喉が渇くから水を飲むように・・・

心が乾くから本を読むワケだが
何度読んでもその度に潤してくれる本が愛読書と成り得る

生涯を通じて愛読してる本があるなら
それこそが人生のバイブルだったに違いナイ

自分の1番の愛読書は何か?

ふと思い立って本棚としばしにらめっこ・・・
1番読み込んだ=1番傷んでる?

いや、最初から汚れた感があるような紙質の古本を買ってたり
買い直して今はたまたま綺麗な状態のもあったりするし
そもそも同じタイトルでも訳者が違って何冊も持ってたりするから
そうすると傷みが1冊に集中しナイので基準にはならナイのだ
それに確認作業のために頻繁に開く本は辞書のようなモノで愛読書とは言えナイ

さかしま (河出文庫)

長い間飽きずに様々な読み方で愉しんで2度も買い直してる本なら
澁澤龍彦訳のユイスマンスの『さかしま』だが
素直に愛読書と言えるかどうかはビミョ~(-_-;)

一応(?)小説なのだが筋を追うコトはなく
専ら主人公デ・ゼッサントのアート・エッセーのような感覚で
そこに挙げられてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
となると、愛読書ってより耽読書なのだな

そうすると愛読書らしいのはアランかもしれナイ

アランの『幸福論』は自分より年上の本だけあってよごよごなのだが
古本屋で買った時からその状態なので特に気にするには及ばず
ずっと旧仮名遣いの石川湧訳に馴染んでたのだが
近年になって新訳(ってもそんなに新しくもナイが)を2冊購入して
今は3冊持ってるw

新しく買ったのは集英社の白井健三郎訳と岩波文庫の神谷幹夫訳だが
神谷訳が1番的確な訳であるコトは疑いようもなく
でも石川湧の旧仮名遣いの訳は日本語の美しさが際立ってるし
それに比べて白井健三郎の訳は読み易い点で勝ってる
そんな風に三者三様なのだから3冊とも必要なのであるるる~

ところで『幸福論』と言えば
アランに加えてヒルティとラッセルで「世界3大幸福論」とする向きもあるが
これはまるで「世界3大宗教」のような括りで3者は全く相容れナイ

ヒルティはキリスト教信者にとっての幸福論であり
ラッセルは凡庸に生きるコトの幸福さを諭してるモノであり
キリスト教信者でもなく、既に凡庸に幸福を見出して生きてる自分には
何の効力も持たナイのだよ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

だがしかし!
エピクテトスに関する詳述があるので
ヒルティの『幸福論』は岩波文庫の第1部を持ってたりして
その部分だけはしつこく読み返してたりするのだ

アランの『幸福論』の何が+.(・∀・)゚+.゚イイのかって
論じられてる幸福の定義やその定義に即した対応策も心地好く心に響くが
それ以上に引用してる事柄がどれもこれも自分と趣味が合ってて
【幸福論】として読んで理解して実践しなくても
読んだだけで幸福になれてしまうw

まず1番最初に引用されてるのがアレクサンドロス大王で
愛馬ブケファルスとの出会いのエピソードだが
この締め括りにはワザとアレクサンドロスのコトを
「アリストテレスの弟子」などと呼ぶ・・・ホゥ(*-∀-)

これだけで自分は至福を味わえるのだが
そうなると著者アランが幸福に纏わるエッセーにおいて
挙げてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
って、これじゃアランの『幸福論』も『さかしま』と同じく
愛読ではなく耽読してるのかもしれナイ

そう考えたら耽読書ばかりだ
う~ん、何だろう、1番の愛読書・・・ヽ(゚∀。)ノ

とにかく誰もが「おもしろかった」とゆー現代作家の人気小説も
自分にとってはどうにもつまらなく感じるのは
単に耽溺する要素に欠けてて内容が薄っぺらに思えるからだし
逆に古典でも耽溺する要素の盛り込みが(少)ナイと
まるで興味が沸かナイくらいだから
耽読書でなく愛読書てのが既に自分には在り得ナイのかも?

なんて諦めてたが1つ思いついた!
幼少時から何度も読み返してて
特に耽溺する要素が見当たらなくても
読み始めれば必ず夢中になってしまう小説・・・

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』だ!!
てコトは、自分の人生のバイブルは『嵐が丘』なのだろうか?!

