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パスカルの『パンセ』にはいくつかの翻訳があるが
その中でも研究者として名高い前田陽一訳は文体も読み易く
入手し易い点でもオススメだが
自分が最も愛読してるのは松浪信三郎訳だ

筑摩世界文学大系
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世界文学大系〈第13〉デカルト・パスカル (1958年)
筑摩世界文学大系〈19〉デカルト,パスカル (1971年)
筑摩世界文学大系 (19)

松浪信三郎訳は筑摩世界文学大系(※)で持ってるのだが
これは邦訳『パンセ』の決定版だp(-_-+)q
テキストはレオン・ブランシュヴィック版を底本としてるが
ザカリ―・トゥールヌール版、ルイ・ラフュマ版2種との差異や
断章番号もこれらの4つが掲載されており
訳者による「『パンセ』のテクストについて」では
『パンセ』編纂の歴史が事細かに綴られてて
これ以上に親切にはできナイ限界仕様だと断言できる
なお、本文の概要についてはPenseesを参照
このシリーズは2度に渡って編纂されてるので、【13】と【19】と巻数が違ってても内容は同じ

しかもデカルトとのカップリングなので
『方法序説』『省察』『情念論』を参照しながら読めるのだが
参照すべきとわかるのは訳注にそうあるからだ

『方法序説』野田又夫訳
【第1部】~【第6部】

『省察』桝田啓三郎訳

献辞「いとも賢明にして著名な聖なるパリ神学部の学部長ならびに博士諸氏に」
読者への序言
以下の六つの省察の概要
省察1疑われうるものについて
省察2人間精神の本性について。精神は身体よりも容易に知られるということ
省察3神について。神は存在するということ
省察4真と偽とについて
省察5物質的な事物の本質について。そして再び、神は存在するということについて
省察6物質的な事物の存在ならびに精神と身体との実在的な区別について
凡例
訳注

『情念論』伊吹武彦訳

第1部情念を概説してたまたま人性全般に及ぶ
第2部情念の数と順位、ならびに基本的六情念の説明
第3部特殊情念について

デカルトの『方法序説(および三試論)』が出版された時
パスカルの父がフェルマーらと共にこれに反論してるくらいだから
息子のパスカルもデカルトを敵視するのは無理もナイが
その敵意がどうも神に対する冒涜に向けられてる気がするのが
現代日本人で無神論者の自分からすると腑に落ちナイ点だ
とゆーのも、デカルトこそがキリスト教由来のスコラ哲学を踏まえてて
パスカル親子は当時の最先端の数学や科学を学んでたからだ

1634年、38歳のデカルトが『宇宙論』を発表しようとした矢先に
先んじたガリレオが教会に対して主張(地動説)を曲げず
裁判の末に有罪になった。(゚д゚lll)ギャボ
既にデカルトはそれまでの著作だけでも
デカルトの思想・哲学は有害であり有罪だ、とされてたので
『宇宙論』の出版は断念せざるを得なかったが
いずれにせよ、まだ時代が早過ぎたのだ

以降のデカルトは46歳(1642年)から54歳で(1650年に)没するまで
神を擁護する人間との抗争の内に明け暮れてたが
真実を捻じ曲げようとしてるローマ・カトリック教会に対して
真実を突きつければ異端審問にかかるのがオチだ。(´д`;)ギャボ

そして神の恩恵を看板に掲げた組織との抗争を余儀なくされたのは
【決定的回心】がなされてたパスカルにしても同様で
宗教改革後のヨーロッパなのであるからして
分裂した宗派の諍いが激化してたのだ

パスカルはジャンセニスト(ヤンセニスト)とされて
ジェズイット(イエズス会)から敵視されてたが
そもそもパスカルが所属してるポール・ロワイヤルが
ジャンセニスムの本拠地でフランス国教会もこれを支持してたので
しばしばローマ・カトリック教会が無視されたのだ
なのでジェズイットにしてみれば
正統な神の代理機関が蔑にされてるのは
ジェズイットの沽券に関わる不祥事だったのだが
これに対してパスカルが応じたのが『プロヴァンシアル』だヽ(゚∀。)ノ

