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現エリザベス女王はエリザベス2世なのだと
最近になって知った、とゆーか再認識したのだが
エリザベス1世となると1558年に25歳の若さで即位して
一生を独身で通したテューダー朝最後の女王だ

生涯に6人の妻を持ったヘンリー8世を父に持ち
母はその2番目の妻アン・ブーリンだ
映画『ブーリン家の姉妹』ではナタリー・ポートマンによって
美しさゆえに勝気なアン・ブーリンが描かれているが
実像は冴えナイからこそ女子力に磨きをかけたぽい

ブーリン家の姉妹 [Blu-ray]

ヘンリー8世の妻になるまでの策士ぶりとか
前妻を陥れてからのその娘にまで及ぶ悪辣な仕打ちとか
その美貌によってちやほやされるのが当たり前の
ヨユーがある女には在り得ナイ陰湿さなのでそう思うのだがw

このアン・ブーリンの陰謀で
前妻との離婚を(より正確には離婚ではなく婚姻の無効を)
ゴリ押ししたヘンリー8世は
ローマ・カトリック教会と真っ向から対立した。(゚д゚lll)ギャボ

(仮)ザ・チューダーズ ヘンリー8世/背徳の王冠 DVD-BOX1

それとゆーのも聖トマス・アクィナスが認めてませんでしたから!(※)
ああ、しかしトマス様、なんたるコトでしょう!!
ルター批判によってカトリック信仰の擁護者の称号を授かった王が
遂には破門されてしまうとは・・・(←『トリストラム・シャンディ』風w)
ヘンリー8世の時代のトマスと言えばトマス・モアだが、モアも認めておらず
それが原因でモアはロンドン塔に幽閉ののち斬首刑に処された
またそうしてモアを追い詰めるに至った国教会の支持者クロムウェル卿もトマスだった

でも現代日本人からしたら一国の王の婚姻について
なんで他国の教会組織に許可をもらう必要があるのか???だし
従わなかったら破門されるってのも???だろうし
そもそも破門ってのが意味不明かと・・・。(´д`;)ギャボ

カトリック信者にとってのローマ・カトリック教会は
人間による神の代理組織の頂点、なのだ(現代においても!)

そこから破門されてしまうと秘蹟を享受できなくなり
秘蹟による赦しがなければ死後は地獄行き、と信じられてるるる~

聖地奪回のための十字軍遠征にこぞって参加したのも
そうすれば赦しを得られるとローマ・カトリック教会が説いたからだし
また参加せずとも金銭によって参加したコトにしてもらえたのも
ローマ・カトリック教会がそう示唆したからだ

これで免罪符による教会の不当な金儲けが正当化されたのを
おかしい、と感じて信仰の意義を唱えたのがルターの宗教改革で
ヘンリー8世在位中(1517年)の出来事だったが
熱心なカトリック信者でインテリだった王は(女癖は悪かったが)
ルターを批判しカトリックの秘蹟を擁護する文書を著して
当時の教皇に【信仰の擁護者】と称された

その同じ王が、たかが女性問題なんか(※)で
ローマ・カトリック教会と決別して仕舞いには破門されてるって
どんだけ女に弱いの?バカなの???
王妃はそのままにしといて影で愛人ともよろしくやるのが穏便な方法では?!

しかもそこまでして結婚したアン・ブーリンなのに
数年後には離婚してロンドン塔に幽閉した後にあっさり処刑ヽ(゚∀。)ノ
そういう両親の熾烈な愛憎劇の渦中に生まれ落ちたエリザベス1世が
決して結婚しなかったのには諸説あるが
自分としてはこのバックグラウンドだけで十分と思えるがね

このエリザベス1世の治世は1558年~1603年と44年ほども続いてて
シェイクスピアやマーロウの演劇が持て囃されてたが
要するにこの時代の文学と言えばほぼ戯曲だった

エリザベス朝演劇集〈1〉

そこからするとトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』での
以下の表現はシェイクスピアやマーロウに見受けられるのだろうか?

白雪をちりばめた紅ばらという、エリザベス朝の古めかしいたとえを、これほどしつこく、くり返し思い出させる女性の唇と歯を、いままで彼はついぞ知らなかった。彼は恋人としてだったら、それらを即座に完璧な口もとだと呼んだかもしれない。しかし、いや――それらは完璧ではなかった。一目みて完璧と見まごう画面に、一刷毛の描き残し、または不完全さが残っていてこそ、甘美な魅力は生まれるのだ、――不完全さ、それは人間性を発揮する要素だからである。

自然が望む美はシンメトリーなのだが
人間が憐憫の情を抱くのはアシンメトリーで
完璧にほど近い美の中の僅かに不完全な愛くるしさなのだ

そんなテスの唇を見つめる時
恋人のエンジェルは全神経をつらぬく薫風が吹き起こりめまいがするそうで
この薫風はギリシア語で「アウラ」(大沢衛の訳は【開花発気】)だ
なんて瑞々しい表現だろう・・・ホゥ(*-∀-)

テス  Blu-ray スペシャルエディション

ロマン・ポランスキによって映画化された『テス』では
小説で想像してたよりも幾分明るいイメージのナスターシャ・キンスキーが
ハーディの美的表現通りのテスを演じてたが
当時17歳のキンスキーはこの時ポランスキと深い仲だったそうで
だからこその出来の良さなのかもしれナイが
そこにどうにも苦々しさを感じてしまうのが残念だ

映画『テス』はポランスキの亡き妻シャロン・テイトに捧げられたが
それは彼女こそが夫に映画化を勧めてたからなのだ
チャールズ・マンソンの狂気の犠牲となる前に・・・

道徳、なんて言葉を他人に振りかざす人間ほど
不道徳の罠にかかった道徳的な女を傷つけたりするモノだ

【映画パンフ】テス ロマン・ポランスキー ナスターシャ・キンスキー

道徳的な人間とは、どういう人間なのか?
さらに適切にいえば、道徳的な女とは、いかなる女をいうのか?
ある性格の美醜は、その人の業績にばかりあるものではなく、その目的と動機にあるのだ。
性格の真の歴史は、成し遂げられたことのあいだにあるのではなくて、意図されたことのあいだにあるのだ。

