幸福な王子。。。2004-11-28 06:00:10 更新



感受性が鈍くなるのが大人になった証だとしたら
子供の頃には泣きながら読んでた物語でも
いつか泣けなくなるのだろうか?

幼少の砌からそんな日の到来を予想してたが
すっかりばあさんになってしまった今読んでも
ぐしゃぐしゃに泣き崩れてしまったのが
オスカー・ワイルドの『幸福な王子(幸福の王子)』だ



あらすじとしては・・・

生前を偲ばせるきらびやかな像の王子が
像になってみて初めて庶民の生活の実態を知って
驚愕。(゚д゚lll)ギャボ

これを助けるために王子は
像を被う金箔や目玉のサファイア、剣の柄の飾りのルビーを
送り届けるようツバメに依頼するるる~

ツバメにとってはそんなの他人事で
王子に従う義務もなければ
むしろ越冬しなければ自身の命が危ナイ!

常識から言っても
王子が頼む相手を間違えてるので
ツバメは断って南の国へ旅立って何ら差し支えナイのだが
人の(鳥の?)゚+.(・∀・)゚+.゚イイツバメはなぜか
少しはぶ~たれつつも王子に従う

いや、結局ツバメは越冬できずに最期を迎えるのだから
自発的に窮乏する人々を救ったのである!!

人間ならば命を懸けてまで
「従う義務のナイ命令」に従ったりはしナイのが常で
一見、そうと見える事態でも
自身や近親者の名誉に傷がつかナイよう慮って
つまりは社会的立場を守るためにやってたりするのだ。(´д`;)ギャボ

でもツバメにとっては
本来なら護るべきモノは自身の身一つであって
客観的に見ると
像の王子の低姿勢なモラハラの犠牲になってるみたいな?!

そう
モラハラ!!

子供の頃は
死に行くツバメの居た堪れなさに
憐憫の情から涙が溢れたし
王子のツバメに対する仕打ちの惨たらしさに
憤怒を覚えたものだが
改めて、モラハラだったのだと気付いた。(゚д゚lll)ギャボ

王子も献身的ではあるが
なんせ像で元から生きてはいナイのだから
同情の余地はナイが
ツバメが死ぬ必要はなかったのに・・・



そして王子に同情の余地ナシとはしたが
それにしたって見栄えが悪くなったらお払い箱って
愚民の無関心と無慈悲を
なんて端的に表現してるのだろうヽ(゚∀。)ノ

そうして人間社会への憤りから
嗚咽してしまうのだった。・゚・(ノД`)・゚・。

ところで自分の思い描く幸福な王子は
いつの頃からかなぜか
『六神合体ゴッドマーズ』のマーグだw







新潮文庫版『幸福な王子』
オスカー・ワイルド / 西村孝次訳
「幸福な王子」
「ナイチンゲールとばらの花」
「わがままな大男」
「忠実な友達」
「すばらしいロケット」
「若い王」
「王女の誕生日」
「漁師とその魂」
「星の子」
(あとがき)

幸福な王子?幸福の王子?。。。2017-03-31 06:00:00 更新

オスカー・ワイルドの『The Happy Prince』は
新潮文庫の西村孝次訳では『幸福な王子』となってて
アマゾンの検索結果のトップに表示されてるるる~



でも今世紀になって
この新潮文庫の西村訳を買うまでは
偕成社かポプラ社辺りの児童版に従って
『幸福の王子』とインプットされてたので
買った当初は「な」にこそ違和感を感じてた

でも西村はオスカー・ワイルドの全集の訳者だったので
西村訳の『幸福な王子』こそが的確であると結論し
脳内データベースに上書き修正したんである

ところが今回、念願の青土社の全集を電子書籍で入手してみたら
なんと『幸福の王子』と「の」だったヽ(゚∀。)ノ

「な」と「の」・・・結局、どちらが正しいのか
アマゾンの検索結果を見れば見るほど
決して統一されてナイってコトだけはよくわかるw



新潮文庫版と青土社の全集での
タイトルの「な」と「の」の違いは
中身も「な」と「の」だけの違いなら
同じ訳者でも出版社が違うので一部変えた?
とか、納得のしようもあるが
実は文体からして全然違ってるのだった。(゚д゚lll)ギャボ

