ロマンスとは何ぞや?

愛は甘美な倒錯である

酒のように
ほろ酔いが望ましいが
陶酔も泥酔も
惜しみなく愉しめるのが
若さってモノ

破滅的な恋愛に飛び込むなら
泳ぐ練習より溺れる覚悟が必要

いったい誰に
生涯の忠誠を誓うべきか?

若者の甘やかな苦悩は
ロマンスの香り

Ralph Lauren のフレグランスには
ロマンスてのがあって・・・

トップノート:ライチ、ジンジャー、マリーゴールド、イエローフリージア、カモミールオイル、サンゴッデスローズ
ミドルノート:ナイトブルーミングリリー、白スミレ、ロータスフラワー
ラストノート:オークモス、スキンムスク2000、リッチエキゾチックコンプレックス
タイプ:オードパルファム/レディス

瑞々しい香りを予想できたので
テスターで確認してから買いたいと
常々思ってるも
どこの百貨店にも売ってなくて
ずっと買えずにいたりするw

☆・・・☆・・・☆

さて
【ロマンス】なる語は
すっかり日本語になってて
「(男女の)恋愛に纏わる事件や物語」を
誰もが思い浮かべる

他にも類似の語で
【ロマンチック】とか【ロマン】とか
前者はより乙女風味が強まり
後者は「男の【ロマン】」など
対象が恋愛限定ではなくなったりする

しかしこれらは日本独特の使い方で
何か釈然としナイので
元の語源や世界標準的な正しい意味合いや
どのような経緯で日本に定着したのか
気になって調べた(のは2005年)時のメモ

まず、【ロマンス】の語を
片っ端から辞書でひいてみると
英語と仏語以外には
該当する発音の単語がなく
日本人の解釈に近いのが
英語の【romance】だったので
この語を輸入したのは英語圏からと
推察してたのが確信に変わった

【romance】 [英]
━━n.中世騎士物語,伝奇小説,恋愛[冒険]小説;≪楽≫ロマンス(曲);情話;小説的な事件,ロマンス(love affair);作り話,空想(物語);ロマンチックな雰囲気[気分];(R-)ロマンス語(派).
━━a.(R-)ロマンス語(派)の.
━━vi.作り話をする,空想する((about));求愛する((with)).
→三省堂のエクシード英和辞典より

【romance】 [仏]
━━f.恋愛詩,小詩曲≪楽≫無言歌.
→白水社刊の杉捷夫編新仏和小辞典より

単語の romance が形成されたのは
8世紀以降の中世西欧においてなのは確かだ

ローマ帝国が分裂~崩壊してくと同時に
ローマ人の日常語だったラテン語が
各地でそれぞれ(※)に発展
現在のフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ルーマニア語に至る途上の段階で、まだ「ラテン語の方言」と言った方が似つかわしかったかもだ

それらローマ人の諸言語は総括して
【ロマンス(ロマン)語】と呼ばれたが
複数を指すので【ロマンス諸語】が正しいが
便宜上【ロマンス語】とする

また、発音には地域差があるので
【ロマンス】だったり【ロマン】だったり
語尾の変化は多様だったが
便宜上【ロマンス語】とする

口語はロマンス語へと移行したが
文献は依然としてラテン語で書かれており
ダンテがトスカナ語(ロマンス語の1つ)で
『神曲』を著すまで
殆ど総てラテン語表記だった

そもそもダンテの頃(14世紀)の西欧では
製紙法が広まりつつあっても
印刷術はまだなく
本はとても高価だったので
庶民が手にするコトは稀だったし
手にしたトコロでラテン語では読めず
文芸はとても敷居が高かったのだ!