逍遥派の思索する遊行者

緑の中を散歩するのが好きだ
歩き慣れた散歩道でも決して飽きるコトはナイし
四季を肌で感じ、生命の息吹を目の当たりにする以上の至福はナイ

そうして幸せな気分で歩きながら考えを巡らせるのは愉快だ
ちょっとした心のささくれはすぐに滑らかになり
怒りや悲しみも癒されて、悩みはどうでもよくなってくる

むしろどうやっても好転しそうにナイ状況なら
それ以上真剣に考えても無駄だから
全てを一時的に放棄して散歩するのも悪くナイ
そうすれば気分だけでも良くなる

緑の中を歩けばダイジョブ

楽しみにしてたささやかな計画が全てぶち壊しになって
またそうなってしまったがっかり感をわかってもらえナイコトで
腹立たしく思えてきて行き詰ってしまっても
緑の中を歩けば答えは見つかる・・・

まあ緑がなくても空を見上げて歩けばダイジョブ

済んだコトは全部忘れちゃって(忘れてしまえるほど)
たった今から皆が幸せになる最良の方法を実行すれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

計画通りにきちんと正しくやってる方に非はナイし
うっかり計画をぶち壊してしまった相手を責めたくもなるが
だからって一方的に正しさを主張してどうなるのか?
たいていけんかになるし、そういうけんかは空回りするだけで意味がナイ(-_-;)

意味がナイコトをマジでやってしまう愚かさこそが若さだし
血気盛んな年頃にはもれなくそのままけんかした方が実りある結果になるやもだが
老い先短いのに今更けんかなぞしてる暇はナイヽ(゚∀。)ノ

真面目で正義感に溢れてる人ほど相手の間違いが許せなくなるモノだが
世の中には様々な局面があり、簡単には割り切れナイので
誰もが少しづつ正しくもあり同じくらい間違ってもいるのが真理なのだよ、実は

それならお互いに主張してけんかするより、譲り合って愉しく行こうじゃナイか♪

まずは頭を冷やそう

そうなのだ
場を収めるのは腹を立ててる側と相場が決まってて
バツが悪そうに「なんか怒ってる?」なんてやっちまった側から聞かれたら
抑えてた怒りも爆発してしまうのが然りだがそこをぐっとこらえて
収める手立てをとらねばならんのだ

とりあえず今いる場所には留まらずに外へ出るのが正解で
どこへ行くかは歩きながら決めれば間に合う

誰でも他人の欠点は自分のそれほど目に付かナイし
愛する相手ほどにそれは気になってしまう

しかし人は変わらナイ
基本的に人はずっと同じ癖を持ち続けるのだ

昔の人は上手いコトを言った

無くて七癖、あって四十八癖

換言すれば
自身では気付かナイ癖を誰もが7つくらいは持ってて
そこはお互い様なのに棚に上げて他人ばかり責めるのはどうなんだ?
己を省みれナイ傲慢な人間ってコトか。(´д`;)ギャボ

そして48もの癖を一人から見つけるのは至難の業だ。(゚д゚lll)ギャボ
いや、見つけるためにはよほど親しくなければならナイのだからして無理だろう

うむ(゚ ゚;)

相手の癖を直すなんてのは不可能なのだから無駄な努力だし
それよりは自身の癖を直す方が簡単だがまず自覚するコトができナイからw

お互いに癖がわかって対処し合えるようになるのが
現実的でもあるし、実は理想的な関係だ

ふむ(*^^*)

そんなコトをつらつらと考えながら
てくてくてくてく歩いてた・・・逍遥派なのだ、自分

アリストテレスは自分と思想的に通じる部分が最も多い哲学者だが
よく学園の小道を散歩しながら弟子たちと議論してたので
アリストテレスの学派は逍遥学派と呼ばれる
2,400年近く隔たりはあるものの
自分も弟子の一人で逍遥学派を自認してる
まあおこがましいので「学」は抜いて「逍遥派」としてるるる~

また自らを「遊行する思索者」と称してる今西錦司は
登山しながら思索する生物学者だが
思想的に納得できてしまう部分が著しく多くて心の師(※)と仰いでるので
少し遠慮して(?)自分は「思索する遊行者」としてるるる~
今西は1992年没なので会うコトも叶ったかもしれなかったが・・・

