世界観を構築した10冊(子供の頃の愛読書)

人生において最良の本を
10冊選ぶとしたら?

まず、小学校高学年の時に
選んでたと思われる10冊(タイトル)

生きている地球(学研学習マンガ)
ビーグル号航海記(チャールズ・ダーウィン著)
シートン動物記(アーネスト・T・シートン著)
ハックルベリー・フィンの冒険(マーク・トウェイン著)
宝島(スティーヴンソン著)
幸福な王子(オスカー・ワイルド著)
にんじん(ルナール著)
クォ・バディス(シェンキェビチ著)
埋もれた世界(A・T・ホワイト著)
キュリー夫人 愛と科学の母(清閑寺健著)

これらは人生の初期段階で
世界観を構築するのに役立ったが
後に人生の岐路においても
常に道標となった

虚弱体質だった幼少の砌に
お世話になった小児科の待合室に
置いてあったのが『生きている地球』

【ビッグバン】から始まり
地質時代の様子が年代を追って描かれたマンガで
それはまさに知りたかったコトばかりで
毎度、熱心に読んでは
興奮して更に熱が上がってたw

その本への病的な執着が
遂に医師の妻で薬剤師の女性の心を動かし
「よかったらどうぞ持って帰って
差し上げますから」と言わしめた時
熱意が人の心を動かすと
奇蹟が起きるのだと
初めて確信したのだった

生命の誕生から
人類への進化までを
理路整然と説いた【進化論】には
魂を揺さぶられたが
とりわけ生命の誕生については
オパーリンの【コアセルヴェート説】で
神々しく美しい生命のスープが
干潟になって濃縮してく様子を思い描いては
生命の神秘に涙した

そんな風に理性と感動によって
自分が世界観の外枠を構築した後で
旧約聖書の冒頭の創世記による世界の始まりを
キリスト教かぶれの母親から
いくら恭しく押し付けられたトコロで
突っ込みドコロ満載な寓話としか思えなかったw

【進化論】を構想するに至った経緯を
ダーウィンが綴った『ビーグル号航海記』は
自然の厳しさ(ある意味無慈悲さ)と
そこに生きる生物の
力強さと儚さ、強靭さとしなやかさといった
地球が織りなすドラマに感じ入った

そうして【進化論】を踏まえて
動物の生態に興味を持つようになり
『シートン動物記』も読むべくして読んだが
中でも「狼王ロボ」でオオカミが大好きになり
今に至るるる~

『ハックルベリー・フィンの冒険』や『宝島』は
『ビーグル号航海記』からしてそうなんだが
後に海洋小説とそれを原作とした映画を
格別に好むきっかけになった

まあ自分自身はからきし苦手で
酒より船の方が酔うんだがね( *゚Д゚)つ[酒]

典型的なお人好しの江戸っ子だった自分は
『幸福な王子』でワイルドのペシミズムに衝撃を受け
母親に嫌悪されてると悲観し始めた時
『にんじん』で同士を見出してほっとした

歴史小説『クォ・バディス』(※)は
ローマ皇帝だったのがネロの時代の
キリスト教に傾倒した長編で
実在した登場人物のネロとセネカ
そしてペトロニウスが魅力的だった
映画のタイトルでは『クォ・ヴァディス』、新訳(岩波文庫)だと『クオ・ワディス』

当時はまだキリスト教に対して
今ほど反感は抱いておらず
もれなくこの小説こそが
不信感を募らせる要因になったのだったヽ(゚∀。)ノ

『埋もれた世界』は
トロイア、エジプト、メソポタミア、マヤの
遺跡を発掘する考古学者たちについて
子供にもわかりやすく書かれて(翻訳されて)たが
古代文明の中でも自分は特にトロイアに惹かれた

たくさんの伝記を読んだ内では
『キュリー夫人』に1番感銘を受けたが
それは化学者としてノーベル賞を受賞した女性が
既にいるのは心強かったからだ、なんて
自分もキュリー夫人の後に続くつもりでいて
化学だけは執り憑かれた様に勉強してた

