サテュロスと『サテュリコン』

ニーチェの『悲劇の誕生』では
2つの比喩的な語が繰り返される

アポロン(的)と
ディオニュソス(的)だ

これらが古代ギリシアの神であり
アポロンは太陽神で
予言、医術、音楽を司ってて
ディオニュソスは酒の神

そのくらいの認識は
およそ無教養な現代日本人でも持ってるだろう

とはいえ

 芸術は、<アポロン的なもの>と<ディオニュソス的なもの>という、ふたつの要素のせめぎあいによって展開してゆく。それはオスとメスによる生殖のようなものだ。生物の場合、ふたつの異質なものが絶えずせめぎあい、両者の和合はしかるべきときに定期的にしか訪れないわけだが、芸術にもそれと似たところがある。そうした芸術の特質を、ただ論理的に理解するだけでなく、ずばり直観的にも把握できるようになれば、美学はおおきく前進することになるだろう。

などと、のっけから言われても
太陽神と(葡萄)酒の神が
どうしてオスとメスほどに対極的なのかは
はっきり言って合点がいかんてw

ギリシア神話の神々の中では
ヘルメスが1番好きだが
次いでアポロンとディオニュソスも
甲乙付け難くお気に入り

そんな自分でさえも
ニーチェのこの位置付けには
疑問を感じてしまう

アポロンは美麗な青年の姿の神で
竪琴を爪弾くのだから
人間だったなら絶対にモテただろうが
これがなぜか非モテなのだ。(゚д゚lll)ギャボ

例えば
予言の術を授けるから恋人になるよう
トロイの王女カッサンドラに言い寄るのもおかしいが
それで振られた腹いせに
予言を信じる者がいナイようにしたり
美女コロニスを手篭めにして
恋人気取りでいたら
他の男と結婚してしまったからって
コロニスを殺そうとしたり
意外と人間臭いってか
姑息な部分が垣間見えるので
ニーチェが示唆するような高潔なイメージは
どうにも持てナイのだが。(´д`;)ギャボ

だいたいアポロンは相手の性別問わず
悲恋のエピソードばかりなのだが
腐女子にとってはアポロンの悲恋こそが
ギリシア神話の美味しい部分だ

ヒュアキントスやキュパリッソスなど
名だたる美少年とアポロンとの
在りし日のやりとりには妄想力を惜しまナイし
美少年の死に際に限定すれば
悲壮感の中にも優美なアポロンてのはわかるが
主知的、理性的とかは違う気がするし
それに比してディオニュソスを
激情的とするのはどうかと思われ

ディオニュソスの配下の
サテュロスのような牧羊神ら(※)は
放埓な獣らしい下半身をしてたりするし
パーンの笛の音でマイナデスは踊るだろうが
ディオニュソス自身は酩酊もせず
超然としてるカンジだが?
ローマのバッカスの従者であるファウヌス然り

サテュロスの名に由来する
『サテュリコン』なる奇異な小説を知ったのは
偕成社の少女世界文学全集の『クォ・バディス』で
そこには『サチリコン』とあり
登場人物のペトロニウスが書いた本なので
実在するとは夢にも思ってなかった

ところが雑誌ALLANの影響で
マルキ・ド・サドを澁澤龍彦訳で読み漁り
澁澤訳のユイスマンスの『さかしま』に巡り会い
ペトロニウスも『サテュリコン』も実在してたと知った!

それはまるでシュリーマンが
トロイの遺跡を探し当てたような興奮を思えたが
なんせネットで検索などできなかった時代のコトで
更に当時、女子高生だった身としては
大っぴらに買い求めづらかったのもあって
闇雲に古本屋を探し回るしかなかった

また映画『サテリコン』の存在を知ったのも
ALLANに載ってたからだが
そこで紹介されてる美少年ジトーネに一目惚れして
この映画を冥土の土産にどうしても観たいp(-_-+)q
そう思いながら20年余りが過ぎ
結局、DVDが発売されたのを買って
観たのは2003年だった

そうしてずっと片隅に追いやりながらも
人生の中で『サテュリコン』を切望してたので
サテュロスの名がいつも脳裏を掠めてて
山羊の角と下半身を持つ異形の姿を
ワリと身近に感じてて
現代日本に魔女狩りが無くて良かったw