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の中で1番心に沁みる部分だ

テス 上 (岩波文庫 赤 240-1)テス 下 (岩波文庫 赤 240-2)

以下、『ダーバヴィル家のテス』のあらすじと疑問点

☆・・・☆・・・☆

ヴィクトリア朝時代のイギリスの片田舎に
テスは極貧で子沢山の一家の長女として生まれたが
美しかったお蔭で金持ちのアレックに見初められて愛人になり
家族を養うコトができるようになって
大団円♪

と、思いきやテスは突然アレックの許を去る。(゚д゚lll)ギャボ

当初テスがアレックの強引さに戸惑ってたのは処女ならではの抵抗で
そういうテスをアレックはますますかわいく思っただろうし
若くてハンサムで洒落者の男に甘やかされてほだされナイ女はいナイから
テスもそろそろアレックに対して素直になる頃かな?

と、思った矢先に突然アレックの許を去ったのだ。(´д`;)ギャボ

テスの突飛な行動にアレックも呆然としただろうが
現代日本人の読者としては当のアレック以上にあっけにとられた

アレックの何が嫌なのか?単に愛人とゆー立場なのが嫌なのか?
既に純潔も失ったテスがいったいどうしてこうも頑ななのか?

そしてもっと切実な問題として
テスはこれからどうやって家族を養うつもりなのか?!

よりを戻そうとするアレックを拒み続けるテスは
家族を養うために野良仕事に明け暮れて厳しい日々に耐える
それだけならテスの姿はとても感動的で心を打たれるが
意地を張らずにアレックの許に戻りゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに、と思うと
どうにもバカバカしくなってくるるる~・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そうして重労働に身をやつすテスはエンジェルと出会った

エンジェルが美しいテスを見初めるのはわかる
しかしテスがなぜエンジェルを好きになるのかはまるでわからん
無粋で意固地で自分勝手で夢見がちで処女崇拝で男尊女卑の冴えナイ男だw
テスの不運は男の趣味が悪かったコトとそれを貫き通した我の強さかヽ(゚∀。)ノ

学生時代に初めて読んだ時からずっと疑問だったのは
テスがなぜ非の打ちドコロのナイアレックの愛人の座から逃げ回り
一方で覚束ナイエンジェルと結婚しようと必死だったのか?

今になってやっとわかったがテスの思考や行動の全ては
恋愛感情でも損得勘定でもなく信仰心から発したモノだったのだ

当のテスは信仰心だけを貫きたかったが
アレックはまるで悪魔のように誘惑して虜にした
甘い夢を見せられて幸せのぬかるみにはまってしまったテスが
それに気づいた時にもれなく捨てるべきだったのは
アレックではなくて信仰心だったのでは?・・・まあ捨てられナイだろうがな

そうして罪の子を産み、更にその子を亡くし
これまた信仰心ゆえに無駄に自身を呪わしく感じてしまう
だからエンジェルに対してもどうしても恋心より罪悪感が先に立ち
その罪の重さに耐えかね、ついには告白してしまう

これはエンジェルに関しても言える
典型的な庶民=純粋なキリスト教の信徒、なのだからして
恋愛感情よりも性欲よりも信仰心が勝ってるるる~

テスが非処女であると知った途端に拒んだエンジェルを
以前は単に恋人の裏切りに対する拒絶としか捉えてなかったので
なんて器の小さい男だ、と軽蔑してた
でも実はテスが告白したのは恋人への裏切りなんかではなく
私生児を産む、とゆーキリスト教では赦されざる罪を犯してた事実で
エンジェルにしてみれば地獄へ落ちるのが確定してる女に見えただろうから
そりゃあ逃げ出したくもなるってものだ

だからそうして一旦は逃げ出したはずのエンジェルが
ましてや牧師の息子であったのにテスの元へ戻ったのは(遅過ぎたけど)
これこそが恋愛も性欲も信仰も超えた愛だったのではナイだろうか?

いつでも女の子の味方でありたいとは思うのだが
暗く鬱陶しい悲劇のヒロインは応援のし甲斐もなくて
そんな女が主人公の物語はつまらなかった

トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』のテスのように
最愛の相手との結ばれナイ運命に打ちひしがれて憂いてる女とか無理っつ!

トマス・ハーディ全集 12 ダーバヴィル家のテス

テスは男を見る目がナイばっかりに゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男を蹴って
激情の迸るままにバカな男に愛を捧げて・・・
いや、総てを曝け出して赦しを乞うたのに捨て置かれるるる~

テスはアレックの愛人になれば若死にする必要ナイのに・・・
しかも犬死に・・・バタリ ゙〓■●゙

まあ最愛の相手と結ばれて長生きしても
そいつにこそ不幸な目に遭わされ続けるとなると
若死にとどちらが得なのか、微妙だがw

同じくハーディの『遥か群衆を離れて』のバスシェバと
『ダーバヴィル家のテス』のテスは
その美貌や高潔さなどがよく似たタイプの女だ

しかしテスの一家は困窮してたのでテスが養うしかなかったが
かたやバスシェバは遺産を受け継いで牧場主となった

テスは生活のために自らを恥辱に晒さねばならず
またそれがために愛する男に拒絶され
一方バスシェバは条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男のプロポーズも拒み
初めて恋した相手を悠々と夫に迎えるのであるるる~

但し、バスシェバに限らず世間ではよくあるコトだが
夫は博打好きで酒に溺れるタイプで妻以外の女にのめり込みやすく
更に放浪癖があった・・・
呑む、打つ、買うも男の甲斐性だったらまだしも
バスシェバに依存してるのだからタチが悪い(-_-;)

とはいえ、稀にそういう悪癖を持ち合わせてナイ男もいるが
テスの愛したエンジェルのように無駄な生真面目で
女を攻撃して傷つけるのは尚更タチが悪いし
ましてや新婚初夜を迎える寸前に妻を拒絶するような男は
手を焼かせ続けるダメンズの夫にも劣るヽ(゚∀。)ノ