但し、物理学(の数式)を理解できるほど
知能を持ち合わせておらず断念。(´д`;)ギャボ

『クォ・バディス』の著者シェンキェヴィチも
キュリー夫人と同じく
ノーベル賞を受賞してるポーランド人だが
受賞時にはポーランドは地図上から消えてて
2人とも祖国独立を悲願してたのだった。(゚д゚lll)ギャボ

結局、シェンキェヴィチは
独立を目にする前に命尽きたが・・・

上記10冊の他にも
世界観を構築するのに
補助的な役目を担ったのが
山川出版の日本史用語集と世界史用語集と
旧約聖書・新約聖書、古事記、ギリシア神話などで
愛読書と言うよりは便覧のように
何かにつけ参照しまくった

自分はこの時点で最早
読書の醍醐味は
1冊の本を最初から最後まで読みこなして
単体で消化するだけに非ず
一言一句から
著者の真意を汲んで
改めて世界を読み解くコトに
意義があると気付いて
生真面目に読書をしなくなった・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

40年近く経った今
改めてこれら10冊に感謝したいのは
与えられた知識はもちろん
感動、信条、希望、霊感・・・etc.etc.
そしてノスタルジーも加わり
人生をスピリチュアルな面から
支えてくれたコトだ

気のふれた母親に
押し入れに閉じ込められても
電気スタンドで照らされた文字から
確信してた

世界は広く美しい(はず)

いつも心を希望で満たし
明るい未来へ導いてくれ続けた

親友(著者)と時空を超えて
共有してる宝物のような存在が
愛読書だと自分は思う

『旧約聖書』の「創世記」のあらすじ

時代を超越した世界的な大ベストセラーの本といえば
キリスト教の経典とされてる聖書だろうが
その中で最もよく読まれてるのは
恐らく『旧約聖書』の冒頭にある「創世記」かと思われ

「創世記」の構成は第1章から第3章が天地創造アダムとイヴ堕罪(失楽園)
第4章がカインとアベル
第6章からがノアの方舟で第9章まで続き
第11章にバベルの塔が出てくるが
この辺りはキリスト教圏の人間には常識の範疇だし
聖書に馴染みの薄い日本人でもあらすじくらいは知ってるかね?

ヤハウェ神は6日かけて世界を作って、7日目に休んだ

神が最初にこしらえた人間はアダムとゆー男で
そのあばら骨からイヴとゆー女を作成し
エデンの園なる楽園に裸のまま住まわせるが
蛇に誘惑されたイヴは禁断の果実を食べてしまい
これをアダムにも食べさせた

アダムとイヴは裸を恥じるようになって
慌てていちじくの葉で局所を隠し
その様子から禁忌を犯したコトが神にバレたので
罰として楽園から追い出される羽目に・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ
しかもアダムには働く使命とイヴには産む使命が課され
ついでに蛇も忌み嫌われるように仕向けられた

エデンを後にしたアダムとイヴは2人の男の子を儲け
カインとアベルと名付けて育てたが
長じて、兄カインは嫉妬から弟アベルを殺害してしまう。(゚д゚lll)ギャボ
神ヤハウェがカインにアベルの居場所を問うと
知りません、と人類初の嘘をついた。(´д`;)ギャボ
カインはエデンの東のノドに追放されるがその息子がエノクで
更にその息子がメトシェラでその息子がレメクで
その息子ノアまで縦系図が続くのだった

ノアはヤハウェに促されて方舟を作り
これに総ての動物の番(つがい)を乗せて大洪水をやり過ごし
地上に取り残された邪悪なモノは滅びた・・・と
そしてノアの息子たちセム、ハム、ヤペテが
ヤハウェに与えられた各地に移住した

バベルの塔はそれから後の話で
人間たちが新しい技術で天に届く高い塔を作ろうとしたが
もちろんそんな塔は作れなかった

☆・・・☆・・・☆

創世記は英語でGenesisで
イギリスにはそんな名前のバンドがあり
たまたま前回12月の某所セッションにおいて
GenesisのMamaを歌いたいと希望してたのが叶わなかったが
今回2月の同セッションでは別の曲(That’s All)を歌うコトになった