そんなだからルネサンスまでは
唯一の文芸が聖書だったりしたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

とはいえ
ラテン語の聖書を所持してたとしても
都度、読んでたんでなく
実態は丸暗記してたのだよ。(´д`;)ギャボ

だから「中世文学」てのは
実は口承文学なのだなw

古代ギリシアで
『イリアス』や『オデュッセイア』が
ホメロスの名の下に書物にまとめられるまで
吟遊詩人が連綿と歌い継いできたように

中世の吟遊詩人(※)も
騎士道に名を馳せた英雄の伝承を
文字に綴ったのでなく
ロマンス語で歌ってたのだ
仏語でtroubadour(トゥルバドゥール)、独語でMinnesinger(ミンネジンガー)、英語でBard(バード)

そしてその「中世騎士物語」が
【ロマンス】と呼ばれたが
騎士道を説いてなくとも
「ロマンス語で詠われた物語全般」の意で
広義で使われるようになった
(より精確には
吟遊詩人が歌ったロマンス語は
主に南仏で使われてたプロヴァンス語

ところでどちらも解さナイので
想像しづらいのだが
ロマンス語とラテン語の隔たりは
どの程度だったのだろうか?

上記の辞書からの引用で
【romance】[英]を見てて思ったが
イギリス人からしたら
ローマ人がラテン語に代わって
話すようになった言葉も
その言葉による「中世騎士物語」も
「ローマ人の言葉(で詠われた物語)」で
【ロマンス】だったのかも?!

同じ語圏でも独語では
【romance】の語はなくて
英語や仏語の【ロマンス】の意味に近いのは
Roman と Romanze だった

【Roman】 [独]
━━m.(-s,-e)散文の長篇小説,物語;情話風の;『比』作り話,虚構.
→研究社のポケット独和辞典より

【Romanze】 [独]
━━f.民謡調の物語詩(Balladeと似た詩形式でスペインから起こった);≪楽≫ロマンス(感傷的な性格を持った愛の歌で、美しい旋律を主体としたゆるやかな楽曲).
→研究社のポケット独和辞典より

大雑把に訳せば
文芸の方が Roman で
音楽の方が Romanze だが
この独語の Roman と Romanze にあたるのが
伊語では romanzo と romanza だ
また、独語の Romane(ロマンス語を話す民族)は
伊語の romano(ローマ人)
独語の Romanisch(ロマンス語)は
伊語の romanzo(ロマンス語)だ

【romanzo】 [伊]
━━m.長編小説)作り話.
━━agg.ロマンス語の.
→大学書林のイタリア語小辞典より

【romanza】 [伊]
━━f.≪楽≫ロマンス,華想曲.
→大学書林のイタリア語小辞典より

なぜかイタリアとイギリスとでは
発想が似てるようで
「ロマンス語=ロマンス語で詠われた物語」
なのだな

ダンテとウェルギリウス

ダンテの『神曲』でウェルギリウスが案内役なのは
『神曲』を書き始める段階で候補者の中から選んだのではなく
最初から決まってたに違いナイ、と思うのは
若い頃に書いた『新生』第25章において自身の詩作の意義が語られてるが
ここで例として既にウェルギリウスの名が筆頭に挙げられてるからだ

「アエネーイス」ローマ建国神話

ウェルギリウスといえば『牧歌』『農耕詩』『アエネーイス』だ
参考までに『牧歌』と『農耕詩』は西洋古典叢書に1冊に収録されてて
『アエネーイス』は今では数種類の訳で出てるが
韻文訳の語調の小気味よさや解説の充実度、そして値段の安さとで
オススメは岩波文庫の泉井久之助訳だ

『アエネーイス』はトロイ戦争において若者アエネーアース(※)が
トロイ王家(分家)の唯一の生き残りとして
漂流の末にイタリアに辿り着いて
王となってその子孫がローマを建国し
更にその血筋のカエサル(シーザー)やアウグストゥスが帝政ローマを築いた
とゆーギリシア神話を引き継いだローマ建国の物語でフィクションだ
読み方はWikiに準じた

古代ギリシアの先達に倣って、先祖に神のいる血筋を
悪く言えば捏造した、よく言えば辻褄が合うように編纂したのだが
ホメロスの『イリアス』に出てきたアエネーアースは
カエサルが自らをアエネーアースの末裔と主張する以前に
元々ラティウムで伝承されてたローマ建国伝説と融合させたぽい

編纂されたのはアウグストゥスの時代で
このウェルギリウスの『アエネーイス』以外にも
オウィディウスの『変身物語』などがある

自分の好みとしては『変身物語』だし
他の著作もオウィディウスの方が読みやすいし面白いが
『アエネーイス』はラテン文学の最高峰として
必読の古典だ!!(と思ってるのは自分とダンテだけ?)

