毒書週間

毎年11/3の文化の日を挟んで2週間が読書週間だが
常日頃、隙を見ては本を読んでるような人間にとっては
むしろ意識しづらいイベントだったりする

それでも今年は3連休で呑みの予定もナイので
そこは引き籠って非日常的な読書をしようと思い立った

サテリコン [DVD]サテュリコン―古代ローマの諷刺小説 (岩波文庫)

例えば、葡萄酒と乾酪を用意して
フェリーニの『サテリコン』を観ながら(繰り返しかけながら)
ペトロニウスの『サテュリコン』を通して読むとかね♪

とはいえ、連休前後は日常生活を全うしなければなので
その間には普段だったら読まナイような本を読もうかと・・・
もちろん読む意義のナイモノを読みはしナイワケで
過去に必要性を感じて読み始めたのに途中で放棄してしまった本
換言すれば、読む意義に到達できナイままになってる本を
改めて読み直そうとゆーワケであるるる~

D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』
ギョーム・アポリネールの『一万一千本の鞭』
『青髯ジル・ド・レー―悪魔になったジャンヌ・ダルクの盟友』

自分、近代の官能小説(伝記)が苦手なのだろうか。(´д`;)ギャボ

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

確かに、ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人(無修正版)』は
男女の性描写が吐き気を催すほどキツかったのでやめたのだがね
そしてアポリネールの『一万一千本の鞭』も『青髯ジル・ド・レー』も
凄惨な場面の連続で悪夢に魘され続けて断念したのだが
マルキ・ド・サドの著作なら読めるのはなぜだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

とりあえず再読してみるコトにして
既に電子書籍で購入してあった『一万一千本の鞭』から読み始めた

☆・・・☆・・・☆

それにしても今更『一万一千本の鞭』なのは
アポリネールの『若きドン・ジュアンの冒険』を読んで
こっちは何も問題なく最後まで読了できたからで
むしろ表現にツボな部分が多く、愉しく読み進めたし
余りにも清々しい終わり方には感動さえした

若きドン・ジュアンの手柄ばなし (河出文庫)
BookLive!の電子書籍版(グーテンベルク21)では『若きドン・ジュアンの冒険』となってた

そもそも『若きドン・ジュアンの冒険』を読むきっかけは
ジョージ・バーナード・ショーの『人と超人』で
これでドン・ジュアン(ドン・ファン)について再考したくなって
モリエールの『ドン・ジュアン』を読み返したりしてた際に
BookLive!で検索に引っかかったのだった

アポリネールの描くドン・ジュアンの人物像は
『一万一千本の鞭』から想像するだに恐ろしかったが
ググってみるとドン・ジュアン当人の物語でなく
映画化されたモノが日本でも『蒼い衝動』として公開されてた

『蒼い衝動』なら深夜映画で観た記憶があった
うろ覚えだが少年が家庭教師と初体験、みたいなカンジで
その原作だったら読めナイレベルではなくね?

ドン・ジュアン (岩波文庫)

怖いもの見たさも手伝って電子書籍を購入して読んでみたら
先述の通り、フツーに、いや、愉快に読めたし
モリエールの軽妙な『ドン・ジュアン』と比しても
ラストは断然こっちがよかった!
(尤もモリエールの時代には当局が検閲にうるさかったので
ましてや脚本ともなると上映禁止にされるのは不味いからってコトで
あの終わり方しかやりようがなかったのかもだがね)

とにかく俄然『一万一千本の鞭』の結末が知りたくなった!!

☆・・・☆・・・☆

最初から最後まで3日かけて読了した感想は
頑張って読んだ甲斐はあった・・・バタリ ゙〓■●゙

1万1千の鞭 (河出文庫)
BookLive!の電子書籍版(角川文庫)では『一万一千本の鞭』と「本」が入ってた

とにかく主人公のプリンス・モニイ・ヴィベスクが
あらん限りの在り得ナイ非道を尽くすのだが
汚なさの点では食欲も性欲も喪失するレベルに不潔極まりなく
潔癖症の人間に読ませたら憤死するコト間違いナシ(-_-;)
残虐さの方はさすがに読み飛ばさずにはいられナイシーンもあったが
ずっと許容範囲を超えた状態だと憐憫の情も尽きてくるし
想像しナイように思考を止めてしまうスイッチも入るようになり
機械的に文面を追ってやり過ごしてしまえたヽ(゚∀。)ノ

