーパッサンは短編作家として知られるが
長編では『女の一生』『ベラミ』
そして『死の如く強し』を書いてる

『女の一生』は穢れを知らぬ女が
汚れた男に翻弄され続ける転落悲話で
自分は主人公の女が大嫌いだが
それでも読み返してしまうし
映画も映画館まで観に行ってしまった(苦笑)

『ベラミ』は貧乏なイケメン【ベラミ】が
金持ちの奥様や令嬢を手玉に取りながら
成り上がってく出世物語で
不道徳さがひたすら愉快痛快だったが
実は死生観などが語られてて
読み込む程に味わい深い作品だった

そして『死の如く強し』は・・・
中年の男女のロマンスなのだが
女の娘が絡んだ三角関係が
自分にはどうにも陳腐に感じられたヽ(゚∀。)ノ

男は初老だが
美男で独身を貫いてる名の通った画家
女はモデルで
画家と不倫関係を12年間続けてる

12年前の絶世の美女も
40歳ともなれば色褪せてくるし
ましてや彼女に生き写しの
18歳の娘の愛らしさ!

美意識の高い画家が
どうして娘に心変わりをせずにいられよう?

そもそも歳老いてから
若者との恋愛に現を抜かすなど
自分からしたらその有様は美しくなく思える

容貌が見るに忍びなく衰えゆくのは
女だけでなく男もだし
しかも美貌を誇ってた者ほど
その落差は顕著なのだが
そんな現実に憂える初老の男女のロマンスは
深刻になるほど救いようがなく
それはもう悲劇と言うより喜劇的で
とても耐えられずに
実は1度読み始めてから10年以上
途中で放棄してた・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ところが自分も歳をとって
ふと読み返してみると
老いを噛み締めながらの恋愛の
行く末に心が軋み
滑稽であるほどに切なさが胸を打った・・・
いや、打ったのでなく
食い込んできたの方が正確だ

恋する気持ちが切ナイのは
年齢には隔たりがなかったし
若者の切なさが甘酸っぱいとしたら
年寄りの切なさはもれなく苦い(-_-;)

冒頭で
愛する相手とどうしたいのかと
どういう形で恋愛を成就させたいのかは
実は似て非なるモノだ
と述べたが

どういう形で恋愛を成就させたいのか?

唯一無二の愛する相手だと
お互いに確信できたら
それが恋愛の成就だ

なぜなら恋愛は0か1なのだ

A~Zまで選り取り見取りの中から
相手を決め兼ねてるモテる人は
実は自身しか愛せナイ恋愛音痴でしかなく
同じコトを違う相手と繰り返し続けるのだ

もっと゚+.(・∀・)゚+.゚イイ人がいるはず

モテる人は周囲が羨むほどには
心は満たされてはいなかったりする

まあ男だったら美女をモノにすれば
肉欲と征服欲だけは満たされるだろうが
女はどんな男を陥落しようが
心が満たされなかったら
娼婦の感覚しか味わえやしナイ

0か1・・・
愛する相手がたった1人あり
その人でなければ要らんとね!!

0か1の相手とお互いに信じ合い
ずっと愛し続けられれば
何も偽らずに、何も迷わずに
日々を過ごせて至福だろう・・・ホゥ(*-∀-)

そして伴侶として
お互いを認め合うようになるには
艱難辛苦を助け合って
乗り越えてこそp(-_-+)q

一方的に依存してて
相手が思う通りにしてくれナイと
嘆いてるようではダメで
いつも相手に何をしてあげたら
笑顔になってもらえるかを
考え、実行するコト!

若かろうが
歳をとっていようが
最も努力すべきはそこ!!

ロマンスとは何ぞや?

愛は甘美な倒錯である

酒のように
ほろ酔いが望ましいが
陶酔も泥酔も
惜しみなく愉しめるのが
若さってモノ

破滅的な恋愛に飛び込むなら
泳ぐ練習より溺れる覚悟が必要

いったい誰に
生涯の忠誠を誓うべきか?