最後に最愛のヘルメスに関して
神に対して不謹慎かもしれなんだが
ファッションを含めたルックスがたまらなく好きで
性格的にやんちゃで愛嬌たっぷりなのも
ときめかずにはいられん・・・ホゥ(*-∀-)

アポロンは最も美しい青年の容貌を持つとされ
そりゃあ文句のつけドコロは皆無だが
ヘルメスの方が愛らしいと思えるのは単に好みで
特にボッティチェリの描いた
『プリマヴェーラ(春)』でのヘルメスときたら
甘かやなヘアスタイルといい
端正な顔立ちといい
肉付きのイマイチ感といい
個性的な帽子とサンダル(ブーツ?)といい
大好きなテイストで仕上がっててるるる~

防水タブレット

低血圧で朝が弱い、て通説があって
自分もちょ~低血圧で朝起きてすぐにはどうも鈍くて
思い描いたようにしゃきしゃき動けナイし
既に思い描くのも頭の回転が遅い

でも低血圧のせいだとわかりきってるなら
それを逆手にとって血圧を上げりゃ゚+.(・∀・)゚+.゚イイワケで
そのために起床したらまずお風呂なのだ・・・ホゥ(*-∀-)

いきなり熱い湯に浸かって一気に上げるのでなく
ぬるめのお湯で十分にリラックスして(一旦下げてから)
ちょっとづつ熱くして慣らしてくカンジで
まあ少なくても30分~1時間はぬるま湯に浸かってて
この間にはたいてい本を読んでるるる~

そして本を読んでる時はたいていメモを取ってもいて
これらのメモは学生時代からだから物凄い量あったのだが
最近(ここ10年ほど)はブログにまとめたり
とりあえずテキストデータにしてサーバに収納してきた

しかしそれでもメモは増える一方で
もう少し時間があれば、てのは無理だとしても
何かもっと捗る方法ってナイのだろうか?

紙のメモをPCでテキストデータ化してるのって
媒体が別物だってだけで違うコトしてる気になってるが
よく考えてみるとほぼ同じ作業を二重にしてるのに気づいた(゚*゚;)

今更ながら防水性のワープロとか買おうか?
なんて今時のIT企業の人間とは思えナイ発想をしてみたりしたが
時代に即したタブレットに防水ってのがある・・・はず

実際に防水タブレットはあったのだが
自分が想像してたほど市場は広くなかったし
それも年々増えるドコロか生産中止になってる機種もあり
むしろ減ってるらしかった(需要ありそうなのに?)

お風呂でワープロ代わりに使うとなると
必須の機能は防水とQWERTYキーボードとエディタで
できあがったテキストデータはUSBでPCに送っても構わナイが
FTPでサーバにアップするコトができれば便利だ

これらの条件の中でエディタとFTPはアプリを入れたら適うので除外
ヴァーチャルキーボードの使い易さからいくと
サイズは10インチしか在り得なかったので
防水機能と10インチサイズとゆーたった2つの条件に絞られたが
意外にもマッチしてたのは富士通のARROWS Tabしかなく
迷いようもなく購入決定したp(-_-+)q

新品 docomo ARROWS Tab LTE F-01D by FUJITSU エターナルホワイト 白ロム

金額的には6~7万なのでVaioより高額だったが
いくら安かろうと妥協して不要なタブレットを買うのは意味がナイ
しかもほぼスマホMEDIASを使い始めてたので
7インチのタブレットなら要らナイ、スマホで事足りる、と思えた

DoCoMoの月々サポート割引の対象商品だったのもあり
これはカナ~リ思い切って購入
しかし本トに欲しいモノは高額でも買うべきで
購入以来、紙のメモは増えてナイが
それ以上に色々便利で今ではPCより重宝してるるる~

なんと言ってもPCを立ち上げなくて゚+.(・∀・)゚+.゚イイのは
手頃感がハンパではナイ!!

mixiなんかはアプリも秀逸なのでPC画面よりやり易いくらいだし
今やPCはTumblr専用機になりつつあったり(※)
当然ながらAndroidアプリではできナイようなブログのカスタマイズ、自作プログラムの修正
買い物や会員サイトの情報変更など、個人情報を入力する場合はPCありきなのだがね

そして昨夜から電子書籍リーダーとしても使い始めたが
画面が大きくて=字が大きくて行間も広い、ので使い心地はサイコー!

