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自分が物心ついた頃に
小学館の学習マンガ『生きている地球』を読んで信じたのは
宇宙がガモフの言うトコロのビッグバンから始まり
生命の誕生はオパーリンのコアセルヴェート説だったが
この時にキリスト教圏で生息してたら
敬虔な信者になって創世論を頑なに信じただろうし
本を読まずにテレビだけ見てたら
何も考えずに芸能人を拝んでたかもしれナイ(-人-;)

ビーグル号世界周航記――ダーウィンは何をみたか (講談社学術文庫)

また小学生の時には
ダーウィンの『ビーグル号航海記』が愛読書で
生命のダイナミズムに感銘を受けて【進化論】を信奉してたが
世界中の荒唐無稽な神話にも興味を持ってて
特に『古事記』と『ギリシア神話』
そして『旧約聖書』の「創世記」の部分はお気に入りで
寓話と認識しながらその世界観で精神を開放して愉しんでた

既にどんな神も全く信じてなかったが
神に依らずともきっとこの世界は本来美しいモノだ、と確信してたので
意識して世界観から神を排除しようとも思わなかった
神自身は虚偽であったにせよ、信仰が派生したのは紛れもナイ史実で
その原動力となったのは神のような存在の到来を望む人々の
思い(希望・願望・野望)だったはず!
そして自分が人類の歴史に想いを馳せるのは
生命の連鎖以外にそういう気持ちの連鎖があったコトに感動したいからだ!!

中学~高校でバイオテクノロジーの時代を迎え
分子生物学によって生命の誕生や進化が解き明かされてくると
創世論者が事実の方を捻じ曲げようと
躍起になるのを目の当たりにして辟易しつつも
逆に神を否定しかねナイ科学を解する理性を持った学者たちが
自身の中で信仰と科学をどう結び付け、またどう切り離してるのかに
大いに興味が沸いたが
その時に出会ったのがパスカルの『パンセ』だった

パスカルの時代はキリスト教から派生したスコラ学が主流だったが
時代より先行して近代科学を学んでたパスカルは
要するに神に辻褄を合わせて理論付けるスコラ学派ではなく
事実から導いた理論をこそ実証する近代科学の先駆者だったのだからして
そうして科学的な理性をもってしてて
なぜ一方で非科学的な存在の神を信じられるのか?

『パンセ』を読み始めた頃はそこが甚だ疑問だったのだが
敬虔なキリスト教信者である科学者は珍しくナイ
ニュートンやリンネ、そしてダーウィンにしても元は神学を学んでた
むしろ神の創りたもうた世界を正しく認識したくて
もれなく科学者になったのがこの時代までの科学者だろう
ダーウィン然り、「創世記」に反論するためではなく
神の存在を決定付ける証拠を突き止めようとして
多様な生物について研究してたのだ

☆・・・☆・・・☆

ウイルスは生物ではナイが増殖する

但しウイルスの個体は増殖するための装置のみでできてるので
この装置がONになる環境がなくては増殖できず
換言すれば生物が増殖するのは
増殖するための環境と装置を生物の個体が併せ持ってるからだ

利己的な遺伝子 <増補新装版>神は妄想である―宗教との決別悪魔に仕える牧師

神を全面否定する分子生物学者リチャード・ドーキンスは
上記を踏まえて著書『利己的遺伝子』において
利己的遺伝子による理路整然とした世界観を構築してる

遺伝子(増殖するための装置)によって
生物の個体(増殖するための環境)は操られてるので
まるで生物の個体は単なる遺伝子の乗り物のような存在であり
それに比して遺伝子の方は利己的である、とな

人類が生物の中で特別な存在で生物界を支配してる
なんてとても思えなかったから
ヒトを含む全ての生物が自身の持つ遺伝子に支配されてる
その理性的な発想にはメカニズムを含めて賛同できる

しかし生物は個体としても生きる意志を持ってて
同じ種である仲間同士はもちろんだが
同じ生態系においては一見して敵対してると見做されつつも
その中で【共生】してる=助け合ってるのでは?

全ての生物は助け合って共存するのが自然の摂理に適った真理である
とゆー考えを根強く持ってた自分としては
利己的遺伝子の戦略に操られてる「だけ」となってしまうと
それはあまりにも情が無さ過ぎて納得行かなかった

正しいか間違ってるか、に対して
正しいかもしれナイけどあんまり非人情ですヽ(゚∀。)ノ
なんて、最先端科学を学んできた人間にしてはバカとしか言いようがナイ反論だが
こちとらがっつり江戸っ子として生きてきちまったんで
正論だろうと人情を欠いてちゃ合点が行かねんでいっ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