若者の甘やかな苦悩は
ロマンスの香り

Ralph Lauren のフレグランスには
ロマンスてのがあって・・・

トップノート:ライチ、ジンジャー、マリーゴールド、イエローフリージア、カモミールオイル、サンゴッデスローズ
ミドルノート:ナイトブルーミングリリー、白スミレ、ロータスフラワー
ラストノート:オークモス、スキンムスク2000、リッチエキゾチックコンプレックス
タイプ:オードパルファム/レディス

瑞々しい香りを予想できたので
テスターで確認してから買いたいと
常々思ってるも
どこの百貨店にも売ってなくて
ずっと買えずにいたりするw

☆・・・☆・・・☆

さて
【ロマンス】なる語は
すっかり日本語になってて
「(男女の)恋愛に纏わる事件や物語」を
誰もが思い浮かべる

他にも類似の語で
【ロマンチック】とか【ロマン】とか
前者はより乙女風味が強まり
後者は「男の【ロマン】」など
対象が恋愛限定ではなくなったりする

しかしこれらは日本独特の使い方で
何か釈然としナイので
元の語源や世界標準的な正しい意味合いや
どのような経緯で日本に定着したのか
気になって調べた(のは2005年)時のメモ

まず、【ロマンス】の語を
片っ端から辞書でひいてみると
英語と仏語以外には
該当する発音の単語がなく
日本人の解釈に近いのが
英語の【romance】だったので
この語を輸入したのは英語圏からと
推察してたのが確信に変わった

【romance】 [英]
━━n.中世騎士物語,伝奇小説,恋愛[冒険]小説;≪楽≫ロマンス(曲);情話;小説的な事件,ロマンス(love affair);作り話,空想(物語);ロマンチックな雰囲気[気分];(R-)ロマンス語(派).
━━a.(R-)ロマンス語(派)の.
━━vi.作り話をする,空想する((about));求愛する((with)).
→三省堂のエクシード英和辞典より

【romance】 [仏]
━━f.恋愛詩,小詩曲≪楽≫無言歌.
→白水社刊の杉捷夫編新仏和小辞典より

単語の romance が形成されたのは
8世紀以降の中世西欧においてなのは確かだ

ローマ帝国が分裂~崩壊してくと同時に
ローマ人の日常語だったラテン語が
各地でそれぞれ(※)に発展
現在のフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語に至る途上の段階で、まだ「ラテン語の方言」と言った方が似つかわしかったかもだ

それらローマ人の諸言語は総括して
【ロマンス(ロマン)語】と呼ばれたが
複数を指すので【ロマンス諸語】が正しいが
便宜上【ロマンス語】とする

また、発音には地域差があるので
【ロマンス】だったり【ロマン】だったり
語尾の変化は多様だったが
便宜上【ロマンス語】とする

口語はロマンス語へと移行したが
文献は依然としてラテン語で書かれており
ダンテがトスカナ語(ロマンス語の1つ)で
『神曲』を著すまで
殆ど総てラテン語表記だった

そもそもダンテの頃(14世紀)の西欧では
製紙法が広まりつつあっても
印刷術はまだなく
本はとても高価だったので
庶民が手にするコトは稀だったし
手にしたトコロでラテン語では読めず
文芸はとても敷居が高かったのだ!

そんなだからルネサンスまでは
唯一の文芸が聖書だったりしたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

とはいえ
ラテン語の聖書を所持してたとしても
都度、読んでたんでなく
実態は丸暗記してたのだよ。(´д`;)ギャボ

だから「中世文学」てのは
実は口承文学なのだなw

古代ギリシアで
『イリアス』や『オデュッセイア』が
ホメロスの名の下に書物にまとめられるまで
吟遊詩人が連綿と歌い継いできたように

中世の吟遊詩人(※)も
騎士道に名を馳せた英雄の伝承を
文字に綴ったのでなく
ロマンス語で歌ってたのだ
仏語でtroubadour(トゥルバドゥール)、独語でMinnesinger(ミンネジンガー)、英語でBard(バード)

そしてその「中世騎士物語」が
【ロマンス】と呼ばれたが
騎士道を説いてなくとも
「ロマンス語で詠われた物語全般」の意で
広義で使われるようになった
(より精確には
吟遊詩人が歌ったロマンス語は
主に南仏で使われてたプロヴァンス語

ところでどちらも解さナイので
想像しづらいのだが
ロマンス語とラテン語の隔たりは
どの程度だったのだろうか?

