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今現在、どうやらソチ・オリンピック開催中らすぃ

自分は現代のオリンピックには余り関心がナイとゆーか
スポーツとしてはサッカーとテニス以外に全く興味がナイので
オリンピックは基本的に観ナイ主義だが
寒いのが大嫌いで雪を見てると憂鬱になるので
例えテレビ画面においてでも冬季五輪はまず観たいと思わなくて
母親がフィギュアスケートを観てるとチラ見するレベル

そんな自分がうっかり開会式まで観てしまったのは
2004年にギリシアの首都アテネでオリンピックが開催された時で
古代ギリシア的な風情を期待してたのだろう

それでもアテネ五輪の開会式がどんなだったかまるで記憶にナイが
今年の開会式は観てなくても印象深かった
なんせ五輪の輪っかの1つが輪にならなかったのだからしてヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

そんな記憶に薄いアテネ五輪の真っ最中に
本屋の店頭でこんな帯タタキの本が目に留まったコトは
今でも鮮烈に覚えてるるる~

オリンピックもトロイの木馬もすべてはここから始まった!

同年、オリンピックより一足お先に映画『トロイ』が公開され
これがブラピ効果か、予想以上に日本でもヒット(※)してたのだ
自分はトロイ戦争ヲタとしてDVDを購入予定だったので
わざわざ混んでる映画館にまでは足を運ばずにいたのだがw
2004年の配給収入がなんとドラえもん超え(ポケモンには及ばず)!

トロイ 特別版 〈2枚組〉 [DVD]

いかにも、流行にだけは敏感で無教養な日本人に対して
盛り上がってる間に売り切るつもりのキャッチコピーってカンジで
胸糞悪くなりながらも手に取ってみれば
タイトルは『完訳 ギリシア・ローマ神話』で
著者はトマス・ブルフィンチだった。(゚д゚lll)ギャボ

トマス・ブルフィンチと言えば『中世騎士物語』が愛読書だったが
ギリシア・ローマ神話にも造詣が深かったとは知らなんだ!
しかも訳者が大久保博とな!!

☆・・・☆・・・☆

完訳 ギリシア・ローマ神話〈上〉 (角川文庫)完訳 ギリシア・ローマ神話〈下〉 (角川文庫)

あれ?!
自分が持ってるのは上・下巻とも表紙がアングルだったが
いつからこんな安っぽい表紙になったのだろうか?
ブルフィンチ(大久保博訳)の格調高い文体にこのイラストは
余りにも不似合いで萎えるのだが。(´д`;)ギャボ

【上巻】
  • はしがき
【第1章】
はじめに
【第2章】
プロメーテウスとパンドーラー
【第3章】
アポローンとダプネー、ピューラモスとティスベー、ケパロスとプロクリス
【第4章】
ヘーラーとその恋仇のイーオーとカリストー、アルテミスとアクタイオーン、レートーと農夫たち
【第5章】
パエトーン
【第6章】
ミダース、バウキスとピレーモーン
【第7章】
ペルセポネー、グラウコスとスキュラ
【第8章】
ピュグマリオーン、ドリュオペー、アプロディーテーとアドニス、アポローンとヒュアキントス
【第9章】
ケーユクスとアルキュオネー、かわせみの話
【第10章】
ウェルトゥムヌスとポーモーナ
【第11章】
エロースとプシューケー
【第12章】
カドモス、ミュルミドーン
【第13章】
ニーソスとスキュラ、エーコーとナルキッソス、クリュティエー、ヘーローとレアンドロス
【第14章】
アテーナー、ニオベー
【第15章】
グライアイ、白髪の処女たち、ペルセウス、メドゥーサ、アトラース、アンドロメダー
【第16章】
怪物――ギガンテス、スピンクス、ペーガソスとキマイラ、ケンタウロス、ピュグマイオイ、グリュプス
【第17章】
黄金の羊の毛皮、メーデイア
【第18章】
メレアグロスとアタランテー
【第19章】
ヘーラクレース、ヘーベーとガニュメーデース
【第20章】
テーセウス、ダイダロス、カストールとポリュデウケース
【第21章】
ディオニューソス、アリアドネ
【第22章】
田園の神々――エリュシクトーン、ロイコス 水の神々――カメーナイ、風
【第23章】
アケローオスとヘーラクレース、アドメートスとアルケースティス、アンティゴネー、ペーネロペー
【第24章】
オルペウスとエウリュディケー、アリスタイオス、アムピーオーン、リノス、タミュリス、マルシュアース、メラムプース、ムーサイオス
【第25章】
アリーオーン、イービュコス、シモーニデース、サッポー
【第26章】
エンデュミオーン、オーリーオーン、エーオースとティートーノス、アーキスとガラテイア
  • 読書案内[上]
【下巻】
【第27章】
トロイア戦争
【第28章】
トロイアの陥落、ギリシア軍の帰還、オレステースとエーレクトラー
【第29章】
オデュッセウスの冒険――ロートパゴス、キュクロープス、キルケー、セイレーン、スキュラとカリュブディス、カリュプソー
【第30章】
パイアーケス人、求婚者たちの最後
【第31章】
アイネイアースの冒険――ハルピュイアたち、ディードー、パリヌーロス
【第32章】
下界――シビュレー
【第33章】
カミラ、エウアンドロス、ニーソスとエウリュアロス、メーゼンティウス、トゥルヌス
【第34章】
ピュータゴラース、エジプトの神々、神託所
【第35章】
神話の起源、神々の彫像、神話の詩人(うたいて)
【第36章】
近代の怪物たち――ポイニクス、怪蛇バシリスコス、一角獣、サラマンドラ
【第37章】
東洋の神話――ゾロアストラ ヒンドゥー教徒の神話――カースト、ブッダ、ダライ・ラマ
【第38章】
北欧の神話――ワルハラ、ワルキュリアたち
【第39章】
ソールのヨツンヘイマル訪問
【第40章】
バルデュルの死、妖精たち、ルーン文字、スカルドたち、アイスランド
【第41章】
ドゥルイたち、アイオウナ
  • 解説
  • あとがき(増補改訂版によせて)
  • 読書案内[下]
  • ことわざ集
  • 索引

上巻は古代ギリシア・ローマの神々と英雄のエピソードで
下巻(※)はトロイ戦争が時系列に物語られてて
なぜかギリシア・ローマ以外の神話も収められてるが
原題が『The Age of Fable;or,Stories of Gods and Heroes』で
訳すと『寓話の時代;もしくは、神々と英雄の物語』なので
確かに古代ギリシア・ローマ限定ではナイのだな
巻末に上・下巻合わせての索引と諺集があり、本文自体は上巻441頁/下巻290頁

目次には登場人物(神)名が概ねギリシア名で記されてるが
本文中にはこれにローマ名と英語名も併記されてて

アプロディテ→アプロディーテー(ウェヌス)(ヴィーナスのこと)

てなカンジで初心者にはわかりやすいかと思われ

白黒なれど有名な絵画や彫刻が豊富に掲載されてるのも
もちろん自分のような美術愛好家には嬉しいが
それ以上に初心者がイメージを捉えやすい

オウィディウス 変身物語〈上〉 (岩波文庫)オウィディウス 変身物語〈下〉 (岩波文庫)

著者のブルフィンチはヲタだったが
この本は決してそういう向きに書かれたのではなく
無教養なアメリカ人に向け教養便覧のようなモノを目指してたので
オウィディウスの『変身物語』を典拠としてる部分が多く見受けられるが
娯楽的要素の長台詞などはカットして概要のみにとどめて
その分、英文学からの引用が挿入されてるるる~

☆・・・☆・・・☆

それにしても帯タタキで煽ってるワリには
オリンピックについては僅か1ページだったりして(-_-;)

古代オリンピック (岩波新書)驚異の古代オリンピックギリシアの古代オリンピック

岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、
白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社の出版社8社が
合同で「書物復権」(※)なる復刊事業に取り組んでるのを知ったのは
ジョージ・バーナード・ショーをググったのがきっかけだった
書物復権2012書物復権2013

バーナード・ショー名作集

これで復刊されたのが『バーナード・ショー名作集』
以下の代表作6篇が収録されてた

カンディダ
悪魔の弟子
人と超人
ピグマリオン
聖女ジョウン
デモクラシー万歳!

