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電子書籍を購入するようになって
特にSONY Reader Storeで購入する場合には
月初にまとめて購入するのが習慣づいた

まとめ買いで特典ポイントがもらえたりするのだが
その期限が当月の月末だったりするので
月末近くに購入してもらったせっかくのポイントを
うっかり使わずに期限切れにしてしまう可能性大だからだ

朝はたいてい遅くても4時起きで
でも6時頃までは寝床で読書をしてるのが常だ

それが今朝は余りの寒さで落ち着かず
早めに起き上がって居間でヒーターを炊いて
ふいにテレビを点けると(そんなコトは滅多にナイのだが)
画面に映し出されたのはイアソンとメデイアで
あとから調べてみたらBBC地球伝説の
『ギリシャ神話の英雄たち【2】アルゴ号の大航海』だった

アルゴ探検隊の大冒険 [DVD]

寝る前に悩みに悩んでアマゾンでポチしたのが
京都大学学術出版会の『セネカ悲劇集【2】』だったのだが
これには『メデア(メデイア)』が収録されてたのだ!

朝食を済ませて半身浴をしながらまた読書をしてたが
単に先月購入した中で全くの未読状態だった数冊の中から
選んだのは『ラテン語の世界―ローマが残した無限の遺産』
目次にセネカの項があったのでそこから読み始めると

゚+。:.゚シンクロ(*゚Д゚*)キタコレ゚.:。+゚

セネカの『メデイア』について書かれてた!!

異類婚姻譚、だそうな(゚ ゚;)

若い日の恋愛のゆえに人間の妻となり、人間界に移り住んでそこになじもうとした魔女が、やはり人間に裏切られ、その超能力で彼らを壮烈に罰して故郷へ戻っていく物語

として『雪女』を引き合いに出してるが
自分からすると『雪女』も実は人間だったと思えるがな(-_-;)

雪女 (日本の童話名作選シリーズ)

メデイアは王女の身分ではあったが
ハッピーエンドの御伽噺にありがちなお姫様とは
余りにも様相が違ってるのは誰の目にも明らかだろう

特に異質なのは恐らく
いや、きっとお世辞にも見目麗しい王女ではなかったのだ。(´д`;)ギャボ

魔女とされるほどに薬草について博識になるには
様々な薬草を採集してきては煎じたりしなくてはならず
蝶よ、花よ、とちやほやされるような美貌の王女の所業ではナイw

現代においてもこれは変わらナイ事実だが
美しい女性ほど自身を着飾っったりするのに夢中で
より美しく見せる以外には一切の興味を持たナイモノなのだ

メデイアは良縁に恵まれずに婚期を逃してたからこそ
とはいえ、当時ならせいぜい二十歳を過ぎたくらいだろうが
そこに現れたどこの馬の骨ともわからナイイアソンでも
身を捧げる覚悟ができたワケだなヽ(゚∀。)ノ

ましてや親兄弟を裏切ってまでイアソンに尽くしたのだから
それは助けてあげた見返りとしてなら
自身を妻として迎え入れてくれると信じてたに違いナイし
裏を返せば、恩を売った見返りにしか夫を望めナイと
メデイア自身が己を見限ってたと思われ

だからメデイアもイアソンを愛してたってよりは
自身の身の上を案じて画策して妻になったのではなかろうか?

イアソンの方はもちろんメデイアに恋なんかしていようはずもなく
ただひたすら目的のために手段を選んだだけに過ぎナイのは
言うまでもナイが(-人-;)

そんな2人だが思惑通りにコトが運んだので
メデイアはイアソンの妻となり、子も生したのだったが
イアソンにしてみれば、まずは王位奪回をして
人生はそこから華々しく再スタートをする予定だったのだろう

メデイアはその先もイアソンを夫として生きる決心ができたろうが
イアソンにとってはメデイアは踏み台でしかなかったと
目的を達成して気づいてしまったのだろうな。(゚д゚lll)ギャボ