ウェルギリウスはダンテにとって神のような存在だったが
当のウェルギリウスにしてみれば、それはホメロスだったようで
ホメロスを超えられなかった、と思い込んでたのだろうか?
『アエネーイス』が完成したコトを自ら認めずに

死後に火中に投じるように

などと遺言してたりする(遺言が実行されなくて現存してるるる~)

ホメロスを意識してのコトなのかどうか
第7巻の戦いの火蓋が切って落とされるトコロで物語は分割できるが
前半は『オデュッセイア』の如き冒険(漂流)譚で
後半は『イリアス』の如き戦記だ

長さもホメロス級で1万行以上(全12巻)に及ぶが
それでいて甚だしくも第1巻から
アエネーアースが築いた王国や子孫がどうなったか
またその後どうやってローマが建国されて
それがカエサルやアウグストゥスに至るのかが
既に【予言】として出てくるのである。(´д`;)ギャボ

つまり最初に結末がわかってしまってから、残り11巻・・・バタリ ゙〓■●゙

しかもその結末には程遠く全く辿り着かず
敵の大将が死ぬ場面でいきなり終わってしまうので
【予言】されてた事象は【予言】のままに幕切れとなってる。(゚д゚lll)ギャボ

ネタバレとかに神経使って生きてる輩には想像を絶する構成だが
ホラティウスの『詩論』Ab ovo.(卵から始める)てのがあるが
それこそトロイ戦争ならまだしも
ローマ建国の話がレダの卵から始まってもw

トロイでのアエネーアースには子も生した妻がいたが死に別れ
最終的にはラウィーニアを娶ってその地の王となるが
その間に恋に落ちたのはカルタゴの女王ディドで
アエネーアースとディドの愛憎劇はある意味1番のクライマックスだが
このディドとのエピソードが『アエネーイス』の最初にあるのだ

そりゃあアエネーアースにはトロイ再興の目的があり
そのためにそれが適う相手(ラウィーニア)と結婚したワケで
自分にはどうも政治的野心を持ってる人間は胡散臭く感じてしまうが
ダンテは妄想の中では恋愛第一主義のようでいて
現実では政治的野心を持ってたから、案外その辺も共感できるのかな?

『神曲』の筋立ては
神話・伝説上の人物や怪物と歴史上の人物が冥界においてどうなってるか
ダンテが確認しつつ冥界を巡る、とゆーモノだが
それらの人物はダンテの信仰と政治理念によって裁かれてて
裏を返せば、ダンテの信仰と政治理念を表現するために引き合いに出されたのだが
裁いたダンテ自身も公的には罪人であるトコロがおもしろいヽ(゚∀。)ノ

聖人は自身の悪しき部分を
傍から見たらたいしたコトなくても嘆き悲しむモノだが
少し狂人めいたくらいの極悪人ともなると過去の悪事や罪状を
もれなく自慢したりするモノである

どちらの場合も善悪の切り分けがはっきりしてて迷いがナイから
自身に対する省察が良くできてるのだが
ダンテのような平均的善人でも野心によって中途半端な罪人になったってのは
なんとか自身を社会的に正当化しようとしてもがくからこそ
葛藤や苦悩が多いのだろうか。(´д`;)ギャボ

