Domine, Quo vadis?

1951年のハリウッド映画は
英語読みの『クォ・ヴァディス』で
1954年の岩波文庫も
同じく『クォ・ヴァディス』だった

これが1995年に岩波文庫から出た新訳では
ラテン語に忠実な読みになって
『クオ・ワディス』とされてしまった。(゚д゚lll)ギャボ

通常はギリシア語名やラテン語名の
英語読みには反対派なのだが
長年に渡って慣れ親しんでしまうと
正しい方に違和感がある。(´д`;)ギャボ

かつて自分が愛読した児童書は
1964年に出た偕成社少女世界文学全集だが
Vが「ヴ」でなくて
「バビブベボ」に置き換えられてて
『クォ・バディス』だったし
著者名もシェンキェビチになってたし
映画ではヴィニシウスとリジアだったのも
ビニキウスとリギアだった

しかし新訳はラテン語読みに正しく
『クオ・ワディス』になってるのと同様
ヴィニシウスもウィニシウスとなり
何が不便かってググる際に
何通りもググる必要が生じるし
そうしてググる人のコトを考えると
こうして記事にする時にも
表記について延々と説明する羽目に(-_-;)

てなワケで
表記についてが長くなったが
以下は本題の「QUO VADIS」の意味について

『新約聖書』では「ヨハネの福音書」13-36の
【最後の晩餐】のすぐ後の場面での
シモン(別名ペテロ)の科白に出てくる

Domine, Quo vadis?

Domine:主よ(とゆー呼びかけ)
Quo vadis?:いずこへ?
主と呼ばれたイエス・キリストの行く手には
磔刑に処される運命が待ち受けてるので
最終的な行き先は処刑場だ

しかしイエスはこれに答えず
シモンに以下のような暗示的な予言をする

鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしをしらないと言います。

シモンは予言通りに
イエスを知らナイと3度言い
イエスは十字架に架けられたが
シモンは免れたのだった

以降、シモンはペテロを名乗るが
その後、ローマにおいて
ぺテロ自身の身の上が危うくなり
こっそりローマを出ようとした時の話が
『新約聖書外典』の「ペテロ行伝」35にある

逃げ出そうとしてるまさにその時
イエス(の幻影)が現れて
ペテロが同じ科白でイエスに問うのだ

Domine, Quo vadis?

イエスはローマに戻って
十字架に架けられようとしてたので
「今度こそ自身が十字架に架けられよう!」
そんな決意をしたペテロは
ローマに戻って磔刑に処された

しかも主と同じでは畏れ多いとして
わざわざさかさまになって
十字架に架けられたが
シェンキェヴィチの小説に出てくるのは
後の方の問いかけのシーンだ

それにしても「ペテロ行伝」が
『新約聖書』の正典から排除されたのは
正典とするのに相応しくなかったからだろうが
その基準は曖昧模糊としてる

ユダヤ教とキリスト教では
正典に入れてるモノが同じではなくて
そんな事情からも明らかなように
正典か外典かの差と信憑性は無関係だ

ぶっちゃけ、どちらも信憑性に欠けるが
外典にも興味深い挿話は満載で
芸術作品の主題になってるモノも多い

と、この辺りでそろそろ
『クォ・ヴァディス』のあらすじを
映画版に沿って紹介しておく

青年貴族マーカス・ヴィニシウスのいた軍隊が
凱旋帰国したが
そのまますぐに帰宅できなかったのは
ネロが戦勝記念の祝典を行うまで
足止めを食らったからだった

その間にヴィニシウスは
アウルス将軍の館で世話になるが
この館で運命の美(少)女リジアと出会う

リジアとはローマに滅ぼされた蛮族の国名で
ローマにしてみたら蛮族抑止のための討伐なれど
勝手に蛮族呼ばわりされて滅ぼされた方からすると
ローマに略奪されたとしか言いようがナイが
その討伐なり略奪なりの際に孤児になった娘が
亡き祖国の名を名乗ってた

それもそのはずで
リジアはただの戦災孤児でなく
その国の王女だったらしく
忠実な下僕の巨人ウルススも
共にアウルス将軍の家に身を寄せてた

本来なら元の身分に関係なく
侵略されてローマ帝国の一部となったら
その国の民は王女であれ
ローマ人の奴隷となるのが常だろうが
リジアはアウルス将軍夫妻に
本トの娘のように大切に育てられてた

これはキリストの教えの高潔さが
この物語の主題でもあるので
キリスト教徒のアウルス夫妻が
慈悲心に優れてると示したかったのだろう

映画ではヴィニシウスとリジアの
ロマンス仕立てにもなってるが
基本的にはヴィニシウスの改悛の物語であり
キリスト教徒が大嫌いなネロを
ローマの大火の犯人に仕立て上げて
極悪非道のレッテルを貼るのが
目的なのではなかろうか?!

著者のシェンキェヴィチはポーランド人で
もちろんキリスト教徒だろうが
それ以上に祖国の独立を望んでて
圧政に対しての正しき者たちの抵抗を
描きたかったのだろうし
そこでわかりやすいように
ネロの時代を脚色したのだろう

でもローマの大火はネロの仕業ではなく
キリスト教信者はネロ以外の皇帝も
厳しく取り締まってたのだ

ちなみに「ペテロ行伝」の最後には
ネロがペテロの処刑には関わってなかった事実と
その後キリスト教信者の迫害から
手を引いたコトがちゃんと述べられてる

またリジアなる国は
実はポーランドのコトで
故国を失った王女リジアは
シェンキェヴィチ自身を投影してるるる~

ELEGANTIAE ARBITER【趣味の審判者】

『クォ・ヴァディス』の著者
ヘンリク・シェンキェヴィチは
ポーランド人初のノーベル賞受賞者だ

だがしかし
彼がノーベル文学賞を受賞したのは1905年で
その時、ポーランドは完全に消滅してて
帝政ロシアの一部となってた

シェンキェヴィチが生まれた時には
まだポーランド(立憲)王国と称されてたが
実態は国王を既に帝政ロシアの皇帝が兼任してて
ポーランド人による国家ではなかったのだ

ポーランド独立を願いつつ
残念ながら独立前に死去してしまうが
そんなシェンキェヴィチの
『クォ・ヴァディス』以外の作品は
愛国者の果敢な闘いを題材にした小説が多い

まあ『クォ・ヴァディス』にしても
迫害を受けるキリスト教徒が
信仰や信念を曲げずに
死を選ぶ姿が克明に描かれており
やはり不屈の精神で抗う民衆がテーマだ

実在した登場人物が出てくる中でも
とりわけネロの側近のペトロニウスが
活き活きと描写されてるのが魅力的だが
いったいどこまでが史実で
どこからが創作なのか
その典拠を確認してみたくなった

まず児童版『クォ・バディス』の巻末に
「解説」として次のようにあった

スエトニウスという歴史家が書いたローマ時代の本を参考にして、1896年、この世界的な傑作、「クォ・バディス」を書きあげたのでした

これをずっと信じてて
いざ、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』を
上下巻とも購入して読んでみるも・・・

確かに『ローマ皇帝伝(下)』では
ネロのプロフィールは詳述されてたが
ペトロニウスについては
その名がただの1度も出てこず・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とゆーコトはシェンキェヴィチは
ネロについてはこの本も参考にしただろうが
ペトロニウスの特異な人物像などは
別の書物を参照してるはずだ

自分の知る限りでは
タキトゥスの『年代記(下)』において
3ページ弱で綴られてるのみが
ペトロニウスの全貌だ

1.昼日なか眠って、夜を享楽に生きた

2.無精、無頓着だったが、それが天真爛漫と見受けられた

3.激務も全うした精力家だったが、背徳者を装いネロを誑かした

1.昼日なか眠って、夜を享楽に生きた

そう言えば、Slaughterの曲には
まさにそんなペトロニウス節があった

Up all night, sleep all day, that’s right♪

これは簡潔に表現すれば
「不良」だったってコトだろうが
社会的地位が高くして「不良」てのは
潔くて゚+.(・∀・)゚+.゚イイね!