しかも元より美しくもなく、てか、どこか不気味さがあった女が
年増(25歳も過ぎれば年増だったのだよ)になって
疎ましさしか見出せなくなってしまった時に
若く美しい王女と巡り会ったイアソンが
その王女の方がメデイアよりも自身に似つかわしい相手として
妻に迎えたい(=メデイアとは別れたい)と願うのは
英雄の自負があるだけに至極当然だ・・・

が、しかし、なぜ英雄になれたのかって
これが100%に程近くメデイアの助力なのだが
男は立身出世をすると勘違い甚だしく傲慢になり
それまで支えてくれた女に対して非情になるのが世の常だ

王女メディア HDニューマスター版 [DVD]ギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

とにかくメデイアがイアソンを本トに愛してたのだとしたら
愛の結晶である子供を殺したりしナイのは間違いナイ
捨てられてなお愛する相手との唯一の繋がりをどうして断ち切れようか?
だからこそ子供を殺すコトで断ち切りたかったのか???

メデイアはイアソンを愛してなかっただろうし
全てを懸けて(犠牲にして)夫にしたイアソンに対して
他の女に走ったくらいで復讐しようなどとは思い至らなかっただろうに

エウリピデスの子殺しの演出はやり過ぎだし
その後、セネカ然り、皆、メデイアに子殺しをさせてるが
そうしてメデイアに、つまり女に戦慄させるコトで
イアソンの正当性を、しいては男の沽券を守ってるだけのような気がするるる~

エウリピデスの『トロイアの女たち』の新訳が
なぜか、突如として昨年末に出てた

そう、なぜ、エウリピデスの悲劇の中でも
今、これだけが単品で出るのか、訝しく思ったが
ちょうど蜷川幸雄演出の『トロイアの女たち』の公演があり
それに合わせてだったのだろうか?!

いや、WOWOWで観たらサルトルVer.だったw

トロイアの女たちギリシア悲劇〈3〉エウリピデス〈上〉 (ちくま文庫)

そう言えば『トロイアの女たち』は
エウリピデスのなら松平千秋訳のをダブって持ってるし(※)
『サルトル全集【33】トロイアの女たち』を
神保町の古本屋で奇跡的にゲトできたが
肝心のセネカ版が未だ手元になかったと思い出した
ちくま文庫のギリシア悲劇【III】エウリピデス(上)筑摩世界文学大系【2】ギリシア・ローマ古典劇集

セネカの『トロイアの女たち』は
京都大学出版の西洋古典叢書の『セネカ悲劇集』に収められてるるる~

セネカ悲劇集〈1〉 (西洋古典叢書)

セネカ悲劇集【1】
狂えるヘラクレス(小川正廣訳)
トロイアの女たち(高橋宏幸訳)
フェニキアの女たち(大西英文訳)
メデア(小林標訳)
パエドラ(大西英文訳)

セネカ悲劇集【2】
オエディプス(岩崎務訳)
アガメムノン(大西英文訳)
テュエステス(宮崎徳也訳)
オエタ山のヘルクレス(竹中康雄訳)
オクタウィア(木村健治訳)

【1】は『トロイアの女たち』以外にも
『フェニキアの女たち』も『メデア』も『パエドラ』(※)も
エウリピデスと比較して差異を読み解きたい
エウリピデスの『ヒッポリュトス』に当たる、ラシーヌだと『フェードル(とイポリート)』

しかし最も興味深いのは【2】の『オクタウィア』だ!
なんせセネカのオリジナルでネロが題材の史劇なのだからして!!

久々にアマゾンで両方チェックしてみたら
【2】が半額以下で出品されてたのでそっちをポチったった♪
トロイヲタとして【1】も絶対いつか購入するだろうがw

とりあえず蜷川の『トロイアの女たち』はサルトルに倣ってたが
現代日本人の常識の範疇に「トロイ戦争」はナイので
そりゃあ誤解のナイようにポセイドンが説明せねばなるまいて
改めてサルトルの手腕に脱帽しつつ
蜷川の奇異なアイディア(3ヶ国語でコロスを繰り返し)にも
よくもこんな鬱陶しいコトをやり通したモノだ
と、感心したし、感動した。・゚・(ノД`)・゚・。

