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『水妖記(ウンディーネ)』はドイツ人作家フーケが
1811年に発表した民間伝承を元にした幻想文学で
文学史で言えばドイツ後期ロマン派だ

水の精ウンディーネには魂がなく
人間の男に愛されるコトによって魂を得るが
男に裏切られたら、その男を殺さなければならナイ

と、そんな前提のお話で
遡ればギリシア神話に登場する海の妖精セイレーンから派生してて
恐らくアンデルセンの『人魚姫』も
ウンディーネやセイレーンを元にして創作したモノで
キリスト教風味を強めたのだと思われ

20世紀初頭のフランスにおいて
ジロドゥがフーケの作品を戯曲化した『オンディーヌ』は
現代まで繰り返し演じられてるだけあって
水の精だとしても人間のフツーの女と何ら変わらずオンディーヌは一途で
オンディーヌが愛する人間の男ときたらやっぱフツーに不実で
そんな男女の恋愛の普遍の切なさに深く胸をえぐられるが
実際に芝居としては観たコトナイのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

できるなら若く美しい加賀まりこさんのオンディーヌを観たかったな
テレビのインタビューでかつてやったと言ってたのだが
その際にオンディーヌなぞ知らなかったので
慌てて神保町の古書店で原作を買って読んだとか
彼女はさすが神田生まれだな、とやけに感心したのを覚えてるるる~

そういうワケで『水妖記(ウンディーネ)』を読み終えた後で
『人魚姫』も『オンディーヌ』も改めて読みたくなったし
『水妖記(ウンディーネ)』と一緒に買った『ライン河の文化史』も
ウンディーネ伝承の原点に触れていそうで読みたかったが
全て電子書籍ではなく紙の本で、しかもどれも持ち歩くレベルの大きさではナイので
就寝時と起床時に寝床で読むしかなくて枕元に積み上げといた

そこで持ち歩き用は電子書籍だよな~と思いつつも
ふと目に付いたのがバルザックの『サラジーヌ 他三篇』だった

サラジーヌ 他3篇 (岩波文庫)

表題作の『サラジーヌ』は別の訳でも持ってて
何度も読んでたので今更慌てて読む必要はなかったのだが
なぜか読み始めてしまう・・・こういうのって絶対に何かシンクロしてるのだが
やはりそこでセイレーンだの、ピュグマリオンだの、ハルピュイアだのが
女性の性質の例えとして使われてたのだった。(゚д゚lll)ギャホ

そしてその例えが素晴らしく的確なのだ!
さすがバルザックだ!!

セイレーンはギリシア神話の中では下半身が鳥とされてて
水辺で歌を歌っては航行中の男を惑わし、難破させたりしてたのだが
中世にはライン河畔の岩礁ローレライにも
魅惑的な声で男を誘惑し、水中に船もろとも引きずり込んでしまうとゆー
その名もローレライなる水の精が出現したらしい

セイレーンもローレライも元は人間の女(の名)で
紆余曲折の末に水に棲みつき、歌う魔物となったのだが
そこへ行くと人魚姫やウンディーネ(オンディーヌ)の場合は
恋い慕う人間の男のために人間になろうとする魔物上がり(?)なので
事情は全く逆なれど、男に捨てられた女だってのは
これらの一途な女たちの種を超えた共通事項なのであるるる~

片やピュグマリオンの方は人間の男に請われる女で
彫像だった彼女は女神に命を与えてもらい、男に愛されるのだ

なんという対極的な女たちであろうかヽ(゚∀。)ノ

男に愛される女になりたかったら、彫像のように美しくあり
それ以上に大切なのは彫像のように黙して語らぬコトなのだなw

愛してる、とその気持ちを露わにし、男を恋い慕えば
1度は受け容れてくれるかもしれナイが、いつか必ず捨てられるのか?!