ここは一つ
両者をじっくり読み比べようと腹を据えるも
すぐに気付く歴然とした差異があった

それはルビと注釈で
青土社の全集の方には
ルビは殆どなく、注釈が14個もあり
新潮文庫版には
総ての漢字にルビがふってあり、注釈はそれ自体が存在せず

また、少し読み進めば
青土社の全集が些か古めかしい表現であるコトから
元々の訳は原文に忠実な訳の全集の方で
新潮文庫版はなるたけ平易な表現で
時代にマッチするように書き換えられたのだ
(と容易に想像できる)

ちなみに現時点(2017年4月)では
西村訳はどちらもkindle化されておらず
青土社の全集を自分はBookLive!で購入した(※)が
通常は同じ訳者の文庫本と全集を買ったら
内容が完全に重複してしまって
文庫本の方は不要になるはずなのだ
しかも今回は全集の方が電子書籍なので
部屋の物理的な空きスペースが
文庫本の分だけ増えるはずなのだ
だがしかし、そんな思惑は見事に裏切られた。(´д`;)ギャボ
他にはhonto、SONY Reader Storeにもあり

とんだ見込み違いではあったが
それは嬉しい誤算でもあり
新潮文庫版で引っかかってた部分が
全集の注釈で解明されてたり
初めて知って詳細を調べてみたコトなどもあった

次の記事ではそれらをまとめてみようと思う

推論でなく事実としての「な」か「の」かについては
自分が所有してる新潮文庫の
昭和42年(1967年)に記されたあとがきによれば
昭和28年(1953年)に『幸福な王子・夜鶯と薔薇』として
以下5編を同じ新潮文庫から初版発行
幸福な王子
ナイチンゲールとばらの花
わがままな大男
忠実な友達
すばらしいロケット

その5編に加筆修正をして、未収録だった以下4編を加えたモノが
『幸福な王子』として改版発行してて
若い王
王女の誕生日
漁師とその魂
星の子

奥付けによればそれは昭和43年(1968年)だった

そして青土社の全集は
SONY Reader Storeによれば
「書籍発行日 : 1988.9.30」とあるので
新潮文庫と内容が丸被りしてしまうのが不味かったに違いなく
先の5編だけでなく、後から取り入れられた4編にしても
全集の方が幾分古めかしい表現となってるのは
出版社側の事情だろうw


青土社版『オスカー・ワイルド全集 第3巻』
オスカー・ワイルド / 西村孝次訳
【詩】
「ラヴェンナ」
「逝きし者に冥福あれ」
「娼婦の家」
「レディング牢獄の唄」
「藝術家」
「善をおこなう者」
「弟子」
「師」
「裁きの家」
「知恵を授ける者」
【詩劇】
「サロメ」
【童話】『幸福の王子そのほか』
「幸福な王子」
「ナイチンゲールとばらの花」
「わがままな大男」
「忠実な友達」
「すばらしいロケット」
【童話】『ざくろの家』
「若い王」
「王女の誕生日」
「漁師とその魂」
「星の子」
【箴言】
「青年のための成句と哲学」
「箴言」
(訳註)
(訳註補遺)
(解題)
(年譜)



それにしてもアマゾンで検索中に見つけたのだが
このAudible版ってヤツ・・・



オーディオブックが聴けるんだそう(゚⊿゚)イラネ

本を最初から最後まで順に読むのが
既に苦痛な自分にとって
最初から最後まで勝手なペースで
他人が読んでくのを聴かされるなんて
拷問でしかナイので
どこに需要があるのかさっぱりわからんが
こんなモノより西村訳がkindle化されるのが先だろう?

まあ、アマゾンはとりあえず
全集1冊¥5,000強×全6巻を稼ぎ損ねたなw

そして検索中に見つけて吐き気を催したのが
原マスミの描く、絵本『幸福の王子』
ハッピーエンドに結末を変えただけならまだしも
王子が人間だった頃のエピソードもあるとかヽ(゚∀。)ノ

美しく儚い物語が商業的成功のためにか
大衆向けの脳天気な設定に捻じ曲げられる気持ち悪さは
自分のような耽美主義者には耐え難い(゚*゚;)

著者ワイルドもそうと知ったら憤死しそうだから
とうに亡くなってて好かった・・・のか?

