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ユゴーと言えば日本では『レ・ミゼラブル(ああ無情)』だが
昨年は出版150周年に当たり、これを記念してイギリスで映画化されて
日本でも年末に公開された

過去にジャン・ヴァルジャンを演じた俳優として思いつくのが
ジャン・ギャバン、ジェラール・ドパルデュー、リーアム・ニーソンなので
既に最低でも3度は映画化されてるはずなのだが
どうやらリメイクとか小説からの直接的な映画化ってより
80年代からロングランのミュージカルの映画化だそう

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自分はミュージカルでは観たコトナイのでなんとも微妙だが
とりあえず近年は観たい映画が日本公開スルーばかりだったので
観れる確証があればもうそれだけでありがたかった・・・
まあ、結局は観に行けなかったのだが(苦笑)

日本未公開と言えば、どうして外されたのか不思議なのは
オスカー・ワイルド原作の『Dorian Gray』と
モーパッサン原作の『Bel Ami』だ
主役がイケメン、つか、正統派の超絶美形だったのだから
上手いコト煽れば日本でもウケると思うのに・・・
どうもブサメンとかキモメンを
強引にイケメンと称して押し通すために
チョンが裏で妨害してるような気がしてならナイのだがねp(-_-+)q
『Dorian Gray』も『Bel Ami』もDVDが日本発売されたのでゲト♪

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いかん、話が逸れた、いや、逸れてナイ、どっちだヽ(゚∀。)ノ

ユゴーはドリアンやベラミほどの優男ではなかったかもしれナイが
彼らに匹敵するか、それ以上に女には不自由してなかった
てか、むしろモテ過ぎて不自由してたかもだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

人間なのだから欠点があるのは当たり前で
それが女癖の悪さなら、自分の男でナイ限りは1番許せる欠点かとw

とはいえ、元女優で秘書兼愛人のジュリエットが50年間も
ユゴーの愛人だった、ユゴーだけの愛人だった、ユゴーの愛人でしかなかった
てのは、社会的にも生物学的にもどうなのかね。(´д`;)ギャボ
ましてやユゴーの方はまず正式な婚姻関係の妻がいたのだし
他にも肉体関係を持つ女が数え切れナイほどいたのだ。(゚д゚lll)ギャボ

そんなユゴーが道義的な『レ・ミゼラブル』のような作品を書き
その中でこんな感動的な一節をほざくのだwww

海洋よりも壮大なる光景、それは天空である。天空よりも壮大なる光景、それは実に人の魂の内奥である。(※)

心清き人の哀しき魂は河川を流れて海へ辿り着き
一旦は波間を漂いながらも最後には大海の深淵に沈み行くのだろう
しかし水底から解き放たれて空へと飛翔してみれば
気がついたら魂の内奥に帰着してた・・・なんて。・゚・(ノД`)・゚・。
訳は青空文庫にある読み易い豊島与志雄訳で岩波文庫『レ・ミゼラブル』【1~4】の【1】より

『レ・ミゼラブル』は上記以外にも海や空を殊更比喩に用いてるが
同じ時期(晩年)に書かれた詩集にもこの傾向は強く見られ
とりわけ最晩年の『諸世紀の伝説』(※)における空の表現は秀逸で
「サテュロス(原題:Le Satyre)」では天空を越えて
宇宙へまでも達してるるる~
第一集が1859年、第二集が1877年、第三集が1883年に出版されてるが、1883年には人類史の年代順に再編纂された決定版も出た

「サテュロス」は『諸世紀の伝説』の中で
「16世紀、ルネッサンス、異教」の時代に位置づけられており
訳者の解題を引用すれば

この詩は、『諸世紀の伝説』のすべてのテーマが描かれている「凝縮された鏡」なのである。すなわち『諸世紀の伝説』という大宇宙(マクロコスム)に対して、「サチュロス」は小宇宙(ミクロコスム)なのである。

またこの詩の構成はプロローグに始まり
第1部 青、第2部 黒、第3部 暗色、第4部 星空
として、1日の空の移り変わりになってて
最後の星空においてはサテュロスは牧神パンとなり