☆・・・☆・・・☆

蜷川はちょっと前に『トロイラスとクレシダ』もWOWOWで観た(※)が
シェイクスピアの全作をオールメールでって試みの一環で
その発想からして素晴らしいと思ったね
しかも『トロイラスとクレシダ』は中でも1番厄介だったろうに
納得の行く出来映えだったのには度肝を抜かれた。(゚д゚lll)ギャボ
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/102292/

クレシダには穢れを知らナイ澄んだ美しさがあり
絶世の美女ヘレネの方が蠱惑的ではあるが
決して見劣りはしナイ美貌なはずと思われ。(´д`;)ギャボ
その点、2人とも性別を乗り越えた以上に美的に釣り合ってたが
恐らく女性がやると想像すると
主役のクレシダはでしゃばって美貌から儚さを失するだろうし
ヘレネも美しさよりいやらしさが目立ってしまいそうだ(-_-;)

でも何よりもカサンドラにはぞっとさせられた
『トロイアの女たち』でも運命に憤り、怒りながら舞うカサンドラがいたが
『トロイラスとクレシダ』のカサンドラの方がしなやかな動きで
巫女の資格を失った悲しみが舞踏に表現されてたし
狂気もそれらしく見えた

基本的にカサンドラは狂ってるのではなく
予言を口にすると狂ってるように見えてしまうだけだから
発狂してるだけだと白けてしまうのだよ
カサンドラはアポロンから予言の術を授かったが
引き換えにアポロンの恋人になる約束だったのを破ったので
それでアポロンによって予言が信じてもらえナイようにされたのだ

☆・・・☆・・・☆

宮本亜門の『サロメ』もWOWOWでやってて(※)
観る前はキャスティングに仰天したが
もれなく多部未華子ちゃんのサロメこそがサイコーだった
サロメは無垢ゆえに残酷なのだな・・・
参考URL:http://www.wowow.co.jp/pg_info/detail/101601/

サロメ (岩波文庫)

古典劇はハリウッド映画とかブロードウェイ・ミュージカルでも
原作の魅力が減退しまくりなのが多くてウンザリするが
日本の新劇が魅力を損なわずにやってるなんて
目にするまで思いもよらなかったね

とにかく戯曲は本で読んでるより
舞台で演じてるのを観る方が断然゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
てのは、当たり前かヽ(゚∀。)ノ

ここは一つ、宮本の『キャンディード』のDVDを購入すべきか?!

ポーランドの作家シェンキェヴィチが
古代ローマ世界を克明に綴った歴史小説『クオ・ワディス』では
実在した登場人物の中でもとりわけ皇帝ネロと側近のペトロニウスについて
仔細に渡って活き活きと描かれてるので
どこまでが創作なのか、その典拠を確認してみたくなった

児童版『クォ・バディス』の巻末の「解説」には次のようにあった

スエトニウスという歴史家が書いたローマ時代の本を参考にして、1896年、この世界的な傑作、「クォ・バディス」を書きあげたのでした

しかし『ローマ皇帝伝(下)』にはネロについては詳述されてるものの
ペトロニウスの名は実際1度も出てこナイ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

自分の知る限りではタキトゥスの『年代記(下)』において
3ページ弱で綴られてるのみが人物像の全貌だ

1.昼日なか眠って、夜を享楽に生きた
2.無精、無頓着だったが、それが天真爛漫と見受けられた
3.激務も全うした精力家だったが、背徳者を装いネロを誑かした

1.昼日なか眠って、夜を享楽に生きた

Up all night, sleep all day, that's right♪

欲望のターゲット

Slaughterの曲にはまさにそんなペトロニウス節があったなw
これは簡潔に表現すれば「不良」だったってコトだが
社会的地位が高くして「不良」てのは潔くて゚+.(・∀・)゚+.゚イイね
ネロなんかは皇帝にしてアナーキストだからカッコ゚+.(・∀・)゚+.゚イイのだ