換言すれば、テスは結婚生活での苦労はなかったとも言えるし
愛人生活でも男が溺れてるのがテスなのだから
生活する上での苦労はなかったはずだ
愛人である、とゆー不満以外には・・・

実際、テスのような貧農の娘が生きてく術は
同じ貧農の男に嫁ぐか金持ちの愛人になるしかナイのは
わかりきってる事実なのだから
どうしても嫁ぎたい貧農の男がいなければ
別に金持ちの愛人になったって゚+.(・∀・)゚+.゚イイじゃナイか?
しかも相手の男は愛する対象としても全然悪くナイのだ
自分はどうもアレックに惹かれてしまう(苦笑)

[第1巻 メロドラマ] パミラ、あるいは淑徳の報い (英国十八世紀文学叢書)

もしかしてサミュエル・リチャードソンの『パミラ』のように
テスもアレックから愛人でなく本妻に望まれたら
子供じみた抵抗などせずに上手くいってたのだろうか?

でも愛人に望まれた純潔至上主義者のテスは
操を守りきれなかった自身と相手の男をひたすら呪い続けるるる~

テスがこの呪縛から解放されるためには
恋人に価値観をひっくり返されるほど愛されるしかなかったが
エンジェルはテス以上に純潔至上主義者だったため
愛する女のはずのテスも相手の男アレックも同じように呪い
穢れてる女との別れを望むのだった。(゚д゚lll)ギャボ

愛する女自身よりも女の純潔が大切で
それを失ってしまったら女には愛する価値がナイ???

そんな奇異な価値観を振りかざしてくる男よりは
酒と博打と女に溺れやすいダメンズの方が愛らしいと思えるけど(゚*゚;)

結末ではやっとテスを許せるようになったエンジェルが
テスを迎えに行くのだが時既に遅し・・・
と思いきや、エンジェルに呪いを解いてもらいたいテスは
殺人まで犯してエンジェルを追うのだった

呪いは解けたが・・・そこでテスの命運は尽き果てた。(´д`;)ギャボ

かたやバスシェバは生活に困るコトもナイので
ダメンズの夫トロイに酷い目に遭いながらも最期まで愛し続けて
むしろ愛情のストックがある間にトロイが死んでくれて
きっとほっとしただろうし、幸せだったと思う。・゚・(ノД`)・゚・。

夫が単に浮気性だと嫉妬で腸が煮えくり返るくらいで
赦せば戻ってくるのだと思えば幸せでいられるし
死んでしまえばもう浮気のしようもなくなるから一安心だヽ(´▽`)/

女は基本的には男より精神的に逞しく明朗快活だが
それは男のように実力もナイくせに無駄なプライドを持ち合わせて
そこを突付かれる度にいちいちいじけたりしナイからだし
フツーは家事だの雑事に追われて生活してるので
そんな風に自身の殻に閉じ篭ってるような暇もナイからだ

女の底力を発揮するのは不幸な目に遭ってこそで
悲恋こそが女の人生を豊かにするのだ!
それを乗り越えられれば!!

女の本能はそうと知ってて挑む、だから女なのだ(*^^*)

基本的にサッカーとテニスの試合以外にテレビは観ナイが
毎朝NHK BSの『クラシック倶楽部』をかけて
家事をしながらなんとなく聴いてはいる

お気に入りの曲を好ましく奏でてくれてる奏者だとか
稀に美しく装飾されたチェンバロとかだと
家事の手を休めて画面に釘付けになるコトもあるるる~

昨日はセルソ・アルベロのテノール・リサイタルで
オペラのアリアをほどよく軽快に歌ってた

ヴェルディ:歌劇《リゴレット》 [DVD]

常々オペラは朝っぱらから観るモノではナイと思ってたのだが
それは朝の爽やかな空気感を払拭してしまうからだ
ところがアルベロの明るい声にはそんな懸念は吹き飛んでしまい
すっかり魅了されてソファーに腰を据えたら
ヴェルディの『リゴレット』のアリア「女心の歌」が始まった

La donna è mobile
Qual piuma al vento

女は(donna)気まぐれ(mobile)だ
風(vento)の中の羽(piuma)のように

mobile(モービレ)は英語のmobileとほぼ同義ぽい
固定されてナイ機器をモバイルと言うのはもはや日本語だし
今や世界共通のIT用語でもあるがね

まあそんな歌い出しで始まるこの曲には
日本語の歌詞が何種類かあるくらいだから
きっと表現が抽象的なのだろうと予測できるが
今回の字幕にはぐっとキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

恋にうるむ肌に触れずにいれば
女心は変わるよ、風の中の羽のよう

恋にうるむ肌・・・てのが゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!
科学的に、物理的に、潤わすのでなく、スピリチュアルな潤い!!

愛しい相手にそうと気付かれず、触れてもらえずにいれば
確かに、風の中の羽のようにふわふわと浮きつ沈みつ
自分自身でも捉えドコロがなくなってしまう。(゚д゚lll)ギャボ

このアリアを軽妙に歌うのは
名うてのプレイボーイ(死語?)の公爵なのだが
さすが女心がよくわかってると感心するも
公爵のお相手の方が女心よりもよっぽど移ろいやすいと思われw

そうなのだp(-_-+)q
男は種蒔き本能がある以上に新たに開墾したがるモノだが
たいていの女は1人の最愛の男しか愛せナイモノだ
女心がわからナイ、などと嘆くなかれ

男の態度に応じて女心は浮き沈みしてるのだから
恋にうるむ肌を存分に堪能すれば
女は素直に男に従うだろう

☆・・・☆・・・☆

強気の女がその強気を投げ棄ててしまふと、投げ棄てるべき強さなどは全く持たない弱気の女よりもっと弱くなるものである。

これはトマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』(※)で
強気な美女バスシェバがトロイ軍曹に恋した様子だが
美女は美しいから強気でいられるのか
強気だからこそ美しく見えてしまうのか?
はたまた弱気な美女なんて存在するのだろうか?
引用は『遥かに狂乱の群を離れて』で昭和初期の訳で旧仮名遣い