牧神は叫んだ。
「未来は 天空が作るように
底なしの無限のなかへ拡大すること
あらゆる方向から事物に浸(し)み込む精神だ!
世界よ 悪はすべて神々の形に由来する。
(中略)
燃えるかそれとも流れる 聖なる元素に代われ!
宇宙の輝きに代われ!
国王とは戦争 神は夜。
(後略)」

プルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」には
「大いなるパーンは死せり!」との天の声を聞いた船乗りの逸話があり
これが誤ったまま伝わってキリスト教徒に寓意を纏わされて
更なる誤謬を携えながら近代まで信じ込まれてきたが
ユゴーはこれを前提として
ルネサンス期に他の神々と共に蘇った牧神パンに
人類が理想とすべきユマニスム(ヒューマニズム)が尊重される社会を
未来にあるべき姿として叫ばせているのだ!

残念なコトに21世紀の今もユゴーの時代から全く進歩がナイがね(゚*゚;)
人類は滅び行くまでこのままだろうてヽ(゚∀。)ノ

とにかく自分は晩年のユゴーを読んでると
海から空へ、そして宇宙への航海が
STYXの名曲『Come Sail Away』を想い起こさせる・・・ホゥ(*-∀-)

☆追記...
ユゴーは自身の死後に未刊の作品を集めた詩集を
『大洋(原題:Océan)』と冠して刊行するよう息子らに遺言してた

幼少時からクリスマスのミサにはよく参加してた

超高音シャウトで讃美歌を歌うのが愉しみで
特にLes anges dans nos campagnes(あめのみつかいの)の
歌詞の一部をラテン語で歌えるのが気持ちよかった

Gloria in excelsis Deo!
(最高神に栄光あれ!)

ミサに行く目的の大半はこの部分を熱唱するコトにあり
近年では四ツ谷の聖イグナチオ教会でのパイプオルガンの伴奏が
大のお気に入りであるるる~

それにしてもこの日はカナ~リ寒くて
夕方には寒気→悪寒→発熱とゆー一連の体調予想ができたので
それを回避するために寒さに身体を慣らしておこうと
朝9時から散歩に出かけた

北の丸公園をうろうろしてたら
水辺に小鳥の大挙して押し寄せてきて
すかさず木陰に身を隠して息を殺して見守ってると
こちらには気づかずに1羽が接近してきた!

なんと目の前の30cmほどの至近距離の枝にとまり
くるりと振り返ってこちらを見たので
一瞬、目が合ってしまった!!

スズメより少し大きいくらいで
身体はオレンジ色で頭は黒っぽくて、顔の模様に特長があり
ホオジロのオスと判明♪

そんな奇蹟の瞬間の後は余韻に浸りながら
しばし水辺でのバード・ウォッチングを満喫して
すっかりにやけ顔になってから神保町へ

千代田区の消費生活支援事業「スタンプカード事業」の
¥10,000分が三省堂書店で使えるので
これで毎年クリスマスには
普段は買うのを躊躇するような高額な本を買うのだ

自分にとっては三省堂書店の4階の思想・哲学・宗教の辺りが
この世で最も煩悩に塗れてしまう場所で
あれもこれも欲しい本だらけで
吟味してるうちに新たに欲しい本が増えるばかりだw

いつのまにかプリニウスの『博物誌』が復刊してたりして
でも1冊¥6,000超えで全5巻は自分には無理っつ

プリニウスの博物誌〈第1巻~第6巻〉

全巻集める予定のプルタルコスの『モラリア』の中では
売り場に【8】しかなかったのでこれだけは即決

モラリア8 (西洋古典叢書)
ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ (シリーズ・古典転生)
地中海の暦と祭り (刀水歴史全書)

毎度、思い悩んでは買わずにきてるブルーノの著作集は
今回こそ購入を決意してたのだがそんな時に限って店頭にはなく
でも『ジョルダーノ・ブルーノの哲学―生の多様性へ』は
むしろ買いだと思ってこれも即決した