さて、『サラジーヌ』の中でこれらの語が出てきた場面だが・・・

小部屋に身を隠している際に女中の閉めたドアに挟んで指を二本くらいつぶされても、叫び声をあげてはならないのだ。こうした手ごわい妖婦(セイレン)を愛することは、自らの命を賭けることではないだろうか?

妖婦、に「セイレン」とルビがふってあるのが憎い!(訳者は芳川泰久)
ちなみにこれは実在したド・ジョクール侯爵が
愛妾の家で身を隠した時に本トにあったエピソードなのだそうで
詳細は不明だが愛妾を庇うために声も出さずに痛さを耐え抜いたのだとか(-人-;)

で、この続きがある

そしてだからこそ、こうした女たちを、おそらくわれわれはかくも情熱的に愛するのだ!

情熱的・・・冷めるのを前提にして、なんて巧い言い回しなんだw
だから奥さんを情熱的に愛したりもしナイって?!

そして扇情的ではナイ男にとっての理想の女性は彫像やお人形なのだね

サラジーヌは、彼のために台座から降りてきたこのピグマリオンの彫像を、穴のあくほど見つめました。ラ・ザンビネッラが歌うと、もう有頂天でした。

ラ・ザンビネッラはカストラートなので実は男だが
サラジーヌは田舎者でカストラートの実体を知らなかったし
これは洗練された都会の男でも然りだが
毎度、化粧や衣装に惑わされてしまうほど男は単純なのだよヽ(゚∀。)ノ

結果的に、真実を知ったサラジーヌはラ・ザンビネッラを罵倒するるる~

おれはいつまでも記憶のなかに、天の怪鳥ハルピュイアの姿を抱くことになるだろう。そいつはこのありとあらあゆる男心に爪を立てに舞い降りてきて、おまえ以外のすべての女に、不完全という烙印を押すことだろう!怪物め!おまえは何ものにも生命を与えることができない。おまえはおれに対し、この大地から女という女を根絶やしにしてしまったのだ

それにしてもサラジーヌに限ったコトでなく
男ってのはどうして失態も不甲斐無さも自身の責を認めず
女(※)のせいにしなければ気が済まナイのだろう
かつて愛を捧げた美女を「怪鳥ハルピュイア」呼ばわりして逆恨みとはwww
まあラ・ザンビネッラは実際は男だったがね

kaiseisha

小学生の時に夢中になって読んでた本は
いわゆる不朽の名作ってヤツばかりだったので
児童版とてまさか絶版になろうとは思いもよらなかった

クオ・ワディス〈上〉 (岩波文庫)森鴎外全集〈10〉即興詩人 (ちくま文庫)嵐が丘 (新潮文庫)
愛の妖精 (中公文庫)マリー・アントワネット 上 (角川文庫)スペードの女王・ベールキン物語 (岩波文庫)
荒野のおおかみ (新潮文庫)にんじん (岩波文庫)赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)
ゲーテ全集 (7)ベートーヴェンの生涯 (岩波文庫)マリー・キュリー―フラスコの中の闇と光 (グレート・ディスカバリーズ)
ビーグル号航海記 上 (岩波文庫 青 912-1)レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上 (岩波文庫 青 550-1)

神保町の古本屋でシェンキェビチの『クォ・バディス』を見つけて
懐かしさの余り購入して読んでたら
当時の想いが胸に広がって不思議なカンジがした・・・

そこで早速アマゾンで大人買いしようと探したのだが
児童版全集では『ビーグル号航海記』さえなくて驚愕した。(゚д゚lll)ギャボ

以下、少女世界文学全集一覧(【16】クォ・バディスの巻末より)