Genesis

こういう時ってのは必ず何かシンクロするモノで
アダムとイヴの赤裸々な独白録『アダムとイヴの日記』を
電子書籍版で見つけて(※)購入した(紙の書籍でも持ってるがw)
見つけたのは今年になってからだが出たのは昨年末

当然ながら、マーク・トウェインの創作(法螺話)だが
そうとわかってても読み進んでる内に真実味を帯びてくるのは
男と女ってこういうモノだよな、と納得させられるからだヽ(゚∀。)ノ

自分が思うに(以下、教義的な解釈からは逸脱してしまうが)
アダムとイヴはエデンの園なる楽園にいたが
これって動物が動物園の檻の中に飼われてるのに等しく
そこには人間としての尊厳はナイ

トウェインのアダムは無機的な日常を好み
変化をこそ煩わしく思うようなボンクラな性質なので
問題がなければ何の疑問も感じずに生きて行けるだろうが
情緒的なイヴは平穏な日々に嫌気が差してしまい
自身の存在意義を問うようになるるる~

レヴィ・デュルメルのパステル画のエヴァ(※)は
初めて見た際にはトウェインのイヴがモデルかと思った
なんせアダムとイヴを描いた絵画は宗教画であれ芸術作品であれ
イヴが無表情に描かれてるのが常だからして
豊かな髪を弄ぶように身体に絡ませて
官能に身を委ねてるかのような煽情的な表情なのは珍しい
イヴのフランス語読み

そもそも画面上にはボンクラなアダムもいなければ
蛇も精密に描かれてるワリには存在感が希薄だったりするので
これが無垢なはずのイヴであるとは一目ではわからんて(-_-;)
どう見ても蛇にそそのかされて罪を犯す従順な女には見えナイし
むしろ蛇を共犯者にしようと目論む確信犯のように
不敵な笑みさえ浮かべてるではナイか?!

またたわわに実った禁断の果実の鮮やかな橙色は魅惑的で
重厚な質感が罪の重さを物語ってるかのよう!
悪事とはなんて甘美な果実なのだ!!

それにしてもこのエヴァが不可思議のは
果実を手にしながらも気にもとめてナイ様子で視線さえ向けてナイ点だ
つまり、もれなく果実を食べたかったのではなく
単に禁忌を破りたかったのではなかろうか?

そうなるとこのエヴァにとって禁断の果実を口にするコトは
退屈な楽園におけるスリリングな非日常体験であり
誘惑者エヴァにまんまと陥れられたのが蛇とアダムなのでは???

アダムの日記とイヴの日記

旧約聖書の「創世記」のアダムとイヴがつけてた日記が発見されて
それをマーク・トウェインが解読したのが本書である(※)
参照:アダムとイヴの日記の冒頭の注

冒頭にそんな注があって、ページをめくると
全ページの構成は正しく絵日記で
見開きの片方が絵(原典)でもう片方が文章(トウェインによる訳)

「アダムの日記」では粘土板にアダムが自ら彫ったモノとされてて
実はストロスマン(F. Strothmann)が描いたと解説にあり
「イヴの日記」の方はイヴが描いたとゆー設定ではナイようだが
(ハテ?それならトウェインは何を解読したのだ?)
解説には引き続きストロスマンと契約してたが
最終的にはレスター・ラルフ(Lester Ralph)が描いたとある

The Complete Diaries of Adam and Eve

「アダムの日記」は72ページ、「イヴの日記」は78ページで
全150ページの半分は絵で本文は実質75ページだったりするのだが
本文正味75ページに対して15ページも「解説」があり
そこで「アダムの日記」と「イヴの日記」が
元々1冊の本には収録されてなくて、年代的にもバラバラに書かれてて
それが一作品にまとめられるようになった経緯が
トウェインの生涯と絡めて語られてて
自伝からの抜粋など興味深い表現が随所に挿入されており
本文で純粋に涙した後で「解説」で改めて深い感動に見舞われるるる~