御絵(ごえ)

小学生の頃からキリスト教美術のマニアで特に天使画ヲタだった

天使の性を超越した美しさの御絵は耽美主義者には見逃せなかったが
聖母子像、イエス、聖人なども画家がここぞとばかりに聖なる美しさを表現してて
天使ほどではナイにしても目を見張る綺麗な御絵(※)をたくさん持ってた
御絵(ごえ)はイエスやマリア、大天使や聖人が描かれたカード

それらのほとんどは何かの折にシスターにもらったのだが
1枚¥5とか¥10の駄菓子価格から売ってたので
子供がお手軽に蒐集するのにはちょ~どよかった(*^^*)
ちなみに今でも四谷のドンボスコで売ってるがさすがに¥20以下は余りなさそうだw

皆がお菓子のオマケのシールやカードを集めてるのと同じように
せっせと御絵を集めてたのだったが
そんなコレクションからお気に入りを紹介

これは主役の聖母より脇役の天使の方が有名な(?)
ラファエロの『サン・シストの聖母』

聖母子像が多々ある中でもお気に入りなのが
このフェルツィ作『街角の聖母』で
取って付けたような神々しい絵柄よりこの人間らしい表情にぐっと来るね

サッソフェラートの『聖母の祈り』は祈ってるのか呪ってるのか・・・
不気味な表情なのが気に入ってたりしてヽ(゚∀。)ノ

痛々しい姿のこの人は聖セバスチャンだ
聖人とされる人にはバプテスマのヨハネ、弟子の十二使徒と
4大教父、4大聖女、守護聖人がいて聖セバスチャンは守護聖人
守護してるのは兵士や射手だってコトだが
セバスチャン自身はローマ軍に弓矢で射殺されてるるる~

ローマ皇帝ディオクレアヌスの時のローマ軍人だったのだが
キリスト教徒の友人が処刑されるのを助けたせいで
自身が処刑される破目になった
御絵にしては随分グロテスクな1枚でその肉感的な姿態が美しい
この『聖セバスチャンの殉教』はソドマ作・・・
と信じてたが実は御絵用に装飾してあったのだと最近気がついた!

本物は迫力が違う!!


この『聖フロリアン』は作者不明。(´д`;)ギャボ
消防の守護をしてるんで消防署に祀られてたりするのだが
どうして消防の守護聖人になったかは悲惨だ

フロリアンもローマ皇帝ディオクレアヌスの時
ノリクム(現オーストリア)に駐在のローマ軍人だったが
キリスト教信者迫害の任務を拒絶したために火刑を言い渡された
そしていよいよ処される時に火を点けようとしたローマ兵に

自分は炎の上の天上に這い上がる

と言い放ったので畏れた兵士たちは火刑を取り止めたが
代わりにフロリアンに大岩を縛り付けて溺死させたそうな。(゚д゚lll)ギャボ

この投げ込まれる直前の様子を描いた画像とか顛末の詳細ページがあった
LINK:The Public Safety Net

『聖チェチリア』はミュージシャンや詩人の守護をするるる~
4大殉教聖女の1人でその中でも唯一の既婚者
嫁いだ先の夫が異教徒だったので改宗させたらしい

たいていは楽器と紅白の薔薇とか天使を伴って美麗に描かれるのだが
これは右端にいる天使こそが不気味だな((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル
まあ上級天使になるほど姿は顔と翼だけとか不気味になるワケで
教義的にはWaterhouseの作の天使よりも格は上なのだがw

ところで自分は冒頭に書いたように
キリスト教美術のマニアではあったが信者ではなかった

生命―その本質,起源,発展 (1962年)
生命の起原―生命の生成と初期の発展 (1969年)

物心ついた頃には既に理性的に論考しててかつ懐疑的でもあり
地球や生命の誕生についてはオパーリンの【コアセルヴェート説】を信奉してたので
『旧約聖書』の「創世記」は神話とゆー寓話であると捉えてた

今でも『旧約聖書』は『古事記』や『ギリシア神話』などと同レベルで信じてるし
『新約聖書』はアーサー王の伝説よりは史実に近いと考えてるが
イエス・キリストの【奇蹟】にはマーリンの【魔法】と同レベルを感じてしまう