尤もネロなんかは
皇帝にしてアナーキストだから
尚更カッコ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだがw

なんせいくらローマが退廃してたとはいえ
当時のローマ市民の日常生活は
現代人には考えが及ばナイ健全さで
日の出と共に起きて
陽が沈んだら寝るしかなかったのは
当たり前ながら夜は真っ暗だったからだ

電気がなければ
蝋燭の灯りだけが頼りなので
そんな時代に夜を愉しむのだから
灯りの設備に無駄に金をかけて
贅を尽くしてたのだ

ペトロニウスは不道徳な金持ちだったが
彼が自腹を切るようなコトは稀で
その不道徳の限りを一身に享受するネロが
国庫から無尽蔵に浪費してたと思われ

そうして金に糸目を付けなかったからこそ
一切の道徳観念を無視して
愉しみに耽溺できたのだろう

でも実のトコロ
かつてのネロを指導した哲学者セネカこそが
破格の金持ちだったり・・・。(゚д゚lll)ギャボ

2.無精、無頓着だったが、それが天真爛漫と見受けられた

これこそがペトロニウスの真価で
無精とか無頓着とかは
鵜呑みにすると全く的を得なくなるが
ペトロニウスは何に対してもそうだったのでなく
興味の範疇以外がそうだったのだ

天真爛漫と見受けられたのは
嫣然としてたからだろう
いや、「嫣然(えんぜん)」てのは
通常は美女の微笑を表現するのに使う言葉だが
ペトロニウス程の粋人(すいじん)には
むしろ似つかわしいかもだ

ああそう、粋人の意味を説明するくらい
無粋なコトもなかろうが
読んで字の如くで粋な人であり
単なるインテリでなく
それを踏まえて遊び心がある人だ

教養があっても
それを万人にひけらかすコトなく
わかる相手にだけ仄めかし
わかった同士だけが納得するのだね

その点、セネカは洒落もわかる教養人だが
ペトロニウスと比すれば
まだしも生真面目だったので
ネロの放縦を横目に見過ごしつつも
内心は気を揉んでただろうが
そんなセネカに対しても
ペトロニウスは臆するコトなく
嫣然とやり過ごしてたのを傍から見れば
なるほど、天真爛漫に映ったはず

3.激務も全うした精力家だったが、背徳者を装いネロを誑かした

タキトゥスはペトロニウスを
「贅沢の通人」と表現してるが
資産を食い潰してる文字通りの大食漢や
無目的に放蕩三昧の能無しとは違って
世間から反感を買ったりしなかった
などと言及した上で
ペトロニウスのそれまでの職歴を示し
出世街道を着実に歩んできてるのを
その証拠としてる

つまりタキトゥスに言わせれば
ペトロニウスは「不良」のように振舞っても
本来は役職に就いてた人間なので
背徳者を装ってるだけで
ネロを誑かそうとしてたのだと・・・

恐らくタキトゥス自身は
【趣味の審判者】の意義がわかるほど
歓楽的に生きてなかっただろうし
洒落を解せなかったかもだ

ペトロニウスの教養は
単なるインテリ趣味に非ず
完璧に洒落のめしてて
素地があるくらいではついて行けなくて
だからネロが彼に夢中になったのは
裏を返せば、それがわかったからなのだ!

くだらナイお追従に
うんざりしてたであろうネロには
多少辛辣でも刺激的な方が
新鮮で愉しめたのだな

イベントは基本的には
金をかければより一層おもしろくなる

どんなつまらナイ企画でも
金をかけられるだけかけたら
たちどころに愉快になるのは間違いなく
それは現代においても変わらナイ事実であって
金を湯水のように使いながら
ひたすらバカ騒ぎするなんてのは
誰もが人生に1度は試みたいと思うものだ

ところがそんな誰もが夢見るイベントも
毎晩やってると飽きてくるモノで
日に日に面白みは減退してく

生涯に1回きりでなく
日々イベントをやり続けるには
金の力より企画力が必要で
そこでペトロニウスのプロデュース力が
ネロの魂に火を点けたのだ!

まあ実質的にはネロさえ飽きなければ
それで゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
皇帝であるネロに詩の朗読や竪琴演奏をさせて
時に辛辣に批評したりして
その際のネロの反応を
周囲の人間も十分に楽しんでたのでは?

ネロが演じてる最中に居眠りした者がいて
これを咎めようとしたのを
ペトロニウスが救った有名なエピソードが
岩波文庫の『クォ・ワディス』上巻に出てくるが
ペトロニウスはすかさず
ネロをかのオルフェウスに譬え
彼の竪琴の音色で野獣が眠ったと・・・

そんな風に褒められてしまって
ネロは怒っていられなくなったのだが
これってネロがギリシア通で
オルフェウスをリスペクトしてたから
成立したんだと思うと
自分にはやはりネロが愛おしく感じられるし
ペトロニウスの大岡裁きみたいなやり口は
カッコ゚+.(・∀・)゚+.゚イイと感心する

ちなみに居眠りをした不届き者は
後に皇帝となるウェスパシアヌスだった

映画『クォ・ヴァディス』のユーニス

ポーランド人の作家シェンキェヴィチの
歴史長編小説『クォ・ヴァディス』は
1951年に映画化された

ハリウッド映画なので
登場人物の名は英語読みされてて
ペトロニウスの愛人となる奴隷女の名は
Euniceでユーニスだった

偕成社世界少女文学全集の『クォ・バディス』や
岩波文庫『クオ・ワディス』での
エウニケの呼び名の方が自分的にはしっくりくるが
以下は映画についてなので
ユーニスで統一する

このユーニスを演じてたのは
Marina Bertiなる女優で
画像のように圧倒的な美貌の正統派の美人

地中海を越えて
ローマに連行されて(と、自ら語ってるが)
折りしもペトロニウスに仕えるコトになったのだが
そんな境涯の不遇は全く気にかけておらず
むしろ愛しい主人の傍に仕えて
幸せを噛み締めてるような女である

なんせ主人のペトロニウスにメロメロでも
奴隷が主人に告白をするなんて
身分が違い過ぎて到底できなかったので
ユーニスにとって唯一の不幸は
想いを秘めねばならナイコトだった!

ところがある日
ペトロニウスの甥の元にやられそうになり
それを激しく拒絶するるる~

どんな罰を受けても構いません、どうか、おそばに!!