☆・・・☆・・・☆

古本屋に行くのは出会いがあるからだが
稀に形を変えた再会なんてのもあり
岩波文庫の『イヴの日記―他五篇』がまさにそれだった

日本では今世紀に入って以降
マーク・トウェインの『アダムとイヴの日記』は絶版状態で
大久保博訳の福武文庫版が1995年に出たのが最後だった
自分は同じく大久保博訳を旺文社文庫版で持ってたのだが
他の訳でも読んでみたかったし
この岩波文庫版は1988年の版でも旧仮名遣い(※)だったので
美しい物語を読むのに似つかわしく思えて即購入した
新仮名遣いで粗雑な口語体だと一言一句に心がささくれてしまうのでねw
岩波文庫では21世紀になっても旧仮名遣いのままなんてのがよくある
なので、これは1988年の版で驚くに値しナイ、初版発行は1952年だしね

訳者は龍口直太郎・・・目新しい名だった
てか、既に「たつのくち なおたろう」とは読めなかったのでググったが
戦後の日本においてアメリカ文学の翻訳を多く手がけてた人で
なるほど米文学自体に馴染みが薄いので知らなかった

読んでみて龍口の訳も自分は大いに気に入ったが
やはり読みやすさでは大久保訳だろう
しかし訳以上に味わい深さに差異を感じるのは
『アダムの日記』も『イヴの日記』も
日記ではなく絵日記であるトコロにあるので
旺文社文庫版では見開き毎にある挿絵が
岩波文庫版には数枚しかナイのが痛恨のミスと言うか・・・
龍口自身も解説でそのコトを惜しがってるので
何らかの事情があったのだろうから責めるまでもナイが残念だ。(´д`;)ギャボ

The Diaries of Adam and Eve

むしろこの岩波文庫版を手にして初めて気付いたが
旺文社文庫版にはオリジナル・イラストが総て収録されてて
訳者大久保による解説と詳細な年譜が充実した完全版なのだった!

大久保は法政大のアメリカ文学教授で
トマス・ブルフィンチの『ギリシア・ローマ神話』の翻訳も手がけてるが
英国文学ヲタ全開のブルフィンチの注解に対して
大久保の訳注が更に充実してるのが凄い・・・ホゥ(*-∀-)

また「解説」に続く17ページに渡る「年譜」が大久保ならではで
同時代の文学史や世相と照合できるモノになってて

☆福沢諭吉生まれる
☆ヴィクトリア女王即位
☆ダーウィン「種の起源」
☆ニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」

などと併列表記されて
時間と空間とが噛み合う良く出来た作りだ

そんなだから1987年に旺文社文庫自体がなくなってしまって
この完全版が一時は運命を共にしたのだが
福武文庫が引き継いで再刊したのだろうと思うが・・・
今世紀には、福武文庫自体もなくなってしまったのだったヽ(゚∀。)ノ

☆・・・☆・・・☆

ここ1年で電子書籍を300タイトルほど購入したが
半分は紙の書籍でも持ってるモノだったりで大半は既読だ
電子書籍ストアは古本屋と似てるのだが
出会いよりも再会・・・形を変えた再会の頻度が高く
要するに同じ本の別の訳を購入しやすいのだ♪

アランの『幸福論』やプラトンの『饗宴』
ランボーの詩集などを訳者違いで何冊も揃えても
収納に悩まずに済むし、読み比べるのも手元の操作だけで済む

SONY Reader Storeで『アダムとイヴの日記』が
佐山栄太郎訳のグーテンベルク21版であったので
即ポチで購入したら、挿絵が全く入ってなかった。(゚д゚lll)ギャボ
とはいえ、ナイからこそPDF仕様のファイルではなくて
文字の大きさを好きに調整して読めるし
線引き、メモ書き、Evernoteへの送信も可能なのだがね