途中から日露戦争の戦場に舞台が移動すると
戦地に娼館があって、そこにいる日本人の娼婦が境遇を語るのだが
アポリネールはまるで日本の文化に造詣が深そうに
色々織り交ぜてきて、結果的にちぐはぐになってて可笑しいし
日本軍の捕虜となったプリンス・モニイ・ヴィベスクが
処刑を言い渡されて惨殺されるラスト・シーンは
こう言っちゃあ何だがやはり清々しかった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

一切の虚飾を剥ぎ取って、恥辱の限りを与え
息の根を止めるに飽き足らず、血肉まで削ぎ落として

さあ、この骨も露わな肉塊が人間の正体だ!
どうだ、皆いずれこうなる!!

う~む、実に清々しいヽ(´▽`)/
タイトルの謎も解けて読後は爽やかな気分にさえなったが
誤解のナイように付け加えれば、決して人間の尊厳を蔑にしてるワケではナイ
断じて・・・(-人-;)

Edward Burne-Jones Exposition

岩波書店、紀伊國屋書店、勁草書房、東京大学出版会、
白水社、法政大学出版局、みすず書房、未來社の出版社8社が
合同で「書物復権」(※)なる復刊事業に取り組んでるのを知ったのは
ジョージ・バーナード・ショーをググったのがきっかけだった
書物復権2012書物復権2013

バーナード・ショー名作集

これで復刊されたのが『バーナード・ショー名作集』
以下の代表作6篇が収録されてた

カンディダ
悪魔の弟子
人と超人
ピグマリオン
聖女ジョウン
デモクラシー万歳!

¥7,000近かったが迷うコトなく購入し
念願の『聖女ジョウン』と『ピグマリオン』を読み
併行してショーの戯曲の解説書『バーナード・ショーの劇』や
ジュール・ミシュレの『ジャンヌ・ダルク』や
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』と
梯子酒ならぬ梯子読書を大いに愉しんだ末に
奇妙なシンクロニシティに見舞われた・・・のは昨年の夏

『ピグマリオン』の第3幕に次のような一節があるのだが
この描写だけでヒギンズ夫人が趣味の良い女性であるのがわかるるる~

ヒギンズ夫人は、ウィリアム・モリスやバーン・ジョーンズの雰囲気のなかで育てられたので、ウィンポール街の息子の部屋とはちがい、家具や小さなテーブルやこまごまとした物が、雑然とおかれているようなことはない。部屋の中央には、背のない大きな長椅子が一つ。これと、じゅうたん、モリス風の壁紙、モリス風のサラサの窓かけ、長椅子にかけた錦のカバーとクッション類が、立派な装飾となっているので、つまらない物をごたごた並べたてて、その美しさをかくすことはないのである。三十年前グローヴナー・ギャラリーに陳列されていた、いい油絵が数点(ホイスラー派のものではなく、バーン・ジョーンズ派のもの)、壁にかかっている。(後略)

息子のヒギンズがヲタになったのも独身主義を貫いてるのも
きっとこの出来過ぎの母親のせいなのだろう
そんな考えを巡らせながら新宿の地下街を歩いてた際に
バーン・ジョーンズ展のポスターが目に入った

ポスターにあったペルセウスには全く興味なかったが
予感がしたのでサイトをチェックしてみると
ウィリアム・モリス商会で製品化したタペストリーが展示品目にあった!
バーン・ジョーンズに原画を描かせて刺繍させたタペストリー・・・ホゥ(*-∀-)

シンクロニシティだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

これだけでも手芸好きの自分には観に行く理由として十分だったが
連作『ピグマリオン』も一揃い(4枚)あるらしい!!

シンクロニシティしまくりだ((((; ゜Д゜))) ガクガクブルブル

そもそもバーナード・ショーの『ピグマリオン』は
モリス夫妻によってインスピレーションを得て描かれたに違いナイ
とゆーのもウィリアム・モリスの妻ジェーン・モリス(旧姓バーデン)は
バーン・ジョーンズとロセッティによって見出されたモデルで
ウィリアム・モリスにもモデルとして紹介したトコロ
2人が恋に落ちて婚約してしまったのだが
この婚約→結婚の間に恐らく極貧で教育を受けてなかったジェーンは
上流社会の一員としての教養を一から身につけた・・・
なんて、まるで『ピグマリオン』のイライザそのものだ!!