内容的にはジャンセニストとジェズイットの対立を
神学上からなんとか収めようとしてる手紙で
この『プロヴァンシアル』とそのいきさつが「注説」として
筑摩世界文学大系には収録されてるるる~

『プロヴァンシアル』中村雄二郎訳

目下ソルボンヌで論議されている事柄について、ある田舎の住人(プロヴァンシャル)に、友だちの一人が書き送った第一の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第五の手紙
ある田舎の住人に友だちの一人が書き送った第七の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十一の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会の神父がたにあてて書いた第十二の手紙
田舎の友への手紙の著者がイエズス会のアンナ神父にあてて書いた第十八の手紙
アンナ神父にあてられた第十九の手紙・断章

更に筑摩世界文学大系には
ジョルジュ・デュアメルのデカルト論(※)と
トマス・スターンズ・エリオットのパスカル論(※)に
デカルトとパスカルについての多数の著作がある野田又夫の解説もあり
巻末にはデカルトとパスカルの詳細な年譜もついてる充実ぶり!
これぞ『パンセ』決定版だ!!
G・デュアメル「デカルト 思考の師」(土居寛之訳)、T・S・エリオット「パスカルの『パンセ』」(青木雄造訳)

実は筑摩世界文学大系は半世紀近く前に出版されてるので
入手するとしたらもれなく古本なのだが
紙質が非常に良いので今まで(※)状態の悪い本を見たコトがナイ
できればモンテーニュの『エセー』も
入手するなら筑摩世界文学大系が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
自分がこのシリーズを入手し始めたのは近年になってからで100冊以上チェックしてる

現代日本人がパスカルの『パンセ』を理解するのは困難だろう
『パンセ』だけをいくら読んでも
全く意味不明か意味を取り違えてしまうだろう

最低でもモンテーニュとデカルトは読む必要があるし
モンテーニュを愉しむためにはルネサンスの教養人レベルの
古代ギリシア・ローマについての素養が必要だし
キリスト教の信者が真実としてる教義以上に
ローマ・カトリック教会の史実を知らなければならナイ

すっかり理解するにはスコラ哲学も必須だろうてw

17世紀フランスの幾何学者パスカルの著書『Pensées(パンセ)』は
仏語で「思想」「思考」の意だが『パンセ』としたのはパスカル本人ではナイ

NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセパスカル『パンセ』 2012年6月 (100分 de 名著)

そもそも『パンセ』はパスカルの死後に出版されてて
『筑摩世界文学大系【13】デカルト パスカル』の「年譜」によれば
パスカルが『キリスト教弁証論』の構想に着手し始めたのは
34歳頃(1657年)だったのだが
その2年後には酷い衰弱状態に陥ってしまい
39歳の時(1662年)にはこの世を去ってしまってる

その『キリスト教弁証論』の遺稿(断片的なメモも含めて)が
『パンセ』として幾通りかに編纂されたのだが
パスカルが生き長らえて完成させてれば
『キリスト教弁証論』として出版されたはずだ

『パンセ』はそんな成立の事情により
各断章に割り振られた番号も全体の構成も版(編纂者)によって違い
どれもがパスカルからしたら不本意で
一旦書いても二重線で消してたりする部分が
そうしてあった、と断り書きをしながら載せられてたりもして
要するに未完の原稿が書きかけの状態のまま出版されてるのだから
当人からしたら冷や汗モノなのではなかろうか(;つД`)

しかし『パンセ』出版から300年以上を経た現代では
ブランシュヴィック版が一般的なようで
日本でも殆ど総てこの版の訳だと思われるが
それは最も合点がいく編集がなされてるからだろう

例えば「考える葦」についての記述がある2つの断章が
[347]及び[348]と連続してる(※)のは
なんとブランシュヴィック版だけだったりするのだヽ(゚∀。)ノ
例えば、ザカリー・トゥールヌール版が[183][107]
ルイ・ラフュマ全3巻が[200][113]、ルイ・ラフュマ完全版が[391][217]