旺文社文庫岩波文庫グーテンベルク21
形式XMDFファイル
訳者大久保博龍口直太郎佐山栄太郎
挿絵オリジナル完全版オリジナル数枚無し
他の
収録作
無しアロンゾとロザナアの戀
山彦
キャリフォーニヤ人の話
奇妙な経験
無し
その他
後に福武文庫より再刊されたがこれも絶版
旧仮名遣い
なので「山彦」の[彦]も「経験」の[経]も旧字
出版協同社の『マーク・トウェーン短篇全集』の【第3巻】に収録されてた
購入先
リンク
旺文社文庫版
福武文庫版
岩波文庫版グーテンベルク21版
(SONY Reader Store)

ところでアマゾンKindleでは『アダムとイヴの日記』は
いずれの版も未だ電子書籍化されてナイが(2015/8/28修正)原題で検索したらあった

The Diaries of Adam and Eve and Other Stories

そして実は「アダムの日記」はネット上で公開されてるるる~
Extracts from Adam’s Diary by Mark Twain
ちなみに、タイトルに Extracts from~ とあるのは
別に「アダムの日記」の完全版があるワケでなく
トウェインがわざといかにもでっち上げの法螺話に倣って(?)
「アダムの日記抄」としてるだけっす・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

☆追記…

アマゾンKindle版が出てた(2015/07/25)

出たのは角川書店からでも
旺文社文庫や福武文庫と同じく挿絵全部入りの完全版で
しかも挿絵と文章は別ページ=別ファイルとなってて
テキストのフォントサイズの調整は可能

泣ける物語。・゚・(ノД`)・゚・。(アダムとイヴの日記)

何度でも読んでしまい、その度に泣いてしまう(;つД`)
読むのが辛いような幸せなような・・・でも好きで読まずにいられナイ小説
なんてゆー愛読書を持ってる自分は幸せ者だ

オスカー・ワイルドの『幸福な王子』なんぞは
幼少の砌より100回は読んでるだろうが泣けなかったコトはナイ

マーク・トウェインの『アダムとイヴの日記』も
『幸福な王子』に次いで繰り返し読んでて
最期のアダムの一言で毎度泣いてしまってるのだが
むしろそのキメ台詞を承知してるからこそ
そろそろくるるる~、と思うだけで
フライングでクライングなのだ←英語で韻を踏んでみたw

よくネタバレを気にしてレビューで多くを語らナイ人がいるが
そもそも1度読んでネタがバレたら2度目にそうとわかって読むと面白くナイ
なんて本は換言すれば再度読む必要がナイつまらナイ本なのだよw
読みたい本を全部読めるほど長くナイ人生において
そんな本は最初から読まナイに限ると思われ。(´д`;)ギャボ
その分『幸福な王子』や『アダムとイヴの日記』を
繰り返し読む方が有意義だろうて

てなワケで以下はネタバレ含むあらすじ

☆・・・☆・・・☆

『アダムとイヴの日記』の概要は
2編の小説「アダムの日記」と「イヴの日記」からなり
同じ日の出来事を別々に綴ってるのだが
アダムとイヴでは表現が全然違ってて、その対比が面白い♪

その差は男と女の目線の捉え方の違いであり
考え方、感じ方の相違だ

アダムの日記は一言で片付ければ・・・「朴訥」
ただ内容の浅はかさのワリに居丈高なので
純朴さからくる愛らしさなどは全く見受けられナイがなw
人類初の男が勘違いの甚だしいボンクラだったなんて
とりあえず女よりは出来るつもりの男尊女卑を是認してる男には
愚弄されてるようで憤懣やるかたナイだろうが
そういう男こそアダムに共感できるのか。(゚д゚lll)ギャボ

これに対して、比較するのもどうかと思えるほど
イヴの日記は詩的なのだ
自然に対する好奇心や美への憧憬を綴ってるが
その感情の繊細さと表現力の豊かさに心打たれるのだ
しかも何か発見しては自身で昇華させてる点が科学的でもあり
なんて素敵な女性かと溜息を漏らさせる・・・ホゥ(*-∀-)