バスシェバはかつては求婚を断るのに
「あなたを愛してません!」とはっきり言える女だったのが
トロイに恋して全く理性を失って
俗に言う「恋は盲目」の状態になって彼の総てを享受するようになり
トロイに対する誹謗や中傷となると自身のコト以上に憤慨して
事実を彎曲させてでも彼を信じずにはいられナイ
そんなバカな女に成り下がってしまうのであるるる~

傍から見れば、あるいはトロイからしたら
恋に打ちひしがれるバスシェバのバカっぷりは哀れでしかなく
普段から男に振り回されてるような心弱い女以上に
憐憫の情を抱かずにはいられなかっただろう(-_-;)

それがトロイを失って(失踪してしまったのだが)
条件の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男に改めてプロポーズされる(※)も
やはりその男を愛してナイので乗り気ではなく
トロイがもし帰ってこなかったら・・・と条件を出す
以前も求婚されたが、「あなたを愛してません!」とはっきり断った

トロイはもう死んだ、と皆が思ってて
ましてやトロイの子を身ごもったまま死んだ女との間に
真実の愛を見出して、いたたまれなくなった故の失踪であると
誰よりもよくわかってるはずのバスシェバだのに
まだトロイを待つのだ、待っていたいのだ

だってトロイを愛してるから。・゚・(ノД`)・゚・。

女は一途だからこそ
女心は風の中の羽のように不安定になるのだ

女にとって名状し難い魅力を持ってる男には
不思議な共通点があるるる~

そう思ったのはトマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』(※)の
トロイ軍曹についての描写だった
実際に読んでたのは昭和初期訳の『遥かに狂乱の群を離れて』

彼にあつては過去とは昨日のことであり、将来とは明日のことであつて、決して、次の時代の謂ではなかつた。

カサブランカ [Blu-ray]

ボギーも『カサブランカ』で似たようなコトをのたまう

昨夜?
そんな昔のことは覚えてない
今夜?
そんな先のことはわからない

女の誘いをそつなく断るのに吐いた科白だが
自分もこんな風に断られてみたい、とさえ思えるほどに
不躾ながらもなぜか心地好いのは
女が1番拘りを持つ【時系列】に対して
無頓着だ(だから止めた方が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ)と
暗に先手を打ってるからだろう

とはいえ、そうしてつれなさを粋に計らえるコトこそが
女に恋われる所以でもあるのだ
一定の距離を置いてなら楽しく付き合っていけるし
本気にもならなければ裏切られずに済む
とか安心させつつも、隙あらばと挑ませるのだよw

さてトロイは主人公の非モテ男オークとは正反対で不道徳極まりなく
色男の常で金はなかったが力の方は剣術が達者で
生まれ持っての家柄と美貌を誇る紅い制服が似合う軍人だった

女に対してどんな非道もやってのけそうに見えて
案外ロマンチストな部分を持ち合わせてて
貧しく鈍臭くも愛らしい女を1度は捨て置きながらも
後から純愛に目覚めて一途に想ってみたりする・・・ホゥ(*-∀-)
それも金持ちで賢い美女の夫の地位を得た後でだったりする。(゚д゚lll)ギャボ

トロイは女に対して臆するトコロがナイので
美女に何の気兼ねも無く、その美貌を褒め称えるのだが
美しく誇り高き処女バスシェバも
ただでさえトロイの容姿から目が離せナイのに
その口から自身を美しいと賛美する言葉が発せられるのだから
抵抗のしようもナイのは当然だ
更にそこですっかり゚+.(・∀・)゚+.゚イイ気分になった頃合いに
皮肉交じりにさらりと愛の告白をされたら
本気なのかどうかが気になって思い悩んでる内に
夜も眠れなくなるほどに狂おしく愛してしまうのだよ。(´д`;)ギャボ

バスシェバに対するトロイの迫り方をオークと比較すると
非モテ男とモテる男の決定的な差がよくわかる

私はあなたを(物資によって)幸せに出来ますから
是非とも結婚しましょうヽ(゚∀。)ノ

   by オーク

他の女とキスするよりあなたに罵られる方が好ましいので
ここ(あなたのそば)にいたいんですよ

   by トロイ

これがテス(※)のような貧農で子沢山の家の娘だったら
トロイを振ってオークを選べるのも
女としてよりむしろ人として立派なのかもしれナイ
同じくトマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』の主人公

でも不幸に陥るかもしれナイ予感がしながらも
ただひたすら愛し愛されたい男として
総てを敵に回してでもトロイを求めてしまうのが女ってモノだし
最終的にどんな転落を味わったとしても
女は自身が選んだ男なら絶対に恨んだりは出来ナイはずだ

だからバスシェバも身を切られるような裏切りに遭いながら
トロイを愛する気持ちは一向に変わらナイ!
ドコロか夫が愛した女性に憐憫の情さえ抱き
トロイを選んだコトには微塵も後悔なんかしてナイのだ!!

バスシェバのような資産家の美人に生まれてたら
もれなくトロイのような男を求めてしまう、のはわかる♪
人生においてたった1度でも恋する男に乞われたいヽ(´▽`)/
実は勘違いだったと後々露見しても
一瞬だけでも至福を感じられるなら゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

それにしてもテレンス・スタンプはハマり役だな
なんか別のVer.でも映画があるようだが観る気がしナイよ(-_-;)

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これとは別に今年(2013年)また映画化するらすぃけど
それを機にテレンス・スタンプ版もDVD化されると嬉しいな(*^^*)

それにしても若い頃はトマス・ハーディをバカにしてたが
四十路を過ぎてファンになるとはヽ(゚∀。)ノ

先に映画で観て、後から原作の小説を読む場合
ヴィジュアル的に自分の好みに合ってる映画だと
読み進みながら違和感を感じるコトがあるが
トマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』がまさにそれだった

昭和初期訳の『遥かに狂乱の群を離れて』を読み始めて
まず驚いたのは実はこの物語の主人公が
テレンス・スタンプ演じるトロイ軍曹でもなければ(まあこれはナイと思ってたが)
美貌の女主人バスシェバでもなかったコトだった