電子書店BookLive!では無料で会員登録するだけで
タブレットにリーダーアプリをダウンロード&インストールできた(※)ので
電子書籍での読書を初体験してみたのだ
もちろん端末はPCでもスマホでもOK、12月10日に専用リーダーLideoも発売される

さかしま (河出文庫)

ユイスマンスの『さかしま』を検索したら澁澤龍彦訳があって
[立ち読み]ボタンでダウンロードしてみたら
なんと第5章まで試し読みするコトができたのだった(つまりタダ読み)

フォントはゴシックと明朝が選べて
明朝にしたがルビまで美しく見易かったのが嬉しい
『さかしま』はルビなしでは読めナイような漢字が多く使われてるし
雰囲気で旧字体を使ってたりもするから
文字が小さい以上に印刷がショボいとストレスを感じるのだ。(´д`;)ギャボ

「ギュスターヴ」で検索をかけると
第5章にあるギュスターヴ・モローのページがぱっと開いて
たぐってくと見慣れた挿絵もちゃんと入ってて
モローのサロメ連作の『まぼろし』(※)も見れた
一般的には『出現』の邦題が使われてるが澁澤が『まぼろし』と訳してる

更に専用スタンドも付いてて
これに立てかけて読むのは本物の書籍では味わえナイ楽チンさ♪

これだけでも早朝の風呂場が捗って実に愉しいが
まだまだ使い途はたくさんありそうだ

本の美醜

ユイスマンスの『さかしま』でデ・ゼッサントが所有してるような
金銀の箔が型押しされた装丁の凝った大型本は言うまでもナイが
購入当時はありふれた新刊だったとしても
元の面影もナイくらいに読み尽くして自分仕様になった本など
内容以上に本自体の存在感を味わってしまうと
電子書籍には愛着の持ちようがナイ

それでも今まで読みたくとも本になってなかった(邦訳がなった)文献が
万が一電子書籍の和書のラインナップにあったら
すぐさまリーダーを買ってしまうだろうし
そこで何かしら不具合があっても目的のモノを読めるまで諦めたりはしナイから
返品とか到底考え付かナイのだが・・・

今回の楽天の電子書籍リーダーKOBO TOUCHの購入者が
不具合で使い物にならナイ本体に憤然として返品したくなる気持ちはわかるが
ポイントで安く買えたから、とか
家電と同じく簡単に扱えると思ったから、とか
○万冊のラインナップのうち1000冊分のインストールが可能だったから、とか
「安物買いの銭失い」のことわざ通りではナイのか?!

それにしても結果的には楽天が余りにも酷いのは火を見るよりも明らかだ!!
消費者をバカにした売り方だったし
日本人の誇りであった技術力にも傷をつけたのだからね!
でも最近は大企業ってこんなもんなのかヽ(゚∀。)ノ

もうすぐ絶滅するという紙の書物について

父親から譲り受けた昭和初期~戦後すぐくらいに出てた文庫は
簡素な作りで紙質も悪く、印刷もカスレやズレがあって整然とした感がなく
慣れてナイと読み辛い旧仮名遣いの硬過ぎる文面だったりするが
著者(訳者)の心情がストレートに伝わってくるのと
愛読してた父親の信条も読み取れるので
近年になって新装版が出たのを購入したとしても
今まで感じ入って読んでた本を手放す気にはなれナイのだが
絶版だったら後生大切にするしかナイし
既に撚れてる本をどうして無碍に扱えようか?!

また気に入ってる本は恋人よろしく離れ難く
持ち歩いては読み、風呂に入っては読み、寝床で読み、と生活を共にしてしまい
当然ながら疲弊して見るも無残に傷んでしまうのだが
そうなったのも愛するがゆえだし
そうなってみればこそ愛情はいや増すばかりのだ(*^^*)

やはり本は何度も読まれて、その度に感動を与えてこそ価値がある
そしてそういう本は見た目とは別にオーラが違うのだ!
これは本屋に行くと歴然とするが夥しい数の本の中から欲しい本をすぐに見つけられる!!