ユーニスを貰い受けるはずだった男こそが
主人公のヴィシニウスなのだが
元より彼には別に貰い受けたい女がいたのもあり
ペトロニウスはユーニスを手放すのを諦め
主人に逆らったコトに対して
ユーニスにムチ打ち5回の罰を与えるも・・・

ペトロニウス「ムチ打ち5回だ」
ユーニス「ここにいても?」
ペトロニウス「行い次第だ」
ユーニス「ありがとうございます」

どんな罰を受けても
愛するペトロニウスの元を離れたくナイp(-_-+)q

そうしてユーニスは
したたかムチ打たれた後で
秘かに主人の胸像にキスをしながら
さも愛しそうにささやく

愛しいご主人様、お慕いしてます、お伝えできたらいいのに・・・

美女がうっとりとした表情でつく溜息の
なんたる甘やかさ・・・ホゥ(*-∀-)
そんなユーニスを作品にしたミュシャは天才だ!

そしてまたある日
ついに告白するチャンスが訪れた

ユーニス「老婆の予言の詩があるんです」
ペトロニウス「どんな?」
ユーニス「すみれ色のローマの海に/ヴィーナスが現れて/恋人たちを結び付ける/彼女の腕で永遠に」

ペトロニウスはこの時まで
ユーニスの気持ちには全く気付かず
使用人の誰彼と相手の名を挙げるのだが
ユーニスは総てにうなだれながら首を振り続け
最後に主人をまっすぐに見据えてこう言う

He’s my lord.

一瞬硬直したペトロニウスだったが
ユーニスほどの美女に言い寄られては
拒絶できるワケもなく

すみれ色の海へ私が誘ったらどうなる?

なんて返しができるトコロが
いかにも洒落モノらしいw

そんなペトロニウスに対して
逆にユーニスは全く捻りがなくて
えくぼまで作って顔を輝かせながら
小犬のように足下にすがり

嬉しくって気絶します!

しかしどうするかを問いかけただけで
まだ誘われたワケではナイのだ
と気付いた瞬間にしゅんとしてしまう

あとはお誘いだけ・・・

てか、この一言こそが誘いでなくて何なのだ?!
そして男の方からがっつり誘わなくてどうするのだ!!

ペトロニウス「それではアンティオキアへ」
ユーニス「ポカ~ン(゚ o ゚*)」
ペトロニウス「気絶しないのかね?」
ユーニス「支度をします、今すぐに(^▽^*)」

愛するコトしかできナイ女が
愛されるコトで幸せの絶頂へ・・・
だが、幸せな日々は続かなかった。・゚・(ノД`)・゚・。

ペトロニウスには死を予見してた

ユーニスが奏でる竪琴にも死の影を感じ
遂にネロに自殺を命令され
友人を呼んで最期の晩餐の場で
自殺を宣言し決行

ユーニスは何の迷いもなく一緒に果てた
寄り添って眠るように死んでる2人が
なぜか幸せそうに見えた

こんな美しい女に命懸けで愛される男は
そりゃあ幸せだったろう

『クオ・ワディス』のペトロニウス

完訳を最初から読んでたら
恐らく平静に読み進めるだろうが
読み慣れた児童版には
「隠されてた秘め事」があって
それが露見すると思いつつ読むと
無駄にどぎまぎしてしまう

幼少の砌
偕成社の世界少女文学全集を愛読してたが
その中に『クォ・バディス』があった

ポーランド人作家シェンキェヴィチが
ネロの時代のローマを描いた歴史長編小説で
ハリウッド映画『クォ・ヴァディス』の
原作となった

児童版は何度も読んでて
映画も何度も観てて
その差異にずっと違和感を感じてたのに
完訳版の『クオ・ワディス』を
岩波文庫の上中下巻で読んだのは
恥ずかしながら四十路を過ぎてからだった

児童版として改訳したモノだと
削除(省略)されてる部分は
通常は暴力とかセックスとかの描写で
子供の教育上よくナイ
=子供がそれを真似たら困るからだ

初めて読む本へのときめきとは別に
児童版で既知の物語の完訳版を読む時には
何かしらの【禁忌】を破るはずなので
妙な興奮が伴うのはそのためだ

まるでパンドラやイヴになった気分だw

しかし完訳版『クオ・ワディス』を読んで
児童版と映画とで同じ箇所が
意図的に省かれてたのに気付き
【禁忌】を破る以上に衝撃的だった

例えば
この物語はネロの頃のローマ帝国だが
主要都市やそこに実在した人物についての噂話など
譬え話や際どい洒落に悉く引用されてて
無垢な子供には当然ながら意味不明だろうが
大人でも教養や経験値がなければ
まるで面白味を感じられまい

そんな危惧のために省かれた描写であり
物語の筋には直接関係ナイワリに
註釈が冗長になり過ぎるきらいがあるせいか
そのほとんどがスルーだったのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

It’s Greek to me !
(それって、自分にはギリシア語だわ!)

てのは、ちんぷんかんぷんって意味だヽ(゚∀。)ノ

英語を母国語とする民族に
そんな表現があるくらいなので
無教養な一般大衆にとって
古代ギリシア(ローマ)の古典は
ちんぷんかんぷんなのだw

で、マイケル・マクローンの
古代ギリシア・ローマの古典由来の
慣用句の解釈本の原題が
まさに『It’s Greek To Me !』なのだ!

ともあれ
まだ無分別な子供以上に
インテリジェンスと無縁な大人には
ちんぷんかんぷんの応酬が続く映画なんか
総スカンを食らうのは明らかで
そりゃあ省くよな。(´д`;)ギャボ

自分からしたら
その無教養さからゴーインに展開するような
所謂アメリカン・ジョークの方が
理解不可能だがな。(゚д゚lll)ギャボ

両者は笑いのツボが違うのだよ
疑似体験も含めて
当て嵌まるエピソードが脳裏に浮かぶと
思い出して重ね合わせて
「なるほど」とほくそえんでしまうのだが
無垢な子供や無教養な大人は
奇を衒ってるだけでおかしくて笑うし
むしろ意味があっても
その意味がわからなければ笑えず

そう考えると
真に享楽的な人間とは
勤勉で教養があり
人生経験豊富で
とりわけ失敗談に尽きナイのが
望ましいかもしれナイなw

自分にとっては本でも映画でも
【It’s Greek to me !】な部分こそが
わかれば楽しいし
わからなくても謎を解く愉しみがある

『クオ・ワディス』においては
ペトロニウスが登場してる場面では
これが凄まじいほどで
さすが「趣味の審判者(アルビテル・エレガンティアルム)」と
うっとり失笑するのだwww

ペトロニウスは身分的には貴族で
地位は執政官ではあったが
ネロに重用されてたのは
政治的な立場においてではなく
あくまでもペトロニウスの芸術的趣味が
世間から持て囃されてたのを気に入られたのだ

ネロとペトロニウスの趣味趣向が
具体的にどうだったのか
その最も知りたかったコトが仔細に綴られてて
著者のシェンキェヴィチも
相当なヲタだと改めて感服した・・・ホゥ(*-∀-)

特にペトロニウスの容貌についても
まだ1段落目の終わりくらいで
決定的に胸熱な表現があり・・・

《神のごとき》アレクサンドロスがあなたに似ていたとすれば――ヘレネがああなったのも不思議はありませんね

アレクサンドロスキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

この場合のアレクサンドロスとは
トロイの王子パリスで
葡萄の房の巻き毛を持つ美麗な王子だ

しかもこれはペトロニウスの姉の息子
ウィニキウスの台詞なんである

実はウィニキウスこそが
この物語の主役の美青年なのに
叔父のペトロニウスの美貌について
お世辞抜きでそう言ってるワケで
参考画像はアルフォンス・ミュシャ作の
『Quo Vadis(クォ・ヴァディス)』