それで『神曲』の出だしでは暗闇の森で迷ってるのだが
だからガイドはアエネーアースではなくウェルギリウスなのか。(゚д゚lll)ギャボ

野心家アエネーアースを描ききった詩人のウェルギリウス・・・

『新生』と『神曲』

ダンテの『神曲』を読めば
ロマンティストでフェミニストで信心深いダンテによって
永遠の女性であるベアトリーチェが
すっかり神格化されてしまってるのはわかるが
ダンテの『神曲』を読んだだけでは
ベアトリーチェにはそれ以上の存在意義を見出せナイだろう

言いたいコトはだ、詩人はダンテに限らず
とかく愛する女性を女神として大仰に称えたがるものだが
いくらダンテが壮大なスケールで冥界を描いて
その中でベアトリーチェに天女の役をあてがってても
実のところ、単にダンテにとっての永遠の女性でしかなかったのではナイか?!
と、不信感を抱かずにはいられナイ(-_-;)

つまりダンテがベアトリーチェをどれほど愛し抜いたかには感動できるが
ベアトリーチェの人となりが天女として納得行くものかどうかは
むしろ「恋は盲目」であるだけに疑わしいw

美人ならそれだけで確かに女神のような存在ではあるが
死後の世界のしきたりとしては生前に美人だったからではなく
生前の行為如何で地獄に落ちるか煉獄に送り込まれるか決定する

ましてや生前に偉大だった他の登場人物たちが
ダンテによって裁かれて冥界では酷い目に遭ってたりするので
そういう人々と比してベアトリーチェの何(何処)が
至高天に到達できるほどに優れていたのか
自分のようにダンテに負けず劣らずの妄想癖の(キモ)ヲタとしては
ベアトリーチェの実像に興味津々なのである

『神曲』では既に天界にいて、実在したかも不確かなベアトリーチェだが
どれほど素晴らしい行いをした人物だったのか
あるいは第三者から見たらたいしたコトなかったとしても
ダンテが生涯想い続けるようなどんなエピソードが2人の間にあったのか
生前のベアトリーチェを知りたい、と思うのは自分だけではナイはず

それなのに『新生』はずっと絶版状態だった・・・バタリ ゙〓■●゙

La vita nuova (Penguin Classics)

ダンテの『新生』を読めば
後にダンテが『神曲』を著す際に原動力となったのが
永遠の女性ベアトリーチェの存在そのものだったコトが伺える
てか、『神曲』に表現された世界(冥界)観は
ダンテがベアトリーチェを永遠の女性とするために構築したのだろう

『新生』でベアトリーチェは
妄想キモヲタダンテに愛される、てよりは、崇拝されてるのだが
それとゆーのも美女には縁がなさそうなダンテに対して
神々しいまでに美しいベアトリーチェはなんと会釈をしてくれたからだ!

ヲタ的にはそういう時の境地が凄くよくわかるのだが
まるで「神に存在を認められた」如くの歓喜が全身にほとばしるのだよ!!

ダンテのキモヲタ告白で自ら語ってる通り
若きダンテに至福を齎したベアトリーチェの会釈は
実は会釈をしてはいなかったとしても
一般人を自負してるってだけの人間が集団心理に訴えて
少し毛色の違う人間に対して嘲笑するコトで悦に入るような
残忍な移ろい易さは微塵も持ってなかったので
その視線にダンテは「神」と同等の価値を見出したのではなかろうか?

いや、神は無慈悲だから、同等でなくそれ以上かも知れナイ

そして『新生』を読んでて気づいたのが
『新生』を『神曲』にまで昇華させるに至ったのはベアトリーチェだが
そのきっかけを与えたのは【窓辺の婦人】なのでは、てコトだ

【窓辺の婦人】はベアトリーチェ亡き後に代わって登場する女性で
その解釈は様々だ

後にダンテの妻になったジェンマ・ドナーティである、とか
ベアトリーチェでもジェンマでもナイ全く別の女性(達)である、とか
もっと象徴的な存在でベアトリーチェを【神学】の頂点におくなら
それに対して【哲学】を意味してる、など諸説あるが
実在したが幻影のようだったベアトリーチェの存在に比して
それが実際に亡くなってしまった後に現れたのだから
(未だ)実在はしナイが現実の中に見出せる存在、見出さなければならナイ存在で
先に挙げた3つの解釈はある意味どれも当て嵌まり
要するに妄想世界から逸脱して現実と向き合うためのきっかけを
それがはっきりと何かはわからなかったがダンテは探してたのだと思うのだ!