だからイヴは堕罪による失楽園の後に
エデンの園(神から与えられた幸福)を失ったが
アダム(幸福を与えたり分け合いたい相手)を見出し
初めて生きる目的を持てたのだ

片や、相変わらず冴えナイアダムなのだが
イヴはどれほど「理由もなく」彼を愛してるか
切なくて胸が張り裂けそうになる・・・
いや、アダムとイヴは相思相愛でナイワケではナイのだが
イヴが積極的に愛したのに比べて
アダムはそれを受け入れてるだけのように感じてしまうのだ
温度差が違うカンジがね

でも最後にイヴの墓の前でアダムはこうつぶやく

たとえどこであろうと、彼女のいたところ、そこがエデンだった。

☆・・・☆・・・☆

読む度にアダムの最後の一言で泣くのだが
解釈は毎度同じなワケではナイ

初めて読んだ時には100%イヴの悲恋に対して泣けた

たとえどこであろうと、彼女のいたところ、そこがエデンだった。

アダムは・・・男はそんなモノなのだろうか?
神から与えられた至福のエデンを失ったら
女から与えられるエデンでも我慢するしかなく
でもそれさえも失ってしまった!
そういう嘆きだとしたらイヴは報われなくて可哀想過ぎ!!

しかしアダムの気持ちを推し量れるようになった今は
アダムの喪失感に対しても涙するようになった

アダムにとってイヴは「人間として見合った幸せ」で
イヴほど情熱的に見えずとも
アダムにも彼女への深い愛情があったに違いナイ

仮に神からアダムだけが許しを得て
1人でエデンに戻るように促されたとしても
イヴが一緒でなければきっと戻らナイはず
そう思えるようになったからだ

☆追記…

今世紀始まって以来、完全版はずっと絶版状態で入手困難だったのが
アマゾンkindle、その他の電子書籍で入手可能になった
このページのトップ画像からはアマゾンkindleのページにリンク

旺文社文庫岩波文庫グーテンベルク21
形式XMDFファイル
訳者大久保博龍口直太郎佐山栄太郎
挿絵オリジナル完全版オリジナル数枚無し
他の
収録作
無しアロンゾとロザナアの戀
山彦
キャリフォーニヤ人の話
奇妙な経験
無し
その他
後に福武文庫より再刊されたがこれも絶版
旧仮名遣い
なので「山彦」の[彦]も「経験」の[経]も旧字
出版協同社の『マーク・トウェーン短篇全集』の【第3巻】に収録されてた
購入先
リンク
旺文社文庫版
福武文庫版
岩波文庫版グーテンベルク21版
(SONY Reader Store)

Boat on the River

モーパッサンの短編『水の上』の導入部では
主人公の(恐らくモーパッサン自身の)川への想いが炸裂してるが
せいぜい公園に流れる半ば人工的な小川と皇居のお堀しか知らナイ自分でも
水辺には深い想い入れがある、と改めて自覚させられた

それくらい故郷の水辺は誰にでも郷愁を抱かせるワケだが
ましてや世界に名だたるような川が流れてるなら尚更なのだろうから
モーパッサンがセーヌに恋するのは尤もな気がするるる~

自身の記憶にはなくとも総ての生命は海由来なので
始原的な心象風景としてDNAに刷り込まれてるのだろうか。(゚д゚lll)ギャボ

実際にほんの1日か2日東京を離れて帰ってきた際には
何よりもお堀を目にするとほっとするので
地下鉄で帰りたくなくてJRで車中からでもお堀を見ながら帰宅するが
たまに衝動に駆られてお堀沿いを1時間ほど歩いて帰ったりもした

昔からよくお堀に沿って土手縁を散歩してたが
水辺には自然があり、季節によって様々な動植物と出合えるので
例えばトンボを目にしては『とんぼのめがね』を歌うなんてのが楽しかった