美しい巻き毛もアレクサンドロス・パリスらしい
ペトロニウスの彫像(左)と実物(右)

これはご主人様ペトロニウスを慕う奴隷のエウニケが
こっそりと彫像にくちづけをしに来てる図で
この時エウニケは主人に逆らったので
鞭打ちされた後なんである

それはペトロニウスが
甥のウィニキウスを元気付けるために
美女の奴隷を賜ろうとしたのを
当のエウニケが断固として拒否したからだが
想いが叶わずとも罰に鞭打たれようとも
ペトロニウスの傍を離れたくなかったからだ

そうしてエウニケは最期まで・・・
ペトロニウスがネロの命で自殺をする時も
一緒に自死する

その2人の身分を超えたロマンスの
始まりの場面をなんと美しく切り取ったコトかと
ミュシャの感性に絶対的な信奉を齎したのが
この作品である

実物を観れた時は
2時間近く並んだ甲斐があったと
この1点だけでも狂喜乱舞モノだった!

話が逸れたが
《神のごとき》とは
もちろんその美貌が人並み外れてるからだが
「趣味の審判者」と呼ばれる程に
美意識の高い人間が
自らもその美意識に適ってるのだp(-_-+)q

そんな男なればこそ
アレクサンドロス・パリスは
世界一の美女ヘレネが一目惚れした末に
9歳の娘を置いて駆け落ちするに至り
それが元でトロイ戦争が始まったとな!!

児童版や映画ではいかんせん
ここの詰めが甘かったので
自分はペトロニウスを侮ってたが
今や完璧な敗北感を味わってるるる~
但しとても気分が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ負けだが♪

児童版の人物紹介の
ペトロニウスの項を読み返してみると・・・

ローマでもっともすぐれた貴族。その賢さのために皇帝ネロの信頼が厚い。ネロの詩の先生であり、また辛辣な批評家でもある。(後略)

訳者である野田開作の苦心を考えると
申し訳ナイが笑ってしまう!

「すぐれた貴族」なる表現自体が不可思議だが
「賢さのために~信頼が厚い」も
「ネロの詩の先生」も
ペトロニウスの奥深い人物像を
人生経験の浅い子供に対して
わかるように解説するコト自体が
不可能だろうてヽ(゚∀。)ノ

セム、ハム、ヤペテ~アブラハム(アブラム)

セム、ハム、ヤペテがそれぞれの民族の祖となった

殆どの日本人にはなんのこっちゃだろうが
このセム、ハム、ヤペテの3人は兄弟で
父親の名はノア

あの「ノアの箱舟」のノアだ

『旧約聖書』の「創世記」第9章~第10章によれば
この親子は方舟に乗って
大洪水を生き延びた唯一の人間の家族で
だから人類は全員ノアの子孫だとしてるのだ

但し、3人兄弟の誰を祖としてるかで
民族系統は異なってるそうだ
(元は兄弟なら同じ民族のはずなんだが・・・
とゆー突っ込みはナシでw)

『旧約聖書』によれば
セムの子孫のアブラハムの一族が
神に認められた正統な民族(※)となった
元はヘブライ人と呼ばれてたがイスラエル人と自称するようになり
ユダ王国(紀元前922年~紀元前586年)以降はユダヤ人と称された

そしてハムの息子のカナンは
カナン人の祖となったが
ハムは酔っ払って裸で寝てるノアを見たコトで
ノアに呪われて追放されてしまい
現パレスチナ辺りに追いやられたからだ

ヤペテの子孫については
『旧約聖書』の記述が途中までしかなく
その子孫がどの民族系統なのか言及されておらず

しかしギリシア神話のイアペイトスが
ヤペテと似た名前だとして同一視したのは
『失楽園』を著したジョン・ミルトンだった

でもギリシア神話と結び付けたのは無理があって
ヤペテの息子たち=イアペイトスの息子たちならば
人類に火を与えたプロメテウスや
人類初の女パンドラを娶ったエピメテウスが
ヤペテの息子ってのは
いかんせん辻褄が合わん・・・。(´д`;)ギャボ

もちろん
セムが黄色人種
ハムが黒色人種
ヤペテが白色人種
とそれぞれの祖だなんてのは
明らかに後からのこじつけであるるる~
(だから元は兄弟なら同じ民族のはずなんだってばw)

☆・・・☆・・・☆

ユダヤ民族の伝承の創世神話「創世記」と
神ヤハウェとの契約を遂行してきた歴史の記述が
1冊にまとめられて『旧約聖書』となったが
『旧約聖書』の「旧約」とは「旧い契約」の意で
後から唯一神と新しく契約したキリスト教徒によって
便宜上、『新約聖書』に対して
勝手に『旧約聖書』と名付けられたのだ

セムの子孫テラの子アブラムは
99歳の時にヤハウェと契約をして
アブラハムの名とカナンの地を与えられ
それまでカルデア(新バビロニア)のウルに住んでたが
父テラと妻サライと弟の息子ロトを連れて
カナンに向かった

そのころカナンびとがその地にいた。時に主はアブラムに現れて言われた、「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」。

途中のハランで父親のテラは死んでしまうが
アブラハムとサライ夫婦と息子のロトは
カナンに辿り着いて
「神がカナンの地をおれらに与えたんで
おまいらはどけ」とばかりに
ハムの子孫のカナン人は
セムの子孫のアブラハムに追いやられて
現レバノン海岸辺りへの移住を
余儀なくされた。(゚д゚lll)ギャボ

フツーに考えると
アブラハムの方が侵略者で
神の啓示があったなんてのも嘘かもしれナイが
唯一神を信仰してる民族にとっては
神に与えられた権利こそが正当な権利なのだw

ユダヤ人の選民思想は
どんなに卑劣な振る舞いをしても
絶対的な正義は神に認められたユダヤ人にあり
歯向かう相手こそが絶対的な【悪】となる

事実を捻じ曲げてでも
自身を正当化して
敵対勢力が不正であるとするのは
勧善懲悪を信奉する日本人の道徳観念では
到底、相容れず
既に理解の範疇を超えてるヽ(゚∀。)ノ

信憑性はさておき
神との約束通りにカナンを得たアブラハムだったが
その地が飢饉に見舞われると
妻のサライとエジプトに行ったΣ(゚д゚lll)ガーン

さて
エジプトで2人はどうなったか?!

  1. 奴隷として働いてなんとか貯えができて帰国した
  2. 神の恵みで良い働き口が見つかり十分に稼いで帰国した
  3. 結婚詐欺を働いてぼろ儲けして帰国した
  4. 神の預言者として厚遇されたので帰国の途につけた

大正解は3.だが
とりようによっては2.と4.も間違いではナイ

アブラハムは美人妻サライを妹と偽り
パロ(ファラオ、エジプト王の意)に取り持って
その兄として自身もパロに世話になりながら
たくさんの贈物までもらう

しかしこのサライの不倫に怒ったヤハウェは
疫病を齎すのであった!