なんせいくらローマが退廃してたとはいえ
当時のローマ市民の日常生活は現代人には考えが及ばナイ健全さで
日の出と共に起きて、陽が沈んだら寝るしかなかった

当たり前ながら夜は真っ暗なのだよ
電気がなければ蝋燭の灯りだけが頼りなので
そんな時代に夜を愉しむのだから
灯りの設備に無駄に金をかけてた=贅を尽くしてたのだ

尤もペトロニウス自身も不道徳な金持ちだったが
ペトロニウスが自腹を切るようなコトは稀だっただろう
ほとんどの遊行費は、その不道徳の限りを一身に享受するネロが
国庫から無尽蔵に浪費してたと思われ

だいたい、金銭的ヨユーがあるからこそ
一切の道徳観念を無視して愉しみに耽溺できるワケだがね
そしてかつてのネロを指導した哲学者セネカこそが
実は破格の金持ちだったりするるる~

2.無精、無頓着だったが、それが天真爛漫と見受けられた

これこそがペトロニウスの真価だろう
無精とか無頓着とかは鵜呑みにすると全く的を得なくなるが
ペトロニウスの場合は何に対してもそうだったのでなく
興味の範疇以外がそうだったのだよ
そしてそのコトが天真爛漫と見受けられたのは嫣然としてたからだろう
嫣然、ってのは通常は美女の微笑を表現するのに使う言葉だが
ペトロニウスくらいの粋人(すいじん)には似つかわしい

粋人の意味を説明するほど無粋なコトもナイが
読んで字の如く粋な人で単なるインテリでなく遊び心がある人だ
教養があってもそれを万人にひけらかすコトなく
わかる相手にだけ仄めかし、わかった同士だけが納得するのだ♪

その点セネカはペトロニウスよりは生真面目だったから
ネロの放縦を横目に見過ごしつつも内心は気を揉んでただろうが
そんなセネカに対してもペトロニウスは臆するコトなく
嫣然とやり過ごしてたのを傍から見れば
なるほど、天真爛漫に映っただろう

年代記〈下〉ティベリウス帝からネロ帝へ (岩波文庫)

3.激務も全うした精力家だったが、背徳者を装いネロを誑かした

タキトゥスはペトロニウスを「贅沢の通人」と表現したが
資産を食い潰してる文字通りの大食漢や
無目的に放蕩に身を任せてるだけの能無しとは違って
世間から反感を買うようなコトはなかった、と言及した上で
ペトロニウスのそれまでの職歴を示し
出世街道を着実に歩んできてるのをその証拠としてる

つまりタキトゥスに言わせればペトロニウスは
「不良」のように振舞っても、本来は役職に就いてた人間なので
背徳者を装って、ネロを誑かそうとしてたに違いナイ、となるが
タキトゥスは【趣味の判定者】の意義がわかるほど
歓楽的に生きてなかっただろうし、洒落を解せなかったかもだ

ペトロニウスの教養は単なるインテリ趣味に非ず
完璧に洒落のめしてて、素地があるくらいではついてけなくて
ネロはある程度まではわかったので夢中になったのだ!
お追従にうんざりしてたであろうネロには
多少辛辣でも刺激的な方が新鮮で愉しめたのだな

基本的にはイベントは金をかければより一層おもしろくなる
どんなつまらナイ企画でも金をかけられるだけかけたら
たちどころに愉快になるのは間違いナイのは
現代においても変わらナイ事実であって
金を湯水のように使いながらバカ騒ぎする、なんてのは
誰もが1度は試みたい、とは思う

ところがそんな誰もが夢見るイベントも
毎晩やってると日に日に面白みは減退してくのだ
日々イベントをやり続けるには実際、金の力より企画力で
ペトロニウスの企画はネロさえ飽きなければそれで゚+.(・∀・)゚+.゚イイ
そうしてペトロニウスはネロの魂に火を点けたのだ!!

ネロの本質的な趣向を見抜いて
見合ったイベントを次々と計画し、催し
自身も愉しんでた、それがペトロニウスの実態なのでは?!