と、2冊で既に¥8,000超えだ

ここであともう1冊を悩んだ末に『地中海の暦と祭り』にしたのは
1番興味深かったタンムズ(あるいはドゥムジ、もしくはアドニス)の
死と復活の祭礼について書かれてたからだ

このタンムズの死を嘆く女たちの声が
プルタルコスの『モラリア』の【5】にある逸話・・・
「大いなる神パンは死んだ」の天の声の正体なのだ
とゆー何か確たる証拠を掴みたいので
これは必須の資料と目論んだのだ

他にもクリスマスの起源となった異教の祭祀について
記述があるかもしれナイ、との期待もあった

最後まで買うかどうか迷いに迷ったが次回に持ち越したのは
『洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー』と
京都大学学術出版会の『トロイア陥落せず:弁論集2』と
その他、デカルト、フーコー、キルケゴール、ヘーゲルとか
予算が余ったら堀口大學の『月下の一群』も
母親のを借りるのが面倒なので自分用を買いたかった

洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー

トロイア陥落せず: 弁論集2 (西洋古典叢書)

それ以外に古本屋で
『現代思想』のユング特集号が¥400だったのと一緒に
値段はなかったが『ディオニュソスへの旅』をおそるおそるレジへ持ってくと
『ディオニュソスへの旅』は蛍光ペンのハイライトが多かったお蔭(?)で
なんと¥100だった

ディオニュソスヲタにしてみれば
この本との出会いだけで奇蹟だったと思えるが
値段が¥100てのは二重の奇蹟だったね

昭和生まれで子供の頃に星座の名の由来に興味があったなら
きっと野尻抱影の本を読んでただろう

自分ももれなくそんな一人で
ギリシア神話自体が野尻の著書で初めて読んだし
そこに鏤められた星座に纏わるエピソード群を拠点として
ギリシア(ローマ)神話の世界観が構築されてったが
一通りわかった気になったトコロで手放してしまって四半世紀経過ヽ(゚∀。)ノ

代わって、この10年来に何十冊もギリシア・ローマ神話の本を購入したが
読めば読むほど、その世界観が覆されてった。(゚д゚lll)ギャボ

同じエピソードでも著者によって内容がマチマチであり
しかも辻褄が合わナイのを無理矢理こじつけてたりするので
改めて神話に異説は付き物だと思い知った。(´д`;)ギャボ

所詮は神話であって
史実でナイのはもちろんだが単なる伝承や英雄伝説より信憑性に欠くし
そこに最初から真も偽もナイのだが
だからこそ自分にとって納得が行くように編纂して
真とすれば゚+.(・∀・)゚+.゚イイとも思うのだ

むしろ史実だって確実な事象は確固たる事実として脳内に留めるが
それ以上にその時代を担った人々の心理を読み解いて
真実がどうあったのかを思索するコトこそ
歴史を学ぶ意味があるるる~

総ての神話はぶっちゃけ人間による創作だろうが
神話を創り上げる過程においてどんな想いがあったのか
神や怪物は何の比喩で、英雄に映し出された理想の人間像は何の教訓か
そしてなぜ民族の中で信じられて伝えられてきたのか
そこを深読みするのが醍醐味なのだ(*^^*)

ニーチェとヘーゲル―ディオニュソス哲学の地下通路

それにしたってニーチェが『悲劇の誕生』で比喩に使うほど
アポロンもディオニュソスも明確な切り分けができるキャラクターではなく
逆にギリシア神話の神において最も近しい2柱とも言え
違うのは容貌の美醜と信奉されてる場所(神殿か森か)くらいだ

なんせ両者とも音楽と酒がついて回り
美女との恋愛には全く縁がナイ非モテなのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

ツァラトゥストラ (中公文庫)

ニーチェついでに『ツァラトゥストラ』で「神は死んだ」てのがあるが
これはプルタルコスの『モラリア』【5】「神託の衰微について」に
船上で「大いなるパーンは死せり!」との天の声を耳にした逸話が載ってて
後世のご都合主義のキリスト教が
古代の総ての神に代わってイエス・キリストが唯一神になった
などと勝手に解釈したのだ(゚*゚;)

