Pensées

17世紀フランスの幾何学者パスカルの著書『Pensées(パンセ)』は
仏語で「思想」「思考」の意だが『パンセ』としたのはパスカル本人ではナイ

NHK「100分de名著」ブックス パスカル パンセパスカル『パンセ』 2012年6月 (100分 de 名著)

そもそも『パンセ』はパスカルの死後に出版されてて
『筑摩世界文学大系【13】デカルト パスカル』の「年譜」によれば
パスカルが『キリスト教弁証論』の構想に着手し始めたのは
34歳頃(1657年)だったのだが
その2年後には酷い衰弱状態に陥ってしまい
39歳の時(1662年)にはこの世を去ってしまってる

その『キリスト教弁証論』の遺稿(断片的なメモも含めて)が
『パンセ』として幾通りかに編纂されたのだが
パスカルが生き長らえて完成させてれば
『キリスト教弁証論』として出版されたはずだ

『パンセ』はそんな成立の事情により
各断章に割り振られた番号も全体の構成も版(編纂者)によって違い
どれもがパスカルからしたら不本意で
一旦書いても二重線で消してたりする部分が
そうしてあった、と断り書きをしながら載せられてたりもして
要するに未完の原稿が書きかけの状態のまま出版されてるのだから
当人からしたら冷や汗モノなのではなかろうか(;つД`)

しかし『パンセ』出版から300年以上を経た現代では
ブランシュヴィック版が一般的なようで
日本でも殆ど総てこの版の訳だと思われるが
それは最も合点がいく編集がなされてるからだろう

例えば「考える葦」についての記述がある2つの断章が
[347]及び[348]と連続してる(※)のは
なんとブランシュヴィック版だけだったりするのだヽ(゚∀。)ノ
例えば、ザカリー・トゥールヌール版が[183][107]
ルイ・ラフュマ全3巻が[200][113]、ルイ・ラフュマ完全版が[391][217]

ブランシュヴィック版の構成は以下だ

章(編) 松浪信三郎訳前田陽一と由木康の共訳断章番号
第1章精神および文体についてのパンセ精神と文体とに関する思想[1]-[59]
第2章神を持たない人間の悲惨神なき人間の惨めさ[60]-[183]
第3章賭の必然性について賭の必要性について[184]-[241]
第4章信仰の手段について信仰の手段について[242]-[290]
第5章正義、および現実の理由正義と現象の理由[291]-[338]
第6章哲学者哲学者たち[339]-[424]
第7章道徳と教理道徳と教義[425]-[555]
第8章キリスト教の基礎キリスト教の基礎[556]-[588]
第9章永続性永続性[589]-[642]
第10章象徴表徴[643]-[692]
第11章予言者預言[693]-[736]
第12章イエス・キリストについての証拠イエス・キリストの証拠[737]-[802]
第13章奇蹟奇跡[803]-[856]
第14章補遺、論争的断片論争的断章[857]-[924]

☆・・・☆・・・☆

パスカルの生きた時代(17世紀のフランス)は
ルネサンス(16世紀)と理性の世紀(18世紀)の間だった

ヨーロピアンの精神的支柱であるキリスト教が
中世の暗黒から抜け出て、ルネサンスの光明に曝され
不明瞭な部分を神に委ねずに解釈する人間が台頭してきたが
そんな先進的な思想を持つ先達にモンテーニュとデカルトがいた

2人ともパスカルと同じくフランス人だったが
モンテーニュはパスカルより一時代前に
デカルトはパスカルより一世代前(パスカルの父と同年代)に
キリスト教に対して真っ向から挑むような著述をした

それらがパスカルに『キリスト教弁証論(パンセ)』を書かせた
とゆー見解は『パンセ』を一読すれば瞭然で
とにかくモンテーニュとデカルトに対する反駁ばかりが目に付くのだ

なんせ自分などはパスカルの『パンセ』を読んでて
モンテーニュの『エセー(随筆)』や
デカルトの『方法序説』『省察』『情念論』を
読まずにはいられなくなったのだったw

モンテーニュとエセー (文庫クセジュ)

モンテーニュの『エセー』は
権威に対する懐疑主義的な皮肉が満載ながら
洒落のめしてて切れ味の゚+.(・∀・)゚+.゚イイ表現なのが
人文主義的美意識の高さを感じさせるので自分には好ましいが
その辺がキリスト教信奉者には疎ましいのだろう。(´д`;)ギャボ

加えて聖書の警句の引用がほとんど見当たらナイのと
それに比して古代ギリシア・ローマの哲学者の言を多用し
ましてや正論の論拠に用いてる部分も
ガチの信者には虫唾が走るような悪書の見本だったに違いナイし
実際、無神論の書として禁書扱いになってた

Que sais-je?(クセジュ?)
――我、何をか知らんや?

モンテーニュの発想はまるでソクラテスの無知の知だが
こういった節度を美徳とする古代ギリシア人気質が
分を弁えてる江戸っ子にもぐっとくるのだ

方法序説 (岩波文庫)

デカルトは前時代的なスコラ哲学をがっつり学んでて
神の存在をむしろ証明しようとしてたが
世界を神秘主義で結論付けてしまう思考停止に陥れずにいて
神の力に拠らずとも世界は成り立ってるし
そもそも世界が成り立ってるかどうか疑わしいのだが
そこを認識する際にはまず神の存在ありきではナイ
てな具合に遠回しにではあるが神を否定してしまった。(゚д゚lll)ギャボ

Cogito, ergo sum(コギト・エルゴ・スム)
――我思う、故に我在り

総てを疑わしく感じたデカルトがしたコトは
真の世界観の構築ではなく、世界の中の疑わしさの排除で
残ったのは疑念を抱く自分自身だけだったのだろうか?