悪評の尽きナイローマ皇帝ネロだが
自分はどうも人としての興味が尽きナイw

ネロは若い皇帝らしい傍若無人さを発揮してて好感が持てるが
皇帝になる前からネロの師傅(しふ)だったセネカと
趣味の判定者としてネロの側近になったペトロニウスが
彼らの著作を読めばわかるがネロ以上に奇人変人で魅力的だ

ストア派哲学者として現代に至るまで名の知れたセネカも
自然現象についての考察をまとめてるかと思えば
ギリシア悲劇風の戯曲を書いてたりしてて
しかもこれらがヲタ全開なのも非常に興味深いが
哲学書にしても深読みすればなかなか人間臭くて小気味良いのだ

ペトロニウスの小説『サテュリコン』はもっとわかりやすくて
ラテン文学における悪徳の金字塔、とでも言おうか

『サテュリコン』は酒池肉林享楽放縦悪徳残忍・・・etc.
ローマの退廃の限りを尽くした描写が絵にも描けナイおぞましさで
フェリーニによって映画化(※)されてるが
さすがの自分も冷や汗が出るような変質者のオンパレードで
まともな人間が観たら夢見が悪くなるコト必至だ
映画の邦題は『サテリコン』

シェンキェヴィチの歴史小説『クオ・ワディス』には
ペトロニウスが『サテュリコン』を
甥のウィニキウスに買い与える場面があり
作者が誰なのかはネロにはバレてナイ、とゆー設定なのも面白い

悪徳の宝庫のような「トリマルキオの饗宴」なる宴の
主催者トリマルキオのモデルがネロなのは火を見るより明らか(※)だが
このモデルの起用はまともな人間ならば憤慨するだろうし
当然ながら皇帝である者には侮辱ともとれるだろう
ペトロニウスがネロを槍玉に挙げた、とはネロにはバレてナイ、としてるのだ
ネロもペトロニウスも何もコメントを(残)してナイので史実としては謎ではある

自分の見解では、モデルはネロで、自身もそうと知ってて
内心では不満に思いつつも面白がってるフリをしてたのでは?

酷過ぎると思う部分にネロはぶるぶる震えながらも
洒落だ=面白がれ、とペトロニウスがすまして示唆すれば
恰好つけて無理して洒落のめしてたりしてw
そんなネロの様子をペトロニウスは内心では嘲笑ってたりしてwww

ネロ、カワ゚+.(・∀・)゚+.゚イイよ、ネロ~!!

皇帝としてどうかではなく
アーティスティックかつエキセントリックな若者として見た時
どうしても嫌いにはなれナイのだが!

粋人(すいじん)だったペトロニウスからしても
頭の硬い年寄りの政治家や血気盛んで無教養な軍人の中で
下衆な噂話か、無味乾燥とした政策論か、血生臭いだけの武勲・・・
そんな聞きたくもナイ話ばかり聞かされて
瑞々しい感性をすっかり干からびさせてたネロが
孤独に耐えるいたいけな少年に見えたに違いナイと思うのだ

そしてついかまいたくなったってくらいの出来心だったのだろうが
ペトロニウスのめくるめく快楽への誘いは
若く多感なネロにとってどれほど魅惑的に感じられたコトか

それまで皇帝としてのネロが発揮できずにいたモノを
ペトロニウスがけしかけて解放してしまったのだ
うむ、それだけのコトだと思われ

国費を散財してる時点で既に不道徳の極みゆえ
その金で何をして遊ぼうがいずれ真っ当とは言及しようもナイが
やってるコトが自著『サテュリコン』の如き世界観を反映してたなら
それはもう筆舌に尽くし難い悪徳に違いなく
その現場はきっとフツーの人間なら卒倒しかねナイし
生真面目なストア哲学者なら憤死しそうだ!