ブランシュヴィック版の構成は以下だ

章(編) 松浪信三郎訳前田陽一と由木康の共訳断章番号
第1章精神および文体についてのパンセ精神と文体とに関する思想[1]-[59]
第2章神を持たない人間の悲惨神なき人間の惨めさ[60]-[183]
第3章賭の必然性について賭の必要性について[184]-[241]
第4章信仰の手段について信仰の手段について[242]-[290]
第5章正義、および現実の理由正義と現象の理由[291]-[338]
第6章哲学者哲学者たち[339]-[424]
第7章道徳と教理道徳と教義[425]-[555]
第8章キリスト教の基礎キリスト教の基礎[556]-[588]
第9章永続性永続性[589]-[642]
第10章象徴表徴[643]-[692]
第11章予言者預言[693]-[736]
第12章イエス・キリストについての証拠イエス・キリストの証拠[737]-[802]
第13章奇蹟奇跡[803]-[856]
第14章補遺、論争的断片論争的断章[857]-[924]

☆・・・☆・・・☆

パスカルの生きた時代(17世紀のフランス)は
ルネサンス(16世紀)と理性の世紀(18世紀)の間だった

ヨーロピアンの精神的支柱であるキリスト教が
中世の暗黒から抜け出て、ルネサンスの光明に曝され
不明瞭な部分を神に委ねずに解釈する人間が台頭してきたが
そんな先進的な思想を持つ先達にモンテーニュとデカルトがいた

2人ともパスカルと同じくフランス人だったが
モンテーニュはパスカルより一時代前に
デカルトはパスカルより一世代前(パスカルの父と同年代)に
キリスト教に対して真っ向から挑むような著述をした

それらがパスカルに『キリスト教弁証論(パンセ)』を書かせた
とゆー見解は『パンセ』を一読すれば瞭然で
とにかくモンテーニュとデカルトに対する反駁ばかりが目に付くのだ

なんせ自分などはパスカルの『パンセ』を読んでて
モンテーニュの『エセー(随筆)』や
デカルトの『方法序説』『省察』『情念論』を
読まずにはいられなくなったのだったw

モンテーニュとエセー (文庫クセジュ)

モンテーニュの『エセー』は
権威に対する懐疑主義的な皮肉が満載ながら
洒落のめしてて切れ味の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ表現なのが
人文主義的美意識の高さを感じさせるので自分には好ましいが
その辺がキリスト教信奉者には疎ましいのだろう。(´д`;)ギャボ

加えて聖書の警句の引用がほとんど見当たらナイのと
それに比して古代ギリシア・ローマの哲学者の言を多用し
ましてや正論の論拠に用いてる部分も
ガチの信者には虫唾が走るような悪書の見本だったに違いナイし
実際、無神論の書として禁書扱いになってた

Que sais-je?(クセジュ?)
――我、何をか知らんや?

モンテーニュの発想はまるでソクラテスの無知の知だが
こういった節度を美徳とする古代ギリシア人気質が
分を弁えてる江戸っ子にもぐっとくるのだ

方法序説 (岩波文庫)

デカルトは前時代的なスコラ哲学をがっつり学んでて
神の存在をむしろ証明しようとしてたが
世界を神秘主義で結論付けてしまう思考停止に陥れずにいて
神の力に拠らずとも世界は成り立ってるし
そもそも世界が成り立ってるかどうか疑わしいのだが
そこを認識する際にはまず神の存在ありきではナイ
てな具合に遠回しにではあるが神を否定してしまった。(゚д゚lll)ギャボ

Cogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)
――我思う、故に我在り

総てを疑わしく感じたデカルトがしたコトは
真の世界観の構築ではなく、世界の中の疑わしさの排除で
残ったのは疑念を抱く自分自身だけだったのだろうか?

tristram-shandy

読書の意義は自分にとっては「知りたいコトを知るため」に尽きるが
だから読み方も知りたいトコロが書いてありそうな部分を知りたい順に読む

誰しも本を読んでる時に読めナイ漢字や意味の曖昧な単語に出会えば辞書を引くだろうが
同じように調べたい事柄にぶち当たったら他の本を参照する・・・
その所作がやたらと多いのが自分の読書の特徴だ