逸話自体に何の根拠もナイのに
それに対するまた更にまるで根拠のナイ解釈で
まともなおつむをしてたらとても納得できナイが
これを当然のように妄信してしまうキリスト教徒に危惧して
この台詞を逆手にとって皮肉を言ってるのだ

モラリア〈5〉 (西洋古典叢書)

だがしかし
自分にはこのプルタルコスの伝える逸話にどうも不信感を抱いてて
3年前にやっと邦訳された『モラリア』【5】を読んでみて
謎が解けた気がしたΣ(゚д゚lll)ガーン

まあ謎解きは長~くなるから後日にして
とにかく酒の神ディオニュソス(バッカス)と牧神パーンと
山羊の角と脚を持ったファウヌス、サテュロス、シレノスの類は
ギリシア・ローマ神話の中で混同されてるので
あちこち読み漁るほどに困惑が増すとゆー有り様なのだが
そんな迷宮から脱出するのには初心に帰るのが1番で
前述したかつての愛読書である野尻の『星の神話・伝説』を入手して
「やぎ座」の項目をたった2ページ読んで万事解決p(-_-+)q

 山羊といっても、魚の尾をしているふしぎな『海山羊』です。そして、これもいて座の半人半馬の怪人などとおなじく、西アジアの星座から伝わったもので、バビロニアの古い彫刻にこの姿が残っています。

そうなのだった!
これらの半獣神の起源はバビロニアの占星術由来なのだった!!
で、1年前に書いた記事[Goats Head Soup]を大幅に修正した(汗)

 パアンというのは、ギリシアの森林と野原の神で、山羊の角と、毛のはえたとがった耳で、足にもひずめがありました。
 彼はいつも山のほら穴に住み、いたってのんきで、遊び好きで、夕ぐれになると穴から出てきて、おなじ半人半獣のサチュロスと、森や谷川の精女(ニンフ)たちを追いまわしたり、ヨシの茎で作ったシリンクスという笛をふいて羊飼いや精女(ニンフ)たちとおどったりしていました。
 あるとき、神々がナイル川の岸で酒盛りをひらき、パアンはヨシの笛をふいて、興をそえていました。そこへ、怪物ティフォン(うお座参照)が現れたので、神々はあわてて、思い思いの形にかわってにげました。パアンも山羊になってナイル川にとびこんだのですが、水にひたった部分だけ魚の尾にかわり、外にでていた部分は山羊のままでした。
 このできごとの記念に、大神ゼウスが、その形を星座に伝えたといいます。しかし、これは、山羊の尾が魚になっているのを、むりに説明した話です。

スッ ━━━━━ ゚+.(゚∀゚)゚+.゚━━━━━ キリ!

ちなみに日本語版Wikipediaの山羊座の項目
出典は明らかにされてはいナイが間違いなく野尻のこの本だなw

うお座参照、とあるのでうお座も見てみるるる~

 この二ひきの魚は、愛の女神アフロディテーと、その子エロースとが、ユウフラテス川の岸を歩いていると、怪物ティフォーンがおどしにでてきたので、親子はあわてて川へとびこみ、魚にばけて逃げました。
 その記念にアテーネ女神が、二ひきの魚を星の間に加えたものと伝えられます。
 この神話は、やぎ座、みなみのうお座にも通じていますが、古代バビロニアでも、この星座を魚と呼んで、女神アシュタルテとその子になっていたので、それがギリシアに伝わって変化したものと思われます。アシュタルテは、ギリシアのアフロディテー(ヴィーナス)と同じ女神で、星では金星にあたります。