セネカは憤死はしなかったが一緒に愉しめなかったぽい
剣闘士の試合を非難したりしてるし

食べるために吐き、吐くために食べているのだ

この有名な嘆きもセネカの言だ

ローマはなぜ滅んだか (講談社現代新書)

そしてセネカは弓削達著の『ローマはなぜ滅んだか』によれば
ローマ帝国に長者番付があれば常連として名を連ねてたに違いなく
具体的にはその財産が3億セステルティウスほどだったそうだ
概算で40万セステルティウスが1億円ほどに当たるから
どれほど金持ちだったのだ・・・バタリ゙〓■●゙

そんなセネカは財産に対してこんな言い訳をしてる

財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあるが、愚者にあっては支配者の地位にある

ストア派なら財産を持ってても悪徳には染まらナイって?!
まあそういう言い訳がましいトコロも含めてセネカは好きだがね

その点、ペトロニウス自身は案外シニカルに愉しんでたのでは?
エピキュリアン(快楽主義者)でなくシニック(犬儒派)!

しかしネロがペトロニウスに感化されるのは至極当然の成り行きだな♪
とか、ほくそえむ自分は不道徳な人間だろうかね

キリスト教徒はかつて信者が罰せられた遺恨から
ネロを目の敵にして悪の権化に仕立て上げようと躍起だが
ポーランド独立運動に従事したシェンキェヴィチは
そういうキリスト者の一般論を利用して
『クォ・ヴァディス』でネロを圧政者として描いてるのだろう

それにしたってキリスト教信者が胡散臭いほど清廉潔白で
ネロがローマの大火の真犯人だと脚色するのはやり過ぎだと思うが
それ以上にアーティスト、あるいはエンターテイナーとしても
ネロを侮り過ぎてる気がするのは自分も侮ってたからだ

年代記〈下〉ティベリウス帝からネロ帝へ (岩波文庫)ローマ皇帝伝 下 (岩波文庫 青 440-2)

死に至るその時に『イリアス』の一行が口をついて出たと
タキトゥスの『年代記』にもスエトニウスの『ローマ皇帝伝』にもあるし
実はネロは教養があり、感性も豊かだったのではなかろうか?

まずネロがギリシア通であったコトは疑いの余地がナイ
叙事詩や悲喜劇などを諳んじてたし
遂には自作の詩に合わせて竪琴を奏でてたくらいだ

しかしそういうコトは皇帝の趣味として相応しくなかった
かのアレクサンドロス大王もまだ王子であった時
竪琴を上手に奏でて父王ピリッポスに怒られたそうだ。(゚д゚lll)ギャボ
楽器を意のままに奏でるのも武術に秀でるのも、訓練の賜物だが

そこでアレクサンドロスが訓練すべきは竪琴であるはずがなかろう?!

とそういう意味で怒られたのだ

若くして皇帝となったネロとて、謡いながら竪琴を爪弾くのは
皇帝らしからぬ、と周囲に禁じられてたかもしれナイ
ところがペトロニウスが高尚な趣味としてネロに指南したりして
周囲も認めざるを得なくなってしまったとか?
しかもネロは調子に乗ってネロ祭なんて始めてしまったとw

とはいえ、ペトロニウスはタキトゥスが言うほどに
ネロを誑かすつもりも、そのために背徳者を装うつもりもなかっただろう
周囲からはペトロニウスがネロを手懐けてるように見えたかもだが
ペトロニウスはネロの若さと生来の感性からくるほとばしりを
自身も一緒に愉しみながら解放しただけに過ぎナイ
恐らく2人は無教養な人間をこきおろしてたに違いナイ

ペトロニウスはタキトゥスの『年代記』によれば

贅沢の通人として世に聞えていた

とあり、この一文からでもペトロニウスが時代の寵児であるコトが伺えるが
一種スター的存在には誰もが憧れを抱かずにはいられナイので
絶対君主であるはずの皇帝にとっても憧憬の対象であったはずだ

ネロは降って湧いたように皇帝の地位に就いてはいたが
それ以上に自身では芸術家として認められたい気持ちがあって
創作した詩や竪琴の演奏についての芸術性を
ペトロニウスに認めてもらえたらそれは嬉しかったのだ!