著者収録作品訳者
1モンゴメリー「赤毛のアン」村岡花子
2シェークスピア「ハムレット」「ベニスの商人」森三千代
3ハドソン「緑の館」野田開作
4アンデルセン「即興詩人」伊藤左喜雄
5チェーホフ「三人姉妹」「桜の園」大庭さち子
6シャーロット・ブロンテ「ジェーン・エア」榛葉英治
7プローティー「母の曲」宮内寒弥
8アボット「幸福の家」岸なみ
9ビョルンソン / ラーゲルレーブ「日向丘の少女」「沼の家の娘」山室静
10エミリー・ブロンテ「嵐が丘」船山馨
11ウィンスローエ「制服の処女」富沢有為男
12オルコット「若草物語」川端康成
13ツワイク「悲劇の王妃」大原富枝
14シェークスピア「ロミオとジュリエット」「夏の夜の夢」桂芳久
15ウェブスター「あしながおじさん」中里恒子
16シェンキェビチ「クォ・バディス」野田開作
17シュトルム「みずうみ」「三色菫」結城信一
18ウィギン「少女レベッカ」城夏子
19エレナ・ポーター「パレアナの青春」村岡花子
20プーシキン「大尉の娘」「スペードの女王」大庭さち子
21ゲーテ「君よ知るや南の国」森三千代
22パール・バック「大地」藤原てい
23ジョルジュ・サンド「愛の妖精」「魔の沼」三井ふたばこ
24ドストエフスキー「罪と罰」伊藤左喜雄
25オードー「孤児マリー」「光ほのか」畔柳二美
26小デュマ「椿姫」宮内寒弥
27シュランパ「少女シリアの死」大滝重直
28ヘッセ「春の嵐」「車輪の下」榛葉英治
29トルストイ「戦争と平和」未定
30ドーデー「ちび君」「風車小屋だより」未定
31ルナール「にんじん」未定
32ジイド「田園交響楽」「狭き門」今官一

実際ルナールの『にんじん』はこのシリーズにはなかったが
むしろ岩波文庫の通常版はイラストもFelix Vallottonで味わい深かった
そういえば彼の描いた著者ルナールがシュールながら似過ぎてて゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

メリメの『カルメン』やモーパッサンの『女の一生』なんかあったのだな
参考LINK:偕成社少女世界文学全集 1960~1970年

1番のお気に入りは『クォ・バディス』だったが
この作品でネロとセネカとペトロニウスを知ったコトで
世界観がどれほど拡がり、それによって人生がどれほど豊かに潤ったか!!

次点は3作あって『嵐が丘』と『即興詩人』と『愛の妖精』だが
成長してからもこれらの通常版がずっと愛読書だ

逆にどうしても受け容れられナイのが
『赤毛のアン』『あしながおじさん』『ジェーン・エア』で
これは今でも変わらなく大嫌いだp(-_-+)q

シェイクスピアも当時はピントがズレてる気がして
人生においてずっとイマイチ好きになれなかったのだが
ごく最近読み直して作品によって好きなモノも出てきたトコロだw

嫌いではなかったけど怖かったのは『スペードの女王』だった。(´д`;)ギャボ
まあそのお蔭で賭け事には無縁でいる=無駄な損失はナイ

そしてスタンダールの『赤と黒』はこのシリーズでは読んでなかった
とーちゃんが持ってた完訳版のを読んでたのだ

ちょうど宝塚の『ベルばら』全盛期の時に『悲劇の王妃』読んで
フランス革命にハマったのだヽ(゚∀。)ノ

後にゲーテの『君よ知るや南の国』が
『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の一部と知った時は
幼馴染みと再会したような気分だった

ヘッセについては『春の嵐』も『車輪の下』も゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだが
やはり『荒野のおおかみ』ほどの衝撃はなかったな・・・

想いは尽きナイ・・・ホゥ(*-∀-)

子供の頃に本を読んでなかったら
今の自分はナイ

実際、自分はたいした人間ではなくて
世の中の基準からしたらクズみたいな存在だろうが
自分自身ではなかなか気に入ってるし
何より愉しんで生きてる

それとゆーのも本が
広大な世界観と尊敬すべき先達を知らしめてくれたからだ

皆もっと素晴らしい本をたくさん読めば
読んだ分だけ幸せになれると思うのだけどなあ・・・

それには子供の頃から読む習慣がなければいきなりは読めまい(-_-;)
しかし読むべき本がナイのだ・・・バタリ ゙〓■●゙

世界偉人伝全集一覧(少女世界文学全集【16】クォ・バディスの巻末より)