ほとんど記憶に残ってなかった地味な雇われ羊飼いのゲーブリエル・オークが
およそ似つかわしくナイながら主役だった。(゚д゚lll)ギャボ

このオークは道徳的な人間の見本のように描かれてるが
もちろん女にとって魅力のあるタイプでは全くナイw

ルックスに関しては何の言及もナイが
それはつまり取り立てて言うほど良くも悪くも抜きん出ていナイ
これまた女にとって1番印象の薄いタイプであるるる~

極め付けが恋愛に関しては本トに疎くて
女からしたら腹立たしい男の代表格なのだヽ(゚∀。)ノ
後にオークを上回るほど恋愛に不向きの男の代表格も出現するので
そいつと比べればいくらか怒りも緩和されるが
とゆーレベルのたいしたコトナイ男だ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

そんなオークだが当初は牧場主で
一応それなりに結婚生活を送れるだけの
言わば資産的な目処を立てられたので
同じように牧場経営をしてる家の娘を結婚相手に望んでも
世間から高望みと非難されはしなかった

そういう「不当ではナイだろう」とゆー考えから
牧場の手伝いに訪れた美女バスシェバを見初めて
早速彼女の家まで求婚に行ってしまったのだが・・・
その無骨な性急さがどれほど女に嫌悪感を抱かせるコトか(苦笑)

ましてや申し込み方も大失敗なのは
彼女の美貌に平伏し「後生だから結婚してください」とか懇願するならまだしも
「自分ならあなたを幸せに出来ます」って・・・最悪だな!!

当然ながらたいしたコトナイ男にそんな風に卑下されて
美女が怒り心頭にならナイ方がおかしい

そこでバスシェバは最も歴然とした断り方をする

「あなたを愛してませんから!」

しかしこれだけはっきり言われても
オークにはなぜ自分が拒まれるのかがピンとこナイんだから
道徳的な男ってのはなんとも困ったものだ。(´д`;)ギャボ

その後バスシェバは遠くへ行ってしまい
オークは不運に見舞われ牧場を失い
つまりは職も失ってハローワーク(のようなトコロ)へ職探しに行く身の上となった

それは若しも彼が金持ちだつたとしたら、恐慌といつたほどであつたらうけれども、不幸は個人的恐怖を和らげる立派な麻酔剤である。

などと描写されるほどの転落を余儀なくされたが
その身に余る不幸の最中に彼が見出した幸せがバカバカしくて呆れた

「彼女と結婚してなくてよかった」

って、なんじゃ、そりゃ・・・バタリ ゙〓■●゙

幸せに出来ると思ったから
結婚しようと思ったが
こんな不幸に巻き込むなら
結婚しなくてよかった

確かに一見道徳的な見解だが
これって彼女を幸せに出来るのは彼女に与えられる物資だけだ
ってオーク自身でも自覚してるってコトだし
更に不愉快なのはオークなんかが
バスシェバはそれだけで幸せに生きられる女だ
なんて上から目線で決め付けてるトコロだp(-_-+)q

そりゃあそれも生活する上では大事だが
バスシェバがそういう女ならばその美貌でもって
オークなんかではなくもっと゚+.(・∀・)゚+.゚イイ条件の男を選ぶっつーの!
オーク如きが何を偉そうに求婚してくるかね?!

Far From The Madding Crowd (Oxford Bookworms, Level 5)

それにしても自分がオークに憤懣やるかたナイのは
「愛してナイ」とゆー徹底的な根拠によってはっきり拒まれてるってのに
そんな相手と結婚してたかも、と仮定できるトコロだp(-_-+)q
なんつー甚だしく脳天気な男だろうか???
でも物語の結末は意外にもオークとハッピーエンドなんだ、これが・・・(;つД`)

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ちなみにオーク役をやったアラン・ベイツは
同じくトマス・ハーディ原作の『キャスターブリッジの市長』にも出てた

学生の頃はよく深夜にレポートを書きながら
テレビ放映してた映画を流し見してたが
ある時、途中でテレンス・スタンプが出てるのに気付いた

テレンス・スタンプについてはそれより少し前に
やはり深夜映画でサイコホラー『コレクター』を観ただけだったが
その不気味ハンサムぶりにすっかり参ってた

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『コレクター』は蝶の収集が趣味の内向的な男が
蝶と同じように女を捕まえて密室に閉じ込めてしまう話だが
別に陵辱するでもなく、むしろ閉じ込めた女に仕え
絵描きの卵である女は好きに絵を描かせてもらえてるだけなのだ

自分がこの女だったら・・・
まず読みたい本を与えてもらって貪り読むだろうな
手芸材料を揃えてもらって作りまくりなのも゚+.(・∀・)゚+.゚イイな
至れり尽くせりで時間を気にせずに趣味に没頭できるなら
途中で男に殺されたっておつりがくるわ!
ましてや男は無駄に美形なのだから目の保養だし~ヽ(´▽`)/

リア充には全く共感してもらえナイかもだが
キモヲタの自分は『コレクター』に理想の人生を見出してしまい
しばらく妄想が暴走してた状態だったので
テレンス・スタンプの印象はたった1度でも強烈で
その時点では名前も知らなかったが忘れられようもなかった

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そんなテレンス・スタンプが再度ブラウン管に現れたら
とても正気でレポートなんぞ書き続けられず
ただひたすらテレンス・スタンプ演じるトコロの深紅の軍服の色男が
女に対する一瞬の情熱と永遠の冷徹を見せつけるサマを
息を呑んで見守るしかなかった
しかもその男の名はトロイ(※)なのだ。(゚д゚lll)ギャボ
自分はトロイ戦争ヲタであるw

そもそも深夜だったので音も極力小さくして観てたのに
想い入れのある固有名詞「トロイ」が耳を捉えたので
思わず反応して画面に目をやったワケだ

そして気が付けば画面に釘付けで見守ってる自分がいた。(´д`;)ギャボ
それもトロイの虜になったがために不幸に見舞われる女たちにでなく
非道が露見してトロイの身に何かなければ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに、と・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