¥7,000近かったが迷うコトなく購入し
念願の『聖女ジョウン』と『ピグマリオン』を読み
併行してショーの戯曲の解説書『バーナード・ショーの劇』や
ジュール・ミシュレの『ジャンヌ・ダルク』や
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』と
梯子酒ならぬ梯子読書を大いに愉しんだ末に
奇妙なシンクロニシティに見舞われた・・・のは昨年の夏

『ピグマリオン』の第3幕に次のような一節があるのだが
この描写だけでヒギンズ夫人が趣味の良い女性であるのがわかるるる~

ヒギンズ夫人は、ウィリアム・モリスやバーン・ジョーンズの雰囲気のなかで育てられたので、ウィンポール街の息子の部屋とはちがい、家具や小さなテーブルやこまごまとした物が、雑然とおかれているようなことはない。部屋の中央には、背のない大きな長椅子が一つ。これと、じゅうたん、モリス風の壁紙、モリス風のサラサの窓かけ、長椅子にかけた錦のカバーとクッション類が、立派な装飾となっているので、つまらない物をごたごた並べたてて、その美しさをかくすことはないのである。三十年前グローヴナー・ギャラリーに陳列されていた、いい油絵が数点(ホイスラー派のものではなく、バーン・ジョーンズ派のもの)、壁にかかっている。(後略)

息子のヒギンズがヲタになったのも独身主義を貫いてるのも
きっとこの出来過ぎの母親のせいなのだろう
そんな考えを巡らせながら新宿の地下街を歩いてた際に
バーン・ジョーンズ展のポスターが目に入った

ポスターにあったペルセウスには全く興味なかったが
予感がしたのでサイトをチェックしてみると
ウィリアム・モリス商会で製品化したタペストリーが展示品目にあった!
バーン・ジョーンズに原画を描かせて刺繍させたタペストリー・・・ホゥ(*-∀-)

シンクロニシティだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

これだけでも手芸好きの自分には観に行く理由として十分だったが
連作『ピグマリオン』も一揃い(4枚)あるらしい!!

シンクロニシティしまくりだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

そもそもバーナード・ショーの『ピグマリオン』は
モリス夫妻によってインスピレーションを得て描かれたに違いナイ
とゆーのもウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリス(旧姓バーデン)は
バーン・ジョーンズとロセッティによって見出されたモデルで
ウィリアム・モリスにもモデルとして紹介したトコロ
2人が恋に落ちて婚約してしまったのだが
この婚約→結婚の間に恐らく極貧で教育を受けてなかったジェーンは
上流社会の一員としての教養を一から身につけた・・・
なんて、まるで『ピグマリオン』のイライザそのものだ!!

☆・・・☆・・・☆

会場に着いてすぐの展示室へ向かうエレベーターの前に
連作『ピグマリオン』の一部のプリントがでかでかと貼られており
この迫力に比べたら実物はしょぼいかと思いきや
そこは連作ならではの見応えだった
(唯一、女神が鳩を踏んづけてたのが気になったのは自分だけかね?)

しかしラファエル前派は一見すれば繊細な作風なのだが
ダヴィンチのような精密さには事欠いてて
背景の花などがワリと杜撰に描かれてたりするので
近寄ってじっくり愉しむよりは遠見で全体的に観るとか
現代ならネットで観るのにうってつけだと思われ

それに比してタペストリーは期待以上に素晴らしく
絹糸1本の寸分の狂いもナイのに感動した。・゚・(ノД`)・゚・。
改めて考えたらウィリアム・モリスは日本の柳宗悦みたいな人なのだな?!
美意識にお国柄がそれぞれ表れてるのでそこに違いがあるが・・・

またジェフリー・チョーサーの『チョーサー著作集』の
ウィリアム・モリス商会によるケルムスコット・プレス刊(※)があり
豪華装丁本の現物を目にするコトができたのは収穫だった♪
※LINK:ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』

おみやげには『ピグマリオン』連作のワイドプリントにブックマーク
そして『チョーサー著作集』のポストカードとノートにしたが
もしケルムスコット・プレスのグッズがなければ図録を買うつもりだった
自分は究極的には紙の書物が何にも増して好きなようだw

↑改めてじっくり見てみたら『Troilus and Criseyde』だった(゚ ゚;)
これチョーサー版は『トロイルスとクリセイデ』だけど
シェイクスピアになると『トロイラスとクレシダ』になって
逆にボッカッチョのはタイトルが『フィローストラト』でトロイオロとクリセイダ
もちろん時代順にボッカッチョ→チョーサー→シェイクスピアだ

あとの2枚は残念ながら何かわからなかった・・・うぅ(-_-;)

2012年にWOWOWでジャンヌ・ダルクの映画をやってたのだが
主役がミラ・ジョボヴィッチでもイングリッド・バーグマンでもなく
原作はジョージ・バーナード・ショーだった

ジャンヌ・ダルクは100年戦争の時代に実在してはいるようだが
天の声(※)を聴いたとか、オルレアン解放軍に女の身で参加したとか
非現実的な所業がどうにも信じ難い人物だ
結果として、オルレアンは英国軍から解放され
勝利に対するジャンヌの貢献度はともかく
異装の(男装してた)ジャンヌは異端審問で火炙りにされてて
それがなぜか500年以上も経って、近代に至ってから聖人になってて
その辺りの事情もまた胡散臭いのだが
フランス人は元よりヨーロピアンには英雄視されてたりするし
カトリック教徒は聖人の一人として受け容れてる
天の声の主は聖人で、オルレアン包囲の際には大天使ミカエルの声を聴いたそうだ

でもバーナード・ショーの戯曲『聖女ジョウン(原題:Saint Joan)』では
イギリスで上演されるべく書かれたモノだからか
ジャンヌは英雄としても聖人としても扱われておらず
刑死後、魂が天国に行けずに彷徨い続けてて、化けて出てるヽ(゚∀。)ノ

そんなジャンヌの最後の科白は神への祈りだったのだが

早く天国へ導いてください(-人-;)

とキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

ショーらしい皮肉が効いてて
一緒に観てたとーちゃんと大爆笑しながら画面に大喝采を送った

☆・・・☆・・・☆

自分は頽廃に憧憬を抱く反社会的な勤労庶民なので
大衆に媚びてるだけの娯楽作品が大嫌いで
とりわけハッピーエンドの男女のロマンスには
若い時は虫唾が走ったり吐き気を催したりするほどだったが
ショーの描く世界観にはそういう嫌悪感を覚える部分がまるでなく
そこに真実が見えて、魂の奥底から感銘を受けるのだ

だから映画『マイ・フェア・レディ』は忌々しく感じるるる~チッ( -∀-)、
自分にはシンデレラ・ストーリー自体が苦々しいのだが
ショーの戯曲『ピグマリオン』が原作なのに
作品を通して掲げられたテーマが完全に損なわれてしまってるからだ

『ピグマリオン』はギリシア・ローマ神話由来のラテン文学で
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』が元ネタだ

主人公ピュグマリオンが自身で作った女性の彫像に惚れてしまい
その切なく苦しい胸の内をあわれに思った女神に
命を吹き込んでもらって想いを叶える、とゆー物語で
Barbieに恋し続けてる自分にはピュグマリオンの気持ちがよくわかるし
実際にBarbieそっくりの人間に巡り合うと
女神に感謝しつつ、その人をこよなく愛してしまってたヽ(゚∀。)ノ

『ピュグマリオン』はリア充には決して共感されナイ物語で
絶対に愛してくれナイ女を切望するピュグマリオンに嘲笑しながら
きっとこんな風に諭すのだろう

現実を見据えて人間の女と愛し合えば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに?!