しかし魔術師が道義的理由で自然の摂理に背けるように見せかけるのは構わナイが
神の子が神(自然の摂理)に反した行動をとる意味はわからん(-_-;)

科学的=理性的な考え方の人間にとっては自然の摂理は絶対的であれば
それが神が創りたもうたモノであろうが神の手によらナイモノであろうが構わナイ
理路整然とした世界観の妨げにならなければ問題ナイからだ

少なくとも自分とアリストテレスとトマス・アクィナスにとっての真理は
信仰を超越して理解し合えるモノであるはずなので
その真理が何によるモノであるかの「何」についての定義の必要はナイ

もちろんトマス・アクィナスは便宜上、あるいは立場上
「何」を「神」であるとしてはいるが
ローマ・カトリック教会のご都合主義で創られた神に準拠してナイ
そんなトコロに真理が存在しようもナイからなw

ともかく真理の探究者にとって
現世の掟が捻じ曲げられるようなコトは起こってはならナイのだが
実際に起こりようもナイ

なぜならそれは美しくナイからだp(-_-+)q←マヂ

自然は美しいが不自然は醜いのだ、これが真理だp(-_-+)q←マヂ

だからキリスト教自体は絶対的な真理なんかでは決してナイのだが
キリスト教を真理に近づかせるのにキリスト教美術は一役買ってるだろう

Ab ovo. 卵から始める

ネタバレを忌み嫌うような人とゆーのは
よっぽどつまらナイ小説しか読んでなくておよそくだらナイ映画しか観てナイのだろうか?
と思ってしまう自分は
何度読み返しても新たな発見があるような古典しか興味がナイし
そうして何度も読んで当然オチがわかってても映画化されて愉しめるのだから
しゃーわせヽ(´▽`)/だとつくづく思う

とはいえ映画化された古典にも駄作は多いのだが
それはそれで突っ込みドコロ満載なのが愉快だったりするから゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

逆に映画としては秀作だとしても
古典からネタを拝借しといて何の断りもなく(よってリスペクトも一切なく)
剽窃の疑念(いや、疑念でなく明白なのだが)しか抱けナイような映画は
日本人100人中100人が大絶賛してるアニメでも
自分には胸糞悪いだけだったりする。(´д`;)ギャボ
まあそれを観るコトや更に鑑賞後に涙するコトを強要されるワケではナイので
スルーしてればやっぱしゃーわせヽ(´▽`)/なのだがね

詩学 (岩波文庫)
ホラティウス全集
ホメロス ~史上最高の文学者~ (「知の再発見」双書)
完訳 イリアス
「オデュッセイア」を楽しく読む
トリストラム・シャンディ (研究社小英文叢書 (264))

アリストテレスの『詩学』やホラティウスの『詩論』
古代ギリシア(ローマ)における詩劇(叙事詩や戯曲)の在り方について
ホメロスやギリシア悲劇などを例に挙げながら論じた著書だが
1つのエピソードをどれだけ深く掘り下げてそれを表現し得たかに
作者の技量が問われてしまうので
同じエピソードを扱ってても書いた人によって解釈が違い
観客にしてみれば新鮮な感動を味わえるが
またそのエピソードとゆーのも人口に膾炙した神話などネタバレ必定なので
そういうモノでなければ意味がナイだろう、としてるるる~

ホメロスの『イリアス』が傑作なのもそこで
誰もが知ってるトロイ戦争を題材にして
アキレウスとゆー特異的な魅力あるキャラを際立たせて
主人公の英雄ヘクトルの死を最大限に盛り上げるコトに成功してるのは
物語にクライマックスが組み込まれてるからでなく
クライマックスだけで成り立ってるからであるヽ(゚∀。)ノ

Ab ovo.「卵から始める」

これは逆説的な表現でホラティウスの『詩論』147行目に以下のようにある

(ホメロスだったら)トロイアー戦争を双子の卵から始めることもしない。

『イリアス』はアキレウスとアガメムノンの戦利品の取り合いから始まるが
これは戦いが10年目に入ってから始まってるのだ!
トロイ戦争の原因も結果も当時は誰だってわかりきってるコトだったが
その要因となったヘレネが生まれる卵からホメロスは語り始めたりはしナイ!!
だから退屈すべき部分が全くなくて全編が最高におもしろいから世紀の傑作なのだ
そんなトコロがホラティウスのホメロス評価だ