このバビロニアのアシュタルテは
アッシリア(アッカド語)のイシュタル由来で
イシュタルは元はと言えばシュメールのイナンナなワケだが
イナンナの夫がドゥムジ、イシュタルの夫・・・もとい愛人はタンムズとなり
このタンムズへの信仰が「大いなるパーンは死せり!」の
謎解きの鍵なのだ・・・愉しいねえ(^▽^*)

byblos

赤地に黒でセンシティヴで流麗なライン
ビアズリーかハリー・クラークのようなイラスト
中心には黒地で金枠に金の文字

七つの愛の物語―「イシスとオシリス」から「トリスタンとイゾルデ」まで

そんな表紙の美しい装丁の本『七つの愛の物語』には
ヨーロッパやオリエントの原初の愛の物語が
タイトル通りに7つ収録されてる

エジプト神話★イシスとオシリス
シュメール(メソポタミア)神話★イナンナとドゥムジ
インド神話★シヴァとサティー
ヘブライ人(イスラエル人、ユダヤ人)の伝承★雅歌
ギリシア神話・ラテン文学★プシュケーとエロース
アラビア人(ペルシア人、セム族)の伝承★ライラーとマジュヌーン
ロマンス(中世ヨーロッパの騎士物語)★トリスタンとイゾルデ

これらの中で「トリスタンとイゾルデ」は何冊も持ってるほどのヲタで
それでも飽き足らずに「トリスタンとイゾルデ」をググってて
この『七つの愛の物語』に出会った(のは2004年)

ギリシア神話もラテン文学もヲタなので
「プシュケーとエロース(アモルとプシュケ)」も
アプレイウスの『黄金の驢馬』の挿話としてよく知った話だった

その『黄金の驢馬』の最後に登場するのがイシスとオシリスで
エジプト神話由来の夫婦(兄妹)神だとは知ってたが
なんせプルタルコスの論文『イシスとオシリスについて』でしか読んでなくて
この神話の内容はどうも朧気だったのだ

では、これから神話を物語りますが、できるだけ手短に、まったく無用の余計な部分は省略することにしましょう。

そう前置きしつつ『イシスとオシリスについて』でも一応あらすじを紹介してはいるが
むしろ逆に無駄にプルタルコスお得意の薀蓄を織り交ぜてくるので
話が横道に逸れまくるわ、1つの単語を深く掘り下げ過ぎるわ
輪郭がさっぱり掴めんてヽ(゚∀。)ノ

しかもそうしてストーリーもはっきりわからナイワリには
違和感を感じて引っかかってしまう箇所があって
例えば、イシスの父親がヘルメスだとか。(´д`;)ギャボ
セト=テュポンとか、オシリス=ディオニュソスとか。(゚д゚lll)ギャボ
まあこういった系譜の異説や異民族間でのすり替えは神話ではよくあるコトだがw

但し、プルタルコスは古代ローマの神官(※)だったが
古代ギリシアの哲学者のような自然哲学に対する考察力があり
神と称される信奉の根源的存在を一種の象徴と捉えてる部分があり
各民族の信仰の由来が近似だった神同士を結びつけてるので説得力はあるるる~
アポロンを祀るデルポイ神殿に仕えてた

それでもどうにも納得が行かナイのは
オシリスの棺が流れ着いたのがビブロスだったってコトで
ウェルギリウスの『アエネーイス』にしてもだが
古代ローマ人が信じてるフェニキア人の各都市の成立年代(※)ってのが
史実より明らかに古過ぎるのだよな(-_-;)
ヘロドトスの『歴史』がフェニキア人についての記述から始まってるのが誤解の元かと推測

エジプト創世神話の時代にビブロスが既に都市化してて
トロイ戦争の頃にはカルタゴが建国されてたなんて・・・バタリ ゙〓■●゙

いや、神話の中で1,000年のズレがあるのは気にならナイが
人類史としたら100年もズレてたら嘘になってしまう
神は1,000年生きるだろうが人は100年も歳をとらずにはいられナイのだ

だからフェニキア人の史実を誤って神話に取り入れたために
神話としても不確実性を露呈してしまってるのがなんとも惜しい気がするのだ

ちなみにゲルハルト・ヘルムの『フェニキア人』によれば
確かにビブロスの遺跡は他のレバノン海岸沿いの都市と比して最も古く
最古で紀元前4,500年頃の村落跡が発見されてるが
イシスが訪ねたような王宮となると村落などではなく
もっと都市化された紀元前2,900年頃より以降と想定されるので
エジプト第1王朝(紀元前3,100年頃)よりも新しい