☆・・・☆・・・☆

会場に着いてすぐの展示室へ向かうエレベーターの前に
連作『ピグマリオン』の一部のプリントがでかでかと貼られており
この迫力に比べたら実物はしょぼいかと思いきや
そこは連作ならではの見応えだった
(唯一、女神が鳩を踏んづけてたのが気になったのは自分だけかね?)

しかしラファエル前派は一見すれば繊細な作風なのだが
ダヴィンチのような精密さには事欠いてて
背景の花などがワリと杜撰に描かれてたりするので
近寄ってじっくり愉しむよりは遠見で全体的に観るとか
現代ならネットで観るのにうってつけだと思われ

それに比してタペストリーは期待以上に素晴らしく
絹糸1本の寸分の狂いもナイのに感動した。・゚・(ノД`)・゚・。
改めて考えたらウィリアム・モリスは日本の柳宗悦みたいな人なのだな?!
美意識にお国柄がそれぞれ表れてるのでそこに違いがあるが・・・

またジェフリー・チョーサーの『チョーサー著作集』の
ウィリアム・モリス商会によるケルムスコット・プレス刊(※)があり
豪華装丁本の現物を目にするコトができたのは収穫だった♪
※LINK:ケルムスコット・プレスの『チョーサー著作集』

おみやげには『ピグマリオン』連作のワイドプリントにブックマーク
そして『チョーサー著作集』のポストカードとノートにしたが
もしケルムスコット・プレスのグッズがなければ図録を買うつもりだった
自分は究極的には紙の書物が何にも増して好きなようだw

↑改めてじっくり見てみたら『Troilus and Criseyde』だった(゚ ゚;)
これチョーサー版は『トロイルスとクリセイデ』だけど
シェイクスピアになると『トロイラスとクレシダ』になって
逆にボッカッチョのはタイトルが『フィローストラト』でトロイオロとクリセイダ
もちろん時代順にボッカッチョ→チョーサー→シェイクスピアだ

あとの2枚は残念ながら何かわからなかった・・・うぅ(-_-;)

Saint Joan, Pygmalion

2012年にWOWOWでジャンヌ・ダルクの映画をやってたのだが
主役がミラ・ジョボヴィッチでもイングリッド・バーグマンでもなく
原作はジョージ・バーナード・ショーだった

ジャンヌ・ダルクは100年戦争の時代に実在してはいるようだが
天の声(※)を聴いたとか、オルレアン解放軍に女の身で参加したとか
非現実的な所業がどうにも信じ難い人物だ
結果として、オルレアンは英国軍から解放され
勝利に対するジャンヌの貢献度はともかく
異装の(男装してた)ジャンヌは異端審問で火炙りにされてて
それがなぜか500年以上も経って、近代に至ってから聖人になってて
その辺りの事情もまた胡散臭いのだが
フランス人は元よりヨーロピアンには英雄視されてたりするし
カトリック教徒は聖人の一人として受け容れてる
天の声の主は聖人で、オルレアン包囲の際には大天使ミカエルの声を聴いたそうだ

でもバーナード・ショーの戯曲『聖女ジョウン(原題:Saint Joan)』では
イギリスで上演されるべく書かれたモノだからか
ジャンヌは英雄としても聖人としても扱われておらず
刑死後、魂が天国に行けずに彷徨い続けてて、化けて出てるヽ(゚∀。)ノ

そんなジャンヌの最後の科白は神への祈りだったのだが

早く天国へ導いてください(-人-;)

とキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !

ショーらしい皮肉が効いてて
一緒に観てたとーちゃんと大爆笑しながら画面に大喝采を送った

☆・・・☆・・・☆

自分は頽廃に憧憬を抱く反社会的な勤労庶民なので
大衆に媚びてるだけの娯楽作品が大嫌いで
とりわけハッピーエンドの男女のロマンスには
若い時は虫唾が走ったり吐き気を催したりするほどだったが
ショーの描く世界観にはそういう嫌悪感を覚える部分がまるでなく
そこに真実が見えて、魂の奥底から感銘を受けるのだ

だから映画『マイ・フェア・レディ』は忌々しく感じるるる~チッ( -∀-)、
自分にはシンデレラ・ストーリー自体が苦々しいのだが
ショーの戯曲『ピグマリオン』が原作なのに
作品を通して掲げられたテーマが完全に損なわれてしまってるからだ

『ピグマリオン』はギリシア・ローマ神話由来のラテン文学で
オウィディウスの『変身物語』の挿話『ピュグマリオン』が元ネタだ

主人公ピュグマリオンが自身で作った女性の彫像に惚れてしまい
その切なく苦しい胸の内をあわれに思った女神に
命を吹き込んでもらって想いを叶える、とゆー物語で
Barbieに恋し続けてる自分にはピュグマリオンの気持ちがよくわかるし
実際にBarbieそっくりの人間に巡り合うと
女神に感謝しつつ、その人をこよなく愛してしまってたヽ(゚∀。)ノ

『ピュグマリオン』はリア充には決して共感されナイ物語で
絶対に愛してくれナイ女を切望するピュグマリオンに嘲笑しながら
きっとこんな風に諭すのだろう

現実を見据えて人間の女と愛し合えば゚+.(・∀・)゚+.゚イイのに?!

他人に言われずともピュグマリオンも自分もわかってるが
それでも愛せずにいられナイのだよ。・゚・(ノД`)・゚・。

でも愛するってのが無償で相手を想う気持ちだとしたら
相手からのお返しを同じだけ望むのはむしろ本トに愛してるのかね?

☆・・・☆・・・☆

ショーの『ピグマリオン』の場合はもっとヲタ度が高く
ピグマリオン=ヒギンズは英語の発音における音声学者であり
彼が求めてたのは単なる理想の女性などではナイ
洗練された英語を話す女性、しかもそれを矯正できた自身に悦に入ってて
その女性には生き証人としての価値しか求めてナイ
ヒギンズがイライザ自身にはまるで興味がナイのは明白だ。(゚д゚lll)ギャボ

イライザも育ちが悪いながらも愚劣な女性ではなかったので
そんなヒギンズのヲタ魂の萌えに気づいてただろうから
純粋にイライザ自身を愛してくれるフレディを享受するのは然りだ
ショーの『ピグマリオン』でははっきりと結末は描かれてナイが
イライザがフレディの気持ちを無碍にできるとは思えナイし
ましてやそこでヒギンズを選ぶはずがナイ。(´д`;)ギャボ

ヒギンズとイライザが結婚してハッピーエンドの物語なら
タイトルを『ピグマリオン』にする意味はなく
ブロードウェイで意義を失ってしまったからこその
『マイ・フェア・レディ』へのタイトル差し替えなのかもしれナイなw

☆・・・☆・・・☆

そして世の中の流れはいつも商業主義に味方するので
主役が日本人の大好きなオードリー・ヘプバーンなのもあり
映画『マイ・フェア・レディ』ときたら
しつこいくらい年中、テレビで放映されてるのだが
それに比してショーの戯曲『ピグマリオン』を新刊で購入するのは
日本では少なくともこの10年ほどは困難だった

同じように冒頭に挙げた映画『聖女ジャンヌ・ダーク(原題:Saint Joan)』
ショーの脚色に忠実なこの作品だけが日本ではDVD化されず
原作の戯曲『聖女ジョウン』を新刊で購入するのも
『ピグマリオン』と同様、邦訳を読むコトが適わなかった

今世紀になって何よりも後悔してるのは
ショーの著作を若い内に買い集めておかなかったコトだ(;つД`)
『聖女ジョウン』でその後悔は募るばかりだったが
諦めつつもググってみると書物復権2012の復刊リストに
なななんと『バーナード・ショー名作集』があった・・・バタリ ゙〓■●゙

バーナード・ショー名作集

しかも『聖女ジョウン』も『ピグマリオン』も収録されてたので
早速購入して2作とも一気読みした・・・生きてて良かった。・゚・(ノД`)・゚・。

ちなみに『ピグマリオン』の序文には次のようにあった

(前略)ロマンスのヒロインになれたからというだけで、すぐさまロマンスの主人公と結婚したにちがいないということにはなるまい。こういう考え方には我慢がならない。せっかくのドラマもこういう得手勝手な判断にあっては、こわされてしまう。