齎されたのはアブラハムでもサライでもなくて
パロにだが・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

懼れたパロはサライをアブラハムに返し
アブラハムはパロからお土産をたんまり頂いて
エジプトを去った

これを結婚詐欺と言わずして
何と呼ぶのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

 アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出てネゲブに上った。ロトも彼と共に上った(注:ロトはその後ソドムの地へ)。
 アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。

セム系の遊牧民についての的を得た表現が
ゲルハルト・ヘルムの『フェニキア人』にあった

夜になると、獲物を求める盗賊となってやってきた。しかし昼間は、平和的な取引相手であった。

前夜に盗んだモノを
翌朝には盗んだ先に売りに行ってたりしそうだが
元より厳しい自然環境で暮らす遊牧民が
更に飢饉に襲われたら
一族を飢え死にさせナイためには
富める者から分捕るしかなく
その時に善意や良心や道徳観念が
彼らを救う何の役に立つのだろうか?!

自分は『旧約聖書』に対して
そんな想いを根底に感じ取れるので
現代日本人の道徳観で
一方的に批難する気は起きナイ(-_-;)

ところでアブラハムが
カルデアのウルにいたとすると
これは後の新バビロニア王国のなので
時代が合わナイ気がするが
古バビロニア王国時代の話でも
書かれたのが新バビロニア王国時代だからなのか?

何かで検証しようと思いつつ
ずっとそのままになってるるる~

禁忌(イヴとパンドラ)

既にパンドラ(パンドーラー)の名からして・・・

パン=すべて
ドーラー=贈り物

そもそも彼女自身が
人類に災いとして天から齎されたワケで
セット商品的に箱が・・・
元の言語的に正しくは壺(甕)が付いてきてる

その壺の中に入ってたモノは
細々と分別された災いで
中に「エルピス」も含まれてた

この「エルピス」をどう訳すかが問題で
英語圏では「hope(希望)」なので
日本語でも「希望」としてるんだろうが
「前ぶれ」「予兆」「前兆」「期待」・・・
等々に翻訳可能なんである

寓意的な神話で訓話的要素もあるので
どの訳を当て嵌めるのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイのか
解釈次第で何通りもあって正解はナイ

災いセットに「希望」が入ってるコトに
違和感を感じてるとしたら
「前ぶれ」などの災いに含めてしっくりくる語に
置き換えれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

自分なんかはむしろ「期待」を選ぶね
自身では何もせずに他人に依存して
期待してる人間は災いでしかナイ

毒親とその子供の関係なんかは
何が問題なのかって「期待」に尽きるね

一つは親が子供に期待し過ぎて
子供が親を負担に感じるようになるパターン

もう一つは子供が親に愛情を期待しても
親の愛情が欠如してて人格形成に欠陥が生じるパターン

尤も親子に限らず
人間関係では「期待」は殆どの場合災いする

よく友達や恋人に裏切られたって嘆く人がいるが
実はそいつらが裏切ったんでなく
期待した通りではなかったと判明しただけのコトだ

まあでも「エルピス」の真意が何かは
この神話を作った意図からすれば
ワリとどうでも゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

これは禁忌の訓話であり
しかも男性優位社会を築こうとする男たちが
なんとかして女を服従させようとして
でっち上げた作り話に違いナイからだ

人類で初めて禁忌を犯したのは
ギリシア神話に倣えばパンドラだろうが
キリスト教圏で生活してるならば
信じる信じナイは別として
イヴ(エヴァ)を思い起こすだろう

エデンの園で禁断の果実を
食べてしまった人類初の女とされてるイヴだ

『旧約聖書』の「創世記」では
第1章で神によって世界が創られて
第2章で神によって人が造られて
第3章では神に定められた禁忌を人が犯して
神によって罰せられてる

具体的には
まず神なる絶対的な存在を示唆しておいて
その神を裏切ったのがイヴなので
イヴと同じ性の女は罪深い存在だとしてて
要するに罪人であるコトを理由に
女を格下げしようと目論んでるのが
痛いほどわかる構成なのだw

いや、罪を犯したのはイヴ個人で
その罪を人類の女全員が背負う必要なんて
どこにある?!

と、正論をのたまえるのは
自分が現代日本人の女だからで
砂漠や荒野で厳しい自然に晒されて
ギリギリで生きてるような民族に生を受け
ましてや男に生まれてて
しかも族長の立場であったなら
女のまともな意見に対して
いちいち納得して従ってたら
一族は飢え死にするしかなかったのだろう。(´д`;)ギャボ

『旧約聖書』に話を戻すと
禁忌を犯したのが発覚したすぐ後で
罪が神に裁かれる部分では
以下のような原因譚が神の口から語られてる

蛇がなぜ4つ足で歩いてナイのか
女性がなぜ蛇を忌み嫌うのか
女性がなぜ出産の苦痛と夫への欲求を持つのか
男性(人)がなぜ土を耕すのか
男性(人)がなぜ土に返るのか(死ぬのか)

これらの答えが
古代のユダヤの民に生活信条とされたのだが
だから『旧約聖書』の偏った正義が
近代的な道徳から外れているのは致し方ナイ

そうして民族の価値観の相違について
熟考する題材として
『旧約聖書』が書物として存在するのは
ありがたいコトだと思う

イエス・キリストの登場で
『新約聖書』と一緒に勝手に編纂されたり
それをローマ・カトリック教会が
都合良く曲解してしまったりもしたが
それでもユダヤ民族の真意は慮るコトができる

とはいえ
現代日本人の立場から
科学的な見解を言わせてもらえば
男はその事実をスルーして認めナイが
イヴがアダムを助けるために創られたなら
アダムよりは出来が良かったと思われヽ(゚∀。)ノ

それに神が禁忌を設定しなければ
イヴは罪を犯す必要もなかったって話だが
なんで仕向けるようにエデンの園のど真ん中に
禁断の果実が生る木を植えてるんだか・・・

一方、パンドラの場合は
ゼウスは最初から人間を懲らしめるために
災いセット「パンドラ」を贈ってる。(゚д゚lll)ギャボ

プロメテウスこそが粘土で人間を作った
なんて異説もあるが
一般的にはヘシオドスに詠われてるように
人間の男は既に存在してて
プロメテウスが天上から盗んだ火を与えた

実は火だけでなく
ゼウスが糧を隠してた際にも
プロメテウスがゼウスを欺いて糧をも与えた

それは窮乏してた人間を哀れに思って
助けてあげたってだけで
それでゼウスが怒ってるのも
なんだかな~だが
そこでゼウスが人間を懲らしめるとか
本ト、なんだかな~(-_-;)

そうして人間に助力するプロメテウスに対して
ゼウスが騙してやろうと計画を立てて
そのために人間の女を創った

それじゃ人類には
パンドラが齎されるまで
女がいなかったって・・・Σ(゚д゚lll)ガーン
と、引っ掛かるであろうがそこはスルー推奨w

いや、「人間の女を創った」のでなく
鍛冶の神ヘパイストスに命じて
「女神に似せたモノを粘土でこしらえさせた」のだが
それは女神かと見紛う美貌に
プロメテウスが恋してしまうと想定してたからだ

これにパンドラと名付けて
神々から種々の能力と贈物を授けて
当初はプロメテウスに贈ったのだった

ところがプロメテウスは
名前の通りに考えが先立つ男で
怪しいと勘付いてパンドラを拒否したので
名前の通りに考えが及ばナイ男の
弟のエピメテウスが
パンドラに魅了されるままに
妻にしてしまったワケだ

エピメテウスの妻となったパンドラは
箱(壷)を開けてしまう

開けてはいけナイ【禁忌】の箱だったのに
好奇心にかられたパンドラによって開けられた

なんてこった!
【禁忌】を犯して
人類に厄災を齎したのが
女だった!!