それまでのダンテの行動と照らし合わせるとわかりやすいが
要するに現実で思う通りに行かずに
泣いて、部屋に引き篭もっては幻影を見て、妄想世界に浸って詩作をしてたのが
外から窓辺にいる婦人を見たのだ!!

その後は政治家として立派に務め、結婚して子供も儲け
しばらく妄想世界から遠ざかってた【リア充】ダンテだったが
政局混迷の渦中で追放の憂き目に遭い(事実ダンテは罪人であった)
現実に裏切られたコトで再び妄想世界に引き篭もり
『神曲』が著されたのだった

ダンテが若き日に妄想キモヲタでなかったら
『新生』は書かれてなかったが
ダンテが【リア充】ダンテのまま年老いてたら
おそらく『神曲』が書かれてなかった

ダンテの『新生』における【愛】の存在

『新生』においてダンテが見る幻影の特徴は【愛】が擬人化されるコトだが
例えば「旅人の姿」とか具体的な装束で現れ
その時点のダンテの心情を表してる

そして先述のような【愛】の儀式(?)を執り行ったり
ダンテの恋愛の行く末を示唆したりするのだが
その指し示す方向がどうもとんちんかんにしか思えナイ(-_-;)

まあ既にダンテの想いがフツーの恋愛からズレまくってるんだから
ダンテの見る幻影=ダンテの妄想、なのでしょうがナイのだが。(´д`;)ギャボ

そんなだからこの【愛】は
ダンテがベアトリーチェを想い続けるためにこそ
その想いが周囲にバレナイように他の女性を想ってるように見せかけろ
などと手の込んだ提案をしたりするのだが
フツーの恋愛観からすれば
叶わずとも永遠の女性であるベアトリーチェをひたすら想え
と勧めるだろうに・・・ズレてるなあ(苦笑)

Vita Nuova (Oneworld Classics)

そしてその偽装が真実だとして人々の噂にのぼるようになり
ベアトリーチェの耳にも入った時に
またしてもベアトリーチェと行き交うのだが
この際にダンテの唯一の楽しみであった会釈をされなかったヽ(゚∀。)ノ

ショックを受けたダンテは泣きながら帰宅して部屋に引き篭もり

鞭で打たれた少年のように泣きじゃくりながら眠りこんでしまった。

眠りに付いた後はお決まりの幻影劇場が始まり
【愛】が現れて、今度は偽装をやめるように諭す・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

【愛】はダンテにおおよそ次のようなコトを言う

「ベアトリーチェとは9歳の時に出会ってて
その時からダンテは長きに渡って彼女のモノなのであるから
それを彼女に証明すればわかってくれるはず
でもそれを彼女に直接訴えたりせずに詩で表現せよ」

出会っただけで彼女のモノってのもおかしいが
それ(9歳の時に会ったコト)を証明できたトコロで
ベアトリーチェも何もわかってやれナイだろうに。(´д`;)ギャボ

その後、ダンテは友人と連れ立って参加したパーティーで
思いがけずベアトリーチェに会うのだが
ダンテは意識し過ぎて彼女の前ですっかりあがってしまって
そのサマが誰の目にも明らかなほどだったので
その場にいた女性たちに嘲笑されるるる~

しかしこの時もこれといって
ダンテがベアトリーチェと言葉を交わしたなどの記述はなく
一方的にダンテがベアトリーチェを見てぼ~っとなってただけのようだが
その時のダンテの様子が女性たちの嘲笑を誘うほどだったってのは
ダンテは決して゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男ではなかったって以上に
社交的な場において歴然とブサメンと認知されてたに違いナイ(-人-;)