上記の辞書からの引用で
【romance】[英]を見てて思ったが
イギリス人からしたら
ローマ人がラテン語に代わって
話すようになった言葉も
その言葉による「中世騎士物語」も
「ローマ人の言葉(で詠われた物語)」で
【ロマンス】だったのかも?!

同じ語圏でも独語では
【romance】の語はなくて
英語や仏語の【ロマンス】の意味に近いのは
Roman と Romanze だった

【Roman】 [独]
━━m.(-s,-e)散文の長篇小説,物語;情話風の;『比』作り話,虚構.
→研究社のポケット独和辞典より

【Romanze】 [独]
━━f.民謡調の物語詩(Balladeと似た詩形式でスペインから起こった);≪楽≫ロマンス(感傷的な性格を持った愛の歌で、美しい旋律を主体としたゆるやかな楽曲).
→研究社のポケット独和辞典より

大雑把に訳せば
文芸の方が Roman で
音楽の方が Romanze だが
この独語の Roman と Romanze にあたるのが
伊語では romanzo と romanza だ
また、独語の Romane(ロマンス語を話す民族)は
伊語の romano(ローマ人)
独語の Romanisch(ロマンス語)は
伊語の romanzo(ロマンス語)だ

【romanzo】 [伊]
━━m.長編小説)作り話.
━━agg.ロマンス語の.
→大学書林のイタリア語小辞典より

【romanza】 [伊]
━━f.≪楽≫ロマンス,華想曲.
→大学書林のイタリア語小辞典より

なぜかイタリアとイギリスとでは
発想が似てるようで
「ロマンス語=ロマンス語で詠われた物語」
なのだな

サミュエル・リチャードソンの 『パミラ』のあらすじ

時代背景は特定されてナイが
たぶんエリザベス朝のイングランド

貧しい両親の許で
清く正しく美しく育った娘パミラ

パミラはお屋敷に奉公に出て
奥様の大のお気に入りの小間使いとなるも
すぐに奥様が亡くなってしまい
跡を継いだ息子の小間使いとなった

この新しいご主人に
パミラが見初められるまでが
ページにして1/50ほどで
全体の2/3を費やしたトコロで
2人がやっと結婚するも
残りの1/3で
身分違いのパミラが
愛人でなく正妻として
周囲に認められるまでが描かれてるるる~

自分は筑摩世界文学大系で持ってて
310ページの長編なのだが
このシリーズは1ページが3段組みで
通常の文庫の3ページ分くらいあるので
換算すれば約900ページに相当し
文庫で出すなら3巻以上になりそうなヴォリューム!

上記のあらすじからしたら
ハーレクイン・ロマンスとかにありがちな
ロクに働きもせず
恋愛にのみ一喜一憂して
紆余曲折あれど相思相愛に至り
ハッピーエンド♪
そんなつまらナイ恋愛小説の代表作みたいなのに
よくぞ最後まで読み通したと思うが
これが予想外に面白くて
実際、中毒気味になって読み進めたw

なんせパミラは
筋金入りの純潔至上主義者なのだ

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の
テスも純潔信奉者だったが
パミラはテスも恐れ慄くくらいに
常軌を逸したレベルで
「操を護れなければ死を選びます!」
とか、ご主人を脅すし・・・バタリ ゙〓■●゙

とにかくなんとかパミラをモノにしようと
あれこれたくらむご主人から
ひたすら逃げ回るのだが
そのパミラの操の攻防の悶着の都度
後からコトの仔細を一言一句たりとも省かずに
両親への手紙にしたためるるる~