さすがに大きな声では歌わなくなったが
白鳥に出会えばサン・サーンスの『白鳥』が脳内には流れるので
鼻歌交じりでバレエの『瀕死の白鳥』を想い起こしながら
うっかりひらひらと踊りながら歩いてたりもする

瀕死の白鳥/アンナ・パヴロヴァを讃えて

しかもこれが近年ではトロックス(※)しか観てナイので
バラバラと羽根を撒き散らしながらユーモラスに舞うサマを想起して
思わず吹き出してしまったりしてw
トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団

ボート場に人影が見当たらナイ時間帯には
STYXの『Boat on the River』を口ずさむ・・・ってやっぱ歌ってるるる~
LINK:ボート・オン・ザ・リバー(Boat On The River) – STYX

この曲を書いたTommy Shawはアラバマ州の出身だが
『Boat on the River』にあるような川が実際に付近を流れてたそうだ
でも河川の名をはっきり口にしてナイので
モービル川とかアラバマ川のような大河ではなさそうだが
だからこそこの曲の哀愁が漂うようなひっそりとした光景なのだろう

隣接するミシシッピ州の名は原住民の部族語で「大きな河」を意味してるが
その名の通りの大きな河、ミシシッピ川が流れてるるる~
ミシシッピ川の全長は5,971kmで本流(ミズーリ川を除く)部分だけでも3,779km
日本列島の全長がおよそ3,000kmだからスケールの違いがわかろう

トム・ソーヤーの大冒険 [DVD]

そんな大河に寄せるマーク・トウェインの想いが
『トム・ソーヤーの冒険』と『ハックルベリー・フィンの冒険』に
瑞々しい少年の感性の中に溢れんばかりに表現されてて
読む度に心の中の宝石箱を開けるような愉しみを味わえるのだ(*^^*)

マイ・フレンド・フォーエバー [DVD]

若くして亡くなった映画俳優のブラッド・レンフロは
3作目で『トム・ソーヤーの大冒険(原題:Tom and Hack)』の
ハックルベリー・フィンの役を演じたのだが
2作目の『マイ・フレンド・フォーエバー』でも川を下るシーンがあり
自分はそこで既にハックルベリー・フィンを見出してたので
観る前からハマり役だと確信してた!
これが何度観ても゚+.(・∀・)゚+.゚イイ映画なのだがやっとDVD化された!!

ハックフィンの大冒険 [DVD]

その後『ハックフィンの大冒険(原題:The Adventures Of Huck Finn)』では
イライジャ・ウッドがハックルベリー・フィンをやったが
どうもイライジャのピュアな愛らしさが憐憫の情をそそってしまい
トムの方が俄然悪びれて見えるので調子が狂うのだった。(´д`;)ギャボ

☆・・・☆・・・☆

Tommy Shawは動物をたくさん飼いながら暮らしてたらしく
とりわけ『Sing for the Day』で歌われてるHannaなる女性が
人間ではなく犬だった、とインタビューにあったり
「小鳥の餌やり機」なるモノで近所中の小鳥に餌をやってた、とか
知れば知るほど総てのエピソードに心打たれまくりで
ミュージシャンとして以上に人として実に好ましい・・・ホゥ(*-∀-)

ジャンヌ・ダルク

ミシュレの『フランス史』はそれだけで読み応えがあるが
読み比べるとより一層面白いかと思いついた

まずは『フランス史 II 中世【下】』
「8 ジャンヌ・ダルク―オルレアンの解放とランスの戴冠式」
「9 ジャンヌ・ダルク―裁判と死」

フランス史 2 中世 下
ジャンヌ・ダルク処刑裁判
ジャンヌ・ダルク [Blu-ray]
Saint Joan (New Mermaids)
ジャンヌ・ダルク (中公文庫)

自分の中のジャンヌ・ダルク像は胡散臭さが先立ってしまってたが
それとゆーのもキリスト教に即した絵本だったからだ

ジャンヌは火焙りにされてしまうが後に聖人として称えられて
めでたしめでたし・・・かょ。(゚д゚lll)ギャボ
何の疑問も抱かずに読後に感動できるなんて
自分にはおかしいとしか思えなかった。(´д`;)ギャボ