ほかの婦人たちと私の容貌をあざけりつつ淑女よ、汝の美しさを眺めるときに私の姿がかくも奇妙に変わるのがなんの原因(ため)であるか考えてもみない、(後略)

ダンテのルックスを嘲笑してたのはベアトリーチェもだったらしいw
傷ついたダンテはその場を逃げるように去り帰宅して
泣く→眠る→幻影劇場→詩作、といつものパターンになったが
上記の詩は今回の失態(?)について
自分に非はなくベアトリーチェがわかってくれてナイだけだp(-_-+)q
などと嘆いてたりするヽ(゚∀。)ノ

以降しばらくは妄想しては詩作に励んでいたダンテだったが
ある日、嘲笑してた婦人たちと出くわしてしまい
傷口に塩を塗り込まれるような惨めな事態に陥らされてしまう

「ベアトリーチェにストーカーしてんの、チョ~迷惑~!ウザイ~!!」
てなカンジに婦人たちに非難されるのだ

更にかわいそうにダンテはキモヲタであるコトを自ら告白させられる破目に・・・

私の愛の目的は、彼女の会釈なのでした、おそらくみなさんもそれを了解されたことと思います。彼女の会釈のなかには、私のすべての願望の目的である福(さいわい)がやどっていたのです。だが、彼女がそれを私に与えるのを拒んだので、私の主『愛』は、そのお恵みによって、私のすべての福をそれぞれがけっして失われることのない場所に置いたのです。

婦人たちはこのダンテの言葉に騒然となったが
そりゃあキモヲタにしたって完全に逝っちゃってる系だから、ビビるってばw
ダンテの時代(ルネサンス期)のフィレンツェでも現代日本でも
こんな台詞を公然と生真面目に吐くようなキモヲタは
女子をドン引きさせるだけでなく、すっかり怖がらせてしまうよな(-_-;)
この場にいた女子は自身がベアトリーチェでなかったコトに
ほっと胸を撫で下ろさずにはいられなかっただろう

それにしてもこれでダンテも再起不能かと思いきや
今度はソネット(短い詩)でなくカンツォーネ(長い詩)を書き出す

人間は逆境をバネにして
それを乗り越えるたびに強くなるものだし
芸術家は苦悩を素材にして
それを表現できれば作品にまとまるワケだが
どうやらダンテは打たれ強いらしい?!

『新生』でのダンテとベアトリーチェ

ダンテは9歳の時に初めてベアトリーチェに会ったが
(一方的に見かけた、とゆー方が正しいのかも?)
その瞬間に

心の奥の秘めた部屋に住んでいた生命の霊はひどくふるえはじめたので、いとも細い血脈にまでその戦慄は伝わった。

わかりやすく言えば
動悸が激しくなり脈拍数も上昇した、と

『愛』はいち早く彼と契りを結んだ私の魂を支配し、(後略)

擬人化された【愛】がダンテの魂を支配した=愛が芽生えた

でもこの時のベアトリーチェについての記述は紅色の服を着てた様子のみで
ダンテがベアトリーチェを愛するようになる理由としては
性急過ぎて読者に納得を促すには不十分だ

言葉を交わした、目が合った、微笑みかけられた
そういうやりとりが全く述べられてナイのは
やはり「会った」のではなくて「見かけた」だけなのか。(´д`;)ギャボ

しかもそれから9年後(18歳の時)の9時にベアトリーチェと再会するまで
以下の表現からどうもストーカーに当る行為をしてるよう・・・

『愛』はいくたびも私に命じてつとめてこのいとも稚(おさな)い天使を見に行かせた。

え~と・・・(-_-;)

ベアトリーチェとの再会が「9年後の9時」なのはダンテが【9】を神聖視してたからで
神聖視してるベアトリーチェもそこに関連付けたがったのだろうが
そうして再び「私に現れた」ベアトリーチェはダンテに対してなななんと~!