しかもそれをご主人も読んでて
読者が読んでるのも
そのパミラの両親宛の書簡と
たまに差し挿まれる両親からの返信で
著者による状況説明さえ一切挟まず100%手紙だけ
そんな徹底した書簡体小説。(゚д゚lll)ギャボ

だから全ての出来事に対しての見解が
殆どパミラの筆に依ってて
それを信じての両親からの返信で
他の登場人物の言動もパミラ目線だし
思惑も「生真面目に邪推」してしまってて
読者が第三者的立場から読み取ってる事態とは
どうにもズレてしまってて
そのズレた感覚がおかしくてたまらんw

めげずに襲い続けるご主人と
あらん限りの抵抗を試みて
なんとか操を護り続けるパミラだが
結婚して大団円とはいかず
パミラが愛人でなく正妻として
周囲に認められるまでが
延々と続くのだった(゚*゚;)

正式なタイトルが
『パミラ、あるいは淑徳の報い』で
原題は『Pamela, or Virtue rewarded』

貧しくも気高く
純潔を重んじる娘が
理想的な男に見初められて
小間使いから本妻になるなんて
一種の訓話みたいだが
著者は本気なのか皮肉なのか
推し量りかねる程
現代日本人の自分には笑えたw

それにしても女中の分際でありながら
一日中、殆ど何の仕事もせずに
手紙ばかり書いてるのだが
自分にはそこが羨ましい・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

作者のサミュエル・リチャードソンは
17世紀末(1689年)に生まれて
『パミラ』を発表したのは1740年で
亡くなったのが18世紀中頃(1761年)の
ハノーヴァー選帝侯ジョージ1世・2世の頃の人だ

【近代小説の父】と冠されてるが
『ロビンソン・クルーソー』のダニエル・デフォーや
『ガリヴァー旅行記』のジョナサン・スウィフトは
リチャードソンより少し前だ

『ロビンソン~』や『ガリヴァー~』も
主人公の書いた日記から成るが
『ロビンソン~』はまだしも
『ガリヴァー~』はあからさまにフィクションとわかる
(当時だったら真実だと信じてた人もいたかもだが・・・)

ところが『パミラ』の場合は
そうと知らずに読むと
ノンフィクションだと信じてしまいそうで
そのリアルさが最大の魅力だろう

一般的な女性にとってのパミラは
金持ちで美男のご主人に惚れ込まれてて
羨ましい存在かもしれナイのに
そんなパミラが何度も襲われそうになる度に
断固として拒否してて
「両親の許に帰してください」などと
懇願し続けるのが自分には笑えたが
フツーはやきもきしてしまうんだろうか?

そしてそんな拒み方をされるからこそ
ご主人はなんとしてでも
パミラをモノにしたいと思うようになり
彼女の貧しい両親の生活の面倒を請け負ったり
財産の殆どを彼女に与えると約束するのだが
それでも頑ななパミラはこの期に及んで
「両親の許で一生身を汚さず生きたい」などと
願い続けるのだからどうしようもナイ。(´д`;)ギャボ

パミラは結婚して子供を産むには
十分な歳なはずなのに
貧しい両親を抱えて家族3人で
どうやって生計を立ててくつもりなんだ?!
何を考えてるんだ(何も考えてナイのか)???

いや、最終的には
パミラはご主人と結婚して
この上なく上手くいってしまったので
後から考えてみたら
もしかして純潔の価値を吊り上げるために
わざとじらしてたのかと
読み終えた後で勘ぐってしまった!
あるいは究極のSMを愉しんでたとか・・・!!