そもそも同じく『フェニキア人』によればビブロスの呼称は

ブブロスあるいはビュブロスは単に、強大なフェニキアの共同体の名というだけでなく、また、パピルス、すなわち紙の原料を表わすギリシア語でもあったのだ。のちに、それからビブリオン、すなわち本という表現ができ、最後にルナンが集中的に研究していた聖書(ビブル)になった。

パピルスあってこその名称でそう呼んだのも古代ギリシア人てコトは
少なくとも紀元前2,000年以降と更に新しく想定せねばなるまいて(゚*゚;)

対するイシスとオシリスの年代の古さだが
まず混沌からアトゥム=ラーが生じて
シュー(空気もしくは大気)とテフヌト(蒸気もしくは湿気)を産み
シューとテフヌトがゲブ(大地)とヌト(天空)を
ゲブとヌトがイシスとオシリスを産んだとされてるのだから
実はエジプト第1王朝とかのレベルではナイのだ

それはそれとしてイシスとオシリスが1,000年以上とか生きてて
それより前の世代は億単位の年数を生きてるとすると
科学史とはある意味で辻褄が合ってるのだが?!

ゲブとヌトが生まれたのはその名の通りに大地と天空ができた時で
シューとテフヌトが生まれたのは地球ができた45億年前で
アトゥム=ラーが生まれたのはビッグ・バンとか?!

古代エジプト人が地球外生物かと疑われる所以はこの創世神話かΣ(゚д゚lll)ガーン

『王様の耳はロバの耳』と言えば
日本ではイソップ(アイソポス)寓話として知られてて
自分の世代だとミュージカルで観てたりするのだが
元ネタはギリシア神話のエピソードの1つだ

ロバの耳をした王様がいてそれを秘密にしてる
そんな前フリで物語は始まるのだが
王様がなぜロバの耳をしてるのかの説明は一切ナイのが常だ

King Midas and the Golden Touch

実は王様の名前はミダスと言い
太陽神アポロンの竪琴と牧神マルシュアスの葦笛で
演奏を競った際にマルシュアスを応援してて
マルシュアスが負けたので
お前の耳はおかしい、そんな耳はこうしてやるるる~
と、アポロンによってロバ耳にされたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

アポロンはオリュンポスの12神に数えられてる神で
言わば神々の中でも代表格なのだが
それに比して、牧神マルシュアスは「神」の字は付くが
酒の神ディオニュソス(バッカス)の従者でしかなく
この勝負は音楽自体よりも演者の格からして
奏ずる前から勝負が決まってる気がしなくもナイ
ましてやアポロンは太陽神で音楽の神でもあるのだからして!

なので、完璧主義者のクラシックの演奏家に
快楽主義者のロック・ミュージシャンが挑むようなモノだが
それにしたって負けたマルシュアスの生皮を剥いだり
応援してた人間をロバ耳にするとは酷いp(-_-+)q

まあアポロンは人でなく神なので
むしろまさに「人でなし」なんだがなw

この挿話の教訓てのは
ロバ耳にされたミダス王は単なる聴衆でしかなく
一国の王ではあっても
音楽に関しては素人でしかナイのだから
彼に許される音楽に対する意見は
好きか嫌いかの個人的見解の範疇までで
間違っても第三者的に「評価」をしてはいけなかった・・・
そういうコトなのかね?