ジャンヌ・ダルク

ミシュレの『フランス史』はそれだけで読み応えがあるが
読み比べるとより一層面白いかと思いついた

まずは『フランス史 II 中世【下】』
「8 ジャンヌ・ダルク―オルレアンの解放とランスの戴冠式」
「9 ジャンヌ・ダルク―裁判と死」

フランス史 2 中世 下
ジャンヌ・ダルク処刑裁判
ジャンヌ・ダルク [Blu-ray]
Saint Joan (New Mermaids)
ジャンヌ・ダルク (中公文庫)

自分の中のジャンヌ・ダルク像は胡散臭さが先立ってしまってたが
それとゆーのもキリスト教に即した絵本だったからだ

ジャンヌは火焙りにされてしまうが後に聖人として称えられて
めでたしめでたし・・・かょ。(゚д゚lll)ギャボ
何の疑問も抱かずに読後に感動できるなんて
自分にはおかしいとしか思えなかった。(´д`;)ギャボ

いや、むしろ信者こそが教会のあり方に対して疑念を抱くだろうに?
なんせ異端審問でジャンヌを火刑に処したのは当の教会組織だ
(この辺りの事情はルター以降だと釈然とする
つまりローマ・カトリック教会によるプロテスタント迫害だ
しかしジャンヌはルター以前の人であるるる~)

フランス人でもキリスト教信者でもなければ
ジャンヌ・ダルクにはとても共鳴できようもナイはず・・・(-_-;)
まあ自分は異装趣味に関しては応援できてしまうのだがw
自分だけでなくオスカルファンには鎧帷子姿のジャンヌがぐっとくるだろう

時代遅れの騎士道をズタズタに打ち破った一歩先行くイギリスに
今にも乗っ取られる寸前のフランスで男たちは立ち向かう勇気を失ってたが
そこにまさに騎士道精神の象徴的な姿で少女が旗を揚げるのである
この時代のフランスのどうしようもなさを知れば知るほど
それを打破しようとする少女のひたむきさの威力を思い知るp(-_-+)q

近年になってシラーの『オルレアンの処女』を読んで
ジャンヌの心情を克明に描いてるのはさすがシラーだと感心はしたが
いかんせん聖人ジャンヌなんである、一人の人間としてではなくね・・・
しかも肝心の火焙りになるシーンがナイのもどうかとヽ(゚∀。)ノ

それが今更ながら王道のミシュレの『ジャンヌ・ダルク』を読み
これこそが史実に忠実でかつ人間を描いた傑作だと確信した!
3つしか読んでなくっても・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

先述の『フランス史』のジャンヌの部分を
ミシュレが執筆してたのは1838年~1839年頃だったらしいが
その10年後の1848年の2月革命で挫折したミシュレは
ナポレオンへの忠誠の誓いを拒否して1852年には全てを失ってしまう
ところがその翌年に『フランス史』から抜粋されて
『ジャンヌ・ダルク』が単行本として出版されたのである!!

この単行本の邦訳が1987年に中公文庫で出てたのを昨年になって突然買ったのだが
もう「序文」だけですっかりジャンヌ・ダルクに
そしてミシュレに参ったのだった・・・バタリ ゙〓■●゙
※ちなみにこの序文は当たり前だが単行本化の際に加筆されたモノ

今回『フランス史』の方で前後の情勢もよくわかる中で読むと
より一層ジャンヌ・ダルクの生きザマに心を打たれるが
この一人の献身的な少女は神の加護がある聖人なんかではなく
ニーチェの称するトコロの超人なのではナイだろうか?

そこで他の作家の『ジャンヌ・ダルク』を読み比べてみたくなったが
邦訳で入手可能なのはマーク・トウェインくらいだった

アナトール・フランスのは元から邦訳がなさそうでフランス語版ならありそうだが
英語版はあるのだろうか?