他人に言われずともピュグマリオンも自分もわかってるが
それでも愛せずにいられナイのだよ。・゚・(ノД`)・゚・。

でも愛するってのが無償で相手を想う気持ちだとしたら
相手からのお返しを同じだけ望むのはむしろ本トに愛してるのかね?

☆・・・☆・・・☆

ショーの『ピグマリオン』の場合はもっとヲタ度が高く
ピグマリオン=ヒギンズは英語の発音における音声学者であり
彼が求めてたのは単なる理想の女性などではナイ
洗練された英語を話す女性、しかもそれを矯正できた自身に悦に入ってて
その女性には生き証人としての価値しか求めてナイ
ヒギンズがイライザ自身にはまるで興味がナイのは明白だ。(゚д゚lll)ギャボ

イライザも育ちが悪いながらも愚劣な女性ではなかったので
そんなヒギンズのヲタ魂の萌えに気づいてただろうから
純粋にイライザ自身を愛してくれるフレディを享受するのは然りだ
ショーの『ピグマリオン』でははっきりと結末は描かれてナイが
イライザがフレディの気持ちを無碍にできるとは思えナイし
ましてやそこでヒギンズを選ぶはずがナイ。(´д`;)ギャボ

ヒギンズとイライザが結婚してハッピーエンドの物語なら
タイトルを『ピグマリオン』にする意味はなく
ブロードウェイで意義を失ってしまったからこその
『マイ・フェア・レディ』へのタイトル差し替えなのかもしれナイなw

☆・・・☆・・・☆

そして世の中の流れはいつも商業主義に味方するので
主役が日本人の大好きなオードリー・ヘプバーンなのもあり
映画『マイ・フェア・レディ』ときたら
しつこいくらい年中、テレビで放映されてるのだが
それに比してショーの戯曲『ピグマリオン』を新刊で購入するのは
日本では少なくともこの10年ほどは困難だった

同じように冒頭に挙げた映画『聖女ジャンヌ・ダーク(原題:Saint Joan)』
ショーの脚色に忠実なこの作品だけが日本ではDVD化されず
原作の戯曲『聖女ジョウン』を新刊で購入するのも
『ピグマリオン』と同様、邦訳を読むコトが適わなかった

今世紀になって何よりも後悔してるのは
ショーの著作を若い内に買い集めておかなかったコトだ(;つД`)
『聖女ジョウン』でその後悔は募るばかりだったが
諦めつつもググってみると書物復権2012の復刊リストに
なななんと『バーナード・ショー名作集』があった・・・バタリ ゙〓■●゙

バーナード・ショー名作集

しかも『聖女ジョウン』も『ピグマリオン』も収録されてたので
早速購入して2作とも一気読みした・・・生きてて良かった。・゚・(ノД`)・゚・。

ちなみに『ピグマリオン』の序文には次のようにあった

(前略)ロマンスのヒロインになれたからというだけで、すぐさまロマンスの主人公と結婚したにちがいないということにはなるまい。こういう考え方には我慢がならない。せっかくのドラマもこういう得手勝手な判断にあっては、こわされてしまう。

rebours

ユイスマンスの『さかしま』の主人公デ・ゼッサントは
自分にとって理想の相手の妄想対象なので
その趣味を分かち合いたいと切に願ってしまう

デ・ゼッサントはLINK先にあるような特殊な装丁の書物を蒐集してたようだが
そうでなくとも装丁の美しい神秘的な本には魅力を感じて
買うのは無理でもせめて現物を拝みたくなる
LINK:[『さかしま』-デ・ゼッサントの好んだ本]

しかし現代日本においてはデ・ゼッサントのコレクションのレベルはもちろんだが
なかなか装丁の凝った本にはお目にかかれナイ

それが2008年の4月にティツィアーノの『ウルビーノのヴィーナス』を観に行って
偶然にも目にしたのがメディチ家の所蔵の
大プリニウスの『博物誌』とオウィディウスの『変身物語』だった

そうとわかった瞬間には目当ての絵以上に興奮したが
『博物誌』がポストカードになってたのには泣けた。・゚・(ノД`)・゚・。

デ・ゼッサントが読んでたラテン文学はこんなかな・・・ホゥ(*-∀-)

尤もデ・ゼッサントは大プリニウスもオウィディウスも貶してるがね。(゚д゚lll)ギャボ
てか、ラテン文学の殆どをこきおろしてるのだがw

そんなワケでユングの『赤の書』の現物を見たくなったのは
その体裁に惹かれてだった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

赤の書 ―The“Red Book”

バカでかくて
目も眩むような真っ赤!
尋常ではナイ!!

実はその時までユングの著作など読んだコトはなく
学生時代に週に1度の心理学の授業を1年間受けてただけで
ユングも心理学も一般常識以上には知らナイし
特別な想い入れはもちろんだがほとんど興味はなかったのだヽ(゚∀。)ノ

それがまるでデ・ゼッサントだったら買っておきそうな本だったので
とにかく手にとって実感したかったのだ

ググってみれば内容の方もイラストが想像以上に鮮烈だったし
何よりもカリグラフィーで綴られたテキストページが
ルネサンス期のラテン文学の本を髣髴とさせるるる~(『博物誌』画像参照)

しかし『赤の書』はいかんせん大き過ぎるし=重過ぎるので
実際に腺病質のデ・ゼッサントが読むのにはどうかとも思ったがね(苦笑)
てか読む以前の問題なのだよ
本棚から出し入れするだけでも4kg以上もある本は無理っつ。(´д`;)ギャボ

そして自分の場合は置き場所が無理っつ・・・バタリ ゙〓■●゙

とりあえず現物を手にとって『赤の書』がどんなモノか納得できたので満足して
むしろユングのフツーの本を読んでみたくなってきたが
思い起こせば確かとーちゃんの本棚に数冊あったはず・・・

1ヵ月後にちょうど夏休みで遊びに行ったので本の発掘作業してたら
『ユング自伝』と『現代人のたましい』を発見!
これらを借りてって『ユング自伝』読み始めたら思い出した!!