それにしても
女性心理をよくわかってると
感心する作家は少なくナイが
こんなパミラのような特異な女の気持ちは
自分が女だって理解し難いのに
リチャードソンはたいしたモノだと尊敬するね

しかも数多あるハッピーエンドの物語と違って
ご都合主義のエピソードはなくて
ヒロイン自らが
ご主人にも抵抗してるが
話の流れにも逆らってるのがウケるるる~

テスの真意をキリスト教によって読み解く

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』は
自分も含め、現代日本人の感覚では
登場人物の思考が理解し難かったりすると思われヽ(゚∀。)ノ

時代背景としては
1870年代のイングランドのドーセット地方の
マーロット村が舞台なのだが・・・

ドーセット地方ってのはこの辺りらすぃ(by Wiki)

19世紀後半のイングランドってコトで
ヴィクトリア女王(在位1837~1901)の治世で
比較的安定した世の中ではあった

そんなバックグラウンドで
テスもエンジェルもキリスト教徒には違いナイ

でもカトリックなのかどうか
そうでなかったら何派なのかが
翻訳されたモノだけでは確証に至らず
原文がThe Project Gutenbergにあったので
参照しながら検証してみた

テスが赤ん坊に自ら洗礼を施し
教会に埋葬してもらいに行くシーンでは
神父だか牧師だかが登場するが・・・

最初の方では
the parson of the parish とあって
単に教区の人(担当者)

最後の方で
the Vicar とあり
これは神の代理人を意味するので
まずプロテスタントでは使わなさそうだ

とは言え、カトリックだけでなく
英国国教会も使いそうなので
どちらかに限定するのは困難だ

とりあえずテスは熱心な信者ではなく
カトリックでも英国国教会でも
一般的なキリスト教信者であって
赤ん坊の洗礼に拘ってるトコロから
地獄や煉獄に恐れをなしてるコトは明白で
その事実にさえ裏付けが取れれば
どちらでもさして変わりはナイ

エンジェルは牧師ジェームズ・クレアの息子なので
明らかにプロテスタントだろうと踏んでたが
ジェームズ・クレアが傾倒してる人物が・・・

Wycliff, Hus, Luther, Calvin

カルヴィンときたら
やはり間違いなくプロテスタントで
だから牧師なのだと合点が行った

アレックはブルジョワの放蕩息子で
信仰心を持ち合わせてなかったようだが
何の因果なのか
エンジェルの父ジェームズ・クレアによって
メソジストに改宗してる旨の一文があり・・・

it is Alec d’Urberville, who has been converted to Methodism under the Reverend James Clare’s influence.

ジェームズ・クレアがメソジストなら
息子のエンジェルもそうなのか?

そしてアレックはテスを救うために
結局は信仰を捨てて
不信心者に逆戻りするのだがw

まあそういうワケで宗派は違えど
また信心深さも違えど
基本的に登場人物はキリスト教信者であり
キリスト教の教えが常識としてある

キリスト教圏では
中世より死後の世界が確証されてたが
例えば自分のような無神論者は
無条件で地獄や煉獄へ落ちるのだと
考えられてて・・・

神の御許(天国)に行き着くためには
魂の救済が必要不可欠なのだが
特にカトリックでは【洗礼】の秘蹟によって
この処置を施すのだ

換言すれば
【洗礼】を受けずに死ねば
地獄や煉獄行き確定との考えが
民間信仰レベルで根強い

テスの産んだ子は私生児だったため
【洗礼】を受けられずにいて
この子が死に瀕した際に
テスはその純粋な信仰心から
二重の負い目を持つ我が子が死んだら
地獄に落ちると確信する