偉人表題著者
1野口英世「世界に誇る偉人」沢田謙
2キュリー夫人「愛と化学の母」清閑寺健
3西郷隆盛「維新の英傑」富田常雄
4ヘレン・ケラー「20世紀の奇跡」村岡花子
5豊臣秀吉「戦国統一の英雄」柴田錬三郎
6ノーベル「世界文化の恩人」崎川範行
7夏目漱石「永遠の文豪」多田裕計
8ナポレオン「運命の英雄」柴田錬三郎
9二宮金次郎「至誠と勤労の人」加藤武雄
10ナイチンゲール「クリミアの天使」岡田禎子
11織田信長「戦国偉大の英雄」真鍋呉夫
12エジソン「世界の発明王」中山光義
13福沢諭吉「近代日本の先覚者」沢田謙
14ベートーベン「永遠の楽聖」大滝重直
15紫式部「王朝文化の光」高木卓
16パスツール「愛の科学者」桶谷繁雄
17明治天皇「近代日本の建設者」寒川光太郎
18キリスト「愛の救世主」清閑寺健
19石川啄木「薄幸の詩人」野田開作
20アムンゼン「極地の探検家」寒川光太郎
21湯川秀樹「ノーベル賞に輝く」沢田謙
22ベーブ・ルース「世界の野球王」中山光義
23徳川家康「江戸幕府の建設者」吉田与志雄
24ジンギスカン「アジアの風雲児」尾崎士郎
25宮沢賢治「土と魂の詩人」浅野晃
26ダ・ビンチ「万能の天才」富永次郎
27勝海舟「智と意気の人」沢田謙
ミレー「愛の画聖」清閑寺健
日蓮「苦難の聖雄」福田清人
バッハ「近代音楽の父」大滝重直
島崎藤村「不滅の文学者」伊藤左喜雄
リンカーン「自由の父愛の人」那須辰三
戦国名将伝「智・情・勇の達人」浅野晃
ワシントン「アメリカ建国の父」沢田謙
一休禅師「警世の名僧」桑田忠親
ニュートン「近代科学の父」三石巌
芭蕉「自然を愛した詩人」伊馬春部
ガンジー「インドの聖雄」沢田謙
北里柴三郎「日本医学の恩人」未定
シューベルト「歌曲の王」未定
宮本武蔵「心眼を開いた剣聖」浅野晃
ファーブル「昆虫の詩人」小林清之介
樋口一葉「薄幸の才女」持丸良雄
ダーウィン「科学の偉人」中村浩
徳川光圀「憂国の名君」吉田与志雄
アインシュタイン「世紀の科学者」菅井準一
源頼朝「鎌倉文化の建設者」浅野晃
シュバイツァー「原始林の聖者」未定
聖徳太子「日本文化の建設者」未定
プルターク英雄伝「英傑群像」沢田謙

今はこういう偉人伝を読んで感銘を受けたコトのナイ子供ばかりなんだろうな・・・

taboo

基本的にアンデルセンの童話はキリスト教徒の正しい生き方を示唆するモノだが
『赤い靴』はそれ以上に美貌を鼻にかけてチャラチャラした娘は
親に不幸を齎し最終的には自身も不幸になってしまう
そういう脅迫めいた教訓が全面的に押し出されてる。(゚д゚lll)ギャボ
しかもやり過ぎでありえナイ。(´д`;)ギャボ

赤いくつ―アンデルセン童話

美しくも貧乏で夏場は裸足だった少女が主人公で
そんな少女がやっと手に入れた赤い靴を履いてる時の至福・・・ホゥ(*-∀-)
どれほど誇らしくあったかは想像に難くナイ
だから教会のミサにも履いていってしまうなんてのは
貧しい村で日曜のミサは唯一の社交場でもあったのだから
この主人公でなくてもうっかり履いてって咎められるだろう

しかしいくらなんでも実の母親や養母に対して
死の間際に放置プレイで赤い靴を履いて踊りに行くとか
死んでその葬式にも赤い靴を履いていくとか
余りにも非情で非常識過ぎるってば・・・バタリ ゙〓■●゙

それって非モテだったアンデルセンがのぼせた女性に対してやられた仕打ちから
それくらい美女や美少女は非情で非常識だなんて思えたのでは?