以前にも読み始めで怖くなって止めたのを・・・((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

何が怖かったかってその時は漠として不明瞭だったが
何かに自分の根源的な部分をばくばくたべられてしまうようなカンジがした

今にして思えば洗脳されそうな恐怖だったのだろう
キリスト教にw

今では宗教に洗脳されるほどヤワではナイ自分が確立されてるので
あえてキリスト者を理解する上では有効な本だと思えるし
定番ってカンジの『哲学の木』と気になってた『ヨブへの答え』も購入して読んだので
キリスト教を深く理解するのにとても役にたった(-人-;)

人間同士の出会いもそういうのってあるよな
こっちがまだできてなくて勝手に萎縮しちゃって苦手意識持って
コンプレックスを克服してからその苦手だった人に会うと
お互いに受け容れられなかったとしても別になんてコトはなく話くらいできる

キリスト教の残忍さや狡猾さや図々しさが江戸っ子には耐え難い

最終的にはそれだけのコトなのだが
だからって別にローマ法王にケンカ売る必要なんてナイだろうし
自分の意識の中では自分が世界の中心だが
現実の世界では自分などは世界に全く認識されてナイ存在なのだ

ユングを読んでそんな結論に至る人は他にいるだろうか(-_-;)

そうこうしてるうちに今度はユングの豪華本が出るのだが
それが『ヴィジョン・セミナー』だ

ヴィジョン・セミナー

それにしても心理学者ってのは哲学者より更に変人だな・・・

トロイ戦争におけるギリシア勢の武将大アイアスの最期なんて
今まで気にしてなかったが改めて読んでみるとなかなか壮絶だった。(゚д゚lll)ギャボ

そもそもオウィディウス以外のギリシア神話の挿話集には詳しく載ってナイのだが
トロイ戦争について詳述されたいくつかの文献には
オデュッセウスとの亡きアキレウスの武具の取り合い~アイアスの自殺まで
カナ~リドラマティックに描かれててうっかり胸を打たれた

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)
Music of Ancient Greece

とりわけソポクレスの悲劇『アイアス』
アイアスの妻テクメッサの心痛が
『Plainte De Tecmessa(テクメッサの嘆き)』の調べ通りに表現されてた
オデュッセウス贔屓なのがありありとわかるのは唯一癇に障ったがねw

代わってローマ期のクイントゥスの『トロイア戦記』は
ちょうどホメロスの『イリアス』に続くヘクトルの死後~トロイ陥落後までが
400ページ以上のボリューム感だが内容も濃くて
第五巻「アイアースの自殺」は武具の取り合い~自殺までなんと30ページ!
しかもその内でオデュッセウスの言がたった2ページで
オデュッセウス嫌いの自分にとっては好感が持てる構成だヽ(゚∀。)ノ

それでいて代わりにアキレウスの武具についての仔細があり
楯に施された絵柄について4ページもあるのがヲタ的には嬉しい限りだ!!

これでこの本のタイトルが似つかわしいモノであれば言うコトなかったのだが・・・
『トロイア戦記』ではトロイ戦争全編に及ぶと思い込んでしまい
当然ながら『イリアス』の名場面もあって然るべきと期待してしまうが
そうして手に取った人にとっては肩透かしを食らうのだ。(´д`;)ギャボ
訳者松田治の解説によればタイトルがなかったので様々に呼ばれてきたそうだが
どれも『イリアス』以降の話とわかりやすい呼ばれ方をしてたらしい
なのになぜかこれを『トロイア戦記』としてしまったのだな???

トロイア戦記 (講談社学術文庫)

ともあれアイアスの妻テクメッサについては最も興味深く描かれてた

戦争捕虜ではあったが、アイアースは彼女を妻にしていた。

元はフリュギアの王女であった、と訳注にはあるので
それだけで彼女がアイアスにはもったいナイ女であったと予想できるが
そんなだから一時は王女の身分から奴隷に身を落としても
サラミス王家の嫡男であるアイアスの寵を受けて
再び王家の一員となりいずれ王妃となる運命を享受し得たのだろう

夫アイアスが無事の内に長かった戦争も終わり
跡継ぎとなる一児も儲けて身の安全が約束されたテクメッサだったが
まさかそこでアイアスに自殺されるとは想定外だったろう

さてここであえて穿った見方をしてるワケではナイのだが
どうも自分にはテクメッサの台詞から感じ取れてしまうのだ
夫を失った悲しみよりも自身の身を案じて絶望してる割合が大きいと・・・

(前略)あなたは間違いなくこの世を去りました。あなたにとっては私のことも子供のこともどうでもよかったのです。この子が父の心を楽しませることも、お国の王位につくこともありますまい。むしろ、他の人々がこの子をみじめな奴隷にしてしまうでしょう。父親がもはやいないとき、幼な子らは、はるかに劣った男たちによって育てられるのが決まりですもの。孤児になるのは身の破滅で、子供にとって生活は耐えがたく、様々な災難がふりかかるもの。不幸せな私にもまたすぐに隷従の日が訪れるでしょう、あなたが身まかった後では。あなたは私にとって神だったのです。

う~ん・・・(-_-;)
最後の「神」は救いの神なのだろうか?

テクメッサの祖国フリュギアがトロイと隣接してたであろうコトは
ルーブルのトロイの王子ガニュメデス(もしくはパリス)像が
フリュギア帽を被ってる事実から明らかだが
トロイ戦争の10年間ずっと周辺諸国はギリシア勢の暴挙に晒されてたワケだ

10年分のギリシア勢全員の生活必需品は果てしナイ量になるが
それらを生産もせず代価も払わずどうやって賄ってたのか・・・?!
考えるだに怖ろしいが罪のナイ人々から略奪してたのだ

フリュギアもそうしてギリシア勢の犠牲になり
王女であったテクメッサも総てを失ってその身一つとなり
その身もギリシア勢の奴隷となったのだが
この時の心境もアイアスの死後にテクメッサの回想として次のように語られてる

(前略)もっと早く、養いの大地が私を飲みこんでくれたらよかったのに、あなたのむごい死をみる前に。というのは、この私の心の中にこれほどひどい苦悩が入りこんだことは1度もないし、また、あなたが、初めて私を他の女たちとともに、祖国と両親から奪い去ったときでさえ、こんな思いはしなかったのです。たしかにあのとき私はひどく嘆きました。それは、そのときまで王女としてうやまわれていたその私に、隷従の日がやってきたからです。

王女から奴隷への転落・・・このギャップはなんとも痛々しい(;つД`)
どこぞの王に嫁ぐかもしくはどこぞから立派な王となるべき者を迎え入れるか
そのため(だけ)に生きてきた王女としての誇りを踏み躙られるのだから
これは確かに嘆いて余りある。・゚・(ノД`)・゚・。

この【踏み躙られた王女テクメッサの嘆き】は
アイアスの妻になって一旦止むのだがアイアスの死によってまたぶり返す

でも、あなたが身まかった今となっては、なつかしい祖国も世にない両親も、私にはさほど大切ではありません。というのは、不幸な私の心をなごませるため、あなたはあらゆることを計画していらしたのですもの。私を一心同体の妻にしてくださったし、さらには、トロイアから帰郷したらすぐにも私を、堅固な構えのサラミースの女王にしてやろうともいってくださった。どこかの神様が私たちのこの夢を打ち砕いてしまいました。

う~ん・・・(-_-;)
最後の「神」は先述の救いの神とは違う神なのだろうか?

この台詞からだとテクメッサにとってのアイアスの死の無念さは
サラミスの女王となる約束が果たされなくなるからであって
愛する夫を失った、とゆー純粋な悲しみではナイコトだけは明白では。(´д`;)ギャボ゙

つくづくアイアスが可哀想になった・・・

美少年が死ぬと花や星になるのが常だが
無骨な武人が死んで美少年と同じ花になるコトもあるとは。(゚д゚lll)ギャボ

アポロンに愛でられた美少年ヒュアキントスも
巨漢でボンクラで美しさの欠片もナイトロイ戦争の勇士アイアスも
実は同じヒアシンスの花になったらしい?!