しかもそこでペトロニウスはお追従で濁さなかったのが
むしろネロの絶対的な信頼を得たのだろう
そして辛辣に批判されれば萎れ、よきアドヴァイスは素直に受け入れ
褒められれば天にも昇る心持ちになっただろう!!
とか、想像するだにネロがいじらしくてたまらなくなるるる~

ローマの哲人 セネカの言葉

そもそもネロがギリシア通になったのは
ネロの師セネカによるトコロが大きいと思われるのだが
史実としてセネカは自身が哲学者でありながら
ネロに対しては哲学を指南してナイ

セネカは一応ストア派哲学者としての彼が1番名が通ってるが
科学書も著せば戯曲も書いてる多才な著述家で
ネロの時代のローマでは最も学識の高い人物だったので
ローマ人が目指すギリシア的な教養をネロに授けたのだろう

残存するセネカの書簡には生活に即した先人の言葉で
相手にとって最も有効な回答を学派に拘らずに引用してたりするが
セネカのやり方は実践しながら学び取らせる人生哲学なので
ネロに対してもストア派たるように仕込むコトはしなかっただろう

そういう押し付けがましさはセネカのやり方に反してるし
加えて芸術家気質で詩を諳んじたり竪琴を奏でたりするコトにこそ
ネロの感性が迸ってるのを理解してたのかもしれナイ

裏を返せば、セネカはエキセントリックなネロを目にするにつけ
哲学を受け入れる資質にはネロはおよそ恵まれてナイ
と誰よりも感じてたかもしれナイ

それでも17歳にして戴冠したネロはたぶん
セネカが予想してた以上に立派に皇帝らしく振舞って見えた

ネロの天性の才で自覚もしてるが要はエンターテイナーなのだな
いつも役者のように芝居がかってたワケだが
皇帝を演じるのもなかなか堂に入った役者ぶりだったのだ

映画『クォ・ヴァディス』でのセネカは控えめな役ドコロだが
ペトロニウスの自殺に際した最期の晩餐の場面が印象的だ
とゆーのも、セネカもネロに命じられて自殺してるのだからね
映画にはそのシーンはナイからこそ見るに忍びナイ

とにかくキリスト教信者は「迫害された」とゆー史実に対して
狂信的な思い込みからひたすらネロを忌み嫌うが
新興宗教の流行が政府にとって頭痛の種なのはネロに限った話ではナイ
それどころか現代社会にしても変わらナイ事実なのだ
残酷さで言えば中世に教会が行った異端審問の方が酷いかと・・・

偕成社の世界少女文学全集の『クォ・バディス』を
初めて読んだのは小学生の時だったが
30年近く経ってこの本と古本屋で再会したのをきっかけに
映画で『クォ・ヴァディス』を観たのは2006年5月

クォ・ヴァディス [Blu-ray]

『クォ・バディス』から引用すれば主役のビニキウス(ヴィニシウス)は

たくましいからだとととのった目鼻だちとをそなえたビニキウスは、いかにもローマの青年貴族らしく、きびきびしていた

遠く北ペルシアの戦いにおもむき、大いに手柄をたてて凱旋した

などとあるので、原作ではヴィニシウスは
凛々しいラテン系美青年で、軍隊での出世を夢見る若者で
未婚であるコトから、恐らく20歳そこそこの設定だと思われたので
ロバート・テイラーの起用には困惑したのだが
それは単純に実年齢が倍の四十路(※)だったってだけではナイ
1951年作のこの映画出演時には1911年生まれのロバート・テイラーは40歳

趣味の権威者である叔父のペトロニウスが
彫刻家がヘラクレス像のモデルにしたがるような、と形容してるので
ヴィニシウスはヘラクレスを彷彿とさせる青年貴族で
確かに、ロバート・テイラーもヘラクレスレベルの容貌ではあるが
顔に瑞々しさがナイのが致命的に役に合ってなかったのだ。(゚д゚lll)ギャボ

なんせ惚れた女に洗脳されて、改心してキリスト教徒になり
持ち前の正義感を発揮して、仲間の救出に尽力するようになるのだが
結果、叔父ペトロニウスを裏切り、皇帝ネロに反目する

簡潔に表現すれば青二才なのだが
ローバート・テイラーではとてもそうは見えん。(´д`;)ギャボ
女のために信念を曲げるなんて以ての外だろうし
そもそも胡散臭い新興宗教にかぶれてるような女は相手にしナイだろうw