なんかクライマックスの脚を切り落とす衝撃的なシーンとか
アンデルセンを拒絶した女性に対する憎悪が剥き出しなカンジで
怖ろしく思えるのは勝手に踊り続ける赤い靴を履いてしまうコトより
アンデルセンの、つか、非モテ男の怨念だよなあヽ(゚∀。)ノ

そんなコトを考えつつ
昨夜は数年ぶりになるであろうか?
赤い靴を履いて踊りに行った・・・最終的には呑みに行った( *゚Д゚)つ[酒]が正解w

よく考えたら赤い靴は四十路超えてから初めて・・・
昔はお気に入りでフリルソックスと合わせて履くのが大好きだった
いや、今でもお気に入りでやはりフリルソックスも大好きで過去形ではナイ
常識的な視点から43歳でこの足元はマズイだろうと
奔放な自分でさえ思って控えてたワケだ!
『赤い靴』の主人公のような度を越えた非常識さはありえナイって!!

しかし昨夜はハロウィンの仮装としてなら
ババアが赤い靴、笑って許してもらえるよな~と(^▽^*)
そして靴に合わせて少女のエプロンドレスを選択
アリスにしてみた・・・残念ながら(?)自分では写真撮るの忘れたが

そしてそのアリス服が「エロ」アリスで超ミニだったんで
ちょっと脚の露出がハンパなくてソックスはニーハイにしたのだった

一応自室でこっそりとDiorのフリルソックスも合わせてみたりして(*^^*)

ワインとチーズより
葡萄酒と乾酪の方がぐっとくるので
森鴎外の雅文が好きだ

雅文(がぶん)は、.Wikipediaによれば

雅語、詩語を多く用い、優雅、典雅、高尚、流麗などの言葉で特徴付けられる文体。古典の文体、特に和文体の別名。

実際、どういうモノかを当の鴎外が語ってるのを引用すれば

国語と漢文とを調和し、雅言と俚耳とを融合せむと欲せし、放胆にして無謀なる嘗試は、(以下略、てか、ちょっw待てwww)

国語と漢文はわかる
でも雅言と俚耳ってのがまず読めん・・・バタリ ゙〓■●゙

がげん
【雅言】
(1)洗練された言葉。優雅な言葉。雅語。
⇔俗言
(2)主として平安時代の和歌や仮名文などに使われた大和言葉。江戸時代の国学者や歌人が、正しく風雅なものとして尊んだ言葉。雅語。

りじ
【▼俚耳】
世間の人々の耳。俗耳。
「―に入りやすい話」「大声(たいせい)は―に入らず/吾輩は猫である(漱石)」
→俚言

漱石も『吾輩は猫である』で「俚耳」って使ってたのか(゚*゚;)

で、放胆にして無謀なる嘗試ってのは・・・

ほうたん はう―
【放胆】
(名・形動)[文]ナリ
あれこれと迷わずに思い切りよく大胆に事をなす・こと(さま)。
「―な男」「―に振る舞う」
[派生]――さ(名)