会釈をした!!

え~と、え~っと・・・(-_-;)

そしてとある道を歩きながら、たいそう物怖じした様子でいた私のいたところへ、その目を向け、今日大いなる世界で報いられている彼女のえもいわれぬ優美な物腰で私にたいそう上品に会釈したので、私はそのとき恩寵のあらゆる極致を見たような気がした。

ダンテ自身も「気がした」って表現してるくらいだから
事実としては会釈だけか、もしくは会釈さえもダンテの勘違いでは?!

年長の2人の婦人に挟まれて歩いてたベアトリーチェが
ダンテを見知ってたとしたら挨拶(声をかける)くらいはするだろう
ところがベアトリーチェはすれ違いざまにガン見してくるダンテの視線に気づいて
知り合いかどうか記憶を辿りながらダンテに目を向けてしまい
目が合ったからうっかり会釈してしまったか
そこまでではなかったのにダンテがそう妄想してしまったか

美女や美少女にはありがちなコトなのだが
特に意識してるワケでもなく無駄に好意的な笑顔になってる状態だとしたら
ダンテはすかさず妄想力を発揮して「会釈された」
なんて、さもありなんヽ(゚∀。)ノ

(前略)私はひどく甘美な気持になり、まるで酔ったように人々のそばを離れ、私の部屋の淋しい場所へ行ってこのたいそう上品な淑女のことを考え始めた。

会釈でこれなら、ベアトリーチェに声をかけられたら失神だなw

そうして考えてる(妄想してる?)内に眠りこけたダンテは幻影を見る
擬人化された【愛】が裸で眠るベアトリーチェを起こして
手に持ってる燃えてるダンテの心臓を食らわせる。(゚д゚lll)ギャボ

中世では恋愛の表現の一つとして「心臓を食べる」ってのを使ってたらしいが
いくら野蛮な中世でも実際に食べてるワケではなかったろうに
幻影とはいえどもそんなシーンを見てしまうダンテは
【えろ】でなく【ぐろ】ヲタなんだろうか???

ダンテはこの幻影を詩(ソネット)にして他の詩人に送りつけるが
この辺りは妄想キモヲタが同人誌を作ってるのと似てて
自分がそうだったからよくわかる・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
一般的ではナイ内容なので共感できそうな相手に読んでもらうしかナイのだよ

ただダンテが自分と違うのは一貫して偽りを書いてナイってコトだ
相手の挙動とそれに対する妄想からくる過剰反応を詳細に記してるが
一切偽ってはおらず、例えば幻影についての仔細ならば
事前に「幻影である」と断ってから述べてるのだ

まあカナ~リ逝っちゃった感があるのは否めナイがね(゚*゚;)

ダンテの『新生』

ダンテと言えば誰もが真っ先に思い浮かべるのは『神曲』だ

『神曲』は著者のダンテ自身が主人公で
古代ローマの詩人ウェルギリウスの案内で地獄、煉獄を巡り
煉獄の山頂でかつてダンテの永遠の女性だったベアトリーチェに再会し
彼女の導きで天国へ行く・・・てのが物語の大まかな筋立てだが
舞台背景からしてこれはダンテの自伝ではなく
フィクションであるのは明らかだ

但し、登場人物(怪物含む)は先の3人は元より
誰一人としてダンテに創作された者はおらず
史実と言うと神話や伝説の世界も含めるので語弊があるが
時代を超えて人々に認識されてきた者ばかりなのだ

既存のキャラを自身の解釈で創作の中で勝手に使うのは
現代日本の同人誌の黄金パターンだが
ダンテの『神曲』も同じノリで
ヲタな自分としては親しみを感じてしまってたりw

しかし実際には世界的に必読の古典の名著として認められており
日本でも新旧様々な訳や解説書が各出版社から出てるので
「神曲」+「ダンテ」でアマゾンでググれば400件以上もヒットするが
これが「新生」+「ダンテ」では僅かに18件だ