まるで愛する恋人だけが輝いて見えるように
運命の本はその内容を反映して美しく輝いて見えるのだ

そうして輝きながら惹き付ける本の内容が
自分にとって美しいと感じられれば
どんなに不埒だろうが悪辣だろうが社会に反した内容だとしても気にならナイ

もしかして総てにおいて自分の愛し方が間違ってるのかもしれナイが
そういう愛し方しかできナイ自分を自分で気に入ってて
その部分にこそ自信を持って生きてるのだw

1000冊分のベストセラーより
100冊の生涯の伴侶のような愛読書の方が
人生は豊かになる気がする自分には電子書籍はまだ不要だ・・・たぶん
LINK:電子書籍で岩波文庫を読む

赤の書

著者のファンではナイし
内容的に読みたい部分があるってワケでもナイ
持っていたいだけなのだ、他にこんなのナイから・・・これが欲しいp(-_-+)q

ユイスマンスの『さかしま』に出てくるような装丁の豪奢な本が欲しかった
そんな不純な動機で気になってた門外不出のはずのユングの奇書
『赤の書』が出たのはもう2年前なのか・・・

しかし薄給勤労者には¥37,800もする本を購入するような勇気はなく
万が一買うならまだしも安い洋書の方を買うだろうが
とりあえずはまず現物がどんなだか見たくて
見に行った記録が以下

The Red Book: Liber Novus

国際ブックフェアに創元社さんが現物を出品するとのコトで
招待券を確保してあったのだが
いざ当日(本日)となると
東京ビッグサイトまで行くのが億劫だったのと
冷房に甚だ弱いのでこの時期(真夏)に大きな会場に行くのは不安で
期待しつつも気乗りはしなかった。(´д`;)ギャボ

それが徒歩圏内にある三省堂でもフェアをやってて
そりゃあ三省堂も冷房は厳しいだろうが
具合悪くなりそうになったらすぐさま外へ逃げられるので安心だし
散歩がてら行ってみるのも悪くナイ
現物が見られるのか今ひとつはっきりしナイがね(-_-;)

開店時間の10時めがけて9時45分に家をでたが
神保町の居並ぶ古本屋の前を素通りにはできぬゆえ
三省堂に到着した頃には結局11時近かったし
4Fの『赤の書』コーナーに辿り着いたらちょうど11時だった

だ・・・誰もいナイヽ(゚∀。)ノ

どんと置かれた『赤の書』は
なんとVaioよりヨユーででかいぞ。(゚д゚lll)ギャボ
持ち上げようとしたが無理っつ!
調べたら4kg以上あるらしく気合入れて踏ん張らねば!!
いや、無理して持ち上げる必要もナイw

とにかく何も注意書きがナイが
中を見て゚+.(・∀・)゚+.゚イイのかな?見ちゃうよ???
そこから1人でゆっくり見入るるる~

だ・・・誰もこナイヽ(゚∀。)ノ

そして当然かもしれナイが読めナイ。(゚д゚lll)ギャボ

カリグラフィーは慣れてナイと読みづらいモノで
例えばフツーの印字なら一見して英語、独語、仏語の別はわかるが
それがよほど目を凝らして見なければ
単語の切れ目がわからず特徴的な単語を見出せナイばかりか
随所にギリシア文字が混入されててこれが混乱を招いてたのだ

現物をじっくり見れたので
他の著作と同じくドイツ語と判定できた

まあしかしこの本の真価はイラストなワケだよ!
ある意味カリグラフィーの見栄えはそっちに属するのだが
この大迫力に圧倒されナイ人間も珍しいだろうって勢い!!
LINK:電子BOOK(抜粋)

構図も色使いも度肝を抜くモノだが
一貫してるスタイルがあり
どうやらそれが精神を刺激し過ぎるのか
続けざまに見ると気分が悪くなってくる(のは自分だけ?)

迷路のような模様(実際「迷路」そのものの絵もあるのだが)
これが迷妄の暗示にかかった気にさせるのだ

子供の頃にはよく
どこへ行っても行き止まりになってしまい家に帰れナイ、って夢を見たが
その時の焦燥感が蘇ってきたせいかな?
とりあえず1度体験すれば十分な気がした←怖がりらしいw

落ち着いてから三省堂のポイントカードを作って
せっかくだから何か買って行こうとうろうろ・・・

口髭・宝石―他五篇 (岩波文庫)
アモールとプシケー―女性の自己実現

岩波文庫のコーナーで復刊のチェックをして
結局のトコロ購入したのはモーパッサンの短編集で持ってなかった『口髭・宝石』
ここに収録されてる7篇は他で収録されてナイモノが多くて
たった¥400で凄く得した気分(*^^*)
モーパッサンの短編はなんせ300篇以上あるから
未だ邦訳されてナイのも多くて気長に集めるしかナイのだな