(前略)また、いつか、名にし負う豪勇のアイアスが、やはりこの花に身を変じ、同じその花びらに、彼の名前が読みとれるだろう

これはオウィディウスの『変身物語』の中で
アポロンがヒュアキントスの死を悼む台詞の一部だが
予言の能力を持つアポロンがヒアシンスとなってしまったヒュアキントスを前に
後にアイアスも同じ花になるだろう、と言及してるるる~

ムキ~p(-_-+)q

初めて読んだ時には耽美主義者として
美醜を一緒くたにしてしまったオウィディウスの美的感覚に憤慨したね

愚鈍な大男が空威張りしてる醜悪さは何にも増して醜いありさまだが
トロイ戦争においてはその最たる人物がこの大アイアス(※)だ
頭に血がのぼるのは早いが頭の血の巡りは遅いタイプで
悪意はナイのだろうが大男にありがちな乱暴者と見做されてて
嫌われ者でもなかったろうが恐らく煙たがられてた向きはあったかと思われ
アイアスとゆー名の武将がもう1人いるためにその体位から大アイアスと称されてた

自分は悪辣で薄情なオデュッセウスも虫が好かナイが
それでも亡きアキレウスの武具の取り合いでオデュッセウスが勝って
アイアスざまぁwww、くらいに思えてたのだから
いかにアイアスが生理的に好かナイってか無意識の嫌悪感があったか・・・

このアキレウスの武具の取り合い~アイアスの自殺までは
オウィディウスの『変身物語』にはなんと26ページにも渡って描かれてるのだが
アキレウスの死後なのでホメロスの『イリアス』にはナイ場面だし
他のギリシア神話の挿話集には詳しく載ってナイ。(゚д゚lll)ギャボ

メタモルフォーシス ギリシア変身物語集 (講談社文芸文庫)
ギリシア・ローマ神話―付インド・北欧神話 (岩波文庫)
ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)

特に【アイアスのヒアシンスへの転身】はオウィディウスのオリジナルなのか
近代に至ってトマス・ブルフィンチが『ギリシア・ローマ神話』で取り入れてるのみだ
但しオウィディウスがオデュッセウスの主張(言い訳)に16ページも費やし
アイアスの自身の武勲とオデュッセウスの非についての演説にさえ8ページ使ってるのに対して
ブルフィンチはアイアスとオデュッセウスの台詞は総てカットしてるがね
それでもブルフィンチはヒュアキントスの死後のアポロンの長台詞は
オウィディウスをそっくりそのまま引用してるので
このアポロンの予言に辻褄を合わせて仕方なく(?)取り入れたのかヽ(゚∀。)ノ

またブルフィンチはその注釈に
その花がLarkspur(ひえんそう)の一種であり
学名がDelphinium Ajacis(デルフィーニウム・アイアーキス)だとしてて
つまり、ヒュアキントス≒ヒアシンス、アイアス≒アイアーキス
とゆー類似性も指摘してる
尤も学名の「アイアーキス」は近代になってから
むしろアイアスが転身した花を想い起こした学者(リンネか?)の方が
オウィディウスに倣って付けたのだろうから何の信憑性もナイがw

まあ今と違ってググれなかったのだから
ブルフィンチが該当する花を探し当てるのは大変な作業だったろう。(´д`;)ギャボ

Larkspurでググってみるとなるほどヒアシンスぽい花だね

Delphinium Ajacisでググってみるといかにもってカンジの鮮紅色のがあった

アイアスの自殺に焦点を当てたソポクレスの悲劇『アイアス』では
やはり【アイアスのヒアシンスへの転身】はナイのだが
その名に悲しい際に発する「AI:アイ」の音があるコトをアイアス自らが嘆いてる場面ならある

わしの名がこの不幸と、これほどぴったりとその音を合わすことになろうとは、(後略)

ヒアシンスのどの辺りが「AI」なのかは謎だが(-_-;)???

ところでアイアスの死を嘆き悲しむアイアスの妻テクメッサについては
オウィディウスにもブルフィンチにも全く記述はなく
ソポクレスの悲劇『アイアス』を読むまで知らなかったが
そんなだから既にこの悲劇が大アイアスの方だと知った時には驚愕した!
アイアスの自殺って全然悲劇的には思えなかったからね!!
アリストパネスなら喜劇になるかも、なんて意地悪な見方さえしてたのだ(゚*゚;)

しかし『テクメッサの嘆き』とゆー音楽によって導かれ
アイアスについて色々と読み返してみたら改めて可哀想に思えてきて
特にオウィディウスの『変身物語』は180度見解が変わった

ただでさえ血の巡りの悪そうなアイアスだから
狡猾なオデュッセウスと言い争って勝てるワケもナイと思うのだが
アイアスは確かに力は強かったのは間違いナイし
それをギリシア勢の中で認められてるコトが彼の誇りだっただろうし
認めてくれてるはずの仲間を信じてた

だからアイアスはあえて武力に訴えずに権利を主張したのだろうが
むしろオデュッセウスは弁論術なら絶対に勝てると思って挑んだのだろう
実際アイアスのオデュッセウス批判は尤もだし
オデュッセウスが非を覆すのに述べてるコトは雄弁とゆーよりは詭弁でしかなく
よくぞそこまで恥も外聞もなく開き直れると感心するくらいだが
そんなオデュッセウスの主張が通ってしまうのは
なんせアガメムノンが総大将なくらいだから
ギリシア勢の知的レベルがいかに低いかってものだ(;つД`)

しかしそれでいくらオデュッセウスに騙されてたからって
同胞のアイアスに対してギリシア勢の情け容赦がまるでナイのは酷いし
孤立無援となったアイアスがギリシア勢に抱いた復讐心と
その復讐を果たせなかった末に自殺に至った無念さは確かに悲劇だ、泣けてきた。・゚・(ノД`)・゚・。

1番好きな曲は『アポロン讃歌』だった

母親が来日した『ミロのヴィーナス』を1964年に観に行った際に
会場で買ってきたソノシートに入ってたフルートとハープの協奏曲で
『アポロン讃歌』と書いてあったのでそういうタイトルの曲なのだと思ってたのだ

いつの間にかこのソノシートが行方不明になってしまい
ググって見つけた『アポロン讃歌』目当てで
『古代ギリシアの音楽』なるCDを購入したのが数年前・・・
購入してすぐに『デルポイのアポロン讃歌』と『太陽神への讃歌』を聴いてみたが
自分が探してた曲とは違った・・・

珍しく落胆しつつも頭からかけ直してみると
古代ギリシアの楽器を再現して演奏してるだけあって
なんとも不思議な気分になる音楽だ
例えれば雅楽に1番近い
歌もお経ぽいw

ふと弦楽器のメロディーに捉えられて次の瞬間に震撼!
まさしく『アポロン讃歌』の主旋律だ!!
しかしタイトルは『テクメッサの嘆き』だったが・・・

そして弦楽器で奏でられると物悲しさは増して
自分の脳裏に残ってる曲の印象からだと
まだ希望の光が見えてた部分があったのだがこれは全く失われてる
途中から主旋律は打楽器に変わり陰鬱さがいや増し
悲愴感の中に置き去りにされて終るるる~

深い悲しみに包まれた『テクメッサの嘆き』ぱ+.(・∀・)゚+.゚イイ
でも自分はやはりフルートとハープのVer.の方が好ましいがね
聴き慣れてるのと失ったモノに対する哀惜を差し引いても