しょうし しやう―
【▼嘗試】
(名)スル
ためしてみること。経験すること。
「一旦其自由を得て之を―する/明六雑誌14」

以上、大辞林第二版より

要するに、鴎外は雅文という様式で
国語と漢文、古典と現代文、そういう相対する文体を
大胆に美しくMIXしてたってワケだ

この雅文についての説明があるのは
アンデルセンの『即興詩人』の巻頭の訳者(鴎外)の序文で
この翻訳はとりわけ日本語の古語とイタリア語との交わりが優美だ

アンデルセンの祖国デンマークでさえ評価が低いこの作品が
我が国で愛読され続けてるのは鴎外の雅文訳があるからだろう

もちろん鴎外自身の作にも雅文は使われてて
例えば『舞姫』をわざわざ口語体で読む人の気が知れん。(´д`;)ギャボ

とはいえ、鴎外も口語体だと酷いのがある。(゚д゚lll)ギャボ

初めて読んだ『ヰタ・セクスアリス』も今一つだったが
次に読んだ『大発見』は内容も酷過ぎて
これが自分の中で【鴎外=下劣】の図式が成立する決定打となった

『ヰタ・セクスアリス』は童貞喪失までの気を揉む話で
これはまだしも前半の薀蓄などは興味深い部分もあるのだが
『大発見』はなんせ鼻糞が主題・・・バタリ゙〓■●゙

無理、無理、無理。・゚・(ノД`)・゚・。

今にして思えば
初めて鴎外を読むのに何が好いか迷ってた矢先に
男友達がこの2つを厳選した気持ちはわからなくもナイ

確かに男同士で気を許し合うにはうってつけの主題で
もれなく親しみを感じてくれるに違いナイと踏んだんだろう
こちとら女子力皆無だったしな・・・

後にゲーテの『ファウスト』の鴎外訳を読んで
いかにも鴎外らしい雅文に圧倒されて
最悪の第一印象は払拭されたがね

アンデルセンに話を戻すと
彼の童話は基本的に
キリスト教徒の正しい生き方を示唆するモノで
まるでピューリタン文学のようだったりするのだが
(美)少女が酷い仕打ちにあったまま命を落とすとか
どうにも救われナイ物語が多い

しかも物語の世界観の中で垣間見る神は
キリスト教の神でなく、アンデルセンのような・・・?
そりゃまあ作者は物語の世界観を構築した神に違いナイのだがね

特に『赤い靴』は
アンデルセン当人の体験から生まれた物語らしいのに
同じコトを美少女にさせておいて
「美貌を鼻にかけてチャラチャラした娘は
まず親に不幸を齎し
最終的には自身も不幸に陥ってしまう!」
そんな脅迫めいた教訓が全面的に押し出されてるるる~

なんせ主人公の美しくも貧乏で夏場は裸足だった少女が
やっと手に入れた赤い靴を履いた時
読者の少女たちも一緒に至福を分かち合うだろうが
教会のミサにまで赤い靴を履いてってしまう暴挙に出てしまうと
殆どの読者諸嬢は恐らく違和感を感じるはずだ

更に、実の母親や養母が死の間際でも
赤い靴を履いて踊りに行って
死んで、その葬式にも赤い靴を履いてくなんて
そんな非常識で薄情な主人公に共感できるような少女は
既に童話なんか読まナイと思われw

でもこの時、ハラハラしながらも主人公に同意できるとしたら
この主人公に似た美貌と性質を持ち合わせた少女なんだろうから
美(少)女は非常識で薄情でいるときっと後で酷い目に遭う
なんて、非モテだったアンデルセンが自分をふった女性に対して
呪いをかけてるような・・・考え過ぎかね???

特にクライマックスの脚を切り落とす衝撃的なシーンなんて
アンデルセンを拒絶した女性に対する憎悪が剥き出しな気がするし
そもそも勝手に踊り続ける赤い靴を履く美(少)女ってコンセプト自体が
アンデルセンの、てか、非モテ男の怨念めいてて
怖いってより凄く気持ち悪く感じるのだが
それでも『赤い靴』は自業自得でもあるので仕方ナイ

ここでまた森鴎外に話を戻すと
『舞姫』は雅文の素晴らしさにうっかり騙されるんだが
話としては『ヰタ・セクスアリス』や『大発見』以上にふざけてて
『人魚姫』も驚愕するような裏切りの物語だ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

しかも全く架空の物語でなく、モデルがいたってどうよヽ(゚∀。)ノ