この日の古書の収穫は以下
エリック・ノイマン(河合隼雄監修)『アモールとプシケー』¥300
大河内俊雄『バーナード・ショーの劇』¥300
日経ポケット・ギャラリー『ロセッティ』¥300
クリストファー・ヒッバート『メディチ家―その勃興と没落』¥800
ロジャー・D・マスターズ『ダ・ヴィンチとマキアヴェッリ』¥700
串田孫一『虫と花の寓話』¥600
サルトル『トロイアの女たち』¥400

(^▽^*)ホクホク♪

小説中の人物に影響されて
現実で欲しい本との巡り会いに導いてもらってるるる~

装丁の凝った本

ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサントは
自分にとって理想の相手の妄想対象なので
その趣味を分かち合いたいと切に願ってしまう

デ・ゼッサントはLINK先にあるような特殊な装丁の書物を蒐集してたようだが
そうでなくとも装丁の美しい神秘的な本には魅力を感じて
買うのは無理でもせめて現物を拝みたくなる
LINK:[『さかしま』-デ・ゼッサントの好んだ本]

しかし現代日本においてはデ・ゼッサントのコレクションのレベルはもちろんだが
なかなか装丁の凝った本にはお目にかかれナイ

それが2008年の4月にティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』を観に行って
偶然にも目にしたのがメディチ家の所蔵の
大プリニウスの『博物誌』とオウィディウスの『変身物語』だった

そうとわかった瞬間には目当ての絵以上に興奮したが
『博物誌』がポストカードになってたのには泣けた。・゚・(ノД`)・゚・。

デ・ゼッサントが読んでたラテン文学はこんなかな・・・ホゥ(*-∀-)

尤もデ・ゼッサントは大プリニウスもオウィディウスも貶してるがね。(゚д゚lll)ギャボ
てか、ラテン文学の殆どをこきおろしてるのだがw

そんなワケでユングの『赤の書』の現物を見たくなったのは
その体裁に惹かれてだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

赤の書 ―The“Red Book”

バカでかくて
目も眩むような真っ赤!
尋常ではナイ!!

実はその時までユングの著作など読んだコトはなく
学生時代に週に1度の心理学の授業を1年間受けてただけで
ユングも心理学も一般常識以上には知らナイし
特別な想い入れはもちろんだがほとんど興味はなかったのだヽ(゚∀。)ノ

それがまるでデ・ゼッサントだったら買っておきそうな本だったので
とにかく手にとって実感したかったのだ

ググってみれば内容の方もイラストが想像以上に鮮烈だったし
何よりもカリグラフィーで綴られたテキストページが
ルネサンス期のラテン文学の本を髣髴とさせるるる~(『博物誌』画像参照)

しかし『赤の書』はいかんせん大き過ぎるし=重過ぎるので
実際に腺病質のデ・ゼッサントが読むのにはどうかとも思ったがね(苦笑)
てか読む以前の問題なのだよ
本棚から出し入れするだけでも4kg以上もある本は無理っつ。(´д`;)ギャボ

そして自分の場合は置き場所が無理っつ・・・バタリ ゙〓■●゙

とりあえず現物を手にとって『赤の書』がどんなモノか納得できたので満足して
むしろユングのフツーの本を読んでみたくなってきたが
思い起こせば確かとーちゃんの本棚に数冊あったはず・・・

1ヵ月後にちょうど夏休みで遊びに行ったので本の発掘作業してたら
『ユング自伝』と『現代人のたましい』を発見!
これらを借りてって『ユング自伝』読み始めたら思い出した!!

以前にも読み始めで怖くなって止めたのを・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

何が怖かったかってその時は漠として不明瞭だったが
何かに自分の根源的な部分をばくばくたべられてしまうようなカンジがした

今にして思えば洗脳されそうな恐怖だったのだろう
キリスト教にw

今では宗教に洗脳されるほどヤワではナイ自分が確立されてるので
あえてキリスト者を理解する上では有効な本だと思えるし
定番ってカンジの『哲学の木』と気になってた『ヨブへの答え』も購入して読んだので
キリスト教を深く理解するのにとても役にたった(-人-;)

人間同士の出会いもそういうのってあるよな
こっちがまだできてなくて勝手に萎縮しちゃって苦手意識持って
コンプレックスを克服してからその苦手だった人に会うと
お互いに受け容れられなかったとしても別になんてコトはなく話くらいできる