そして全編を何度か通して聴いてるうちに改めてはっきり認識したが
フルートの音自体が好きなのだな、自分
このCDの中ではシュリンクスとゆーパンフルート(葦笛)なのだが
金属製のモノより音に温かみがあって゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

透明感のある美しい音色のフルートには鳥肌が立つほど感動するけど
シュリンクスは素朴な優しさに触れた時のように癒される・・・ホゥ(*-∀-)

ギリシア悲劇〈2〉ソポクレス (ちくま文庫)
夏の寓話 (山岸凉子スペシャルセレクション 6)
Ovid Metamorphoses

ところで『テクメッサの嘆き』のテクメッサは
トロイ戦争のギリシア方の英雄アイアスの妻なのだが
その嘆きはアイアスが狂気に陥って自殺してしまったコトによる・・・

アキレウスの遺物の武具をアイアスとオデュッセウスで奪い合い
まんまとオデュッセウスに出し抜かれてしまったアイアスはプライドを傷つけられ
その夜、ギリシアの武将たちを皆殺しにしてしまおうと決心したが
女神アテナによって狂気を齎されたアイアスが殺したのは
ギリシア勢でなく家畜だった。(゚д゚lll)ギャボ
正気に戻ったアイアスは笑い者になるコトに耐えかねて自決・・・バタリ ゙〓■●゙

妻のテクメッサにしてみれば夫の死はそれだけでも無念だろうが
狡猾なオデュッセウスに陥れられた末の死は納得が行かなかっただろう

テクメッサを想いながら聴けば悲愴感に加えて
生半可ではなかった憤慨や憤怒にぞっとさせられるモノがある・・・
曲の主題からはこの演奏の方が確かに的を得てるのだった

そんなワケで今まで『アポロン讃歌』だと思って聴いてた1番好きな曲は
『テクメッサの嘆き』の別Ver.だった

確かにポイボス(光り輝く)と冠されるアポロンを讃えた歌にしては
似つかわしくナイ陰鬱な調べだとはうすうす感じてたのだが
主旋律のフルートの甘やかな音色と伴奏のハープの瑞々しい響きが
その思いを撤回させ続けてきたのだった

そもそもアポロンの伝承には【太陽神】としての輝かしい英雄譚はナイ
比する者のナイ美貌と予言の能力と医術の心得と弓矢の技量と音楽の才気を持つ
神々の中でも格別に恵まれた神でありながら悲恋の物語ばかりだw

唯一アポロンの息子パエトーン(※)とのエピソードは悲恋ではナイが
最終的にパエトーンは死んでしまったし・・・
そう言えばアポロンの恋人たちは皆、死んで植物に身を変えてしまったので
沈痛な調べの哀歌が『アポロン讃歌』であるのは正しいのか?!
山岸凉子による『パエトーン』がe-BOOKで公開中

アポロンの恋人、とゆーか想い人だったキュパリッソスは
オウィディウスの『変身物語』によれば
ケオス島一の美少年であったが
いつも一緒にいた仲良しの鹿をうっかり槍で傷つけて
殺してしまい
これを嘆き悲しむ余り糸杉になり
糸杉となったかつての美少年を想って
【太陽神】アポロンは悲嘆にくれた、とある

溺愛してる無垢な動物の突然の死はそれだけで痛ましいが
ましてや自分が殺めてしまったとなれば
キュパリッソスの悲痛はいかばかりか・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

しかしアポロンはキュパリッソスの心痛を想って胸が痛む以上に
キュパリッソスを失ってしまったコトを悲しんでるようだ
もっと的確に言えばキュパリッソスの美貌に対して惜しんでるのだ

そして同じ本によれば
アポロンの恋人だったヒュアキントスは
スパルタの美少年であったが
いつも一緒にいた仲良しの【太陽神】が投げた円盤に当たって
死んでしまい
これを嘆き悲しんだ【太陽神】は彼をヒアシンスの花に変え
ヒアシンスとなったかつての美少年を想って
【太陽神】アポロンは悲嘆にくれた、とあるが
ヒュアキントスの方はもう歴然としたアポロンの恋人であったため
悲嘆にくれてる様子も2ページに渡って描写されてるるる~

美貌の恋人の若過ぎる死はそれだけで痛ましいが
ましてや自分が殺めてしまったとなれば
アポロンの悲痛はいかばかりか・・・。・゚・(ノД`)・゚・。

ここでアポロンは最愛のヒュアキントスを失った悲しみと
その悲しみの原因が自分である無念さによって
まさに糸杉になったキュパリッソスと同じ嘆きを経験するワケだ!

この2つの変身譚は
間にガニュメデスを挟んではいるものの連続して編まれてるのは
オウィディウスが悲劇の応酬と再現による相乗効果を狙ってるのでは?!

それにしても輝ける【太陽神】であるアポロンの逸話は
どうしてこうも悲哀に満ちてるんだろうか?

そしてこの悲哀の「哀:アイ」だが
ちょうど古代ギリシアでも「AI:アイ」は悲しい際に発する言葉のようだ

こうして、この花には、「哀々:あいあい」という嘆きの文字がえがかれたのだ。

しかしヒヤシンスのどの辺がAIに見えるのかは謎だ???

また上の写真では白いが

テュロス染めの紅(くれない)よりも鮮やかな花

だったそうだ・・・
テュロス染めとはフェニキア開港都市テュロス(ティルス)の特産品の紫貝で染めた布だが
逆に言えばこの布が鮮紅色に程近い赤紫だったとゆーコトか(゚ ゚;)

『王様の耳はロバの耳』は日本でイソップ物語として親しまれてるが
元ネタはギリシア神話にありロバ耳にされた王様はフリュギアのミダス王だ

このミダス王にはもう一つ有名な物語があり
それがThe Golden Touch

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

ミダス王は酒の神バッカスによって
触れるモノ総てを黄金に変えられるようになった
欲深な王は最初は大喜びだったが
食べ物も飲み物も黄金になるので飢え死にしそうになり
元に戻してくれるよう願った

とゆーのが基本的なあらすじだがなんせギリシア神話なので
バッカスではなくてサテュロスだったりシレノスだったりもするるる~

また上記リンク先のVer.ではミダス王の娘マリゴールドが登場するが
マリゴールドの記述はギリシア神話にもなければ
恐らくイソップにもなかったはず・・・いや、イソップは未確認なのだが
ローマ時代のラテン文学のオウィディウスにもなければ
近代にギリシア・ローマ神話を総括したブルフィンチにもナイのだから
イソップにだけあるのも不自然だろう(-_-;)

ググりまくってみるとマリゴールドはホーソーンの創作らしい?!
ホーソーンは『A Wonder Book for Girls and Boys』として
ギリシア神話の6篇を児童向けに編纂してたのだ

A Wonder-Book for Girls and Boys (Everyman's Library Children's Classics)

収録作品は以下の通り

The Gorgon's Head
The Golden Touch
The Paradise of Children
The Three Golden Apples
The Miraculous Pitcher
The Chimaera

このホーソーン編纂の児童向けギリシア神話集は
日本語版でも良質な絵本が出てたようだが
残念なコトに現在では入手は困難ぽい。(´д`;)ギャボ(※)
しかしアマゾンで英語版を検索してみたらなんと毎年新刊で出てた。(゚д゚lll)ギャボ

つまり英語圏の子供にはホーソーンのマリゴールドVer.が普及してるのだ!