それに加えて、往年の超A級ハンサム俳優だったのが鼻についた
てか、推測するに年を追う毎に人気が低迷してきたので
起死回生を懸けて身体を鍛え上げてアクションスターへ転向(を計った第1作目)
らしい意気込みが見て取れてしまうのが痛かった

とはいえ、顔が引き締まってもまだ甘さを兼ね備えてて
その辺りがこの人の最大の武器なんだろうが
どんなに荒々しく傍若無人に振舞ってもいかんせん甘いのだ!
そこに頑なな聖少女さえもつい心を許してしまうのはわかるるる~!!

こうしてヴィニシウスの年齢設定があがったせいで
相手役の年齢設定もあがったのだろう
『クォ・バディス』にはアウルス将軍の息子とボール遊びをして
頬を紅潮させてるリギア(リジア)の挿絵があったので
せいぜい16~17歳と推定してたが演じてたデボラ・カーは当時30歳ヽ(゚∀。)ノ

尤もその神々しいまでの美貌で年齢を超越してたし
リジアを本トに10代の少女が演じてたら
ヴィニシウスとのロマンスに無理があるだろう

緑園の天使 [DVD]

また『クォ・バディス』によればリジアの容貌は

黒いふさふさした髪を持ち

夢の楽園の天使のよう

などとあるので、『緑園の天使』でのエリザベス・テーラー(※)を思い浮かばせてて
ブロンドのゴージャス美人のリジアには面食らったのだが
所詮ヴィニシウスとリジアは架空の人物だから
ハリウッド風だとこれで゚+.(・∀・)゚+.゚イイのかもな
映画『クォ・ヴァディス』を検索してたら、リジアに扮してるリズの写真を発見!
う~ん、『緑園の天使』の頃ならよかったけど、この頃はもう色っぽ過ぎてリジアにはミス・キャストだ

デボラ・カーはこの後『ジュリアス・シーザー』にも出てて
ブルートゥスの妻を演じてて圧倒的な美しさを誇ってる
『黒水仙』での尼僧姿も、『キング・ソロモン』での探検家スタイル(?)でも
その美麗さには遜色がなく、むしろ装飾を取り払ってしまってこそ
この人はますます光り輝いて見える本物の美女だが
『クォ・ヴァディス』ではキリスト教の敬虔な信者で不遇な身上(※)ゆえに
その美しさには泥沼に咲く蓮のような清らかさが満ちてる
リジア国(もしくは民族)の王(あるいは長)の娘で戦争孤児

また、バレエをやってた人特有の無駄な脂肪がナイ肢体を
三十路過ぎても保ってて、特に二の腕は賞賛に値する・・・ホゥ(*-∀-)

主役にロバート・テイラー、相手役にデボラ・カー
このキャスティングだけでハリウッド映画としては既に成功してるが
歴史大作としてはやはり主役の美男美女だけでは納得できナイ
ネロ、ペトロニウス、セネカ、ペテロなど
実在した人物のキャスティングの妙にこそ真価が凝縮される

自分はキャラ的にペトロニウスが大のお気に入りだが
レオ・ゲンのペトロニウスは奴隷のユーニスとセットでよかった
てか、ユーニスが良過ぎた、美し過ぎるのだよ

ネロはローマ皇帝の中では1番好きなのだが
ピーター・ユスティノフのネロもなかなか可愛くて
ポッパエアの毒女ブリと好対照だった

惜しむらくはもう少しセネカに活躍して欲しかったが
まあ史実的にもローマの大火の前に隠居してたからしかたナイ

但し、ローマの大火でネロが火付けを指図した、てのは
歴史的事実に反するだろうがね
だいたいネロに対する誹謗・中傷はキリスト教徒の陰謀でしかナイ

そんなコトを言ってる自分も初めて読んだ頃には
まだ世界観が確立してなくて流されがちだったせいか
迫害されるキリスト教徒に同情を禁じえず
逆にネロが悪の権化だと真に受けそうになってたのだがねw