後から新聞でタイトルをチェックすると『遙か群衆を離れて』とあり
以来、この映画の再放送(※)をずっと待ち望んでたし
ビデオがあれば買おうと思ってたが日本では発売されなかった
四半世紀経ってBSプレミアムシネマでようやく観るコトができた

それからテレンス・スタンプ出演作品のソフトを蒐集するようになったが
『遙か群衆を離れて』はその後も探し続けたが見つからず
近年になって初めて原題が『Far from the Madding Crowd』だと知って
原作がトマス・ハーディだと判明した・・・鈍っ&遅っヽ(゚∀。)ノ

遥かに狂乱の群を離れて〈1〉 (昭和初期世界名作翻訳全集)遥かに狂乱の群を離れて〈2〉 (昭和初期世界名作翻訳全集)

気を取り直して原作を読もうとするも
当時(2008年初頭)入手可能な訳本の新刊は
ゆまに書房の昭和初期世界名作翻訳全集のラインナップにしかなく
【133】と【134】が『遥かに狂乱の群を離れて』の上下巻となってたのだが
買い揃えたら1万円弱もかかってしまった・・・バタリ ゙〓■●゙

とはいえ、昭和初期世界名作翻訳全集には満足してる(*^^*)
当時(昭和初期)のままの旧仮名遣いの訳で
印刷技術も今一つの紙面(さすがに原寸では見難いから110%に拡大してるの)で
多少かすれ気味の印刷でたまに激しく位置のずれてる文字もあり
整然としたプリントアウトが当たり前となってる昨今
なんとも味わい深かった・・・ホゥ(*-∀-)

廉価版の単行本があったらもちろんそっちを買ってしまってたが
それでは同じ感動を味わえなかっただろうし
何よりもこの本の存在に気付いたのが発売直後だったのは
偶然にもほどがあり、運命としか思えナイp(-_-+)q

そんなワケでボルテージ最高潮で全編を一気に読んでしまったが
特にトロイ軍曹が登場してからは映画のシーンが脳裏に蘇り本トに早かった
それにしても20年ほど前に1度見たきりとは思えナイくらい
余りにも鮮明に思い出せたのには自分でも驚いた(゚ ゚;)
LINK:Far from the Madding Crowd (1967) original press book

☆追記...

現在刊行中のトマス・ハーディ全集 全 16 巻 19 冊では
第9回配本の第4巻に『はるか群衆を離れて』として入る予定で
2013年春配本予定だったのが秋に延びたようだが
ブロンテ姉妹についての著書がある内田能嗣訳なので
ヴィクトリア朝時代を描いた英国文学にはうってつけでこれは買いだな♪
それにしても1冊¥8,000弱ってのは痛たたた(;つД`)
なんせ既に1万円弱で昭和初期訳を購入済みなのだからして(苦笑)

敬愛なるベートーヴェン [DVD]マッチポイント [DVD]

また今年(2013年)になって再映画化されると噂されてる
トロイ役候補はマシュー・グッド・・・て、誰???
ググってみたら『敬愛なるベートーヴェン』に出てたらすぃが
DVD持ってるけど全然覚えがナイのだよ、消去法でいくとアンナの恋人役か?
あと『マッチ・ポイント』にも出てたらすぃが
ジョナサン・リース=マイヤーズの出演作の中で
これはどうも観る気が起きずにいたのだが、今更観てみるかね?
ちなみにオークはマティアス・スーナールツ・・・て、こいつも知らんw

美人は得でブスなら損、なんて人生は単純なモノではナイが
金持ちと貧乏人ならば金持ちにヨユーがあるのは間違いナイだろう

貧乏してる、てのは生活についての心配がいつもあり
また生活以外の何かをしようとした時にお金はもちろんだが
お金を稼ぐために働いてるのが常なので時間もなかったりするのだ

まずそうした生活に窮してる女が生涯の伴侶となる男として
稼ぎもナイのに金がかかる男を選ぶのは物理的に無理だし
自身の生活や家族の生活のためには
恋愛感情より損得勘定が先立って受身にならざるを得ナイ

それならば受身にならずに済む金持ちで
しかも女としての恵まれた容姿を持ち得て生まれれば
理想的な男と幸せになれる確約となり得るのかと言えばそんなコトもナイ

☆・・・☆・・・☆

モーパッサンの『女の一生』の主人公ジャンヌなどは
生活に困るようなコトがナイ家に生まれて清く正しく美しく育ったばっかりに
金汚く女癖の悪い男の犠牲者となってしまう

恵まれた女だったジャンヌは修道院育ちで男を見る目がなく
そこにあざとくつけいった男との結婚によって不幸に身をやつしてくが
どんな情況に陥っても嘆くだけで自らは解決策を企てようともせず
ただひたすら襲ってくる不幸を次々と享受し続けるるる~

端から見てどんなに恵まれて生まれた女だって
当人がそれに気づきもせずにいればやはり受身でしかナイし
金は使えばなくなるし、美貌も年月によって色褪せてしまうのだ

それでもずっと働きもせず(家事さえもせず)
またそれを当然と受け止めて生きてるジャンヌは
自分からしたら確かに恵まれてた環境とは思えるが羨ましくもナイ

女の一生 (光文社古典新訳文庫)

トマス・ハーディの『遥か群衆を離れて』のバスシェバは
元はそこそこ貧しく農場の手伝いなどしてたが
その秀でた美貌ゆえの誇り高さがあり
そこそこの金持ち男の当たり障りのナイ求婚に対して
「あなたを愛してません!」
なんて一喝して断れるような女だった

その後、遺産相続によって若くして金持ちになったバスシェバは
更に男に対して受身ではいられなくなってしまい
魅力的な゚+.(・∀・)゚+.゚イイ男(悪い男?)が周囲にいなかったので
何のときめきもなければ能動的になるコトもなく
不慣れなタイプの男(ハンサムで洒落者の軍人)に陥落されてしまい
結婚した時までは有頂天だったが
夫の生活態度(特に放浪癖)と浮気に苦悩する破目に陥ってしまう