先のイヴの寓話とは作者が同じと思える程
その筋立ての根本にある思想が似てるw

実際にこのパンドラなどは
イヴとダブって描かれてるがね

TABOO~パンドラ随想~

3月26日はSteven Tylerの誕生日で
なんと70歳だそう!

Aerosmithの音源は
CD1枚(※)しか持っておらず
グレイテスト・ヒッツ1973-1988

ヒットした曲には馴染みがあるが
アルバムのタイトルが思い浮かばなくて当然だw

40年近くも好きでいて
LIVEにも何度も足を運んでるワリには
筋金入りのにわかファンだったりするるる~

たまたま「パンドラの箱」とアマゾンで検索してみて
初めてAerosmithのBEST盤に
『パンドラの箱』てのがあると知った

これが「箱」ではなくて
『パンドラの匣』となるとRod Stewartだ

「匣」の字を使ってるトコロからして
この邦題をつけたディレクターは
太宰ファンかと睨んでた

それにしてもRod Stewartのアルバムは
原題が『Foolish Behavior』で
「愚かな行動」って意味で
パンドラなんてどこにも見当たらん

これってパンドラが禁忌を破ったのを
「愚かな行動」だとしてるとしたら
その太宰ファンのディレクターは
読みが深くても思考は短絡的なのだろうか?

パンドラはギリシア神話に出てくる人間の女の名で
「パンドラの箱(もしくは壺)」の挿話は
日本でもお馴染みで以下が概略だ

☆・・・☆・・・☆

プロメテウスが天上界から火を盗み
火が生物の中で唯一人類にだけ齎されたが
大神ゼウスはこれを許さなかった

プロメテウスの弟エピメテウスの結婚祝いに
ゼウスは箱(壷)を贈るが
これを開けるコトは許さなかった

花嫁が好奇心に勝てずに
この箱を開けてしまった途端
7種の災いが飛び出したので
人々は大いに憂えた

花嫁が慌てて閉じた箱の中には
前兆(または希望)だけが残った

この箱を開けた花嫁がパンドラだった

☆・・・☆・・・☆

プロメテウス(先に考える男の意)と
エピメテウス(後から考える男の意)の兄弟は
人間ではなく巨人族(Tytan)で
イアペイトスの子らだ

Tytan:ティタン(もしくはタイタン)と言えば
80年代のNew Wave of British Heavy MetalのBANDで
擦り切れる程、アルバムを聴いてたが
アマゾンで検索してみたら
唯一のアルバム『Rough Justice』が
今更(2017年に)CD化されてて
オンタイムのファンの自分には驚愕だった。(゚д゚lll)ギャボ

さて
人類初の女はパンドラでなくイヴ(エヴァ)で
更にパンドラはエピメテウスの嫁ではなく
『旧約聖書』のヤペテの息子の嫁とされてると
トマス・ブルフィンチは『ギリシア・ローマ神話』で
至極当然とばかりに以下のようにのたまう

 プロメーテウスとエピメーテウスとはイーアペイトスの息子でしたが、ミルトンはイーアペイトスをヤペテに変えているのです。

要するにエピメテウスの父親の名が「イアペイトス」で
「ヤペテ」と語感が近いって・・・
それだけかいなw

ノアの方舟で有名なノアには
3人の息子がいて
1人がヤペテ(他の2人はセムとハム)だが
ヤペテの息子となると
ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、
トバル、メシェク、ティラスと7人いて
いったいこの中の誰と誰が
プロメテウスとエピメテウスなのだ。(´д`;)ギャボ

またギリシア神話でも
ノアの方舟級の大洪水があったりするのだが
それはエピメテウスとパンドラの娘が
プロメテウスの息子と結婚した後の話だ

ノアとその息子ヤペテの時とは別に
子孫が再び大洪水にあったとは
『旧約聖書』の記述にはナイ

旧約聖書・創世記ギリシア神話
ノアの代ノアウラノス(妻はガイア)
ノアの息子の代セム、ハム、ヤペテイアペイトス
ノアの孫(ヤペテの息子)の代ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラスプロメテウス、エピメテウス(妻はパンドラ)
ノアの曾孫(ヤペテの孫)の代省略デウカリオーン(プロメテウスの息子)
ピュラ(エピメテウスとパンドラの娘)

ブルフィンチはどうも
ギリシア神話の辻褄が合わナイ部分を正すワリに
キリスト教には従順で
どんなに矛盾を孕んでても
『旧約聖書』には突っ込まナイようだヽ(゚∀。)ノ

まあパンドラのエピソードなど
所詮はイヴと同様に
単に【禁忌】を破った女の話として
その肝心な部分が伝われば
瑣末なコトは気にしなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのが男の身勝手な言い分なのだよ

女は【禁忌】を遵守して
男に仕えるべし!
不貞は禁ずるるる~!!

でも、むしろ男に貞節は守れまいw
美女に誘惑されれば
すぐさま破るだろうからなwww

そんな男の世迷言の呪縛に
初めて打ち勝った女が
ギリシア神話で世界一の美女と謳われた
スパルタ王妃だったヘレネだろうか?!

夫の留守中に他国の王子と駆け落ちをして
トロイ戦争の原因となったのだが
その双子の姉のクリュタイムネストラも
後に元夫を殺した現夫を
不貞の相手と共謀して殺害し
復讐を遂げた

むしろこの姉妹の母親は
スパルタ王妃レダで
白鳥に化けたゼウスと不貞して
この姉妹を産んでるので
もれなくレダこそが
夫である男(ましてや一国の王)に対して
裏切り行為をした初めての女だったのだろうか?!

愛されてなかった?!その時、私は・・・

愛されてなかった?!

と気付いた時に
こちらも愛してなければ
もれなく合意の上で
別れれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

でもこちらは愛してたとしたら
どうするのがベストか?

過去に愛されてなかったならば
これからもずっと未来永劫
相手に愛されるようにはなるまいと
確信を持って絶望するに至るのがフツーだ

ところが不思議と絶望するほどに
愛する気持ちに拍車がかかってきて
より一層、無駄と知りつつも
愛情を求めてしまったりするのだ

いや、愛情なんて
そんな贅沢は望んでなくて
人並みに優しくして欲しいだけ・・・とかね

そんな風に一見、謙虚ながらも
優しい態度を強要するようになると
相手にとっては嫌気が差す決定打となる

しかも絶望を感じる方はたいてい
後追いで愛した方だったりするのだヽ(゚∀。)ノ

その場合は
「惚れた弱味」てのは間違ってる

人情味溢れる御仁であれば
惚れられた弱味なんてコトもあり
気持ちを受け止めようとして
相手の良さを認める努力をしてる内に
何でも許せてしまえるようになり
遂にはすっかり愛してしまえるのだ。(゚д゚lll)ギャボ

ところが惚れた側は逆に
惚れたその時のヴォルテージは最高潮だが
あとは下降する一方・・・。(´д`;)ギャボ

理想に適う相手と勝手に誤解しといて
実際に付き合ってみて
違うと気付く都度
気持ちは醒めるばかり・・・なんてね

惚れられた方が相手に対して
完全に愛情を傾けた頃
惚れた方は相手に辟易してたりして
「愛してなんかいなかった」って
そんな惨いセリフを吐けるようなのは
そりゃあ惚れた強みだね!