触れるモノを黄金に変えられるようになったミダス王は
愛娘マリゴールドに触れて黄金にしてしまい
元に戻してくれるように懇願する、てのがマリゴールドVer.で
金銀財宝に目が眩んで大切なモノを見失わナイように
そんな教訓がより効果的に明示されてる
日本語版は青空文庫にあった(^▽^*)アリガタヤ~♪
LINK:ワンダ・ブック――少年・少女のために――
ミダス王がマイダス王だったり、マリゴールドがメアリゴウルドだったり、古い訳は風情があって゚+.(・∀・)゚+.゚イイ

ところで日本人にはピンとこナイのだが
海外ではヒトラーやビル・ゲイツなどがミダス王に例えられてて
黄金を手中にした業突く張りの権力者で嫌われ者キャラだ

ヒトラーほどの隙のナイ圧倒的な支配者ではナイし
ビル・ゲイツは今では実業家だが元は技師だったのだし
ミダス王の方が全然凡庸な善人に思えるのだがねw

ただミダス王は酒の神ディオニュソス(バッカス)を信奉してたし
その従者の牧神山羊男(サテュロス)のような悦楽に興じる者と仲が良く
そんなコトから悪徳の象徴なのだろうが
それはキリスト教的な人間性の捉え方でしかなく
酒呑みで快楽主義者の無神論者からしたら
見知らぬ人間をいきなり悪人だとして忌み嫌う理由には事足りんて(゚*゚;)

だいたい自分は他人に対しては好き嫌いより探究心が勝ってしまうので
一般論に忠実な人間像なんて何の興味も沸かナイが
奇人変人悪人は観察と考察のし甲斐があり
特になぜそうなってしまったのか
バックグラウンドをあれこれ仮定するのは愉しい

そうしてると必ず最後に2つの答えのどちらかに辿り着くのだ

1.確かに悪辣だが最初からそんな人間ではなかったはず

育つ環境の中で悪意にばかり晒されて
当人が抵抗しても悪意を植え付けられてしまった例だ
一応悪人と認めざるを得ナイのは残念だが
それでもまだ良心は残ってるかもしれナイ可能性はある

2.悪意を持って見るから悪に見えてるだけ

当人に悪気はさらさらナイのに
僻みや妬みといった見る側の発する劣等感が
勝手に悪意を妄想してるに過ぎナイ場合だ
これは全然悪人ではナイ

ミダス王は基本的に後者のような気がするが
ホーソーンの描いたミダス王なら間違いなく後者だ

娘が黄金になって悲しんだミダス王には親としての愛情があった!!

悪人とレッテルを張られてる人間に対して
愛情を確信して創作したホーソーンってなんて情が深いのだろう。・゚・(ノД`)・゚・。

しかし感動すると同時に疑問が沸いた
ホーソーンはキリスト教信者ではなかったのだろうか?

キリスト教信者にとって
ギリシア神話の神さえも異教の邪神だが
牧神山羊男ともなれば姿形からしても悪魔なので
その悪魔と仲良しのミダス王は絶対的な極悪人と見做すのがフツーで
愛情を見出したりはしナイはずヽ(゚∀。)ノ

『王様の耳はロバの耳』と言えば
日本ではイソップ(アイソポス)寓話として知られてて
自分の世代だとミュージカルで観てたりするのだが
元ネタはギリシア神話のエピソードの1つだ

ロバの耳をした王様がいてそれを秘密にしてる
そんな前フリで物語は始まるのだが
王様がなぜロバの耳をしてるのかの説明は一切ナイのが常だ

King Midas and the Golden Touch

実は王様の名前はミダスと言い
太陽神アポロンの竪琴と牧神マルシュアスの葦笛で
演奏を競った際にマルシュアスを応援してて
マルシュアスが負けたので
お前の耳はおかしい、そんな耳はこうしてやるるる~
と、アポロンによってロバ耳にされたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

アポロンはオリュンポスの12神に数えられてる神で
言わば神々の中でも代表格なのだが
それに比して、牧神マルシュアスは「神」の字は付くが
酒の神ディオニュソス(バッカス)の従者でしかなく
この勝負は音楽自体よりも演者の格からして
奏ずる前から勝負が決まってる気がしなくもナイ
ましてやアポロンは太陽神で音楽の神でもあるのだからして!

なので、完璧主義者のクラシックの演奏家に
快楽主義者のロック・ミュージシャンが挑むようなモノだが
それにしたって負けたマルシュアスの生皮を剥いだり
応援してた人間をロバ耳にするとは酷いp(-_-+)q

まあアポロンは人でなく神なので
むしろまさに「人でなし」なんだがなw

この挿話の教訓てのは
ロバ耳にされたミダス王は単なる聴衆でしかなく
一国の王ではあっても
音楽に関しては素人でしかナイのだから
彼に許される音楽に対する意見は
好きか嫌いかの個人的見解の範疇までで
間違っても第三者的に「評価」をしてはいけなかった・・・
そういうコトなのかね?

ギリシア神話では神に対して人間は一律に低位の存在で
人間社会での地位や名誉を得て
驕りや不遜を抱いてる者は
手厳しい制裁を受ける憂き目に遭う

音楽の神アポロンの完璧(なはず)の演奏より
牧神=山羊男のマルシュアスの方が劣ってる(はず)
なのに、たかが人間ごときが
その歴然とした勝敗に口出しをするのはタブーだったのだ

具体的にどんな演奏だったのかは不明なので
実際に聴いて自分がどちらを好むかは
自分自身にもわかりかねるがね
なんてのは現在日本人だからほざける戯言なのだよ(-_-;)

個人的にはアポロンは格別に好きな存在なので
その演奏を聴ける機会に恵まれたとしたら
それだけでもう拝んでしまうしかナイし
どれほど優美な旋律なのか
想像してるだけでも陶酔できる・・・ホゥ(*-∀-)

でも少々酔いどれのマルシュアスの調べに合わせて
くるくると回って陽気に踊りながら呑むのも
愉快そうだとも思われ♪

絶対的に優れてるのはアポロンだとしても
自分はマルシュアスにも好感が持てるかもしれナイので
ロバ耳にされたミダス王には同情を禁じ得ナイね

想像するにミダスは
王様だけあって育ちが良過ぎたのだろう
プライドの高い相手を憤慨させてしまうと無駄に恨みを買うだけ
そういう苦い経験をしておらず
畏れずに素直な感想を言ってしまったのだろう
それにしたってアポロンは横暴過ぎるがな・・・

自分は音楽に関しては
よく言えば音痴で、はっきり言えば音感なんか全然なくて
曲の出来の良さなんてのはまるでわからん人種だ

それでも音楽に対して歴然とした嗜好があるのは
音楽を構成してる要素以外の部分で
ぶっちゃけ、好感持てるかどうか、だけで選別してるるる~

ノリやすい調子の良さに踊ってみたり
うっとりとしてくるような繊細さや可憐さに目を瞑って心酔したり
心の中を白南風が吹き抜けるような清々しさに一緒に歌ってしまったり
反対に心の中の澱を吹き飛ばす破壊力に合わせてヘドバンしたり
そうして気に入った曲を物凄く愉しんではいるが
絶対音感ある人や音楽が理論的に解かる人には
こういう感覚ってあるのかナイのか
なかったとしたら謎なんだろうか?

ミダス王がどれほど音楽を聴き分けられたのかは不明だが
聴き分けられナイ人間には音楽を愉しむ価値もナイと
その権利を奪うのは音楽の神として正しいんだろうか?!