これらジャンヌとバスシェバの
元は恵まれてた女だったのに結婚によって人生が破綻する物語は
一見すると酷似してるのだが根幹が決定的に違ってる

ジャンヌは夫に対して「幸せにしてくれるはず」と期待して結婚したが
その期待が裏切られる度に失望してるだけで
最初から最期まで愛情の欠片もナイのだ
だから浮気をされても夫の不実さ以上に腹立たしいのは
身分が低いと見下してた女中に見くびられたコトに対してなのだ
つまりジャンヌは子供のように自身だけを愛してて
社会的には夫に裏切られた妻ではあるが
実質的には愛する相手に裏切られたとゆー辛酸は全く感じてナイのだw

それに比べてバスシェバは浮気相手の女の墓に花を添えられるほど
夫の総てを赦し、最期まで情熱的に愛し、欲し続けた
結果的に夫に顧みられるコトは叶わなかったが
自分はそんなバスシェバがさぞや辛かったろうと思う反面
実際、幸せだったとも思えるのだ

だってそこには希望があるから!

名義上だけでも夫なのだから、公的に愛する権利があるので
溢れる愛を我慢しなくても゚+.(・∀・)゚+.゚イイし
そうして愛し続ければいつか相手も愛してくれるコトがあるかもしれナイ
ナイかもしれナイがずっと待ってても゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

愛される、まで行かずとも、拒絶さえされなければほっとするし
目が合えば嬉しいし、唇を合わせれば至上の喜びで
肌を合わせたら・・・ヽ(´▽`)/
その時、赦せナイような何が愛しい相手にあるのか?

ナイp(-_-+)q

キリスト教では人の罪を神が贖う「赦しの秘蹟」なる儀式があるが
恋人同士が肌を合わすのは愛する相手を「赦す」儀式でもあると思われ
そしてお互いに「赦し」合ってる状態がきっと相思相愛なのだろう

ゆるしの秘跡に戸惑うあなたへ―一神父の経験から

それにしても愛されてる側の人間てのはもちろん不幸ではナイが
愛する側の人間ほどには実は幸せではナイのかもしれナイ。(´д`;)ギャボ
極論を言えば、恋愛の対象自身は恋愛などしてナイのかもしれナイ。(゚д゚lll)ギャボ

とりあえず恋愛には美貌も財産も決して有利には働かナイ

さ、今日も元気に妄想しようヽ(゚∀。)ノ

この有名なフレーズはパスカルの『パンセ』断章347にある

考える葦(ROSEAU PENSANT)

人間の比喩になぜ【葦】なのか
日本人なら釈然としナイのがフツーだろう

パンセ〈1〉 (中公クラシックス)パンセ〈2〉 (中公クラシックス)

L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature; mais c'est un roseau pensant.
(人間は、自然のうちでもっとも脆い葦でしかない。しかし、それは考える葦である。)

なんて言われても
日本人の常識では【葦】は最も弱い植物ではナイ

【葦】と言われて日本人が思い起こすのは
軒先にぶら下がってたり立てかけてある簾だろうから
その繊維質はどちらかと言えば強靭にさえ感じられるはずだw

それなのにパスカルの言を鵜呑みにして賛同したり
中には「パスカルの比喩が甘い」と非難してる輩までいて
YAHOO!知恵袋なんかで答えてるほとんどが失笑ものだったりするが
科学的に、理性的に、要するにまともに考えれば
【葦】より弱い生物なんて、他にもいくらでもいるし
そんなのパスカルも承知してるヽ(゚∀。)ノ

なのになぜパスカルはあえて【葦】としたのか?

先に答えを言ってしまえば
キリスト教圏では単に聖書に倣って人間を【葦】に例えてるので
パスカルもその慣例に従っただけなのだよ

つまり、【葦】を人間に擬えるのはユダヤ(※)民族起源なので
換言すれば、【葦】を脆弱たらしめてるのは
旧約聖書成立以前のユダヤ人の感性なのであるるる~
現代日本人に合点が行くワケナイのだ。(´д`;)ギャボ
ヘブライもイスラエルも同義(使用する地域や時代で違う)

但し、信者かどうかは別にしても
聖書の記述の真意を理解しようと努めてよく読んでれば
そういうモノなのだ、と刷り込まれてしまう

自分も信者ではナイが聖書は愛読書なので
旧約聖書の預言で人間を【傷ついた葦】と表現してたり
イエスが群衆を愚弄するのに【風に揺れる葦】と形容してるのは
合点は行かずともそういうモノと納得はしてたし
キリスト教圏ではもうそこに違和感を覚える余地もナイのだろう。(゚д゚lll)ギャボ

パスカルと同じく仏語圏のモーパッサンは
『メゾン テリエ』でお祝いに集まってきた人々を

そよ風にゆらぐ葦

としてて、原典のフランス語では次のようにあった

comme des roseaux sous la brise

comme:~のような
brise:弱い風(通常の風は vent で brise はそれより弱い風)

余談だが風があえてそよ風なのは
これはモーパッサンにしてみれば(※)
vent では喧噪の只中の群衆のようだから
お祝いにかけつけた人々の心情に相応しくなかったので
brise としたのだろうか?
訳は杉捷夫

遥かに狂乱の群を離れて〈1〉 (昭和初期世界名作翻訳全集)遥かに狂乱の群を離れて〈2〉 (昭和初期世界名作翻訳全集)

喧噪の只中の群衆、と言えば
トマス・ハーディの『Far From the Madding Crowd』では
混雑した中で押し合いへし合いする群衆を

風に揺り動かされる芦(あし)のやうに揺られながら(※)

と表現してて、原典の英語がどうだかは不明だが
慣用句的な使われ方なのは想像に難くナイ
昭和初期世界名作翻訳全集なので旧かな遣いなのだ(訳者は英文学者宮島新三郎)
タイトルも『遥か群衆を離れて』が一般的だがこれは『遥かに狂乱の群を離れて』

ん(゚ ゚;)?!
改めて気づいたが、このタイトルって
ユダヤ人に言わせれば、「荒野の葦原より遠のいて」か?!