原作を冒涜するのは
ディ〇ニーだけで沢山だが。(´д`;)ギャボ
世も末だな・・・

王子とつばめ。。。2017-04-04 06:00:10 更新

『幸福の王子』は王子(の像)とつばめの愛の物語だ

主義を貫く王子と
それに共感して付き従ったつばめ



恋愛とかそういう甘ったるいようなのでなく
博愛とかそういう生ぬるいようなのでなく
お互いの生き様に共鳴し合う愛

主義を貫く王子はワイルド自身を反映してて
つばめはロバート・ロスだろうか

ボジー(アルフレッド・ダグラス卿)は
つばめの器ではなかった

ワイルドとボジーの関係は
当時の人間社会のモラルからは不道徳だとされて
主義を貫こうとしたワイルドが断罪されると
ボジーはそんなワイルドに付き従うのをやめてしまった

ワイルドが貫こうとした主義とは何かと言えば
aestheticismで
日本語では耽美主義・唯美主義・審美主義などと訳されるが
存在自体が美そのものだったり
存在理由が美であるものを
賛美し
そうではナイモノから護ろうとする主義だ

ボジーは存在自体が美しかったのは明白だが
ワイルドが買いかぶり過ぎてか
本質を見落としてたのだろう

ボジーは美の体現者である自身に酔い痴れてて
その賛美者となったのが
今を時めくワイルドであるコトに陶酔してたが
元より堕落を好む性質で
ワイルドからは快楽だけを享受し
自身以外に対しての憐憫の情は欠落してて
ワイルドの主義の根本にある美意識を
理解してなかったようだ

生涯、何があっても
(当のワイルドに不貞をされても)
ワイルドに付き従ったのはロスだった

とはいえ
つばめも当初はボジーのようなヤツだったがねw

なんせつばめは本来ならば
とっくにエジプトへ渡ってるはずだのに
葦に一方的に恋をしたかと思えば
構ってくれナイ葦に対して「振られた」と恨み節で
その間はつばめとしての社会生活を
投げ打ってしまってるるる~

恋の成就の快楽を夢見たばっかりに
日々の暮らしが立ち行かなくなってしまう
社会の落伍者のつばめ・・・

しかも恋の相手は
同種異性のつばめのメスでなく
異種の葦・・・ましてや植物なのだ
そして性別は本トにメスなのかも疑わしい

人間社会では基本的に
カップルは同種異性を望ましいとしてて
同種同性のカップルも
ここ最近は許容されてきたものの
あくまでも許容であり
推奨では全くナイ

そんな人類のモラルを
鳥類のつばめに当て嵌めるのもなんだが
既に同種ではナイモノに恋してしまい易く
姓の別には余り拘りがナイようなので
人間社会の児童書に出てくるキャラにしては
不道徳の極みだろう

そんな不埒なつばめだったのが
王子の像に出会い
少しづつ変わってくのだ

憐憫の情が漲り過ぎて
涙となって迸る心優しき王子に
恐らく一目惚れしたのだろう

王子が像として美しかったのも一理ありかもだが
その心根の美しさに打たれたに違いナイ

だからつばめはブーたれながらも
王子の気持ちを汲んで
施し事業を手伝いながら
ぼろぼろになってく王子に対して
愛情を募らせてたのだ
しかも命懸けで!