『新生』はダンテが若い頃の自伝的作品で
『神曲』に至るまでのダンテとベアトリーチェの出会いから別れまでが
詩と散文(詩の解説)を織り交ぜて描かれてるが
なぜ(どんな目的で)ダンテが『神曲』を書いたのか
その真意が綴られてる、てか、そうと見てとれる重要な作品だ

ところがこれが久しく絶版だったのだ!
なんせ1番新しい角川文庫の三浦逸雄訳が1967年で
自分はまだ生まれてナイとゆーありさま(゚*゚;)

それでも幸いなコトに
とーちゃんが岩波文庫の山川丙三郎訳(※)を持ってて
近年になって自分でも筑摩世界文学大系の野上素一訳もゲト♪
文語訳で旧仮名遣い

読むには困らなかったが
両者を照らし合わせてみてもどうにも不明瞭な部分があり
新訳が出たらそれも欲しいと常々思ってて
それが先月やっと出た(三浦訳から45年ぶりの新訳ってど~よ?!)

新生

訳者は『神曲』も訳してて定評のある平川祐弘訳だ
ちなみに正しくは【示右弓ム】である(ギャル文字もなかなか便利だなw)

早速購入して読んでみて
今まで声を大にしては言えなかったコトに確信が持てた

ダンテは妄想キモヲタのストーカーだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

初めて『新生』を読む以前には先に『神曲』を読んでて
ダンテが妄想癖の神話・伝説・歴史のヲタぽいとは感じつつも
ベアトリーチェと相思相愛だったが結ばれずに死に別れたので
そのせいでダンテは少し常軌を逸してるとばかり・・・ヽ(゚∀。)ノ

それが『新生』を読んでみると
2人は決して相思相愛なんかではなく、友だちでさえなく
ダンテが一方的にベアトリーチェに憧れてるだけで
何の進展もナイままに死に別れてたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

いや、別れるってのも変な表現だ
9歳で出会って以来、ダンテはベアトリーチェと会釈しかしたコトなく
その会釈さえもダンテの思い込みと思われ。(´д`;)ギャボ

ロマンチックな悲恋を想像してたのだが
ダンテに負けず劣らず妄想癖の(キモ)ヲタの自分でさえ
『新生』での妄想キモヲタダンテのストーカーぶりにはドン引きだった

但し、作品としてはそんなダンテだからこそ面白いのだろうし
ダンテの妄想キモヲタキャラは友だちとしては許容範囲だし
ストーカー趣味は度を超えたら止めさせるよ、友だちとしてね

でもダンテでなくても誰しも恋をすれば
多かれ少なかれ妄想癖のストーカーにはなるものだし
相手と一緒にいる幸せそうな未来の光景が妄想(想像)できなければ
そもそも恋愛の始まりようがナイ

言い換えれば、相思相愛でも一方通行でも目下恋愛中の状態は
相手と一緒にいる幸せそうな未来の光景が想像できて
その通りになるように願う気持ちを捨てられずにいる事態だ

いま私は『愛』の宝に由来する一切の心づよさを失ってしまい
そのため私のあわれな身の上は語るだに恐れが迫ってくる
それゆえ乏しさを恥らいもって、隠そうとする人々のごとくせんとして
よろこびを外部にあらわし心の中は毀れまた泣くのである。

総てが満たされるような恋愛など有り得ナイ

もしもそんな恋愛に身を置けば、その至福たるや筆舌に尽くし難いだろうが
失った時の悲嘆はどれほどか、想像するだに怖ろしくもある

だからほんのちょっとの幸せをゆっくりじっくり噛み締めながら
それが気が遠くなるほど永く続くコトを祈るのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

ただ【快楽】を貪るのは悪徳だが
そうして祈りながら【快楽】を与え合うのはこの上ナイ美徳であろう