☆・・・☆・・・☆

そう言えば、ラ・フォンテーヌの寓話の中に
『樫と蘆(あし)』てのがあって
何があってもびくともしナイ、と自信満々の頑丈な樫の木が
鳥が留まったり風が吹いたりしただけで
たわんでしまう葦を冒頭では憐れんでるのだが
最期には暴風によって
葦はいつものようにたわんだだけだったが
樫は根こそぎ倒れてしまった、とそんな話だった

ラ・フォンテーヌの寓話

☆・・・☆・・・☆

それにしても葦、芦、蘆、葭・・・と葦の字は色々あるのだな

tristram-shandy

キリスト教には【洗礼】なる儀式があり
この儀式をせずに死ぬのは信者にとって途轍もなく恐ろしいらしい

なんせキリスト教では死後の世界を確証してて
例えば自分のような無神論者は無条件で地獄や煉獄へ落ちるとされてるるる~

洗礼の外気ドイツ Rummelsburger 宗教 1902 年

神の御許=天国、に行き着くためには魂の救済が必要不可欠で
特にカトリックでは【洗礼】の秘蹟によってこの処置を施すのだそうだ

このカトリックの教えが民間信仰として根強いと確信したのは
トマス・ハーディの『ダーバヴィル家のテス』を再読した時(数年前)だった

テスの産んだ子は私生児だったため【洗礼】を受けられずにいて
この子が死に瀕した際にテスはその純粋な信仰心から
私生児=罪の子、であるコトと【洗礼】=魂の救済処置、が施されてナイコトの
二重の負い目を持つ我が子が死んだら地獄に落ちると確信する

カトリックの信徒が叩き込まれてる地獄の概念はテスにとっては凄まじく
思い巡らせばもう居ても立ってもいられなくなったのだろう
とうとう自らの手で赤ちゃんに【洗礼】を行うに至る

[1]水(聖水)で浄める
[2]名前(洗礼名)を付ける

かつて自分がカトリックのシスターに教わった【洗礼】の概要もこの2つで
思いの外やるコト自体は安易ではあるが誰でもできるワケではナイ
れっきとした授洗者(神父)が行わねば【洗礼】の秘蹟とはならナイのだが
それもおそらく承知の上でテスが【洗礼】を強行したのは
恐怖心から何もせずにはいられなかったのだ

淡い望みと冷たくなった我が子を胸に抱いて
キリスト教徒として埋葬してもらうよう神父に依頼しに行くテスだったが
神父は教義上、その子をキリスト教徒と認めるワケにはいかず
堕獄の集ばかりが眠る墓場に埋められるコトになった

この堕獄の集とはキリスト教の教義に適わぬ死に方をした者で
悪名高い酔っ払い、自殺者、そして【洗礼】の秘蹟を齎されずに死んだ者だ
どんなに素晴らしい生き方をした人でも無垢な乳幼児でも
死ぬ前に【洗礼】を受けなければ地獄行きなのだよヽ(゚∀。)ノ

神ってどんだけ了見の狭いヤツなんだかw

いや、実際に神がどう取り計らってるのかは知る由もナイが
無神論者が神に対してそう感じてしまうのは勝手な思い込みではなく
ローマ・カトリック教会の教えが貶めてるのにほかならナイのだ

しかしとりあえず信者がどれほど【洗礼】に重きを置いてるかは
無神論者にも納得はできなくとも理解はできる
だからなるべく早く子供に【洗礼】を受けさせたいのだろうし
極論として生まれる前の子供の【洗礼】にまで及んでしまうのもわかる
なんせ近代まで子供が死ぬ確率は現代とは比較にならナイほど高く
妊娠~出産時の死亡率も母子共に高かったのだ

ロレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』の第1巻の第20章では
生まれる前の子供の【洗礼】、つまり嬰児の【洗礼】についての
ローマ・カトリック教会とソルボンヌ大学と聖トマス・アクィナスの見解が
原注に以下のように記されてる

ローマカトリック教会の儀典書は、危急の際における出産前の子供の洗礼を指令しています――ただし、子供の体のいずれかの部分が授洗者の目にふれた時という条件付です。――ところがソルボンヌの博士たちは、1733年4月10日、彼らの間で行われた審議の結果、産婆の権限を拡大して、子供の体のいかなる部分も外にあらわれないときでも、注射によって(小なるカヌーレの使用により――つまり、注射器を用いて)洗礼を施すべきことを決定しました。――ここで甚だ不思議なのは、かの聖トマス・アキナスが、一方ではあのスコラ派神学の無数の紛糾錯雑したこんぐらかりを作るほうにもああいうきわ立った緻密な頭を持ちながら、この問題には大いに労力を傾注したあげくに、最後はこれを第二の不可能事として遂に断念してしまったことです。――「母胎内にある嬰児は、」(聖トマスは言っています)「いかなる手段によりてもこれに洗礼を施すを得ず」――何ということです、トマス様!トマス様!

現代日本に生息する無神論者からしたら
胎児に【洗礼】を施そうとするコト自体がナンセンスなのだが
聖水を注射器に仕込んで母胎に注入する、なんてグロテスクな方法には
どうしてそんな発想ができるのか、眉を顰めてしまうが
この「母胎に注射器」を条件とすれば【洗礼】が「有効」と認める、となヽ(゚∀。)ノ
いやいや、それを神も認めてるかどうかは誰にもわからんて。(´д`;)ギャボ

ちなみに作中では「母胎に注射器」での【洗礼】の代わりに
主人公のトリストラム・シャンディは以下を提案してる

父親の精子の小人全員に対してならどうか?

精子全部を聖水で浄める、なんてのはもうやり方も想像を絶するなw

それにしても今でこそ生まれる前に性別を知り得て
性別に見合った名前をつけるなんてコトが当たり前にできるのだが
昔はそうはいかなかったのだから
もしかして「母胎に注射器」で【洗礼】を行うより
洗礼名をつける方が困難だったりして。(゚д゚lll)ギャボ