古代ギリシアではこの物語が
教訓を知らしめる説話としてあったらしく
驕り高ぶり、神に逆らったり
賢者に物言う者は必ずや罰が下り
マルシュアスのように生皮を剥がされたり
ミダスのようにロバ耳にされたり
そんな悲惨な目に遭うと・・・
それにしても戒めの域を超えた残虐さだが。(´д`;)ギャボ

だいたいにおいて演奏する人間(もしくは山羊男)は
何のためにそうして素晴らしい音を奏でるのか?

奏者自身も含めて
その演奏が必要だからで
なぜ必要なのかは癒しとなるからだ
愉しむのも愉しむコトによって最終的に得てるのは癒しなのだ

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

ところで上記のアポロンとマルシュアスの奏でる音の対比は
ニーチェの言うトコロのアポロン的、ディオニュソス的と置き換えるのは早計だが
プルタルコスの『モラリア【5】』に収録されてる「デルポイのEについて」に
素晴らしい見解の引用の記載がいくつかあり
それによって自分の想像が全く見当外れだと気がついた(滝汗)

エウリピデス

ステシコロス

ソポクレス

ところでジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の
「バースの女房の話」の中にこのロバ耳の王様のエピソードがあるが
チョーサーは王様の秘密を唯一知ってるのは床屋でなく奥さん(王妃)としてて
壺ではなく泉の水中に告白してしまうとしてるるる~

しかもこの挿話の続きはオウィディウスを参照するように促してて
こちらは通常通りに秘密を知ってるのは床屋で
掘った穴に秘密を漏らすとその穴を埋めた後に葦が生えてきて
その生えてきた葦が風にそよぎながら囁いて秘密をばらした、としてる

また【葦】なのかヽ(゚∀。)ノ

なかなか核心に辿り着けずにいるが
アポロンとディオニュソスは実はこのブログのテーマ(なはず)で
そこにこのブログのタイトルにある【葦】が複雑に絡み合ってるのを
解いているのかむしろより一層こんがらからせてるのか?!

実はギリシア語で【葦】とある場合には
植物以外に弦楽器の駒(ブリッジ)を指すのだそうだ
(我ながら後出しジャンケンみたいな話題の振り方だがw)
とか言いつつも自分は弦楽器には全くの素人なので
それは例えばギターだとどの部分なのか指差せっても無理っつ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

でもググったらわかりやすい画像が見つかった♪
しかも(少年ダビデのハープ)とあり『旧約聖書』に登場するダビデ王の竪琴か?!
LINK:おもちゃのハープ♪
→記事中ほどに竪琴の部位名称及び解説の画像が(*^^*)

しかしながらダビデは紀元前1000年頃の人なので
このダビデのハープは洗練され過ぎてるのではなかろうか?

ヘルメス(メルクリウス)が拾った亀から竪琴を作った、てのは神話にしても
そういう神話が生まれたのは古代ギリシアでは竪琴と言えば
亀の甲羅製の弦楽器だったからなのでは?

よく知らナイで購入したCD『古代ギリシャの音楽』には
古代ギリシアの楽器を再現して演奏してて
ブックレットに写真が載ってた

phorminx:ポルミンクス(フォルミンクス)

lira:リラ(リュラ、もしくはリュレ)

ついでに名前からしてギターの原型となったぽいkithara:キタラ

アポロンやオルフェウスの持ってた竪琴は
後代の絵画や彫刻で見る装飾過多の華美なモノのはずがナイよな。(´д`;)ギャボ

アポロンの竪琴は牛泥棒の見返りにヘルメスから譲り受けてるので
間違いなくヘルメスが拾った亀から作ったモノのはずで
ややこしいコトにオルフェウスの竪琴も
父(とゆー説もある)アポロンより与えられてるらしい

つまり3つとも同じ竪琴なのだろうか・・・竪琴パラドックス。(゚д゚lll)ギャボ

さて
生まれたばかりのヘルメスが揺籃を抜け出して
亀を拾って中身を抉り出して竪琴を作り
アポロンの牛を盗んではシラをきり
バレても竪琴を与えてごまかし
人の゚+.(・∀・)゚+.゚イイアポロンから錫杖までもらう
そんな一部始終が岩波文庫抄訳版『四つのギリシャ神話―ホメーロス讃歌より』
「ヘルメースへの讃歌」にある
LINK:「ヘルメース讃歌」

この「ヘルメース讃歌」中の竪琴の作成手順の冒頭には
葦の茎を~、とあってあえて【葦】と訳してるくらいなので
ブリッジとして使われてるパーツのコトではナイらしいが
だとするとどの辺に使われてるのかも不明瞭だw

とにかくヘルメスは亀で竪琴を作る際に葦を使ってるるる~
更に通説では葦笛(シュリンクス)は牧神が作ったとされてるが
「ヘルメース讃歌」では葦笛もヘルメス作だとしてるるる~

まあいずれにせよ
葦はそうして楽器に事欠かナイ植物だったのだ、実は!

だからアポロンの竪琴と牧神マルシュアスの笛と
どちらが優れてるかなんて競い合いをしてアポロンが勝ったが
(そりゃあ音楽の神が負けたらマズイワケで)
所詮は葦を使って作られた原始的な楽器同士だったのだな

しかも牧神の笛はシュリンクスに相場が決まってると思ってたが
マルシュアスの笛はアウロス(もしくはアウルス)で
『ホメーロス讃歌』の「ヘルメース讃歌」でアポロンは
マルシュアスの吹くアウロスとヘルメスが吹くシュリンクスを比較して
シュリンクスの方が優れてる、とのたまってるのだった

アウロスはシュリンクスより先に存在してて
縦笛で2管笛でオーボエとかと同じくダブルリードだそうだ
画像の真ん中のがアウロスだろう
LINK:英語のWikipediaのAulos

シュリンクスの方は恐らく[葦舟と葦笛]にあげたラウネッダスに類似と思われ
3管笛でクラリネットと同様シングルリードだ
LINK:英語のWikipediaのLauneddas

ミダース王 (CenturyBooks―人と思想)

とか書いてはいても自分のように楽器に疎い人間には
詳細を辿るほどアウロスとシュリンクスの差異に実感が湧かナイのだが
牧神マルシュアスの吹くアウロスはアポロンの爪弾く竪琴に敗北し
それだけでは済まず木に吊るされて皮を剥がされてしまい
マルシュアスの方が勝者としたミダス王はロバの耳にされてしまう。・゚・(ノД`)・゚・。
このブログにはあえて掲載せずにおくが
「Marsyas」で画像検索すれば凄惨な場面が嫌になるほど出てくる(゚*゚;)

ところでこの牧神マルシュアスだが
マルシュアスてのは名前でその実体については
オウィディウスは牧神サテュロスとしてるが
ブルフィンチは牧神パーンとしてて
マルシュアスが仕える神も前者はバッカスで後者はディオニュソスだ

ギリシアではディオニュソスとパーン
ローマ(つまりラテン語)でバッカスとサテュロスで
ニーチェがディオニュソスと言うのは
ドイツ語がラテン語由来でナイからと勝手に思い込んでて
シンパの自分もニーチェに倣ってディオニュソスを使ってたが
改めて調べてみると各国語で混在してるのでどちらでも構わナイようだ

酒の神ディオニュソス(バッカス)に仕える牧神や巫女は
酒宴で神に音楽と舞踊を捧げるのだが
この様子をモチーフにしたバレエ(音楽)があり
バッカスから転じて仏語でBacchanales(バッカナール)だ(他国語も類似)
余談だがカフェのオーバカナルの店名の由来はこれだ♪