1冊読み始めるとすぐに10冊くらいの本が山積になり
何がどの本の何ページに書いてあった、とかそういう思索の過程と
思索の末に自分なりに見出した回答などの
メモ書きがたくさんできるるる~

そんなたわいもナイ読書が自分には人生における至福の時間なのだが
この至福を味わってるうちに最初に読み始めた1冊が数ページ読んだまま放置プレイ・・・
なんてコトもしばしばw

トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1)
トリストラム・シャンディ 中 (岩波文庫 赤 212-2)
トリストラム・シャンディ 下 (岩波文庫 赤 212-3)
古い医術について 他8篇 (岩波文庫 青 901-1)
情念論 (岩波文庫)
森鴎外全集 【11】ファウスト  ちくま文庫
科学1001の常識―生命・遺伝子・素粒子・宇宙 (ブルーバックス)
ダランベールの夢 他四篇 (岩波文庫 青 624-2)
大博物学者ビュフォン―18世紀フランスの変貌する自然観と科学・文化誌

リチャード・スターンの『トリストラム・シャンディ』は
そうした放置プレイをしまくってる小説で

行為にあらず、行為に関する意見こそ、人を動かすものぞ。――エピクテータス

とか、いきなりエピクテトスで始まってて
しかも自分としてはカナ~リ読み込んでるはずのエピクテトスなのに
この句がどこに書いてあったか全く思い当たらなくて気になって確認w
でも一通り目を通してみたが見つからナイ(;つД`)

よく考えたら邦訳は抄訳なのだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

諦めて気を取り直して『トリストラム・シャンディ』第一巻第一章を読むと
「生殖の際の体液や気分によって生まれる個体の天分や一家全体の運命までもが決定付けられる」
とあり、体液と体質についての関係が詳しく述べられてる本として
自分が思い起こすのはヒポクラテスだった
『空気、水、場所について』や『人間の自然性について』の中で
どういう土地においてどんな生活をしてるかで体質の傾向に違いがあり
それによってかかりやすい疾患や疾病が何であるか、しきりに述べられてるのだ

気がつけばなんとなくヒポクラテスを読み始めてしまってたり(-_-;)

再度『トリストラム・シャンディ』に戻ってやっと2ページ目に進むが
今度は【動物精気】だと。(゚д゚lll)ギャボ
次はデカルトかょ。(´д`;)ギャボ

デカルトの『情念論』第一部の「7.身体各部およびその若干機能に関する略解」に
「筋肉の運動は神経の作用であり(以上は概略で以下は引用)

神経とはすべて脳に源を発する細糸または細管状のものであり、脳と同じくきわめて微妙な一種の気体ないしは気息をふくんでいる。これを動物精気(esprits animaux)と呼ぶ。

」とあり
「10.動物精気はいかにして脳の中に作られるか」に
「心臓で希薄化された血液の中で極めて精妙な部分が動物精気で
その実体はろうそくの炎のような敏速に動く極微体な物体で
これの一部は脳室へ入り他の一部は脳実質の気孔から神経→筋肉へと移動」とある
以上、引用部分は伊吹武彦訳による(筑摩世界文学大系)

デカルトは身体を科学的に見て機械として扱ってるがそれを支配するのは精神であるとしてて
この対極しつつも一体である不可思議な2者の繋がりを『情念論』で緻密に論じてる

簡潔に言い表せば、精神の中に生じる情念が
精気とゆー神経伝達物質のようなモノになって身体に作用する、てなカンジ

と、ここでやっと『トリストラム・シャンディ』第1巻の第2章へ
1ページ読み進むのに時間がかかり過ぎるったらナイが
ここへきて「精子(ホマンキュラス)の小人」て。(゚д゚lll)ギャボ

第一巻 第二章は全体に渡って古典生物学的ホムンクルス説が展開されてて
当時の最新の科学がどういう風に民間に波及してたのか窺い知るコトができるので
非常に参考になるし的外れの見解こそがおもしろい!