キリスト教の残忍さや狡猾さや図々しさが江戸っ子には耐え難い

最終的にはそれだけのコトなのだが
だからって別にローマ法王にケンカ売る必要なんてナイだろうし
自分の意識の中では自分が世界の中心だが
現実の世界では自分などは世界に全く認識されてナイ存在なのだ

ユングを読んでそんな結論に至る人は他にいるだろうか(-_-;)

そうこうしてるうちに今度はユングの豪華本が出るのだが
それが『ヴィジョン・セミナー』だ

ヴィジョン・セミナー

それにしても心理学者ってのは哲学者より更に変人だな・・・

フロルッサス・デ・ゼッサントの影響

四半世紀に渡って何度も同じ本の同じ部分を読んでる

ユイスマンスの『さかしま』がそれだが
中でも第3章が最多で次いで第5章、第7章、第12章、第14章辺りだ

A rebours

『さかしま』は「奇異」な小説で
主人公のデ・ゼッサントの趣味や思想を並べ立ててるだけで
ストーリーはその中で挿話として展開するのみだ

なので一応はユイスマンスの小説なのだが
読んでる感覚からするとまるでデ・ゼッサントのエセー(エッセイ)だ

デ・ゼッサントは19世紀フランスの貴族の男なので
その趣味や思想は健全(ノーマル)な現代日本人には全く縁のナイモノばかりで
自分も未だに半分もわかってナイ気が・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

読み始めたのは高校生の頃で
一般よりはよほど不健全(アブノーマル)な文学を好んで読んでたし
芸術も音楽もデカダンの香りがするモノを愛好してるワリに
バイオテクノロジーとゆー生化学の最先端を勉強してて
自分も世界を理解してキタ ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !と奢り高ぶってたので
デ・ゼッサントが次々と提示してくる固有名詞が
ほとんど初見であるコトに衝撃を受けた!!

澁澤の注釈がなければ、いや、注釈があっても
1/10もデ・ゼッサントの趣味や思想を理解できなかった
てか、全然知らナイモノの羅列でしかなかった。(゚д゚lll)ギャボ

そもそも固有名詞を除いたトコロで
漢和辞典がなければ数ページも読み進めナイほど
新鮮な読み方の漢字が怒濤のように繰り出すのであるるる~

澁澤龍彦訳しか読んだコトがナイのだが
他の澁澤訳のデカダン文学に慣れ親しんでたはずの自分が
『さかしま』だけは全く置き去りにされたのだった
しかし漢和辞典と注釈に頼りながらもしぶとく読み進んだのは
デ・ゼッサントの趣味と思想に共鳴する部分を片鱗ながらも見出してたからで
生涯の友となる予感がしてたのだ

それからもう四半世紀が過ぎようとしてるが
デ・ゼッサントの趣味や思想を未だ総て理解しておらず
また理解しても納得はできずに反駁さえするような見解も生じた
それでもデ・ゼッサントが魅力的なのは変わらナイ

初めて読んだ時はとにかくいちいち興奮した

第1章でボオドレエル(ボードレール)の語を見つけて
まずは文学の趣味の接点があるコトに嬉しくなった(*^^*)

まあデカダン趣味は読む前から予想してて読み始めたのだが
第2章でパストゥール(パスツール)の名(※)を目にして
まさかデカダン趣味の貴族にこの近代細菌学の開祖を語られるとは
予想してなかっただけに殊更嬉しくなった(^▽^*)
応用微生物を勉強してた自分にとってはパスツールはとても近しい存在だった

第3章では古代ローマのラテン文学が網羅されるのだが
それら殆ど総てを批判するデ・ゼッサントの気に入ってるのが
ペトロニウスの『サテュリコン』とアプレイウスの『黄金の驢馬』で
ついでに言えばヘリオガバルスに好意的なのだ(゚ ゚;)

しかもウェルギリウスやオウィディウスに始まって
セネカに大プリニウスまで続けざまに延々と非難囂々の挙句に
いきなり上記3人が絶賛されてるのであるヽ(゚∀。)ノ

なのでここまでですっかり決心してしまったのだ

きっと一生かかって追い求め続ける、と・・・ホゥ(*-∀-)

喉が渇くから水を飲むように・・・

心が乾くから本を読むワケだが
何度読んでもその度に潤してくれる本が愛読書と成り得る

生涯を通じて愛読してる本があるなら
それこそが人生のバイブルだったに違いナイ

自分の1番の愛読書は何か?