1番読みたいバーナード・ショーの『聖女ジョウン』も原語(英語)版に頼るしかなさそうだが
とりあえず作品解説本『バーナード・ショーの劇』
「【第九章】 聖女ジョウン」を読めるだけでもありがたい(-人-;)

そしてヴォルテールの発禁を食らった『オルレアンの処女』だが
ネットで探したら英語版が読めそうな気配
LINK:THE MAID OF ORLEANS

他にもググってみたら
少女マンガでは天川すみこの『ジャンヌ・ダルク』てのもあったが
1巻の表紙の絵柄が好みからすると微妙だな・・・
また『ピュタゴラスの旅』の酒見賢一原作のマンガで
『D’arc(ダーク)ジャンヌ・ダルク伝』には酷く興味をそそられたが
絵柄が近藤勝也なる漫画家で自分の苦手なジブリ系だった。(゚д゚lll)ギャボ
無理っつ。(´д`;)ギャボ

アメリカン・ジョークでなくフレンチ・ユーモア

笑いのツボに民族間で多少のズレがあるとしても
アメリカン・ジョークは笑えナイだろ、てか、イギリス含む英語圏全般がダメだ
お寒いオヤジギャグのレベルにさえ達してなくて
シェイクスピアの駄洒落の連発とかはもう気分が悪くなれるレベルだ。(゚д゚lll)ギャボ

そこへいくとバーナード・ショーの劇作は
むしろシリアスな悲劇において皮肉が利き過ぎててシニカルに笑えたりして。(´д`;)ギャボ

とりあえず英語の本は辞書を片手にでなければ読めナイので
一緒に辞書を持ち歩くのも荷物になるし
寝床や風呂場でも辞書の存在が邪魔になるし
ゆっくり読書をする時間を別に設けなければならず
そんなヨユーは持てナイ日々が続いてた・・・

また三省堂自体にもなかなか足を運べナイでいたが
それが昨年末にはなぜか洋書コーナーにまで立ち寄って
ヴォルテールの『カンディド』英語版を衝動買い!

それとゆーのも表紙がシュールなマンガになってて
この絵がやたらと愛らしくて気に入ったのだが
何気なくスラスラと読めて思わず吹き出したからだ(゚*゚;)ププ

日本語訳を何度も読んでるせいもあるが
英語とはいえ元はフランス文学で基本的にアメリカン・ジョークでなく
ペーソスたっぷりのフレンチ・ユーモアに感じられてツボにきてしまったのだろうw

『カンディド』は各章数ページからなる全30章の物語で
日本語版なら時間的にはもうあっという間に読めてしまうが
主人公のカンディドが様々な酷い目に遭いながら
また様々な酷い目に遭った人たちと出会いつつ
旅を続ける冒険物語・・・なのか?!

いや、カンディドはそもそも旅をしたくてしてるのではナイのだ・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

男爵家に身を寄せるカンディドは令嬢のキュネゴンドと深い仲になったのだが
それを男爵に見られて追い出されたのだヽ(゚∀。)ノ

表紙のマンガの上部がこのいきさつだ

だいたいカンディドとゆー呼び名は
無邪気な男=天然、の意で江戸っ子ならきっと与太郎と呼ばれてたに違いナイ!!

カンディドはどんなに酷い目に遭ってもへこたれず
実際よく死にそうにもなってるのだが毎度マンガじみた回復力で立ち直れるのは
尊敬するパングロス先生が唱える【予定調和】を素直に信じてるからなのだ!

【予定調和】は実在したライプニッツの持論で
表紙のマンガにもあるようにパングロス先生曰く
「鼻は眼鏡をかけるためにあり、足はズボンをはくためにある」

すべては最善の状態にある

ライプニッツはニュートンと争うほどの天才だったので
世界を構成する科学的事実は解ってても
日常の真実に対して盲目で庶民の生活を全く理解してなかったのだ

フランス革命前のパリで不幸にあえぐ市民に対して
ヴォルテールは憐憫の情を禁じえなかったので
ライプニッツのこの脳天気な【予定調和】に反発して
とても最善にあるとは言い難いほど身に余る不幸に晒される人々を
痛切に皮肉って描いたのが『カンディド』なのだよ

元より英語の素養がある人なら
他人の苦労話や悲惨な経験談を英語で聴いてる時に
相槌を打ったり驚愕したり同情したり
そんな英会話力がこの本で身につくと思われ(-人-;)

それにしても笑いまくった・・・バタリ ゙〓■●゙