科学は正しい新説で古く間違った説が上書きされてしまうと
モノによっては【古典~学】などと称されるようになって残るのだが
余りにも荒唐無稽な説は当然ながら抹殺されるるる~

そうして闇に葬られた説には魅力的な発想からきた興味深い説も少なくナイが
ホムンクルス説もその奇異さにおいて立ち消えてしまうのは惜しい説だ
どの本だったか失念したがたいそう不気味な図入りで
この説がまことしやかに説明されてる科学の本があって持ってたはず・・・
鞭毛を持った精子の頭部に体育座りの人間が詰まってる図は
夢見が悪くなりそうな衝撃があって忘れたくても忘れられナイのだが
肝心の解説はうろ覚えなのが悔やまれる。(´д`;)ギャボ

ゲーテの『ファウスト』に出てくるような中世の錬金術師が作成した人造人間の小人を
元来ホムンクルスと呼んでたワケだがそれがなぜ精子の中の小人になったのか?

オランダのレーウェンフックが自作の顕微鏡で精液を観察した際に
生殖過程における精子の役割を初めて理解したのが17世紀後半のコトだった
レーウェンフックはこの他にも
様々な顕微鏡画(もちろん当時には写真はナイ)を英国王室学会に送りつけたのだが
これらは画期的な業績であると認められて
フェロー(英国王室学会の名誉会員)に推挙された
そんなレーウェンフックは精子たる「精液微小動物」を観察しながら
その頭部に小人(ホムンクルス)が入ってる、と考えた
(以上『応用微生物学』教科書と講談社ブルーバックス『科学1001の常識』を参考に記載)

とはいえレーウェンフックは実際には精子の頭部に小人をはっきりと見たのではナイ
既にそういう考えを発表してた人物がいたので
精子の形態(頭部があり鞭毛が生えてる形)から想像しただけなのだ
なぜなら精子の頭部に本トに人型のモノが入ってたとしても
それを認められるほど精度の高い顕微鏡が作れてなかったのは明白だからだ

【存在胚種】とゆー考え方はオランダの昆虫学者スワンメルダムが1669年に提唱した説だが
毛虫の解剖をしてたら蝶の形態が発現したので
マトリョーシカ式に最初から入れ子状態になってるのだ、としてて興味深い説だ

【世代の無限分割】とゆー考え方はフランスのマルブランシュが1674年に著書『真理の研究』に著した説で
リンゴの木がリンゴの種から生じるのはそこに既にリンゴの木があったからで
世界の終わりまでの分のそこに存在するべきリンゴの木は
総て最初の木に入れ子状態で存在してた、となるともう常軌を逸してるが・・・

これら【存在胚種】や【世代の無限分割】は総括して胚種の前成説とされるが
言い換えればこれが【ホムンクルス説】なのである

ディドロはこの説に『ダランベールとディドロの対談』の中で反駁してる

1つの原子(アトム)のなかに完成された一匹の象がおり、この原子の中に完成された象がもう一匹いる、そんなことが果てしなく続く、なんて考えることを理性は嫌うからね。

とディドロ自身として述べててダランベールにはそんなディドロに対する反対意見を語らせてる
つまりダランベールは古典的で保守的で一般的だから【ホムンクルス説】の方が当時は罷り通ってたってコトだ!

しかしこの訳注には「ビュフォンもディドロと同意見だった」とあるが
むしろディドロが大博物学者ビュフォンに影響されたのだろう

『大博物学者ビュフォン』の第9章「発生から生殖へ~第十章 生殖から生命の問題へ」で
35ページに渡って詳述されてた・・・
(ここではホムンクルスを主題にしてるからビュフォンの正当な見解の方をこそ省く)

スターン自身が信じてたのかどうかは定かではナイが
『トリストラム・シャンディ』の作中ではさも最新の科学理論であり
読者は知らなかったかもしれなくともこれこそが事実である、と恭しく記述されてる

って、ダメだ、誰か止めてくれ~ヽ(゚∀。)ノ