付け加えれば続編の『オデュッセイア』において
回想シーンに『イリアス』の後日談(有名な【トロイの木馬】のエピソードなど)を
オデュッセウスに臨場感たっぷりに語らせて再現してたりして
ホメロスのこの2大叙事詩の構成は素晴らしいと思う・・・ホゥ(*-∀-)

ちなみにヘレネが生まれるのがなぜ双子の卵なのか簡単に説明しておこう

ゼウスがスパルタ王妃レダに横恋慕して白鳥に化けて油断させといて
ゴーカン・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
ゼウスの子供を身篭ったレダは2つの卵を産み(さすが白鳥に化けてただけあってか?)
その1つからはヘレネとクリュタイムネストラの姉妹が生まれ
もう1つからはカストルとポリュデウケス(ポルックス)の兄弟が生まれた
故に双子の卵(あるいは2つの卵)なのだ

しかし確かにヘレネ誕生からトロイ戦争譚をだらだら始めなかったから
ホメロスのトロイ2連作は素晴らしいのだ、とゆーホラティウスの見解には賛成するが
その他のトロイ戦争関連の書物などがだいぶ散逸してしまって
史料に乏しい現代人からすると卵から始まった物語だって
いや、その方がなかなかおもしろかったりしたとも思うのだがな(苦笑)

またホラティウスはホメロスについて
トロイ2連作をひたすら絶賛してるだけでなく稚拙な詩句について次のように語ってる

すぐれたホメロスも居眠りすることがある

これも諺になってたりするが
ホラティウスはセンスの゚+.(・∀・)゚+.゚イイ言い回しが多いね

ホラティウスの言葉を借りれば「卵のはじめから」たどってゆけることを、この上なくよろこぶものであります。

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の第1巻の第4章より

ホラティウス自身は「卵から始める」のはよろしくナイとしてて
スターンの見解は全く逆なのだが
そもそもこの『トリストラム・シャンディ』のあらすじは
主人公のトリストラム・シャンディの生涯を綴る・・・主旨のはずが
話が脱線しまくって生まれるトコロにさえなかなか行き着かナイ。(゚д゚lll)ギャボ
そこを愉しむのでワザとこう述べてるワケだw

アリストテレスを識るための1冊

アリストテレスの著作はどれもやたらと小難しいと思い込まれてる節があるが
それは後世のスコラ哲学者の解釈のせいではナイだろうか?

例えば『ニコマコス倫理学』なんかには語彙の補足として
語源を大切にするためか耳慣れナイギリシア語が次々と出てくるのだが
それがなければアランの『幸福論』から例えがなくなったくらいのレベルかと・・・

まあそれってのは確かにとっつき難いとも言えるかヽ(゚∀。)ノ

自分は本の読み方が完全に自己中なのでそんなの気にならナイが
最初から最後までを順番にきっちり読む几帳面な人で
しかも理解しながら読み進んで、読み終わったら総て理解してなくては
なんて真面目に取り組む人にはもれなくきっち~かもな。(´д`;)ギャボ

アリストテレスでなくても本との付き合いは人との付き合いと同じだと思うから
最も興味深い部分から読み始めて
必要な箇所を拾い読みしてはウザイと感じた部分は飛ばし読みで
肝心の部分が抜けてる気がすれば飛ばしたトコロも読んでみたりして
毎度同じくだりに共感したり
また読む度に新たな発見にも胸踊らされたり
そこまでいってやっと理解できるモノなのではナイか?