二重の負い目・・・それは
私生児(=罪の子)であるコトと
【洗礼(=魂の救済処置)】が施されてナイコト

カトリックの信徒の地獄の概念は
凄まじく恐ろしいモノで
テスはふと思い巡らせただけで
居ても立ってもいられなくなったのだろう

とうとう自らの手で赤ちゃんに
【洗礼】を行うに至った

[1]水(聖水)で浄める
[2]名前(洗礼名)を付ける

【洗礼】の概要は以上の2項目と
かつてカトリックのシスターに教わった

やるコト自体は安易ではあるが
誰でもできるワケではなく
れっきとした授洗者(神父)が行わねば
【洗礼】の秘蹟とはならず・・・

それも承知の上で
テスが自ら【洗礼】を強行したのは
恐怖心から何もせずにはいられなかったのだろう

淡い望みと冷たくなった我が子を
胸に抱いたテスは教区の教会に赴いて
キリスト教徒として埋葬してもらうよう懇願する

もちろん神父は教義上
その子を認めるワケにはいかず
堕獄の集ばかりが眠る墓場に埋められた・・・

この堕獄の集とは
キリスト教の教義に適わぬ死に方をした者で
悪名高い酔っ払いや人殺しや自殺者
そして【洗礼】の秘蹟を齎されずに死んだ者だ

どんなに素晴らしい生き方をした人でも
無垢な乳幼児であっても
死ぬ前に【洗礼】を受けなければならんとは
キリスト教の唯一神は
どんだけ了見の狭いヤツで
どんだけ融通が利かナイヤツなんだかヽ(゚∀。)ノ

実際、神がいたとしても
死後の人間の魂をどう取り計らってるのかなんて
生きてる人間には知る由もナイだろうに
てのは、無神論者の勝手な思い込みではなく
ローマ・カトリック教会の教えこそが
そう貶めてしまってるのが痛いw

ルターはその痛さに耐えられなかったんだろう

いずれにせよ
信者がどれほど【洗礼】に重きを置いてるかは
無神論者にも理解はできる
(納得はできなくとも)

だからなるべく早く
子供に【洗礼】を受けさせたいのだろうし
極論として
生まれる前の子供の【洗礼】にまで
話が及んでしまうのもわかる

なんせ近代まで
乳幼児が死ぬ確率は現代とは比較にならナイほど高く
妊娠~出産時の死亡率も母子共に高かったのだ

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の
第1巻の第20章では
生まれる前の子供の【洗礼】
つまり嬰児の【洗礼】についての
ローマ・カトリック教会とソルボンヌ大学と
聖トマス・アクィナスの見解が
原注に記されてる

ローマカトリック教会の儀典書は、危急の際における出産前の子供の洗礼を指令しています――ただし、子供の体のいずれかの部分が授洗者の目にふれた時という条件付です。――ところがソルボンヌの博士たちは、1733年4月10日、彼らの間で行われた審議の結果、産婆の権限を拡大して、子供の体のいかなる部分も外にあらわれないときでも、注射によって(小なるカヌーレの使用により――つまり、注射器を用いて)洗礼を施すべきことを決定しました。――ここで甚だ不思議なのは、かの聖トマス・アキナスが、一方ではあのスコラ派神学の無数の紛糾錯雑したこんぐらかりを作るほうにもああいうきわ立った緻密な頭を持ちながら、この問題には大いに労力を傾注したあげくに、最後はこれを第二の不可能事として遂に断念してしまったことです。――「母胎内にある嬰児は、」(聖トマスは言っています)「いかなる手段によりてもこれに洗礼を施すを得ず」――何ということです、トマス様!トマス様!

現代日本に生息する無神論者からしたら
胎児に【洗礼】を施そうとするコト自体が
ナンセンスなのだが
聖水を注射器に仕込んで母胎に注入する
なんてグロテスクな方法には
どうしてそんな発想ができるのか
眉を顰めてしまう(-_-;)

しかもこの「母胎に注射器」を条件とすれば
【洗礼】が「有効」である
と認めたのがソルボンヌ大学とな。(゚д゚lll)ギャボ
いやいや、それを神も認めてるかどうかは
誰にもわからんて。(´д`;)ギャボ
しかし聖トマスは認めてませんから~ヽ(゚∀。)ノ

ちなみに作中では
「母胎に注射器」での【洗礼】の代わりに
主人公のトリストラム・シャンディは以下を提案してる

父親の精子の小人全員に対してならどうか?

精子全部を聖水で浄める
なんてのはもうやり方も想像を絶するなw

それにしても今でこそ
生まれる前に性別を知り得て
性別に見合った名前をつけるなんて
当たり前にできるようになったのだが
昔はそうはいかなかったのだから
もしかして「母胎に注射器」で【洗礼】を行うより
洗礼名をつける方が困難だったりして(-人-;)ナムアーメン