ギリシア神話では神に対して人間は一律に低位の存在で
人間社会での地位や名誉を得て
驕りや不遜を抱いてる者は
手厳しい制裁を受ける憂き目に遭う

音楽の神アポロンの完璧(なはず)の演奏より
牧神=山羊男のマルシュアスの方が劣ってる(はず)
なのに、たかが人間ごときが
その歴然とした勝敗に口出しをするのはタブーだったのだ

具体的にどんな演奏だったのかは不明なので
実際に聴いて自分がどちらを好むかは
自分自身にもわかりかねるがね
なんてのは現在日本人だからほざける戯言なのだよ(-_-;)

個人的にはアポロンは格別に好きな存在なので
その演奏を聴ける機会に恵まれたとしたら
それだけでもう拝んでしまうしかナイし
どれほど優美な旋律なのか
想像してるだけでも陶酔できる・・・ホゥ(*-∀-)

でも少々酔いどれのマルシュアスの調べに合わせて
くるくると回って陽気に踊りながら呑むのも
愉快そうだとも思われ♪

絶対的に優れてるのはアポロンだとしても
自分はマルシュアスにも好感が持てるかもしれナイので
ロバ耳にされたミダス王には同情を禁じ得ナイね

想像するにミダスは
王様だけあって育ちが良過ぎたのだろう
プライドの高い相手を憤慨させてしまうと無駄に恨みを買うだけ
そういう苦い経験をしておらず
畏れずに素直な感想を言ってしまったのだろう
それにしたってアポロンは横暴過ぎるがな・・・

自分は音楽に関しては
よく言えば音痴で、はっきり言えば音感なんか全然なくて
曲の出来の良さなんてのはまるでわからん人種だ

それでも音楽に対して歴然とした嗜好があるのは
音楽を構成してる要素以外の部分で
ぶっちゃけ、好感持てるかどうか、だけで選別してるるる~

ノリやすい調子の良さに踊ってみたり
うっとりとしてくるような繊細さや可憐さに目を瞑って心酔したり
心の中を白南風が吹き抜けるような清々しさに一緒に歌ってしまったり
反対に心の中の澱を吹き飛ばす破壊力に合わせてヘドバンしたり
そうして気に入った曲を物凄く愉しんではいるが
絶対音感ある人や音楽が理論的に解かる人には
こういう感覚ってあるのかナイのか
なかったとしたら謎なんだろうか?

ミダス王がどれほど音楽を聴き分けられたのかは不明だが
聴き分けられナイ人間には音楽を愉しむ価値もナイと
その権利を奪うのは音楽の神として正しいんだろうか?!

古代ギリシアではこの物語が
教訓を知らしめる説話としてあったらしく
驕り高ぶり、神に逆らったり
賢者に物言う者は必ずや罰が下り
マルシュアスのように生皮を剥がされたり
ミダスのようにロバ耳にされたり
そんな悲惨な目に遭うと・・・
それにしても戒めの域を超えた残虐さだが。(´д`;)ギャボ

だいたいにおいて演奏する人間(もしくは山羊男)は
何のためにそうして素晴らしい音を奏でるのか?

奏者自身も含めて
その演奏が必要だからで
なぜ必要なのかは癒しとなるからだ
愉しむのも愉しむコトによって最終的に得てるのは癒しなのだ

悲劇の誕生―ニーチェ全集〈2〉 (ちくま学芸文庫)

ところで上記のアポロンとマルシュアスの奏でる音の対比は
ニーチェの言うトコロのアポロン的、ディオニュソス的と置き換えるのは早計だが
プルタルコスの『モラリア【5】』に収録されてる「デルポイのEについて」に
素晴らしい見解の引用の記載がいくつかあり
それによって自分の想像が全く見当外れだと気がついた(滝汗)

エウリピデス

ステシコロス

ソポクレス

ところでジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の
「バースの女房の話」の中にこのロバ耳の王様のエピソードがあるが
チョーサーは王様の秘密を唯一知ってるのは床屋でなく奥さん(王妃)としてて
壺ではなく泉の水中に告白してしまうとしてるるる~

しかもこの挿話の続きはオウィディウスを参照するように促してて
こちらは通常通りに秘密を知ってるのは床屋で
掘った穴に秘密を漏らすとその穴を埋めた後に葦が生えてきて
その生えてきた葦が風にそよぎながら囁いて秘密をばらした、としてる

また【葦】なのかヽ(゚∀。)ノ