逍遥派の思索する遊行者

緑の中を散歩するのが好きだ
歩き慣れた散歩道でも決して飽きるコトはナイし
四季を肌で感じ、生命の息吹を目の当たりにする以上の至福はナイ

そうして幸せな気分で歩きながら考えを巡らせるのは愉快だ
ちょっとした心のささくれはすぐに滑らかになり
怒りや悲しみも癒されて、悩みはどうでもよくなってくる

むしろどうやっても好転しそうにナイ状況なら
それ以上真剣に考えても無駄だから
全てを一時的に放棄して散歩するのも悪くナイ
そうすれば気分だけでも良くなる

緑の中を歩けばダイジョブ

楽しみにしてたささやかな計画が全てぶち壊しになって
またそうなってしまったがっかり感をわかってもらえナイコトで
腹立たしく思えてきて行き詰ってしまっても
緑の中を歩けば答えは見つかる・・・

まあ緑がなくても空を見上げて歩けばダイジョブ

済んだコトは全部忘れちゃって(忘れてしまえるほど)
たった今から皆が幸せになる最良の方法を実行すれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

計画通りにきちんと正しくやってる方に非はナイし
うっかり計画をぶち壊してしまった相手を責めたくもなるが
だからって一方的に正しさを主張してどうなるのか?
たいていけんかになるし、そういうけんかは空回りするだけで意味がナイ(-_-;)

意味がナイコトをマジでやってしまう愚かさこそが若さだし
血気盛んな年頃にはもれなくそのままけんかした方が実りある結果になるやもだが
老い先短いのに今更けんかなぞしてる暇はナイヽ(゚∀。)ノ

真面目で正義感に溢れてる人ほど相手の間違いが許せなくなるモノだが
世の中には様々な局面があり、簡単には割り切れナイので
誰もが少しづつ正しくもあり同じくらい間違ってもいるのが真理なのだよ、実は

それならお互いに主張してけんかするより、譲り合って愉しく行こうじゃナイか♪

まずは頭を冷やそう

そうなのだ
場を収めるのは腹を立ててる側と相場が決まってて
バツが悪そうに「なんか怒ってる?」なんてやっちまった側から聞かれたら
抑えてた怒りも爆発してしまうのが然りだがそこをぐっとこらえて
収める手立てをとらねばならんのだ

とりあえず今いる場所には留まらずに外へ出るのが正解で
どこへ行くかは歩きながら決めれば間に合う

誰でも他人の欠点は自分のそれほど目に付かナイし
愛する相手ほどにそれは気になってしまう

しかし人は変わらナイ
基本的に人はずっと同じ癖を持ち続けるのだ

昔の人は上手いコトを言った

無くて七癖、あって四十八癖

換言すれば
自身では気付かナイ癖を誰もが7つくらいは持ってて
そこはお互い様なのに棚に上げて他人ばかり責めるのはどうなんだ?
己を省みれナイ傲慢な人間ってコトか。(´д`;)ギャボ

そして48もの癖を一人から見つけるのは至難の業だ。(゚д゚lll)ギャボ
いや、見つけるためにはよほど親しくなければならナイのだからして無理だろう

うむ(゚ ゚;)

相手の癖を直すなんてのは不可能なのだから無駄な努力だし
それよりは自身の癖を直す方が簡単だがまず自覚するコトができナイからw

お互いに癖がわかって対処し合えるようになるのが
現実的でもあるし、実は理想的な関係だ

ふむ(*^^*)

そんなコトをつらつらと考えながら
てくてくてくてく歩いてた・・・逍遥派なのだ、自分

アリストテレスは自分と思想的に通じる部分が最も多い哲学者だが
よく学園の小道を散歩しながら弟子たちと議論してたので
アリストテレスの学派は逍遥学派と呼ばれる
2,400年近く隔たりはあるものの
自分も弟子の一人で逍遥学派を自認してる
まあおこがましいので「学」は抜いて「逍遥派」としてるるる~

また自らを「遊行する思索者」と称してる今西錦司は
登山しながら思索する生物学者だが
思想的に納得できてしまう部分が著しく多くて心の師(※)と仰いでるので
少し遠慮して(?)自分は「思索する遊行者」としてるるる~
今西は1992年没なので会うコトも叶ったかもしれなかったが・・・