どうも腑に落ちナイ・・・何か冷たいモノを感じてしまうのは
世界には美しさや優しさが満ちてるはずで
神がいてもいなくても・・・いや、神がいなければこそ
この世が天国(※)であって欲しいヽ(´▽`)/
ドーキンスからはそんな気持ちが汲み取れナイからだと思われ
理想郷、楽園、エデンの園、ユートピア、極楽浄土・・・等

Heaven on Earth

パスカルが神の存在を肯定したいのは
人類の望む方向がそういう意味で天国であって欲しいからだとしたら
潜在的世界観では自分と同じモノを持ってると感じるのだ






自分にとって意味のナイ本を読むのは時間の無駄だと思うから
総ての本に読む意義を見出せナイのだとすれば
本を読まナイとゆーのは人としてとても納得できるが
読書が趣味で何でも読み漁る人だけはわからんヽ(゚∀。)ノ

読書とゆー作業自体が楽しいのだろうか?
自分はそうは思わナイが・・・
本を読む以外にはやるコトがナイくらい暇を持て余してるのだろうか?
自分は睡眠を削って読書の時間を捻出してるので
必要性を感じナイ本など読んでる暇はナイからわかりようがナイ・・・

ところで現代日本でベストセラーになってるような本は
いったい誰が読んでるのだろうか?
これこそ読書が趣味で何でも読み漁る人たちが読んでて
ベストセラーになると遂には
本を読まナイ人たちまでが読んでみたりもするのではナイだろうか?

自分は売れてる本をほとんど読まナイが
それは興味の対象から外れて存在してるので
その本に辿り着く経路がどこにも見当たらナイからで
売れてるから避けてるってワケでもナイ
偏屈な自分に対して忠実なだけで単に縁がナイのだ

逆にベストセラーなら何でも広い心で受け容れられるような
広告や宣伝に素直に従って読書する人間には
自分のような偏屈な人間こそが全く無意味な存在に違いナイし
そういう人間の根の深い拘りなど想像もつかナイだろう

しかしその差はどの辺から生じたのだろうか?
たぶん幼少時には皆が似通った本を読んでたはずだが・・・

とはいえ確かに「のりものずかん」だけが大好きで
他の本には何も興味を示さナイ、なんて子も既にいたっけ?!
そういう子は大人になった今でも新幹線にときめくのだろうか?

自分は『長靴を履いた猫』がすごく好きだった記憶がある
同じシリーズで持ってた他の本はほとんど覚えてナイが
『長靴を履いた猫』は何度も音読してるので
ペロの台詞も結構覚えてるくらいだ

あとディズニーの絵本はこの頃から絵柄が好きでなかったのだが
誰かにまとめて譲り受けたらしくいっぱいあった
『シンデレラ』『ダンボ』『ピノキオ』『不思議の国のアリス』・・・
『ピノキオ』と『不思議の国のアリス』は好きだったが
他の本はやはりあまり記憶にナイ

なぜか『シンデレラ』だけは未だに持ってるのだが
『ピノキオ』と『不思議の国のアリス』の方が印象深いほどだ
ちなみに『シンデレラ』は家に遊びに来た子供にあげるにも
持って帰りようがナイくらい異常にでかいせいだろう

我ながら腑に落ちナイのは
なぜ『シンデレラ』より『不思議の国のアリス』を好んだのか?
アリスを愛らしいと思う気持ちが
どうしてシンデレラには湧かったのか?
なぜ何よりも『長靴を履いた猫』を愛読したのか?
ペロや魔王になりきって音読するのが
どうしてそんなに楽しかったのか?

当時の自分にしか(現在の自分にも)わからナイような
何か特別な魅力を識別する要素は
元より自分の中に存在してたのだろうか?
初めて読んだ時に自分の中に形成されたのだろうか?

前者だとしたら自分は偏屈に生まれついてしまったのだろうし
後者だとしたら自分は偏屈に成るような本と縁があったのだろう

それにしてもこうして列挙してみると
自分はどうやら旅をする物語が好きだったようだ?!

そういえば家出ごっこをよくやってたらしい
お気に入りのハンプティ・ダンプティの枕を背負い
片手には持ち物一切を風呂敷に包んだのを持ち
もう片方の手にはなぜか空の一斗缶で
写真を見ると用意万端整った満足感に溢れた面持ちだ

実際には家出などとゆー子供じみたコトはやる気が起きなかったし
大人になってみると特に旅行好きにはならなかったがね

それでも今夏も前半は航海(漂流)してる物語を読んでたし
後半にはトロイ戦争の中でも『オデュッセイア』を読んでたりして
表面はすっかり年老いて変貌してしまったが
趣味は物心ついた頃から変わってなかったりして・・・

思えばずっと科学者や冒険家の物語や手記が好きで
小学生の時にダーウィンやシュリーマンにときめいて以来
そのまま科学(生物学)と歴史(古代史)に夢中で
ダーウィニズムの不備に気づいたり
シュリーマンの非学術的で野心家な部分を知ってみても
【進化論】とか【トロイ戦争】ときたら
つい心躍ってしまうのだけは変わりようがナイ!!