このつばめの愛し方・・・
ワイルドは伴侶にこれを求めてたんだろう・・・

しかし社会的にも生物学的にも
正式な伴侶であった妻には
病身の、しかも梅毒持ちの夫(ワイルド)に
尽くしてもらうのは気が引けたろうし
ボジーにはもちろん、ロスにも
求めてはいたが
実際には望んでなかったろう

それに妻には子供たちを護る使命があったので
ワイルドか子供らかを選択せねばならなくなった際に
子供らを選んだのだ

ボジーはワイルドに賛美されたり
共に快楽に耽るのを愉しんでただけで
そもそもワイルド自身を愛してはいなかった
(に違いナイと断言できる)

ワイルドとボジーが同種同性カップルとして
不道徳のレッテルを貼られると
ボジーは父親の権威に縋って逃げ延びて
ワイルドだけが投獄されるに至ったコトからして
保身に長けた俗物であるのは明白だ

そうしてロスだけがワイルドに付き従い続けた
つばめのように・・・



それにしても子供の頃は
偽善者王子は酷い奴だ
なんて思ってたりもした

どうせ王子は像なのだから
実質的には死なず、あるいは既に死んでて(?)
凍え死ぬつばめだけが可愛そうだった

でも王子を放置すれば
つばめはエジプトに渡るコトができたのに
王子の元を飛び立たなかったのは
つばめの意志で
それは生半可なボランティア精神などでなく
王子への一途な愛
それに尽きる

見返りなんか何一つナイ
お互いに報われるコトは何一つナイ
それでも2人は美しい事業を助け合ってやり遂げた
自らの命と引き換えに・・・

この物語がなぜ泣けるのか?

王子もつばめも気高く美し過ぎるが
人の世においてはいつも
そういう美しい者こそが踏み躙られる
そんな悲しい現実がよぎるからだ

つばめの謎を解く。。。2017-04-09 06:00:00 更新

『幸福な王子(もしくは幸福の王子)』を読んでて
引っかかる部分がいくつかあるが
中でもつばめに関して色々と気になってた

いつか調べようと思ってたのを
この数ヵ月かけてやっと調べ尽くしたが
最も不可思議に感じてたのは
つばめが王子にエジプトの様子を話してる際に
バールベック神殿が出てくるトコロだ

現在、バールベック神殿自体は存在せず
既にローマ時代には土台しか無くなってたトコロに
ウェヌス、ユピテル、バッカスの各々の神殿が建てられた
これらの神殿を除いた残存してる部分が
世界遺産とされてるバールベックの遺跡だ



この写真はその内のバッカス神殿だが
とにかくこの遺跡があるのは
エジプトではなくレバノンなのだ

エジプトのカイロから
レバノンのベイルートまでの距離は
583.19kmも離れてて
東京から青森までの距離に相当するが
ベイルートからバールベックの遺跡までが
更に85kmもあるので
おおよそ650kmの距離感だ

確かにつばめとゆー渡り鳥は
1日に300㎞以上も飛べるそうだから
丸2日かけて飛んでって
往復4日程で戻ってくるのも
不可能ではナイ

ましてや、この変わり者のつばめなら
エジプトからレバノンまで
渡り先から小旅行を楽しんだっておかしくはナイ
だがしかし、どうも釈然としナイのは
疑念が拭い切れナイからだ

もしかしてワイルドは
バールベックがエジプトにある
と勘違いをしてるのか?!

ところがワイルドの描いたつばめには
実は典拠があった!

それがテオフィル・ゴーティエ(もしくはゴーチエ)の詩で
「燕たちのひそひそ話」なるタイトルと知って
とりあえず家中のフランス人の詩が載ってる本を漁り
ゴーティエの詩の本を買ってみたりしたが
それらしい詩は見つからず
ググりまくってやっとネット上で探し当てた!!

Ce que disent les hirondelles

これをGoogle翻訳にかけてみたら
つばめらが話してる中に
バールベックとあり
アテネにあるパルテノン神殿や
カイロのミナレットと
一緒くたになってた

それにしても
ピラミッドはわかるがミナレットって???
ググってみると
イスラム教の宗教施設の塔のコトで
カイロのイブン・トゥールーン・モスクの
ミナレットの写真があった



また、このつばめの詩は
ゴーティエがエミール・ガレに贈った詩らしく
詩の一部と挿絵の描かれたガレのランプが
存在すると知り・・・



これとは別の形のランプが日本にあるコトまで突き止めた^^
エミール ガレ美術館蔵『燕文両耳付鶴首花器(つばめたちのひそひそ話)』