いや、むしろ信者こそが教会のあり方に対して疑念を抱くだろうに?
なんせ異端審問でジャンヌを火刑に処したのは当の教会組織だ
(この辺りの事情はルター以降だと釈然とする
つまりローマ・カトリック教会によるプロテスタント迫害だ
しかしジャンヌはルター以前の人であるるる~)

フランス人でもキリスト教信者でもなければ
ジャンヌ・ダルクにはとても共鳴できようもナイはず・・・(-_-;)
まあ自分は異装趣味に関しては応援できてしまうのだがw
自分だけでなくオスカルファンには鎧帷子姿のジャンヌがぐっとくるだろう

時代遅れの騎士道をズタズタに打ち破った一歩先行くイギリスに
今にも乗っ取られる寸前のフランスで男たちは立ち向かう勇気を失ってたが
そこにまさに騎士道精神の象徴的な姿で少女が旗を揚げるのである
この時代のフランスのどうしようもなさを知れば知るほど
それを打破しようとする少女のひたむきさの威力を思い知るp(-_-+)q

近年になってシラーの『オルレアンの処女』を読んで
ジャンヌの心情を克明に描いてるのはさすがシラーだと感心はしたが
いかんせん聖人ジャンヌなんである、一人の人間としてではなくね・・・
しかも肝心の火焙りになるシーンがナイのもどうかとヽ(゚∀。)ノ

それが今更ながら王道のミシュレの『ジャンヌ・ダルク』を読み
これこそが史実に忠実でかつ人間を描いた傑作だと確信した!
3つしか読んでなくっても・・・ヾ(・_・;)ぉぃぉぃ

先述の『フランス史』のジャンヌの部分を
ミシュレが執筆してたのは1838年~1839年頃だったらしいが
その10年後の1848年の2月革命で挫折したミシュレは
ナポレオンへの忠誠の誓いを拒否して1852年には全てを失ってしまう
ところがその翌年に『フランス史』から抜粋されて
『ジャンヌ・ダルク』が単行本として出版されたのである!!

この単行本の邦訳が1987年に中公文庫で出てたのを昨年になって突然買ったのだが
もう「序文」だけですっかりジャンヌ・ダルクに
そしてミシュレに参ったのだった・・・バタリ ゙〓■●゙
※ちなみにこの序文は当たり前だが単行本化の際に加筆されたモノ

今回『フランス史』の方で前後の情勢もよくわかる中で読むと
より一層ジャンヌ・ダルクの生きザマに心を打たれるが
この一人の献身的な少女は神の加護がある聖人なんかではなく
ニーチェの称するトコロの超人なのではナイだろうか?

そこで他の作家の『ジャンヌ・ダルク』を読み比べてみたくなったが
邦訳で入手可能なのはマーク・トウェインくらいだった

アナトール・フランスのは元から邦訳がなさそうでフランス語版ならありそうだが
英語版はあるのだろうか?

1番読みたいバーナード・ショーの『聖女ジョウン』も原語(英語)版に頼るしかなさそうだが
とりあえず作品解説本『バーナード・ショーの劇』
「【第九章】 聖女ジョウン」を読めるだけでもありがたい(-人-;)

そしてヴォルテールの発禁を食らった『オルレアンの処女』だが
ネットで探したら英語版が読めそうな気配
LINK:THE MAID OF ORLEANS

他にもググってみたら
少女マンガでは天川すみこの『ジャンヌ・ダルク』てのもあったが
1巻の表紙の絵柄が好みからすると微妙だな・・・
また『ピュタゴラスの旅』の酒見賢一原作のマンガで
『D’arc(ダーク)ジャンヌ・ダルク伝』には酷く興味をそそられたが
絵柄が近藤勝也なる漫画家で自分の苦手なジブリ系だった。(゚д゚lll)ギャボ
無理っつ。(´д`;)ギャボ