恋愛は先手必勝!!

とはいえ
恋愛はどちらかの勝ち負けの勝負ではなく
お互いに勝利者になるのが
成就なんだろうがね・・・

まあでも成就しなかった場合には
後追いで愛情を育んだ方が
どんどん醒めてく方に
負けるのだ(;つД`)

恋愛だけでなく
人生は負けたと思ったら
潔く降参するが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

で、勝った方に負けた方が
今後どうするかを決めてもらって
それに素直に従うのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

他人の気持ちや態度を変えるより
自分の気持ちや態度を制御する方が
まだしも簡単だからだ

それに悩むのは決めかねてるからで
だったら相手に決めてもらえば
悩みは解消するってモノだ

また、絶望するのは
希望通りに行かなかったからするので
だったら希望をこそ捨てれば
絶望に至らずヽ(´▽`)/

ちょうど10年前(2008年)
オルダス・ハクスリーの『恋愛対位法』を
筑摩世界文学大系で読んでた

この小説の冒頭には
まさに惚れた強みの男と
愛されてなかったと気付いた女の
駆け引きの場面から始まる

かつて他の男の妻だった美女を
無理矢理奪ってまで
なんとか妻にしたはずの夫だのに
どうにもその女がウザくなってしまう。(´д`;)ギャボ

そうして男はイラつきながら
憂さ晴らしに浮気をしに行こうとするが
女に勘付かれて引き止められ
なんとかしてウソで切り抜けようと
必死で食い下がるのだ

この時の男の心理描写が絶妙で
余りの屑っぷりに思わず笑えたが
女を自分に置き換えたら
泣いても泣ききれナイ状況だわな(;つД`)

恋愛小説でありがちな
美男美女のハッピーエンドモノは
殆どただの御伽噺でしかなく
自分には胸糞悪いだけだが
恋愛のリアルを淡々と描いてて
コミカルながら切なくなるようなのは
ちょっと胸が痛いけど
ワリと好きかもしれナイと気付いた

それにしても昨年末から
やたらとホフマンとハクスリーが
シンクロニシティを引き起こしてて
不気味ながらも面白い

ホフマンの『砂男』の目玉の寓意を探るべく
平凡社のイメージの博物誌のシリーズの
『眼の世界劇場ー聖性を映す鏡』を
買おうと決心を固めてた時だ

このシリーズを信頼してはいたものの
一応、著者のフランシス・ハクスリーを
ネットでプロフィール確認してみたら
ハクスリー一族と判明!

しかもジュリアン・ソレル・ハクスリーの
息子だったのだ!!

ジュリアン・ソレル・ハクスリーてのは
オルダス・ハクスリーの兄で
このジュリアンとオルダスの祖父は
あのトマス・ヘンリー・ハクスリーなのだヽ(´▽`)/

まあ「あの」と言っても
わからナイ人が99.9%だと思われヽ(゚∀。)ノ

進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンの
「番犬(ブルドッグ)」と称されてて・・・

教会からも学会からも風当たりの強かった進化論を
当人に代わって擁護した生物学者なのだ

そんな系譜をつらつら見てると
意外にもマシュー・アーノルドの名が・・・?!

彼の著書『教養と無秩序』を
つい先日、購入したばかりだったが
それはトマス・ハーディの
『ダーバヴィル家のテス』の
ブログ記事を書いてて
19世紀ヴィクトリア朝の
イギリスの一般庶民について
特に宗教観を知りたかったからだ!

このマシュー・アーノルドは
ジュリアンとオルダスの兄弟の大叔父だった!!
ハクスリー家は父方だが
母方がアーノルド家なのだった

それらとは別に
オルダス・ハクスリーの著書を
今更ながら買い集め始めてしまった

とりわけ神秘主義思想や
それを体現すべく幻覚剤を用いて
自らが行った実験の記録など
手当たり次第に購入して読んでるが
LSDを筆頭に幻覚剤を多数発明・発見したのが
アルベルト・ホフマン博士で
この人はスイス人の化学者なので
ドイツ人作家のホフマンとは無縁なれど
それにしても「ホフマン」かよ(゚ ゚;)

世界観を構築した10冊(子供の頃の愛読書)

人生において最良の本を
10冊選ぶとしたら?

まず、小学校高学年の時に
選んでたと思われる10冊(タイトル)

生きている地球(学研学習マンガ)
ビーグル号航海記(チャールズ・ダーウィン著)
シートン動物記(アーネスト・T・シートン著)
ハックルベリー・フィンの冒険(マーク・トウェイン著)
宝島(スティーヴンソン著)
幸福な王子(オスカー・ワイルド著)
にんじん(ルナール著)
クォ・バディス(シェンキェビチ著)
埋もれた世界(A・T・ホワイト著)
キュリー夫人 愛と科学の母(清閑寺健著)

これらは人生の初期段階で
世界観を構築するのに役立ったが
後に人生の岐路においても
常に道標となった

虚弱体質だった幼少の砌に
お世話になった小児科の待合室に
置いてあったのが『生きている地球』

【ビッグバン】から始まり
地質時代の様子が年代を追って描かれたマンガで
それはまさに知りたかったコトばかりで
毎度、熱心に読んでは
興奮して更に熱が上がってたw

その本への病的な執着が
遂に医師の妻で薬剤師の女性の心を動かし
「よかったらどうぞ持って帰って
差し上げますから」と言わしめた時
熱意が人の心を動かすと
奇蹟が起きるのだと
初めて確信したのだった

生命の誕生から
人類への進化までを
理路整然と説いた【進化論】には
魂を揺さぶられたが
とりわけ生命の誕生については
オパーリンの【コアセルヴェート説】で
神々しく美しい生命のスープが
干潟になって濃縮してく様子を思い描いては
生命の神秘に涙した

そんな風に理性と感動によって
自分が世界観の外枠を構築した後で
旧約聖書の冒頭の創世記による世界の始まりを
キリスト教かぶれの母親から
いくら恭しく押し付けられたトコロで
突っ込みドコロ満載な寓話としか思えなかったw

【進化論】を構想するに至った経緯を
ダーウィンが綴った『ビーグル号航海記』は
自然の厳しさ(ある意味無慈悲さ)と
そこに生きる生物の
力強さと儚さ、強靭さとしなやかさといった
地球が織りなすドラマに感じ入った

そうして【進化論】を踏まえて
動物の生態に興味を持つようになり
『シートン動物記』も読むべくして読んだが
中でも「狼王ロボ」でオオカミが大好きになり
今に至るるる~

『ハックルベリー・フィンの冒険』や『宝島』は
『ビーグル号航海記』からしてそうなんだが
後に海洋小説とそれを原作とした映画を
格別に好むきっかけになった

まあ自分自身はからきし苦手で
酒より船の方が酔うんだがね( *゚Д゚)つ[酒]

典型的なお人好しの江戸っ子だった自分は
『幸福な王子』でワイルドのペシミズムに衝撃を受け
母親に嫌悪されてると悲観し始めた時
『にんじん』で同士を見出してほっとした