ふと思い立って本棚としばしにらめっこ・・・
1番読み込んだ=1番傷んでる?

いや、最初から汚れた感があるような紙質の古本を買ってたり
買い直して今はたまたま綺麗な状態のもあったりするし
そもそも同じタイトルでも訳者が違って何冊も持ってたりするから
そうすると傷みが1冊に集中しナイので基準にはならナイのだ
それに確認作業のために頻繁に開く本は辞書のようなモノで愛読書とは言えナイ

さかしま (河出文庫)

長い間飽きずに様々な読み方で愉しんで2度も買い直してる本なら
澁澤龍彦訳のユイスマンスの『さかしま』だが
素直に愛読書と言えるかどうかはビミョ~(-_-;)

一応(?)小説なのだが筋を追うコトはなく
専ら主人公デ・ゼッサントのアート・エッセーのような感覚で
そこに挙げられてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
となると、愛読書ってより耽読書なのだな

そうすると愛読書らしいのはアランかもしれナイ

アランの『幸福論』は自分より年上の本だけあってよごよごなのだが
古本屋で買った時からその状態なので特に気にするには及ばず
ずっと旧仮名遣いの石川湧訳に馴染んでたのだが
近年になって新訳(ってもそんなに新しくもナイが)を2冊購入して
今は3冊持ってるw

新しく買ったのは集英社の白井健三郎訳と岩波文庫の神谷幹夫訳だが
神谷訳が1番的確な訳であるコトは疑いようもなく
でも石川湧の旧仮名遣いの訳は日本語の美しさが際立ってるし
それに比べて白井健三郎の訳は読み易い点で勝ってる
そんな風に三者三様なのだから3冊とも必要なのであるるる~

ところで『幸福論』と言えば
アランに加えてヒルティとラッセルで「世界3大幸福論」とする向きもあるが
これはまるで「世界3大宗教」のような括りで3者は全く相容れナイ

ヒルティはキリスト教信者にとっての幸福論であり
ラッセルは凡庸に生きるコトの幸福さを諭してるモノであり
キリスト教信者でもなく、既に凡庸に幸福を見出して生きてる自分には
何の効力も持たナイのだよ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

だがしかし!
エピクテトスに関する詳述があるので
ヒルティの『幸福論』は岩波文庫の第1部を持ってたりして
その部分だけはしつこく読み返してたりするのだ

アランの『幸福論』の何が+.(・∀・)゚+.゚イイのかって
論じられてる幸福の定義やその定義に即した対応策も心地好く心に響くが
それ以上に引用してる事柄がどれもこれも自分と趣味が合ってて
【幸福論】として読んで理解して実践しなくても
読んだだけで幸福になれてしまうw

まず1番最初に引用されてるのがアレクサンドロス大王で
愛馬ブケファルスとの出会いのエピソードだが
この締め括りにはワザとアレクサンドロスのコトを
「アリストテレスの弟子」などと呼ぶ・・・ホゥ(*-∀-)

これだけで自分は至福を味わえるのだが
そうなると著者アランが幸福に纏わるエッセーにおいて
挙げてる事物や事象についての感じ方に対して
共鳴しながら読む、ってよりは酔う・・・耽溺する
って、これじゃアランの『幸福論』も『さかしま』と同じく
愛読ではなく耽読してるのかもしれナイ

そう考えたら耽読書ばかりだ
う~ん、何だろう、1番の愛読書・・・ヽ(゚∀。)ノ

とにかく誰もが「おもしろかった」とゆー現代作家の人気小説も
自分にとってはどうにもつまらなく感じるのは
単に耽溺する要素に欠けてて内容が薄っぺらに思えるからだし
逆に古典でも耽溺する要素の盛り込みが(少)ナイと
まるで興味が沸かナイくらいだから
耽読書でなく愛読書てのが既に自分には在り得ナイのかも?

なんて諦めてたが1つ思いついた!
幼少時から何度も読み返してて
特に耽溺する要素が見当たらなくても
読み始めれば必ず夢中になってしまう小説・・・

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』だ!!
てコトは、自分の人生のバイブルは『嵐が丘』なのだろうか?!