読書が趣味とゆー人は
自分のように一語で狂喜乱舞するほどには
本に愉しませてもらってナイだろうな!

なんて
何の価値もナイ優越感に浸る偏屈な自分が大好きだw

treasureland

夏期休暇は3日で
しかもまとまってはとれナイので
遠出はできようもナイ

年に1度の父親の家のPCのメンテナンス作業日
年に1度の自分の誕生日
年に1度のぬいぐるみの入浴日(フツーは洗濯とゆーがなw)
以上で使い果たしてしまう予定

まあでも日々の読書の時間に旅に出るコトはできるるる~

十五少年漂流記 (集英社文庫J・ヴェルヌコレクション)

まずは無人島へ・・・

ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』だが
これはどうしても読みたいってよりはオマケ(※)につられて消去法で買ってしまった
続・はちくん(アランの幸福論実践)

今まで児童版しか読んだコトがなかったので
完訳は今回購入した新潮文庫版が初となるのだが
読み比べた人によれば「創元社版の方がおもしろい」らしい
確かにこういう古典的なSFの訳書は創元社の方が十八番ってカンジで
愛蔵版とするなら創元社のを買えばよかったかも?!
ちょっぴり航海・・・いや、後悔

十五少年漂流記 (創元SF文庫)

それでもとりあえず児童版に比べたら
読み応えがあって十分愉しめた
登場人物の15少年のキャラ設定がすごく練られてて
読み進む内にそれぞれの性格がすっかり飲み込めた後半では
こいつはまたこうきたか、とにやりとするのが
この本の醍醐味なのだがその点はとても満足したのでね

ところで実生活では漂流はもちろんだが
船旅なんて自分には全く縁がナイ
でも本に関しては【航海記】は1番親近感の持てるジャンルかもしれナイ

ビーグル号世界周航記――ダーウィンは何をみたか (講談社学術文庫)

なんせ幼少期に最もしつこくくどく読み返したのは
ダーウィンの『ビーグル号航海記』で
これで進化論にとりつかれてしまったのだよ!
尤も論説としては自分は反ダーウィニズムの見解を支持してて
ラマルクやカンメラーに共感してるがねw

宝島(上) (お風呂で読む文庫 16)
宝島(下) (お風呂で読む文庫 17)

スティーヴンソンの『宝島』も大好きな本で何度も読んだが
今でも読み始めたらわくわく感が尋常でなく
最後まで一気に読めてしまう!

そりゃあ宿屋の息子が海賊の宝を横取りしに行く話なんて
ときめかナイ方がどうかしてるが
この物語の中で何よりも心を捉えたのは宝物でも海賊でもナイ

海賊フリント船長がどうやって宝島の地図を作成したのか?!

読む度にこの疑問に捉われて
どこぞの漫才師のように眠れぬ夜を過ごしながら
大の地図好きになってしまったのだったヽ(゚∀。)ノ

そうしてとーちゃんの家に行く朝は『宝島』を持って出かけた
『宝島』は完訳版を旺文社文庫で持っててこの訳が凄く気に入ってる
海賊の台詞がなぜか江戸っ子ぽくて
「きゃつをとっつかめえろ!」とか言い出すのだが
まさにとーちゃんがそういう口ぶりなので親しみを感じてしまうのだよね

そういえば今はもう旺文社文庫自体がなくなってしまったのだよな
岩波も好きだが旺文社文庫の方が個性的なラインナップで
それが自分の趣味に合ってたのだが・・・

そうして『宝島』を読みながら
待ち時間に飽きるコトなく電車とバスを乗り継いで
往復4時間近くかけてとーちゃんの家に行った

PCのメンテナンスをしながら
途中でとーちゃんのうでたそばをいただいて
庭のブラックベリーを摘んでジャムをこしらえて
2階の書斎でたくさんの本に囲まれて
楽しい夏休みの1日を過ごした

とーちゃんの本棚から持てるだけの本を借りてきた(*^^*)

ヤスパース『ニーチェの実存的意義』
松浪信三郎『実存哲学』
ラ・ロシュフコオ(内藤耀訳)『箴言と考察』
ボーヴォワール(青柳瑞穂訳)『人間について』
マックス・ウェーバー『基督教的ヒューマニズムと現代』
ダンテ(山川丙三郎訳)『新生』
トルストーイ『懺悔』
春秋社『エドガア・アラン・ポオ全集2』
ユング『現代人のたましい』
ヤッフェ『ユング自伝1・2』

すごい、まるで宝の山だ・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

自分の宝島はとーちゃんの書斎だった(^▽^*)