歴史小説『クォ・バディス』(※)は
ローマ皇帝だったのがネロの時代の
キリスト教に傾倒した長編で
実在した登場人物のネロとセネカ
そしてペトロニウスが魅力的だった
映画のタイトルでは『クォ・ヴァディス』、新訳(岩波文庫)だと『クオ・ワディス』

当時はまだキリスト教に対して
今ほど反感は抱いておらず
もれなくこの小説こそが
不信感を募らせる要因になったのだったヽ(゚∀。)ノ

『埋もれた世界』は
トロイア、エジプト、メソポタミア、マヤの
遺跡を発掘する考古学者たちについて
子供にもわかりやすく書かれて(翻訳されて)たが
古代文明の中でも自分は特にトロイアに惹かれた

たくさんの伝記を読んだ内では
『キュリー夫人』に1番感銘を受けたが
それは化学者としてノーベル賞を受賞した女性が
既にいるのは心強かったからだ、なんて
自分もキュリー夫人の後に続くつもりでいて
化学だけは執り憑かれた様に勉強してた

但し、物理学(の数式)を理解できるほど
知能を持ち合わせておらず断念。(´д`;)ギャボ

『クォ・バディス』の著者シェンキェヴィチも
キュリー夫人と同じく
ノーベル賞を受賞してるポーランド人だが
受賞時にはポーランドは地図上から消えてて
2人とも祖国独立を悲願してたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

結局、シェンキェヴィチは
独立を目にする前に命尽きたが・・・

上記10冊の他にも
世界観を構築するのに
補助的な役目を担ったのが
山川出版の日本史用語集と世界史用語集と
旧約聖書・新約聖書、古事記、ギリシア神話などで
愛読書と言うよりは便覧のように
何かにつけ参照しまくった

自分はこの時点で最早
読書の醍醐味は
1冊の本を最初から最後まで読みこなして
単体で消化するだけに非ず
一言一句から
著者の真意を汲んで
改めて世界を読み解くコトに
意義があると気付いて
生真面目に読書をしなくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

40年近く経った今
改めてこれら10冊に感謝したいのは
与えられた知識はもちろん
感動、信条、希望、霊感・・・etc.etc.
そしてノスタルジーも加わり
人生をスピリチュアルな面から
支えてくれたコトだ

気のふれた母親に
押し入れに閉じ込められても
電気スタンドで照らされた文字から
確信してた

世界は広く美しい(はず)

いつも心を希望で満たし
明るい未来へ導いてくれ続けた

親友(著者)と時空を超えて
共有してる宝物のような存在が
愛読書だと自分は思う

『砂男』と『ネオン・デーモン』

早朝に映画を観てたのは
前夜に1度観た『ネオン・デーモン』の
細部を確認したかったからだ

こんな衝撃的なシーンから始まるが
一緒に観てたダンナは
これがドールだ(人間ではナイ)と断言。(゚д゚lll)ギャボ

自分はモデルの物語だと知ってたので
ドールに見立ててる人間だと思いつつも
100%の自信がなく・・・

クローズ・アップになってみて
その瞳を確認してから
やっと人間だと確信・・・ホッ(*-∀-)=3

そうして人間かドールかの区別をするのに
自然と瞳に注目するのは
自分だけではナイだろう

今はカラ・コンが普及したので
ドールぽい目にも見せかけられるが
だからこそ、逆に
いかにもドールぽい目ならば
人間が意図してやってるのがわかる

ましてや今の自分は
『眼の世界劇場』なんて本を読んでる最中で
目玉に対して敏感になってるのだがw

そもそも先週(あ、もう先々週か)
『ホフマン物語』のオペラを観に行って
どうにも腑に落ちナイ部分を
ホフマンの原作や原文のドイツ語まで
検証してる最中だったのだ

オートマタ(自動人形)のオランピアと・・・

彼女を創ったスパランツァーニ博士以外に
その目玉部分だけを提供してるコッペリウスの
存在の奇妙さに引っ掛かってた

見ての通り
象徴的に目玉を配した衣装も
渦巻や螺旋を配したオランピアの巨大ドレスに
引けを取らずヽ(゚∀。)ノ

原作では
夜遅くまで起きてる子供の
目玉を砂男が抉り出すなんてコトを
乳母やがまことしやかに話して
幼かったナタナエルを怖がらせてる

そこまでで済めば
大人になったナタナエルは
忘れるか、思い出して笑うレベルだろう

しかし実在した弁護士コッペリウスの正体が
砂男だと確信してたナタナエル。(´д`;)ギャボ

青年になってからも
そっくりの晴雨計売りのコッポラに遭遇したら
すっかり現実として砂男が蘇えるるる~

しかも理想の女性と思って恋したオランピアが
コッポラに目玉を刳り貫かれてて
実はオートマタだったと気付くなんて
夢にしたって酷い悪夢でおかしくなりそうだが
残酷にも現実なのだった

((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

思いっきりネタバレしてしまうと
『ネオン・デーモン』でも
目玉が象徴的に出てくる(以下、グロテスク画像注意)

これはラスト・シーンで
モデルが吐き出した目玉だが
これをもう1人のモデルが拾って
呑み込んだトコロで終わり
文字通り後味が悪い結末となってる(゚*゚;)

目玉を吐き出すきっかけになったのは
その時、プールサイドでの撮影だったが
水底に見える2つ並んだ栓が
まるで目玉のように見えてた(のは気のせい?)

それが水流によって揺らいで見えてて
吐き気を催してしまい
控え室へ駆け込む(最終的には嘔吐)

そのずっと前の場面で
鏡に描いてるこれ・・・

この×が2つ並んでるのも目玉(が無い状態?)・・・
てのは考え過ぎだろうか?

そんなワケで色々気になって
翌朝、再度、じっくり観てみたら
主人公の少女と契約するモデル・エージェンシーが
ロバータ・「ホフマン」・・・バタリ ゙〓■●゙

やはり『砂男』の不気味なモチーフを
意識して使ってる・・・のか?

いや、鏡が出てくるシーンも多いから
むしろ『砂男』だけでなく
『ホフマン物語』なんだろうか???

特にモデルの1人が
整形しまくりの人工的美女って設定で・・・
(彼女にとっては歯を磨くのと整形は同義らすぃw)

その彼女がランウェイのバックステージで
独特の奇抜なメイクを施されて
まるで他人のように鏡の中の顔を見てたりするが
その鏡像はまるでピエロ。(゚д゚lll)ギャボ

整形しまくりの時点で彼女自身の本来の顔と
鏡に映る姿はかけ離れてしまってるのに
美しさを極めてトップモデルの座を手にしても
鏡像がピエロ。(´д`;)ギャボ

何とも皮肉な事態だw

そして別のモデルは
オーディションに落ちた際に
鏡をぶち割った!

それまではナルシストで
鏡を見ては惚れ惚れしてただろうが
恐らく初めて
第三者に拒絶されてしまったので
今まで信じてた鏡像に
裏切られた感がそうさせたのだろうか(゚ ゚;)

そして主人公の少女が
ランウェイのラストの1番気合の入ったドレスを着て
登場するシーンがこんな・・・

三角3つからなるこのネオンが
タイトルのネオン・デーモンなのか???

個人的にはこの主人公の気絶シーンが
最も美しさを堪能できた

それにしても『砂男』のまとめ中に
なんでこんな映画を観てしまったのか?!

凄いシンクロニシティだヽ(´▽`)/