そか、本でも人間でも内容が濃くナイと飽きるのも同じか・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

とにかく新年を迎えて今年1年=これからの生き方を考え直すのに
手にしたのはアリストテレスだったのでまとめてみた

タイトルに1冊、と冠しておきながら3冊だったりするが
まず1冊目は講談社学術文庫の今道友信著『アリストテレス』である

その生涯や学術の体系の基本的な部分は網羅されてる感があるし
アリストテレスが敬遠される所以の『形而上学』や『倫理学』についても
これだけで随分理解できるので初心者にはうってつけの良著だ

しかし改めてこの本の目次を見て驚愕するが
個人の扱う研究対象にしては分野が広過ぎるし、それぞれの量が膨大過ぎるるる~
そんな世界観の広さと深さこそがアリストテレスの魅力なのだがね(*^^*)

一通り理解して通り過ぎるような単なる知識ではなく
地道な観察力と独創的な考察力に導き出される理知と美意識による世界の理(ことわり)で
これに感嘆するとアリストテレスの虜になってしまうのだよ

次に挙げるのは個人的に想い入れが強い『詩学』だが
初めて読んだアリストテレスの著作で概要はギリシア悲劇についての考察だ

例えに出てくるのがホメロスの『イリアス』に『オデュッセイア』
ギリシア悲劇の『メディア』や『オイディプス王』等々で
ギリシア古典劇に興味があってこの本を読まナイなんて在り得ナイ・・・ホゥ(*-∀-)

訳者(松本仁助と岡道男)がそこまでやらなくてもと思うのだが
本文約100ページに対して100ページ以上も訳注を付けてて
訳注をチェックしながら読み進めばツボがわかるようになってるのだ!

岩波文庫では¥700でホラティウスの『詩論』とのカップリングだが
ホラティウスは紀元前1世紀のローマの人でウェルギリウスと同世代人だ

ラテン文学華やかなりしこの頃には
ヘレニズム期の、要するにアリストテレスの頃のモノは
古典だったのだ。(゚д゚lll)ギャボ
そうして時代の差まで読み解けてより一層おもしろくなるともう立派にヲタだなw

巻末にホラティウスからの引用文(ラテン語)が60句余り収録されてるのも
読んでわかるワケでもナイのにわくわくするるる~

心は量子で語れるか (ブルーバックス)

3冊目は20世紀末のある日
「21世紀物理の進むべき道をさぐる」が副題の『心は量子で語れるか』(※)を購入
元は講談社のハードカバーで出てたのが、少し表現も簡易になってブルーバックス版で出た方

天才数学者ロジャー・ペンローズを中心に
スティーヴン・ホーキングなどの他の学者との
「宇宙はどうなってるのか?」から考察する「世界とは何なのか?」の討論で
第1部「宇宙と量子と人間の心と」の第3章「心の神秘」において
プラトン的世界観が引き合いに出されながら最新理論が展開されるのだが
自分はこれで初めてプラトンの数学的な世界観を知ったのだった

さすがに常人とはレベルが違う賢さの人たちは
プラトンには全く難解さを感じてナイらしく
一刀両断にぶった切ってあるべき位置に収めてしまってたが
アリストテレスはここでは全く無視されてた

結局、自分がこの本に求めてた「心とは何か」とゆー問題に対しては
この本では答えを得るコトができず未消化に終わった
(まあ同じレベルの賢さの人なら理解できたのだろうが・・・無理っつ!)

アリストテレスは「心とは何か」をどう捉えてたのか?

ふと思い立った時に本屋の店頭で
アリストテレスの『心とは何か』を目にし
その共時性だけで読む前から感動に打ち震えたのだった・・・バタリ ゙〓■●゙

今道の『アリストテレス』などでは「霊魂について」と訳されてたが
桑子敏雄が【プシュケー】を一貫して「心」と訳し
非常にわかりやすくなった新訳が同じく講談社学術文庫から出てたのだった

宇宙のスケールから人間を解釈した最新理論と比しても
人間のスケールから宇宙を推し量った古代の思想は素晴らしかった!

どちらにも正しさも誤りもあるのだろうが
どちらも「生」への想いに満ち溢れてるのは確かで
科学は偏見や妄信を排除した理性的な目で世界を解き明かす学問だと思ってたが
その謎解きの目標は「生」への想いにあるのだった!!

そこを見失ってしまっては科学は成立しナイし
非情な科学者など在り得ナイ(※)、と改めて思い知った。・゚・(ノД`)・゚・。
非情な科学者に見えるなら、それは科学者を装う詐欺師なのだろう

それにしてもアリストテレスはプラトンのように【対話篇】も書いてるし
一般向けのテキストだって著してたらしいが
惜しむらくは残存してナイのだよ!
尤もプラトンのように完璧に揃って残ってる方が稀な事態なのだがね(-_-;)